生き、生かされること その4 公共事業としての田んぼ
公共事業というと、小泉改革で悪者にされてきたコンクリートの箱ものというイメージですが、今、私が言った「公共事業」とは、人々が長い時間をかけて作り出して維持してきたもののことを言います。
誰が言い出したのかは分かりませんが、皆で樹を植え、渇水や大水に備えてのため池という調整池を堀り、河川から小川を引き田に導き、里山を手入れして、うるしなどの広葉樹を植えて水をため込む仕組みを作り上げていった百年間、三代のスパンをかけた「公共事業」のことです。
そのもっとも良い例が田んぼでした。田んぼは日本列島のモンスーン気候の雨の多い気象条件と、山がちで急峻な地形をうまく利用して出来ています。山岳部で降った雨は一瞬にして山肌を駆け抜け、急流となって平野部へ向けて驀進します。
そして必ず途中で洪水を引き起こしました。この洪水を治めるために堤をつくるところまでは他の民族と一緒なのですが、そこからわが民族との発想の差が生れてきます。
そこで甲州の霞堤のように段階的に少しずつ洪水を逃がして、田んぼに導き入れる工夫をしました。これと同じような治水の例は全国に多くあります。
こうすることで山の森林の腐葉土をたっぷりともった洪水の水は、田んぼの沃土に変わっていったのです。ね、私が自慢することではないが、すごい知恵でしょう。単に水を物理的に防ぐだけでなく、次の農業生産の基礎に循環して結びつけていっているのです。
このような人間が作り出した新しい自然生態系を二次的自然と呼びます。というのは、田んぼは単に米を作る生産基盤あっただけでなく、様々な生きものの住む場所になっていったからです。
かつて洪水の氾濫原を生活の場としていたカエルやゲンゴロウなどの水生昆虫やトンボやクモ、そして水草などの多くの生きものが、ゾロゾロとこの田んぼに住みつくようになってきたたのです。
もっとも生物相が豊かな地形は、水と乾いた土が入り組み、更に森や小川などに接している場所です。ここはそれらの異なった地形を行き来する多くの生きものが生きています。本州,、四国、九州に生きるカエル14種のカエルのうち、6種類までもが、この水田に住んでいます。また世界的に見ても、最も生物種多様性に飛んだ土地が、この水田とその周辺なのです。
日本は古来、秋津州豊葦原瑞穂(あきつしまとよあしはらみずほ)の地と呼ばれてきました。秋津は古語でとんぼ、豊葦は葦の豊かな湿原、瑞穂はお米のことです。これらが豊穣の土地、それが日本です。
これらは偶然にあったのではなく、営々と先人たちの腰が曲がるような、爪に泥が抜けないような、なめされた革のようになった顔を持つ、日本農民が作り上げた風景なのです。
グローバリズムは、米を単なる商品のひとつとしてしか扱いません。カリフォルニアで飛行機で種まきをし、農薬を散布し、巨大なコンバインで収穫する米と、このような日本の水土から生れた米を、単に高い安いという価格の尺度ひとつで計ろうとします。
それがいかに狭隘で、狭い視野なのかおわかりいただけましたでしょうか。米は単に米という商品ではないし、水田は単にその生産基盤だけではないのです。
グローバリズムは貧しい思想です。仮にその勝者となった国や個人がいたとしても、それが人の豊かさや国の豊かさといえるのでしょうか。
(続く)
■写真 昨日から隣町の鉾田祭を掲載しています。今年は大雨でたたられて気の毒でした。余情半様、過分なお褒め照れます。実は、このアップした画像は、ブログの1枚の容量が1MGしか入らないので、大きくトリミングせざるを得ませんでした。ほんとうはもっとずっと大きい絵なんですよ(涙)。
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市場における自由競争を進めるグローバリズムというのは、弱肉強食の自然界の掟を正しいものとする、強者の論理です。つまり、産業革命以降、世界を支配する力を持った先進国が発展途上国を更に収奪しようとするものです。地球温暖化を炭酸ガスのせいにして、排出権取引を作り出したのも、同じ目的を持っています。技術的に進歩したものを持っている西欧が、開発途上国から金を巻き上げる手段です。気象学者は温暖化さえ称えていれば、研究費が貰える。反対意見には一切金を出さないし、論文も掲載されない。これが、先進国のやり方です。日本の一部もその動きに賛同して炭酸ガスの削減目標を高く設定しようとしています。科学的真実とはかけ離れた、経済的利益の追求のみが正義とされています。いい米を作ることは大事なことであり、それを正しく評価できるようにすることが、地球で人類が長く生きられる道だと思います。強欲な連中を支配する側においておいてはいけないのだ。なんか腹が立ってきた。いけない、いけない。
微風
投稿: 葦原微風 | 2009年9月15日 (火) 18時52分