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2010年2月

シー・シェパード支援問題に関するパタゴニア日本支社への質問状全文

032_edited1 パタゴニア日本支社様。
いただきました訂正要求文を即時アップいたしました。ご確認ください。誠意ある対応を心から感謝いたします。
さて、ここで貴社の文書を拝読した上で、いくつかお聞きしたいことがあります。
御社の回答文書にはこうあります。
 ■「Sea Shepherdへの金銭的な寄付は、前述の過去2度 以外は行っておらず、現時点では今後も行う予定はない、とのことです。
上記の通り、弊社の当該団体に対する資金援助は、1993年と2007年の2回 14,000ドルであり、以降支援を行なっていません」
 この支援年度と金額については理解いたしました。また、それが完全に文書でオープンにされていることに、公正性と透明性を大事にする御社のポリシーを感じました。
■(1) さてここからが質問になるのですが、御社の回答を読みますと1993年に最初のパタゴニア社からの援助がシー・シェパードに出されています。
しかし、その一年前の1992年に既にシー・シェパードはノルウエーの捕鯨船を襲撃しているのです。
次いで、これはパタゴニア社からの援助の翌年になるわけですが、1994年にも同様な襲撃事件を引き起こしました。そしてこの両事件を受け、19
97年7月にシ・ーシェパードの指導者ポール・ワトソンはオランダ司法当局に逮捕され、裁判により120日間の禁固刑を受けています。
となりますとパタゴニア社は、当然この1年前のこの禁固刑を受けるシー・シェパードの襲撃事件を知った上でこの「環境助成金プログラム」を出したことになります。
また、この後度重なる暴力事件を引き起こし続けているシー・シェパードに、2007年に再び「環境助成金」を与えております。なぜ、1992年のシー・シェパードの襲撃事件を知りながら、翌年1993年に「環境助成金プログラム」を与えたのでしょうか、また、その後彼らの暴力事件が拡大する一方の中で、なぜ2007年にまた再び助成金を出したのでしょうか、その理由をお教え下さい。
■(2) では次の質問ですが、先住民族生存捕鯨についてです。私は先住民生存捕鯨は、重要な宗教的な祭祀であり、部族の伝統を保存し続ける上で重要なことだと理解しています。
しかし、シー・シェパードはこのような先住民族の宗教的祭祀である捕鯨に対しても無差別な攻撃をしかけております。
典型的な事件としては、1998年に米国マカ族の伝統的な沿岸捕鯨に対して襲撃しました。マカ族は1885年に合衆国に多くの土地を譲り渡す代償として伝統的な沿岸捕鯨権を有していました。これに対しても、みさかいなくシー・シェパードは襲撃をします。
御社の反捕鯨ポリシーは、このような沿岸における先住民生存捕鯨に対しても反対なのでしょうか?
■(3) 最後に私が御社に注意を喚起したいのは、シー・シェパードに支援した14,000ドルの「額」そのものではありません。御社は世界的に高名な企業であり、若者にも大きな影響力を持つスマートな企業です。
しかも環境保護運動と企業運営を一体化させる高邁なポリシーをもった企業であります。このような企業が、シー・シェパードを支援しているという社会的な「意味」の大きさです。
パタゴニア社はその「額」の多い少ないという次元で、自らが関与する社会的影響から逃げようとしています。これはフェアではありません。
パタゴニア米国本社の人々は、反捕鯨運動の中心的な存在であったグリーンピースが、1977年にタテゴトアザラシを巡る暴力事件を引き起こしたボール・ワトソンを除名した事件をよく知り得たはずです。
つまり、パタゴニア本社はこのグリーンピース分裂の事情と、シ・ーシェパード誕生をめぐる状況をよく知りながら、あえてこの暴力的分派を支持し続けたことになります。
これを御社の回答文書にあるような私たち霞ヶ浦浄化運動に対する支援と同列にある「環境助成金プログラム」一般の枠組みだけで説明しようとするには無理がありすぎます。
反捕鯨運動を支援することが御社のポリシーであることはわかっておりますが、ひとつの重要な反捕鯨団体が分裂した場合、その暴力的な少数派に支援を与え続けるという姿勢には疑問をもたざるをえません。
少なくとも、シーシェパードの指導者ポール・ワトソンがノルウエーにおいて刑事罰で入獄した時点で、この団体の暴力性は世界的に認識されるようになったはずです。パタゴニア社はこの時点で彼らに対する支援関係を清算すべきでした
しかしこの支援は2007年にも継続され、結果的にであれ、パタゴニア社が暴力的な方法によって環境保護運動をする側、すなわちエコ・テロリストを支持するがごとき「誤解」を世界に流布しました。
彼らのようなエコ・テロリスト団体が「環境団体」を名乗ることは、世界各地で穏健で粘り強い環境保護運動を行う私たちのようなグループにとって迷惑きわまりないことです。無辜の船員や先住民族にまで暴行を加えるシー・シェパードには、私自らが自然保護運動に関わるが故に、許しがたい怒りを覚えます。
にもかかわらず、遺憾ながらパタゴニア社は2007年までシー・シェパードのスポンサーであり続け、一介の反社会的団体から、彼らを今や隠れもない国際的環境テロリスト団体の筆頭にまで成長してしまう手助けをしてしまいました。
くりかえしになりますが、これは「額」や支援回数の問題ではなく、御社が問われているのは社会的責任のあり方の「意味」の問題です。
このようなシー・シェパードに対する、パタゴニア社の社会的責任をどのように感じていらっしゃいますか。
以上について、パタゴニア社の見解を承りたいと思います。なお、本質問状への御社の回答は、全文無編集でブログ公開をすることをお約束することを申し添えます。
敬具
 

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パタゴニア日本支社の訂正要求全文

009_edited1 パタゴニア日本支社から私のブログ記事に関して訂正要求がありましたので、全文転載いたます。

パタゴニア日本支社の誠意に感謝いたします。このようなやりとりが重要です。


前略 

貴殿のブログにて「パタゴニアはシーシェパードへの支援をやめよ!」と
いうタイトルの文章を拝見しご連絡申し上げました。パタゴニア日本支社
で環境担当をしております。

2月18日にもこのたびと同様の主旨のメールを送信させていただいたので
すが、何らかの理由でお受け取りいただけなかったようですので、改めて
貴殿の表現の中に事実とはことなる表現が多々あることに対して大変遺憾
に存じ、下記の内容をご確認いただきたくご連絡申し上げました。

①「人を傷つけ、憎悪と恐怖を拡大するだけのテロリストへの支援は即刻
止めて下さい。」について

弊社は当該団体に対してお問い合わせいただいた皆様に対しては、以下を
公式なステートメントとしてご案内しております。

「弊社では環境団体に助成金を提供するプログラムがございます。そのプロ
グラムでは、それぞれの地域で独自に環境団体から申請を受け付け、審査を
行った上で助成を行なっております。プログラムの詳細は以下をご覧くださ
い。
<http://www.patagonia.com/web/jp/patagonia.go?assetid=2927>

Sea Shepherd Conservation Society(以下Sea Shepherd)は米国の環境団体
のため、過去に米国本社より、環境助成金プログラムを通じて1993年と2007
年に合計14,000ドルを助成した実績があることを把握しております。米国本
社に確認しましたところ、Sea Shepherdへの金銭的な寄付は、前述の過去2度
以外は行っておらず、現時点では今後も行う予定はない、とのことです。

日本支社で審査を行い、助成を行なった団体についても、上記Urlよりご確認
いただけます。ご確認いただければ幸いです。」

上記の通り、弊社の当該団体に対する資金援助は、1993年と2007年の2回、
14,000ドルであり、以降支援を行なっていません。

②「しかし今、私の中に黒く芽生えている疑問を言いましょう。私たちへの
助成金は30万でしたが、シーシェパードに行った「助成金」は桁がまった
く違うはずです。となると、これでは私たち市民環境グループに対する助成
金は、単なるテロリスト団体への支援の隠れ蓑でしかないことになってしま
います。」について、

上記の通り、当該団体に対する資金援助は過去17年間で2回、合計14,000ド
ル、現在の為替レートで日本円に換算すると約130万円であり、貴殿が関わ
っておられた団体への助成額(1回)の4.3倍となります。また、日本支社が
担当している日本国内の助成先の中にも累計助成額が130万円を超える団体
は多数あり、上記の貴殿の見解には事実誤認があります。①で上述いたし
ました通り、助成先については近年分につてはウエブサイト、過去について
は弊社の一年間の環境活動についての報告書「Patagonia Environmental
Initiative 」(英語版のみ)を毎年発行して日本支社のみならず米国本社、
ヨーロッパ支社を通じた助成先を一般に公開しており、「テロリスト団体へ
の支援の隠れ蓑」という表現も事実に反しております。

環境保護のために真摯に活動されている貴殿に対してこのような内容の文章
をお送りしなければならないことを大変残念に思いますとともに、個人のブ
ログとは言え広く社会的な影響を及ぼすものであり、記載内容について精査
された上で公開していただくようお願いいたします。


草々

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「柳生大佐」に対するアクセス禁止及びコメント書き込み禁止措置について

25_008_2 このような柳生氏からのコメントをもらいました。

濱田さんは「農業は”単なる生産”ではない」
と言われますが「麻薬取引や密造酒は我々のシノギだ!」
とギャング団(マフィア)が言ったってFBIは容赦などしません。
 
日本の農家が「治外法権の特殊社会」を標榜されるのは”自己責任”である限り・誰も文句は申しません。
だが都市住民から取り上げた税金を無尽蔵に農村部に分配する政治が・これからも続くほど世界の経済情勢は甘くはありません!!!
官僚の腐敗も元はと言えば・・・農家が「高速道路を造れ!」「新幹線を造れ!」「ハコモノを造って所得の再分配をしろ!」・・・と言うところから始まっています。
公共土木工事で大儲けできるゼネコンがこれに乗っかり・予算を組む霞ヶ関官僚が各地に出張所と天下り先を配置したのです。
「一蓮托生」「同じ穴の狢」ですね。
農家も同罪ですよ。

これが私が昨日書いた記事に対する返答だそうです。私は精根込めて、どのようにしたら理解してもらえるのか、怒りを抑えて説いたつもりです。私が彼に対して罵声はおろか、ひとことの批判すらしたでしょうか?しかし、このような私の一切の誠意は通用しませんでした。

「こちふかば」さんがコメントでおっしゃっていましたが、このようなことはご自分のブログでいくらでもおやりなさい。それはあなたの勝手です。しかしここはあくまで私が管理するブログです。

柳生氏はネットの中でのマナーを大きく逸脱しています。
まず長文の上にひとり
よがりなコメントを一日に3通も入れてきました。このこと自体常識を疑います。つなぎ合わせると私のエントリーより長いほどです。
このコメント欄は2チャンネルの掲示板ではありません。そこまで農家が憎いのなら「反農家板」でもなんでも立ち上げて下さい。

次に、聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせてきました。とうとう私たちは「マフィア団が麻薬を作っている」のと同じだそうです。もう話にもなにもなりません。反論するのも愚かです。

この柳生氏とまっとうな議論が成立ことはありえません。憎悪と侮辱を武器とする人間を相手に理を説いても無駄です。はなからこちらの言うことを聞く耳をもたず、私たち農業者をたたき潰したいの一心なのですから。

本ブログは農業を愛する人たちのためのものです。農業を憎悪する者が土足で踏み荒らすことを許しません。私はもう充分にあなたによって迷惑を被りました。

この柳生氏が他のブログでも似たようなふるまいに及んで出入り禁止になっているとの通報も受けております。一日に3通も長文の自分の得手勝手な論理を重複してかきなぐり、あまつさえブログ管理人に対してさえ汚い言葉を吐き散らす所業をみると、さもありなんと思わせます。この人はネット界の無法者です。

本ブログの管理人として、柳生さんに通告します。柳生氏が今後、本ブログにアクセスをしコメントを入れることを禁じます。仮に入れても即時に削除いたします。

このような残念な結果になったことを哀しく思います。また、読者の皆様にはご理解いただけるであろうことを信じております。

ブログ管理人 濱田幸生

■愚痴としての追記(涙)

 
この記事を書き終わってから仙様のコメントとトラックバックを頂きました。これは2009年9月なのですが、失礼ながら爆笑しながら拝見しました。すげぇ面白いから読んでみて。「柳生大佐」が小学校算数が出来ないのがわかるから(笑)。
「常民の空」http://blog.goo.ne.jp/soni19miyasita/e/9c1de29981b5a1f9cf389f3874baf16e

それにしても早く教えてくれよ、仙様!知ってたら相手にしなかったぜ。春の農作業や、地域推進協議会なんかで、私今あんな人とつきあうほど暇じゃないだもん。

今回仙様のを読むと,この「柳生大佐」という人のネタ本は、どうやら宝島社の本と神門氏、山下氏の本3冊ていどらしいです。このていどの仕込みで、「農家は特権貴族」だとか、「土地を持っているのは利権目当て」だとか、果ては「農家から無償で土地を没収する」なんてことを、「99%の国民を代表」して言うんだからスゴイと言えばスゴイ。

フツー、専門外のことを書くときには、例えば私の場合、「地球温暖化CO2説」に対する懐疑など、賛否両論10冊以上は読んで、しかもネットで英文資料まで集めて、しかも今なおでも結論めいたことは書けないのにねぇ。

まことに不明を恥じております。初めは私に対して、「農業を自腹を切ってでも援助したい」とか、「ぜひ自分の考えた農業政策を、専門家の目でみた意見がほしい」なんて言って近づいてきたので、ついほだされてしまいました。以後、気をつけます。

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柳生さんが作っているのは幻想の「敵」だ

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柳生さん、落ち着きなさい。
なにをひとりで熱くなっているのですか?あなたはプライドをもって生きている人でしょう。でなければ自分のペンネームに「大佐」と付けるはずがありません。

大佐は単に軍隊の中の連隊指揮官である以上に、米国でも日本でも郷土で「カーネル」、「大佐」といえば郷土が生んだ誇りそのものです。名士の代名詞となっているほどです。大佐の制服を着用していれば、それがどこの国の制服であろうと、レストランでは最上の椅子に案内されると聞いたことがあります。

柳生さん、いや柳生大佐。
今のあなたの言動は「大佐」というより、むしろかつての左翼のクソガキだった私にそっくりです。

かつての私は悲寛容で、リクツっぽく、自分のリツクしか信用していませんでした。自分のロジックで世の中がなんとでもなると錯覚していました。世の中で自分が一番よく目が見えて、自分がいちばん働き、自分の能力と考え方で世の中を分析しきれているはずだから、それを理解しない奴は馬鹿だ、と。

ところがその「はず」からこぼれ落ちることが多かったのです。それが多くなればなるほど焦って、攻撃的になりました。正直にいいます、それがかつての私です。

結果は、孤独でした。
今のあなたがどうか知りませんが、かつての私は孤独でした。孤独というほど人を蝕むものはない。違いますか。孤独な人には、いや正確に言えば、自分が孤独であり、能力があると信じている者は、他者の存在や、他の人がどんなにして働いているのか、どのようにもがき苦しんでいるのかに対して想像力を使ません。

とうぜんのことのように、そのような者には「敵」が生まれます。現実世界の敵でだけではなく、仮想の「敵」です。

昔の私にとってそれが「日本」という国でした。日本という国を誰が、どのような時間をかけて、いかにして、作って来たのかということ知ろうともしなかった。

これが修羅です。柳生さん、たぶんあなたも修羅にいます。

私が自分の生まれ育った国を憎むという不健康な精神から蘇ったのは、農民になったからです。この「村」に生きて、あたりまえに土や家畜や家族と暮らし、道の轍によけるようにして咲くイヌフグリの花を美しいと思えるようになってからです。

経済的には価値のないただの谷津田が、百年の年月で作られたと知ったからです。そしてそれが大きな地域の中で意味を持っていると分かったからです。「優良農地」を集約するのはけっこうでしょう。ではこの谷津田はたぶん捨てられますね。
ならば、谷津田という大きな「村」の中にある生態系のモザイク絵の一角は崩れていくことになります。

私は何回か前のブログ記事で、農業というのは単に生産ではないのだと書きました。この記事こそあなたに送った私のもっとも重要なメッセージだったのですが、あなたは素通りしました。

柳生大佐。あなたは今、自分の想像の中で「敵」を作っています。それがなぜか私たち「農民」です。その中での農民はあくまでも醜く、自分の土地を投機だけのために囲い込み、あまつさえ税金をネコババしているだけの卑劣な存在です。

それがあなたの「敵」です。だから、いつあなたが代表したのかわからない「999%の国民」の怨念をこめて「国家による公共目的のための農地収容」という方法を考えました。

しかし、それはあなたの仮想現実の「敵」を作り出し、それに対する「あなたの」闘争でしかありません。だから私は現実性がないと言ったのです。山下一仁氏のように現実の農業や農民を知り、それを長い時間かけて分析していればあなたのような浮ついたことは言えるはずもありません。

柳生大佐の政策をアジテーション調で言ってみましょうか。こうなります。

「農地を国家所有せよ!農民は特権貴族階級だ。あいつらは土地を投機目的だけで握っていやがるんだ。いままでさんざんぱら国民の金をガメてやがったんだ。だからこんな利権稼ぎの農地は国家買い上げろ。宅地並、とんでもねぇ。ジタバタいうなら無償だ!すべてが合法だ!これは憲法や人権憲章でも許されている公共性の発露なんだから!」

柳生大佐。もはやこれは農業政策でもなんでもなく、私たち農民という同じ日本人同胞を「敵」と見立てた単なる滑った煽動にしかすぎません。あなたは同胞の中で憎悪を煽っているのですよ。かつてユダヤ系ドイツ人を、「国家の中の敵」、「民族の寄生虫」と決めつけたドイツの蛮行を繰り返すつもりですか。

私たち農民を土地強制収容や兵糧攻めまでして滅ぼしたいとまで言うあなたのネガティブな情熱は、あなた自身が作りだした「敵」です。仮に、その意志が「優良な農地を優良な耕作者に与える」という良き意志だとしても。

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柳生様のコメントに寄せて その2 優良農地の国家買い上げは解決方法か?

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昨日に続いて農業の大規模経営について考えてみましょう。私はこれもひとつの方法だと思います。というと大規模農業「こそ」が日本農業の新しい次元を作り出すと思われている方にはご不満かもしれません。

この大規模農業経営という方法は、農業外から参入する企業や、新規就農者のバリバリの方を中心に支持されているようです。しかし、案外、農業内部では人気があるような、ないような経営形態なのです。

なぜでしょうか?それはこの大規模農業経営をするには、いくつかの条件が揃っていなければならないからです。資金?まぁ、それもありますが、決定的要因ではありません。資金のほうは低利の政府系農林関係資金がゴマンとあります。

問題は耕作地なのです。今は耕作放棄地が埼玉県の面積になったと騒いでいるほどですから゛外部からみれば一杯ありそうな感じがします。そう確かにいっぱいあります。ただし、こりゃ借り手がドン引きするような傾斜地や、どうやっても機械が入らないような谷津だったり、はたまた進入路が他人様の敷地を通過せねばならなかったりします。

またひとつひとつの耕地が、アッチに2反歩、コッチに5反歩といったていたらくで、バラバラなのが現況です。当然、地権者もバラバラです。ただ、このところ、行政や、農業委員会、JAなどが間に入って仲介する農地バンクが浸透してきていますので、バラバラを気にしなければ農地はあることはあります。

では、このようなバラバラに離れた農地を借りるとどうなるのでしょうか?実は、私の所属する農業法人の現場リーダーはこれで毎日悩まされています。まず、朝にトラクターを輸送専用トレーラーに積み込み、人員もバンに打ちまたがって畑に出撃します。この積み込みと移動だけで小一時間。

そしてまた機械を下ろして仕事にかかると、たちまち10時の一服。15分休んで11時半には会社の食堂に戻るか、あらかじめ弁当を用意せねばなりません。また午後もこの調子ですので、移動と機械の積み下ろしだけで軽く1時間強はみねばなりません。

このようなロスがないのは、ごく限られた地域になります。茨城県ならば県西部の白菜地帯でしょう。ここでは一軒の農家が5町歩、10町歩を経営していますが、わが県ではレア・ケースです。
各県にもこのような平坦でまとまった耕地はあることはありますが、そのような条件のいい農地は絶対に貸してもらえないでしょう。

北海道や大潟村は、日本の農地の例外中の例外なのです。また、稲作となると、確かに集合していますし、基盤整備も出来ています。また機械化もできていますが、こんどは改良区を丸ごと借りるという荒技が必要になります。正直言って、現状の改良区を丸ごと借りるというのは限りなく不可能だと思われます。

特に民主党政権の農家所得補償制度が入ってしまった以上、好むと好まざるとに関わらず、農家、つまりは地権者=水利権者は貸すメリットがなくなりました。この政策は兼業農家の永久化政策ですので、農地の流動性はいっそうなくなっていくことでしょう。

では、これがじっれったいと思われている柳生さんが提唱なさる「国家による優良農地の直接買い上げとやる気のある人への再分配」という政策を考えてみます。気分はわかります。しかし残念ながら私はこのような先行きしか思いつきません。

まず、いったん買い上げた土地が再分配は誰がどのような場でするのでしょうか?国家直接事業な以上、それは入札方式になります。ダムなどと一緒です。ダムは山間部でしたが、「優良農地」は農村部のど真ん中です。言ってみれば、この国家直接買い上げ政策とは、国が農村の中に無数の「ダム」を作るのと同じです。

それがどんな狂乱になるのか、考えるまでもありません。税金のかからぬ公共事業にかかって少しでも有利に手放したい農家、先祖伝来の農地を手放したくない農家、賛成する地域、反対する地域。橋一本かかるのでさえ、大騒ぎする村が、こんな田んぼをお国が買い上げてくれるという願ったりかなったりの政策でどんなに狂うか・・・正直、あまり考えたくないですね。全国に三里塚と辺野古をバラまくようなもんです。

それだけではなく、地元利害を取り持つ現地有力者や政治家、そしてせり落とす企業、農水省の省益。それらが血眼な談合を繰り返すことでしょう。

そしてこの狂乱が終了した後にできるのが、政権党農水族-農水省-参入企業の三角利権構造という見慣れた巨大建造物だとしたら、ぜんぜん面白くないですよね

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柳生様のコメントに寄せて

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柳生様。コメントありがとうございます。
何度か読み直させて頂きました。私なりに要約すれば、客観的な論者を軽く見るのは誤っているというのが第一点。
また、現在の日本の政治経済の危機的な状況においては、いつまでも農村に富の再分配はできないというのが第二点。

日本農業が食料の輸入関税の障壁を高くしているので、日本の工業製品の輸出の足かせになっている。いつまでも日本農業を支えられないので、もし二者択一となれば輸入食料を選ぶ、ということが第三点となるでしょうか。

そして最後の四点目が、解決策としての農業の大型化です。

実は、私のブログに初期からおつきあいの方はご存じのようにこれらのテーマに関してイヤというほど論陣を張ってきました。あまり何度もやったために私自身、不謹慎ながら、もういいやと思いかけてきたほどです。
しかし、思えば私の、過去ログにあると言われても、新しくお知り合いになった方は知りませんものね。

正直に言って、どう話せば理解してもらえるのか今日一日悩みました。前回もかなり心をこめて書いたつもりでしたので。


ま、しかし、誤解から解いておきましょう。私は山下さんの「農協の大罪」を、ほとんど座右の書にしていたことすらあります。あれはすごい。新書にしておくのはもったいない。なにより農業に愛情をもって書かれているのが分かります。書評を書こうと思ったほどです。

私は聞く耳は大きいほうです。ただし、私が農業「内」という立場はいささかも変わりません。また矛盾するものでもありません。

次に、農業の大型化ということですが、私が創設した団体はその大型化の有機農業分野での先駆でした。また、県の境界を超えて最大時は有機JASの畑を130町歩(ヘクタール)を管理しました。これは関東では最大でした。

大規模化の利点と難点を私は自分の目で見てきました。ただ規模的に大きくすればいいのか?単一作物で、米だったらた米のみで大型化するのか、それとも野菜や小規模畜産を組み合わせた輪作体系を取るのか?それ次第で同じ「大型化」でも内容がそうとうに違ってきます。

いずれにせよ、規模の拡大は同時にリスクの拡大でもあるのです。特に農業では自然に影響されるだけマキシムだといえます。大規模にやれば大規模に失敗します。

このような経験を踏まえて、今私はあえて「村のなりわいとしての農業」、「オール地域」という言い方をするようになったのです。

次回から少しずつ検討していきましょう。

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シー・シェパードの論理とは

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パタゴニア日本支社に対するシー・シェパード支援を止めるようにと訴えた私の抗議メールには未だ返答がありません。しかし、パタゴニア日本支社の広報担当者はこのように会見で答えています。

「当社のビジネスは最高の製品を作ることはもちろんですが、『環境危機に警鐘を鳴らし、解決していく』という理念があります。シー・シェパードの考え方もそうした方向性であり、シー・シェパードに賛同しない方もたくさんいるとは思いますが、賛同しない方々に対してもご説明し、理解していただけるよう対応したいと思っています」

シー・シェパードには強固な論理的な背骨があります。彼らの行為は一見、バットマンカーまがいの抗議船にうちまたがり海賊旗すらたてて、レーザーや矢を射るようなマンガチックなテロリストにすぎません。

彼らはある種の酔狂人にすらみえます。しかし、彼らの行為には独特の正義感とそれを徹底して実行に移す「狂気」があります。これが多くの、エコロジー団体と彼ら「エコ・テロリスト」を分ける一線でしょう。

いまやあまりにも有名になったシー・シェパードの首領であるポール・ワトソンは元船員で、グリーンピースの抗議船にも乗り組んでいました。彼は船員という特殊技能とその類まれな行動力でグリーンピースの中で頭角を現しました。

貨物船に乗っていたワトソンは筋骨たくましい男で、アーミージャケットにありとあらゆる反権力のパッチをつけていた男だったそうです。インテリが多い初期グリーンピースの中で珍しく役に立つカッコイイ奴だったでしょう。同時に彼も心秘かに思っていたのでしょう、「こんなヌルイ方法じゃあどうにもなんねぇ」と。

彼がグリーンピースと袂を分かったのは、1977年のタテゴトアザラシ猟に対する反対運動でした。ワトソンはタテゴトアザラシの毛皮に染料をかけて商品価値をなくそうとし、狩猟者と暴力事件に発展します。その中での彼の暴力行為に対して、グリーンピース指導部は彼を厳しく批判します。その言葉はワトソンにとっては屈辱的だったことでしょう。

「君には判事と陪審を務める権利はないのだ」、「ひとり自警団を任ずる権利は君にはない」

この彼への言葉は、後の彼らを思うと暗示的です。このようにしてワトソンはグリーンピースを追われ,シー・シェパードを作ります。彼は、このときに大きく一線を乗り越えたのでした。シー・シェパードはグリーンピースから放り出されたいわば分派だといわれるのはこのような理由からです。

では、このようなグリーンピースの批判にワトソンは、・・・後にエコ・テロリストといわれる人たち・・・はどのように反論したでしょうか。それはこのようなものです。

われわれはテロリストではない。ほんとうのテロリストは他に存在する。原生林を破壊し、リゾート目的で汚水を流し、毛皮のコートのために希少生物を殺す。「自然の権利」、「動物の権利」を奪っているのではないか。

ワトソンたちはこのような状況を「急迫性」をもった状況だと捉えます。そこまではいいとしましょう。私もそう思います。次に彼らは、このような状況に対して仮処分という法的概念で対抗しようとします。仮処分とは、「いったん起こったら回復しえない重大な侵害に対して、当面の回復を保存する」ことです。

では、政府でもなく、ましてや産業団体でもないワトソンらはどうするのか?なんの権限も、力もない彼らはいったいどうやって「仮処分」を執行するのか?

彼らの回答が、テロです。
ぜったいに
許してはいけません。そのような恣意的な「正義による仮処分」をまかりとらせてはなりません。

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農業問題は絡んだ糸玉のようです。簡単に答えは見つかりません

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「日本の農民、いや日本農業それ自体 が滅びようとしている時に、あなたはどう日本農業を変えたいのだ」という質問をよく頂きます。

耳が痛くはあります。しかし居直るようですが、実のところ私にもわかりません。神門さんや山下さんたち農外者は、言ってはなんですがひとごとだから、突き放して言えます。農業外の人は、非常に明確に、見てきたように農業の欠陥を指摘し、矛盾をえぐります。それは参考にはなりますが、農業や村の内部に住む私かられば、切り込みの浅い深いはあれ、やはり一般論にすぎません。

というのは、今の日本農業は矛盾が絡み合った糸玉のようになっています。たとえば、矛盾の最たるものはたぶん膨大な国家予算を投じてなされる生産削減カルテルである減反政策しょう。

ではこれをすぐに止めてしまえばいいのかというと、私は赤松農水大臣が謝罪までした大潟村の涌井さんたちのようにはなれない。減反拒否の結果を、他の県内の農家がワリを喰って彼らの拒否分を負担しているからです。

では逆に、農家所得保障政策が重きを置いている兼業農家層こそが日本農業の矛盾の肝で、この層をなくしてしまえばいいのかと言えば、これまたそう簡単にはいかないとも思います。

というのは、大潟村は「村」であって村ではない人工的に作られたパイロット事業のモデルタウンだから、あんな過激でひとりよがりの減反拒否運動ができるのであって、一般の村で同じようなことは地域を割る覚悟がなければできないことです。

村は生産の場である以前に、共同体として「住む」場であるのです。兼業農家は確かに農業外の人からみれば、耐えられないようなイイカゲンで中途半端な「特権階層」i見えるでしょう。しかし「村」の住人なのです。

このように言うと、村内でかばいあう閉鎖体質に新規就農者のお前まで染まったのかと怒られそうですが、村という一定の広がりを持つ山あり、川あり、田んぼあり、畑ありという地域を管理しているのは、専業農家ばかりではないのです。

私の住む霞ヶ浦水系は、水の涵養される里山から田んぼへ、畑、河川へ、そして湖沼まですべてがワンセットで揃っている地域ですので、とても見えやすい地域だといえます。地域をこのひとつのつながった水系としてみると、いままでバラバラだったことがよく見えてきます。

水の涵養する林や森は、要するに裏山であり、荒れてはきていますが手を入れているのは専業農家や林業の人ばかりではありません。やはり地域の人がなにくれとなく手を入れているから、林が生き延びているわけです。

里山から下る小河川や農業用水は、田んぼの働きと別に考えるほうが愚かです。田んぼの働きと一対になって、というより田んぼに水をあげる為にそのような小河川はあるのですから。

そしてその田んぼ同士は、相互に無関係に存在しているのではなく、川や、ため池からの水系でひとつに結ばれています。この水系の共同管理こそが「村」の始まりなのです。

そして水の共同管理のための約束事や、取り決め、黙約などの中に村の人は生きています。それは専業、兼業の区別なくそうなのです。実際に兼業農家に稲作を止められたら、それを引き受ける実力がある専業農家はそうそうあるものではありません。

というのは、能力的にみて、ひとつの農家で出来る上限は、20町歩くらいでしょう。もちろん大型機械を入れての話です。法人化して、会社化すればもっと上がりますが、しかし限界があります。大潟村のような干拓地を別にして、基盤改良されている稲作地には限りがあるからです。当然減反による、転作作物を作る負担もあります。

そのように考えると、米作は兼業農家が米を作っているから成り立っているのも一面の真実なのです。そして彼らにペイするの米価相場も当然あるわけで、だからこそこのような減反という生産カルテルを結んで、維持しているわけです。その意味で減反は、一種の必要悪ともいえます。

このように考えると、兼業農家はパートタイム農家でグレーゾーン農家だから、彼らの農地を集約して、大型化すれば生産効率が上がって問題解決になるというのは、農業や村をよく知らない人の意見に思えてくるのです。

もちろん、私は今の農業のあり方はあまりに非効率的だと思うこともしばしばです。ですが、簡単に減反をなくせばいい、兼業を止めさせて大型化すればいいという意見には軽々にうなずくことはできません。

農業問題は複雑なのです。それは人工的に誰かが作ったのではなく、たとえば農水省や自民党農水族だけが作ってきたのではなく、長い時間をかけて出来上がってきた有機体のようなものです。
人工的なら、それこそ政権交代すれば簡単に解決するでしょう。しかし、ひとつの結果には原因があり、その原因は別の結果につながり、常に揺らぎながら環境に適応しようとして生きている、福岡伸一さん流に言えば動的均衡を保っているのが農業、あるいは、「村」という生き物なのです。

処方箋はひとつではありません。たぶんいくつもあります。有機農業への道や集約大型化、都市住民の農業参加やいわゆる六次産業化という道もあるかもしれません。いずれにせよ、農業は、これらの方法をたぐり寄せながら、いくつものトライアル&エラーを重ねて、地域として進んでいくことでしょう。

■写真 雪をかぶったホオズキ。

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組織の平時と危機  私の経験した原子力事故体験からみた危機状況

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いやー、今年は雪が多い。地球温暖化のせいでしょうか。ほとんど、気分としては毎日雪です。まぁ、あくまで気分ですが。 上の写真は昨日の仕事の情景ですが、寒いとやはりしんどいです。あたりまえか(笑)。寒い表から室内に戻ると、一杯の温かいお茶がしみ込むようにおいしいものです。

さて話は変わりますが、トヨタがアメリカで袋叩きにあっています。トヨタ社長の謝罪会見の腰の角度が浅いまで言われちゃたまらんだろうな。長年、米国共和党との蜜月にあぐらをかいていた報いです。

そして、あれだけの世界的巨大企業として、信じがたいほど危機管理ができていないのには驚かされます。私は自分のグループの代表責任者をつとめていた時に、ご丁寧に2回も「危機」を体験したことがありました。

トヨタの鼻毛の先にもならないちっぽけなグループですが、危機管理においては本質的には共通のものを持っているようにみえます。今日は少しそのあたりをお話します。

最初の体験は、東海村の原子力燃料会社(原燃)の死者も出た大事故による放射能漏れでした。放射性物質が折からの風に乗って、非常に広範囲にバラ撒かれました。

当時、私のグループはパルシステムとの「有機野菜ボックス6品入り」という産直商品を立ち上げてわずか2カ月にもならないヨチヨチ歩きでした。ここで打撃をくらってしまえば、それまでの2年間に及ぶ準備期間は一瞬にして灰になります。

このような危機が起きた瞬間、えてしてその現地では案外ポカンとしているものです。爆心地に近いほど情報がないからです。第一、それがいかなる危機をもたらすのか自分の今までの経験にないものですから、なおさらポカンとしてしまいます。

ところで、今ここにふたつの問題点が出ていることに気がつかれましたか。
まず第1に、絶対的な情報量不足です。しかも、初期の情報はテレビ、ラジオでも錯綜していることが多く、第一情報量そのものが圧倒的に少ないのです。


このような場合、伝聞情報は信じてはいけません。イヤでも耳に大量に入ってきますが、テレビのコメンテーでも、伝聞情報にすぎません。唯一信頼に足りるのは、あくまでも公式機関の発表と記録です。そして地元新聞社と関係者ルートです。私はこの事件の時に、水戸気象台、茨城新聞社、茨城県庁、モニタリングポストの数値記録、そして反原発関係者以外からの情報は信用しませんでした。

第2に、突発的な危機は通常の日常業務システムの枠の外で起きているために、大部分の人間にとって鳴り続ける電話を前に「何をしてよいのかわからない」という、一種のの組織的脳震盪状態に陥ってしまうことです。

このとき私がしたのは、現地ができることを絞り込むことでした。まず、情報を集めること、これに尽きます。特に、事故があった東海村原燃の当時の風向きを早急に調べて、私たちの生産エリアに影響が出ているのかを調べることです。

同時に、窓口で電話を取るスタッフに絶対に恣意的な情報を答えてはならず、ましてや謝罪などしてはならないと言い伝えて、私は外に飛び出しました。私はいつもはボーとした昼行灯ですが、こういうヤッチャ場になると妙に張り切ってしまいます(笑)。

それはさておき、このような時はつい軽々に状況もわからないままに関係諸信頼面方面の電話に対して「申し訳ありません」とか、聞きかじった情報を整理しないままに相手に伝えることが多いのです。
仮にこちら側の現地の人間がうかつに、「え~、このような放射能事故の場合に放出されるストロンチウムの半減期は一万年でして・・・」なんぞとやってしまえば、それがあくまでも一般論であったとしても、聞いたほうは
、現地から出た発言だけに重く受け止められ、「えっ、現地でストロンチウムが出たって!大変だ!」というような尾ひれがつき、火に油を注ぐような結果になりかねません。後からみればバカな話ですが、このケースは非常に多いから困ります。

私が車を飛ばした先は、隣村にある放射能のモニタリングポストでした。私は東海村原子力裁判の原告団のひとりなもんで、思わないことろでそれが役に立ちました。

と、同時に電話で水戸気象台に当時の風向きを聞き、茨城新聞や原告団の人に連絡を入れて情報をくれるように依頼しました。ここまでだいたい2時間ていどがたっています。

到着したモニタリングポストのある隣村の役場もパニックでした。担当者がつかまりません。私が聞きたかったことはただ一点、現在放射能物質がこの地域に降下してきているのかどうか、です。それがやんぬるかな、かんたんにわからない!

各所に頭を下げまくって、ともかくモニタリングポストの数値を聞くパイプをつけて、気象台から風向きと風速のデーターをもらい、後は状況を整理して、対策を建て直し、そして一刻も早くグループとしての声明文を発することです。

上がって来た情報では、事故当時の風向きは西風、それもかなりの強い風が吹いていたことがわかりました。東海村西側の方々にはまったく申し訳ないのですが、正直ホッとしたことを覚えています。なぜなら、私の地域は南東だからです。風速まで考え合わせると、事故直後のもっとも大きな放射能を帯びた風は、既に西側下流地域に飛散したと考えられました。

ここで正式な団体としての第一報を、この風向き情報と抗議声明と合わせして各方面に文書ファックスしました。そして夕方ちかくなって、ようやく隣村のモニタリングポストの数値が出てきて、結果は異常を認められずでした。これを含めて、夜まで集まった情報を追加情報として出し続けました。

このようにして私の初の危機管理は終わりましたしたが、この手当てをしてもなお、受けたダメージは大きく、注文数はわずか3分の1にまで激減し、長い苦しい冬を迎えることとなります。

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ジルーという陶工と会ったことがある

002_edited1 沖縄に金城次郎さんという伝説的な陶工がいる。
沖縄の民窯をヤチムンいう。そもそも完全な日用品として始まった。戦後、焼け野原になった沖縄ですっかり什器が焼けてしまったんで、せっせと日常使いの皿やお碗を作ったのが、金城次郎さん、いやジルーたち戦争から返ってきた沖縄の陶工たちだっだ。

ジルーの陶器を特徴づけるのは、そのスピードと勢いだ。
アートを作っている気なんか作る方も使う方もさらさらないから、スピードが第一。一日何個が出来るのかが大事だったんだろうね。そして当時はガス窯なんかないから、登り窯だろ。もう製品としてばらつきなんてのは当然なわけだ。それがジルーの勢いのある線彫りの面白さとなって生きてくる。手工業的ではあるが、量産がジルーを生んだともいえる。
彼の作品はたまに抱瓶(ダチビン)の注ぎ口がゆがんでいたりする。たぶん大手の工房でこんなものを作ったらハネ品だろう。上の写真のダチビンも実際にジルーの工房で買ったものだ。まだ彼がご存命だった時だ。たぶん彼が50代のバリバリの時だ。まだ私が29の時くらいだったか。
その時のことは今でも鮮明に覚えている。8月の沖縄。ご想像くだされ。12時半くらいに、迷い迷って彼の工房にたどり着いて、昼休みだったので汗だくでへたへたと木陰にへたり込んでいた。
1時頃に工房の人たちがぞろぞろ出てきて、その中にジローさんもいて、冷たいャお茶をごちそうになり、ちょっとだけ話が出来た。
こっちも汗だくだが、ジローさんもヨレヨレの汗くさいTシャツを着て、グローブみたいな「
使える手」を持つ働く男だった。まるで農民みたいだった。
工房(なんてシャレたものというより町工場)の横で直販していたヤチムンをいくつか買った。そのときにジルーはいくつかあるダチビンの中で、いかにも金のない私を見たのか、「これがいいよ。口が曲がっているが。色がいい」と言って譲ってもらったのが、もう手元にはないが、藍色のグルクンが踊るダチビンだった。
すばらしいあの藍色、線刻の勢い!グルクンがあの狭い空間が足りなくて、踊って飛び出しそうだ。そして私はあの藍色がたまらなく好きだ。あれは豊穣の沖縄の海の色だと思う。
その深い藍色はお孫さんの金城吉彦さんにも受け継がれている。しかしスピード、つまり勢いまでは遺伝しなかったが。なぜなら、今彼が作ろうとしている工芸であり、アートであり、偽悪的にいえばみやげ物だから。そして祖父が作っていたのは日常雑器だったから。_edited
ジルーは人間国宝なんてものになりたくもなくてなってしまい、自分のたかだか一個のマーカイ(お茶碗)がウン万円の値がつけられた時に、「ちゃーならんさ」(訳す必要はないだろうが、「しょうがないね」)と言ったそうだ。そして老齢も重なって急速に作る意欲をなくしていった。
生涯一陶工で何が悪い。ゲージュツ家になんかなるものか、それがジルーの心意気だった。
ま、金城吉彦さんもジルーの孫という七光プレッシャーと戦っているのかもしれない。なにせ今や彼の属する工芸集団は金城一門なんて大相撲みたいな存在だからな。確かに線刻の勢いはないが、それは偉大すぎたジルーオジィと比べられるからだと思う。
■写真 上が金城次郎さんの海老のダチビン。よく見ると右肩に「次」のサインインがあります。下が孫の金城吉彦さんのグルクンの皿。ちなみにサインは「吉」。

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自分

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 今の私の心境に響く詩とめぐり合いました。

               自分                                   

         朝に目が覚めると
         今日もまた 自分だった
         大きくなりはせず
         小さくなりはfせず 
         風邪は引かなかったが
         羽が生えることもなく
         わたしは自分だった
         誰ひとり通らぬ夜道を
         照らす街灯が
         暗闇に囲われようと
         なお灯火であるように
         朝に目が覚めると
         ただひたすら、そう
         わたしは自分だった 

                  沖中 潮広

■写真 2月14日の雪の早朝。欅の樹が霧氷になりました。

                                  

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パタゴニアはシーシェパードへの支援をやめよ!

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拝啓。パタゴニア日本支社様。
私はショイナードの時から貴社とおつきあいしてきました。もう35年近いつきあいとなります。パミール高原からフンジュラブ峠を超えた時もパタゴニアのフリースを着ていました。
貴社の製品は高価ですが、品質は最高で、フィールドで確かめられた使い勝手のよさがありました。
今回、貴社製品とを使用することを止めるに至ったのは、いつにかかって貴社がシーシェパードという環境テロリスト団体の支援企業だからです。私は有機農業を志して30年、自分の人生を通じてエコロジーを実践してきました。
言うまでもなく、エコロジー運動の大前提は非暴力です。立場が違う他者を暴力的に攻撃しながら、なにが環境保護ですか!なにがセーブ・ホエールですか!
そしてとうとう昨日、日本の調査船に負傷者が出ました。
化学薬品弾を投擲し、レーザーを浴びせかけ、殺傷能力を持つ矢を射撃し、当たり屋まがいの行為におよぶシーシェパードと称するゴロツキたちの行動は、もはや環境保護運動の一線を軽々と超えてしまいました。そして、地道な環境運動にとって脅威となります。彼らはエコロジー運動の無法者、そしてツラ汚しです。
たとえば、私は霞ヶ浦の環境保全運動を続けてきましたし、貴社の環境助成金もグループとしていただいたことがあります。
しかし今、私の中に黒く芽生えている疑問を言いましょう。私たちへの助成金は30万でしたが、シーシェパードに行った「助成金」は桁がまったく違うはずです。となると、これでは私たち市民環境グループに対する助成金は、単なるテロリスト団体への支援の隠れ蓑でしかないことになってしまいます。
こんなテロリストそのものの団体を支援する貴社を、私は到底理解しかねます。このような支援を続けたいならば、それが正しいと信じるならば、シーシェパードの船腹にパタゴニアのロゴを大書きしなさい。さぞ、すばらしい宣伝効果が得られることでしょう。
貴社は、今、パタゴニア・ファンの多くに驚きと戸惑い、そして嫌悪の感情が流れていることにほんとうに気がついていないのです。
パタゴニアは、単なる営利企業であることにとどまらず、経済行為それ自体を社会問題や環境問題の解決につなげていくという新しい社会的スタンスを選びました。この提案と実践が鮮烈だったことをよく覚えています。大きくそびえる終身雇用の企業体ではなく、あたかも人のように歩み、社会参加する企業であることは、あるべき企業付加価値として理解されてきました。
パタゴニア日本支社様。
今後私は貴社の製品を買うことは、貴社がシーシェパードへの支援を止めない限りないでしょう。なぜなら貴社の製品の売り上げの一部が、エコテロリスト組織の支援に回り、同胞を一方的に攻撃しているのですから。私の支払った金の一部が、幼稚なテロリズムと暴力に使われることなど考えただけで吐き気すらします。
20年間は着て、もはや皮膚の一部のようになってしまったパタゴニアのフリースを着てこのメールを書いています。お願いです。私のようなオールド・ファンを失望させないでください。
そして人を傷つけ、憎悪と恐怖を拡大するだけのテロリストへの支援は即刻止めて下さい。
                                           敬具

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東京タワーを作ったのは、このオレだ!

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少しばかり温かくなったような気もしますが、まだまだ寒いですね。三寒四温とは良く言ったもので、最低気温が零下4度、5度が4、5日続いた後に、2度ほどになると急に温かいと思うのですから、不思議です。

わが村の梅がそこに一本、あそこに2本と花を咲かせ始めました。農家は2月の声を聞くと、いっせいに忙しくなります。夏野菜や米の育苗、冬から春先に起こしておかねばならない畑や田んぼが待っています。仕込んであった堆肥も、一緒に撒いて、トラクターでかき回します。

堆肥を畑に入れられる時期は年に何回もなく、この冬から春先と夏野菜の前の大きく2回です。だって畑が開きませんもんね。

土壌せん虫の被害などは冬の天地返しでかなり防ぐことがでます。そりゃ虫もヌクヌクとお休み遊ばしていたのに、いきなり酷寒の野天に放り出されれば、寒いよな。この冬のひと手間があって、温かくなった5月以降の作柄が違ってきます。

昔、冬は東京に出稼ぎに行ったそうです。当時は今のように重油を燃やして加温するなどもったいなくて出来なかったし、セリやレンコン栽培も普及していなかかったためもあり、秋の稲刈りが一段落すると、東京に出稼ぎに行ってドカタさやっただ、というのが近所の農家のジィ様の話です。

初めは山谷にいたのですが、沖仲仕のほうが儲かるということで横浜の寿町にまで行ったそうです。しかし、コトブキは気性が荒く、毎夜のように賭場が開かれていて、出稼ぎのおいちゃんの虎の子の札が舞っていたそうです。くわばら、くわばら。
ジィ様(といっても当時は30代のバリバリですが)は、賭場の借金で首が回らなくなり、故郷に帰れなくなった仲間を見てチビって山谷に戻ったそうです。

東京タワーを作ったという豪の者もいて、その孫に言わせると映画「三丁目の夕陽」などを借りてきたら、いつもは抜けた歯で茶碗酒をしゃぶっているようなジィ様が、がぜん元気となり、あの展望台の工事さ、オレがやったのだとポロポロ涙したとか。

秋から春のだいたい5、6カ月間くらいの出稼ぎは、そこそこにまとった金になったそうです。この金で子供を学校に通わせたり、妻や子に新しい服を作ってやったりしたのでしょう。

別のジィ様は、冬ともなると福島の方まで牛を買いに出かけたそうです。牛のセリでいい牛を落としてオンボロトラックで村に連れて帰り、かねてから話をつけていた牛飼いに高く売り込むのだそうです。うまくするとけっこうな儲けになったとか。いわゆる馬喰(ばくろう)ですな。

こうして3月くらいまで働いてから村に戻り、田んぼをうなって、水を引き、農民最大の行事、田植えが始まります。

30年代の大恐慌時代の米国をさすらって歌ったピート・シーガーの唄に、「この橋を作ったのはおれたちだ」があります。その一節を思い出しました。


・・・オレの先祖や子孫には偉い奴などひはりもいない。けど、石炭掘って、橋を作り、この国を作ったのはこのおれたちだ・・・そう、この国の土台を骨をきしませて作ったのはこんなジィ様たちだったのかもしれません。

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「旅する百姓」としての立松和平さん

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立松和平さんが亡くなられました。
享年62歳でした。あまりに早い旅立ちでした。つい先日まで元気に活動をしていらしての突然の訃報です。ほんとうに驚きました。

私はf氏をうらやんでいたのかもしれません。彼を彼たらしめている驚くべき行動力、ダカールから知床まで、ほんとうに素晴らしい「脚」をもっていました。そしてその脚にふさわしい好奇心は枯れることがないようにすら思えました。

彼の出版されていないエッセーシリーズに「さとうきび畑のまれびと」という沖縄をテーマにしたものがあります。これは地元誌「うまる」に連載されていたもので、氏がまだ20代だった頃の復帰前後の沖縄貧乏旅行を描いています。

彼は当時まだポンポン船でいくしかなかったような与那国から、先島までくまなく回ります。本島においても米兵にヒッチハイクしたり、貧乏旅行者お約束のキビ刈りの手伝いをして金を稼いだりと、なんとも微笑ましい。私自身もあんなでしたから。

たぶん沖縄無銭旅行(おお懐かしいね、無銭旅行なんて表現!)が、後の「旅する百姓」としての立松さんを生み出したのではないでしょうか。

さて、彼が初期に書いた出世作である「遠雷」は、宇都宮時代の市の職員時代のものです。都市近郊の新興住宅地にはさまれたトマトのハウス農家の青年の蹉跌を描いたものでした。

あの小説はだいぶ前に、たぶん就農する前に読んだのですが、正直に言って、「重たいなぁ」という沈み込んだ気分にさせられたことを覚えています。そして、この主人公の持つ暴力性は、彼の同時代の空気なのかなとかってに想像していました。それから大分たって、たまたま書棚で見つけて再読し、この人は農家という存在を内側から見られる希有な作家だと思いました。

その苛立ちや、やりきれなさ、都市住民に対する屈折した怒りに似た心情は、通り一遍の観察からは生まれないものです。この「遠雷」という作品の持つ閉塞感と、後期の和平さんの「心と感動の旅」のようなテレビ番組で訥々と語る風情の彼と、私の中で長い間つながりませんでした。

たぶん彼は根っからの「百姓」だったのです。地を這い、足で地温を測り、植物を慈しむ眼を持ち、同時に土の呪縛から逃れたいともがいている「百姓」だったのではないでしょうか。

そのように考えると、和平さんは同時代を写し取るために「遠雷」を書いたのではなく、彼の中にある「百姓」の眼からはてしなく膨張し、農村を浸食していく都市を見ていたのだと気がつきました。

そして旅する和平さんは、帰る土地を持った百姓が故に、あのように無理なく、明るく、愛情深く、温容をもって生きられたのです。私は日本でひとりの心やさしき「農民作家」がなくなったことを悼みます。

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辺野古がなぜ重いのでしょうか?

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私のブログには保守の方から、共産党支持者の方まで、いろいろな人に訪れていただいています。右と左という尺度を使っては、私は解りにくいと思います。

たとえば、辺野古の海に基地を作ることに、私は明瞭に反対です。その限りにおいては私は、民主党や社民党と意見をひとつにします。ですから、名護市市長選で反対派が勝利した時にはほんとうに嬉しかった。心から祝杯をあげました。長かったね、よかったね。これで元の村に戻れる。祝電を打ちたかったくらいです。

私は普天間基地移転問題を、まず実感として知っているやんばるの人の生活や経済から考えます。そのしんどさや重さ、生きていることの誇りはかつて名護の山奥にでハルサー(農民)をしていた私の中にも、いまでも生きています。
それが私の百姓としての根っこの部分なのです。この根を抜いたら、私は私ではなくなります。少なくとも、農民を志した私の根の部分は死にます。

政治はその後です。「政治」はしょせん、「生活」より広くはないのですから。ではなにが「政治」なのか考えてみましょう。

社民党は一縷の望みのようにしてグアム移設を唱えました。また、普天間基地の地元の宜野湾市の伊波市長も同様に、グアムの米軍基地に移転先として余裕があるとか、既に米軍が移転計画を持っているといった言説を出し、プレゼンテーションをしています。

しかし、このグアム移転案は現実を踏まえていません。詳しくは必要があれば述べますが、そもそも米軍の,「グアムにおける米軍計画の現状」という米軍の評価資料を読み間違えた上での、希望的観測でしかありません。

同様にして、国内移設案は、その案が漏れると同時に自治体の反対決議が出るていたらくです。そんなに国内移転をしたいのならば、岩手か北海道にでも持って行きなさい。小沢さんが大好きな土木利権に大いになるでしょう。辺野古のそばの宜野座に国庫からくすねた土地買ってる場合じゃないって(笑)。

共産統系、あるいは、反米独立派の保守の方は、米国のイラン・アフガンなどの国際戦略の非道を説き、米国従属から脱すべしと言います。ご説ごもっともな部分があり、私としても気分としてはそのとおりとうなずきたいほどです。しかし、唱えていらっしゃる方自身が重々お分かりのように、今、目前の移設問題への答えにまったくなりません。

米軍が要求しているのは大きく2点です。
ひとつは海兵隊の兵力を投入する拠点基地です。そのためのヘリ基地として普天間基地あります。ですから、陸上兵員の駐屯地であるキャンプ・ハンセン、キャンプ・シュアブは普天間基地と同一の軍事的インフラなのです。この部分を残念ながら、ほとんどの人、いや首相ですら理解していないようです。

もう一点は、嘉手納基地にもしもがあった場合の緊急時の滑走路です。また逆に、嘉手納の空軍の空軍戦力の保護下に海兵隊基地を置くことが出来ます。その意味で、まさに好むと、好まざるとですが・・・、今の沖縄の軍事基地群は絶妙な位置関係にあり、現にそのようにして機能しているのです。

ですから、ここから普天間だけ単一な飛行場として移設できないわけです。これが相手側の、すなわち米国側の「政治」です。

そのように考えると、この「生活」と「政治」がぶつかる場所としての辺野古問題には答えはふたつしかありません。
ひとつは、「生活」のひとだびの勝利としての辺野古移設が阻止されることです。しかし、それは自動的にもうひとつの生活の犠牲の継続を意味します。つまり普天間の永続化です。ひとつの「生活」の勝利は、別の「生活」の犠牲の上にしかなりたたないのでしょうか。
そしてもうひとつは、その反対です。

私が辺野古の重さというのはそのような意味です。この重さを軽々と政局や党利に使って恥じない者を私は許せません。

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さぁ春!やるぞという意欲と、まだ身体が冬のままのぎこちなさとともに

10227_024_2雪をかぶった梅の実も、ようやく膨らんできました。村の中では零下4度の風の中、梅が一本だけ白い花を咲かせていました。この2月のいちばん寒い春先を通りすぎると、、さぁ春です!

しばらくご無沙汰をしました。先週の水曜日以来の更新です。先週の木曜に大地を守る会の茨城の新年会があり、なめがた有機農業推進協議会(ええい長い!)の講師なんぞやってしまいまして、1時間ばかりお話をしました。

ひと様 の前で話すのはなかなか緊張するものですが、特に同業者の人の前というのはなかなか独特の緊張をしてしまいます。技術的にイイカゲンなことを言うと、シラ~っとします。地域的なことを話すとなると、同じ地域の生産者がわらわらいますので、これまたイイカゲンは言えないというわけです。

かといって、思いだけくっちゃべっていればいいのかというと、それも聞く方にとってみればうっとおしいでしょう。まして抽象的に、「ええ~(←声が裏返っている)、有機推進協議会は、地域農業の活性化と町づくりへの参画の為に誕生いたしまた」なんていくら言っても、つまらないですよね。話す私のほうがつまらないもん。

今年の1月につくば学院大学で古家晴美先生(知的美人ですぞ)の講義にお招きされた時も、ズブの素人で、しかも必ずしも有機農業や畜産に関心をもってくれているわけではない学生に対して、何を話していいのかけっこう悩みました。

結局、かつてブログで書いたり、調べたりしたことに、自分の経験を加えてお話しました。いやー、ブログも思わぬ役に立つもんですなぁ(笑)。_edited1

さて、いろいろと考えていることもあります。春からの私の地域での有機の地域作りや協議会作りのことは、新有機農業支援法を取得するところから始まって、初めての行政とのコラボ、そして地域の未だ協働したことのない有機農業者との出会いなど、うれしいような困惑するような不可思議な気分です。

まぁ、これも春特有の気分なのかな。やるぞ、という意欲と、まだ身体が眠っているようなぎこちなさの中で、一歩前に出ます。

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巨悪は逃げおおせ、そして辺野古の海は埋め立てられる

067 トム・ウェイツを聞くようになった。特になんとも苦い汁を飲んでしまったような宵がいい。「スモール・チェンジ」に入っている ´トム・トラバーツ・ブルース¨゛Tom Traubert's Blues (Four Sheets to the Wind in Copenhagen という曲が特に今の私のお気に入りだ。

聞いていると、涙が止まらない。私はこの所、涙腺が弱いのだ。そういえば、日本のトワンム・ウェイツ、シオンの ´クロージングタイム¨゛に「酔どれトムのブルースを聞きたい」なんて、まんまのトレビュート曲もあったけな。

・・・なんともイヤになる、情けなくなる。辺野古の海の埋め立てはほぼ決定された。それで、今夜、私は苦い気分でいる。

昨日から、かしましく報道される「小沢不起訴」報道はお聞きになっていると思う。先週の東京地検検事の記者会見の時からその兆候はあった。「本来なら重大な起訴にあたる」と。

特捜部検事が言えなかったこの言葉をつなごう。
「小沢氏は本来、重大な罪に問われるべきであるが、諸々の圧力で起訴することができないこととなった」

私は権力の暗闘などには関心はない。ただ与党幹事長という強大な権力の前に特捜部が膝をついてしまったことを口惜しく思う。日本には、法の下の正義はないのだ。これでこの巨悪を掣肘できるのは、国民の声、すなわち私たちの世論の力だけとなってしまった。

話をもどす。それだけでは終わらなかった。カート・キャンベルが突如日本に飛んで来た。彼は、普天間問題の実質的な米国側の責任者だ。彼は国務次官補・東アジア・日本担当のトップという人物゚だ。その彼は誰と会談を申し込んだのか?当該担当の岡田外相、北沢防衛相、あるいは移設問題の責任者である平野官房長官なのか。

そうではなかった。キャンベルは、動揺する普天間問題に決着をつけうる人物に会いにきたのだ。それは言うまでもなく、怪電波発信源でしかない首相などであろうはずもない。キャンベルが海を超えて会いに来たのは、被疑者・小沢一郎その人だったのである。

米国がこの起訴されるかどうかというギリギリの時点で会談を設定したのは偶然だったのかもしれない。しかし、いずれにせよ、明後日には失脚する可能性のある者と会っても仕方なかろう。

米国は知っていたのである。司法当局は小沢権力に手を触れることが出来ないことを。そして小沢しか現政権内で、辺野古移転反対を唱える社民党を押さえ込む実力を持つ人物がいないことを。

会談は完全な秘密形式で行われ、会談後彼は「ナイス・トークス」」(いい会談だった)と語ったといわれる。おそらく米国は、小沢を最高権力者として承認することと引き換えに、普天間の辺野古移設になんらかの言質を引き出したのである。明文化されない秘密交渉。

たぶんそれは、期限の5月以前に無能な首相に小沢が引導を渡し、社民党を説き伏せ、その見返りに辺野古I移転を決めることだ。たぶん辞任する日に、鳩山首相はこうしゃらと言ってのけるだろう。

「私が一生懸命県外移設をしたようとした努力を、沖縄県民や国民の皆様には充分ご理解頂けていると信じております」

小沢の政治的延命とこの阿呆の首を引き換えにして、辺野古の海は埋め立てられることとなった。私はこの予想が外れることを心から望む。


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私には辺野古の地が三里塚の菱田に見えますよ

Photo_2昨日の夜半からみぞれに変わった雪は、夜に雪となりました。私の地方は鹿島灘と、ふたつの湖である北浦、霞ヶ浦にはさまれた温暖な土地ですので、雪は年に数回にとどまります。

ところで、こんな雪が降って、おかしなことにかつて入植した雪など降らない沖縄のことを思い出してしまいました。農業というのは適地適作というように、農業生産のそうとうな部分をその土地の有り様が決定してしまいます。たとえば私が最初に入植した沖縄名護の山の中だと、荒くれた山の石まじりの酸性土壌、おまけに傾斜地という三冠王。
そして市場までトラックで往復2時間という四重苦。沖縄やんばるとはそんな生きていること自体が大変な土地でした。

辺野古問題を私が単なる安保問題で考えられないのは、あの沖縄本島北部ヤンバルの生きることすら大変な地域を実感で知っているからです。私が沖縄に住んでいた時に訪れたヒヌクは、東海岸の大浦湾というこぶりな美しい湾に面した寒村でした。

復帰前までは細い道が、波に洗われるようにくねくねと続いていたそうです。この猫の額のような土地に、へばりつくようにして生きてきました。農業も漁業もままならない、

そこにキャンプ・シュアブや辺野古弾薬庫ができ、基地のほうを見れば、 夜でも不気味な赤い光が煌々と警戒している土地になります。これも基地の米兵相手の上がりは少ないので、コザやキン(金武)の賑わいとは比較になりません。軍用地代しか期待できないので、若い者がシマ(村)から出ていくしかなかった土地です。しかし、そこで生きてきました。

ここに降って湧いた普天間移設問題。基地をメガフロートという環境負荷が少ない方法にするのか、それとも埋め立てによるのかの工法でひとモメありました。メガフロートなどでは、地元の国場組などの建設業者たちが納得しません。そんなハイテク工法では、「わったぁらは支柱のペンキ塗りくらいしか仕事がないさ」と騒いだそうです。

結局、埋め立てによる従来工法が採用され、ジュゴンの海は沖縄内部の利害によって埋め立てられることに決まりました。ちなみに、沖縄本島の海岸線の生態系は、軍事エリアは比較的保全されています。軍事目的意外に彼らは関心がないからです。一方、他の民間エリアは、ホテル建設などのレジャー施設の潟の埋め立てや、排水による汚染は目を覆うものがあります。なんとも皮肉なことですが。

そして基地移設を条件として投じられた北部開発予算という名の延べ14年間数千億円もの国費、これが沖縄県、そして名護市長岸本市長をも惑わせた金です。たぶん名護プランの立案者である故岸本さんはそこにプランの原資を見たのではないでしょうか。地方行政官にとっては財源は命ですから。

そしてその北部開発予算の中に、調査費という「領収書のいらない金」が潜ませてありました。議会対策費や地元、対策費に使えという一種の官房機密費のような性格の金です。それが一説数百億円。地元対策費というのは、要するに地元を宥めるための金です。これがとうぜんのことのようにして、建設反対派の側にも流れ込んだと言われています。このようにして、地元の「村」は分断され、そして腐っていきます。

かつての成田、私には三里塚というほうがしっくりくるのですが、国策による巨大建設事業は地元を狂わせます。しかもそれが失政であった場合、そのリカバリーとして、また巨額な国費が投じられます。

構図は三里塚で見たものと同一です。国策の失敗がまずあり、それが国家政策の中枢が故に誤っていたとしても国としても譲れず強行し、そのために多大な国費を投じる。

国は、札ビラで農民の頬をはたくようにしてひとつひとつの村を滑走路の下に埋めていきました。拒否する者には、強制代執行と逮捕下獄が待っていました。
あるのは、農民の涙と血と、そしてゼニ。ありえない金を吸ってしまった土地。そして修復できなくなってしまった「村」。

私には辺野古の地が三里塚の菱田に見えますよ。そして埋めたらてコンクリートの下に消えるかもしれない辺野古の海は、今は消滅した駒井野部落に思えてなりません。こんな綺麗な雪景色の空の下で考えることではなかったかもしれませんが。

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