「勝ったのは彼らだ」と言うために生きているのかもしれない
柳生様。なかなか面白いというか、ちょっとしんどんお話になりそうです。あらかじめ申し上げておきますが、このことに「正しい答え」はありません。
柳生様のコメントです。
小学校の運動会では「地区対抗レース」というのがあり
私の組は「田無(水田があまり無いので)」でした。
この地区はサラリーマン家庭が多かったのです。
しかし他の組には
「新田」とか「新屋敷」とか一目で農家と分かる名称が多かったのです。
ところが現在は逆ですね。
農家は 農業と畑は・・・
綺麗サッパリ! ・・・・無くなってしまっているのです!
ですから私には
濱田さんが「農家は村のなりわい」と言われても実感としてどうしても理解できないのです。
また
私はいろいろ職業を替えましたが
残業代を払ってもらえなかったことはしょっちゅうであり
濡れ衣を着せられて解雇されたこともあります。
しかし私は常に前向きに生きてきましたし・仕事は1番出来るほうでしたよ。
それは各職場の先輩達から
「高い給料をもらいたかったら・それに見合う仕事をしろ!」
「世間が社会が欲しがるものを提供できない企業には存在する価値が無い」
(市場原理主義)・・・と言われて鍛えられたからです!
私と濱田さんとの人生(観)の違いなのでしょうか?
すぐには結論・合意はありえないかも知れませんが・・・
一応 簡単に私の仕事観について濱田さんのお考えをお聞きできませんでしょうか?
私も東京の品川生まれ、中野で小学校4年まで、それから神奈川でした。30の歳までサラリーマンもしていましたし、今でも町ッ子(という歳ではないか)の部分を多々残しています。
カミさんなんか、私以上の町っ子で、生まれは葛飾の立石です。
この土地に来て、彼女にも私にも言えることは、あまり自分を変えようとか、合わせようとしなかったということでしょうか。村中でも二人ともあいかわらずの東京弁でしゃべりますし、茨城弁などは、たまに東京に行って友と酒を飲む時に取っておきます(笑)。
しょせん町の人間が、村のふりをしてもダメです。多くの就農者がコケるのは、その地の風習に「合わせよう」として、いつも不安定な竹馬に乗っているようなことをするからです。
なんて言うんですかね、私は、自分がやってきたことは、一種の「移民」だと思っています。「農村という外国」に来た移民です。農村で農業をするというのは゛下手な外国で暮らすよりもしんどい部分があります。なぜって、日本語が通じるからです(笑)。
この「農村という外国」で、作家をするとか木工をやるというアートな仕事なら、村人はなんにも思わないで、「はぁ~変わってんなぁ」と思っておしまいでしょうが、なまじ「村のなりわい」である農業をやるとなると、本職は黙ってみてはいません。
私はある所からこう思うことにし始めました。私は農業はしているが、農民にはなれない、だからこそここの土地の人の生き方や価値観は粗略にしないようにしよう。礼儀を知ろう。その喜びや哀しみの部分をも理解していこう。なぜなら、私はこの村で受け入れてもらっている「移民」にすぎないのだから。
農民にはなれないのだからそれを大事に思う、いとおしく思うのです。前回書いたことは、私なりに見てきた兼業にならざるを得なかった百姓の心根です。たしかに神門さんに言われるまでもなく、日本農業は矛盾だらけですが、好きでそうなったわけではない。その苦しみや軋みの音を聞いて、初めて減反政策の愚劣さがわかるのだと私は思っています。
遅くなりましたが、柳生さんのご質問にお答えするのなら、貴兄のブログで拝見すると、柳生さんの価値観は、失政をしてもぬくぬくと解雇されることもなくロクな働きもしない高級官僚、あるいは、大きな会社に安住する高学歴の勤め人などにストレートに怒りが向けられているように思えます。
その怒りがひるがえって、兼業農家というある種の特権階層に対して批判をもたれているようです。このような日本国家にたかる巨大な寄生階層がある限り、日本に未来はないとおっしゃっています。そして、寄生しぬくぬくと安住する階層と、自分の能力の限りを尽くして仕事をし、富を稼ぐ者を対照させています。
「競争」とは「自由」という概念のコインの表裏です。競争も、自由も実はただひとつのものから始まっています。それが「個」です。個が協業して、あるいは競争して社会を作っていくんだというのが近代の考えでした。
実はこの「自由」という理念ほど、私を長く捉えていたものはありませんでした。私は、さきほどお話したように入植から10年ほどは、日本で希有な生活まで実践するリバータリアンみたいでしたからね。あ、クリント・イーストウッド、大好きです。「グラン・トリノ」、夫婦でわんわん泣いて、封切館に行かなかったことを後悔しました(笑)。
それはさておき、私は今、しょせん「個人の自由」などはやめる自由や、逃げる自由がある「自由」だと思っています。競争する自由、戦う自由、そして逃げる自由までワンセットで「個」なのです。
今、日本農業は津波のようなグローバリゼーションの波に対置しています。そして私は日本農業を防衛する立場にいます。長くは言いませんが、日本農業がコケから、日本の環境の基盤は崩壊するでしょう。その修復、再生に巨大な社会的投資が必要です。外国に食料を依存することは、日本という国を壊すことです。
逃げられないのです。逃げないものを作らねば堤防になりません。そのときにあてになるのは、個ではなく、にぎり飯のような「村」という共同体です。
かつて「七人の侍」という黒沢の映画の最後で志村喬が言った言葉が、長年の私の謎でした。それは助っ人で戦い、そのほとんんどが死んだ侍を包む早乙女の声を背景にして、「勝ったのは彼らだ」という言葉でした。勝ったのは、確かに百姓だが、それでいいのか。それは虚しいのではないか、侍たちは。
貴兄の暮らす都会は、私にとって過去のものです。たしかに個と個がしのぎを削るものでしょう。しかし今、私が暮らす農業というひとつの前線の中で、私ができることは、私のたいしたことのない「個」としての能力を使いきって、「勝ったのは彼らだ」という言葉をどこかで言うために生きることなのです。
個の能力などは、いつかほんとうに守らねばならない存在に対して使われてこそ本望なのかなとも思います。
■ 写真 シュロの葉です。シンメトリの直線がカッコイイですね。
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