エンザロ村のかまど その土地にほんとうに必要なものとは?
「エンザロ村のかまど」という絵本を読んで、すごいなぁと関心したのは、このプロジェクトのリーダーの岸田袈裟子さんが、何十回もエンザロ村の人と話あいをもっていることです。
岸田さんはもう既に三〇年も前からケニアに入って、女性や子供の生活を改善するために働いてきました。ですから、なにがほんとうに必要なのか、しかも自分たちでつくれるものは何かが考え抜かれています。
たぶんこの「現地の人達と話し合う」という部分がこの本の大きなヘソです。なんだ、あたりまえじゃないかと思われるかもしれませんが、前に紹介した水力発電のケースはこの部分の失敗が尾を引いているのです。山間の村の子供たちに電気の灯を灯して上げたいという心温まる善意に、実は一番欠けていたのが、この「現地の人との話あい」の期間でした。
それはいたしかたがないところがあって、岸田さんはケニアに骨を埋めるような覚悟で暮らしている人です。それに対して電気を引いて上げようと思った人達は、日本に仕事をもっている人達でした。話あう時間も少なく、やはり善意の押しつけとなりかねない要素も初めからもっていたのかもしれません。
現地の人にとって、ほんとうに必要なものは何なのだろう。これは日本人が自分の頭だけで考えても出てきません。先進国の、たぶん世界でもっとも便利な国に住む人間の感性や価値尺度で計ってしまいかねないのです。それは例えば、「明るい」ということだったり、「清潔さ」だったりします。そしてその達成の手段も「電気」だったりします。
現地の人達にとって、電灯の明るさもうれしいものでしょうが、それ以上に必要なものはほかにも沢山あったと思います。
エンザロ村の場合、それがまず「水」でした。遠くの水汲み場から水を運ぶという所に日本人は眼が行きがちです。水道の水がそのまま飲めるという世界でも希有の国がわが国だからです。
実は、現地の人にとって一番大変な思いをしていたのが水の不潔さでした。上流で病気が流行ったり、家畜が奮をしたりしたりすると、下流の人たちも病気にかかってしまいました。病原菌の多い水による乳幼児の死亡率は非常に高かったのです。
左のエンザロ村のかまどの右の端を見て下さいな。小さな女の子がお湯を飲んでいるでしょう。このかまどは料理の煮炊きをするだけではなく、いつも端の火口(ほくち)でお湯が沸いているのです。特に新しい火を焚かなくとも、いったん沸騰させてしまえば、残り火だけで充分に温かいお湯が飲めるようになったのです。
汲んできた水を沸かす、たったこれだけのことで、赤ちゃんの死亡率が激減したのです。
また岸田さんは水汲み場も改良しました。水汲み場に簡単な浄水装置を作ったのです。装置というと、日本の浄水場のようにパイプが沢山張りめぐらされて、と思いがちですが、なんの単なるコンクリートの箱に小石や砂利、砂を段に重ねて入れただけのものです。実はこれは私もこの農場で自作したことがありました。来た当時はちょっと水に自信がなかったので試してみたのですが、ゆっくりとですが、濾過されるのが分かります。数千円でできるような装置です。
このような努力が実って、今のエンザロ村では赤ちゃんはほとんど死にません。それまで実に七人に一人死んでいた乳幼児が、この浄水装置とかまどができてからの五年間で、生れた赤ちゃんの135人のうちなくなったのはたった1人です!
子供のけがや病気が減ること、赤ちゃんが死なないこと、そうすれば笑顔の子供たちが村の中にたくさんいることになります。それこそが村の豊かさなのです。
(続く)
■ 写真上と中は水に浮かべた茄子の花と野草の花びら。上と中では動いているのが分かりますか。下「エンザロ村のかまど」(福音館)から引用いたしました。ありがとうございます。
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