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東京タワーを作ったのは、このオレだ!

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少しばかり温かくなったような気もしますが、まだまだ寒いですね。三寒四温とは良く言ったもので、最低気温が零下4度、5度が4、5日続いた後に、2度ほどになると急に温かいと思うのですから、不思議です。

わが村の梅がそこに一本、あそこに2本と花を咲かせ始めました。農家は2月の声を聞くと、いっせいに忙しくなります。夏野菜や米の育苗、冬から春先に起こしておかねばならない畑や田んぼが待っています。仕込んであった堆肥も、一緒に撒いて、トラクターでかき回します。

堆肥を畑に入れられる時期は年に何回もなく、この冬から春先と夏野菜の前の大きく2回です。だって畑が開きませんもんね。

土壌せん虫の被害などは冬の天地返しでかなり防ぐことがでます。そりゃ虫もヌクヌクとお休み遊ばしていたのに、いきなり酷寒の野天に放り出されれば、寒いよな。この冬のひと手間があって、温かくなった5月以降の作柄が違ってきます。

昔、冬は東京に出稼ぎに行ったそうです。当時は今のように重油を燃やして加温するなどもったいなくて出来なかったし、セリやレンコン栽培も普及していなかかったためもあり、秋の稲刈りが一段落すると、東京に出稼ぎに行ってドカタさやっただ、というのが近所の農家のジィ様の話です。

初めは山谷にいたのですが、沖仲仕のほうが儲かるということで横浜の寿町にまで行ったそうです。しかし、コトブキは気性が荒く、毎夜のように賭場が開かれていて、出稼ぎのおいちゃんの虎の子の札が舞っていたそうです。くわばら、くわばら。
ジィ様(といっても当時は30代のバリバリですが)は、賭場の借金で首が回らなくなり、故郷に帰れなくなった仲間を見てチビって山谷に戻ったそうです。

東京タワーを作ったという豪の者もいて、その孫に言わせると映画「三丁目の夕陽」などを借りてきたら、いつもは抜けた歯で茶碗酒をしゃぶっているようなジィ様が、がぜん元気となり、あの展望台の工事さ、オレがやったのだとポロポロ涙したとか。

秋から春のだいたい5、6カ月間くらいの出稼ぎは、そこそこにまとった金になったそうです。この金で子供を学校に通わせたり、妻や子に新しい服を作ってやったりしたのでしょう。

別のジィ様は、冬ともなると福島の方まで牛を買いに出かけたそうです。牛のセリでいい牛を落としてオンボロトラックで村に連れて帰り、かねてから話をつけていた牛飼いに高く売り込むのだそうです。うまくするとけっこうな儲けになったとか。いわゆる馬喰(ばくろう)ですな。

こうして3月くらいまで働いてから村に戻り、田んぼをうなって、水を引き、農民最大の行事、田植えが始まります。

30年代の大恐慌時代の米国をさすらって歌ったピート・シーガーの唄に、「この橋を作ったのはおれたちだ」があります。その一節を思い出しました。


・・・オレの先祖や子孫には偉い奴などひはりもいない。けど、石炭掘って、橋を作り、この国を作ったのはこのおれたちだ・・・そう、この国の土台を骨をきしませて作ったのはこんなジィ様たちだったのかもしれません。

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