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2009年9月14日 (月)

生き、生かされていること その3                 共同体の約束ごと

_edited_2 共同体には決まり事沢山あるんですよね。そうです、うんざりするくらいいっぱいあります。
まずは、家の周りには樹を植えよ。
それもサルスベリでもなんでもいいだろうというわけにはいかないのです。
北側には大きくなる欅を、東側には風雪に強い唐松を、西側には栗や柿を植えよ、とおおざっぱにですが、植える樹の種類まであるていど約束事はあります。まぁ、この頃はなかなかきっちりと守られていないようですが。
都会人の感覚では、ウルセーナー、なにを植えようと勝手でしょう、とお思いでしょうが、欅をうえよと言われている方角は、だいたい北風がビュビューと吹きすさむ方角なのです。こんなところに、低木を植えようものなら、母家が風雨でぼろぼろになってしまいます。だいいち寒い。
_edited_3 唐松のほうは、わが村では大分前の松枯れ病で全滅してしまいましたが、雪が多く降る地方ではこのように言われていたそうです。
ただ、松というのは燃やすとススがひどく出て、煙突掃除が大変でした。冬の底冷えのする朝に限って煙突が詰まりやがるのです。もう半ベソをかきながら朝も早よからススだらけでした(涙)。
栗や柿、柚子などは、そろそろシーズンですが、これを風当たりのひどいところに植える馬鹿はいません。果樹の類はしっかりと高い樹でくるむようにして庭の内懐に植えてあげます。
そうすれば、食べる時もすぐにもげますしね。
まだまだありますぞ。
家の周りの道や水路は常に清めておけ、ゴミは公の場所に捨てるな。このあたりはあたり前といえばあたり前なのですが、部落の内に行くと、早朝、静かに箒で家の前を掃いている光景に出くわします。たしなみという奴です。
また、部落の外の道端にゴミを捨てていくのは、通りがかりの馬鹿者と決まっています。ひどい奴は、ボロ洗濯機を放棄田の谷津に捨てていく奴がいて、問題となっています。しっかりと谷津田が使われていた頃はこんなことはなかったのですが。
またこざ払いといって、道端の草を共同で刈る仕事は、いまでも生きています。年に2回ほど男衆で朝から集まってガーガーと草を刈ったり、ゴミをひろったりして村道を維持するのです。
_edited_4 母屋の意匠は出っ張らないように、屋根はいぶした銀灰色の瓦でふけってなものもあります。屋根の色までとやかくはいわれとうないわい、自己表現が命という人は、村内に住むには向かないでしょうね。
家並みの美しさは、ひとえに秩序美です。新興住宅地が見苦しいのは(失礼)、ある家はスペイン瓦であり、ある家は新和風、ある家はコロニアルときています。これで町並みが美しかったら奇跡です。
これらは、戦後の日本で統一された集落の「町並」という概念自体が消滅の危機に瀕しているからです。
ある意味、私たち日本人以上に保守的というか、伝統大好きの西欧人などは、町の中で家を新築したり、改築したする時は協議の対象となると聞いたことがあります。伝統的な家屋にするための補助金なども整備されているといいます。
フレンツェに住んだことのある塩野七生さんは、何をするにも市当局の許可、また許可。外観を変更するような修繕などはまずダメ。設備は旧式を通り越して、もはや江戸時代のレベル。暮らしていくにはめちゃくちゃに大変だったそうです。
そうでなければあのような美しい家並みは維持できなかったでしょう。
連合軍の残虐な大空襲にあったドレスデンは、文字通り跡形もない焼け野原となったそうです。ちなみにドレスデンは、なにひとつ軍事目標がない文化都市でした。一晩で非戦闘員十万人近くが殺されたそうです。
大戦が終わって、ドレスデンの生き残った市民は街の復興に取りかかりました。ここからがすごい。われらが日本人だと、勝手にやりましたものね。実際、無秩序な家並みや街路の多くは戦いに負けて、焼け野原の後に出現したものです。
_edited_5 ドレスデン市民がしたことは、残された旧市街の写真や図を頼りにして、徹底して元のドレスデンを再現してしまったことです。これは新しい都市をひとつ作るよりはるかに時間と手間、そして努力が必要でした。
しかし、自らの街をこよなく愛した市民はそれをやり切りました。ですから、今、私たちが旅して見ることが出来るドレスデンは、ほんの50年ほど前に再現されたものなのです。
そして、この新しきドレスデンを再現してみせた市民は、ただひとつだけ戦争の焼け跡を残しました。それが焼け落ちて廃墟と化した大聖堂です。今この地を訪れる旅人は、この大聖堂がいかに非道な歴史を刻んでいるのかに思いを馳せることでしょう。
話を戻します。
日本人は世界でも有数の古い文明を持つのに、伝統や古い風景を大事にしないとも評されています。すぐに家並みをグチャグチャにしてしまう悪癖はひどくなる一方です。かの京都ですら町屋が並ぶのはほんの一角、京都タワーなんてシュールで前衛的なものを駅前にぶっ建てて、景観を自分でぶち壊しています。
京都人の小話をひとつ。「京都人が大好きな風景は京都タワーから見た風景だ。なぜなら、京都タワーが見えないから」。ブ、ハハ!
伝統というと重く感じられます。しかしそれは、合理性に裏打ちされている知恵の集合体だとわかるでしょう。集合知と呼んでもいい。それは時間軸を通じて、手渡されてきたものです。
それの集大成が、私たちの目の前に拡がる風景です。それを守るためには約束事が必要ですし、「自由」は制限を受けるのです。
(続く)

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コメント

躍動感のある絵ですね。置き方もいい。カメラがいいんだろうか、腕もいいのだろうけど。うん、そう、この人の感性がここにあるんだと考える

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