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2009年9月23日 (水)

私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その2       グローバリズムのトロイの木馬

Img_0003 上のわが団体のパックセンターの写真を見ると、なんとも言えないほろ苦さがわいてきます。そう、そうだったな、あれを掲げた2001年の秋の時には、無条件に嬉しかったっけ。

今はもはや引きずり降ろしたいような看板ですが、当時は村内への宣言のような気分でした。幕末のある人が書いた手紙にあるように「「もし疑わしく候わば、われらの所業を眼を開けて見よ」とでもいうところでしょうか。このたった一枚の看板の背後には、それまでなにかと言えば陰で、「隠れて農薬さ振ってんだっぺ」というような疑いの視線を、宣言することで「どうぞ、いつでも見て下さい。私たちには隠すものはなにひとつない」、という覚悟とも気負いともつかない強い感情が流れていたのです。

1997年頃から有機認証に対しての私たちの研究は続けられてきました。では当時から、積極的にJAS有機認証を取得するという意志があったかといえは、かならずしもそうではありませんでした。むしろ、世界情勢としてもはやコーデックスがステップ7まで来てしまっている以上、有機認証制度から逃げることはもはや不可能だろうと観念した、というのがほんとうのところでした。

Img_0002ただし一方で、当時の有機農産物を巡る風景がありました。当時は 農水省が定めた農産物表示ガイドラインの時代水準だったのですが、これがどんな杜撰なものかは、私たちは身の回りで見てきました。

生産者が農家の親父さん、確認者がその女房殿、はたまた取り引き流通の担当者。これで「無農薬栽培」を堂々とうたえてしまうのですから、もの凄まじい時代でした。また、「有機」も「無農薬」もいちおうは定めはあるのですが、まぁそんなものは一種のフィーリングのようなもの。

量販店の担当に「どっちがいいすかね、有機じゃわかんねえしょ。無農薬にして下さいよ」と言われた人もいるくらいです。こんな、まっとうな有機農産物を作っている者が馬鹿を見るようなジャングル状態の「有機」に私たちはうんざりしていました。ほとんどが、紛い物。社会面ネタで「有機栽培」のシールが束で売っている太田市場市場が報道されても、懲りることなく悪貨か良貨を駆逐しているのが当時のご時世でした

確かに有機農産物の信頼を取り戻すためには、新しい表示法が必要であったことは事実なのです。では、どのようにして、誰が、となると、そもそも農水省は「日本の風土の中で有機農業はありえない」と公言していた時代ですから、神輿が動くはずもない。では、民間かといえば、われらが「民間」の有機農業界ときたら、まさにバラバラを絵で描いたようなものでした。

Img_0011_2 まずは、日本でもっとも暖簾の古さを誇る日本有機農業研究会(日有研)は、意識の先鋭な小規模農家と、消費者や学者で構成されていました。そこにおいては「提携」方式という個人産直や小規模グループ産直が主流で、それ以外を「商売」として切って捨てる傾向が濃厚でした。

小農-個人産直という従来の提携運動の流れの中では、一定規模以上の流通団体とは組めません。そしてあまりにバラバラで、規格もなく、農法も拡散しており、そしてなにより、余りに小規模でした。

この流れは、有機農業が出来た時からある伝統的な方法でしたが、極少派から抜け出せず、というより、抜け出すことを意識的に否定する考えを持っていたために、早晩行き詰まることは目に見えていました。

そしてそのような時代に、海の向こうからJAS有機認証がやってきたのです。客観的でシビアな、公正な基準、そしてそれを立証する認証システム、私はこれを、「時代だからしかたがない」と受動的に受けとめるのではなく、積極的に打って出て、新しい有機農業の展開する軸にしたいと考え始めました。

そしてこのJAS有機認証を、新しいグループの統合軸に作られたのが、私たち「有機農法ギルド」でした。まさに有機認証制度の申し子とでもいえるでしょう。私たちはこのJAS有機認証を、今までの個々バラバラであった生産基準の統一のモノサシにしようとしたのです。私はためらいもなく皆に宣言したものです。

Img_0010 「今まで考えている自分の有機農業の生産基準は忘れてくれ。以後、私たちと一緒に進みたい人はこのJAS有機認証一本で出荷してもらいます」

私たちが茨城、千葉、栃木という三県をまたぐ広域法人として、有機農産物を流通させる時に、JAS有機認証を用いたのは偶然ではありませんでした。まさに、広域に農産物を流通させることこそが、有機認証制度の本質だったのです。

そして、広域で有機農産物が行き交うトレードは、私たちの当時の視線をはるかに超えて外国からの農産物を自由に受け入れるツールでもあったのです。つまり、それがグローバリズムだったのです。

皮肉にも、私たちはグローバリズムを導き入れるトロイの木馬の役目を果たしてしまったことになります。

(続く)

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コメント

興味深く読ませてもらいます

ギルドがトロイの木馬になったと?大工業の発展と市場の開放により潰されたギルドが、その伝統を受け継ぐはずの日本のギルドが、グローバリズムと相反するはずのギルドが、逆にグローバリズムに利用されてトロイの木馬と化したと?続きが楽しみです。今でも無農薬と商品に表示されていても信じられません。田舎を通りがかって、雑草の生えた田を見ると、あれは、農家の人が自家用に無農薬で作っているのだろう、隣の田の雑草がないのは、販売ようなのだろうと、思ってしまいます。

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