私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ その7 なぜ、かつてのタペストリーのような有機の畑は消えたのか?
2日間のお休みをいただきました。
葦原微風様、ありがとうございました。いただいたコメントがなければ、もうしばらく書くのは止めようかと気弱に思っていた時でしたので、強い気持を頂戴いたしました。
なかなか自分の関わったことを書くのはしんどいものです。自分の手袋が白いことを証明するためにではなく、自分の成したことがいかなる結末を見たのかを知るのは、なかなかしたくはないことです。
さて、グローバリズムは決して抽象的な事柄でもなければ、海の彼方にあることでもありません。むしろ私が日々日常でその中に住む世界の中にこそ、グローバリズムがあるのだということを知るために、このシリーズを書き始めました。
えてして、私たち有機農業の世界に住む住人は、高踏的と言われる場合があります。どこか日本農業に対しても、突き放したというか、容赦のない批判者に終始しています。
私は、ある高名な有機農業者の口から、「長年の誤った化学農薬と化学肥料への依存が、今の日本農業の衰退を生んだのだ。反省して、一切の化学農薬と肥料を切ることから始めろ」という言葉が吐かれたのを聞いたことがあります。
これは、もちろんその人の確かな経験と理論から生れているわけですが、なんと無慈悲な言いようでしょうか。なんと相手の生き方を断ち切る言葉なのでしょうか。私が既存の農家ならば、金輪際、こんな連中とは関わろうと思わないことでしょう。
私はその同席したその場で、「違う!断じて違う!」と心の中で吠えていました。自分の到達した地点をして山頂と見なすなら、なんとでも言えます。では、今の日本の有機農業が置かれた位置はなんなのですか。その人が居る高嶺は、道標なき独立峰ではないですか。
その高名な農業者も有機JASの認証団体の責任者も勤めています。しかし、自分の農場は有機JASに入れていません。この自分の中にあるギャップに向き合わないで、他者へ原理的な決めつけをするならば、それはどこかおかしいと私は思うのです。
なぜ、有機農業に一般の農民がそれぞれの道を辿ってやってこれないのか、何が立ちふさがっているのか、その障害の原因を明らかにせずに、「農薬を切ってこい」ではなんの解決にもならないのではないでしょう。
私は、多くの原因があると思いますが、その筆頭に有機JAS制度を挙げます。
有機JAS制度の前の有機の畑は精緻なつれづれ織りのようでした。
初夏ともなると、茄子の根本にはねぎやニラが植えられ、トウモロコシの茎を支柱にしてインゲンのツルが巻きつき、水田の畦の淵には大豆が育っていました。シャレた言い方で、このような農法をコンパニオンプランツ、混植(混作)といいます。ねぎが好むシュードモスという土中微生物の働きを借りて、病害虫に弱いナス科を守る知恵です。
ちょっと前までの有機農業をやっている農家は、いっぺんに大規模な作付けをしなかったものです。だいたいが、2畝~5畝(1畝=0.1アール)といったところです。
その理由は、畝ごとに互いに相性がいい作目を植えることができるからです。ナス科の横にユリ科、ユリ科の横にはセリ科を植えたりして、できるだけ、人様が虫をとったりする手間をかけずに、自然界が自分で勝手にやってくれる仕組みを作っていたのです。そうです、「自然界が勝手にやっいてくれる仕組み」を少しばかり手伝うこと、それが有機農業なのです。
そう言えば、ハーブなどというと、今やイタリアンの流行で多く作りますが、初めに畑に植えてみた農家は、食べようというより、その強烈な臭気(失礼)で害虫を追い払うために作ったのが始まりです。バジルなどは害虫予防に効きます(笑)。春菊も強烈に土壌せん虫を寄せつけません。マリーゴールドもそのような働きをします。
ところが、このようなタペストリーのような畑を今作ろうとすると、「有機農産物」の名での生協や大規模流通への出荷はあきらめねばなりません。もうお分かりですね、有機JASのシールがつけられないからです。
もちろん、有機JASの基準にはただの一行も、混植をやめろとか、一作をどれだけの面積にしろとなどとは書いてありません。それはあくまで農家の自由であることは確かなのです。しかし、現実にやってみたらわかる。茄子の根本のネギやニラを、どのように管理票に書くのか・・・?!
そして仮にそれができたとして、あの煩雑にして膨大な認証システムに乗せる手間と意味がどれだけあるのか。
・・・ナンセンスです。無意味。それは伝統的農法の破壊でしかない。
有機JASは、イリノイの広大なとうもろこし畑や、オーストラリアの小麦畑にふさわしい。ここはアメリカでなければ、オーストラリアでもない、日本という湿潤な、褶曲に満ちた、その里と森にそれぞれの神が宿りたもう土地なのです。
細々とした作物を、土にはいつくばるようにして、年に四季折々40品目以上を慈しみ作る土地なのです。飛行機で種と農薬をばらまいて、大型ハーベスターで収穫する国と同列にしないでいただきたい。
今、日本型有機農業は消滅するか、JAS有機制度の外にその世界を求めようとしています。あるいは今まで通りの孤立した高嶺に留まって終わろうとしています。
そしてその代わりにやって来たのが、有機農業の大型化と単作化、つけ加えるのなら外国有機農産物の流入です。この流れは押し止めようもなく、今も続いています。
有機JASは日本の有機農業のいわば構造改革でした。今までのあり方を守旧派として切り捨て、新しい有機JASによる新世界を夢見たのがこの私です。結果、私は日本の有機農業に対するグローバリズムのトロイの木馬の役割を果たしてしまいました。
私はこれが大きな誤りであったと認めます。時間がかかりましたが、そう思います。そのことで初めて、メキシコの密林で今日も戦うサパティスタの農民と笑顔で話ができるのではないかと思います。
■写真の最下段は、メキシコのサパタ民族解放軍のインディオの農民。覆面をしているのは、弾圧を家族に及ぼさないためと、自分は多くのメキシコのインディオのひとりなのだという意思表示だといいます。
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コメント
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濱田さんの;
(引用開始)
有機JASは、イリノイの広大なとうもろこし畑や、オーストラリアの小麦畑にふさわしい。ここはアメリカでなければ、オーストラリアでもない、日本という湿潤な、褶曲に満ちた、その里と森にそれぞれの神が宿りたもう土地なのです。
細々とした作物を、土にはいつくばるようにして、年に四季折々40品目以上を慈しみ作る土地なのです。飛行機で種と農薬をばらまいて、大型ハーベスターで収穫する国と同列にしないでいただきたい。
今、日本型有機農業は消滅するか、JAS有機制度の外にその世界を求めようとしています。あるいは今まで通りの孤立した高嶺に留まって終わろうとしています。
そしてその代わりにやって来たのが、有機農業の大型化と単作化、つけ加えるのなら外国有機農産物の流入です。この流れは押し止めようもなく、今も続いています。
(引用終了)
の記載から日本では有機農業のブランドで食料を生産することが、とても厳しい状況であることが伝わって来ました。
(引用開始)
有機JAS制度の前の有機の畑は精緻なつれづれ織りのようでした。
初夏ともなると、茄子の根本にはねぎやニラが植えられ、トウモロコシの茎を支柱にしてインゲンのツルが巻きつき、水田の畦の淵には大豆が育っていました。シャレた言い方で、このような農法をコンパニオンプランツ、混植(混作)といいます。ねぎが好むシュードモスという土中微生物の働きを借りて、病害虫に弱いナス科を守る知恵です。
ちょっと前までの有機農業をやっている農家は、いっぺんに大規模な作付けをしなかったものです。だいたいが、2畝~5畝(1畝=0.1アール)といったところです。
その理由は、畝ごとに互いに相性がいい作目を植えることができるからです。ナス科の横にユリ科、ユリ科の横にはセリ科を植えたりして、できるだけ、人様が虫をとったりする手間をかけずに、自然界が自分で勝手にやってくれる仕組みを作っていたのです。そうです、「自然界が勝手にやっいてくれる仕組み」を少しばかり手伝うこと、それが有機農業なのです。
(引用終了)
記載は、少し古くからの日本の複合農業を思い起こし、特に、
(引用開始)
できるだけ、人様が虫をとったりする手間をかけずに、自然界が自分で勝手にやってくれる仕組みを作っていたのです。そうです、「自然界が勝手にやっいてくれる仕組み
(引用終了)
は、福岡正信の自然農法を思い起こしました。
濱田さんの諸記載から経済グローバリズムという帝国主義段階の資本主義での外国資本が日本の農業社会に入ってこようとしている凄まじさが伝わって来ます。
投稿: 百姓の子 | 2009年10月 4日 (日) 19時19分
はじめまして。
JAS制度を調べていて辿り着きました。親父が有機農業を止めた理由が知りたかったのです。
濱田さんのおかげでなんとなくですが、わかった気がします。それに大変勉強になりました。
これからもブログ拝見させてもらいますね。
投稿: mas | 2012年6月 6日 (水) 23時47分
サパタ
西部劇では悪役の首領の名前と決まっていますが、
エミリアーノ・サパタ
メキシコ革命の大立者ですね。
彼の言葉に
「圧制者に対して正義を求めるなら、
手に帽子を持っているのではなく、
拳に銃を握っていることだ」
というのがありましたね。
エジカム・ピンチョンの本にあったのですけれど。
投稿: 仙 | 2012年6月 8日 (金) 12時38分