30年間の地域有機農業の集大成としてのモデルタウン事業
昨日、「日本農業新聞」の取材をうけた。
気さくで熱心な記者を、行方台地を東西に走る開拓道路から霞ヶ浦に抜けて、私たちのなめがた有機農業推進協議会の仲間が待つ事務所へと案内をした。代表のIさん、アイガモ農法で気を吐くTさんも一緒だ。行方市農業振興センターのセンター長のMさんにも行政側として同席願った。
とうぜん取材対象は、今回の事業仕分けによって廃止となった有機農業モデルタウン事業だ。
まず冒頭、農業振興センターのMさんから、この有機モデルタウン事業は「なめがた農園フロンティア計画」という総合的な行方地域の農業振興政策の中に位置づけられるのだということを明確にしてもらった。そしてこの総合計画と、この私やTさんなどがその1年間にわたるロングランの討議に加わる中での、「有機農業による街づくり」というテーマが見えてきた結果、Iさんを代表とするこの有機農業推進協議会があるのだという説明をした。
よく理解を受けていないうらみがあるのだが、農業補助金といってもこの有機農業モデルタウン事業は営農団体に与えられる畑や設備の整備、あるいは転作奨励などとはまったく次元を異にしている。
なによりも通常の補助金と違うのは、ひとつの「地域」に対して与えられるという点だ。受託者は営農団体であってもいいのだが、それとの協同が各方面に求められるわけだ。まず、地方行政機関、そして各方面の地域農業者、団体、そして消費者や流通団体などが挙げられるだろう。
有機農業が、自分の生産する地域の中で、行政とコラボしながら、いかに地域の農業者や消費者、流通と、農業を核とした街づくりが出来るのかにチャレンジする事業なのである。
これは、誕生してから30有余年、ちょうど一世代分の経験を積んだ行方の有機農業者にとって新たな次元へ向かうチャンスであった。
この経験をどのようにして次の世代に引き渡すのか、どのように地域で定着させていくのか、どのような仲間のネットワークを作り出していくのか、消費者や流通とのつながりはどのようにしていったらいいのか、環境保護運動とどのような関わりができるのか、ほんとうに多くのテーマを抱えてわくわくするような試みの開始の合図であったはずだった。
今まで作ってきた経験とテーマの集大成とでもいおうか。
農業は国単位で考えない。これがこのところの私の考え方だ。国単位の農政も、前提として関わりを持つし、意見もある。しかし、実際に自分が行動できるのは、この自分が生きている半径5キロほどのわが村の中でしかない。
もう少し、この話を続けようと思う。
■ひさしぶりで、ですます調をやめたら、なんか変だな。ま、いいか。
■写真 今は夕暮が年で一番早い。4時ごろにはこんな巣へ戻るカラスと月が見られる。
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