なめがた有機農業30歳 青年期から壮年期へ
今日、何人が来るかな・・・、朝から私は心配でしかたがありません。
というのは、この行方地域で、たぶん最初の有機農業者の集まりがあるからです。有機農業者というわが同業者は横のつながりを持つことが苦手でした。
そもそもが、農業の異端という辺境のポジションからの出発でしたし、有機栽培など不可能だという農水省などの行政や、地元JAの完璧なる無視と偏見の空気の中でやってきた期間があまりに長かったのです。長い人で30有余年、この私ですら25年、もう後継者が出て来ないとしんどい年頃になってきています。ああ、俺も歳くったもんだ(ため息)。
そして私たちの同業者は、JAに出荷を頼みにいっては軽くあしらわれたり、はたまた農薬の空中散布を申し入れてJAや行政とすったもんだしたりと、決して自慢ではありませんが、地元とうまくいっているとは言い難いのも確かでした。
JAあたりからすればわけのわからないマイナーな連中、JAにいちいち逆らう奴らといった見方をされていたのかもしれません。しかし、まがいなりとも有機農業がグループを組んで30年間も続けられたのは、いくつかこの行方地域の特殊性とでもいうべき要素がありました。
それはひとつに、JAがこの地域では相対的存在だったことです。わずか農産物出荷の3割ていどのシェアしかもっていないのです。このような農業地帯は全国的にも希ではないでしょうか。米どころや、中山間地でのJAのシェア、言い換えれば支配率は巨大です。JAと異なる農法をやることすら不可能な地域すら存在します。特に出荷ルートが限られる山間部では、JA以外のルートを作ることは至難だといえます。よしんば有機農産物が作れたとしも、ひとりでトラックに乗せて往復3時間もかけて都市部の消費者に自分で届けねばなりません。
それに対して、この行方地域は関東で、いや日本でも最も古い有機農産物の産地のひとつでした。私がここに入植する前後から、大地を守る会やポラン広場系の反農薬八百屋、そして現在のパルシステムの流れとなる生協などが、この行方台地に来るようになっていました。規模は初めはショボかったものの、やがてこれらの流通団体が大きく成長するに連れて, 出荷量は飛躍的に伸びていきました。
このように有機農産物流通と初期の頃から二人三脚のようにして成長してきたことは、この地域の有機農業経営を安定させる上で大きなプラスでした。しかしそれと同時に、流通による縦割り構造の壁がしっかりと根を張ってしまったのも事実です。
この壁は想像以上に厚いもので、私たちの地域の有機農業者は横にネットワークを作る必然がなくなってしまいかけていたのです。受発注、作付けなどの業務体系は当然のこととして、見学会、公開確認会、収穫祭などの各種の交流イベントも、各団体が勝手に自分たちだけでやってきたわけです。ですから、秋など同じ頃に幾つかの有機農業団体がてんでんばらばらに収穫祭をするという、考えてみれば奇妙な風景ももはや見慣れたものとなっていたのでした。
私が、この地域農業の次世代を考える「なめがた農園フロンティア構想」の委員に選ばれたことは、とても大きな収穫でした。この策定期間の1年の間に、私は今まで知り得なかった地域の特色ある農業者や、JAなめがたとすら出会えました。いずれも教えられること、刺激されることが満載でした。
そして率直に感じたことは、有機農業は「遅れている」という痛恨の念です。自分たち有機農法の先進性に安住する余り、地域の農業者と接してこなかったし、そもそもが自分たちの間ですら交流ひとつできていないのです。地域作りという視点が有機農業者には大きく欠落していたのです。
有機農業が孤独な探求者である時代はとうに終わっています。有機農業は孤立することを止め、大胆に地場の農業と関わりを持たねばならない時代になっているのです。
なめがたの有機農業30歳。青年期は終わり、社会に責任をもった壮年期にむかわねばならない時です。今宵の集まりがその第一歩でありますように。
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宵闇の通勤電車の窓に映える初老の姿は私です。30有余年、ブログ主様とは別のどこかで、ほぼ同じ年月を生きてきました。しかしながら、人生の営みの大きな開きを感じます。自分の頭で考え、立ち位置を切り拓いてきたブログ主様に比べて、私はなんと漠然と生きてきたものか。貴方様たちの「なめがた農園フロンティア」構想みたいなものがうまくいくことを期待しています。どうか、ブログ主様は癇癪を起こさずに壮年の知恵をもって「みなのしゅう、急がば回れ、だが志はあるのか」の如く地域のまとまりをリードされんことをも期待しています。垣間見るそれだけの情けとユーモアとしつこい探究心があれば、あとは我慢ガマンでまとめられると考えます。チェストッ!
投稿: 余情 半 | 2009年8月 6日 (木) 23時30分