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2010年2月19日 (金)

組織の平時と危機  私の経験した原子力事故体験からみた危機状況

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いやー、今年は雪が多い。地球温暖化のせいでしょうか。ほとんど、気分としては毎日雪です。まぁ、あくまで気分ですが。 上の写真は昨日の仕事の情景ですが、寒いとやはりしんどいです。あたりまえか(笑)。寒い表から室内に戻ると、一杯の温かいお茶がしみ込むようにおいしいものです。

さて話は変わりますが、トヨタがアメリカで袋叩きにあっています。トヨタ社長の謝罪会見の腰の角度が浅いまで言われちゃたまらんだろうな。長年、米国共和党との蜜月にあぐらをかいていた報いです。

そして、あれだけの世界的巨大企業として、信じがたいほど危機管理ができていないのには驚かされます。私は自分のグループの代表責任者をつとめていた時に、ご丁寧に2回も「危機」を体験したことがありました。

トヨタの鼻毛の先にもならないちっぽけなグループですが、危機管理においては本質的には共通のものを持っているようにみえます。今日は少しそのあたりをお話します。

最初の体験は、東海村の原子力燃料会社(原燃)の死者も出た大事故による放射能漏れでした。放射性物質が折からの風に乗って、非常に広範囲にバラ撒かれました。

当時、私のグループはパルシステムとの「有機野菜ボックス6品入り」という産直商品を立ち上げてわずか2カ月にもならないヨチヨチ歩きでした。ここで打撃をくらってしまえば、それまでの2年間に及ぶ準備期間は一瞬にして灰になります。

このような危機が起きた瞬間、えてしてその現地では案外ポカンとしているものです。爆心地に近いほど情報がないからです。第一、それがいかなる危機をもたらすのか自分の今までの経験にないものですから、なおさらポカンとしてしまいます。

ところで、今ここにふたつの問題点が出ていることに気がつかれましたか。
まず第1に、絶対的な情報量不足です。しかも、初期の情報はテレビ、ラジオでも錯綜していることが多く、第一情報量そのものが圧倒的に少ないのです。


このような場合、伝聞情報は信じてはいけません。イヤでも耳に大量に入ってきますが、テレビのコメンテーでも、伝聞情報にすぎません。唯一信頼に足りるのは、あくまでも公式機関の発表と記録です。そして地元新聞社と関係者ルートです。私はこの事件の時に、水戸気象台、茨城新聞社、茨城県庁、モニタリングポストの数値記録、そして反原発関係者以外からの情報は信用しませんでした。

第2に、突発的な危機は通常の日常業務システムの枠の外で起きているために、大部分の人間にとって鳴り続ける電話を前に「何をしてよいのかわからない」という、一種のの組織的脳震盪状態に陥ってしまうことです。

このとき私がしたのは、現地ができることを絞り込むことでした。まず、情報を集めること、これに尽きます。特に、事故があった東海村原燃の当時の風向きを早急に調べて、私たちの生産エリアに影響が出ているのかを調べることです。

同時に、窓口で電話を取るスタッフに絶対に恣意的な情報を答えてはならず、ましてや謝罪などしてはならないと言い伝えて、私は外に飛び出しました。私はいつもはボーとした昼行灯ですが、こういうヤッチャ場になると妙に張り切ってしまいます(笑)。

それはさておき、このような時はつい軽々に状況もわからないままに関係諸信頼面方面の電話に対して「申し訳ありません」とか、聞きかじった情報を整理しないままに相手に伝えることが多いのです。
仮にこちら側の現地の人間がうかつに、「え~、このような放射能事故の場合に放出されるストロンチウムの半減期は一万年でして・・・」なんぞとやってしまえば、それがあくまでも一般論であったとしても、聞いたほうは
、現地から出た発言だけに重く受け止められ、「えっ、現地でストロンチウムが出たって!大変だ!」というような尾ひれがつき、火に油を注ぐような結果になりかねません。後からみればバカな話ですが、このケースは非常に多いから困ります。

私が車を飛ばした先は、隣村にある放射能のモニタリングポストでした。私は東海村原子力裁判の原告団のひとりなもんで、思わないことろでそれが役に立ちました。

と、同時に電話で水戸気象台に当時の風向きを聞き、茨城新聞や原告団の人に連絡を入れて情報をくれるように依頼しました。ここまでだいたい2時間ていどがたっています。

到着したモニタリングポストのある隣村の役場もパニックでした。担当者がつかまりません。私が聞きたかったことはただ一点、現在放射能物質がこの地域に降下してきているのかどうか、です。それがやんぬるかな、かんたんにわからない!

各所に頭を下げまくって、ともかくモニタリングポストの数値を聞くパイプをつけて、気象台から風向きと風速のデーターをもらい、後は状況を整理して、対策を建て直し、そして一刻も早くグループとしての声明文を発することです。

上がって来た情報では、事故当時の風向きは西風、それもかなりの強い風が吹いていたことがわかりました。東海村西側の方々にはまったく申し訳ないのですが、正直ホッとしたことを覚えています。なぜなら、私の地域は南東だからです。風速まで考え合わせると、事故直後のもっとも大きな放射能を帯びた風は、既に西側下流地域に飛散したと考えられました。

ここで正式な団体としての第一報を、この風向き情報と抗議声明と合わせして各方面に文書ファックスしました。そして夕方ちかくなって、ようやく隣村のモニタリングポストの数値が出てきて、結果は異常を認められずでした。これを含めて、夜まで集まった情報を追加情報として出し続けました。

このようにして私の初の危機管理は終わりましたしたが、この手当てをしてもなお、受けたダメージは大きく、注文数はわずか3分の1にまで激減し、長い苦しい冬を迎えることとなります。

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コメント

東海の放射能事故は濱田さんにとって、大変なことだったのですね。結果的に被害はそれ程ではなかったように、新聞などでは発表されていましたが、実体はどうだったのでしょう。チェルノブイリに比べるべくもない事故だったのですが、原発の怖さを知らしめました。
トヨタは大きくなりすぎた。どんな会社も大きくなると、会社の管理がおろそかになる。危機管理もマニュアルだけはあっても、現実に動かないことが多いのは、訓練が足りないのと、専門家をおいていないことにある。やはり、大事なのは人です。
民主党にはおそらく、危機管理マニュアルもなく、党として全体を管理する人もいないのでしょう。まあ、世界中の政党なるものも、同じようなものかもしれません。なんといっても、政治家になるような人はみんな、船頭になりたがるのですから、党といっても同床異夢なのでしょう。
誰かなんとかしてくれないか、なんて、言っていてはいけないのですが・・・。

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