農民は国家が勝手に動かせる将棋の駒ではない
百姓の子様がおっしゃる兼業農家ができた理由というのは、胸に重く残ります。
高度成長期の都市へ金の卵ともてはやされて、両親に別れを告げて次男、三男、娘は村の峠を超えて行ったわけです。
また少なくなった労働力を補完するように農業の機械化が進みました。クワ一本と労働馬の作業から、耕運機の登場。このあたりは私と同年代の50代後半の農家が皆、酒を飲むと盛り上がるネタです。もう私のようなにわか百姓の出番はない。
私自身も沖縄の百勝修行では丸々一年スコップとマンノウの手起こしという時代錯誤な体験をしていますから、多少の経験を言うと、仲間からそろって、「ハマちゃんのはただの趣味。俺らのは親父に命じられてイヤイヤ泣きながらだから、ゼンゼン違う」などと馬鹿にされてしまいます。
ガキの頃から、学校から帰ると遊びに行きたいのに親父に首根っこを掴まれて田んぼに投げ込まれて草抜きをさせられたそうです。当然、土日は、当時土曜は「半ドン」などというもので、午後だけ休みだったわけですが、帰るとイヤもウーもスーもない。
イヤだから学校帰りにガキ仲間と山で遊んで夕方に帰ると、とっぷりと暮れてから泥だらけで帰った親父に黙ってかなり痛いゴツンをされ、おっかぁは怒って口をきいてくれないんだそうです。これは効いたなって。
「俺、ほんとうに田んぼ嫌いだったなぁ。足は鉄ゲタでも履いているみたいに抜けねぇし。俺、中学の柔道部で県大会まで出られたのは、この田んぼのおかげだと思ってる」
「そうそうあの泥さ相手は相撲みたいなもんだっぺよ」
「はじめは胸だけだった泥が、やがて全身に飛び散るし。あの、泥の匂いが体中に染みついて、風呂入っても爪の間の泥もぬけねぇべぇ。高校で隣町にさ行った時、爪の泥さ隠したもんな」
「シャツさ泥で染まって、シャレた茶渋色になったぺな」
「泥さ、いくら洗ってもぬけねぇんだよな。第一俺らガキの頃、洗濯機なかったもんな。おっかぁ洗濯、苦労したっぺな。今の嫁は楽だべぇ」
腰が曲がるほど、鼻が泥につくようにしてコナギや、ヒエを抜きます。田から上がると腰がまっすぐに伸びない、沖縄の言葉で「腰ゆっくい」という言葉があるのですか、これは田んぼの仕事がすべて終わった後の村の衆の宴です。
「腰ゆっくい」・・・曲がった腰をようやくゆっくり伸ばせるささやかな楽しみ、極楽。収穫をした後のとろけるような気持ち。
今日だけは飲みあかそう。踊りあかそう。
田んぼは農民にとって、最大の苦役であり、そして喜びだったはずです。
そして、あの除草剤の一番手であるDDTが登場したのです。
これは農家にとって「福音」でした。炎天下に゛背骨が曲がるような重労働からの解放に思えたからです。
そして耕運機、バインダー(稲の結束機)が農家に行き渡ります。これと歩調を揃えるようにして、今まで「金肥」といわれて使えなかった化学肥料や、化学農薬が、安価に農村に流入するようになります。
日本農業の機械化、化学農法化による合理化は、まさにこの米作りという日本農業の心臓部から始まりました。これは同時に機械化による負担増に耐えきれない農家の離農をも生みました。
農家の労働力や販売価格は、ギリギリであるのに、コストばかりかかってしまう。これで成り立つはずもない。高度成長期以前の農業が、家族労働を丸ごと投入してなんとかしのいできたのに、その家族労働力を都市に吸い取られて、あげく選ばされたのが「農業の近代化」という美名の元の機械化、農薬使いまくりの農業だったのです。
そして最後のとどめは、食糧管理法の改正ではなかったかと思います。今までかろうじて丸ごと国家の買い上げという、ぬるま湯的な条件が変化しました。国が財政的に耐えられなかったからです。
このような時代の流れに翻弄されるようにして、農家は兼業化の道を「選ばされた」のです。選んだのではなく、選ばされたというのが農家の本音です。
戦争には兵隊をもっとも出し、遺族を作ったのは農民でした。農家の三軒に一軒は遺族です。
そして戦中戦後、国から米をたくさん作れと命じられれば懸命に増産し、国が復興した高度成長期には、労働力が足りないからと、伜や娘を出せといわれれば出した。あげくおかぁとふたりで頑張って、高い機械も買った。赤字になっていっそう苦しくなり、兼業になるものも増えた。
そして米が余るから今度は減反だ。田んぼの4割をやめろ。代わりに麦や大豆を植えろ。
そして、今やお前らは国際競争力がないときた。国のお荷物だと言われて、企業が農民に替わって農業をやってやるといって、ドカドカ農村に入ってくる時代になる。
このような歴史を共有しているわけでもないにわか百姓の私からもひとこと言いましょう。
冗談ではない。百姓を馬鹿にするのもいいかげんにしろ!農民は国家が勝手に動かせる将棋の駒ではないのだ!
« 農家の経営赤字を尺度にする民主党農家戸別所得保障政策の怪 | トップページ | 兼業農家が固定化されたわけ »
「日本の農業問題」カテゴリの記事
- EPA発効 日本農業にはよい刺激となるだろう(2019.02.02)
- TPP 兼業を守ることが農業保護ではない(2016.02.06)
- コメントにお答えして エサ米は市場原理から逸脱している(2015.10.14)
- TPP交渉大筋合意 「完全敗北」だって?(2015.10.12)
コメント
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 農民は国家が勝手に動かせる将棋の駒ではない:
» 見識において”部外者” [神門善久「日本の食と農」を読む]
神門善久 教授などの「農業の再生を」とおっしゃる”非農業者”の言説の多くはヒトゴトです。
かなり極端な無責任な事を、無自覚におっしゃる方がいらっしゃいます。
他人事に悪態をついて喜んでいるだけにしか聞こえない場合があります。
大概のその様な人は、当事者である農業者を踏みつけにしても自覚が無いようです。
そのような人は、見識において”部外者”であるというのが私の判断です。
『自分では実行しない事を、当事者を尊重せずにあれこれ断定する』という事は寝言にすぎない。
そんな事もわからない「共に談ずるに足... [続きを読む]
祖母は、稗が出ている田んぼを見ると「こんな風にしておくなんて、恥かしい事だ」と言っていました。今は田んぼ中、びっしり稗が出ている所が有ります。機械化されたせいでしょうか。
母は8月初旬に行う、田の草取りが一番苦しかったと言っていました。心臓がアブって死ぬかと思ったが、続けるより仕方が無かったといっていました。
ところで除草剤なら、2,4-Dでは無いですか。
投稿: 八目山人 | 2009年10月30日 (金) 23時09分