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2009年7月27日 (月)

エンザロ村のかまど 消えてしまった電気の灯

_edited_5 葦原微風様、コメントありがとうございます!え~、その方の名前や職業なども書ければいいのですが、なかなか難しいのです。というのは、どうしてもこのエンザロ村の場合と対比させた、ある種の失敗のケーススタディという書き方になってしまうからです。悪い例として挙げるのは、そのお気持が素晴らしいだけに、場所その他をぼやかしたり、やや変えて描かざるを得ませんでした。ご了承くださいね。

では、話を続けるとしましょう。水力発電器は、その方が再訪した時には、壊れて使いものになっていませんでした。設置して半年は順調に稼働して、村の子供たちがその電球の回りに集まって、本を読んだり、絵を描いたりすることができるようになりました。台所にも延長してお母さんの炊事がとても楽になりました。

しかしある嵐の日、大水が出て急流となって谷を奔りました。水力発電器は水流でプロペラ(回転羽根)を回して、それをタービンを回して発電する仕組みですが、突然に来る急流の時には、プロペラが流れを受け流すようになるはずでした。しかし、非常に強い流れだったために、設計以上の負荷がかかってプロペラが飛んで流されてしまいました。

_edited_4

村人は子供まで一緒になって一生懸命探したのですが 、出てきません。プロペラをブリキを切って叩いて作ってみたりしたのですが、うまく回りません。また、このプロペラをコントロールするために小さな電子部品が使われていました。日本では村の自動車整備工場で手に入るような簡単なものです。しかし、この地ではどうにもなりませんでした。

そしてもっと悪いことには、やがて村人の中に電気を設置してもらった村長を批判する者が現れてきたことです。うまくいっている時には自分の子供も「村長の電灯」で照らされていたはずなのに、こんなことになるとそのような人が必ず現れるのは古今東西を問いません。

結局、村長も村での諍いを避けるために水力発電の器械を納屋に仕舞い込んでしまいました。谷から延びる電線は、メンテナンスをしていなかったのでたちまち各所で寸断されてしまいました。子供たちは、朝は早くから陽がでている間は忙しく親の仕事を手伝い、夕食後の一時の楽しみだった電球の下で集まって絵本を読む楽しみを奪われてしまったのでした。お母さんの台所仕事もまた、ランプひとつの闇の中に戻ってしまいました。

実は私はこの話の続きを知りません。ひょっとすると、もう一度再建されたのかもしれないし、違うかもしれません。しかし、この話はいくつかの第3世界援助の教訓を教えています。次回それをお話します。

(続く)

■写真 カンボジアの蓮(もちろん模造ですよ)の池と僧院遺跡の僧侶。

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