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2009年9月

2009年9月29日 (火)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その6   民主党政権トレサビリティ路線は官の権限の肥大化

_edited 民主党政権がトレサビリティを徹底すると言っています。GAP(適正農業規範)もど~んとやるんだとか。
ため息がでてきますね。だから素人はイヤダ。
民主党の政策は、野党時代に培った消費者団体や市民運動家の意見が、多々盛り込まれています。CO225%削減から始まって、夫婦別姓、外国人参政権付与、人権擁護法とか・・・このトレサビリティもいかにも、消費者受けしそうな政策です。


例の悪名高きMA米事件から、このすべての農産物にトレサビリティを義務づけようという流れが現れてきたようです。しかし、このMA米事件は大きくはWTO交渉によるMA米という関税に伴う措置からきているのですし、悪徳業者と農水省の地方事務所の怠慢による失態がそれを助長しました。
だからといって、トレサビリティをすべての農産物に拡げようというのは、いかがなものでしょうか。

有機JASは、日本でたぶん最初の農産物トレサビリティでした。ですから、トレサビリティに関してはもっとも経験を摘んでいます。なんで民主党は、トレサビリティなんて政策を考えつく前に、なんでうちの団体にでも見学に来ないんでしょうか。

D_edited まずは左の写真をご覧下さい。うちの団体の冷蔵倉庫の扉に貼ってある表示です。この貼り紙の黄色の欄の上から二番めにご注目下さい。「エコチャレンジ」とあるのは減農薬減化学肥料(特別栽培=特栽)というジャンルの商品です。
また「theふーど」とあるのは有機JASのジャンルの商品です。
「このふたつを区分して保管しなさい」とこの貼り紙は注意を促しているわけです。

素人の皆さんは、トレサビリティと気安く一言で言いますが、これほど大変なことはありません。やりゃ分かる。
つまりは、消費者が手にした一本のニンジンが、どの畑で、誰が作り、いつの時期に種を蒔いて、どのような栽培管理をして、どのような土壌資材や種を使って、いつ収穫し、そしてそれをだれが生産工程管理の責任を負い、そしていかなるジャンルの農産物であるのかを誰が格付けしたのか・・・まぁおおざっぱに言って(←これでもですぜ)、このようなことを明確に表示し、区分して保管する。

以上の工程すべてをせっせと帳簿を作り、記録し、保管するわけです。帳簿の記録だけで膨大なものとなります。うちのグループでは事務所の壁面にいっぱいズラーっとファイルされて並んでおります。
あ~、よ~やっているよですが、しかしこれが有機JASを取得した個人や団体の負わされた有機JAS法に基づく義務です。このうち一点でも間違っていたり、虚偽をすれば認証取り消しとなります。

Img_0025_edited_edited_edited_2 そしてこの工程管理は、単に帳簿だけにとどまらず、倉庫、コンテナ、荷姿、トラックに至るまで区別されて管理されなければなりません。流通業者の手に渡るまで、取り引きの伝票、農産物の区分けをするわけです。

私たちのグループではこれらの管理のために専従職員を雇用しているほど、大変な手間となります。また、上の貼り紙のように、農産物の区分けのために、それを置く冷蔵倉庫を別途に使用しています。

これがいかにすさまじいコストを農業現場に要求するものか、なんとなくでもお分かりいただけましたでしょうか。このコストは販売価格に転化できませんし、とうぜんの国はビタ一文支援の助成などは出してくれません。ただひたすら取り締まるだけ。
前に一度試算したところ、センターコスト15%のうちの実に5%という腰が抜けそうな数字が出て、見えません、見えません、見えなかったことにしよう、クワバラ、クワバラ、ツルカメ、ツルカメと言い合ったことがありました。

私たちもこれが有機農業の生産にかかるコストや手間なら惜しみませんよ。多少高い土作りだって、微生物の研究だって、有機に向いた種作りだって、いくらでも金をかけます。しかし、このトレサビリティは、なんの生産もしない、ただの表示義務だというだけだからバカバカしくもなります。

そうです、この有機JASのもうひとつの側面とは、このトレサビリティの徹底して至り着いた姿です。日本の農産物の大部分がされていない現状ですが、この有機JASのやり方に他を合わせようというオソロシイことを、民主党の素人衆は仰せになっているようです。これがどのようなことを招くのか、一回有機JASの現場を視察してから、マニフェスト化して頂きたかったものです。

とまれ、このようにしてトレサビリティの行き着いた姿である有機JASにより、有機農業のコスト増大と、行政の権限の関与の肥大化を招いたのでした。
前々回で有機JASの三つの大罪と言いましたが、ここにもうひとつ追加します。四つめの大罪、有機農業に対する行政権力の関与を大きくし、官の権限を強化してしまったこと。

JAS有機で踏んだ轍を、他の農業部門もが辿ることを、民主党政権は選ぶのでしょうか。

(くたびれてきたけど、まだ続けると思う)

2009年9月28日 (月)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その5    支援がないのに、取り締まりだけあり、とは

_edited_5 葦原微風様、余情半様、ゆっきんママ様、コメントをありがとうございます。有機JASについては、ほとんど話題にすら登らなかったために、国民の大部分は知らないままに通りすぎているというのが実態ではないかと思います。
なぜでしょうか?

その大きな理由は農水省の不作為です。不作為・・・本来すべきことを知りながら作為的にしないこと、まさに有機農業に対する彼らの農政には、この言葉がもっとも適しています。

農水省は、JAS有機を施行するにあたっての幾度とない説明会の席で、この法律を作らねばならない理由を、コーデックス(WTO傘下の国際食品規格委員会)の外圧と、有機農産物の表示法がないために似非「有機」の跋扈状態をあげています。つまり、一方で「黒船が来るよ。もう浦賀の港の外で大砲を撃っているよ」と脅しながら、一方で「あなたたちもニセモノにはお困りでしょう」と宥めるというわけです。

_edited_2 この「脅しと宥め」のカードを巧妙に繰り出す中で、私たちが自ら有機JASを率先して取得するように追い込んでいった、ややブラックに言えば、そういったところです。
われながら、歯ぎしりをしたくなるような愚かさです。

政治力というものに疎い私たち有機農業者を手玉に取ることなど、しぶといJAや自民党農水族と,年中わたりあったり、野合したりしている農水省官僚にとってはまるっきりの楽勝であったと思います。 反骨精神と浪漫だけは人一倍あり、理屈っぽく、ナイーブ(←褒め言葉ではない!)、情報力も貧弱。政界への人脈、笑えるくらい、なし。資金力は聞かなくても、ゼロ。従って、政治力、ダメダメ。ああ、私の性格そのもののよう。まさにこれが、われらが「業界」のいいところでもあり、ダメなところでもあります。 私たちがJA農協のように巨大な利害集団であり、関係議員もわんさかいる票田であったのなら、議員先生のひとりも出てきてもう少しまともな有機JAS法が出来たのでしょうが、有機農業関係の議員など、今に至るもツルネイ・マルティ氏ひとりしかいないという寂しさが、わが「業界」(てなもんか)の実力なのです。

2005年に有機農業推進法が全会一致で採決されただろうって?いえいえ、あれはマルティさんの孤立した力業と、中島紀一先生など有識者のご尽力があったればのことで、有機農業の生産者の力とはかならずしも言えません。われらが同業者は、自らの支援法にすらまったく大同団結できないことを満天下に示してしまったのではないでしょうか。


まして農水省などの発意ではまったくありません。彼ら官僚は国会で通過した後に、上部から「今後有機農業が日本で可能かどうかなどという議論はしなくていい。推進法が出来た以上、この方向でやれ!」と一喝されて、渋々重い神輿が上がったのだと聞いたことがあります。

まぁそれはともかく、有機農業推進法は、むしろ国会での「全会一致」などということ自体、国会議員諸公にはどっちでもいい、痛くもかゆくもない「総論賛成、各論なし」の法律だったということです。
実体を作るには、各地での有機農業者の自覚を待たねばならない、そのような融通無下というか、ファジーな法律だったのです。

_edited_4 EUなどでも有機農業推進法に似た法律は多くあります。それも10年以上前に作られて、現実に有機農業を国策化すらしています。EUの有機農業認証制度や直接支払い制は、このような流れの枠組みの中で登場する諸政策なのです。
どういうことかといえば、直接支払いや支援法などを作るためには、その対象を絞り込む必要があります。どこまでを「有機農産物」と呼ぶのか、その基準が必要となるわけです。
だからそのために、有機認証制度が必要だったのです。

大事なことですからもう一回繰り返しますね。 有機農業を支援するための制度作り(制度設計)をするためには、どこまでが有機栽培であるのかの線引きが要ります。それを基準として明示せねば、支援する「範囲」が明示できないからです。
だから、本物の有機農産物と似非有機を厳しく区別する必要が出て、有機生産基準と、それがほんとうの有機農産物であることを立証する認証システムが生れたのです。それが本来の有機認証制度のあり方だったのです。つまり支援政策=育てると、基準を作る=取り締まる、という一見相反する概念は同じ政策哲学から生れていたのです。

一方わが国農政には、有機農業に対しての「哲学」自体がありません。ですから、初めから有機農業を支援する意志などさらさらないし、ただひたすら外圧に屈して私たちを生贄を差し出しただけでした。これがJAS有機認証という歪んだ法律が出来た誕生の秘密でした。
本来あるべきだった有機農業に対しての政府の支援政策はおろか、自分たち官僚が外圧に屈した結果生れたはずの有機JASに対してすら政府広報もまったくせず、痛みすら感じなかったのです。重箱の隅をつつくような表示義務違反を取り締まるだけが、農水省の有機農業政策でした。ですから、JAS有機の所轄は、表示法担当部局であって、有機農業部局ではありません。いやそもそも、あれだけの巨大な官庁の中に、有機農業担当部局など、いまだもって存在しないのが農水省です。こんな彼らに、これから来る本格的なグローバリズムと闘争ができるのでしょうか。

ただですら経営体力があるとはいえない零細な有機農業者や団体に対して、この10年間で行われた支援はまったくのゼロ!そして、有機認証の重圧の上に、覆いかぶさるようにして厚労省管轄のポジティブリスト制度までもが発足するに至っては、気分として「どうして有機農業ばかりいじめ抜くのか」といったところです。これで日本の有機農業が成長したらほんとうに奇跡です。

これを農政の不作為と呼ばずして、他になんと呼べばいいのでしょうか。そしてこの不作為を許したのは、苦々しいことには、ほかならぬ私たち自身でした。無知と無力は罪です。

(続く)

2009年9月27日 (日)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その4   外国農産物に門戸を開けたら

_edited これまでのこのシリーズ3回をお読みになって、有機農業関係者が雁首を揃えてJAS有機に批判的だとお思いにならないでください。このことについては、微妙に意見が分かれている、というのが実際のところでしょう。

「有機農産物や食品の信頼を担保して、その市場拡大、発展に欠くことの出来ない法律・制度」、といったあたりが一般的な見解でしょう。

しかし、私は有機JASの大罪は、三つあると思っています。

まず一つめは、日本の農業の現場を無視した外国基準を丸呑みしたような直訳的あてはめが、日本の有機農業者の経験や蓄積といった農業「現場」を混乱させ、時には破壊すらしました。これはJAS有機の認定を捨てていく農家が増えていることでもわかります。

次に二つめには、有機農業推進法ができる2006年12月まで、実に5年間もかかったことです。これでは順番が逆です。「育てる前に規制した」ことにより、芽ばえかけた有機農業への参入の道を潰してしまいました。今やJAS有機を取得しようとする新規農家はほとんどいない有様です。
これら二点については別な回でくわしくお話します。

_edited そして三つめは、輸入有機農産物を激増させたことです
今日はこの三点めをお話します。

[以下引用]

有機農産物の生産の5倍が有機輸入農産物
―01年度の有機農産物生産・輸入実績―

 農水省は10月30日、01年度の有機農産物と有機農産物加工食品の格付実績(生産量と輸入量)を発表した。

 それによると、有機農産物の国内格付量(生産量)は3万3,700トンで、野菜が1万9,700トン、果樹が1,400トン、コメが7,800トン、麦が700トン、大豆が1,100トン、緑茶(荒茶)が900トン、その他農産物が2,100トン。

 国内生産量に占めるこの有機農産物の割合は約0.1%で、品目別には野菜が0.13%、果樹が0.04%、コメが0.09%、麦が0.08%、大豆が0.43%、緑茶が1.10%であった。

 これに対し、海外で有機認定されわが国に輸入された有機農産物は国内産の5倍の15万4,600トン。最も多いのは大豆で6万1,000トンで、次いでその他農産物(アーモンド、緑豆、紅茶など)が5万8,500トン、野菜が2万6,200トン、コメが2,672トンなどとなっている。

(2002/11/15「全国農業新聞」))[引用終了]

この数字はJAS有機を始めてわずか1年半しかたっていない極初期の数字であるにもかかわらず、一挙に堰を切ったような輸入がはじまったことを示しています。
野菜が国産有機が2万t弱である対して、輸入有機野菜は2万6千tと、軽く国産有機を上回ってしまいました。大豆などは比較にもなりません。国産が約1千tであることに対して、その60倍もの約6万tがなだれ込んできました。

_edited_2 今試しに、スーパーで「有機しょうゆ」と表示されている商品を買ってみましょう。手元にはたまたまキッコーマン「有機しょうゆ」がありますが、有機大豆はアメリカ産です。また認証団体はEcocert-QAIとありますが、これはアメリカとフランスの合弁会社です。なんのことはない、日本の醬油という伝統食の原料は、原料もアメリカ、認証団体もアメリカというわけです。国産は工場と有機JAS法だけだというわけです。

味噌や納豆などで「有機」と表示されているものの、特に国産有機と表示されていない限りほぼすべてが外国産です。また野菜ジュースなどの原料としても多くの果汁原料が輸入されており、国産はほとんどない状況でしょう。

輸入農産物は、1961年に6千億円だったものが、1998年に4兆円を超え、現在も増加し続けています。特に食品業務用としては圧倒的なシェアを有するようになりました。

この輸入農産物の新たな市場拡大の要求として、日本の有機農産物市場が狙われていたのです。そしてその目論見のために有機JASが外国の圧力によって「作らされた」というわけです。

私は自分の経験からも、農産物がいったんグローバリズムに門戸を開放するやいなや、たちまちにして輸入農産物に国内市場を洪水の如く制圧されると思っています。

(続く)

2009年9月25日 (金)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その3  アメリカの農産物輸出のために作られた有機JAS

_editedJAS有機認証(以後「有機JAS」と表記)という法律は、さりげなく農林規格(JAS)という実に地味な法律の枠内に納まっています。改正JAS法で、2001年4月実施の有機農産物が入りました。このJAS法というのは、醬油の特級がどうしたの、スパゲティの太さがどうしたのという、まぁ今やあってもなくてもいいと言うとなんですが、古色蒼然とした法律です。

Yuuki_2 ところがこの一見地味な有機JASは、とんでもない食わせ者でした。というは、普通、JAS法は国内法であると思われるでしょう。ところがそうではないのです。有機JASは、なんと青い眼をした「出身欧米、現住所日本」というヤツだったのです。

有機農産物、オーガニックだけは、実に変わった輸出入における性格を持っています。輸出した先で「有機農産物」と商品名をつけるにはその当該国の有機認証法をクリアせねばなりません。そして、出す方の国も同様な有機認証制度を持つ必要があります。

ですから、アメリカの有機農産物を日本に輸出したい場合、名無しならどうでもいいのですが、「有機農産物」(オーガニック)と商品を名乗りたいのならば、アメリカで同等の有機農産物の表示法があり、かつ、日本の有機認証を受けてパスせねばなりません。

_edited_2これがWTOが定めた有機農産物貿易のルールです。そのため、欧米、ことにアメリカにとって日本市場にオーガニック農産物を輸出するためには、是非この有機認証制度を日本で作らせる必要があったのです。

こうした外国の、ありていに言えば、アメリカの利害によって作ることを命ぜられた法律、これが有機JASです。
私が有機JASは日本の有機農業のために生れたのではなく、アメリカの利害のために生れたグローバリズムの法律だと言っているのは、そのためです。

ですから、初めに出てきた有機JASの素案にあった生産基準の文言などは、まさに横文字の羅列化、判じ物のような直訳ばかりでした。訳している農水官僚が、有機農業など学んだことも、見たことすらないのですから、宇宙人から頂戴した手紙といった塩梅。

法律が施行されるまでに大分ましになりましたが、そもそも日本で出来たものではなく、日本の有機農業などどうでもいいと思っている農水省が押しつけてきた有機JASの生産基準は腰を抜かすような文言に溢れていました。

たとえば、有機圃場(畑のこと)と圃場の距離は20m開けろと出てきた時には、怒るよりも爆笑の渦でした。そんなところが言うも愚かですが、日本のどこにあるというのすか。これだけの距離がないと農薬の飛散を防げないと言う。やがて、言っている農水省の役人も苦笑し始めます。これも後に、どうやらアメリカ大陸の道路の幅員が根拠だと分かってきました。

_edited_4あるいは、慣行農法(通常の化学農法)の畑で使用したトラクターは、完全に洗浄しなければ、有機圃場で使用できない。その洗った記録を残すこと。はいはい、あんたら現場を知ってるのかねぇ・・・。

はたまた、同じ作物を慣行と有機で並行して作る場合は、農薬飛散の可能性があるため、収穫時に慣行との境界の有機を4mを慣行として出荷しろ。つまり、せっかく作った有機農産物を、隣に慣行の畑があったら災難、有機としては捨てねばならぬってことですな。

土壌資材として一切の化学処理されたものは禁じる。これの打撃は大きかったですね。原料が天然素材であったとしても、その工程の中でたとえばひとつでも硫酸などが使われていたら、もうその資材は使えなくなります。これによって、リン系や苦土石灰系の資材が軒並み使用不能になりました。

別に危険だからウンヌンではなく、ただ化学資材が微量使われていたというだけで、今まで堆肥を作る上で不可欠だった安価な過リン酸石灰や苦土石灰などが使用不能となり、わざわざバカ高いグアノというフィリピンの孤島で採れる水鳥の糞を使わざるをえないというお笑いです。

また、培土や種子にいたるまで一切の薬品の使用が禁じられました。培土はともかくとして、種子は種屋から購入する以上、既に保護薬がコーティングされていました。市販品には存在しないのです。種がなくて、農業をやれとでも?これはさすがに多くの有機農業団体が抗議したために、猶予期間が認められましたが。

このような今までの日本で培ってきた農業現場での経験や伝統、そして技術を一切無視して突然に日本に降って湧いたのが、この有機JASだったのです。

このような実情を無視した有機JASのために、日本の市場には外国産の有機農産物が溢れる一方、有機農業は拡がるどころか、多くの日本農民にとって無意味に狭き門と化していきます。

(続く)

■わが村の化蘇沼稲荷神社の祭礼の風景。名物の童女による巫女舞や奉納相撲もあり、実に楽しいお祭です。

2009年9月23日 (水)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その2       グローバリズムのトロイの木馬

Img_0003 上のわが団体のパックセンターの写真を見ると、なんとも言えないほろ苦さがわいてきます。そう、そうだったな、あれを掲げた2001年の秋の時には、無条件に嬉しかったっけ。

今はもはや引きずり降ろしたいような看板ですが、当時は村内への宣言のような気分でした。幕末のある人が書いた手紙にあるように「「もし疑わしく候わば、われらの所業を眼を開けて見よ」とでもいうところでしょうか。このたった一枚の看板の背後には、それまでなにかと言えば陰で、「隠れて農薬さ振ってんだっぺ」というような疑いの視線を、宣言することで「どうぞ、いつでも見て下さい。私たちには隠すものはなにひとつない」、という覚悟とも気負いともつかない強い感情が流れていたのです。

1997年頃から有機認証に対しての私たちの研究は続けられてきました。では当時から、積極的にJAS有機認証を取得するという意志があったかといえは、かならずしもそうではありませんでした。むしろ、世界情勢としてもはやコーデックスがステップ7まで来てしまっている以上、有機認証制度から逃げることはもはや不可能だろうと観念した、というのがほんとうのところでした。

Img_0002ただし一方で、当時の有機農産物を巡る風景がありました。当時は 農水省が定めた農産物表示ガイドラインの時代水準だったのですが、これがどんな杜撰なものかは、私たちは身の回りで見てきました。

生産者が農家の親父さん、確認者がその女房殿、はたまた取り引き流通の担当者。これで「無農薬栽培」を堂々とうたえてしまうのですから、もの凄まじい時代でした。また、「有機」も「無農薬」もいちおうは定めはあるのですが、まぁそんなものは一種のフィーリングのようなもの。

量販店の担当に「どっちがいいすかね、有機じゃわかんねえしょ。無農薬にして下さいよ」と言われた人もいるくらいです。こんな、まっとうな有機農産物を作っている者が馬鹿を見るようなジャングル状態の「有機」に私たちはうんざりしていました。ほとんどが、紛い物。社会面ネタで「有機栽培」のシールが束で売っている太田市場市場が報道されても、懲りることなく悪貨か良貨を駆逐しているのが当時のご時世でした

確かに有機農産物の信頼を取り戻すためには、新しい表示法が必要であったことは事実なのです。では、どのようにして、誰が、となると、そもそも農水省は「日本の風土の中で有機農業はありえない」と公言していた時代ですから、神輿が動くはずもない。では、民間かといえば、われらが「民間」の有機農業界ときたら、まさにバラバラを絵で描いたようなものでした。

Img_0011_2 まずは、日本でもっとも暖簾の古さを誇る日本有機農業研究会(日有研)は、意識の先鋭な小規模農家と、消費者や学者で構成されていました。そこにおいては「提携」方式という個人産直や小規模グループ産直が主流で、それ以外を「商売」として切って捨てる傾向が濃厚でした。

小農-個人産直という従来の提携運動の流れの中では、一定規模以上の流通団体とは組めません。そしてあまりにバラバラで、規格もなく、農法も拡散しており、そしてなにより、余りに小規模でした。

この流れは、有機農業が出来た時からある伝統的な方法でしたが、極少派から抜け出せず、というより、抜け出すことを意識的に否定する考えを持っていたために、早晩行き詰まることは目に見えていました。

そしてそのような時代に、海の向こうからJAS有機認証がやってきたのです。客観的でシビアな、公正な基準、そしてそれを立証する認証システム、私はこれを、「時代だからしかたがない」と受動的に受けとめるのではなく、積極的に打って出て、新しい有機農業の展開する軸にしたいと考え始めました。

そしてこのJAS有機認証を、新しいグループの統合軸に作られたのが、私たち「有機農法ギルド」でした。まさに有機認証制度の申し子とでもいえるでしょう。私たちはこのJAS有機認証を、今までの個々バラバラであった生産基準の統一のモノサシにしようとしたのです。私はためらいもなく皆に宣言したものです。

Img_0010 「今まで考えている自分の有機農業の生産基準は忘れてくれ。以後、私たちと一緒に進みたい人はこのJAS有機認証一本で出荷してもらいます」

私たちが茨城、千葉、栃木という三県をまたぐ広域法人として、有機農産物を流通させる時に、JAS有機認証を用いたのは偶然ではありませんでした。まさに、広域に農産物を流通させることこそが、有機認証制度の本質だったのです。

そして、広域で有機農産物が行き交うトレードは、私たちの当時の視線をはるかに超えて外国からの農産物を自由に受け入れるツールでもあったのです。つまり、それがグローバリズムだったのです。

皮肉にも、私たちはグローバリズムを導き入れるトロイの木馬の役目を果たしてしまったことになります。

(続く)

2009年9月22日 (火)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その1      私の作った団体の私的総括から

_edited_5 私がグローバリズムと戦おうと決心してから何年かたっています。それまで意識的にグローバリズムを考えたことはありませんでした。今回は、それを考えるきっかけをお話したいと思います。
今でもそうですが、有機農業は生産量も少なく、おまけに各地の「村の変人」ばかりでしたので、それが手をつなぎ、いわばひとつの舟を作っていこうという指向自体が存在しませんでした。有機農業が社会的に孤立しており、市民権がなかったように、個々の有機農業者もまた孤立した存在だったのです。
自閉を好む私たちの仲間に、共同の産直事業体を作り、ネットワークのウイングを伸ばしていこうというのが、私たちが当時発した呼びかけでした。その呼びかけに応えた数少ない団体を結び合わせ、県境を意識的に超えていく試みがなされました。
私はこのグループに、長崎浩さんの本で読んだ「異なった立場で、様々な生物種が自らの生態系を守りあう協同体をギルドと呼ぶ」という言葉に希望を託して「有機農法ギルド」と名を付けました。農協のように一本である必要はない、かといって、今までのよう孤立してはいけない、ゆるやかにモノのやりとりでつながろうじゃないか、という気持です。
戦争と革命、農業の工業化の世紀であった20世紀の最後の年1999年、今からちょうど10年前のことです。
_edited_2このギルド・システムは各地の有機農業グループを運送デリバリーと情報と人的ネットで結びつけ、各団体の代表者によって理事会を作るものです。理事会で方針や作付けを合議し、その元の事務局で受発注を行うという方式が、うまく作動するのか、だれにも分からなかったのです。
多くのトライアル&エラーが続きました。まさに膨大な時間と労力を要しています。このようなシステムは類例がなく、モデルがないためにすべてが手探りだったからです。
元来、自分に頼むものが強く、反骨精神の塊のような有機農業者の連中ですから、作付けや方針を巡る利害対立は日常茶飯事で、常に分解の危機をはらんでの運営でした。まがいなりとも、一個のまとまった経済団体にまで仕立てていくまでに丸々3年間を要しています。
この努力の結果、有機農産物の流通量の絶対量は飛躍的に増えました。ピーク時には、茨城、千葉、栃木にまたがる100町歩を超えるJAS有機認証圃場と、70名を超える生産者を擁する関東地方で随一の有機農産物の団体でした。またそれに応じて、社会的な認知も受け、売り上げも順調に伸びていくかに思えました。
私がこのギルド・システムの成功を信じかけ始めた時、あるところでこの成長は急停止したのです。理由はなんだとお思いでしょうか?
_edited_6 生産量が需要に追いつかないのです。私たちの産直の相手だったパル・システムは、当時50万人の先を目指す組織拡大路線に入っていました。仮にその消費者のわずか1%しか有機農産物を望まないとしても、その数は実に5千人にも登ります。
もっと生産量を上げてほしいという要求が矢のように来ても対応が出来ません。むしろ続く天候不順の中で、現在の供給量不足すら起きていたのですから。
私たちのグループが突き当たった大きな壁、それが有機農業の生産量少なさから来る供給量不足の壁だったのです。既存の有機農業の団体を網羅し、生産者をネットし終わると、地域の有機農業の生産量の底が見え出してきました。
もちろん言うまでもなく、直営農場の規模拡大、新規生産者作りなどといったことは徹底的になされたのですが、大きく状況を変えることには到りませんでした。なにがボトルネックだったのでしょうか。多くのネックはありました。有機農法の技術的な難しさ、変動しやすい気象条件、作付け計画の疎漏、生育確認の遅れ・・・、それらは予想しえたことでした。
しかし何よりJAS有機認証制度という大きな壁が、有機農業生産への参入を拒んでしまっていたのです。
(続く)

2009年9月21日 (月)

汗ししないで金をくれるという民主党政策の裏側    農家所得直接補償制度は減反補塡だった

_edited 世の中、タダでにしてやるとか、汗をかかないで金をくれるな~んてケッコウなお話には眉に唾をつけますよね。

たとえば、招待で高級ホテルに招かれて、おいしいものを頂いて、「お客様だけの特別チャンスをご提供!」なんて話、必ず裏があってベラボーに高い着物やら、やくたいもない健康器具や壺などかわされてしまいます。

しかし、天下の公党、いや今や政府が、それを言うとなるとただごとではありません。たとえば、ひと頃農村の居酒屋でも大受けだった高速道路無料化なんて、なんのことはない、種をあかしてしまえば、東日本、中日本、西日本の高速道路会社の維持費4、000億円の収入を、税金から支払って国営化するということに過ぎません。

2万3千人の道路会社の雇用も、収入がなくなるのですから、国から税金で出す、いいかえれば国民が負担するということになります。また、北海道などから始めるそうですから、都市部の首都高や名神、東名などが走る政令指定都市の自治体は45%もの事業負担を強いられていますから、地方税の形でも国民は二重の負担をすることになります。

_edited_3 さぞかし国交省の官僚は、この民主党の高速道路無料化政策を聞いて、涙を流して大喜びをしたことでしょうね。道路公団の民営化もこれでパーになって、せっかくガラス張りになった財務内容が、橋下知事が「ぼったくりバー」と呼んで怒った国交省地方整備局という悪名高いブラックボックスに納まるのですから。まったくこれで、なにが「官僚と戦う」だつうの。

9人に1人しか使わないという高速道路に、こんな無駄をかけていいのでしょうか。国が「タダにする」とか「金をやる」というのは、要するに税金でまかなって国民が負担する、ということなのですが、今は利用する人だけの負担ですが、これからは使わない人までもが負担するということです。

ウチなんか、年に1回も高速を使わないのでたまらんなぁ。その上、子供手当てとやらで配偶者控除もなくなっちゃうし。いいことまるでなし。農業政策でも同じことが言えます。

農業では農家所得直接補償制度を来年度からやると民主党政権は言っています。これも農業以外の一般の方には、なにを言っているのかわからないでしょう。なんかお国が農家に金をくれるということだけはわかります。

ではこりゃ一体なにかといえば、ひとことで言えば、農家所得補償制度とは、減反やったら国が金をくれるということです。

Img_0012まず「生産目標数量」が設定されます。例えば米なら36%減らせとか農水省が言って来るわけですね。 ここまで読んで、えッと思われませんでしたか?

通常「生産目標数量」とは、今まで6トン作っていたから、10tまで生産目標を伸ばせ、という増産に対して支払われると思うでしょう。世界の常識というか、日本でもそうです。ところが米だけは違う。真逆です。減らすと金をくれる不思議の国のアリス。

もちろん、今までも減反はずっと続いていました。しかし、今までは減反に対する補助は、転作奨励で大豆を作ったり、水田フル活用政策などで飼料米をつくったりしなければなりませんでした。これが従来の減反による転作生産に対する補助金という考えの基本です。ところが、来年度から民主党政権は、なにもしないでも減反さえすれば、作らなかった分の所得を出そうという政策に切り換えるというのです。

この問題は、今まで減反を追及してきた流れで、追いかけていきます。一般国民の皆さん、なにもしないで農家が減反しさえすれば、汗も流さず金を貰えるような制度をいかが思われますか。私は恥ずかしくって、町の知り合いにも言えやしない。

2009年9月20日 (日)

農場から出ていく鶏、そして入ってきた雛       ありがとうございました、そして、ありがとうございます

Img_0021 昨日、わが農場の古い鶏を淘汰しました。だいたい生み出してから400日~450日でさようならをします。

通常の大手養鶏場では、生み出しから300日というところでしょうから、そうとうなオババ鶏になるまで飼っているわけです。

毎回のことですが、出さなければ、次が入らないのが道理なのですが、やはり移動コンテナに鶏を詰めていく作業は気が重いものです。彼女たちとは生れた時からの付き合いでしたからね。胸がふさがれるような気分です。

短い期間でしたが、彼女たちの生命力を開花させてきたという自負はあります。いや、むしろ短いが故に。彼女たちの命は重い。畑でホウレンソウを抜くのとはわけが違うのですから。

_editedそう思ってはならないと思っても、自分の手にぬぐっても取れない血が付いていると思う時があります。だから、私たちは自分の稼業を因果だと思い、だから優しい人も多いのです。

昨日淘汰の加工をお願いした廃鶏屋さんのSさんの優しさは底抜けです。もはやそこいらの坊主などの域ではありません。引き取りに行った老鶏が、手をかけられていないと気がつくと、その飼い主を本気で怒ります。

「お前などに鶏を飼う資格はない。やめてしまえ!この鶏たちが毎日、自分の食っている餌の半分をお前のために生んでいることを知らないのか!」、と。

淘汰前日に餌を無駄だからと思って切ってしまう者もいるのですが、それを知った彼は、その場で無言で引き上げてしまったそうです。これから死に行く者に、最後の餌もやれない者には、根本的に生きものと関わる何かが欠落しているのです。彼はそれをその男に言いたかったのでしょう。

昨日も、私がお願いする鶏の前胃が膨れていることをさりげなくチェックして、納得して持っていって頂きました。そして彼の最高の褒め言葉をもらいました。

「あんたのとこの鶏は幸せだったね」

Sさんの働き者で愛嬌よしの奥さんが、昨年癌の大病を患い、それを必死に支えている毎日が続くそうです。彼は奥さんを救うために、全財産を投げ打つ覚悟です。私は、農場から去っていくSさんのトラックに、小さく礼をして合掌しました。

ありがとうございました、そして、ありがとうございます。

_edited_2さて、去って行く鶏と 入れ換わるようにして、生れたばかりの雛が入ってきました。とうぶんの間は、子育てで神経が休まりません。まだ、この時期はいいのですが、これからの冬の入雛(にゅうすうと読みます)は、コタツ2ツを入れ、更にヒヨコ電球という温熱ランプをつけています。

徐々に温度を下げていって、だいたい2~3週間で完全に廃温となるわけですが、急激に下げてもダメ、かといっていつまでも加温していると弱い雛になるという塩梅を見ながらの毎日となります。

入って一週間は、夜と早朝の見回りが欠かせません。特に夜の見回りは、懐中電灯を持ってブルブル震えながら行くわけですが、部屋の外で耳をそばだてて静かなら一安心です。というのは、寒いとピヨピヨと寒さを訴える雛の声が止まないからです。

生まれたての雛を冷やしてしまったり、濡れさせたりすれば、たちどころに一晩で数十羽があっけなく死ぬ場合もあります。

なにが鳥飼をしていて嫌な一瞬かといえば、この、自分自身の不注意による死です。哀しさと悔しさで自分の頭をボカボカ殴りたくなります。

温かく、お腹も一杯ハッピーに眠っている雛は、まるでつきたてのボタモチを並べたようにペターっと静かに眠っています。温度計もありますが、なにより雛の状態をよく見て観察することです。

これを見て、人も安心して眠れるというわけです。昔から、苗半作、雛半作といって、強い苗や雛が出来れば、後はうまくいきます。だから、この一週間は眠い。フワ~。

2009年9月18日 (金)

民主党政権の農水大臣に赤松広隆氏が就任    小沢一郎に直結する農業界と「しがらみがない」人事

_edited_3 大方の予想を裏切って赤松広隆氏が新政権の農水大臣に就任しました。たぶんこれを予想しえた人は、皆無ではなかったのかと思います。

「日本農業新聞」(9/17)によれば、農業と無縁であることで農水省や農業界とのしがらみを断つ人事だと観測されています。言い換えれば、「農業界のしがらみ」の最たる存在であったJA農協との対立モードに入るための人事と受けとめられているようです。

赤松氏の経歴は良く知られているように、今はなき社会党末期の「プリンス」書記長が挙げられます。福島瑞穂消費者担当大臣の大先輩というか、かつての上司ですね。旧社会党によくありがちな、多額の政治献金を「外国人所有の会社」(要するに朝鮮総連系パチンコ屋のこと)から受け取るという不祥事を起こしています。とうぜんのこととして、千葉景子法務大臣などと並んで、閣内でも強力な在日外国人参政権付与の立場です。ま、このあたりは農業とは関係がないのでここまでとします。

_edited_2また、書記長という要職にあったにもかかわらず、社会党崩壊後はいったん社民党に合流したものの、離れています。現在は横路グループに属しています。この事情は筒井さんなどと一緒ですね。

さて、興味深いことが二点あります。ひとつは、赤松氏が旧社会党の折りに、党議違反をしたことがあり処分を食っていることです。それがなんと「米の関税化」でした。当時米は関税化されておらず、数量規制だったのですが、それにひとりで反対して処分を食ったということになります。

このへんの事情をもう少し知りたいと思っています。というのは、彼と農業との接点はほとんど見いだせないからです。北大農学部出身で、農業に詳しい鉢呂氏などや、農水官僚(研究職ですが)出身の篠原氏などと、そのあたりが違います。

今日の「日本農業新聞」(9/18)によれば、副大臣に山田正彦氏、郡司彰氏政務次官に佐々隆博氏、舟山康江氏が入ったそうです。「農水通で脇を固めて、官僚を使いこなし、政権中枢と直結する赤松広隆大臣が掲示決断や財源確保をするマニフェスト実現チーム」(民主党関係者)だとのことです。

ずれにせよ、旧社会党時代から、米と関税の問題には独自の考えがあったというのは、興味深いことです。

といいますのは、現在、WTO交渉は2010年末の妥結に向けて、インドなどの開発途上国と米国との調整段階に入っています。この大詰めの情勢の中で、日本は交渉に敗北することが必至と言われています。日本の主張は、おそらくまったく通らないでしょう。そしてMA米が120万トンへと増加していきます。多分、赤松大臣の任期中にWTOとそれに伴うMA米の増加について苦渋の決断を迫られるはずです。

このような大きな流れの中で、民主党が掲げている日米FTA締結促進というマニフェスト公約がどのようにはまっていくのか、私にはさっぱり見当がつきません。通常ならば、FTAはWTOの代替えといわれています。WTOという世界で統一の貿易障壁をなくすという交渉は、このドーハラウンドで明らかになりましたが、そうとうに困難なことだと分かりました。利害当事者があまりにも多過ぎて、船頭多くして舟山に登る状態だからです。

_edited_4 となると、二国間で締結ができて、当該国以外の口出しをシャットアウトできるFTAにがぜん注目が集まってきたのが、この数年の強い傾向です。

実はASEAN諸国と中国との間のFTAは相当に進んでおり、安倍内閣時代に日本もそれに対する警戒心から、一挙にFTA交渉を進展させる方向に舵を切りました。ただし、日米FTAまでは、自民党の土着的な性格から言い出せなかったのだと思います。

その総仕上げとでもいうのが、今回民主党が出してきて農業界を震撼させた日米FTAだったのです。つまり、自民党もFTAをせざるを得なかったところまで、追い込まれていたのですが、日米FTAという世界一位、二位の経済圏の統合というところまでは言い出せなかったのです。

それをふっ飛ばしたのがほかならぬ民主党でした。民主党はかなり前の段階でFTA促進を政策化していたのでした。それが2006年政権政策でした。そしてこの時、それを作るように命じたのが民主党代表の小沢一郎氏、そしてそのとりまとめをしたのが、この赤松広隆氏でした。

これが赤松氏の興味深い二点めです。つまり、小沢氏の政策ブレーンであり、たぶん今回の選挙マニフェスト作りの中心にいた人物のひとりが、ほかでもない農水大臣に坐ったというのは果たして偶然でしょうか?

長くなりましたので、続きはまた次回ということで。

2009年9月17日 (木)

生き、生かされること その5               人は孤独ではない

_edited 自然は、アフリカや中東は知らないので、少なくとも私が接している日本の農村の自然は、人々が作り上げた精緻なエコシステムだとも言えます。

それを保っているのは他ならぬ共同体です。これは都市でのコニュミティとはやや違います。生存と生産、後世の孫子のための「保全と再生産のための共同体」です。
この中で私たちは暮らしている。言い換えれば、このような共同体の中で「生かされている」ともいえます。
う~ん適当な言い方ではないな、ややニュアンスが受動的すぎます。むしろ「生き・生かされている」という相互性の中にいることがわかります。
人は協働をして生きています。特に協働という理想をもっているというわけではなく、自然の前でそうせざるを得なかったからです。その協働はただいま現在のものだけではなく、遠い彼方の時間の人々とも協働しています。それが「生き・生かされている」ということの意味です。
また大きくは、生態系の基部をなす小動物、昆虫、微生物、地虫に至るまでを包括した「自然」との相互関係の中に生きているといえるでしょう。私たち人類という孤独な種は、孤独が故に共同を求めた。共同とは自ら生きる地を守ること、いわば「地守」あるいは「里守」の役割を永遠に続けるための手段です。この「地守」であることを絶やささなければ、私たちは決して孤独ではないのです。
グローバリズムを頑強に拒むもの、それがこの「保全と再生産のための共同体」、つまり私たちがその中で生き、生かされているこの日本の自然なのです。

2009年9月16日 (水)

欧米3カ国記者の酔っぱらい問答

_edited_4 こんな話があります。

ちょっと昔のこと、欧米の新聞記者たち三人が京都に旅に出たそうです。なにやら、貿易関係の国際会議のはねた後のことで、せっかくこんなヘンピな極東の島国に来たのだから、京都まで足を伸ばそうと思ったようです。ちょうど今頃の季節です。

その車中、新幹線が風を切りながら進む周りの風景は一面の黄金の稲穂です。皆、初めは物珍しげに見ていましたが、アメリカ人とイタリア人の記者はトランプを始め、その中でひとりだけ、じっとこの稲穂の海を見ていたのが、フランス人だったそうです。

その夜、京都のイザカヤ・バーで記者連中が、ドライテイストのサケ・ワインを呑みながら話をしています。

まずは、アメリカ人 「俺の故郷は実は中西部で、トウモロコシを作ってるんだが、日本人もあれだけライスを作ってりゃ、輸出すりゃいいのに。あ、いかん、日米貿易の不均衡がもっとひどくなる」

フランス人 「うむ、このサケワインなかなかいける。グビっ。一本買って帰るか。俺のジイ様まではワイン作りをしていたんだ、話したっけ。親父の代になって、安い外国産ワインに押されて、今はただのグレープジュース屋になっちまったけどな」

_edited イタリア人 「なんだお前もか、俺の家も代々、北部の米作りだ。半分は燐国に出しているけどな。24ヘクタールを親父と出稼ぎ労働者を使って、今でもやってるよ。あんまりいい儲けにはならんと年中ぼやいているがね」

フランス人 「おい、その燐国ってまさかうちの国じゃねぇだろうな。イタリアのクソ安いワインを運ぶトレーラーを、アルプス超えの峠で待ち伏せて全部イタリア側に流してやったのはうちジイ様と親父たちなんだ!だいたいお前らときたら、バキュームカーで二束三文の馬糞ワインを運び込みやがって。おかげで、わが家代々のワイン作りも親父の代でオシマイだ!なんて野郎と一緒になったんだ、まったく、サローサロー、ラッサンサン」

イタリア人 「おいおい、こんな世界の外れの国にまで来て喧嘩を売るなよ、ドウドウ。第一俺の家は米屋でワイン屋じゃないって。でも、今日見た日本の米を見てどう思った?」

アメリカ人 「日本人はパンも沢山食べるんだし、ハムや肉も好きらしいから、もっと小麦なんかを作るべきじゃないのかね。あ、俺の国から買えばいいんだった、またまたこりゃ自爆か。ハハ」

_edited_3 フランス人 「笑ってる場合か。いつもアメリカ人はそれだ。なんでもメイドインUSAを買えってか。アメリカが大将か。そういうガサツさだから、お前らアメリカ人は世界中で嫌われているのが、なんで気がつかないのかねぇ。そんなだからイラクでもベトナムの二の舞をするんだ」

アメリカ人 「なんだって?WTCにはフランス人だって大勢いたろう。我が国の兵士はお前たちの仇をうっているんだぜ。それを、お前の国のドピルバンときたら『古いヨーロッパ』はノンだってシャレたことをぬかしやがる。その古いヨーロッパをナチスの侵略から解放するために数万の若者を死なせたのは俺たち『新しい大陸』だったはずだぜ!ファック!」

(ここで危うく摑み合いになり、仲居さんから日本語で「出ていてもらいますからね」と厳重注意。なぜか完全に通じる)

フランス人 「すまん、政治向きの話はやめよう。でも、今日の日本の稲を見ていて俺の実家のぶどう畑を思い出したんだ。たしか、あのような日本の米は、千年以上の歴史があると書いてあった。この美味いサケ・ワインも、この酒器のオチョコ・グラスって言ったっけ、の原料の粘土も、更にはそれを焼く時にも稲穂を利用するんだと聞いたよ。うちの国の大統領のシラクが大好きなスモウ・レスリングは、そもそもは米の豊作を神に祝う儀式だったそうだ」

イタリア人 「そういえばオレの町にも、いい葡萄酒が出来た時の祭があるよ。神父がイヤな顔をするローマ時代の酒の神の祭だが、大事にされている。でも祭の時には真っ先に神父が酔いつぶれるんだけどな、皆が飲ますから(笑)」

Img_0015 フランス人 「そうかそうか、わかった!お前らは皆んないいワインは自分で飲んじまって、俺たちには馬のションベンのよう奴を出してくるというわけだ。ゴホン、食事中に失礼。あんな馬の水様性のナニに限りなく近い液体・・・ワインだなんて呼ぶなよ・・・は、輸出用だったわけね。自分の国ではもっと美味いのを飲んでいる、ってわけだ」

アメリカ人 「イタリアの肩を持つわけじゃないが、フランス人はウルセーんだよ。産地呼称統制法でシャンパンはシンパーニュ地方のコレコレこういう製法で作ったものしか名乗れない、なんて自分の足をがんじがらめにしているのは、お前さんたち自身だぜ」

イタリア人 「そうだ、そうだ。ブルゴーニュ地方のワインだけ名乗れるからどーだとか、こーだとか。そんなこと金がない庶民は気にしちゃいないぜ」

フランス人 「お前、そんなこと言っていると、やがてこのアメリカがメキシコ人を大量に使ってそこそこの品質のカリフォルニアワインを、ギャっという安値でヨーロッパに大量輸出してくるぜ。今だってチリにシェアを食われているだろう。価格競争に入ったら負けなんだよ、俺らヨーロッパは、なんでイタリアはそこのところがわからないのかね」

イタリア人 「なんせ根が貧乏性なもんで。俺の親父もそっちの国に出稼ぎに行ってた時に、オレが出来たんだ。だから俺はフランス生れ。北部イタリアにはよくいるよ、俺みたいの。トラウマだね、この貧乏って奴は」

フランス人 「いや、ご同輩。俺のうちのワイナリーなんて、シャトーだなんて昔の栄光。アラブ人富豪に買われたそうになったり、ひどいざまさ。ワインも作っても在庫が増えるばかりで、とうとう親父は先祖代々のワイナリーを辞めて、高級グレープジュース屋さんだ。もっともそれが当たったんで、俺が大学に行けたんだがね」

イタリア人 「わかる、わかる。うちの親父も輸出の米で当てたんだ。で俺も大学に行けたってわけだ。一緒だな、ご同輩」」

フランス人 「おお友よ、今日、俺は米の実ったジャポンのイネを見れてうれしかったぞ。フランス人にとって葡萄や麦がそうであるように、文化そのものの農業というものがこのジャポンにはある。うちの村なら、瘦せていて、いい作物が出来なかった土地だったのを、うちの先祖が村の人に声をかけていい葡萄畑に変えていったんだ。何世代もかけてな。俺はこれを誇りに思っている。譲り渡せない文化そのものだとも思っている。だから、今日はいい風景を見せてもらったよ、文化に乾杯!」

残りのお二人さん、こわいフランスににらまれて、渋々乾杯。

2009年9月15日 (火)

生き、生かされること その4                公共事業としての田んぼ

_edited これらのムラの風景がもともとあったのかというと違います。言い方に語弊があるかもしれませんが、「人工的公共事業」でできてきたのが私たちの村の風景なのです。
公共事業というと、小泉改革で悪者にされてきたコンクリートの箱ものというイメージですが、今、私が言った「公共事業」とは、人々が長い時間をかけて作り出して維持してきたもののことを言います。
誰が言い出したのかは分かりませんが、皆で樹を植え、渇水や大水に備えてのため池という調整池を堀り、河川から小川を引き田に導き、里山を手入れして、うるしなどの広葉樹を植えて水をため込む仕組みを作り上げていった百年間、三代のスパンをかけた「公共事業」のことです。
そのもっとも良い例が田んぼでした。田んぼは日本列島のモンスーン気候の雨の多い気象条件と、山がちで急峻な地形をうまく利用して出来ています。山岳部で降った雨は一瞬にして山肌を駆け抜け、急流となって平野部へ向けて驀進します。
そして必ず途中で洪水を引き起こしました。この洪水を治めるために堤をつくるところまでは他の民族と一緒なのですが、そこからわが民族との発想の差が生れてきます。
_edited_3 ある時、日本人は氾濫をよくする箇所で高く堤を作ってみてもダメなことに気がついたのです。上流で差渦意を防いでも、その洪水のエネルギーは下流に行っていっそうひどくなることに気がついたからです。
そこで甲州の霞堤のように段階的に少しずつ洪水を逃がして、田んぼに導き入れる工夫をしました。これと同じような治水の例は全国に多くあります。
こうすることで山の森林の腐葉土をたっぷりともった洪水の水は、田んぼの沃土に変わっていったのです。ね、私が自慢することではないが、すごい知恵でしょう。単に水を物理的に防ぐだけでなく、次の農業生産の基礎に循環して結びつけていっているのです。
このような人間が作り出した新しい自然生態系を二次的自然と呼びます。というのは、田んぼは単に米を作る生産基盤あっただけでなく、様々な生きものの住む場所になっていったからです。
かつて洪水の氾濫原を生活の場としていたカエルやゲンゴロウなどの水生昆虫やトンボやクモ、そして水草などの多くの生きものが、ゾロゾロとこの田んぼに住みつくようになってきたたのです。
_edited_4 もっとも生物相が豊かな地形は、水と乾いた土が入り組み、更に森や小川などに接している場所です。ここはそれらの異なった地形を行き来する多くの生きものが生きています。本州,、四国、九州に生きるカエル14種のカエルのうち、6種類までもが、この水田に住んでいます。また世界的に見ても、最も生物種多様性に飛んだ土地が、この水田とその周辺なのです。
日本は古来、秋津州豊葦原瑞穂(あきつしまとよあしはらみずほ)の地と呼ばれてきました。秋津は古語でとんぼ、豊葦は葦の豊かな湿原、瑞穂はお米のことです。これらが豊穣の土地、それが日本です。
これらは偶然にあったのではなく、営々と先人たちの腰が曲がるような、爪に泥が抜けないような、なめされた革のようになった顔を持つ、日本農民が作り上げた風景なのです。
グローバリズムは、米を単なる商品のひとつとしてしか扱いません。カリフォルニアで飛行機で種まきをし、農薬を散布し、巨大なコンバインで収穫する米と、このような日本の水土から生れた米を、単に高い安いという価格の尺度ひとつで計ろうとします。
それがいかに狭隘で、狭い視野なのかおわかりいただけましたでしょうか。米は単に米という商品ではないし、水田は単にその生産基盤だけではないのです。
グローバリズムは貧しい思想です。仮にその勝者となった国や個人がいたとしても、それが人の豊かさや国の豊かさといえるのでしょうか。
(続く)
■写真 昨日から隣町の鉾田祭を掲載しています。今年は大雨でたたられて気の毒でした。余情半様、過分なお褒め照れます。実は、このアップした画像は、ブログの1枚の容量が1MGしか入らないので、大きくトリミングせざるを得ませんでした。ほんとうはもっとずっと大きい絵なんですよ(涙)。

2009年9月14日 (月)

生き、生かされていること その3                 共同体の約束ごと

_edited_2 共同体には決まり事沢山あるんですよね。そうです、うんざりするくらいいっぱいあります。
まずは、家の周りには樹を植えよ。
それもサルスベリでもなんでもいいだろうというわけにはいかないのです。
北側には大きくなる欅を、東側には風雪に強い唐松を、西側には栗や柿を植えよ、とおおざっぱにですが、植える樹の種類まであるていど約束事はあります。まぁ、この頃はなかなかきっちりと守られていないようですが。
都会人の感覚では、ウルセーナー、なにを植えようと勝手でしょう、とお思いでしょうが、欅をうえよと言われている方角は、だいたい北風がビュビューと吹きすさむ方角なのです。こんなところに、低木を植えようものなら、母家が風雨でぼろぼろになってしまいます。だいいち寒い。
_edited_3 唐松のほうは、わが村では大分前の松枯れ病で全滅してしまいましたが、雪が多く降る地方ではこのように言われていたそうです。
ただ、松というのは燃やすとススがひどく出て、煙突掃除が大変でした。冬の底冷えのする朝に限って煙突が詰まりやがるのです。もう半ベソをかきながら朝も早よからススだらけでした(涙)。
栗や柿、柚子などは、そろそろシーズンですが、これを風当たりのひどいところに植える馬鹿はいません。果樹の類はしっかりと高い樹でくるむようにして庭の内懐に植えてあげます。
そうすれば、食べる時もすぐにもげますしね。
まだまだありますぞ。
家の周りの道や水路は常に清めておけ、ゴミは公の場所に捨てるな。このあたりはあたり前といえばあたり前なのですが、部落の内に行くと、早朝、静かに箒で家の前を掃いている光景に出くわします。たしなみという奴です。
また、部落の外の道端にゴミを捨てていくのは、通りがかりの馬鹿者と決まっています。ひどい奴は、ボロ洗濯機を放棄田の谷津に捨てていく奴がいて、問題となっています。しっかりと谷津田が使われていた頃はこんなことはなかったのですが。
またこざ払いといって、道端の草を共同で刈る仕事は、いまでも生きています。年に2回ほど男衆で朝から集まってガーガーと草を刈ったり、ゴミをひろったりして村道を維持するのです。
_edited_4 母屋の意匠は出っ張らないように、屋根はいぶした銀灰色の瓦でふけってなものもあります。屋根の色までとやかくはいわれとうないわい、自己表現が命という人は、村内に住むには向かないでしょうね。
家並みの美しさは、ひとえに秩序美です。新興住宅地が見苦しいのは(失礼)、ある家はスペイン瓦であり、ある家は新和風、ある家はコロニアルときています。これで町並みが美しかったら奇跡です。
これらは、戦後の日本で統一された集落の「町並」という概念自体が消滅の危機に瀕しているからです。
ある意味、私たち日本人以上に保守的というか、伝統大好きの西欧人などは、町の中で家を新築したり、改築したする時は協議の対象となると聞いたことがあります。伝統的な家屋にするための補助金なども整備されているといいます。
フレンツェに住んだことのある塩野七生さんは、何をするにも市当局の許可、また許可。外観を変更するような修繕などはまずダメ。設備は旧式を通り越して、もはや江戸時代のレベル。暮らしていくにはめちゃくちゃに大変だったそうです。
そうでなければあのような美しい家並みは維持できなかったでしょう。
連合軍の残虐な大空襲にあったドレスデンは、文字通り跡形もない焼け野原となったそうです。ちなみにドレスデンは、なにひとつ軍事目標がない文化都市でした。一晩で非戦闘員十万人近くが殺されたそうです。
大戦が終わって、ドレスデンの生き残った市民は街の復興に取りかかりました。ここからがすごい。われらが日本人だと、勝手にやりましたものね。実際、無秩序な家並みや街路の多くは戦いに負けて、焼け野原の後に出現したものです。
_edited_5 ドレスデン市民がしたことは、残された旧市街の写真や図を頼りにして、徹底して元のドレスデンを再現してしまったことです。これは新しい都市をひとつ作るよりはるかに時間と手間、そして努力が必要でした。
しかし、自らの街をこよなく愛した市民はそれをやり切りました。ですから、今、私たちが旅して見ることが出来るドレスデンは、ほんの50年ほど前に再現されたものなのです。
そして、この新しきドレスデンを再現してみせた市民は、ただひとつだけ戦争の焼け跡を残しました。それが焼け落ちて廃墟と化した大聖堂です。今この地を訪れる旅人は、この大聖堂がいかに非道な歴史を刻んでいるのかに思いを馳せることでしょう。
話を戻します。
日本人は世界でも有数の古い文明を持つのに、伝統や古い風景を大事にしないとも評されています。すぐに家並みをグチャグチャにしてしまう悪癖はひどくなる一方です。かの京都ですら町屋が並ぶのはほんの一角、京都タワーなんてシュールで前衛的なものを駅前にぶっ建てて、景観を自分でぶち壊しています。
京都人の小話をひとつ。「京都人が大好きな風景は京都タワーから見た風景だ。なぜなら、京都タワーが見えないから」。ブ、ハハ!
伝統というと重く感じられます。しかしそれは、合理性に裏打ちされている知恵の集合体だとわかるでしょう。集合知と呼んでもいい。それは時間軸を通じて、手渡されてきたものです。
それの集大成が、私たちの目の前に拡がる風景です。それを守るためには約束事が必要ですし、「自由」は制限を受けるのです。
(続く)

2009年9月13日 (日)

生き、生かされていること その2              沖縄の部落の福木と自由

_edited_edited
そういえば、こんな風景を沖縄でも見たことを思い出しました。
例えば、私が住んでいた近くの海岸沿いの集落の部落に行くと、海岸に沿って全部の、まさにひとつの例外もなく全部の家が海岸に向けて防風林である福木を植えています。福木は丈夫で、しかもよくしなり、風や海水に強い植物なのです。
この樹々が大きく手を拡げて村を守っています。そしてその手の内にシィクワーサーの果樹やパパイヤが守られて繁っています。
もし仮に、この共同の防風林の一角をフリムン(馬鹿)が買って、この別荘から海を見たい、自分の土地だからなにをしようと自分の勝手だろうとばかりに自分の敷地の福木を切ってしまうとします。
と、どうなるのか。台風の時の風雨は、海水を巻き上げながら、この崩れた防風林の一点の穴から吹き込み、部落の中を暴れ回ることでしょう。そして狭まった場所からの風雨の流入は、その風速の威力を増大させて、被害を大きくしてします。
なぜ、ウチナー(沖縄人)がよそ者に土地をなかなか売らないのかお分かりいただけると思います。それは単純な排他主義ではないのです。地域の自然とそれを守る共同体の約束事を守る気持のない人はムラに入れられないというルールにすぎません。
057 「自由」という言葉は、今の社会ではまるで普遍的な至上の価値のように語られています。あるいは民主主義もそうかもしれません。
この自由という概念が、果たしてそんなに至上の価値をもつものなのか、私はこのところ疑問に思ってきています。もちろん私は自由社会に生きていることを享受していますし、それがない状態を考えることさえ難しいかもしれません。
私が「自由」を疑い出したのは、市場競争の自由主義こそが、何よりも重要だから、一切の規制をはずせ、構造改革をしろ、という考え方が栄えた時代を見せられてきたからです。
私は素朴に悩んでしまいました。「自由」とはそんなに素晴らしいものなのだろうか。ならば、自由の結果、多くの人々が大事にしている価値、あるいは風景が破壊されたとしても、それでいいのだろうか、と。
自由はしょせん人間に追随する概念にすぎません。人間がどのような生き方をしてきたのか、互いになにを大事に守ってきたのか、そのために何をしてきたのか、逆になにを禁じてきたのか、それこそが大事なのではないのでしょうか。
水を湛えた水田の連なる風景、福木が守っている集落のたたずまい、それを大事にしてきた伝統、その中で生きる人のあり方、ここから離れて自由はありえません。
(続く)

2009年9月12日 (土)

生き・生かされているということ その1            共同体が造り出した村の風景

_edited 皆様、こんにちは。ようやく秋風が吹いて来ました。夜来の雨は村を潤しています。
さてこの夏、グローバリズムという怪物をぼや~と考えていた中で、ではなにが私たち日本人の価値なのだということに考えが至るようになってきました。
堅い話にならないように、できるだけ自分の言葉にしてお話したいと思いますので、少しの時間、おつきあい頂ければ幸いです。
私が好きな村をながめる場所にちょっと小高い峠があります。
手前に武田川という小川が蛇行し、水田が拡がり、此方には円通寺の本堂の大屋根が見えます。右手には火の見櫓がかいま見え、小さなほこりっぽい国道が走っています。遠くには作り酒屋の煙突の先だけみえます。
今村は稲刈りの真っ最中です。この峠から村を見るともなく見ていると、集落がどんなふうにできているのかがおぼろに分かります。
実はいつもは分かりにくいんです。車で走ることが多いので、なんとなく見過ごしてしまう。
_edited_4 けれど、4月の末に田がいっせいに水を引き込む時、村はいつもの顔から、まるで湖に浮いた島々のようになもうひとつの顔を見せます。
田が満々とした水を湛える時、防風林の欅や榊の生け垣が堤防のように水をくい止めている錯覚に陥ります。その時期、この峠から見ると、集落の家々は連なって、水や風を防いでいるようにすら見えます。そしてこの8月末、黄金の輝きをもった海にその島々は囲まれています。
これが共同体が造り出した風景です。それはひとりの見た風景ではなく、あくまでも共同の風景なのです。
(続く)

2009年9月11日 (金)

伝統と知恵を守る努力と、より良く変えようとする力のバランス

_edited 今日は9.11、2つの大凶事の記念日です。

ひとつはあの小泉郵政選挙で日本国民が熱に浮かされたようになって、小泉さんを大勝利させてしまった運命の日であり、いまひとつは、世界をイラクとアフガンのアメリカの戦争に引きずり込んだワールド・トレーディングセンターのテロ発生日です。

この9月11日を節目にして、グローバリズムに対応して、旧来の日本の社会構造や経済構造を変えてしまおうという流れが始まったのです。アメリカの価値観、アメリカの経済構造、アメリカの商習慣、そしてアメリカの外交方針につき従っていこうという流れが社会の主流を占めていきます。

そしてイラク戦争が、アメリカの明らかな誤りであったことは今や世界中が認識しています。また構造改革の結果、ひどい社会の歪みが生じてしまったことに、国民は怒りを募らせました。

グローバリズムはほんとうに日本人を幸せにするのか。いや、もっと端的に言えば、アメリカにつき従って行くことがほんとうにいいことなのか、アメリカの言うがままに日本社会をいじりまわしたことが果たして良かったのか、今しっかりと考える時だと思います。

オバマ政権となって世界のリベラル側の人々は熱狂しました。しかし、彼はイラクに代わってアフガン戦争を勝つのだと言っています。

しかし、ブッシュ政権の対テロ戦争として始まったアフガンもひどい状況です。まったくお先真っ暗といっていいでしょう。イラク戦争には消極的だったEUも、このアフガンには積極的に軍事介入しました。日本と同じ敗戦国だったドイツすらも、戦後初めて国境の外にISAFとしてドイツ連邦軍を送り出しました。

結果はどうだったでしょうか。つい最近は、ISAFのドイツ空軍が民間人を誤爆して、百名以上の死者を出してしまうという悲劇が起きました。

_edited_editedドイツ軍は今までタリバンの攻撃に対して受け身の立場でいたために、タリバンの集中的な標的にされていました。それを跳ね返すべく、反攻に出たことが裏目に出ました。タリバンの故意に民間人を巻き込む罠にかかってしまったと言われています。ドイツ国内でアフガン反戦運動が燃え上がるのは必至でしょう。

カルザイ政権の腐敗も限度を超えており、供与された兵器や物資の横流しが横行しています。今回の選挙も不正がまかり通っていました。しかし、オバマ大統領はまだ派兵の増強を続けるようです。その上、軍事作戦そのものにまで、制服組を差し置いて大統領自らが介入するために、国内でも失望の声が上がりはじめています。

一方、NATO諸国はこれ以上付き合い切れないとして、引き上げる意志に固まりつつあります。アメリカの最大の同盟国である英国ですら揺れています。アメリカは、再びブッシュ大統領時代の悪夢に戻る気でしょうか。

私はアフガンのすぐそばのパキスタン側国境まで行ったことがあります。もう十数年前で、まだ内戦の真っ只中でした。その時に、アフガンの部族のひとつであるパシュトン族のガイドが苦々しげにこう言っていました。

_edited_2 「アフガン人にちょっかいを出す民族は呪われる。イギリスも、ロシアも。だからパキスタンは燐国だが、国境を封鎖して、勝手に奴らに内戦をやらしているんだ。きっと連中はお互いに疲れきるまでやるさ」

このような国に西欧型民主主義を移植するなどと馬鹿な理想にとりつかれたのがアメリカです。イラクもそうでした。なぜアメリカ人は、西欧型民主主義がグローバルな統治形態だと勘違いしているのでしょうか。

日本の戦後をブッシュ前大統領がこう言っていました。「日本は大戦に負けることによって、アメリカにより民主主義を教えられた。イラクでも日本の戦後統治のようにうまくいくさ」

無知と傲慢、それとまずい飯屋が栄えたためしはない。日本は昭和の軍国時代以前まで政党政治を有していた民主主義国家でした。そして長い歴史の中で、独自の社会構造を維持してきました。

経済や社会構造は、その国その民族で大きく異なっています。その構造の条件自体が違っているのです。とうぜん、文化や価値観はその国の風土が影響します。それから切り離されて世界がひとつのグローブ、地球にまとまるはずもないではないですか。

私は若い日には、進歩主義者でした。社会が進歩することを当たりまえだと思っていました。その理想とする形態に差があるだけであると単純に信じていたのです。たとえば、それがソ連邦であったり、中国であったり、はたまた北欧であったりするだけだと思っていました。このことを語り始めると長くなりますが、三十歳代に農家となり、私は今その立場を捨てました。

日本人は目指すべき理想の国を、海の彼方に求めることは愚かであると思います。私たち日本人には、拠って立つ自前の伝統や共同体があり、知恵があります。

その伝統を守ろうとすることと、社会をよりよく変えていこうとすることの危ういバランスを保つ努力をすること、それが今の私の考え方なのです。

それを私は「農」と呼んでいます。

2009年9月10日 (木)

地方はほんとうにへばっているのです            小泉改革の轍を踏みそうな民主党

_edited 昨日お伝えした土地集積促進事業や、農機械リース事業の凍結などを受けて各地の知事がそれはできないという意思表示をし始めました。

今のところ栃木県、大分県、長野県、新潟県などですが、たぶんもっと増えていくことでしょう。

葦原微風様、お気遣い痛み入ります。今回、中身もさることながら、私たち地方に住む者にとってカチンっと来るのは、民主党の地方を犠牲にして平気なやり方なんですよ。自民党と何も変わっちゃいない。いや、それどころか農村に根っこがないぶん、もっと悪くなった気さえします。

別に民主党、自民党という党派の問題ではないのです。というのは、都会ではどうか知りませんが、地方に来てみれば小泉元首相の評判はボトムです。私が知る限り、ウチのカミさんを除いてよく言う人は少ないわけです。

え、なぜ、ウチのカミさんがですか?まことに連れ合いとしてナンですが、髪形やしゃべり方がカッコウがいいじゃんってことに尽きるようで・・・彼女ミーハーなんです、はい。今、ときならぬ「花より男子」にハマっております。私もつきあって全36巻を読んでしまうはめに(笑)。これが案外おもしろい。特に若き日の私をモデルにしたような花沢類がいい味だしてます。作者の神尾さんはどこで私の若き日の写真を手に入れたのでしょうか、謎です。

_edited_2いや、そんなことはどうでもいい。小泉さんがやった三位一体政策、つまりなんでしたっけね、国庫支出の削減、地方交付金の削減、地方への財源の委譲でしたか。なにか一見地方に財源が来て、地方分権の日が来るのかという錯覚に襲われましたが、ご承知のように、地方に交付されていた補助金、交付金はおおよそ47兆円もがカットされました。

そして本来あるはずの地方への財源委譲は、現実にはわずか3兆円にすぎなかったわけです。これで地方が疲弊しないというほうがおかしい。

地方企業の背骨は、土木と農業です。公共事業が大幅にカットされてしまえば、土建業の親方も常時働く衆を雇っていけないわけです。その従業員も、要するに農家です。ところが、地方農業の衰弱ぶりも、デフレ下の価格競争で叩かれて、この数年ひどいときています。豚屋は首吊り寸前です。

となると、もはや地方には逃げ場がないことになります。思い切って東京まで働きに行って、大怪我をしてもろくな補償もなかったなんて話が伝わってきます。

隣街の商工会青年部のボスのNさんと話てみると、もう百里基地とイセファームという巨大養鶏場だけしか産業がなくなっちゃったんじゃないかなんて情けないことを言います。町の中心部の商店街はいわゆるシャッター通りです。彼らはそれでも百里基地の民間共用化で頑張ってきて、そろそろ開港の日が目前です。

Img_0010自慢じゃありませんが、うちの村なんぞ村の一角にあった食料品店は軒並み閉店に追い込まれて、オジィやオバァは買い物に行く場所すらない。巨大ショッピングモールはあるのですが、あまりに広くて、どこになにがあるのかすら分からず、老人にはもはや珍獣ハンターのようだと言っていました。

第一、そこまで行く足がない。それでも農村はいまでも大家族ですから、なんとかかんとかやっていますが、なまじ地方中心都市の近郊のご老人などは買い物難民なんだよとは、水戸近郊の勝田で「協同館なかよし」をやっている女性リーダーの言葉でした。

かてて加えて、郵政民営化で4分社化された余波がもろに来ました。今までは郵貯、簡保、郵便が一緒の「郵便屋さん」がやってくれましたから、ひとりの郵便屋さんで皆やってくれていました。

郵便を配達のついでに簡保の集金をしたり、葉書があると家の門に印をつけたりしていました。これがもうできなくなってしまいました。だって、郵便屋さんではなくなって、単なる「会社」になってしまったからです。

かつての郵便屋さんが申し訳なさそうにバァ様に言ったそうです。「もうできねぇんだ。ごめんよ。同じ会社じゃなくなったんだ。許してくれろ」と。それでも、封書の切手が手元になかったので、現金80円を預かって持っていってくれたそうです。郵政改革は、こんな村の共同体の良さをまるで壊疽のように破壊していったのです。

_edited_3 その上、トドメを刺すようにして、余生の唯一の金銭面での頼りの年金記録がメチャクチャ(←私の年金記録もなんと6年間も欠落しているのが発見!)ときた上に、後期医療制度と称する年金天引きの老齢者医療制度が出来るに至って、地方は堪忍袋の緒を切らしたのです。

こうして田舎に住む人達の手や足を少しずつもいで来たのが、小泉改革でした。かつて安倍さんの時の参院選ポスターに「更に改革を!」みたいなフレーズを見つけた時に、村の仲間がケッという顔をしたことを今でも思い出します。

竹中平蔵さんという笑いながら人を殺すことが出来そうな冷血漢が、「今、景気がよくならないのは、構造改革が進んでいないからだ。もっと改革を進めるべきだ」と言うのを聞いた時には、さすがの農耕牛のように温厚だと言われている私も切れましたね。

そたらこと言うなら、この地方さ来て、俺らの現状さ見ろ!ヌカガ、若い時のようにこまめに地域さ回ってジジババの話さ聞け!大臣椅子でふんぞりかえっていたから恥かいたんだ!

・・・自民党が大敗するのは、村から見ていても必然でした。民主党が地方でも勝利したのは、このような不満のマグマがしっかりとこの4年間に溜まるに溜まっていたからです。それをしっかりと聞かないで、小泉改革という暴政を総括しないままで、またもや地方を犠牲にするような施策をすれば、どうなるのか、いうまでもないことでしょう、民主党さん。しっかりとあなた方の所業を見ていますからね。

■葦原微風様。いいネーミングですね。日本の国土で養える自給的人口とでもいうのかな、その計算をしてみましょう。ちょっとお時間下さいね。実は、今自給率計算をいろいろとしていて、それと関わりがあるのかどうなのか。

2009年9月 9日 (水)

今度は収穫直前に緊急農機械リース支援を凍結    ほんとうに農業現場を知らない民主党

_edited  衆院選が終わって静かになったと思ったら、今度は自治体首長選挙だそうです。いまでこそ平成の大合併で市になりましたが、気分はあいかわらずの村です。

そのかつての村が自分の地域の代表を出すのですから、これは大変です。新庁舎建設を隣町に持っていかれそうな形勢のわが村としては、ダンコ反対。箱ものに金を使うなという声が響いています。だってどうやら入札にはうちの村の業者は嚙めそうになさそうですし、おいしいところを渡したうえに、市の中心部を旧隣村に渡してなるもののゾといったところです。

しかし選挙好きのわが村の衆も、衆院選と同日であった県知事選、そして今回の市長選ですから、さすがくたびれているみたいですね。うちにも両陣営が一回来たきりという静かさ。片方の陣営で来た運動員に民主党候補の旗を振っていた知り合いがいたので、土地集積促進基金や、緊急農機械リース支援事業をなぜ民主党がぶっ止めたのかを聞いてみました。

_edited_2 この緊急農機械リース支援事業は、目と鼻の先の収穫期に使うというので、申し込んだ人が、うちの村にもいるからです。「いやー、わかんねぇよ。おれさに聞かねぇでくれや。オレが推した新人議員だって、まだ国会にも行ってねぇべさ」とのことでした。チャンチャン♪

まぁ、村の民主党支持者の諸君には衷心から同情を惜しまないよ。祝宴を上げてバンザイを連呼していたが、その後はさんざんだもんなぁ。

「いっぺん変えるっぺよ」はいいが、何変えてるんだつう~の罵声の連続でたまらんよな、お察しします。

この緊急農機械リース支援事業も、民主党が農家所得補償制度という金看板を作るために、姉葉建築士よろしく農業という建物の鉄筋を抜いた仕事です。

しかも今回は農業機械のリース事業が執行されて、もう使う寸前になっての緊急凍結。ありえないですね。常識の外です。村の民主党支持者も、さすがに弁護しようがなくて、黙ってしまいました。

下手に答えると、いかに民主党の農業政策を作っている人達が、農業現場に無知かバレてしまうからです。どこの世界に、合法的に取得した助成を、使用する直前で止めるアホウがあるかっていうんです。

_edited_3 またまた、民主党の農業現場を知らない悪弊が出ました。まだ新政権が始まりもしないうちにこれですから、始まったらどうなるのでしょうか。

中央官庁に百人の政治家を送り込んで、官を統制するなんて民主党は息巻いていますが笑止。こんな無知だけならまだしも、不勉強なヒヨっこ政治家にヒネられるような幼稚な官僚諸君ではありませんよ。農業現場と霞が関の間に挟まってニッチもサッチもいかなくのが目に見えていますね。

篠山登夫さんがブログで、このような理由の乏しい助成金の凍結には、法的手段を使えるとおっしゃっていました。「天災地変によらずの予算執行凍結はない」と予算適正化法に明記されているそうです。そりゃそうですよね為政者や、行政職員の恣意でコロコロ決まっていた助成金が凍結されたり、果ては執行されていた資金を変換しろなんてなったら大混乱ですもの。

以下篠山さんのブログから引用いたします。いつもながら的確なご教示に感謝いたします。http://www.sasayama.or.jp/wordpress/?cat=7

[引用開始]

参考 補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律 
第十条 (事情変更による決定の取消等)
「2  各省各庁の長が前項の規定により補助金等の交付の決定を取り消すことができる場合は、天災地変その他補助金等の交付の決定後生じた事情の変更により補助事業等の全部又は一部を継続する必要がなくなつた場合その他政令で定める特に必要な場合に限る。」

これだと、政権交代は、天災地変並みとなっちまいますわな–「不当干渉等の防止」 (第二十四条)なんてのもありまっせ—適化法の所管は、財務省であるってこともお忘れなく---よもや、適化法の所管省自らが、第10条違反で訴えられるなんて、みっともないことにはならないでしょうな。

参考 補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律
第二十四条 (不当干渉等の防止)
補助金等の交付に関する事務その他補助金等に係る予算の執行に関する事務に従事する国又は都道府県の職員は、当該事務を不当に遅延させ、又は補助金等の交付の目的を達成するため必要な限度をこえて不当に補助事業者等若しくは間接補助事業者等に対して干渉してはならない。

[引用終了]

ならば、今回の民主党政権は「天災地変」の類かと爆笑、と篠山さん。では私ら農業現場も、こんな不勉強で、強権的な素人が権力を握ってしまったことに、力なく、トホホ~。こんなことが続くんじゃ、民主党に入れた奴も一票サけぇせって言ってんぞ!

小泉改革で荒廃した地方を再建すると公約した民主党、言っていることとやることが正反対です。そもそもこんな法律違反ぎりぎりのことをしなければ出来ないようなバラマキ政策自体を見直すべきです。

2009年9月 8日 (火)

民主党の農地集積加速基金凍結は大間違い        基金は耕作放棄地対策として有効     

Img_0001_edited どうにも困りましたね。どうしてこうなるのか、さっぱり分からない。いえなに、民主党さんの新農業政策です。まだ組閣もされていないのにとやかく言うのは、良くないとは思いますが、あれだけの国民の支持を背負ったんですから、大きな責任を感じてもらわにゃなりません。

国民はようやく、選挙中に民主党がしつこく言い続けてきた「自民党の政策の無駄を省いて、子供手当て、農家所得補償、高速道路無料化に当てる」ということが、現実になにを意味するのか分かってきたのではないでしょうか。

農業関係は特にひどい「ムダ」を民主党新政権から指摘されており、既にマニフェストの段階で農地集積加速基金はやり玉に挙げられていました。

昨夜のテレビの報道番組で、筒井信隆さんが出てコメントを出しているのを見ました。いや~、彼の動く姿は初めて見たですが、選挙焼けなのかな顔がドス黒いですね。

Img_0012 しゃべり方など民主党農水族議員共通なのか、篠原孝さんもそうでしたが、一種独特の人を見下したしゃべり方をします。こんな簡単な事も分からんのか、お前は、というような口調です。どうやら農村受けしないキャラのようです。

ほとんど壊滅してしまった自民党農水族のおいちゃん達は、農協組合長タイプが多かったので、民主党農水族のオレは頭がいいんだってかんじには違和感があります。

筒井さんのしゃべったことはに要するに、「土地を貸すほうに金を出しても無駄だ。借りるほうの経営を安定させるのが先だ。だから農家戸別所得補償をする。文句あっか」というらしいことです。

結局、なにを言っても日米FTAを口走ろうが、農地集積促進凍結の是非を問われようが、答えはひとつ「農家戸別所得補償制度があるから大丈夫」というわけです。これではもう政策論議になりません。始めから答えはひとつしかないというのか、単なる同義反復ですもん。

なにがなんでも、全額基金の受け皿団体に全額振込済みであっても、凍結する、と。農家所得補償制度に金を引っ張るために潰す、と。もう結論が先にあるんだから、なにを農民が言っても無駄というわけです。

それはさておき、民主党さんは農村部に足がないという致命的な欠点があります。ですから、農業や農村の実態が分かっていない。農村が何に悩んでいて、突き当たっているのかを考える実感に乏しいのです。ですから、始めにこうだと決まった方針があると、逆にそれに合わせて現実の方を切り刻んでいってしまいます。この場合は、農家戸別所得補償制度がまずあって、そこからすべてが始まるというわけです。

Pk2009090502100028_size0たぶん政策決定はこんなかんじで決まったんでしょう。

まず農水省研究機関上がりの学者篠原さんが、彼の大脳皮質で考えたヨーロッパや米国の直接払い方式を翻訳してきました。それを派閥(一新会)の大ボスの小沢一郎さんに伝えたところ、これはいける、名前を変えて農家所得補償制度にしろと即決、ここから民主党の農業政策のすべてが始まったのです。

たぶん、小沢さんも似たことを考えていて、どうやって自民党の牙城である農村票をかき集めるのか、JA農協を弱体化させるのか、日米FTAをどうやって進めるのかに悩んでいたのかもしれません。農家所得補償制度なんてご大層な名前がついていますが、つまるところ純然たる銭金のバラまきに過ぎませんから、大義名分がないと公党としては格好がつきません。その政策理論的補強が欲しかったのでしょう。

実はこの話、ほかならぬ篠原さん自身から永田町の議員会館で聞いた話なのです。小沢さんへの農家戸別所得補償制度の提言をしたところ、ほとんど即決だったような口ぶりでした。それを話す篠原さんのやや得意気な表情が思い出されます。まぁ、5分に一回、臆面もなく自慢話をする人ではありますがね。この人も農村受けしないなぁ(苦笑)。

悪いことは言いません。民主党のお歴々の皆さん、政権を取る前にお忍びででもいいですから、農村部を回って直に農民の話を聞いて下さい。耕作放棄地だらけになった村の状況をしっかり見てほしいのです。まずはそこからです。

_edited そしてなぜ借り手がつかないのかを聞いてみて下さい。私も耕作放棄地を管理していますが、離れた所ではなく、私の農地に隣接する土地しか借りませんでした。そうでもないと、トラクターを転がして行かねばならないからです。

しかし、そんな実質捨てられたような農地でもしっかりと地代は支払わねばなりません。当地では年に1万程度ですが、4反で年間4万といったところです。私からすれば、経営的に必要なわけではなく、隣地が荒れるのは困るから借りているにすぎません。それに地代がかかるんですから、うちのカミさんからはそんな土地借りるな、と年中言われています。

私も正直に言って農地集積基金に期待していたのです。この隣地の持ち主が基金から資金をもらえれば、私のほうは地代が大幅に減ることにつながりますから大助かりです。実際そう思って村の農水課に相談しようかとしたら、その矢先に「無駄だから凍結だ」そうで・・・なんともかとも。

その代わりが農家戸別所得補償制度(この長たらしい名前、なんとかならんのか)だそうですが、農家戸別所得補償って生産コストを販売価格が割り込んだ時に貰えるんでしたよね。だったら、この土地集積事業となんの関係もないじゃないですか。次元が違う話です。

耕作放棄地を使う借り手にとって負担減になる農地集積加速基金は、耕作放棄地対策としても非常に有効な政策です。筒井さんが言うように、仮に貸し手に支給されたとしても、現実の村内ではそれを貸し手が独占することは考えにくい。ぜったいに借りて手にも地代軽減のような形でシェアされます。

こういった村の現実を知らないで、欧米の翻訳でしかないような農家戸別補償制度一本で、今の矛盾だらけの日本農業を切り刻もうってのは、ちと思慮が足りないのではないかと民主党さんには申し上げておきましょう。

■写真 ムクゲの華に止まるアゲハ蝶。アゲハは実に警戒心が強いんです。撮らしてもらえません。この写真もさんざん苦労して望遠で狙ってやっと撮りました。中はなにかわかるかな。葛の華です。今咲き始めました。

■民主党のあまりの愚かさに、毎日イライラしているので、このような写真が撮れるとほっとします。それにしても、鳩山さんもうちょっと勉強して下さいよ。これじゃ、金星から奥さまの幸さんが連れて来たって言われちまいますぜ(力なく笑う)。

2009年9月 7日 (月)

NAFTAの近過去、日本の近未来 第3回        GM種子企業は、メキシコ農民から原種を奪った

Img_0003 私は民主党議員の何人かとお話をしたことがあります。ひとりは農水省官僚上がりのかのご高名な篠原孝さん、もうおひとりは商社出身のビジネスマンの方、そして隣村の村長から一躍衆議院議員になられたシンデレラ・ボーイ(という歳でもないか)の方です。

隣町の町長出身を除けば、いずれも農業現場をほとんどなにも知らないなぁというのが実感でした。そのような民主党議員の中で、珍しくもこの女性議員は農村問題や農業を真正面から扱っています。舟山やすえさんという参議院議員です。元農水省の官僚出身で、小沢一郎氏とも近い関係のようです。

■「やすえの活動日記」 http://yaplog.jp/yasueblog/

舟山さんのブログの最近の記事を読んでいたところ、面白い記事に出会いました。題して「種子が危ない」です。この記事の中で、舟山さんは、グローバル化の中で種子が失われていき、一部の巨大国際企業が独占していると批判しています。

Img_0001 まぁ確かに一般論としては、舟山さんが言うとおりなんですが、ではなぜFTAのことが一行も出て来ないのでしょうか。舟山さんも批判するグロバリゼーションとは具体的になんなのでしょう。

言うまでもないことです。グローバリゼーションとは、俗にWTO体制、そしてWTOドーハラウンドがなかなか進展しない中で、世界各地で進められている二国間自由貿易体制、すなわちFTAと切っても切り離せないことです。

そう思ってこのブログをスクロールしてみても、農家戸別所得補償政策についてはかなりのスペースを割いていますが、日米FTAのエの字もでてきません。これはフェアじゃないですね。舟山さんがあれほど熱をこめて支援し、実際に衆院選では具体的支援にまで駆けつけた、かの小沢一郎さんが熱心に進める日米FTAを見ないことにしてはいけない。

まぁ、彼女のブログの論調とま逆な小沢さんのFTA推進方針を紹介するわけにはいかなかったというのは、わからないではありませんが、選挙民に対してはずるいですよね。農水官僚をおやりになっていたんですから、FTAと農業問題がまさか別次元のことなんてことを信じているわけないですよね。

_edited では、NAFTAで種子がどうなったのかを調べてみました。結論から言えば、すさまじいばかりのGM化の進行がありました。遺伝子組み換えトウモロコシが洪水のように米国から押し寄せてきたのです。

このGMトウモロコシによる被害はいくつかの側面に分けて見ることができます。

まずひとつは、GM種子が大量に米国から輸入されてしまったために、今までメキシコ農民が大切にしてきた多くの原種が失われていったことでした。

舟山さんもふれている、米国の巨大GM種子企業であるモンサントなどによる、原種のハンティングが盛んに行われたのです。その中には、密林のインディオたちが、先祖伝来大事に保存してきた原種トウモロコシや豆類も入っていました。これらが奪われていったのです。

そしてあろうことか、その一部はGM種子企業が商品化してしまい、それに特許権を設定して独占するという強盗まがいの非道なことすら行われました。WTO体制下ではTRIPS協定(知的所有権の貿易に関する協定)が有効とされ、いったん裁判所により特許権を認められると、この。GM種子企業がその販売ができる唯一の法人となってしまうのです。

このような方法でマジョコバ種の黒豆がメキシコの貧しい農民から奪われていきました。もはや、たとえば先祖伝来のマジョコバ黒豆を栽培するには、GM会社に特許料を支払うか、その種子を買うしかなくなってしまったのです

2009年9月 6日 (日)

民主党「無血市民革命」始まる!?          都市住民の皆さん、農家の所得を補塡する覚悟はおありですか?

Img_0012植草一秀さんは、この民主党政権奪取を見て、「無血市民革命」だと叫びました。冤罪まがいの事件で不遇を囲っていたのは同情していましたが、なんとまぁ「革命」ですか。

植草さん、革命にはゼロサムゲームはないのです。「無血」などはありえないおとぎ話にすぎません。必ず誰かが犠牲になるものなのです。それを分かって使っているのでしょうか。

民主党が約束した高速道路無料化、こども手当て、農家所得保障などの一説14兆もの巨額大風呂敷政策の財源の具体的捻出方法が、ほんとうに問われる時期になりました。

今年は既定の助成金を廃止するなどして捻出するつもりなようですが、次年度からは恒常的な財源確保が必要です。今までは「高い農産物」(私はそうは思いませんが)という形で、消費者が負担していたわけですが、これから「国が支出する」、つまりは税金で都市の市民が、農家の所得を補塡することになるわけです。都市の皆さん、その覚悟はおありですね。

今年は農業関係では、農地集積加速基金などを凍結すると発表しました。つまりは農地集積にブレーキをかけるということはですね。

日本で財界やエコノミストの皆さんが、なにかにつけての日本農業へのお叱りの「大型化がなぜ出来んのか」は、農地が集積化にはほど遠く、農地の合理的なゾーニングができていないからです。

そこで、とうぜんこれではマズイというのは農水省もわかっていて、集積の障壁になっていた農地法3条の改正という重い腰を上げて、農地法の改正に着手しました。これは農地を「耕作者」、要するに農民だけができるのではなく、異業種の法人にもできるようにしようという法改正でした(厳密にいえばそう単純ではない法改正のですが)。

Img_0009 しかし、すったもんだあって法改正は出来たものの、しかし法改正だけでは現実は変わりません。現実には貸してくれる農地はあちらこちらにばらけているわけです。で、地権者が集積化に熱心になるために、集積に応じてくれた地権者には多少のお礼をすんべい、となったのです。まぁ、エコ車減税みたいなやる気をそそる政策ですな。

これを、権力を握った民主党新政権はダメと急に言い出しました。表向きの理由は、基金の運営団体が「天下り」だからだそうです。もうひとつの理由は「緊急性がない」とのことです。

もう既に基金の助成金は基金団体に支給されているのに、突如フリーズだそうです。ちょっと驚きました。補助金とは無縁な私でも、ここまでするかというかんじです。合法的に支出が審査され、決定されて、振り込んだ金を全額返却しろということになるわけですよ。財務省も目を白黒しているでしょう。たぶん裁判を起こす団体も出てくるでしょう。

まさに革命政権的手法です。今までの自民党政権時に決定されたことは、すべて見直す、自民党時代の約束も見直す、出してしまった助成金も民主党の意にそぐわねば返却させる。まさに「無血革命」!このような手法を取り続けるのなら、とうぶんは大混乱でしょうね。 農地の集積化基金の問題云々というより、権力を笠に着て恣意的なことをすると、私たち農民に思われないほうが、新政権にとっても賢明なことなのではないでしょうか。自民党政策を否定するならするで、その理由を透明化して、国民に知らせる努力が必要です。 それがないと、ほんとうに冗談ではなく「革命」だということになってしまいますから。国民が望んだのは、閉塞感からの「変化」であって、「革命」ではないはずです。そこのところを勘違いしないで下さい。

2009年9月 5日 (土)

日米FTAをなぜ日本は望むのか?             自動車産業の生贄にされた農業

_edited NAFTAを考え続けています。飽きっぽい私としては実に異例のロングランであります(苦笑)。

私が粘着モードに入ると、カミさんは露骨にイヤな顔をします。朝から晩まで、「ねぇなんでメキシコはNAFTAをやっちゃったのよ。こうなるの、わかっていたでしょうに」とか、「サパティスタの闘争は、ヨーロッパに影響与えたのかな」とか、ご飯を食べていてもぶつぶつ言い出すのですから、もはや家庭円満の敵ですらあります。NAFTAは地縛霊かつうの。除霊せにゃなりません。鹿島神宮にでも行って御祓いしてもらおうかしら。祓いたまえ、゛清めたまえ。アントラーズに次節、川崎に勝たせたまえ~、シャーシャー。

今、私がずっとこの小さな胸を痛めて続けていた悩みは、「なぜこの時期に民主党が日米fFTAを結ぶといいだしたのだろう」です。米国の利害はミエミエですが、日本の利害が、見えんのだぎゃぁ(←わしゃ名古屋人きゃ)。

_edited_2 これを考えている時に救いの神のように篠山登生氏からコメントをいただき、氏のブログを拝見しました。長年、衆議院議員を勤められ、農業分野で活発なご発言をなされてきた先達の論説に、私は眼から洗っていないコンタクトレンズが一枚、はらはらと落ちた気分を味わいました。

Sasayama’s Weblog

メキシコがNAFTAに食いついた理由はわかりやすいといえます。、メキシコ政府はたぶん国境地帯ティファナの特別経済区に味をしめて、その大規模化、全国化を計ることで、低賃金を武器にした米国企業の出先工場展開を狙っていたのでしょう。これによって、メキシコは大量の雇用と資本投資を期待できるという胸算用です。

また、安価なメキシコ産農産物を米国市場に輸出できるという思惑もあったでしょう。実際NAFTA以降、トマトやアスパラガス、イチゴなどは米国市場で大きなシェアを占めています。

この結末は、稿を改めてお伝えすることをお約束したいと思うのですが、よー分からんのはわが国がナゼ?なのですよ。ここで篠山さんのブログから大きなサジェスチョンを頂戴しました。どちらにお住まいか存じませんが、足を向けては寝られません。

_edited_3 解の補助線は、お燐の韓国にありました。韓国は実は米韓FTAは14カ月間の交渉を経て、現在両国の国会で批准を待つばかりとなっています。

米国のほうが、オバマ政権になったためもあり、正直それどころではないので、現在足踏み状態だそうです。米国の方も一枚岩ではなく、全米自動車労組などの反対もあるそうです。

韓国は他にもEUなどと積極的にFTA交渉を持っています。それがわが国をいらだたせているといいます。

そう言えば、ニュースで韓国農民が過激反対デモをしていたことを、私の低容量メモリーから取り出しました。たしか香港まで出張して暴れたために国際問題にまで発展しました。おとなしすぎるわが国の農民と、足して二で割るとちょうど平均国になりますなぁ。

当時の私も映像を見ながらふ~んスゴイね、ていどの感想でして、そして今は我が身の哀しさよ、です。というのも、よもや日米FTAが現実政治の俎上に登ること自体考えにくかったからです。今でも大部分の日本農民はそうだと思います。まだピンっと来ていません。むしろ所得補償金という甘い飴玉がいくら入るかの獲らぬタヌキのなんとやらをしている始末です。

韓国政府が米韓FTAを締結に邁進したのは、自動車関税が原因でした。韓国のヒョンダイ(現代)自動車にとって米国市場は死活でした。そしてヒョンダイ自動車の死活は、韓国経済の死活と直結していたのです。だから、ノムヒョン政権は、農業部門が受ける大打撃を事前に分かっていながら、締結に突き進んだのです。

米韓FTAにより、ヒョンダイ自動車は米国市場でかけられていた自動車関税をゼロにでき、一挙にシェアを伸ばす起爆剤にできたのでした。ただし、韓国農民を切り捨てて。

_edited_4 このようなFTAの動きは、ASEAN諸国と中国などの間にも見られます。このような競合する新興工業国と熾烈な市場競争をしている日本の輸出産業、ことに自動車産業にとっては、米国とのFTAは喉から手が出るほど欲しい協定だったのです。

しかし、日本の農業は衰退したといっても、それなりの規模を持ち、なにより日本人にとってかけがえのないお米という瑞穂の民の心の拠り所とでもいうべきものがありました。ですから、財界としても本心はともかくとして、大前研一氏などのようにスッキリと日本農業は潰れてしまえ、外国から輸入しろ、とまでは国民感情の上でもなかなか言い切れなかったのです。

ここに、同友会提言のような財界による農業改革案が出てくるわけです。ダメ農民にやらせないで、企業に参入させろ、米など㌔160円で作って見せるぞ、こう言い放ったのが「voice」誌9月号の伊藤忠商事会長でした。

民主党の今回の日米FTAマニフェストの背後には、篠山氏も指摘するように自動車産業と一体となった自動車総連がいると思います。いずれにせよ、自動車総連、つまりは連合と財界への供物に日本農業は供せられようとしています

2009年9月 4日 (金)

NAFTAの近過去と日本の近未来 第2回       民主党政権新農水大臣のご紹介・ アメリカとのFTA締結が、メキシコの穀物生産を破壊した

Img_0005鳩山政権の農相は筒井信隆氏で決まりそうですね。氏は今朝の「日本農業新聞」で1面インタビューに答えています。

話はもっぱら農家の注目の的である農家所得直接補償制度です。2010年度からまずコメで試すとのことです。

さて、この筒井信隆氏は弁護士上がりで、社会党の役員時代に東京佐川急便から多額の賄賂を貰っていたことが発覚して役員を辞任せざるを得なくなった経歴を持ちます。

Nobu417aまた国会議員でありながら昭和天皇の大葬は欠席し、金日成の葬儀には参加をするという面白いバランス感覚を備えていられるようです。これからもご想像いただけるように、旧社会党特有の朝鮮総連との関係は深いものがあり、筒井氏も在日外国人参政権議員連盟の立ち上げからの有力メンバーです。

社会党が潰れて横路さんの引きで民主党に入ったのですが、農業団体との関係はほぼゼロですが、朝鮮総連との関係は非常に深い人ですので、農水大臣より在日外国人参政権法特任大臣でも出来た暁には、そちらになられたほうがふさわしかったのではないかと思う次第です。

今まではキムジョンイルさんの誕生祝賀式典には必ず出席していたようですが、次回は国務大臣の肩書で出られるのでしょうか。

うひとつ筒井氏の武勇伝が伝えられています。それは小沢一郎氏が代表の折、西松巨額賄賂疑惑で党内で弱々しい追及の火の手が立ちそうになりました。

追及のリーダー格だった元代表の前原誠司氏に対して、この筒井氏と、これも同じ民主党農水族の篠原孝氏(小沢派=一新会所属)両名が「民主党から出ていくのは小沢先生じゃなくて、お前のほうだぁ!」という動きを起こしました。まことに見事な小沢氏の忠犬ぶりです。

Img_0008しかし、それにしても民主党政権の農水大臣に擬せられるご両人がそろってFTA締結の首謀者である小沢氏のハチ公というのも、ちょっと分かりやす過ぎる構図です。

今日のインタビューでも、「日米FTAは、食糧自給率の向上や、国内農業・農村の振興を損なわないでする」とのFTAのイロハも知らないご発言でした。まぁ、できるものならやってみて下さい。

あ、しかし考えようによっては、今までの自民党農水族のようのように農民出身ではないだけ、農業に対して利害や愛着もなさそうですので、ドライにズバズバと農業をメッタ斬りにできそうだというので小沢幹事長(だそうですね)に買われたのかもしれませんが。

筒井氏のご紹介が長くなりすぎました。では、NAFTAによって引き起こされたメキシコ農業の近過去をみるとしましょう。

特徴的なことは、確かにアメリカ市場向けのトマトなどには伸びが見られましたが、すべての穀物生産が大きく減少してしまったことです。メキシコ人にとってトウモロコシに次いで重要な穀物だった小麦は、トウモロコシより一足先の10年め2003年1月から関税が撤廃されました。(下図参照・農民連「メキシコ農業の実情」より参考のために引用)

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特に小麦は非常にメキシコ農業が強い穀物で、最盛時には440万tを収穫して、自給率は130%にも達していました。それが関税が撤廃されたわずか翌年の2004年には、なんと240万tに半減し、自給率は4割を切ってしまいました

その原因は簡単です。米国からの輸入量が激増したからです。NAFTA締結前の1985年にはわずか8万トンだったアメリカ産輸入小麦は、2004年には372万トンと実に41倍もの増加をしています。

つまり、メキシコにおいてのピーク時の小麦生産にほぼ匹敵する量が、米国から洪水のように流入てしまったことになります。これで、メキシコの穀物自給が出来たら、そちらのほうが奇跡です。

このようにFTA、特に米国とのそれは、米国が異常に大きな輸出補助金をかけてまで食糧を国際戦略の道具としてしているために、相手国の農業に致命的な打撃を与えることがおわかりになりましたでしょうか。

2009年9月 3日 (木)

NAFTAの近過去、日本の近未来 第1回        アメリカはメキシコの輸入制限枠を無視した

_edited 台風一過の青空がようやく今朝になって戻ってきました。曇天続きだと表の農作業も楽しくないですね。

台風による稲の倒伏は、予想ほどなかったけれど、乾いた田んぼに水が入ってしまい、グチャグチャの田んぼもかなり出ました。倒れるまではいかないですが、寝かかった田んぼもあります。特にコシヒカリは腰高で茎が細いのでよくコケます。この青天が続いてくれると助かるのですが。

さて、メキシコのトウモコシに戻ります。NAFTAとメキシコのトウモロコシを語る上で、問題点はふたつあります。

ひとつはNAFTAによりメキシコのいわば命の食とでもいうべきメキシコ国産トウモロコシの輸入量がどのように変化したのか。そしてもう一点は、質の問題として、遺伝子組み替え・GMトウモロコシの侵入がどのていどなされてたのかです。この二点を中心に考えていきます。

なぜこの2点を大事だと私が思うかといえば、たぶん日本が日米FTAを結ぶことになれば、メキシコのトウモロコシに当たる日本のコメがこの運命を辿ると想像できるからです。

_edited_2

では、まずNAFTAによる米国産トウモロコシの輸入量をみてみましょう。アメリカからの輸入トウモロコシは、1991年締結時が131万トンであったものが、2005年には580万トンと4..4倍に膨れ上がりました。

なんだそんなていどかと、ふっと読み過ごしてしまうかも知れませんが、トウモロコシは実はメキシコ政府が国民の食の基本だとして重要品目(「センシティブ農産物」と呼びます)に特別に指定して保護してあるものなのです。

ですからNAFTAにおいても1991年から2008年1月1日まで最長スパンで保護関税が認められていたのです。

本来、FTAにあっては「例外なしの関税撤廃」が原則です。ですから、当該政府がこれだけは待ってくれ、という品目(センシティブ農産物)を巡っては熾烈な交渉となります。日本ではさしずめコメを中心にして、麦、牛肉、豚肉、乳製品あたりとなるでしょう。

メキシコ政府はとうぜん国民の主食の地位にあるトウモロコシに対して、高関税をかけてブロックしようとしました。ただし、さきほども言いましたが、条約で認められた最長幅である15年間に限ってですが。

_edited_3 ちなみに私は日米FTAが締結されてしまった場合、15年間ていどしか国産のコメを防衛できないと考えています。それはNAFTAの前例が有効だからです。

それはさておき、メキシコの現実はどうであったでしょうか。上の表(・農民連「メキシコ農業の実情」より引用)にその内実が無残に現れています。表の中心を斜め右上に伸びているのが、輸入制限枠です。毎年少しずつ輸入枠が増加する取り決めでした。ところが、現実は、斜め斜線で塗られた部分が輸入超過分です。

米国はまったく輸入枠制限を遵守しませんでした。平然と、輸入制限枠を超えて輸入を増加し続けたのです。 本来、これにかけられるはずのメキシコ政府の関税損失分だけで12年間累積で33.6億ドルにも登っていると試算されるそうです。

このようにしてメキシコは、本来の移行期間においてすら主食のトウモロコシを防衛できませんでした。そのために今や米国のトウモロコシ輸出国の第1位日本に継ぐ、第2位の国となってしまったのです。1991年のNAFTA締結前には100%の自給率を誇っていたメキシコ国産トウモロコシは、2005年には既に67%にまで落ち込んでしまっていたのです。

自分の国の主食も守れんし、米国から関税も取れないなんて、メキシコ政府、まるでアホやんけ~、と思うのは私だけか。

(続く)

■メキシコのNAFTAシリーズ「グローバリズムの洪水の前に」は、途中中断が続いてしまった上に、本物の嵐が来てしまいましたので、ゲン直しにシリーズ名を変えました。

■黒鳩さん、いやもとい鳩山首相がグローバリズム批判の論文を書いたそうで、私もざっとですが「VOICE」誌で読ましていただきました。まぁね。、本気かよ、ってかんじです。本気なら日米FTAをマニフェスト化しないだろうに。ただ、これを見ても、民主党執行部の考え方には大きな差があるということは理解できます。

2009年9月 2日 (水)

農業は風呂敷のようなものです               私のブログの志のようなもの

_edited このFTAテーマを取り上げる中で、新たな方との出会いがありました。篠山さんのような元農水政政務次官の方のようなWTOやFTAのプロ中のプロや、農業に関心を持ってその中で来ていただいた方もあります。また、日本の歪んだメディアレテラシーに共に疑問を感じていらっしゃった方もいます。そして常に温かく見守って頂ける方々もいます。

私には好きな風景というのがあります。それはどういうわけか曲がりくねった坂を登って行き、その先のてっぺんに坐って眺める風景です。その風景を私は「峠の景色」と呼んでいます。

峠のこちらからは、峠の向こうは見えません。苦労して登って、きっと曲がりくねった道が下に見えるのでしょう。そして、ふと目を見渡すと、次の風景がある。私にとって、今まで登ってきて見える風景は、自分の国の土や水、そして人を守ろうと汗している人たちです。

そして、峠の先には兎が跳ねる輝く海があり、たぶんその先には私たちと同じ悩みを持った人達がいます。

資本グローバリズムは、人類が罹ってしまった流行り病のようなものです。それは病が故に多くの人を傷つけています。なぜなら、人にとってもっとも大切なもの、人が生きてきた糧を生む土地と人を傷つけているからです。

私はどうやら反グローバリズム主義者なのだと最近になって自覚しました。自民だ民主だということはたやすいし、エコかそうでないかを言うのも簡単なことです。今日び、皆揃って財界から共産党までエコだからです。つまりエコを言ったとしても、もはや何事も言ったことにならないのです。それどころか、エコは排出権取り引きビジネスの道具にすら成り下がってしまいました。

_edited_2 私は農業が「エコ」、つまり環境の保全、保護、そして再生などを包み込むべき概念、いや硬いな、そう日本人の伝統的な融通無下な風呂敷みたいなものだと思っています。ある時には四角に、ある時は丸く。

硬いと言えばついでにもうひとこと。私は農業はWTOやFTAといった自由貿易体制から完全に除外すべきだと思っています。WTO体制の専門家の篠山さんには失笑されそうですが、これが私のブログの基本スタンスです。


その限りにおいてはメキシコのサパティスタのゲリラや、フランスのジョゼ・ボゼとも志を共にします。キューバの実践にも驚嘆します。

このように言うと、私が急進的リベラルのように見えるかもしれませんが、たぶんそれは違うでしょう。なぜなら、私はどこまでいっても日本人であり、天皇陛下を尊敬しているからです。それは、瑞穂の国の千年を超える祭祀を守る農業宗教、あるいは森林宗教である神道を祀るかけがえのない中心だからです。

天皇陛下を単なる政治的なアイコンとして切り捨てることで、かつての私は多くのものを見失ってきました。その不明を恥じます。そして、今その限りにおいては、私は完全な保守主義者です。日本の土と水と人を保守する人の側に立ちます。

私のブログはささやかですが、まっとうに馬鹿なことにはバカヤロウと物言うブログでありたいと思っています。゛

■写真 わが家の天空にぶら下がるヘチマ。この写真撮影後、すぐナーベラチャンプルーでたべちゃいました。ヘチマのバックは、太陽光発電パネル。

2009年9月 1日 (火)

農業にもメディア・レテラシーが必要だ         今回の衆院選報道に対する疑問

_edited昨日の稿を続けています。

今日私が問題としたいことは、日本マスメディアのレベルの低劣さです。ふんふん(←鼻息が荒いぞ)私は今回の選挙戦で日本マスコミに対して深い不信に陥ったことを白状します。

今まで色々なマスメディアから取材を受けてきて、個々の記者は誠実であったとしても、ひとつの共通の「歪み」のようなものがあることに気がついてきました。それは予定した絵コンテや台本どおりを記事や映像にしたいという彼らの習性です。

今回の衆院選でマスメディアにとって欲しい絵と台本は、「民主党大勝利、政権交代」でした。あらかじめ絵と台本を作るのは、マスメディアのカラスの勝手の領分です。しかし、それに合致しない事柄が出てくると、意図的に切り捨てるとなると、これは尋常ではありません。

なぜならマスメディアの立場は、客観報道に徹した上で、その客観報道とは峻別したところで論評をする、というのが原則だと思うからです。しかし仮に、マスメディアがその原則を逸脱し、政治状況そのものを自分勝手が思うように、自らの絵と台本によって演出し始めたとしたらどうなるでしょうか。

となると社会を動かすのは、政治家でもなく、官僚でもなく、ましてや庶民でもなく、彼ら肥大したマスメディアとなってしまいます。いわゆる三権の外にある第四の権力です。

_edited_3この衆院選報道では、「民主党大勝利、政権交代」というあらかじめ書かれた絵コンテからはずれるものはすべてカットされました。農業者として驚くべきことには、民主党の日米FTA締結という仰天マニフェストはまったく報道すらされなかったのです。

また減反問題という大きなことすら議論の対象にすらなりませんでした。ただ農家所得補償という甘い飴の財源がどうしたのという低いレベルの話題でかすかに触れられただけです。

いいですか、論議の対象になってどうじゃない、報道すらされなかったのです。この日米FTA締結ということが、どれほどまでに日本農業にとって危険極まりない重大な政策であるのかなど、マスメディアにはどうでもいいのです。

日本農業の崩壊が日本の二次的自然環境である里山の崩壊につながる破滅への号砲であることは、多少の理性と想像力があれば理解できるはずです。そして農業と環境の崩壊は、そのまま日本の食の危機とつながることも、毎日エコエコと騒いでいるマスメディアには分かっていたはずです。

_edited_2にもかかわらず、マスメディアはこの民主党の日米FTA締結路線を、完全にスルーし、愚かにも赤城元大臣のバンソコーがどーしたの、中川元大臣の酔っぱらいがどーしたの、太郎ちゃんのビンボー人は結婚できないがどーしたの、といった、はっきり言ってどうでもいいような枝葉末節な自民党の揚げ足取りに狂奔しました。

そして民主党のマニフェストの日米FTAが農業団体の猛反発に会って、驚いた鳩山さんが引っ込めても何も言いません。これなど太郎ちゃんのブレといったかわいいレベルではないはずです。

なぜなら、日本農業がグローバリズムをとるか否かという日本の行く末に直結することだからです。そして、鳩山さんが、いやあれは書き間違いといった中坊レベルの言い訳のブレに、御大小沢さんが「いや、日米FTAはやる」と言い切ってもまたもやスルー。二転三転。私たち農民はなにを信じたらいいんでしょう。信じるとしたら、そんな先の国際舞台の話ではなくて、目の前に差し出された農家所得補償だけですか。

こんな重要な政策について、なぜマスメディアは公開討論を主宰しないのでしょうか。そして民主党内の発言の違いを問わないのでしょうか。党首討論などという総論の討論ではなく、しっかりとした各論がいるのです。

今回の衆院選でなかったのは、日本の農業と環境を巡っての真摯な討論でした。真っ正面から政策で戦ったらいいのです。そのような開いた農政議論の場が、選挙の時にしかできないことは自明です。そしてそのような開かれた討論の場を提供するのが、マスメディアの社会的役割なはずではなかったのでしょうか。アメリカのマスメディアは大統領選でそれをしてオバマさんを大統領にしました。゛

前回の衆院選において、マスメディアは小泉さんの「自民党をぶっ壊す」というアジテーションにまんまと乗ってしまい、郵政改革に加担しました。あげく今の衆院選と同じ自民圧倒多数というバランスの崩れた図式を4年間にわたり作ってしまった。その間、日本でなにがあったのか。地方や弱者が切り捨てられ、農業はいっそう崩壊の一途を辿りました。その原因を作り出した一端は、ほかならぬあの郵政解散選挙のバカ騒ぎを演出したマスメディアです。

_edited_2それをいささかも反省せずに、こんどは立場を替えてまったく同じことを繰り返しています。どうかしているとしかいいようがありません。小選挙区制でこのようなムード的煽り方をすべてのマスメディアが一斉にすれば、どのように結果するのか誰が考えてもわかりそうなものです。

そのような雰囲気、「空気」を醸成したのはほかならぬマスコミです。語るべき政策は山ほどあるにもかかわらず、現実から目を背けて、選挙という唯一の国民の意思表示の場を、出来そこないのギャグ漫画のようにしてしまった。くだらない、まったくくだらない。芸能番組と報道の区別もつかないのか、あんたらは!私たち農民は瀬戸際なんだ。あなたたち世界最低のマスメディアの道連れにはされたくはない。

農業にもメディア・リティラシー(メディアの読み取り能力)がいる、それが今回の選挙でしみじみ思ったことのひとつです。次回の国会議員選挙の時には、もっと農業者が、既存の農政連や後援会の枠から離れて自由に国会議員や政党を呼んで語り合える場をつくらねば、またマスメディアの馬鹿どもにいいようにされてしまうでしょう。

もう私たち百姓には時間がないんだから!

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