農業は風呂敷のようなものです 私のブログの志のようなもの
このFTAテーマを取り上げる中で、新たな方との出会いがありました。篠山さんのような元農水政政務次官の方のようなWTOやFTAのプロ中のプロや、農業に関心を持ってその中で来ていただいた方もあります。また、日本の歪んだメディアレテラシーに共に疑問を感じていらっしゃった方もいます。そして常に温かく見守って頂ける方々もいます。
私には好きな風景というのがあります。それはどういうわけか曲がりくねった坂を登って行き、その先のてっぺんに坐って眺める風景です。その風景を私は「峠の景色」と呼んでいます。
峠のこちらからは、峠の向こうは見えません。苦労して登って、きっと曲がりくねった道が下に見えるのでしょう。そして、ふと目を見渡すと、次の風景がある。私にとって、今まで登ってきて見える風景は、自分の国の土や水、そして人を守ろうと汗している人たちです。
そして、峠の先には兎が跳ねる輝く海があり、たぶんその先には私たちと同じ悩みを持った人達がいます。
資本グローバリズムは、人類が罹ってしまった流行り病のようなものです。それは病が故に多くの人を傷つけています。なぜなら、人にとってもっとも大切なもの、人が生きてきた糧を生む土地と人を傷つけているからです。
私はどうやら反グローバリズム主義者なのだと最近になって自覚しました。自民だ民主だということはたやすいし、エコかそうでないかを言うのも簡単なことです。今日び、皆揃って財界から共産党までエコだからです。つまりエコを言ったとしても、もはや何事も言ったことにならないのです。それどころか、エコは排出権取り引きビジネスの道具にすら成り下がってしまいました。
私は農業が「エコ」、つまり環境の保全、保護、そして再生などを包み込むべき概念、いや硬いな、そう日本人の伝統的な融通無下な風呂敷みたいなものだと思っています。ある時には四角に、ある時は丸く。
硬いと言えばついでにもうひとこと。私は農業はWTOやFTAといった自由貿易体制から完全に除外すべきだと思っています。WTO体制の専門家の篠山さんには失笑されそうですが、これが私のブログの基本スタンスです。
その限りにおいてはメキシコのサパティスタのゲリラや、フランスのジョゼ・ボゼとも志を共にします。キューバの実践にも驚嘆します。
このように言うと、私が急進的リベラルのように見えるかもしれませんが、たぶんそれは違うでしょう。なぜなら、私はどこまでいっても日本人であり、天皇陛下を尊敬しているからです。それは、瑞穂の国の千年を超える祭祀を守る農業宗教、あるいは森林宗教である神道を祀るかけがえのない中心だからです。
天皇陛下を単なる政治的なアイコンとして切り捨てることで、かつての私は多くのものを見失ってきました。その不明を恥じます。そして、今その限りにおいては、私は完全な保守主義者です。日本の土と水と人を保守する人の側に立ちます。
私のブログはささやかですが、まっとうに馬鹿なことにはバカヤロウと物言うブログでありたいと思っています。゛
■写真 わが家の天空にぶら下がるヘチマ。この写真撮影後、すぐナーベラチャンプルーでたべちゃいました。ヘチマのバックは、太陽光発電パネル。
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