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ジルーという陶工と会ったことがある

002_edited1 沖縄に金城次郎さんという伝説的な陶工がいる。
沖縄の民窯をヤチムンいう。そもそも完全な日用品として始まった。戦後、焼け野原になった沖縄ですっかり什器が焼けてしまったんで、せっせと日常使いの皿やお碗を作ったのが、金城次郎さん、いやジルーたち戦争から返ってきた沖縄の陶工たちだっだ。

ジルーの陶器を特徴づけるのは、そのスピードと勢いだ。
アートを作っている気なんか作る方も使う方もさらさらないから、スピードが第一。一日何個が出来るのかが大事だったんだろうね。そして当時はガス窯なんかないから、登り窯だろ。もう製品としてばらつきなんてのは当然なわけだ。それがジルーの勢いのある線彫りの面白さとなって生きてくる。手工業的ではあるが、量産がジルーを生んだともいえる。
彼の作品はたまに抱瓶(ダチビン)の注ぎ口がゆがんでいたりする。たぶん大手の工房でこんなものを作ったらハネ品だろう。上の写真のダチビンも実際にジルーの工房で買ったものだ。まだ彼がご存命だった時だ。たぶん彼が50代のバリバリの時だ。まだ私が29の時くらいだったか。
その時のことは今でも鮮明に覚えている。8月の沖縄。ご想像くだされ。12時半くらいに、迷い迷って彼の工房にたどり着いて、昼休みだったので汗だくでへたへたと木陰にへたり込んでいた。
1時頃に工房の人たちがぞろぞろ出てきて、その中にジローさんもいて、冷たいャお茶をごちそうになり、ちょっとだけ話が出来た。
こっちも汗だくだが、ジローさんもヨレヨレの汗くさいTシャツを着て、グローブみたいな「
使える手」を持つ働く男だった。まるで農民みたいだった。
工房(なんてシャレたものというより町工場)の横で直販していたヤチムンをいくつか買った。そのときにジルーはいくつかあるダチビンの中で、いかにも金のない私を見たのか、「これがいいよ。口が曲がっているが。色がいい」と言って譲ってもらったのが、もう手元にはないが、藍色のグルクンが踊るダチビンだった。
すばらしいあの藍色、線刻の勢い!グルクンがあの狭い空間が足りなくて、踊って飛び出しそうだ。そして私はあの藍色がたまらなく好きだ。あれは豊穣の沖縄の海の色だと思う。
その深い藍色はお孫さんの金城吉彦さんにも受け継がれている。しかしスピード、つまり勢いまでは遺伝しなかったが。なぜなら、今彼が作ろうとしている工芸であり、アートであり、偽悪的にいえばみやげ物だから。そして祖父が作っていたのは日常雑器だったから。_edited
ジルーは人間国宝なんてものになりたくもなくてなってしまい、自分のたかだか一個のマーカイ(お茶碗)がウン万円の値がつけられた時に、「ちゃーならんさ」(訳す必要はないだろうが、「しょうがないね」)と言ったそうだ。そして老齢も重なって急速に作る意欲をなくしていった。
生涯一陶工で何が悪い。ゲージュツ家になんかなるものか、それがジルーの心意気だった。
ま、金城吉彦さんもジルーの孫という七光プレッシャーと戦っているのかもしれない。なにせ今や彼の属する工芸集団は金城一門なんて大相撲みたいな存在だからな。確かに線刻の勢いはないが、それは偉大すぎたジルーオジィと比べられるからだと思う。
■写真 上が金城次郎さんの海老のダチビン。よく見ると右肩に「次」のサインインがあります。下が孫の金城吉彦さんのグルクンの皿。ちなみにサインは「吉」。

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コメント

私は抹茶碗の陶磁器を集めています。
石川県の金沢に旅行したときには九谷焼を10万円分ぐらい買ってきました。
おかげで4日間の旅行費が30万円もかかっちゃいました(2人でですが)・・・weep
 
金城吉彦さんのお皿・・・いいじゃないですか!
見事なものです。
 
私も若い頃・鎌倉彫みたいな仕事に就いたことがありますが・・・
職人芸と言いますか・・・名人芸と言いますか・・・
凄いものですよ!
指物大工のTさんという方の下で働きましたが・いい加減にやってるようで・仕上げはピタッと一分の狂いもなく完成するのです!
まさに名人でした。
お酒の好きな方でしたが・・・今はどうしているやら?

投稿: 柳生大佐 | 2010年2月16日 (火) 23時14分

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