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2010年1月20日 (水)

自分自身が権力であることを忘れた民主党は滅べ

014_2 2日間ばかり、書くのがイヤになってお休みをしていました。なんかなぁ・・・というある種の無力感みたいなものがあります。

というのは、ま、アレですよ、あの小沢疑獄事件というか、それによる民主党のとったリアクションの愚劣さです。

結論から言えば、私が見る限り民主党はダメです。政権維持というレベルではなく、たぶん分解消滅にまで行くのではないかと思われます。

まず、政権存亡という危機管理において最悪の選択をしました。小沢一郎の言うようになんのやましいことがないのなら、さっさと検察の事情聴取に応じればいい、ただそれだけのことだったはずです。それを「検察と戦う」だとか、小沢を擁護するのにことかいて、検察を新撰組や226事件の青年将校にたとえてみたり、果てはCIAがどーしたのとか、またぞろ去年で味をしめた「国策捜査論」の柳の下に二匹めの泥鰌を探すに至っては、もう頭を抱えるしかない体たらくです。

かつて西独のコール首相が自分に裏献金疑惑が出たとき、「ただちに調査委員会を作ってくれ。捜査には全面協力をする」という意味のことを発言し、現にそうしました。結果、裏献金は発見されましたが、被害は最小限度で済みました。

さっさと疑惑を晴らす調査委員会を立ち上げていればいいだけです。そう、たしかに調査委員会は作るそうです。ただし、自己検証のための小沢事件調査委員会ではなく、検察の情報リーク調査委員会である、と。あらあら、ハラホラ。

政権党が、自分の意に沿わない報道をなされると、その都度ブチ切れてその情報のソースを疑い、そして情報統制してやるといわんばかりの委員会を発足するとなると、これはどのような社会になりますか。
民主党内部で全体主義国家ゴッコをするのは勝手です。虫酸が走りますが、イチローユーゲントでも、イチロー真理教でも自由にお作りなさい。しかし、それが政権与党であり、国や社会を統制し得る308議席を有している政権与党が、自分たちの党に批判的だというだけで情報統制をする準備を始めたとなると、ことは冗談ではなくなります。

なぜなら、スペイン戦争のファシストと戦い、スターリニズムに背中を撃ち抜かれたPOUMの義勇兵だったジョージ・オーエルの「1984年」が描いた逆ユートピアが、全体主義社会が現実味を帯びてくるからです。

民主党は「権力」を甘く見すぎています。みずから自身が政権党であり、政権党が「検察と戦う」と言う重大な意味、政治的な信号にまったく気がつかず、そして、自らが不利な情報を統制してやるとまで発言してしまいます。まったくその意味の重大さに気がついていない。

自分が権力者であることにすら気がつかない権力者ほど、タチの悪い者はありません。事業仕分けの狂宴の時にもそう感じました。たぶん、この人たちは「権力」のほんとうの怖さを知らないので、それをオモチャにして遊んでいるのだ、と。
「権力」が使い方次第で、託した希望を一瞬にして断つものだということを。

仙谷行政刷新大臣、あなたはたしか東大全共闘でしたね。所属党派はフロント(社会主義学生戦線)。41年前、あなたは1969年1月19日の安田講堂にはいませんでした。あなたは、権力」の放水に腹をすかせ、骨まで凍えて、着火しない火炎ビンを投げんとして逮捕されていった学生たちの姿を覚えていますか?その後、ほとんどが他大学だった彼らが、長きにわたる公判と下獄を受けたことを。大部分がまともな就職などできなかったことを。

福島瑞穂少子化担当大臣、今回の事件で「説明責任があります」ていどでお茶を濁しているあなた自身社会党の活動家だったし、人権派弁護士でした。そして旦那は某党派とも関係のあるという噂のあるお方のはずです。

おふた方ともに、「権力」の不条理と戦うことを人生のテーマとした人間だったはずです。ところがそのあなたがたが「権力」そのものになってしまった。

そして私も、農村で生きる上で色眼鏡で見られるので大ぴらにこそしていませんが、17の歳に高校全共闘の首謀者として処分会議の常連となりました。以来十数年、逮捕歴すらあります。そして農業に志して、農村に飛び込み、百姓として25年間、私もまた、時間と生きる場が私を根っこから変えました。

しかし、17歳の時から私の中で変わらないものがあります。それは「権力」を相対視する眼をいつも自分の中に持つことです。
一生「権力」と無縁で生き抜くなどと言う気はいささかもありません。大なり小なり、50代の後半になれば、社会的責任という名の「権力」を背負うことになるからです。そうでなければそれはまた別の意味で、卑怯というものです。

しかし私は、自分の「権力」の保全のために、己の権力装置を使うという道を外れたことはしませんでした。強大な権力者の膝にすり寄ることもしないし、まして、それを守る為に、国民の情報を統制するなどという愚行はしない。

私はかつて、ある農業組織の代表責任者であった時に、自分の「権力」を取るか、あるいは、「組織」の保全を取るかを問われた事件にはからずも遭遇してしまったことがあります。
道はふたつしかありませんでした。自分の「権力」を守るためになりふりかまわず戦い、多くの人を巻き込んで傷つけるのか、または、自分にすべてを引き受けて「組織」を延命させるのか、でした。

結局、私は後者の道を選び、またただひとりの百姓に戻りました。それが決して潔くも、私が強いことでもない証拠に、私はそれからの日々を悔恨の念と共に暮らすはめになりました。

そんな私から小沢一郎という男を見ると、私のもっとも深い部分から嫌悪の苦い汁のようなものが込み上げてきます。
国民の血税をワタクシすることにより肥え太り、そして権力をワタクシするためには手段を選ばず、他人の党を乗っ取ってワタクシし、そしてひとたび権力を得れば己ひとりに権力を集中させるワタクシのシステムを作り上げ、それにひとたび司直の手が伸びれば、「組織」すべてをワタクシの道連れにして恬として恥じない。そんな男を私はためらわず悪霊と呼びます。

そして今やそのような悪霊に使えるようになった仙谷大臣や福島大臣を哀れみます。あなた方が「権力」と引き換えに失ったものはなんだったんでょうね。
仙谷さん、41年前のようにまた逃げるのですか。

■写真 なんだかわからないでしょう。ムクゲの種子です。

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コメント

濱田さん、しょんぼりしないで。小沢はもう舞台から消える運命にある。驕れる者は久しからずという天道は必ず貫徹する。栄光の頂上は没落の始点なのだ。ただ、それを選んでしまった、私たちにも付けは帰ってくるのは仕方が無いことだ。我慢して、自分の生活を自分で守り、楽しもうではないか。腹の立つのは良く分かりますし、それをなんとも出来ない自分を責めるのも判ります。私にもなにも出来ない。辛抱、辛抱。ならぬ堪忍するが堪忍。

左翼の左翼たる所以は
「利他主義」
です。
つまり「オレはお前の為に奉仕をする」ですね。
ところが・これは容易に
「・・・だからお前もオレに奉仕しろ!」(奴隷となれ!)
となるのです。
 
左翼が権力を握ると恐いのはこれが理由です。
 
そもそも
”利他主義”などぜんぜん”合理的”ではありません。
だから無理矢理・合理的にするために相手を奴隷になることを要求するのです。
 
ですから保守は反対に「利己主義」で良いのです。
自分の子どもと親は自分の1/2の遺伝子を持っていますから・これを愛するのは誠に合理的です。
お釈迦様も
「自分自身しか救えない(他人は救えない)」
と言われています。

初めて読ませていただきました。
全くご指摘通りです。
特に「イチローユーゲント」のネーミングは私も考えていたものだったので、同様の感想を持っている方が多いのだなと感じました。

まぁ小沢さんの場合には宿痾があり、ママに連れられて仕方なく政治家家業を継いでおるので・・・ 巻き込まれる周りはたまらないが

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