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2009年10月

兼業農家が固定化されたわけ

_edited 八目山人様、コメントありがとうございます。仰せのとおりDDTは殺虫剤です。訂正いたします。

神門善久「日本の食と農」を読む様、トラックバックありがとうございます。神門善久教授のこの本はかなり精読しました。一時影響を受けたほどです。山下一仁氏や浅川芳裕氏もそうですが、非常によく農業を知り、分析していると教えられる反面、そうとうな違和感があります。

さて、私は25年前に農家になりたくて都会から来たわけですから、兼業に対して理解が及ばないことが多々があります。私にとって農業とは、文字通り一から土地を買い、家を建て、トリ小屋を作り、農業機械を一つ一つ買い揃えて、畑や田んぼを野原から作ることだったわけです。
自慢話ではなく、それしか知らないのですから仕方がない。農薬や化学肥料も使ったことがないから、使い方もよく知らない。ですから、自分は非常に偏頗な農家であると思っています。

それに対して先祖代々の大きな家を持ち、広い整備された畑や田んぼ、ありとあらゆる農業機械がズラリとあり、後継者ともなろうものなら親から新車とバカでかいトラクターすら買って貰える(←う~ん、だんだんひがみっぽくなってきたぞ)境遇で、農業が出来ないと言うのは、この口か、この口か、どの口が「百姓できねぇだと、くぬくぬ、このこの」とつい思ってしまいます。

しかし、現に今の村ではそうなのです。グラフがありますので見てみましょう。

_edited_3 先進国で農家戸数が減少する傾向にあることはどの国も一緒です。喜ばしいことではありませんがそれ自体は致し方のないことなのかもしれません。

しかし日本の場合の農家の減少パターンは世界の中で異質中の異質です。1960年代と比べて農業就業人口が4分の1になったのはわかりますね。1196万人から、252万人へ、各種の就業人口の中で、農業の占める割合はわずか4%弱です。

ここまでは悔しいがとりあえずいいとしましょう。問題はその先です。農家戸数は同じく606万戸から、285万戸と約半分にしかなっていません。となると、なんと2006年には、農家戸数が農業就業人口を上回るという椿事が発生してしまいました。

え、農家戸数だろう、問題ないじゃんって。すまんこって、農業統計では「農家戸数」とは農業を専業とする農業者がいない、兼業農家戸数を指すのです。ええい、ややっこしい表現するんじゃなんいよ、まったく!実はかく言う私も初めはなんのこっちゃと思いましたもん。

このグラフで分かることは、今や週末や田植え、稲刈りの時のみ農業をするパートタイム農家、つまり兼業農家(農業所得より他の収入が多い第2種兼業農家)のことですので、パートが本職を上回ってしまったという、なんとも奇妙な農業世界がわが国の農業です。

_edited_2 同時に農地もガンガン減少の一途にあります。61年に609万ヘクタールあった農地が、今や463万ヘクタールにまでなっています。当然GDPに占める農業生産の割合も60年代から半世紀でたった1%にまでなってしまいました。これ以上減ると、コンマいくつになってしまいます。嗚呼。

この兼業が異常に増えて、専業を追い抜き、農業全体が衰退していくという構図は、実はわが国独特のものです。他の先進国、たとえば私が敬愛する痛快暴れん坊ジョゼ・ボゼの祖国フランスと比較してみるとわかります。

同じように60年代から農家数は減少する傾向がありながらも、農業生産は伸びています。とうぜんのことですが、パートタイム農家などというグレーゾーンの存在は極小です。足腰がしっかりとした根性のあるジョゼ・ボゼのような農家が育ったのです。これをして「フランス農業栄光の半世紀」と言うそうです。「日本農業衰退の半世紀」とはえらい違いです。やれやれ。

しかし、普通に考えるとフランスのほうが常識的なのです。もっとも機械化の進んだ稲作においては、手植えがなくなり、機械植え一本となりました。手植えしているのは貧乏な私たちくらいなものです。今時泣きながらクワで耕しているのは入植時の私たち夫婦くらいなもんです。
肥料は重い堆肥や厩肥(家畜糞尿)から、金肥、つまり化学肥料に変わりました。今時堆肥をやっているのは貧窮問答歌の私たちくらいです(←ああ、しつこい)。

というわけで、単位面積あたりの労働は大幅に軽減されたはずで、通常の国ではより大きな面積を耕作管理していくことになっていきます。

_edited_3 実際、私たちですらもそうで、入植当時は耕作面積わずか30アールだっものが、いまはいちおう2ヘクタールに増大してきています。まぁ、草ボーボーの中に作物が見え隠れするというていたらくですが(汗)。私たちのようなグータラはさておき、そのような合理化・機械化は農地の拡大、経営体質の強化にと日本はつながりませんでした

なぜなら、1970年から始まる減反政策は、減反をベタ均一に集落に割り当てるということをしたからです。ですから皆、チョビッとずつ田んぼを減らしてしまったわけです。
デコ山さんはどこそこの谷津田の奥の方、ボコ山さんは水はけの悪くてこまっていた田んぼという具合に捨てていったのです。それでなくても村の中でアッチコッチととっ散らかっている農家の田んぼに、一律減反を強制すればそのようになります。

信じがたい愚策です。このような集落割り当て一律減反政策の結果、農地の集積はまったく進まず、あちらこちら虫食いのような耕作放棄地が生じたのです。いまでこそ、農水省は耕作放棄地の激増に青くなっていますが、その原因を作ったのは他ならぬ彼らです。

_edited_4 さて、農水省の中に脈々としてある二派、小農(小規模農家)堅持派と、日本農業の強化を目指す「集中と選択」派の確執がこの減反政策の背後に存在しています。

小農派はベタ一律減反をすることで、痛みを分かち合う方針を考えたのだと思います。村と字(あざ)の共同体でそれを背負って、皆んながんばって米価を維持しようや、ってところでしょうか。

一方、「集中と選択」派は、この減反のプロセスをやる中で、必ずふるいにかけられるようにしてダメ農家は田を手放して、それがやる気のある農家が借り受け、時間をかけて口集約されると考えたのだと思います。

そして、悲喜劇なことには両派ともその目論見は破れました。なぜなら農家は田を手放さないで兼業にドーっと走り去っていってしまったからです。小農は食えないので小農のまままっ先に兼業、あるいは離農に走り、一方やる気のある農家は営農意欲を削がれて、これもまた農業から去っていきました

本来なら、この田んぼのこの部分を1ヘクタール、ここを1ヘクタールと計画的に整理し、それをやる気のある農業者に一括して貸し出すような農政であれば、70年代の終盤には農家体質はそうとうに強化されていたはずです

_edited1 しかしそうはならず、一律減反をし、しかも減反の痛み止めとして減反奨励金という飴までつけて!

農家は揃って体質強化には向かわず、減反奨励金の飴を頰張りながら町に働きに出てしまって兼業化してしまいました
こんなことをやっていて、しかもクルクルと3年ごとに思いつきのように変化する猫の目農政を半世紀やってしまえば、まぁ日本農業はおかしくなって当然すぎるほど当然でしょう。


水省は日本で最低レベルの脳死官庁です。こんなバカ官庁に1万3千人もいるのですから、民主党さん
ぜひこの大いなる無駄を削減ください。お願いします。あ、農水省の官公労組織率が97%では、連合が支持基盤のみなさんには無理か。

現在、元気な稲作農家は、農水省の政策とはまったく関係がないたとえば、アイガモ農法などの独自な努力を重ねてきた農家の人たちです。彼らはビタ一文補助金をもらわず、いやそもそも農水省から相手にもされずに地道な試行錯誤をしてきました。そして花開きました。いったい、農水省という官庁はなんのためにあるのでしょうか?

かくして、今でもまったく状況には変化ないどころか悪化の一途を辿り、とうとう票ほしさに農家の所得補償までしてくれるという民主党の政策まで登場する始末です。
今までの自民党農政は、とりあえず生産にかかるコストを助成したものでしたが、民主党は農家の財布にお金を直接入れてくれるのだそうです。ありがたくて涙が出そうです。

このような兼業農家にとって米作こそが農業とをつなぐ最後の絆であることはまちがいありません。本来、減反政策が終了すると同時に、日本の兼業農家は一挙に消滅していくことになるはずでした。しかし民主党の農家戸別所得保障政策は、これを救済し、兼業農家を永久化・固定化してしまうことになるでしょう

*本記事は09年5月14日記事を加筆修正しましたことをお断りします。

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農民は国家が勝手に動かせる将棋の駒ではない

_edited 百姓の子様、柳沢様ありがとうございます。

百姓の子様がおっしゃる兼業農家ができた理由というのは、胸に重く残ります。
高度成長期の都市へ金の卵ともてはやされて、両親に別れを告げて次男、三男、娘は村の峠を超えて行ったわけです。

また少なくなった労働力を補完するように農業の機械化が進みました。クワ一本と労働馬の作業から、耕運機の登場。このあたりは私と同年代の50代後半の農家が皆、酒を飲むと盛り上がるネタです。もう私のようなにわか百姓の出番はない。

私自身も沖縄の百勝修行では丸々一年スコップとマンノウの手起こしという時代錯誤な体験をしていますから、多少の経験を言うと、仲間からそろって、「ハマちゃんのはただの趣味。俺らのは親父に命じられてイヤイヤ泣きながらだから、ゼンゼン違う」などと馬鹿にされてしまいます。

ガキの頃から、学校から帰ると遊びに行きたいのに親父に首根っこを掴まれて田んぼに投げ込まれて草抜きをさせられたそうです。当然、土日は、当時土曜は「半ドン」などというもので、午後だけ休みだったわけですが、帰るとイヤもウーもスーもない。
イヤだから学校帰りにガキ仲間と山で遊んで夕方に帰ると、とっぷりと暮れてから泥だらけで帰った親父に黙ってかなり痛いゴツンをされ、おっかぁは怒って口をきいてくれないんだそうです。これは効いたなって。

Img_0011 「俺、ほんとうに田んぼ嫌いだったなぁ。足は鉄ゲタでも履いているみたいに抜けねぇし。俺、中学の柔道部で県大会まで出られたのは、この田んぼのおかげだと思ってる」
「そうそうあの泥さ相手は相撲みたいなもんだっぺよ」

「はじめは胸だけだった泥が、やがて全身に飛び散るし。あの、泥の匂いが体中に染みついて、風呂入っても爪の間の泥もぬけねぇべぇ。高校で隣町にさ行った時、爪の泥さ隠したもんな」
「シャツさ泥で染まって、シャレた茶渋色になったぺな」
「泥さ、いくら洗ってもぬけねぇんだよな。第一俺らガキの頃、洗濯機なかったもんな。おっかぁ洗濯、苦労したっぺな。今の嫁は楽だべぇ」

腰が曲がるほど、鼻が泥につくようにしてコナギや、ヒエを抜きます。田から上がると腰がまっすぐに伸びない、沖縄の言葉で「腰ゆっくい」という言葉があるのですか、これは田んぼの仕事がすべて終わった後の村の衆の宴です。


「腰ゆっくい」・・・曲がった腰をようやくゆっくり伸ばせるささやかな楽しみ、極楽。収穫をした後のとろけるような気持ち。
今日だけは飲みあかそう。踊りあかそう。

田んぼは農民にとって、最大の苦役であり、そして喜びだったはずです。

そして、あの除草剤の一番手であるDDTが登場したのです。
これは農家にとって「福音」でした。炎天下に゛背骨が曲がるような重労働からの解放に思えたからです。

_edited_2 そして耕運機、バインダー(稲の結束機)が農家に行き渡ります。これと歩調を揃えるようにして、今まで「金肥」といわれて使えなかった化学肥料や、化学農薬が、安価に農村に流入するようになります。

日本農業の機械化、化学農法化による合理化は、まさにこの米作りという日本農業の心臓部から始まりました。これは同時に機械化による負担増に耐えきれない農家の離農をも生みました。
農家の労働力や販売価格は、ギリギリであるのに、コストばかりかかってしまう。これで成り立つはずもない。高度成長期以前の農業が、家族労働を丸ごと投入してなんとかしのいできたのに、その家族労働力を都市に吸い取られて、あげく選ばされたのが「農業の近代化」という美名の元の機械化、農薬使いまくりの農業だったのです。

そして最後のとどめは、食糧管理法の改正ではなかったかと思います。今までかろうじて丸ごと国家の買い上げという、ぬるま湯的な条件が変化しました。国が財政的に耐えられなかったからです。

このような時代の流れに翻弄されるようにして、農家は兼業化の道を「選ばされた」のです。選んだのではなく、選ばされたというのが農家の本音です。

戦争には兵隊をもっとも出し、遺族を作ったのは農民でした。農家の三軒に一軒は遺族です。
そして戦中戦後、国から米をたくさん作れと命じられれば懸命に増産し、国が復興した高度成長期には、労働力が足りないからと、伜や娘を出せといわれれば出した。あげくおかぁとふたりで頑張って、高い機械も買った。赤字になっていっそう苦しくなり、兼業になるものも増えた。
そして米が余るから今度は減反だ。田んぼの4割をやめろ。代わりに麦や大豆を植えろ。

そして、今やお前らは国際競争力がないときた。国のお荷物だと言われて、企業が農民に替わって農業をやってやるといって、ドカドカ農村に入ってくる時代になる。

このような歴史を共有しているわけでもないにわか百姓の私からもひとこと言いましょう。
冗談ではない。百姓を馬鹿にするのもいいかげんにしろ!農民は国家が勝手に動かせる将棋の駒ではないのだ!

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農家の経営赤字を尺度にする民主党農家戸別所得保障政策の怪

017__edited1 うちのカミさんはバラが好きです。先だっての自分の誕生日には、一万本のバラは無理でしたが、30本のバラをご自身に贈呈しておりました。

たはぁ、私、カミさんの誕生日わすれてた!またしばらく頭が上がりませぬ。でも、自分でプレゼントできるんだから、よかったじゃん(ではないか)。

さて、柳生大佐様、コメントをありがとうございます。お詳しいですね。関心しました。

[引用開始]
フランスでは51%が農業所得でなければ補助金を出さない。
飛び飛びの畑を(委員会が)強制的に買い上げ集約・大規模化する。
・・・の施策を講じて日本の40倍の平均耕作地面積を実現しました。それで現在フランスは自給率が126%ぐらいです。
(米国は日本の100倍 豪は1000倍の平均耕作地面積)
[引用終了]

そのうちじっくりとやろうと思っていた直接支払いについてです。仰せのようにフランス、ドイツなどのEU諸国やアメリカにはすでに存在しています。
ま、アメリカはちょっとはずしましょう。あまりにも規模や、国情、歴史が違いすぎます。巨大サイズの人工的な植民国家は比較対象にはなりにくい。

ヨーロッパはその意味で、風土はそうとうに異なりますが、サイズは近いものがあります。といっても、もしわが国が西欧にあったら人口的にも経済的にも、巨大国家となってしまいますが(笑い)。少子化、少子化と言われ続けて、ついうっかり忘れるんですが、わが国は1億人クラブ世界10カ国に堂々ランクインしているんですよねぇ。

007 ま、それはともかく、柳生様のご指摘のようにフランスの補助金や直接払いはすっきりと面積に対して行われています。通常、常識的に考えればそうなります。
なぜでしょうか?それは万人が見ても「耕地面積」というのは動かしがたい農業経営の尺度だからです。

ところが、これが民主党の農家戸別所得補償制度の考えている経営コストの数字を尺度にするとそう簡単にはいきません
たとえば、そうですね、農家の税金申告ってどうやっているかご存じでしょうか?青色を税務署は勧めていますが、ほとんどの農家は「白」です。だって、簡単だもん。


税金を申告する日に、公民館などに行くとお役人が、こう聞くわけですな。
「え~、なん反歩水稲を作っていらっしゃいますかぁ?ほうほう、5反歩ですか、するとですなぁ」と言って早見表を取り出します。
そこには水稲1反歩あたりいくらいくらとかかる所得税が乗っているという便利さ。鶏なら1千羽あたりこれだけの税とはじめから見込みで決まっているのです。

所得税申告期に、泣きながら一家をあげて領収書を整理し、納税申告書を書いていらっしゃる商工業者の皆様、まことに申し訳ござらぬ。農家の税金申告なぞ、こんなにアバウトなもんなのです。
だから年中
行事のようにして、チクリで(←大体同業者の妬みです)挙げられて重加算税を食い、出荷組合ごと芋づる式にご用となることもあります。それが芋の出荷組合だったら出来すぎですが。

かくも農家のコストは藪の中なのです。有機JAS認証を私の組合でやった時には、それが大きな壁でした。有機JAS認証を取得するためには、出荷伝票はもちろんのこと、肥料などの資材の伝票まで細々と要求されます。
ところが多くの農家はそれを保管していなかったのだから、さぁ大変。最後はおっかぁの家計簿に貼りついているレシートで、認証官に「これを認めろ」と談判をする始末でした。

私は専業農家ですが、農家の経費なぞ誰が知っているのでしょう。当の農家すらはなはだ怪しいものなのに。
販売額自体がすこぶるファジー。農家の出荷はいまだ青果市場(いちば)の仲買との相対取引が多いですから、伝票なしの現金がポンポン行き来します。おっと、正確にはいちおう伝票はついているのですが、その伝票たるや、まるで符牒。名前の部分には屋号もどきの記号。だいたい出荷の箱数や束数は書いてあっても、かんじんな単価欄や合計が空白。
おいおい、こんなのを「伝票」っていうのか!

_edited 資材に至ってはこれも超ファジー。肥料やハウスパイプなどの資材は盆暮れ払いはあたりまえですし、出入りの業者とも相対の現金払いや、盆暮れに端数を切ってざっくりと払って、お互いにこにこ、さぁ一杯やっか。

ある意味、農村というのは、よくも悪しくも、この21世紀に至っても商品経済が貫徹していないのです。
基調はあくまでも「ひと対ひと」の社会ですから。
かつてサラリーマンから帰農したときにはたまげましたが、昨今はこんな資本システムが徹底しない社会もありかな、とおおらかな気持ちでつきあっています。

ですから、こんな実態を知っている私には、選挙前に(*実際は選挙前の07年11月に一回国会に一度提出し翌年否決されていますので2度目ですが)民主党が「生産費-販売価格」、いわゆるマイナス経費を補てんしてくれるという農家にとって夢のような制度をマニフェストでドドンっと出してきた時に、あ~これで農村票のゆくえは決まったな、と思ったものです。結果はご承知のとおりです。

民主党は、この曖昧模糊とした農家の経営コストの赤字に対して1兆4千億円という巨額な税金を注ぎ込もうとしている。 ひとりの農家としてはっきり申し上げますが、この民主党政権の農業政策は、正気の沙汰ではありません。農村の実態を知らない者が安易に考えたか、あるいは、農村の実態を知り抜いた者が農村票めあてと日米FTA締結のセーフティネットのために作ったような政策です。 それは今まで以上に、農民の国家への依存体質を強め、いっそう農業を衰弱させていくことになるでしょう。

■ 写真 バラは今ドライフラワーにしています。中央は朝焼け。今朝はすごい朝焼けでした。下は園芸種の花ですが、名前は知らないのです。しかし、美しいというより、ケバいですな。私は野草の花のほうが好きです。

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10年先まで続く国内自給率を地域に根付かせたい

Img_0004_edited1 ゆっきんママさんありかとうございます。ご忠告どおり、vista使いにくいですぅ。要するに、こりゃ、音楽や映像をダウンロードするためのOSなんですね。

私はネットから音楽をダウンロードするなんて考えてもいなかったもんな。
今やアルバムの曲のバラ売りまでやってんのね。私、骨の髄までゴリゴリのアナログ男ですので、それが技術的に可能かどうかという前に、まずイヤダが出てしまいます。

音楽アルバムは、当たりもハズレも含めて一個の作品群で、並べ替えること自体、かつてはなんて不届きなと、生活指導のジャージ教師みたいに思っていたくらいです。それをバラ売りなんて。、
かつて、45回転(←諸君、そたらもんがあったのだよ、はぁ)シングルカットのA面に出るか、B面に下がるかで、ジョンとポ゚ールが神経戦を演じたことなどアホくさ、ってことですもんね。

さて、ゴロリと話題は変わります。百姓の子様ありがとうございます。

自給率の件ですが、カロリーベース計算の妥当性を仰せです。
この間の私の記事を読まれればお分かりと思いますが、カロリー自給率は、現場の私たち農業者や消費者の実感と大きく乖離しています。この「実感との乖離」ということを私は重視します。
ですから、あの政府広報のCMでも、「さぁ、あなたもやってみよう」みたいなことを言っていますが、実際交換表片手にカロリー計算で自給率を出すことができる人などほとんどいないはずです。

ほとんどの消費者は買った価格で、自分の自給率を見るはずです。また私たち出荷サイドも、カロリー計算表や飼料自給率を乗じてなどというたわけたことをする者は、まず皆無のはずです。このような実感と乖離した数字とは一体なんなのでしょう?

日本の畜産がおっしゃるように外国穀物によっていることは周知のことです。私もかつてシリーズでこのことを取り上げました。このことを無視する気はいささかもありません。常に私の仕事の主調低音としてあります。いくたびもその飼料自給の試みにも挑戦しています。

ですからかえって、日本畜産における自給率は「人と建物だけ」という言葉には軽々にうなずくわけにはいきません。農業とはおおざっぱに土地、人、生産物の要素でできていると思います。

ならば、最後の生産物という一要素のみを抽出して、その他の要素を切り捨てるのかと私は思います。それは作る人、育てる人、管理する人、それが生きる風土を切り捨てることになりはしませんか?

私は、飼料だけがカロリー自給率の範疇外であるからといって、「あんたの養鶏業は自給率はたった5%にすぎぬ」という人と土の要素をなめきった農水官僚の言い分に同意できません。

そのようなことは霞が関の机上の空論であると思っています。なぜか?それは、「自給率」という概念そのものが、全く使えない概念だからです。それはカロリーベースであれ、販売ベースであれです。

これについては、後にしっかりと考えていくのでスケッチと思っていただきたいのですが、「国産自給率」という概念を押し立ててどのように日本農業を変えていきたいのでしょうか、そここそが問題です

国産自給率は、これを押し上げるためにはこれらの品目を作らねばなりません。つまり、麦、大豆、油糧作物である菜種などです。これらを作れば、一発で国内自給率は上がります

それを増産していこうというのが自民党野4品目横断政策です。同じく、これを作ったら農家に金を直接に出しますというのが民主党の農家戸別所得保障制度です。おかしなことに方向こそ違えまったく同根です。

さて問題はここからです。私たちの行方市で麦や菜種を作る意味です。生産者としての作る意欲です。
仮に、私が菜種を作るのなら、(実際作りましたが)作った後の製品のありよう、売り先、その商品コンセプトまで考えて、各方面とコラボするでしょう。
それは農産品を単なる素材出荷だけにとどめず、そこからつながるマーチャンダイジング(商品化)までをも農家のものにしたいと思うからです

麦にしてもそうです。私たち茨城南部の風土にあう麦はなにか、何に適した麦なのか、その麦を作ってどこに売るのか、何を作るのか。そのようなことは、大雑把な「国産自給率向上」などというパーチャルな概念ではなく、各地域、各村で真剣に考えるべきことです

さもないと作っても商品にならない。ですから、麦増産を唱える人の一部には、政府買い上げということを安易に唱えています。冗談ではない。こういう発想が農民を腐らせたのです。

今のような安易な国産自給率向上運動の先は見えています。しっかりと各地域で根付くことをせねばなりません。政党や官僚が自分の手柄にするそれではなく、10年先にも続く地域からの自給です。

その意味で、国産自給率をカロリーで取ろうと、販売額で取ろうと本質的な問題ではないと思っております。

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私は日本農業の同時翻訳者をしたい

Img_0001_edited1 とうとう有機農業界の大魔神こと、茨城大学中島紀一先生の授業でしゃべるまで、1週間を切りました。
いやー正直、先生の前はつらい。ほんとうにデキンボーの学生に戻ったような気分です。

今までご縁があって、いくつかの大学でお話させていただきました。だいたい私のところに舞い込む講演依頼は起業関係が多かったのです。いちおういくつかの新しい農業ビジネス(てなもんか)みたいなことをしてきたので、それについての話をする中から、「農業ってこんな面白い世界なんだぜ!」みたいな話をしてきたわけです。

どういうわけか、私のホラ噺が受けて、一橋大とか立教、茨大などで学生諸君にあることないことをくっちゃべってきました。私、短時間なら、熱血先生できますから。

ところで、私は日本農業の同時翻訳者のようなことををしたいのです。
というのは、日本農業は自らを語る言葉が決してうまくありません。というか、度し難く下手だといっていいでしょう。もし私が日本農業という「商品を売る」ことを企画せよ、と命じられたのならば、商品はすばらしく発展性があって、キラキラとしているのに、どうしてこんな「売り方」しかできないのか、と悩むでしょう。

現在、日本農業は自分をこんなイメージで自己紹介しています。

・・・私は歳をとり、先行きがない。いくら出荷しても儲からない、だから継いでくれると思っていた子供も去り、老いた妻と二人で田畑を耕している始末です。体も動かないので、トラクターやコンバインもつらいです。
その機械もよく故障して、その修理代も馬鹿にはできません。このように私の村も荒れて、耕作放棄地がそこかしこで増えています。昔は日本国民を食べさせているのは私たち農民だという誇りもありましたが、政府が自給率40%を切ったと宣伝しています。
もう私の人生とともに、日本農業も終わりなのかもしれません(深いため息で終わる)・・・

日本農業という美しい人がこのようにいうのです。

こんな自己紹介では若者は農業の世界に来ない!来るはずがない、来たら奇跡です。
しかしわが方の農業世界から流す情報ときたら、こんなことばかり。つらい、哀しい、潰れる・・・。全部ネガティブ。たまさか楽しい情報があったとて、
消費者との田植え、稲刈り、餅つき、果てはノギャル。主語はあくまで斜陽農業に来てもらえる都会の人との話だけ。

農水省は毎日、茶の間に「日本の食料自給率41%」というバイアスのかかった情報を流し続けて、それを聞くのが、消費者だけでなく農民もいるのだと気がつかないのでしょうか。農水省が日々、農民のモチベーションを落としてどうするのだ!

これが政府や、JAの広報です。私はこんな自己卑下した農業観をいいかげんにやめたいのです。他者に哀れみを乞うようなことばかり言ってなんになるのですか。

私は日本農業の同時翻訳者として、こう明るく言い放ちたいのです。
自信を持て!うつむくな!俺ら、けっこう、そう自分が思っているよりずっとイケているぜ!
儲かるって!ひとりひとりが、頭をひねって個性的なものを作っていれば大丈夫だ。大規模だけが能じゃない。そしてこの21世紀こそ、都会の人間が俺らの農村にやって来て、百姓をやりたいって言いだす時代なんだ、って!


すばらしい中身を、哀れみを乞うような情けないパッケージで包むなんて、そのようなことはありでしょうか?すばらしいものを、すばらしく表現したい、美しいものを、美しく遇したい。


そんなシンプルなことを、農学部の若者に伝えられればと思うのです。

■写真 うちに来た小犬。性別不明。まだ名なし。

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復旧しましたぁ!

_edited_2 皆様、どうにか復旧しつつあります。ゆっきんママさんありがとうねぇ、うるうる。
余情半さん、おっしゃるようにパソコン休日もいいんですが、強制終了はたまりません。


前からシステムが安定せずにいたのですが、とうとうプッツンされてしまいまして、この悪戦苦闘で十数時間。しゃぁない、この際古いヤツなんで故障を直すよりというわけで、新型パソコンを買い込んだのが、運のつき。

で、私、ころりと忘れておったわけですよ。PC買い換えると初期化されるつうことを。かてて加えて私のキーボードは、たぶんほとんどの日本国民が知らない「親指キーボードシフト」というとてつもないおかしなもんなんですな、これが。

これが新しいPCのvistaのOAに適応しなかったのです。つまり、要するに、いわゆるひとつのゼンゼン「動かない」というやつですね(号泣)。「あ」のキイを押すと「3」と出やがる。バ、バカヤロー、お前なんか親でも子でもない勘当だ!

思いおこせば、ワープロ専用機(←そんなものがあったんだよねぇ)の頃にOASYSという富士通の製品を買っちまったのが、私のパソコンの運命を決してしまったんですなぁ(遠いところを見る目)。

まぁコイツを見たことのない人に説明するのはメンドーですが、確かにひらがな入力に関しては世界最速。「だ」みたいな濁点ですら、この親指シフトを使って一発変換というすごさ。一発ですぜ。
ただし、クセがおおありのこんこんちきで、普通のJISキーボードに慣れ親しんだ人にはいじることすら無理。逆に言やあ、私は普通のキーボードを使えない。言ってみれば、キーボード界のソニーのベーター、ギーボード難民みたいなもの。

富士通がかつてのソニーのように「悪りぃ、もうこんな失敗作、もうつくりませんから」と言われたら最後、私などもうキーボードが打てないことになります。私も心配で、予備のキーボードを買ってしまったくらい。哀しい。
こんな可哀相な人は全国にかなり棲息しているようで、誠実にも富士通様は細々と作っておられます。おまけにちゃんと専用サポートまでおられます。今回、お世話になりました。ありがたや。日本企業の鑑。

というわけで、どうにか先程復旧の8合目になりました。まだ、デジカメを入力できないとか、ファイルが開けないとか、大体vistaって終了ボタンをなんで、こんな場所に隠していやがるんだァ!とか・・・とうぶん悪戦苦闘です。

そして私がこのvistaになれた頃にセブンに切り替わりがるのでした。この俺様キャラのMicrosoft帝国のやろうめ。
こうして私の反グローバリズムの信念はいっそう堅くなるのでありす。明日あたりからまともな記事が書ければいいなと思っています。

蛇足。わが最愛の鹿島アントラーズはようやく5連敗から抜け出しました。大分と千葉は可哀相です。それにしても川崎なんで7点もとるんだ。野村さんの両チーム胴上げの美談の後ろでしみじみと進む、Jリーグをお忘れなく。

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パソコンの故障です(泣く)

パソコンの故障のために火曜日まで更新ができなくなりました(泣く)

11月2日に中島紀一先生の教室でしゃべらねばなりません。「地域農業」についてとの仰せです。そこまでパソコンが直らなかったら、レジュメが書けない。どうしよう、嗚呼、困った。

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日本農業が難しいわけ・兼業農家問題

_edited_edited_4 前回の記事の資料として、民主党の現農水副大臣の山田正彦氏の文書を最下段にアップいたします。


民主党の農業政策は箇条書きのようなものはあるのですが、まとまったものは非常に少なく、2006年5月に提出された「農林漁業再生法案」に付帯した談話がコンパクトでいいかと思われます。

これは亡くなられた中川昭一氏が農水大臣だった当時の担い手資金法案に対しての反対のための文書ですが、この短文の中には、日米FTA政策を除いて、現在の民主党政権の考え方の基本が述べられています。

今や、中川昭一氏が惜しくも若くして亡くなられ(合掌)、代わって山田氏が農業権力の座についているのは、なんとも時代の流れを感じます。 

さて、今日の本題です。この山田談話中で民主党は「耕地面積の5割、販売農家の7割を切り捨てるのか」と叫んでいますが、なるほどであるな、民主党は弱者の味方だな、と思われた方も多いかと思います。

だいたい農業外の人はそう思われるようです。特にリベラルな方は、貧農vs富農、あるいは一生懸命に畑にしがみつく老人の零細農家vsブイブイ言っている大規模農家という図式で捉えておられるようです。
そこで今回はこの農業における「規模」についてお話したいと思います。

いきなり余談から始まるようですが、まだ私が就農して間もない頃。関東でも平飼養鶏の連絡会を作ろうという機運があって、私もその会合に顔を出したことがありました。

酒を酌み交わしつつ私からすれば、酔ったはずみに肩のひとつも組んで「村中でバカにされているオレたちだが、頑張ろうなぁ!」みたいな気分だったのですが、なにやら雰囲気が違うのです。おいそこ、ゴルフのハンディの話、すんじゃねぇ!ボーナスが出ただと?

「何羽飼ってるんです?」、「はい、20羽ばかり」、「では失礼ですが、食えんでしょう」、「いや、食い切れずに近所に配ってますよ、カハハ」、「へ?どこか出荷は?」、「ああ、道の駅に週に10パックくらいですかねぇ」、「は?いつもは何をご職業に?」、「はい私、公務員ですから」・・・チャチャチャララ~♪(白子海苔の昔のCMの節で)

なんのことはないそこに来た人で、農業でメシを食っているのは私一人!あとは学校の教師やら公務員、JAの職員。おいおいカンベンしてよ。ここは農業を語る場ではなかったんかぁぁぁ。はい、ではないのですね。

その人たちはといえば皆、20羽といえどニワトリを飼う面積が庭にあるくらいですから、農村で、代々の立派な伝統的な農家家屋に住み、お国言葉はペラペラ(あたりまえか)、見た目や、たぶんDNAは私などのようなにわか百姓よりよほど農民農民していらっしゃいます。

思えば、これが私の「兼業農家」という未知との遭遇の始まりでした。いえね、私は農家といえば、皆農家、それで飯を食っているプロと勝手に思っていたのです。確かに「ケンギョーノウカ」という言葉くらいは知っていましたが、村の中に腰を落ち着けて見渡すと、笑えるほど多いんですな、これが。

よく都会の経済評論家が、「農家は車を3台も持っている金持ちだ」だの、「大きな銭湯のような家に住んでいる」などと言いますが、まぁ当たっているような力いっぱいハズしているような話ですね。

のような言い方をすれば、私のような零細農家ですら2台もクルマ持ってます。ただし、一台は軽トラで、フツーこれは農業機械の範疇だぞ。家もデカイが、たった600万円で自分で作ったんだぞ、とかこちら農村側にも言い分はあります。ただし私のようなケースはレアなのです。瘦せても枯れても、私は「専業農家」ですから。

典型的な朝の「農家」の風景をみてみましょう。まず娘が町の店に出勤、息子がJAに出勤、別な息子が製鉄会社の下請けに出勤、嫁さんも事務の仕事に、おっかあも町のスーパーのレジ打ちのパートで出勤、そして親父自身も土木屋にご出勤。

おっとと、誰が畑や田んぼに行くんでしょう?
いないんですな、これが、わ、はは。笑ってる場合か、でもそうなんだから仕方がない。私の村などは専業農家といって、それでしっかりメシを食っている農家数が多いという奇特な村として有名なほどです(ホント)。
しかし多くの農村部は、特に米作地帯では圧倒的に兼業が多いのが実情です。

コメを作っている農家は140万戸ほどあるといわれています。私の実感的な試算では、1反歩(10アール・300坪)で、実質の現金収入は1万円ていどにすぎません。
となると先日発表された貧困率でみるとどうなのでしょう。貧困率(相対的貧困率)とは、国民の一人一人の可処分所得の中央値以下の層だそうで、228万円以下だそうです。


げ、私たち農民が田んぼだけでその貧困率ギリギリに達するためは実に22ヘクタールが必要なわけです。今、つい実にと言ってしまったのは、22ヘクタールとは馬鹿げて広い。私の村でそんな稲作面積を持っている農家はありません。県内でも50ヘクタールが最高のはずです。

ところが稲作農家の140万戸のうち1ヘクタール未満が7割ときています。これでは、ぜぇ~たいに食えません。食えなければ、兼業になるのは当然です。

となると、日本でコメだけで食べている農家はいくつあると思いますか。140万戸の農家のうちわずか3万戸です。しかも貧困率とやらギリギリの年収300万円以上をとった数字でもです。
さらにこの3万戸の農家のうち、コメの生産販売が8割の農家の数はもはや絶句する数字です。・・・2千戸。

かつて農民はコメを作ることで生きてきました。しかし、今のご時世はそれを許さない。しかし、村から出ていけない。家もあって墓もある。田んぼもある。それの面倒も見ねばならない。子供はとうぜん継がない。


日本の農業問題を複雑にさせている最大の原因は、この兼業農家にあります。

2006/05/18
「担い手経営安定対策法案」(政府案)衆議院可決および「農林漁業再生基本法案」(民主党案)否決に関して(談話)

 

民主党『次の内閣』ネクスト農林水産大臣
山田 正彦

一、 本日、政府が提出した「農業の担い手に対する経営安定のための交付金に関する法律案」が衆議院本会議で可決され、また民主党の農林漁業再生プランを法案化した「農林漁業再生基本法案」(食料の国内生産及び安全性確保のための農政等の改革に関する基本法案)が否決された。

二、 政府案は、直接支払いの対象である担い手を、都府県4ヘクタール、北海道10ヘクタールと農地面積で限定し、加えて20ヘクタール以上の一定の要件を満たす集落営農としている。審議のなかで政府は、品目横断的直接支払いは、スタート時に販売農家の3割、農地面積の5割が対象となることを明らかにした。そうであれば販売農家の7割、農地面積の5割は対象から外れることになる。対象外の農家は、これまでの麦を耕作しても10アールあたり4万円の麦作経営安定資金、10アールあたり2万7000円の大豆交付金が支給されなくなり、当然のことながら小麦、大豆の耕作を放棄することになる。そうなればさらに自給率が下がることは明らかである。

た担い手として認定された農家、集落営農に参加することができた農家も、審議のなかで中川大臣が現行水準での支給であると答弁していることから、これまでの支給額と変わらないことになり、従来と比べて耕作者にとってメリットが全くない。このように本日可決した政府案は、さらに耕作放棄地を増大させ、食料自給率を下げるものである。これは農家のみならず国民の期待を大きく裏切るものであり、断じて認めることはできない。

三、 民主党案では、主要農産物を計画的に生産するすべての販売農家を対象に直接支払いを行うこととしている。また、予算規模1兆円を明示し、食料自給率を10年間で10%アップして50%にすることを約束している。具体的には、小麦は83万トンを400万トンへ、大豆は27万トンを52万トンへ、 菜種(油脂)は600トンを32万トンへと増収を図ることで、それぞれ8%、1%、1%の自給率向上を図るものである

四、 以上のように両案は基本的な農政に関する姿勢が異なり、民主党案こそが危機に瀕している日本の農業を救うことは明白である。今回の審議では否決されたが、今後もこの法案の主旨にのっとり、都市生活者には自給率上昇による食の安全確保を、農業者には欧米並みの直接支払いによる農業振興を訴えて、国民の期待に添えるよう全力を尽くす決意である。
以 上

(太字は引用者)

この山田談話を読むと、民主党政権の農業政策の基本が以下にあることがわかると思います。
■ 1)自民党の大規模農家、法人を作るための品目横断政策を小規模農家切り捨てとして批判。

■ 2)自給率を10年間(2006年当時)で10%アップさせることを目標とする。そのために大豆、小麦、菜種を増収する。

■ 3)規模にかかわらずすべての農家に対して直接支払いをする。

 

 

 

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民主党政権のトンチンカンな農業政策の根っこには 自給率40%信仰がある

_edited 前々回、資料を使わせていただいた『農業経営者』副編集長・浅川芳弘氏がこんな話を紹介しています。彼は政治家と会うチャンスがあれば、ひとつの質問をしているそうです。
「日本の農業生産額は世界で第何位だと思われますか?」

前々回を読まれた方は、あっと驚く答えをご承知ですよね。
先進国5カ国中、実に第2位、世界ランク第5位です!農業大国と言われているオーストラリアやロシアの3倍を農業生産しているのが、わが国です。

もしこれがクイズ番組ならば罰ゲームクラスにハズしたのが、民主党政権の中枢(←たぶん、だよなきっと、最近顔見ないな)の国家戦略局(室)のイラカンこと菅直人副総理です。
菅氏の答えは「40位くらいだろう」。おいおい、いくらなんでも10倍ハズすなよ(爆笑)。ここまで見事にハズすなんて、きっといい人なんだろうな、そして家に帰るとまた奥さんに脇が甘いと怒られるんだろうな、と共感に似た感情すら起きてきます。

彼は選挙前に日米FTAで記者団に突っ込まれると簡単にブチ切れて、「自給率を40%に落としたのは自民党だろうがぁ!」と筋違いのことを言っていましたが、やはり「自給率40%」という強烈な刷り込みが、大前提にあるというのが分かります。
ですから、「自給率40%」の国が、まさか先進5カ国の第2位の農業生産高をもっているとは、夢々考えなかったのでしょう。無理はありません。菅氏は日本の常識を言ったに過ぎず、そのような世論誘導を省益がらみでしてきた農水省のミスリードです。

Img_0017さて、私がここで問題としたいのは、民主党政権の農業政策が、しっかりと「自給率40%」=「国内農業が死滅しつつある国」という認識を前提に組み立てられていることです。

民主党政権の農業政策は未だグチャグチャとしていて、たぶん民主党自身が自分で何を言っているのかよくわかっていず、ただ一枚看板の「農家所得補償制度」を念仏のように言っているだけのような気がしますが、注意深くみれば、いくつかの柱があることが分かります。

この農家個別所得補償制度が一丁目一番地とするならば、2番地になるのが自民党の4品目横断政策(*農地や営農者を集積して力を蓄える農業主体を作り出すために、4ヘクタール以上の営農主体に対して補助金を与えていく制度)を全否定する政策です。
民主党は、この農地や営農者の集積化を「大規模農家ばかりを偏重していて、小規模農家切り捨てている」と批判しました。そして、自民党農政のアンチで出てくるのが、順番が逆になりましたが、1番地のすべての「農家」に定額給付金もどきの金を出そうという農家戸別所得補償政策です。

ところが、この農家版定額給付金を出すのは、実はすべての農業分野ではなく、国が指定する分野だけだとわかってきたんですね。
これが3番地に当たる農業予算をどの分野に投入するのかという方針なのですが、民主党が直接支払いで金を出すと言っているのは、実は大きくコメ、小麦、大豆の3種の穀物にすぎません

Img_0010 野菜、花、畜産、果樹類は対象となっていないのです。これについては、農家側も善意の誤解(←欲かいてともいう)があるようで、ダウンロードしてじっくりと読めば細かい字で書いてあるのですが、「農家なら赤字こいたら、金が出るんだべぇ」とベリーシンプルに解釈しているフシもあって、村の衆、後から知ってイカルべさ。

ま、それはともかく、コメ、麦、大豆の3種・・・なにか思い当たりませんか?
そうなんです、あのカロリー自給率の中にあった、日本の自給率を大きく押し下げている穀類です。この穀類を国が農家に直接支払いまでして、「国家戦略として自給率を5年後に50%、20年後に80%とする」政策の基軸に据えしまったというわけです。

では、これら3種の穀類はどのていど日本の農業生産高の中にシェアを占めるのでしょうか。日本の農業総生産高は約8兆円です。
このうち日本農業の大黒柱のコメはさすが大きく1兆8千億円ありますが、後はシミジミとしたもの、小麦290億円、大豆280億円で、この3種類の穀類を全部足しても、2兆円に満たないのです。おおよそ20%といったところです。

その反面、野菜、花、果樹の生産高は、野菜だけで2兆300億円もあります。そし果樹も7500億円、花ですら4000億円と小麦、大豆とはケタからして違います。
これらだけで4兆円市場を形成しています。つまり、日本農業のメーンストリーム、主力軍団は、コメなどの穀類ではなく、明らかに後者の野菜・果樹類なのです

よく民主党の政策全般に対して「成長戦略がない」と評されています。わが農業分野においても、残念ながらというか、ご愁傷様にというか、同じことが言えます。

地域農業の中で何を育てていくのかという視点が、民主党の農政には完全にスポンっと落ちています。「地域農業の活性化」のような一般論は言いますが、では実際に各地の農業で、今なにが足りないのか、今なにに力を注いだらいいのか、誰を育てていくのか、どの分野に力を入れるのかという政策的な眼がないのです。

学校の耐震化予算や、小児医療の集中治療室予算、緊急人材育成・就職支援基金(「反貧困」の湯浅さん、ほんとうにいいんですか・・?)などという今切実に必要な予算をバサバサ切ってまでかき集めた財源です。
願わくば、これを無意味な農業の穀類増産・カロリー自給率向上政策などに使わないでいただきたいものです。

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自給率向上、減反、飼料米、一粒で3度美味しい妙案とは

_edited 国内食料自給率というわかったようなわからない数字は、だれが「発明」したのかわかりませんが、たぶん初めはこんなかんじでできたんでしょう。

ところは、霞が関一丁目一番地にそびえ立つ古色蒼然たる巨大官庁の森閑とした奥まった一室。別名「大ダヌキ様の間」
今日も歳ふりた大ダヌキが、子ダヌキを呼び寄せてなにやら密談の様子。昼なお暗い部屋で、扇子をパタパタいわせながら。


古ダヌキ「またWTOがまわって来るが、なんかパンチのあるコメ守れキャンペーンが張れないか。MA米のクズ米を80万トンも輸入して、無駄な税金使ってることがバレて、消費者が騒ぐわ、農水族からどうにかしろと怒鳴られるわで、たまらん。食料安保とからめて、自給率低下キャンペーンが張れないだろうかねぇ」

子ダヌキ「しかし局長、国内自給率は60%台を確保しています。自給率の数字はちょっと使えないんじゃないでしょうか」

古「「このクソたわけ!その60%っていうのは販売ベースだがや(←興奮すると名古弁が出る)。カロリーベースを使かわんぎゃ。そうすれば、一気に半分以下だぎゃ。4割を切ったと聞けば、国民もビビりまくるぎゃ」

子「そたらこと言っても、カロリーさ低い野菜なんかはいくら作っても自給率向上につながらぺよ(←どうやら茨城出身らしい)。したら、野菜農家が怒るでしょうよ。カボチャやイモ農家はいいかもしれないけんど。あ、うちの実家も街道の脇で作ってが。それと、畜産の扱いさどうしたらいっかっぺ」

古「バカ、お前の実家のことなんか聞いてないゾ。それにお国言葉を出すな(←自分が先に出したことを忘れているよう)日本農業の大黒柱のコメを守るために、野菜農家にはここで恥を忍んでもらおう。コメがあるからこそ、兼業農家が生き残れるんだ。兼業農家こそ票田。そのくらい知っとるだろ。
畜産はもともと農業のハンパ者だし、半分工業だから、主管を経産省に移してしまえばいい。あ、もちろんこれジョークよ、ジョーク。畜産の飼料はほとんど外国産だから、これでスパッと畜産の国内生産分を自給率からぶった切れる」

Img_0020 子「野菜と畜産、それと花なんかもスパッですか?ゼッタイJAが怒りますよ」

古「大丈夫!そここそチャンスなんだ、とJAには言ってやれ。国内自給率向上のニシキの御旗が欲しくないかと言ってやるのよ。だいいち素人には食糧自給率なんかどうやって計算しているのかわかるまい」

子「そうですね。EU諸国は国内自給率の計算自体してませんもんね。数字だけポンと出せば消費者には分からないって寸法ですね。なんて悪賢い、いやもとい賢明であらせられる。
しかし、飼料自給なんてできるんですかね?実験はいくつかあるようですが、実施するとしても膨大な面積が要りますし、質にしてもどうやっても外国産穀物のほうが優秀だし、第一クソ高くて使えない・・・」

古「まったくお前は頭が堅い。地方農政事務所に飛ばすぞ。いいか、100%飼料自給なんぞ初めからできるわけがないだろう。いいんだよ、農水省もやっているというところが見せられればいいんだ。
ほら、米の転作奨励金があったろ。あれにどこかの暇な研究所がやっていた飼料米をやらせて、助成金をつけてみろ。減反政策と、飼料自給で一粒で二度おいしい。
いや減反は維持できるわ、畜産飼料を自給するぞってポーズもとれるから、自給率向上に挑戦するわが省!となると、一粒で三度おいしい!われながらなんたる名案!

さっそくこれでたたき台を作れ。できたら、ブワーっと宣伝かけろ!ブワーっだ。スポーツ選手も雇って派手にやれ!これでシブチンのクソ財務省から予算を分捕れるぞ。わが省、これで先10年安泰。そしてわしゃ次官候補!」

これは悪意のこもったフィクションです。実在の団体と似ていることがあっても、それは偶然の一致にすぎません。

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国内自給率が40%だから、外国の食料に6割も依存している、というデマ

_edited_2昨夜、石川遼クンのフードアクションジャパンのCMを見ました。玉子かけご飯が好きなんだって!かわいいね。自給率64%、ふーんいい線いってんじゃないの、と思いつつ・・・ん?国内自給率64%って、どういうふうに計算したの?と職業病的疑問がムクムクと。

彼の1カ月(おまけして1週間でもいいや)の総摂取カロリーを算出して、それを食品別に分類し、更にそれの国内自給率を乗じて出した値・・・まさかね。

気安く「皆さんも自分の国産自給率をやってみましょう」なんて言っているけど、玉子かけご飯が堂々と出てくるようだと(←玉子はカロリー自給率でほとんどノーカン)、要するに農水省のカロリーベース方式ではなく、販売ベース自給率でいいんでしょうなぁ(笑)。われわれ一般が皆、糖尿病患者か、栄養士が家族にいるはずもないんだから、カロリーベース計算などできるはずもないから、買った食品の額でみますよね、フツー。
農水省は、カロリーベースの41%(1%上がってましたね)なんて数字を同時にCMで大きく流すなっての。国民が混乱するじゃないか。

というか、政府は混乱するように意識的に言っているんでしょう。というのは、ニュースキャスターが「われわれ日本人は自給率40%ですから、6割は外国の食料に依存しているってことですよね!」なんて大きな声で言っていたのを何度か聞いたことがあります。
もちろん、デタラメです。この国民的な勘違いは一回といておいたほうがいいですね。

Img_0017 日本の輸入食料依存度はさほど大きくはありません。たぶんえっと思われるでしょう。思うはずです、農水省の徹底した国内自給率40%という執拗な意識への刷り込みによって、日本人は皆自分の国が最低のランクの農業国だと思わされてきたからです。

まず、日本の農産物輸入額の先進5カ国での比較をみてみましょう。
1位は日本?いえいえ、米国で599億ドルです。2位こそ日本に違いない。いえ、なんとドイツです。あのエコ大国、有機農業先進国と思われていたドイツで570億ドルです。続いて、3位英国、日本が同率で415億ドルで続きます。155億ドルも2位ドイツと差を開けられています。続いて4位フランスが346億ドルと続きます。

では、続いて1人あたり輸入量をみます。今度は1位がフランス593㌔、2位ドイツ570㌔、3位英国557㌔、ここでようやく4位日本が出てきて437㌔です。

ついでに国内経済GDPに占める農産物輸入比率をみます。1位は英国の1.9%、2位ドイツ1.8%、3位フランス1.7%、4位日本0.9%となります。5位米国です。

ダメ押しとなる数字があります。先進5カ国の農産物生産額です。第1位は米国1500億ドル、そして2位がなんと!わが国日本793億ドルです。EU諸国などはるかに少ない額しか農産物を生産していません。かの農業大国オーストラリア203億ドルの実に3倍です。先進国という枠をはずしても、世界第5位の農業生産額を誇っているのです!これはさすが私もビックリ。

単品においても、タマネギの生産量世界一(ギョッ)、ほうれんそう、柿(笑)3位(ゲっ)、みかん、たまご4位、キャベツ5位(ええっ)、イチゴ、きゅうり6位(たまげた)と、ベスト10入りの農産物がうじゃうじゃあります。販売金額との兼ね合いがあったとしても、EU諸国の農産物価格はさほど日本と違いがないのです。
(*以上の資料は『農業経営者』誌副編集長 浅川芳弘氏の論考に拠る)

ここで国内食料自給率と比較してみましょう。農産物輸入第1位の米国は119%、2位ドイツが91%、3位英国74%、4位フランス130%で、私たち日本が40%ですから、この農産物輸入をしめす様々な指標が、カロリーベース自給率とはまったく相関関係がないことがお分かりだと思います。

一体農水省の言う国内自給率とはなんの数字だったのか疑問に思われないでしょうか?このように大規模な農業生産量を持つわが国が、6割も外国に食料を依存しているはずもないではありませんか。 確かにわが国の農業は危機に直面しています。しかし、誤った根拠による誤った情報の流布は、結局、過てる政策選択につながっていくのです。これは日本農業を真に建て直していこうとする時、最も避けるべきことではないのでしょうか。

(続く)

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一国ずつ異なる飼料事情・食料自給率の国際比較ができないわけ

Img_0011_4 Sas様コメソトをありがとうございました。実はSas様こと笹山登生氏は勝手に私が農業政策の師と仰ぐ方でいらっしゃいます。広い経験と深い造詣に支えられた氏のサイトに学ばせていただいて、客観的な農業政策のあり方を教えられております。感謝に耐えません。ぜひ、皆さまにも訪問されることをお勧めします。おそらくは日本屈指の農業政策サイトであると思われます。http://www.sasayama.or.jp/wordpress/

実は私、この食料自給率という概念自体にあまり意味がないと思うようになってきました。その最大の理由は、もっとも人口に膾炙しているカロリーベースの統計の取り方があまりに恣意的であるために、今の日本の農業の実態を映し出していないためです。前回の記事と重複しますが、あくまでもカロリーベースなために、カロリーが低い作物はいくら国産自給率が高かろうと、総合自給率に反映されないという致命的な欠陥をもっています。

このために米と並ぶ重要な作物であるはずの野菜が、まったくこの統計数字に反映されていません。野菜は6割以上を国内で自給しています。また、私の家業である畜産に至っては、ケンモホロロの扱いです。鶏卵などは96%の国産自給率を持ちながらも、わずか5%しかカウントされていない有様です。豚肉も同様でほとんどノーカウントといった情けないていたらくです。

いわば、私たち畜産屋は、この日本で自給率に限っていえば、いないのも同然ということになります。かのイセファームという世界一の鶏卵大企業もユーレイのように消えてしまうのですから、こりゃ小気味がいい。

_edited_3 しかし、これはいくらなんでもバーチャルじゃないかと思われませんか?フードアクションジャパンのCMで石川遼クンが「ボクは自給率60%」なんて言ってますが、君がいくら国産の野菜や卵、豚肉を食べようとノーカンなんだぜ。じゃあ、なにを食べたら君の自給率が上げられるか?そう砂糖ですよ。ですからご飯には砂糖をたっぷりまぶして食べて下さい。農水省のお役人が大喜びをしますよ。ただワジマみたいになった君を女の子は見たくないだろうなぁ。

あれぇ?あの宣伝に野菜や畜産品も登場していたような・・・。今度しっかり見て、もし野菜、豚肉、卵が出ていたらおおらかに許してやって下さい。

さて悪タレはこのくらいにして、この畜産品が自給率に入らない理由は、農水省の「国産であっても飼料を自給している部分のみを自給率に参入する」という方針があるからです。たしかに、国際的に数字を比較する場合は、穀物自給率を元に算定します。これはFAOも使う方法で、農水省もこの穀物自給率で計算をしていますので、その限りにおいては国際的な統計方法を採用しているとは言えます;

しかし、この時問題となるのはこの飼料自給率とは一体なんだ?ということです。(*これについては笹山登生様のサイトで学ばせて頂きました。感謝致します)

私たち日本人は牛の粗飼料を除いて、ほとんどの飼料を外国に頼っています。それは過去ログでも記事に致しました。日本畜産の致命的な欠陥あることは認めます。

その原因については、長くなりますので簡単にしますが、日本の風土が牧草を作るより遥に米作りをすることに向いていたために、歴史的に牧畜ではなく、米作を主体に発展してきました。

ゆっきんママさんがたぶんイギリスの車窓から見たであろう、行けども行けども平坦な丘の牧草地という「異常な風景」は、日本ではありえませんでした。褶曲に満ちた里山を中心に展開する農地、わずかな平地には、米と蔬菜が中心となる風土の特性があったわけですし、それを十二分に活かしたのがわが日本のお百姓でした。

Img_0009_3 しかし、百姓の子様がおっしゃるように日本の食生活は大きく洋風化していきます。その端緒となったのが学校給食のアメリカが過剰に作りすぎた小麦によるパンと、本来子豚の餌であった脱脂粉乳でした。オレたちはなんのことはない豚の飼料で育ったってわけです。うぎゃ~!


この世代(つまり昭和30年育ちの私の世代ですが)から食生活を洋風にして、ジーパンを履いて、ロックンロールに夢中になることがカッコイイというノータリンな風習が定着していくわけです。

アメリカ型食生活洗脳第1世代としては、まことに慙愧の念に耐えません。私の後の人生をこの修復に捧げる所存でありますということで先に行きますが、本来日本人の食生活になかった畜産が、木に竹を接ぐようにして発生していくわけです。

そのために日本の畜産はとても歪な形になってしまいました。欧米が、牧草地というバックヤード(後背地)が存在して畜産があるのに対して、それがなくて、畜産を作るということをやらかしたのです。したがって、牛の粗飼料(牧草のこと)を除く、ほぼすべてを外国、特にアメリカに依存せざるを得ませんでした。

好むと好まざるとを問わず、これが日本の伝統です。ラジカルな食育運動家や有機農業者から、「加工畜産はやめてしまえ!」と年がら年中言われて、耐性がついたカメムシのようになっておりますです、はい。

ことほど左様に、国によってその農業のあり方は千差万別です。ヨーロッパと米国ですら大きく異なっています。ニュージーランドやオージーとアメリカとも違います。

例えばNZやオージーなどでは、牛肉、羊肉などは非穀物から作っています。なんせ放牧主体ですから。NZなんて放牧の羊や牛のほうが、人口より多いんですから(ほんと?)。それに対してアメリカは穀物が主体で放牧もあります。

先進国間ですらこれだけ違うのに、まして発展途上国においておやです。穀物のように人間と競合する食料を家畜にやるはずもありません。

となると、飼料の自給率という概念自体が千差万別であって、穀物自給率一本の単純な尺度で計ることは不可能だということがおわかり願えたでしょうか。FAO自身もこう言っているほどです。「飼料に関しての歴史的データは、摂取量のデータよりも信憑性に乏しい」(*笹山氏のサイトに拠る)

要するに、こう言うことなのです。日本でカロリーベースの自給率計算は確かに可能です。しかし、それを外国と比較するとなると、一国ずつの飼料事情がまったく異なるために、統一された基準を作りようがないのです。

ですから、一見農水省が作った前回のような>食料自給率を国際比較した表の根拠自体がはなはだ危うい憶測の上に成り立っているとも言えます。

この根拠の危うい数字を基礎にして、農政の戦略を考えていくとしたらとんでもないことになります。民主党さんには、せっかく統治者になられたのですから、今までのような票目当てのポビュリズム政策ではなく、しっかりとした10年先を見据えた農政をしてほしいと思います。

(続く)

■なんの花か分かりました?お茶です。

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食料自給率というわかったような、わからないような数字

_edited 国内食料自給率という、わかったようなわからない概念があります。40%を切ったということが大きく取り上げられて以来、農業といえば自給率と木霊が帰ってくるといったあんばいです。

ちょっと面白い共同通信の記事があります。少し前のものですが、ちょうどこの自給率が喧伝されはじめたあたりの記事ですので、みてみましょう。

13年ぶりに40%割れ  食料自給率

農水省は10日、2006年度の食料自給率が供給熱量(カロリー)ベースで

39%となり、13年ぶりに40%を下回った、と発表した。天候不順で果実
などの国内生産量が減ったほか、コメの1人当たりの消費量が減ったこ
とが影響した。

1965年度には70%を超えていた自給率だが、食生活の欧米化に伴い年々
低下。98年度から05年度まで8年連続で40%で推移した。政府は15年度
までに自給率を45%に上げるという目標を掲げているものの、目に見え
る効果が出ておらず、戦略の抜本的な見直しが必要となりそうだ。


日照不足や夏場の異常気象の影響を受けたのは、主に砂糖やイモ類、果
実など。糖度が落ちたり生産量が減ったりしたことなどがカロリーベー
スの自給率を押し下げた。


コメは1人当たりの消費量が61キロと、前年度の61・4キロに比べ0・4キロ
減った。作況が不作だったことからせんべいなどに使われる国産の低価
格米の供給が減り、輸入米の増加につながった。
2007/08/10 23:00  【共同通信】


ね、面白いでしょう。なにがって?私はかねがね自給率の低下といわれることに感覚的な違和感がありました。
日常、農家としてこの国の食糧事情に接していて、野菜、米という主要な食品に関しては、少なくとも消費者がマーケットで買う農産品は、一部を除き過半は国産であると思います。
また、魚は大量に輸入しているといえど、日本漁船団の活躍もあって、過半数は国産だと思います。畜産は私の専門分野ですが、飼料という舞台裏というか竹馬構造を度外視すれば国産率は高いといえます。
これは同業の仲間と話してみてもそうで、「4割ってこたぁねぇぺよ。ありゃパンなんかのを入れた数字だべ 」というのが実感です。
しかし、なんでかくも低いのか?その理由がこの記事を読むと分かります。つまりは40%という衝撃的な数字はカロリーベースなんだってさ。
だから食糧の自給とあんまり関係のない砂糖(!)や果物の糖度(二度びっくり)などの数字が食糧自給率に影響を与えるというわけです。どっしぇ~~!(^▽^)

ちなみに、食料自給率にはいくとおりもの算出方法があって、以下の種類があるそうです。

●品目別自給率

小麦や米など、個別の品目別の自給率のこと。算出にあたっては、品目の重量を使用する。

国内の生産量(重量ベース)÷国内の消費量(重量ベース)

●総合食料自給率

個別の品目ごとではなく、一国の総合的な自給率。以下の二種類がある

●カロリーベース

国民1人1日当たりの国内生産カロリー÷国民1人1日当たりの消費カロリー

●金額ベース

生産額=価格×生産量で個別の品目の生産額を算出し、足し上げて一国の食料生産額を求める
国内の食料総生産額÷国内で消費する食料の総生産額
日本の農水省は総合食糧自給率したがっているのがわかります。したがって計算方法で相当に数値がことなってしまうわけです。このことは農水省も理解しているようです。
(農林水産省 
食料自給率とはhttp://www.kanbou.maff.go.jp/www/jikyuuritsu/011.html
例えば、金額ベースだと69%で、約7割は自給していることになります。これで公表される数字39%との著しい実感との差異がわかります。
ちなみに各県の食糧自給率をみると、各都道府県のカロリーベースの食料自給率では、100%を超える都道府県は北海道と青森県、岩手県、秋田県、山形県のみである。北海道は192%と全国一の値を誇ります。一方、一番低い東京都は、約1%となるそうです。
ではこれを踏まえて、もう少し考えてみましょう。
(続く)

資料 主要国の食料自給率

主要国の食料自給率(カロリーベース)
国名196519701975198019851990199520002002
オーストラリア199 206 230 212 242 233 261 280 230
カナダ152 109 143 156 176 187 163 161 120
フランス109 104 117 131 135 142 131 132 130
ドイツ66 68 73 76 85 93 88 96 91
イタリア88 79 83 80 77 72 77 73 71
オランダ69 65 72 72 73 78 72 70 67
スペイン96 93 98 102 95 96 73 96 90
スウェーデン90 81 99 94 98 113 79 89 87
スイス48 46 53 55 60 62 59 61 54
英国45 46 48 65 72 75 76 74 74
アメリカ117 112 146 151 142 129 129 125 119
日本73 60 54 53 53 48 43 40 40

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誰か民主党政権を止めてくれ!

_edited 誰か民主党を止めてくれ!
もうくたびれる。毎日ジェットコースターだ。まるで、暴走馬が市中に躍り出して、泡を吹きながら街路で人をはねとばしているのを見ているような気分だ。

いったい国民はこんな独裁まがいのことに、いつ承認を与えたのか?なにかというとすぐに「マニフェストに書いてある。選挙で信任を得ている」というが、民主党のマニフェストとやらはあくまで「民主党の方針」であって、百歩譲っても「政府の方針」にしかすぎず、「国の方針」そのものであっていいはずがない。
国家の方針は、政府案が国会で討議されて、もまれてもまれて、修正を重ねながら作られていくものだと今の今まで思っていた。これを議席の多数と、支持率の多さを背景にして押し切っていく光景などついぞみたことがなかった。
まさに民主党政権は自民党ですらしなかった強権政治をやっているのだ!


だいたい支持率7割というが、政策支持率ははるかに低い。国民が「政権交代」を選んだのは事実だが、野放図な独裁まがいの権利まで与えなかった。そのようなことを与える法的根拠はなにもないはずだ。

それを国会での所信表明演説も済ませていない政権が、国会開催は遅れに遅らせる。その間に、なんの掣肘もないまま一挙にぶち壊していく。CO2や東アジア共同体など国際公約はしてくる、利害関係者との話し合いもなく一方的に凍結を宣告する、国会を通るどころか、討議もされていない政府方針が次々と執行されていく。

たしか日本国は三権分立だと中学校の公民で習った記憶があるが、ありゃウソだったのか。いつ日本は大統領制になったのだろう?いつ鳩山氏に独裁的執行権を与えたのか?
なんとももの凄まじい光景である。これがかつての自民党で行われたとすれば、マスコミは大騒ぎ、野党民主党はとうに審議拒否、国会空転となったことだろう。しかし、その国会自体が開く前になんでもやってしまおうというのだから、なんともかとも。

_edited_2 民主党政権の暴虐は拡がる一方だ。
農水省関係では、今一番必要な農地集積が危ない。たぶん来期は切られる。農地集積をしないと、日本農業は主力部隊をなくす。
これは一刻を争う性質のものだ。なぜなら農家平均年齢が60を超えた今、残された時間はわずかだからだ。

それを切るという感覚が分からない。民主党は、農家所得補償という「掛け金なしの年金」をくれるが、農業の構造強化はしたくはないのだと思わざるを得ない。

その「掛け金なしの農業年金」の財源をかき集めるための手法がひどい。昨日、厚労省関係が出た。新生児の集中治療室などの医療設備は緊急性が無い、そうだ。
緊急医でどれだけの子供が助かって来たのか。小児用のICUに長期入院する子供が増えたためICUは常に慢性的な満床状態 産科救急の危機が社会問題になった。
また 周産期の救急医療体制のためには新生児ICU「満床」対策が急務だとさんざん言われてきたし、小児医と施設の不足は特に地方では致命的な悲劇を沢山生んでいるのだ。

それを切るとは!それを「無駄」とは!絶句。ひさしぶりに怒りがこみ上げて、食事が喉をとおらなくなった。冗談ではない。人のやることではない。
私の友人の子供が小児治療が地方で難しいために重体に陥ったことがあった。その子供の苦しみを見ていた父親が、自分の命を代わりにしたいと泣いていたいたことを思い出す。

_edited_3 福島みずほ少子担当大臣の見解をお聞きしたい。小児科医療をカットして少子化対策か?!なにが「ひとのための政治」だ。ふざけるな!

こうしてかき集めた「無駄な財源」で金科玉条のマニフェストの子供手当をだすそうだが、それも翌年6月、これは参院選目当てだと見え見えじゃないか。

その結果、扶養者控除がカットされる。これは高齢者や身障者を持って働けない人達の負担の増額を意味する。これでそろそろ老齢所帯に突入しつつあるわが家など概算10万円の増税だ。

一方BSEの危険部位が3ツも見つかったことに対して、赤松広隆大臣は「マニフェストには全面禁止等と書いてあるので。等だからしない」という仰天返答だった。
これについては別稿にまわすが、やるべきことはやらず、独善的な政策だけに狂奔すれば、いくら民主党大応援団のマスコミがはやしたてても、国民が愛想をつかす日が必ず来る。

■この記事をアップした後に、エコポイント、エコカー減税を廃止するとの報に接した。もう何をか況んや。

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農業は金では計れない

Img_0009_2 実は私、恥ずかしながら大学でマルクス経済学の学徒でした。宇野学派です。大内力先生の流れの中山弘正先生に師事しておりました。

ゼミで資本論三篇を読み通したというのが、ボンクラ学生時代の唯一の自慢です。ただし、今は情けないことにほとんど覚えておりませんが。
また先生の専門が社会主義農業経済学でしたので、社会主義各国の農業の実態を勉強しました。


で、実際自分が農民になって25年たったわけですが、そうとうにそこから離れたところに今、私はおります。
それは農業という私の家業が、なにやらわけのわからない存在だからです。農家はマルクス経済学でいうところの「労働者であり農業経営者であり土地を持つ農業資本家」と言えないこともありませんが、そのようなマル経的な概念既定にぴったし当てはまるのかどうなのか、深く疑問に思うようになっています。

「資本家」とか「労働者」という概念既定自体が、私は農業の「外」から来た概念ではないかと思っています。そのような単純な、あるいは単線的な生産-消費プロセスとは別な次元に農業はあるのではないでしょうか。
ですから、アメリカ農業は、私からいわせれば、単なる穀物生産工業であって、工業の延長であり、とても農業には見えません。

たぶん農業ってもっと複雑なナンカなのです。

日本の農業のありようは、環境を創造し、保全し、再生し、おこぼれを頂戴して生活を立てている仕事だと思っています。単に経済、言い換えれば金だけで測れないのです。

具体的に言ったほうがいいでしょうね。例えば、田まわりをするとします。純粋に経済学の範疇で考えれば、田まわりを減らせば経済効率が上がることになります。近経(近代経済学・もはや死語)で言えば、生産コストのうち労働コストが低減することにより、製造物コストが押し下げられます。そのことによって商品はより安価になり、市場競争力を持つわけです。
コストをかけるな、ひたすら安くしろ、これが経済の永遠の鉄則です。お前、何やってんだよ、下請けのコストを叩くのが仕事でしょう、というわけですね。 この伝でいえば、田まわりなんぞ止めてしまったほうがいいわけです。実際、経済同友会あたりが考える米作りですと、パイプラインと同調した水位センサーによるコントロールということになるわけでしょうね。

一方マル経においては、価値は労働力の中からのみ生じるということになっていますから、田まわりをすればするほど、汗をかく、労働時間はかかる、そこで剰余価値は上がります。ただし、そのことによって商品の価格も上がり、市場競争力は下がるでしょう。笑い話で、旧ソ連のコンピュータは重量が重いほうが価値があったそうです。なぜなら、それだけ剰余価値が多く含まれるから(笑)。 それはともかく、市場競争力を落さないためには、余計な労働をしないか、したらその分の労働力の再生産(←要するに食うためですな)のために賃金を上げろ、戦うぞ、オーっ!ということになります。雇用-被雇用関係から逃れられないんです。

ガサツな言い方で恐縮すが、入り口こそ違いますが、マルクス経済学も近代経済学も、農業を経済効率という単一の絶対的尺度でしかとらえられないとしたら、同じ穴のムジナなんです。

田まわりを減らせば、てきめんに水管理がおろそかになります。うっかり田んぼの堰が詰まっていたりして水位が下がったりすれば、ドエライことになります。干上がるわけです。活着した稲のみならず、そこに棲む多くの生きものが死にます。
あるいは、近経が教える労働コストの削減をするために、田んぼの雑草や畦の草をアイガモや刈り払い機で切ったりしていたものを、除草剤をパッと振る。一回で作業は終了しますが、それによって、畦の生物相や植物相は壊滅的な打撃を受けます。


コモリグモという、ウンカの天敵がいますが、こいつは人相は悪いがすばらしい田んぼの友です。多くのクモ類、あるいはカエルなどは害虫の天敵です。これらが多くいる田んぼこそが「いい田んぼ」の条件です。
では、このクモ類やカエル諸君は、経済学的にはなんという項目に入れたらいいのでしょうか?

確かに労働力コストはかかるが、こいつらと共に田んぼを維持していくことが、長い眼で見れば良好な田んぼが維持できるわけです。キザな言い方になりますが、私は中島紀一先生のおっしゃるように「農業は金では計れない」と思っています。ですから経済学は農業となじみません。

マルクス経済学には、「環境」というパートはありませんでした。なんせ19世紀の真ん中に出来た学問だからです。当時、環境は無限に収奪が可能だと思われていました。結果、このマルクス経済学を金科玉条にした社会主義農業は、ことごとく失敗に終わりました。
なぜでしょうか?社会主義うんぬんというイデオロギッシュな問題を置いて、大きくはふたつあります。

ひとつは、農民が単なる集団農場や共同農場の農業労働者になってしまったために働かなくなったからです。ブレジネフ体制の末期には、出来たジャガイモを、収穫する労働者は収穫だけ、どんなに倉庫で腐ろうとも生活ができる。そしてジャガイモを運ぶ労働者は運ぶだけ。ただ運べばいい。途中でイカレてもそれはわれ関せず。路線が止まったら、それは鉄道労働者の仕事。
かくて農場から都市に着く頃には、生産量の半分にも満たないわけです。ところが、地方のゴスプラン(経済計画局)は、畑の数字を中央ゴスプランに上げますから、すごくいい数字しか出ないわけですね(笑)。今の中国の最悪の製品は統計数字だそうです。と、まぁ社会主義と統計数字は相性が悪いようです。
しかも、生産物は私有財産の概念自体がないので、盗み放題。ブレジネフの自伝にも、恥ずかしげもなくコルホーズ時代のかっぱらいが楽しげに書かれています。


次に、環境です。環境についてマルクスは一言も言っていないので、外部環境は単なるゴミ捨て場か、開発を待つ未開地だけになりました。公害廃棄物は捨て放題、未開地は乱開発。旧東欧や、現在の中国の環境汚染のすさまじさは眼をおおうばかりです。市民団体が許されないだけ歯止めが効かない。
これを50年間もやれば、間違いなく確実に国が滅びます。

話しを戻しましょう。
農業は経済の言葉だけでは語れない。これが私の信念です。
日本の自然はただ漠然とあるのではなく、「作られた」自然です。誰が、何の為に?そう、百姓が、農業のために作った精緻な自然システムなのです。それは米を食うためであり、多くの換金作物を作るためでもありました。そのかぎりにおいては「経済」です。
ただし、経済であるだけではなく、自然と共にある、いやそのようなニュアンスでは当たらないな・・・そう「育てて守る経済行為」なのです。
それを私たち後世の者は、美しい景観だと感じるのではないでしょうか。

この景観、あるいは風景は農業や林業が作ったのです。だから、尊いのです。それが「価値」です。そしてめげずに、いやめげながらも維持しています。だから、たまには言ってほしいと思います、あんたら、農業もちょっとエライと。

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ジョンの死 ・ さぁ、ロックンロールを始めるぜ!

Ee35ジョンの ハンチクなメッセージをイワシの頭のように拝む連中を心底バカだなぁとズーっ思ってきた。

ジョンはヨーコという導師のおかげで堕落をしたと私は思う。彼女が類まれなるジョンという天才に、くだらない「愛と平和」ドクマを注入した。陳腐な政治的な音楽家になってしまった。それでも聴くに値するものを作り出し続けたのは、たいしたものだ。

最後のアルバムに入っている「ウーマン」は、複雑精妙な曲だ。ギターのアルペジオはあまりに美しいし、その作曲技術で彼の最高峰のものだといわれているそうだ。しかし、曲想が陳腐だ。
冒頭に出てくるジョンの
"For The Other Half Of The Sky." という台詞を聞いたとたんしらける。あとの歌詞は聞かないでよし。良く言ってノロケであり、はっきりいえば、あんたの日常生活などには関心はない。

ハウスハズバンド(実際はメイドが切り盛りしていたが)というのが、そんなにご大層なものか?
彼は、単にダコタハウスの快適な穴蔵で
"Watching The Wheesl."(「世界の車輪をただ見ている」の意味)にすぎぬ。唄を歌わぬカナリアには用はない。

音楽は政治でもメッセージでもない。メッセージ性が「崇高」だからといっていい音楽ではない。逆にメッセージ性がなくともよい音楽はカバに食わせるほどある。

ジョンが唄を歌うのは本能のようなものだった。仮に罰則を与えられても彼は歌っただろう。実際、彼の死後に膨大な未編集テープが残されていた。これを公開してゼニにしてしまう遺産継承者の感性は理解を絶するが。

ジョンは死んだ。1980年12月8日。彼は遺作のジャケットにマシュルームカットで臨み(左の女をどうかしてくれ!)、そして死の当日の朝には、グリースで固めたリーゼントで決め、眼鏡もはずしていた。
まるであのハンブルク時代のように。まるで、これから女の子が騒ぐクラブに演奏しに行く時のように。

まるでこう言っているように見える。ハウスハズバンドには飽きた。さぁ、ロックンロールを始めるぜ!

5発の銃弾が命中し、80%の血を失う失血性ショックで亡くなった。その時、ジョンが収容された病院のスピーカーからはオール・マイ・ラビングが流れていたそうである。

このように書いて、ひとつ大きなことを言い残したような気がする。
ジョンのmotherだけはすごい。これはジョンと似たような境遇を少しだけ持つ私にダイレクトに響いた。この凄惨とも言える曲はThe Beatlesにいては書けなかったことは確かだ。

私はオノ・ヨーコが大嫌いだが、これを彼に書かせたのは彼女の愛であったことは確かだろう。これは渋々ながら認める。彼女は出来そこないの芸術家だが、いい女房だったのかもしれない。


・・・母さん、いかないで、父さん戻って来て!、子供たちよ、俺の過ちを繰り返さないでくれ。俺は歩きもできないくせに、走ろうとしたんだから・・・

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ジョンレノンという怪物がかつていた

Ee05 ジョンレノンという怪物がかつていた。10月9日が誕生日だ。

殺されて勝手に伝説となってしまったという困った男だ。

昔、彼は私のアイコンだった。

彼が「マザ~♪」と叫べば、私も「おかぁちゃん~♪」と唄い、彼が「イマージンノーカントリー♪」とやれば、私もパラレルで唄った。

とうとう女房までヨーコという名の女性をもらってしまった(名前はほんとうだが、ウソ)。

最近、なんじゃらの記念とかで、特に年末になるとやたら彼の声を街頭で聞く。アホのジョッキーが「ジョンの曲ってどれもすごいですね」などと言っていやがる。

とんでもない、彼の遺作となってしまった「ダブルファンタジー」なんぞ、全部といっていいくらい駄作だ。

私はあのアルバムを編集して、まずあのバカ女のキンキンする声をチョン切り、そのあと「ウーマン」だとかを切っていったら、あまり残らなんだ。「スターティングオーバー」でさえまぁまぁかな。

私がやたらビートルズ時代のジョンを褒める(というより崇める)わりに、ソロ時代の彼を低く見るのには理由がある。

なにより曲想がつまらない。平板で、政治的で、時として政治的ラジカルの宣伝と化している。例えば、「クロス ジ ニバース」や「リボリューション」にあった傷つきやすい青年の迷いやためらい、逡巡や内向、屈折がない。

あるのは単純化された、手垢のついたストレートの宣伝だ。その時代でしか意味を持たない政治的音楽。「パワーツーザピープル」なんか、CMで使われる始末だ。この曲はブラックパンサー党っていうとってもコワイ、超ラジカルな黒人武装運動にオマージュした曲なんだぜ。

だから「もっとみんなにパワーを」なんて訳してはいけない。レーニン(知ってる?知らなくてもいい)が言う「すべての権力を人民に!」とガチガチに訳すのが正しい。

ジョンという類まれな1世紀にひとりいるかどうかという音楽家が作ったが故に、それでも「音楽」として成立している。しかしなんの見通しもなく、「イマジン」と唄い、自らを「ドリーマー」と自称する彼に私は同情を禁じ得ない。

(続く)

■写真はジョンのリトグラフ。たぶんこっち方面でも飯が食えた。

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ありんくりん先生のオーガニック・スクール その5  どうして化学肥料や農薬を使うの?

Img_0058_edited Q9 化学肥料ではダメなんですか?

A9 化学肥料は微生物の餌にはならない。

今の日本ではほとんどが化学肥料に頼った農業をしている。先生のグループみたいなそれに頼らない(有機農法って言うんだけど)方法はごく一部だ。化学肥料は大部分が石油からできている。自動車の油を作った副産物からだね。だからいっぱいあって安い。お百姓さんは喜んで使った。

植物は有機質をいったん無機質に変えてから吸収するので、化学肥料だけでも生育することはします。
でも、「作物を作る」っていうことは、単に植物を育てるということだけじゃない。土というのは単なる作物を支えている土台じゃなくて、作物も含めて土全体をみていかなくちゃならない。土あっての作物だからね。言ってみれば、土というお母さんの懐で眠る赤ちゃんが、野菜なんだよ。

そのお母さんである土にとって、いちばん大事なご飯はなんだろう。ハイ、うんちょ?虫の死んだの?葉っぱの腐ったの?君の30点の算数テスト?
うん、いいぞ。それらが皆んな大事な栄養となって、お母さんの土になっていくんだったね。

Img_0028_edited 微生物はこのうんちょや虫の死骸、葉っぱの腐ったものなんかを自分のご飯にして土を富ましてくれる。だから、微生物という友達がいないといい土にならないんだ。微生物にとって無機質は餌にはならない(ただしミネラルも無機質だが、これは吸収します)。

化学肥料は、土全体の働きで作物を育てるんじゃなくて、作物だけに必要な栄養だけをやる作りになっている。チッソは大きくなる成長栄養、リンサンは実をつけるために必要な栄養というふうにね。

Q10 じゃあ農薬はなぜかけるんでしょうか?危ないってわかっているのに?

A10 土が弱くなったので、作物がひ弱ですぐに病気にかかるからです。

だって楽だもん。人手が足りないもん。野菜の値段ずっと安いもん。
化学肥料だけでも育つことは育つ。だから、お百姓さんは、メンドーな堆肥を作ったりすることを止めて、袋入りの化学肥料をパラパラふってオシマイにするようになってしまった。

堆肥作りというのはとても大変な手間がかかるんだ。昔は山の落ち葉を集めていたりしたが、今はなかなかそこまでできない(だから山が荒れたんだがね。哀しい連鎖だ)、そこで木屑、もみがら、米ヌカ、家畜のうんちょやオシッコ、骨粉、カキガラなんかを混ぜて、水をかけて微生物の力を借りて、切り返しながら待つこと半年。これでいい堆肥ができる。

この仕事は機械化された今でも大変な手間がかかるし、堆肥を寝かせておく場所もいるんで、今のお百姓さんは、いいことはわかっていてもなかなかしなくなってしまった。お百姓さん自身が歳とったせいもあるんだよ。60過ぎで堆肥作りは、作るのも大変だが、それを畑に撒くのもひと苦労。

こうして日本の畑から堆肥が消えると、その堆肥にたっぷりと含まれていた微生物とその餌が同時に消えていってしまった。するとどうなっただろう?お母さんの土が弱くなっていったために、その子供である作物もひ弱になっていっちゃたんだ。

そうなると病気でまくり。白菜は昨日のような嵐が来ると、根が張っていないので、すぐにコロコロこける。雨の後にくわっと温度が上がるとレタスなんかはすぐに芯から腐さる。きゅうりは真っ白にかびのようてものが生えて腐る。しかたがないので、シュワッチと農薬をかける。

Img_0033_edited 虫がついてほうれんそうに穴があくと、消費者が買ってくれないので、殺虫剤をかける。大根に虫食いがあると買いたたかれるんで、土中燻蒸剤という毒ガスを土の中に散布する。だから、農薬がこんなに使われるというのは、町の消費者の過剰なきれい好きにもあるんだよ。虫がすこしくらい食っていてもなんちゃことないだろう。とって食べればいいだけだ。

虫と言っても、害虫を食べるいい虫も大勢いるんだけど、それも一緒にミナゴロシだから、天敵となるいい虫も死んでしまう。ところが、ミナゴロシをした後に復活するのは、な~んと害虫軍団のほうだ。悪党はしぶとい。けど、いい虫さんは農薬ズレしていないもんでね。

すると、殺虫剤を散布した後に、復活してくるのは害虫軍団だけ。そしてこのようなミナゴロシの中で、仮に100匹死んでも、1匹生き残ると、そいつに耐性が生れてしまう。つまり、害虫がいっそう強くなる一方だ。これじゃあ、農薬は濃度を濃くせねばならないし、金はかさむし、第一人体にも危険だ。 中国では、ホウレンソウにシロアリ駆除剤を撒いていたことがわかったが、既に香港ではそれを食べた死者まででる騒ぎとなった。中国は農薬が事実上野放し状態なので、工場の排水なんかもあって、水や土の汚染は取り返しがつかないところまで進んでしまっている。 水俣病やイタイイタイ病などがものすごい数出ていると思う。中国の農家のことを考えると、胸が痛む。おうちに帰ったら、お母さんに中国産の食品は、安くてもゼッタイに買わないでね、って言っておいてね。

さて、それだけじゃなくて、害虫のほうもあんまりしつこくやられると、こりゃヤバイ、もっと子孫を作っておこうとして産卵率を上げていく。これではいくら農薬をかけても永遠にイタチゴッコだね。 そこで、思い出したのが、リトルフレンド・微生物だったんだ。今、モーレツに微生物が見直されて研究も進んできているのはうれしい。

というわけで、いくら農薬をかけても害虫はなくならないとわかってきたんだ。今、その反省から、すこしでも農薬を減らして、堆肥を入れて土を富ましていこう、やがては完全に化学肥料や化学農薬に頼らない有機農業になっていこうという努力が始まってきたというわけだ。

 

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ありんくりん先生のオーガニック・スクール          岩はどうして土になったのか?

Img_0056_edited_edited_2 Q7 じゃあ、そのままでは植物が育つ土にならないんですか?

A7 ならない。微生物が働いて生命が生まれるんだ

これで土ができたとおもったら大間違い。太陽がさんさんとさし、水がたっぷりとあり、そして岩が水に溶けだしてできるミネラルがあってはじめて微生物がレッツラゴーとなる。

先生はうら山の土をとってきてある実験をしたことがあった。うら山から前回のQ5でも言った世界一の土である山の腐葉土をバケツにひとつとってきた。これを米ぬかに混ぜて、のこくず(ノコギリで板をひいたクズだ)をちょっと混ぜて水を入れてかき回す。手でつかんでまとまって、はなすとハラリとくだけるていどかな。これを麻袋に入れてそのままにしておいた。

翌日、なんもなし。翌々日、なんの変化もな~い。そのつぎの日ダメ。あ~こりゃだめかと思った5日めかな朝に行ってみるとなんかいい匂いがするじゃないか。まるで焼きたてのパンのような(ちょっとちがうかな)、味噌をつくる麹(こうじ)のような。そして熱がでている。これが発酵熱だ!キミもご飯を食べるとなんかポッポするだろう。あれと一緒で、発酵とは微生物が適当な水分(雨のかわりかな)、光や熱(つまり太陽だね)の条件があって、「オレは生きてくぞぉ!」という熱になったということだ

普通は買ってきた菌でやるが、裏山の腐葉土からもできるんだ。このバケツに入った森の土には無数の微生物がいて、彼らが目を覚ましたんだ。そして熱心に動き始めた。

そして先生はこれをヒョロヒョロの草しかでなかった場所にすきこんでやった。これをなんども繰り返して、たまにニワトリのよく乾燥したウンチョなども入れてやった。そして野菜の種をまいてみた。

よくできたぞぉ!りっばな大根や小松菜ができた。わかったかな、岩が砕けただけの土ではなにもできない。それが太陽の熱と光を受けて、雨水の湿気が加わり、大好きなミネラル分や葉っぱや糞などの養分があると微生物は働き出す。そして死んだ土から生きている土にかわるんだ。

今、君たちが走り回る土も地球という惑星、無数にある広大無辺の銀河系第3肢太陽系第3惑星が約40数億年かけて作ってきた土なんだ。ただし、壊すのは一瞬だけど。

Q8 土が壊れるのはあっという間なんですか?

A8 そう、あっという間だ。短くて5年。砂漠にするには50年でいい。

森の土はいつ行っても豊かだ。惚れ惚れとする腐葉土が、いつでもかぐわしい香りを空気にただよわせているね。これはいつでも葉っぱや動物、昆虫などが分解して土に養分を与えているからだ。ここまではいいね。

じゃあ、今、ボクら日本の畑はどうかっていうと。畑の上には樹はない。トラクターをかけたるのにジャマだから切ってしまった。トラクターをかける畑にも草は生えていない。これは除草剤などで枯らしてしまったからだ。野うさぎが畑を駆け抜けて、たまにウンチョをしてもそんな量はしれている。

土の下を見てみよう。ほとんどの微生物が死んでしまっている。なぜだろう?微生物を殺す土中燻蒸剤毒(どちゅうくんじょうざい・気化したガス状の毒物のこと)をまくからだ。これの毒をまかれるとたいがいの生き物は死んでしまう。ましてちいさな働き者のリトルフレンドなどあっという間だ。こんなことをやっていると約5年で土はダメになり、50年やり続けると砂漠になってしまうという。

もう皆んなもわかると思うけど、微生物がいない土に作物を植えてもちゃんと育つはずがないだろう。それでも昔は牛や豚の糞をワラに混ぜて寝かせてから、土に戻したりした。今はそんなカッタルイことはせずに、お金で化学肥料というものを買ってくるだけだ。これでうまくいったら豚が木に登る。

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ありんくりん先生のオーガニック・スクール 第3回          土はどこから生れたのですか?

Img_0052_edited Q5 じゃあ、森にはたくさんの微生物がいるんですか?

A5 そう、森は微生物の宝庫だ。

キミといっしょに森に行きたいな。歩くと靴が埋まるようなかんじがするだろう。みなフカフカして、これは毎年の落葉が腐って(誰のおかげだぁ?微生物!よくできました)できる腐葉土だ。森全体が発酵槽のようになっていて、土と水と酸素を製造しているま最中だ。ほら、手にとって土をかいでごらん。甘くてなんともいえないいい香りだろう。これが腐葉土という世界最高の土の香りだからよく覚えておいてほしい。この土と水と酸素という生きるための三大要素が全部あるから、ボクたち人間は森をいとおしく思うんだろうね。

この森の土の生物調査をした学者がいる。1㎡、深さ40㌢に生息する生き物は、ミミズだけで360匹、2㌢未満から0.02㍉までの微生物が330万匹だって。更に微細な微生物は1㌘、つまり納豆一粒の大きさに3億から4億の微生物がいるらしい。えらいこっちゃ。

Q6 土はどこから生まれたのですか?

A6 山の岩石が水によって削れて溶けだしてできました。

今戦争をしているイラクやアフガニスタンの写真を見ると、ゴツゴツした岩山がたくさんあるだろう。ああいった土がないはげ山は世界中にいくらでもあるんだ。そんなところでは農業はとってもむずかしい。先生もパキスタンの奥に行ったことがあったけど、そこも畑を作れる土地は谷底の川のまわりだけだった。キミと同じくらいの歳の子供が大きな水を汲んだ桶をもって畑に水をやっていた。何百メートルもある川から小さな顔を汗だらけにして、うんしょうんしょと運ぶ。学校にも行けないんだ。

この子たちにとって学校こそが夢だ。同じ年頃の友だちと学んだり、ひとり一冊の教科書をもつこと、校庭でサッカーをすること、それが夢だって言ってた。このささやかな夢を聞いて先生は、鼻の奥が熱くなった。

キミらは学校なんか行けてあたりまえだ、親から押しつけられているなんて考えているかもしれないけど、そうなのかな?心のどこか片隅にでもいいから、イラクやアフガンの子供たちのことを置いておいてほしい。あの子たちに平和に勉強やサッカーができる日がくるといいね。

さて、土の話だ。そんな岩山が雨の水や川の水で削れて長い間かかって砕かれた小さな岩になる。そしてちょっとずつ溶けだしていったものが土だ。でもまだ、この土は生き物が住めないんだ。ほんとうに生き物がぐんぐん育つ土になるにはもうしばらくかかるんだ。

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ありんくりん先生のオーガニック・スクール 第2回       もし地球に微生物がいなかったら

_edited Q3 ボクの体にも微生物はいるの?

A3 いるなんてもんじゃないわんさと住んでいる。

実は、キミのおなかの中にもマイリトルフレンドの微生物はいっぱい住んでいる。特に多いのは腸の中だ。ワシワシと住んでいて、たまにウンチョといっしょに表にでてくるそうだ。その数だけでハンパじゃない。1㌘のウンチョの中だけでなんと1兆もいるんだぜ。

キミが生まれてすぐにはウンチョはおろか、腸内にはなにもない。無菌状態なんだ。そのかわりお母さんのお腹の中でもらった免疫で厳重に守られているそうだ。だけど3日めあたりでおかあさんのミルクからキミの身体のなかに取り込まれて、キミの一生のあいだズーッと住み続けてくれる。もちろん代は変わるけどね。

さて、こんなふうにものすごい沢山の種類の微生物が、その土地、その土地にあった種類を選んで住みついているらしい。木や草が違っただけで住む微生物の種類は違うとさえいう。同じ土でも、土の奥底の空気があまりない所が好きな菌(嫌気性菌)もいれば、土の表面のお日様に照らされている土が好きな菌(好気性菌)もいる。

いちばん有名で、地球で最も数多い枯れ草菌(バチルス種)は、その仲間だけで、何百種類といて、ある者は稲わらを好み、あるものは土の中が好きだとなかなか好みがうるさい。大昔、まだニンゲンなんかがいない時から、その地の土や植物、動物に住みついてもうこの組み合わせしかないってくらいピッタシの仲になっているから仕方がないんだよね。

Q4 もし微生物がいなかったらどうなるの?

A4 地球は砂漠に、人は消化できず、味噌も醤油もできない。

え、なんだって、ニンゲンはえらいから、こんなチッポケな小人なんかいらないって!なんつうタメグチをこくか、このガキは!?じゃあ、もしもこのちいさな微生物がいないとしようか。秋になって草が枯れてもそのまま、イノシシのウンチもそのままカチカチになって石みたいになるだけ。

だから、土は栄養が得られなくて、おなかが減って死んでしまう。そう、土がおなかが減って飢え死にした姿を砂漠って言う。木も草もはえない、動物も虫も生きられない、石ころばかりがゴロゴロしている、そんな土しかないところだ。死の世界だ。

初めて宇宙に言ったガガーリンさんという宇宙飛行士が「地球は青かった」っていう言葉を残している。水と緑の惑星、それが地球だ。こんな水と緑の星を探そうと天文学者は、毎日宇宙を観測しているが、今のところ見つかっていない。つい最近の火星探査の写真のように石がゴロゴロしてるだけだ。こんな素晴らしい地球にしてくれているのはこのマイリトルフレンド、微生物のおかげだ。

同じようにキミの身体から微生物がいなくなっちゃえば、キミは食べ物を消化できないからウンチョもオシッコも出ない。味噌や醤油は麹菌でできているから大変だ。パンも焼けない。だから、キミはあっという間に死んでしまうだろう。こら、微生物に謝りなさい。

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ありんくりん先生のオーガニック・スクール 第1回       土はご飯を食べるの?

Img_0009 Q1 土はご飯を食べるの?

A あるよ、見えない口が

じゃあ、こっちも質問しちゃおうかな?ご飯をたべるには口がいるよね。土に口はあるかな?そう、キミのごはんや水を飲む口さ。でも、土が大きな口をあけてあ~んとなにかを食べていたらちょっとコワイよね。キミはぜったいにご飯を食べるよね。食べなかったら死んじゃうもん。そう、土だって同じさ、ご飯をたべなければ死んでしまう。だから口はちゃんとあるんだ。ただし「見えない口」だけどね。

庭で死んでいた昆虫の死骸はどこにいっちゃうんだろう?ボクも不思議で、子供の時に毎日庭のコオロギの死体をみていたことがある。だんだんスカスカに軽くなって、そのうち消えちゃった。

秋に森の樹の葉っぱが落ちるね。とってもきれいだ。じゃあ、ハラハラと落ちた赤や緑の葉っぱは、どうなるんだろう。え、お母さんが黒いビニールに入れて捨てているって。あ、それはなし。放っておいた場合ね、翌年の春(そう今ごろだね)にもう一度みてごらん。まっ茶色になってもう一部は黒い土みたいな色にかわっているだろう。

みんな土に溶け込んでしまったように消えてしまう。死んだ虫も、葉っぱも、犬のウンチも、イノシシのオシッコも、キミが庭に掘って隠した30点の算数のテストも(先生も昔は、よくこうやってテストを隠した。すぐバレるから別な方法がいい)、皆んなどっかに消えていく。これは土が見えない口を開けて食べちゃったんだ。みんな土が自分の栄養にして、その分ちょっとだけだけど土が太ったんだよ。

Q2 じゃあ、土には胃袋があるの?

A2 あるよ、小さな微生物が胃の代わりをしているんだ。

夏なんかちょっとテーブルに食べるものを出していると腐るよね。腐ってあたりまえ、腐らないほうが危険なクスリを使っているんだから。で、なにが腐らせるかっていうとちいさなマイリトルフレンドだ。え、ホビットくらいかって?いんや、そたら大きくねぇべ(←いきなり茨城弁かよ)。もっとズ~ッズ~ッと小っこくって、いくらキミが目がよくてもゼッタイに見えない。というより、見えないほうがいいと思う。見えたら、漫画『もやしもん』になっちゃって、フツーの人にはそこら中にいっぱいいるから、キモチがワリイってなる。

そのお名前は、チャンチャカチャーン、土中生物や、微生物っていうんだ。大きい土中生物はミミズなんかで、いっぱい種類がある。小さいのは、バクテリアといってうんと小型の生物で、だいたいが土や水の中に住んでいる。土が大きな胃袋だとすると、その中でセッセとイノシシのウンチや、犬のオシッコや、落ち葉や、キミの30点のテストなんかを食べて養分に変えている。ありがたいと思えよ。こいつらがいないと、土は養分をとれません。先生が数えた訳じゃないが、ひと握りの土には何十兆もの微生物が生きていて、それが土を豊かにしているんだ。スゲェーな。

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有機JASは 小泉構造改革が導き入れたグローバリズムの流れにあった

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「百姓の子」様からコメントをいただきました。ありがとうございます。

(引用開始)濱田さんがあるところで、小沢民主党の農業政策は農産物輸入自由化を考えており、竹中ー小泉の新自由主義を農業政策に継承しているという主旨を記載していることに関心を持ち、最近、このブログを読み始めた百姓の子の一人です。
(中略)
これがWTOが定めた有機農産物貿易のルールです。そのため、欧米、ことにアメリカにとって日本市場にオーガニック農産物を輸出するためには、是非この有機認証制度を日本で作らせる必要があったのです。

こうした外国の、ありていに言えば、アメリカの利害によって作ることを命ぜられた法律、これが有機JASです。
私が有機JASは日本の有機農業のために生れたのではなく、アメリカの利害のために生れたグローバリズムの法律だと言っているのは、そのためです。

を読んで、竹中ー小泉前政権が、米国の年次改革要望書に沿って政策を進めたと言われていることに対応しているように思いました。

(引用終了)

そのとおりです。
私は有機JASが「トロイの木馬」であると考えるようになってきました。では、何の軍勢を引き込んだのか?明白です。アメリカを中心とするグローバリズムの軍勢をです。
そして、この有機JASに現れたグローバリズムの波は、もちろん単独の波ではありませんでした。1989年の日米構造協議、94年から始まる年次改革要望書と絶えるまもなく繰り出される対日経済要求のわずかひとつの波でしかありません。

_edited_2 このアメリカの年次改革要望書という内政干渉まがいの圧力が本格化するのは、小泉-ブッシュ会談の2001年6月の日米経済パートナーシップからでした。
この小泉-竹中構造改革路線はこれと完全に照応しています。この流れの行き着いたところが郵政改革というアメリカにわが国を売り払う政策でした。

また小泉-竹中改革は、プライマリーバランス論という名で緊縮財政を国民と地方に押しつけました。
結果、惨憺たる有様です。

一方、有機JASは1997年ころより協議に入り、2000年には施行案が提示されており、2001年4月に本格施行されました。
時期的には重なっていますが、小泉元首相の指導関係はあきらかにはなっていません。しかし、明らかに農業分野における「構造改革」のさきがけであったことは確かです。
それは感覚的にではなく、この有機JAS法が国内農業の必然から生れたのではないことでわかるでしょう。この法律は外国からやってきました。コーデックス(国際食品規格委員会)というWTO傘下の組織から交渉が始められ、各国共通の有機農産物基準法が日本に制定されました。

_edited_3 そしてこの法律は一種の貿易の「受信器」であり、「発信器」である同質な外国法と対になっているのです。このような国際規格平準化の大きな例は既にISOにあり、有機JASはこれをモデルにしています。

農水省の頭の中に、このような日米構造協議の流れが入っていないはずもなく、やがて近い将来に来るであろう農業グローバリズムのテストケース、はっきり言えば生贄に有機農業を国際貿易の祭壇に捧げたのです。

しかし、このような日米構造協議-米国の年次改革要望書-小泉・竹中構造改革路線-郵政改革が、ひとつの大きな俯瞰図で私たちが見られるようになったのはわずか数年前にすぎません。
これはご承知でしょうが、関岡英之氏の「拒否出来ない日本」(文春新書)、「奪われる日本」(講談社新書)という衝撃的な著作を待たねばなりませんでした。氏のこれらの労作により、多くの日本人は小泉-竹中政権によって、とてつもなく巨大な売国的詐欺にあったことを知ったのでした。

この私もそのひとりです。そして気がついたからこそ、たとえひとりの声であろうとも発すべきだと考えました。結果、私の社会的営為の10年間を否定することになろうとも、です。

この日米協議-構造改革路線は、形を変えて民主党政権に受け継がれています。今後も継続してウオッチをしなければなりません。
ところで、日経ネットの記事(10月4日)に爆笑するような記事が載っていましたので転載いたします。

小泉純一郎氏は「子ども手当を支給する一方で消費税率上げを4年間やらないのであれば、他の予算をよほど削らないとできない」と民主党の政策に言及。「小泉より徹底的に(歳出削減を)やるのかどうか。(やるのなら)構造改革を忠実に継いでいるのは民主党だ」との見方を披露した。(01:10)

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090930AT3S3002030092009.html

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私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その7  なぜ、かつてのタペストリーのような有機の畑は消えたのか?

Img_0002_2 2日間のお休みをいただきました。
葦原微風様、ありがとうございました。いただいたコメントがなければ、もうしばらく書くのは止めようかと気弱に思っていた時でしたので、強い気持を頂戴いたしました。
なかなか自分の関わったことを書くのはしんどいものです。自分の手袋が白いことを証明するためにではなく、自分の成したことがいかなる結末を見たのかを知るのは、なかなかしたくはないことです。

さて、グローバリズムは決して抽象的な事柄でもなければ、海の彼方にあることでもありません。むしろ私が日々日常でその中に住む世界の中にこそ、グローバリズムがあるのだということを知るために、このシリーズを書き始めました。

えてして、私たち有機農業の世界に住む住人は、高踏的と言われる場合があります。どこか日本農業に対しても、突き放したというか、容赦のない批判者に終始しています。
私は、ある高名な有機農業者の口から、「長年の誤った化学農薬と化学肥料への依存が、今の日本農業の衰退を生んだのだ。反省して、一切の化学農薬と肥料を切ることから始めろ」という言葉が吐かれたのを聞いたことがあります。

Img_0005 これは、もちろんその人の確かな経験と理論から生れているわけですが、なんと無慈悲な言いようでしょうか。なんと相手の生き方を断ち切る言葉なのでしょうか。私が既存の農家ならば、金輪際、こんな連中とは関わろうと思わないことでしょう。


私はその同席したその場で、「違う!断じて違う!」と心の中で吠えていました。自分の到達した地点をして山頂と見なすなら、なんとでも言えます。では、今の日本の有機農業が置かれた位置はなんなのですか。その人が居る高嶺は、道標なき独立峰ではないですか。

その高名な農業者も有機JASの認証団体の責任者も勤めています。しかし、自分の農場は有機JASに入れていません。この自分の中にあるギャップに向き合わないで、他者へ原理的な決めつけをするならば、それはどこかおかしいと私は思うのです。

Img_0006 なぜ、有機農業に一般の農民がそれぞれの道を辿ってやってこれないのか、何が立ちふさがっているのか、その障害の原因を明らかにせずに、「農薬を切ってこい」ではなんの解決にもならないのではないでしょう。

私は、多くの原因があると思いますが、その筆頭に有機JAS制度を挙げます。

有機JAS制度の前の有機の畑は精緻なつれづれ織りのようでした。
初夏ともなると、茄子の根本にはねぎやニラが植えられ、トウモロコシの茎を支柱にしてインゲンのツルが巻きつき、水田の畦の淵には大豆が育っていました。シャレた言い方で、このような農法をコンパニオンプランツ、混植(混作)といいます。ねぎが好むシュードモスという土中微生物の働きを借りて、病害虫に弱いナス科を守る知恵です。

ちょっと前までの有機農業をやっている農家は、いっぺんに大規模な作付けをしなかったものです。だいたいが、2畝~5畝(1畝=0.1アール)といったところです。
その理由は、畝ごとに互いに相性がいい作目を植えることができるからです。ナス科の横にユリ科、ユリ科の横にはセリ科を植えたりして、できるだけ、人様が虫をとったりする手間をかけずに、自然界が自分で勝手にやってくれる仕組みを作っていたのです。そうです、
「自然界が勝手にやっいてくれる仕組み」を少しばかり手伝うこと、それが有機農業なのです。

Img_0078 そう言えば、ハーブなどというと、今やイタリアンの流行で多く作りますが、初めに畑に植えてみた農家は、食べようというより、その強烈な臭気(失礼)で害虫を追い払うために作ったのが始まりです。バジルなどは害虫予防に効きます(笑)。春菊も強烈に土壌せん虫を寄せつけません。マリーゴールドもそのような働きをします。

ところが、このようなタペストリーのような畑を今作ろうとすると、「有機農産物」の名での生協や大規模流通への出荷はあきらめねばなりません。もうお分かりですね、有機JASのシールがつけられないからです。

もちろん、有機JASの基準にはただの一行も、混植をやめろとか、一作をどれだけの面積にしろとなどとは書いてありません。それはあくまで農家の自由であることは確かなのです。しかし、現実にやってみたらわかる。茄子の根本のネギやニラを、どのように管理票に書くのか・・・?!
そして仮にそれができたとして、あの煩雑にして膨大な認証システムに乗せる手間と意味がどれだけあるのか。

・・・ナンセンスです。無意味。それは伝統的農法の破壊でしかない。

Ezln_1_3有機JASは、イリノイの広大なとうもろこし畑や、オーストラリアの小麦畑にふさわしい。ここはアメリカでなければ、オーストラリアでもない、日本という湿潤な、褶曲に満ちた、その里と森にそれぞれの神が宿りたもう土地なのです。
細々とした作物を、土にはいつくばるようにして、年に四季折々40品目以上を慈しみ作る土地なのです。飛行機で種と農薬をばらまいて、大型ハーベスターで収穫する国と同列にしないでいただきたい。

今、日本型有機農業は消滅するか、JAS有機制度の外にその世界を求めようとしています。あるいは今まで通りの孤立した高嶺に留まって終わろうとしています。
そしてその代わりにやって来たのが、有機農業の大型化と単作化、つけ加えるのなら外国有機農産物の流入です。この流れは押し止めようもなく、今も続いています。

有機JASは日本の有機農業のいわば構造改革でした。今までのあり方を守旧派として切り捨て、新しい有機JASによる新世界を夢見たのがこの私です。結果、私は日本の有機農業に対するグローバリズムのトロイの木馬の役割を果たしてしまいました。

私はこれが大きな誤りであったと認めます。時間がかかりましたが、そう思います。そのことで初めて、メキシコの密林で今日も戦うサパティスタの農民と笑顔で話ができるのではないかと思います。

■写真の最下段は、メキシコのサパタ民族解放軍のインディオの農民。覆面をしているのは、弾圧を家族に及ぼさないためと、自分は多くのメキシコのインディオのひとりなのだという意思表示だといいます。

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