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私の写真事始め

1_edited2 写真を撮ることが好きです。このブログを始める前まで、特に写真を撮るのが好きだと思ったことはなかったのですが、やはりアップできると気分が違うんすね。

たまに私の写真をダウンロードして壁紙に使っています、なんて言われるとホコホコと嬉しいのですな、これが。

さて、まだガキだった時、そうですね16くらいだったかな、親父殿のペンタックスを借りて飛行機を撮りに行きました。私の当時の実家は神奈川の厚木飛行場の近くにあって、大山山塊を従えた富士山を背景に、飛行機がまるで水面に跳躍するスイマーのように舞い降りてきていました。

不思議と記憶は無音です。白い機体を光らせながら、富士を真横にして滑り込んでくる情景だけが記憶に残っています。夢中でシャッターを切りまくりました、と言いたいところですが、実際は24枚撮りの高いフィルムで、しかも家族のニカッと笑った集合写真なども入っているヤツですんで、慎重に慎重にパチっと写しました。今のようにデジカメで撮りまくり、すぐにPCで確認して画像処理をするなどというのはSFの世界です。

ところがまるでシャッター速度が追いついていなくて、心霊写真よろしくボケていたり、機体のヒップだけだったりというトホホばかりで、親父殿から「お前、才能ないなぁ」と笑われたものです。そうそう当時は、ベタ焼きといって10枚くらいミニサイズで焼いて、その中からこれとこれね、みたいに選んで大きくしていたもんでした。ああなんと、昭和古老の聞き語り風な話であるよ。

高2の夏休みの時に、親父殿が新型カメラに買い換えたかなんだかで、このペンタックスはめでたく私のものになります。嬉しかったですね。今と違って花鳥風月などはゼェ~ッタイに撮りませんでした。なんせピカピカのメカ派でしたから。私が花や樹や雲を撮るようになったのは、もう少し後の山登りをしだしてからです。

高2の夏休みに厚木飛行場の着陸直下地点でカメラを構えていると、不思議な一団と毎日出会って、挨拶をするようになりました。オジさんばかりで、麦藁帽子をダサくかぶり、手拭いを首に巻くというおおよそヒコーキファンとは思えない姿で、カメラで米軍機を撮り、ノートになにやら記録をしているのです。

なんと怪しい人たち、きっとこれがあのスパイという奴なんかしらと思っていると、私に「坊や冷たい麦茶飲まないかい。菓子パンもあるよ」などと親切です。だいたい私は子供の頃から、何か食べ物をくれる人は皆いい人という固い信念の下に生きていたのでした。

これが一部では有名な日本共産党の反戦なんとか監視団という人たちでした。当時燃え盛っていたベトナム戦争から帰還して、厚木飛行場に付設された日本飛行機という会社で修理されていた米軍機を、しっかりと監視し、記録に取っている人たちだったんですね。

そのうち、「キミの写真も現像してあげようか。僕のうちで現像できるんだよ」なんて危険な甘言には、もちろん乗りました。だって現像代をどう工面しようかと、小さな胸を痛めていたのですから。

こうしてこの夏いっぱい私は、米軍MPが柵の向こうから車両をどっかりと据えて、望遠レンズつきカメラで遠慮なくバチバチと撮られている「スパイ団」の、唯一の少年になっていたというわけです。

■写真 里山から登る満月。まるでパラオかバングラディシュの国旗みたいですな。現実にパラオ国旗は、日の丸へのオマージュだということは知られています。

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コメント

こんなブログもいいな。
朝に道を聞けば夕べには死ぬのかもしれないのだから、道を急ぐなかれsnail。夕暮れは早いかもしれない。疲れたときは仰向けになり、ブリッジのようにして畳(あるいはマット)に逆さに頭頂をつけ広く胸式呼吸を試みられるべし。闘う時は(この点は釈迦に説法かもしれませぬが)、鼻から吸って口から吐く。息を止めず呼吸を忘るるなかれ。いずれにしても肩の力を抜くべし。
以上、他人には言うが自分にもできぬことを紹介しました。

投稿: 余情 半 | 2010年1月22日 (金) 22時19分

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