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農業は金では計れない

Img_0009_2 実は私、恥ずかしながら大学でマルクス経済学の学徒でした。宇野学派です。大内力先生の流れの中山弘正先生に師事しておりました。

ゼミで資本論三篇を読み通したというのが、ボンクラ学生時代の唯一の自慢です。ただし、今は情けないことにほとんど覚えておりませんが。
また先生の専門が社会主義農業経済学でしたので、社会主義各国の農業の実態を勉強しました。


で、実際自分が農民になって25年たったわけですが、そうとうにそこから離れたところに今、私はおります。
それは農業という私の家業が、なにやらわけのわからない存在だからです。農家はマルクス経済学でいうところの「労働者であり農業経営者であり土地を持つ農業資本家」と言えないこともありませんが、そのようなマル経的な概念既定にぴったし当てはまるのかどうなのか、深く疑問に思うようになっています。

「資本家」とか「労働者」という概念既定自体が、私は農業の「外」から来た概念ではないかと思っています。そのような単純な、あるいは単線的な生産-消費プロセスとは別な次元に農業はあるのではないでしょうか。
ですから、アメリカ農業は、私からいわせれば、単なる穀物生産工業であって、工業の延長であり、とても農業には見えません。

たぶん農業ってもっと複雑なナンカなのです。

日本の農業のありようは、環境を創造し、保全し、再生し、おこぼれを頂戴して生活を立てている仕事だと思っています。単に経済、言い換えれば金だけで測れないのです。

具体的に言ったほうがいいでしょうね。例えば、田まわりをするとします。純粋に経済学の範疇で考えれば、田まわりを減らせば経済効率が上がることになります。近経(近代経済学・もはや死語)で言えば、生産コストのうち労働コストが低減することにより、製造物コストが押し下げられます。そのことによって商品はより安価になり、市場競争力を持つわけです。
コストをかけるな、ひたすら安くしろ、これが経済の永遠の鉄則です。お前、何やってんだよ、下請けのコストを叩くのが仕事でしょう、というわけですね。 この伝でいえば、田まわりなんぞ止めてしまったほうがいいわけです。実際、経済同友会あたりが考える米作りですと、パイプラインと同調した水位センサーによるコントロールということになるわけでしょうね。

一方マル経においては、価値は労働力の中からのみ生じるということになっていますから、田まわりをすればするほど、汗をかく、労働時間はかかる、そこで剰余価値は上がります。ただし、そのことによって商品の価格も上がり、市場競争力は下がるでしょう。笑い話で、旧ソ連のコンピュータは重量が重いほうが価値があったそうです。なぜなら、それだけ剰余価値が多く含まれるから(笑)。 それはともかく、市場競争力を落さないためには、余計な労働をしないか、したらその分の労働力の再生産(←要するに食うためですな)のために賃金を上げろ、戦うぞ、オーっ!ということになります。雇用-被雇用関係から逃れられないんです。

ガサツな言い方で恐縮すが、入り口こそ違いますが、マルクス経済学も近代経済学も、農業を経済効率という単一の絶対的尺度でしかとらえられないとしたら、同じ穴のムジナなんです。

田まわりを減らせば、てきめんに水管理がおろそかになります。うっかり田んぼの堰が詰まっていたりして水位が下がったりすれば、ドエライことになります。干上がるわけです。活着した稲のみならず、そこに棲む多くの生きものが死にます。
あるいは、近経が教える労働コストの削減をするために、田んぼの雑草や畦の草をアイガモや刈り払い機で切ったりしていたものを、除草剤をパッと振る。一回で作業は終了しますが、それによって、畦の生物相や植物相は壊滅的な打撃を受けます。


コモリグモという、ウンカの天敵がいますが、こいつは人相は悪いがすばらしい田んぼの友です。多くのクモ類、あるいはカエルなどは害虫の天敵です。これらが多くいる田んぼこそが「いい田んぼ」の条件です。
では、このクモ類やカエル諸君は、経済学的にはなんという項目に入れたらいいのでしょうか?

確かに労働力コストはかかるが、こいつらと共に田んぼを維持していくことが、長い眼で見れば良好な田んぼが維持できるわけです。キザな言い方になりますが、私は中島紀一先生のおっしゃるように「農業は金では計れない」と思っています。ですから経済学は農業となじみません。

マルクス経済学には、「環境」というパートはありませんでした。なんせ19世紀の真ん中に出来た学問だからです。当時、環境は無限に収奪が可能だと思われていました。結果、このマルクス経済学を金科玉条にした社会主義農業は、ことごとく失敗に終わりました。
なぜでしょうか?社会主義うんぬんというイデオロギッシュな問題を置いて、大きくはふたつあります。

ひとつは、農民が単なる集団農場や共同農場の農業労働者になってしまったために働かなくなったからです。ブレジネフ体制の末期には、出来たジャガイモを、収穫する労働者は収穫だけ、どんなに倉庫で腐ろうとも生活ができる。そしてジャガイモを運ぶ労働者は運ぶだけ。ただ運べばいい。途中でイカレてもそれはわれ関せず。路線が止まったら、それは鉄道労働者の仕事。
かくて農場から都市に着く頃には、生産量の半分にも満たないわけです。ところが、地方のゴスプラン(経済計画局)は、畑の数字を中央ゴスプランに上げますから、すごくいい数字しか出ないわけですね(笑)。今の中国の最悪の製品は統計数字だそうです。と、まぁ社会主義と統計数字は相性が悪いようです。
しかも、生産物は私有財産の概念自体がないので、盗み放題。ブレジネフの自伝にも、恥ずかしげもなくコルホーズ時代のかっぱらいが楽しげに書かれています。


次に、環境です。環境についてマルクスは一言も言っていないので、外部環境は単なるゴミ捨て場か、開発を待つ未開地だけになりました。公害廃棄物は捨て放題、未開地は乱開発。旧東欧や、現在の中国の環境汚染のすさまじさは眼をおおうばかりです。市民団体が許されないだけ歯止めが効かない。
これを50年間もやれば、間違いなく確実に国が滅びます。

話しを戻しましょう。
農業は経済の言葉だけでは語れない。これが私の信念です。
日本の自然はただ漠然とあるのではなく、「作られた」自然です。誰が、何の為に?そう、百姓が、農業のために作った精緻な自然システムなのです。それは米を食うためであり、多くの換金作物を作るためでもありました。そのかぎりにおいては「経済」です。
ただし、経済であるだけではなく、自然と共にある、いやそのようなニュアンスでは当たらないな・・・そう「育てて守る経済行為」なのです。
それを私たち後世の者は、美しい景観だと感じるのではないでしょうか。

この景観、あるいは風景は農業や林業が作ったのです。だから、尊いのです。それが「価値」です。そしてめげずに、いやめげながらも維持しています。だから、たまには言ってほしいと思います、あんたら、農業もちょっとエライと。

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