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2010年1月30日 (土)

農業とは村のなりわいなのです

Img_0032 ずっと気になっておりました柳生様のコメントに徐々にお答えしようかと思います。正直に言って、日本農業をどうするという大問題は、やや私の任に余ります。しょせん、私は県単位までならなんとか、いや自信があるのは自分の地域、いや、わしら有機農業の界隈と、逆3段スライド式尻つぼみとなってしまって、いやまったくどうも。

柳生様のコメントは、以下のようなものです。

日本の農業も同じようなものです。
米作農家は約200万戸 そのうち専業はたったの7万戸・・・
兼業農家は収入の9割をサラリーマン収入で得て
公共工事という”宝くじ”に当たることを夢みています。
 
たしかに私自身
濱田さんのような有機農業に専心される農家には個人的にでもいくらでも援助したいと思います。税金も使うべきでしょう。
しかし
腐敗官僚や700万人とも言われる企業内失業者を一掃しなければ日本産業の景気回復などあり得ないように
農業など本気でやる気がない兼業農家が日本の田畑の大多数をこれからも保持するなら
日本の農業にも未来などあり得ません!

また、メールでも柳生様の「こうやったらどうなのだろうか」というご意見を頂戴していまして、要約すれば、以下のようになるかと思われます。要約が間違っていましたら、ごめんなさい。

従来の、兼業農家を基盤とするJAを重視した農政では、意欲ある活発な日本農業は生まれず、むしろ国家に寄生する層に農民がなってしまっている。
そこで、兼業農家が補助金漬けで囲い込んでいる「優良農地」を政府が買い上げて、それを意欲ある人や法人に供給し、大規模農業に集約化していったらどうだろうか。

実はですね、たぶんこの前段の部分の現状認識に温度差があるのです。兼業農家寄生論とでもいうべき論調は、確かにあります。神門善久教授などが「テーミス」誌上で毎月、日本農業の恥部を指弾されていて、私は直接関係がないのになんか耳が痛くもあります。

また、このような論調は「農協の大罪」の山下一仁氏や、若くは「農業経営者」誌副編集長の浅川芳裕氏などの論調とも重なる指摘です。

実の話、「兼業農家」問題ほど、知れば知るほどスパンっと切ることができない問題はありません。なぜなら、兼業農家の問題とは、生産部門としての農業では括りきれない「農村」という地域社会問題でもあるからです。

農業が、他の産業と根本的に異なっているところ、それが農業とはあくまでも共同体の中でする経済行為だというところです。すっと読むとなんかわからないかもしれませんが、考えて見てください。経済行為、ぶっちゃけて言えば、家族の生きる糧を稼ぐことが共同体という身体の一部となっている部門など他にありますか、あったら教えてほしいものです。

これは都市の協同組合や同業者組合とは似て以て非なるものです。同じ村の水でオギャーと産湯を漬かり、同じ半径3キロ以内の小学校にてくてく通い、同じ訛りでしゃべり、同じ祭で彼女を見つけ、そして結婚し、子供を授かり、そして老いてナマを言うようになった孫を見ながら村の土に戻っていく。そのような生き方。

そのような生き方と「農業」は不即不離でした。しかも今日昨日の関係ではなく、三代百年ははあたりまえ、本田とか本郷とかいう地名の字に行けば、もう300年、400年のつきあいとなります。

私のようなよそ者がこの村に入れたのも、私の場所が他の字の次男三男が、自分の親父の土地を継げずにいたしかたなく切り拓いてきた土地だったらです。その通称からして「カイタク」。とてもじゃないが、村の「中」には簡単に入れませんでした。ですから、わが班の名は「班外班」、おい、私は番外地に入っちまったのかって!(笑)

冗談ヌキで、一度「村」と養鶏場拡大でトラブルを起こした時には、不条理極まる「立ち退き陳情」すら受けたことすらあります。立ち退きとは、要するに村から出て行けということです。14名集められました。知人の署名すらあった時にはショックでしたね。後に、すまん、すまんしょうがなかったんだ、と頭をかいていやがりましたが。
ま、現代版村八分ですな。幸か不幸か、そのような仕打ちに合うと逆に燃えるというわが夫婦は、シャラっとして今も村で生きています。

さて柳生様。このように恥ずかしいことをお話したのも、農業というのをあなたは都市の産業部門一般のように考えられているのではないかと思うからです。それは半分は正しく、半分はズレています。

農業とは村です。村全体の生業(なりわい)なのです。
だから、「米を作ることを制限する」というお国の減反命令が下った時に、ありとあらゆる知恵、ありていに言えば百姓のズルさといやらしさを発揮していったのです。

JAの持つどうしようもないズルさといやらしさは、わが農民の体質から出ています。いかにJA全農がネクタイを締めたサラリーマン団体になろうとも、基本的DNAの性格は変わりません。

農業から離れていかざるを得なかった層を兼業「農家」として翼下にかばったのもそれが故です。村の衆だったからです。だから農業から離れていき、街の勤め人となっていく哀しさは理解できたのです。そして農業とのヘソの緒だけでも残しました。それが田んぼです。

やがて時がたつに連れて世代が替わり、それは利権化しました。それは事実です。ただ、私が今言いたいのは農業という場所は、あるいは、村はそのような人の苦しみや哀しみが積み重なっている場だ、ということです。
だからその改革があるとすれば、その重さを知ってから始めてもバチは当たらないのではないでしょうか。

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コメント

濱田さん
こんな話しをすると歳がばれるので気が進まないのですが・・・
 
私は幼少時代を東京都北多摩郡保谷町(駅はひばりが丘)で過ごしました。
池袋から急行で16分ですが当時はまさに・・・
「(宮崎駿のアニメ:隣の)トトロ」の世界でした。
 
小学校は歩いて30分ですが・・・
(5年ほど前行ってみると 入学式に桜吹雪が舞っていた校庭の大きな桜の木が切られていました
その間 通学の道の回り全部(麦)畑でした!
途中 一番森 二番森 三番森 を抜けて行くのですが・・・その森に隠れて農家はほとんど見えないのです。
 
・・・ところが
現在は全部 住宅地帯に変貌しております。
畑も農家も1つもありません。
 
まぁ、これは・・・
自動車を見ることが1ヶ月に1回?
知らない人の自動車に平気で乗れる時代ですから
かなり昔の話であることはお察しください。
映画「隣のトトロ」(あれは所沢あたりですが近い場所です)には水道が出てきますが・・・
私が保谷町に来たころは水道が無かったですよ。
井戸もありません。
5・6軒 サラリーマンの集落があって・その中心に”共同井戸”(だから井戸端会議)があり・そこから各家庭にバケツで水を運ぶのです。

失礼・・・
「隣のトトロ」には水道ではなく井戸が出てきましたね。
 
・・・ですから
小学校の運動会では「地区対抗レース」というのがあり
私の組は「田無(水田があまり無いので)」でした。
この地区はサラリーマン家庭が多かったのです。
しかし他の組には
「新田」とか「新屋敷」とか一目で農家と分かる名称が多かったのです。
 
ところが現在は逆ですね。
農家は 農業と畑は・・・
綺麗サッパリ! ・・・・無くなってしまっているのです!
 
ですから私には
濱田さんが「農家は村のなりわい」と言われても実感としてどうしても理解できないのです。
 
また
私はいろいろ職業を替えましたが
残業代を払ってもらえなかったことはしょっちゅうであり
濡れ衣を着せられて解雇されたこともあります。
しかし私は常に前向きに生きてきましたし・仕事は1番出来るほうでしたよ。
それは各職場の先輩達から
「高い給料をもらいたかったら・それに見合う仕事をしろ!」
「世間が社会が欲しがるものを提供できない企業には存在する価値が無い」
(市場原理主義)
・・・と言われて鍛えられたからです!
 
私と濱田さんとの人生(観)の違いなのでしょうか?
すぐには結論・合意はありえないかも知れませんが・・・
一応 簡単に
私の仕事観について濱田さんのお考えをお聞きできませんでしょうか?

「女工哀史」というものがありましたね。
明治時代に貧しい農家の若い女性が年季奉公で長時間辛い女工として働かされた・・・映画「野麦峠」など・・・
 
ところが
真実は!
そのころの農業は年中休み無しで着物1つも買ってもらえなかったのです!
反対に都会で職工などで働けば週に1日は休みがもらえますし・・・給料も必ずもらえてそれで念願の着物も買えたのです!
ですから真実は
女工さんたちは農家や農業から解放されて喜んでいたのです!
 
濱田さん!
私が言いたいことはそのようなことです。
泥だらけで重労働しても報酬が少ない・・・
それで濱田さんは満足かも知れませんが
若い人はそのような農業を継ぐとは思えません。
 
「村のなりわい」・・・???
同じ東京の国分寺市に私の従兄弟がおりますが
5年ほど前に遊びに行ったところ
「親戚づきあいは煩わしい・・・」
と言われ 以後付き合いを止めております。
都会は何処でもそんなものです。
都会の人間関係はどうしようもなく壊れています。
親戚でさえこうなんですから・・・
ちなみに私は
誰とでもすぐ話ができる陽気な性格ですが
(営業の仕事が好き)
こんな世の中嫌になりますよ・・・

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