自然発生的に生まれた農業団体の限界・地縁血縁の強さ
有機農法ギルドの前身というのはいくつかステップがあって、いくつかの団体を経てギルドとなっていったのですが、前身の団体では、安定した出荷先を得るために狭いパイを争うような苦しい時期すらありました。
ああ実にみっともないと思いますが事実です。
というのは、いまでこそ有機農産物は供給量不足ですし、先の記事でものべたような「大地を守る会」や「ポラン広場」にしても当時はミニ団体だったわけです。「大地」さんなど今は幕張の巨大インテリジェントビルに納まっていますが、当時は深大寺でそれはつましく、汗だくになって有機野菜を運んでいた時期だったのです。
ポランさんに至っては、リヤカーですぞ!文字通りどこからかで拾って来たようなリヤカーを引いて、それに大根やネギ、卵を積んで町を流していたのですからえらい。案外、このリヤカーが眼を引いて、よく売れたそうです。
ただし、売れるといっても量販店とはケタが違うのは当然で、こちらの出荷団体に来る注文も、まぁたいした量ではなかったようです。これをリーダーとなった主力の農家は、有機栽培がしやすい作物から自分に作付けていきました。ですから、後から来た農家はたまったもんじゃない。
ボス格の農家は、平然と大根とかサツマイモ、ごぼうなど、作りやすく大量に作れて、出荷時期にも幅があるものをがっちり取りますが、私たち駆け出しには、ほうれんそう、小松菜のような害虫にやられやすく、ひと雨きてカッと温度が上がろうもんなら徒長してしまうようなものしか作付けがこないのです。
これが自然発生的にできた出荷グループの特徴です。やはり何といっても、リーダー格の地縁血縁関係が重いのですね。とうぜん、それからはずれた者たちは面白くない。行方台地を縦貫する通称開拓道路の西と東で微妙な反目が生まれていったのです。
こんなことが引き金となって、地域の有機農業団体は分裂に分裂を重ねていくような哀しい時期が10数年続きました。私たち有機農法ギルドはそのような灰の中から、その反省を踏まえて生まれたのです。
さて今日は中島紀一先生の口頭試問じゃなかった、ゲストスピーチの日です。
3回連続で、私が第1回、2回があのアグリ山崎さん。茨城で大規模な稲作に挑戦している成長法人です。3回目は、ユニークな有機農業と地域作りを進めているJAやさとさん。
いずれもすごいメンツです。どうして私など呼ばれたのでありましょうや。手に人を書いて呑む、ん、呑んだぞ。
(続く)
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