小規模、家族経営、地域農業・私の経験から
仙様、コメントをありがとうございます。なるほど「大規模しないのなら否定されるべきなのか?」ですか。気分はわかります。うちなど大規模化しそこなって、2hの土地があるぜといっても未だ、もともとあった30aが経営の主力ですから。
私は経団連あたりがいう大規模でなくてはダメ、、家族労働ではなく法人経営、全国食料基地といった考えは、何言ってやんでぇと思っている男です。
ただし、農家が大規模したい、法人化するのならあえて否定しようとは思いません。
実はこの大規模化、法人化、ネット化という道は、私が創設した(←本業以外にこんなこともやってたんですなぁ。なんせヒマだったからなぁ)有機農法ギルドが辿った道でもありました。しかし、仙様、私たちはただ自分だけがデカクなればいいと思う思考はなかったのが一味違っていたところでした。
私がかつて構想したのは、地域農業の核になる農業団体を作ることでした。小規模家族労働の農家が力になるためには、あるていどの「規模」というか、サイズが要ります。特に有機農法というマイナーリーグのチャンピオンみたいな分野では、こんなことが悩みでした。
まず一戸一戸の規模が非常に小さいので、生産量が安定しないのがもっとも大きな悩みでした。畑の全量を有機栽培しているというのはごく稀で、むしろ私などそんなリスキーなことは止めなさい、私のような赤貧になるよと、実にリアリティのある忠告をしていたほどです(笑い)。そうかお前のようになるのかと、実に説得力でありました。
また、なんといっても今のように有機農法の技術に定式がなく、経験も乏しく試行錯誤だったことです。これを話しだすとこれ自体でシリーズ化できるような大テーマですので、そのうちということにして、技術的なデコボコや、個性がおおいに反映されていたわけですです。
これは突出した農の偉人を生み出す反面、多くの脱落者を生みました。有機農法に挑戦して、いったいどれだけの人が無念の涙を呑んだのか計り知れないほどです。
農協などの出荷部会が、平準化されたカチッとした栽培方法や、農事歴、農薬使用、収穫時期を持つことと非常に対照的です。
また、当時有機農法の農家は、長い時間をかけて夜の8時9時に消費者のお宅に宅配をするのが習わしでした。わずかの荷を保育園に届けたり、あるいはくそ高い宅急便を使って遠方の消費者に大根一本届けたりしていました。
昼間目一杯畑で働いて、夜も配送をする毎日というのはやりたくてやっている農業の仕事とはいえ、なかなかのものです。個人の努力では限界に近づいていたのです。
有機農業者の集合体というか、共同の経済団体が必要な時期にきていました。1985年あたりのことです。私が就農3年生のあたりかな。まだ30代です。
では、このような有機農業者が自然発生的に集まって地域の出荷団体をつくろうとなった時に、なにが障害となったのでしょう。
ありていに言って、まず取引先が大前提です。個性の強い有機農業者が集まって出荷グループを作ったのはいいですが、かんじんの売り先がないのです。いまだからな~にやってんだかと笑えますが、当時は笑えない、笑うどころではないわけです。
ここに都会で有機農業こそが未来を開くと思い詰めた変人、もとい素晴らしい人たちがいくつか現れたのです。向こうも有機農産物を探していて、あちらこちらを回って、あちらでコツン、こちらでゴツンと頭をぶつけていたようでした。
それが、今に続く「大地を守る会」や「ポラン広場」の人たちでした。当時の町から来た流通の連中も、いわばTシャツ一枚でオンボロトラックで、集荷に来るというビンボー臭さが、まことに私たち有機農家の連中と波長があったのでした。
■今日からフォントを黒にしました。見やすくないですか。
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記事上でお返事ありがとうございます。
篤農家とはあなた方のことを言うのだといつも感心しております。日本の食はやる気のある篤農家を中心に支えていければ安心であると思います。
心配なのは、政策として「篤農家以外はいらない」としてしまうことです。
例えば、会社の経営を考えてみましょう。
昼夜を問わず働き、仕事のスキルも抜きん出ている従業員がいるとします。経営者としては、ありがたいことです。「彼あるいは彼女を見習え」と他の従業員に言いたくなるでしょう。ですが、この従業員を基準に作業標準をたてたとします。たちまち仕事が滞るのは見えています。あるいはこの従業員を基準にして、子供の学校行事で休む従業員を怠け者と評価したとします。どんどん人材が薄くなるでしょう。
経営感覚のある人なら、抜きん出た従業員を厚遇するにしても、それを標準とはしないでしょう。
大規模な担い手を基準に農業政策を考えるという事は、抜きん出た従業員を基準に業務を行う経営と同じというのが私の考えです。
では、また。
投稿: 仙 | 2009年11月 2日 (月) 06時39分
>小規模、家族経営、地域農業
という表題についての私の経験等ですが、
殆ど小規模で家族経営の地域農業だった
昭和30年代までの日本農業の良かった
ところは、子どもが親達の働く姿を日常に
接し、かつ農業という親の職業に子どもは
手伝いとして体験出来たところにある様に
理解しています。私はサラリーマンとして
家庭から離れて仕事をして来たので子ども
は親の仕事に接するとか手伝いで参加する
とかは殆どなく大人になり、幼少の頃から
親の職業に直接参加できなかったことには
少し、子どもには教育上は申し訳ない環境
だった様に私は振り返って感じています。
農業の小規模家族経営は、子どもの大人へ
の成長に嘉き環境の様に経験的に感じます。
投稿: 百姓の子 | 2009年11月 3日 (火) 17時48分