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2009年10月28日 (水)

10年先まで続く国内自給率を地域に根付かせたい

Img_0004_edited1 ゆっきんママさんありかとうございます。ご忠告どおり、vista使いにくいですぅ。要するに、こりゃ、音楽や映像をダウンロードするためのOSなんですね。

私はネットから音楽をダウンロードするなんて考えてもいなかったもんな。
今やアルバムの曲のバラ売りまでやってんのね。私、骨の髄までゴリゴリのアナログ男ですので、それが技術的に可能かどうかという前に、まずイヤダが出てしまいます。

音楽アルバムは、当たりもハズレも含めて一個の作品群で、並べ替えること自体、かつてはなんて不届きなと、生活指導のジャージ教師みたいに思っていたくらいです。それをバラ売りなんて。、
かつて、45回転(←諸君、そたらもんがあったのだよ、はぁ)シングルカットのA面に出るか、B面に下がるかで、ジョンとポ゚ールが神経戦を演じたことなどアホくさ、ってことですもんね。

さて、ゴロリと話題は変わります。百姓の子様ありがとうございます。

自給率の件ですが、カロリーベース計算の妥当性を仰せです。
この間の私の記事を読まれればお分かりと思いますが、カロリー自給率は、現場の私たち農業者や消費者の実感と大きく乖離しています。この「実感との乖離」ということを私は重視します。
ですから、あの政府広報のCMでも、「さぁ、あなたもやってみよう」みたいなことを言っていますが、実際交換表片手にカロリー計算で自給率を出すことができる人などほとんどいないはずです。

ほとんどの消費者は買った価格で、自分の自給率を見るはずです。また私たち出荷サイドも、カロリー計算表や飼料自給率を乗じてなどというたわけたことをする者は、まず皆無のはずです。このような実感と乖離した数字とは一体なんなのでしょう?

日本の畜産がおっしゃるように外国穀物によっていることは周知のことです。私もかつてシリーズでこのことを取り上げました。このことを無視する気はいささかもありません。常に私の仕事の主調低音としてあります。いくたびもその飼料自給の試みにも挑戦しています。

ですからかえって、日本畜産における自給率は「人と建物だけ」という言葉には軽々にうなずくわけにはいきません。農業とはおおざっぱに土地、人、生産物の要素でできていると思います。

ならば、最後の生産物という一要素のみを抽出して、その他の要素を切り捨てるのかと私は思います。それは作る人、育てる人、管理する人、それが生きる風土を切り捨てることになりはしませんか?

私は、飼料だけがカロリー自給率の範疇外であるからといって、「あんたの養鶏業は自給率はたった5%にすぎぬ」という人と土の要素をなめきった農水官僚の言い分に同意できません。

そのようなことは霞が関の机上の空論であると思っています。なぜか?それは、「自給率」という概念そのものが、全く使えない概念だからです。それはカロリーベースであれ、販売ベースであれです。

これについては、後にしっかりと考えていくのでスケッチと思っていただきたいのですが、「国産自給率」という概念を押し立ててどのように日本農業を変えていきたいのでしょうか、そここそが問題です

国産自給率は、これを押し上げるためにはこれらの品目を作らねばなりません。つまり、麦、大豆、油糧作物である菜種などです。これらを作れば、一発で国内自給率は上がります

それを増産していこうというのが自民党野4品目横断政策です。同じく、これを作ったら農家に金を直接に出しますというのが民主党の農家戸別所得保障制度です。おかしなことに方向こそ違えまったく同根です。

さて問題はここからです。私たちの行方市で麦や菜種を作る意味です。生産者としての作る意欲です。
仮に、私が菜種を作るのなら、(実際作りましたが)作った後の製品のありよう、売り先、その商品コンセプトまで考えて、各方面とコラボするでしょう。
それは農産品を単なる素材出荷だけにとどめず、そこからつながるマーチャンダイジング(商品化)までをも農家のものにしたいと思うからです

麦にしてもそうです。私たち茨城南部の風土にあう麦はなにか、何に適した麦なのか、その麦を作ってどこに売るのか、何を作るのか。そのようなことは、大雑把な「国産自給率向上」などというパーチャルな概念ではなく、各地域、各村で真剣に考えるべきことです

さもないと作っても商品にならない。ですから、麦増産を唱える人の一部には、政府買い上げということを安易に唱えています。冗談ではない。こういう発想が農民を腐らせたのです。

今のような安易な国産自給率向上運動の先は見えています。しっかりと各地域で根付くことをせねばなりません。政党や官僚が自分の手柄にするそれではなく、10年先にも続く地域からの自給です。

その意味で、国産自給率をカロリーで取ろうと、販売額で取ろうと本質的な問題ではないと思っております。

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コメント

百姓修行、日本の農業問題等を保存して
関心を持って拝読しつつあります。

畜産(養鶏・酪農を含む)の安い輸入
穀物飼料による日本農業は深刻な問題を
抱えていると思っています。地球温暖化
による異常気象による災害や飢饉の問題
更には植物を石油の代替油にする動き等
を考慮すると。

昭和30十年代までは、稲作の裏作に
麦や菜種をつくり、大豆も作っていました。
それらは人や家畜の食料自給にかなり
使われ、外国の穀物に依存する割合は
現在よりかなり少なかったように理解
しています。

都会の人が国産の肉や卵を食べるときに
日本の農家の労働のお陰だけでなく外国
の安い穀物の飼料のお陰であることを
自覚することも大切と思っています。
途上国等の食糧難のところ人間が食べる
と飢饉の対応になるが、金持ちの日本が
家畜の飼料として外国の安い穀物を買って
いるという批判があることもご存じかと
おもいます。

40-50年前の日本農家の問題として
所得が少なかったので、子どもが大学に
行くことは少なかったです。
当時、私が愛読した松田喜一の本でも
都会のサラリーマンのように金を稼ぐ
ことは難しい旨を書いていました。

所得が少ないことが農業の継承の難しさ
と理解しています。

確かに、才覚のある稀な農業者は私の
周りにも1-2人はいますが、私には
その様な才覚はありません。だから母は
農業を私はやっていけないだろうと諭し
結局、農業に関心を持ちつつサラリーマン
をしています。

濱田様のよう専業農家をされている人に
憧れを持っています。

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