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2010年2月20日 (土)

農業問題は絡んだ糸玉のようです。簡単に答えは見つかりません

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「日本の農民、いや日本農業それ自体 が滅びようとしている時に、あなたはどう日本農業を変えたいのだ」という質問をよく頂きます。

耳が痛くはあります。しかし居直るようですが、実のところ私にもわかりません。神門さんや山下さんたち農外者は、言ってはなんですがひとごとだから、突き放して言えます。農業外の人は、非常に明確に、見てきたように農業の欠陥を指摘し、矛盾をえぐります。それは参考にはなりますが、農業や村の内部に住む私かられば、切り込みの浅い深いはあれ、やはり一般論にすぎません。

というのは、今の日本農業は矛盾が絡み合った糸玉のようになっています。たとえば、矛盾の最たるものはたぶん膨大な国家予算を投じてなされる生産削減カルテルである減反政策しょう。

ではこれをすぐに止めてしまえばいいのかというと、私は赤松農水大臣が謝罪までした大潟村の涌井さんたちのようにはなれない。減反拒否の結果を、他の県内の農家がワリを喰って彼らの拒否分を負担しているからです。

では逆に、農家所得保障政策が重きを置いている兼業農家層こそが日本農業の矛盾の肝で、この層をなくしてしまえばいいのかと言えば、これまたそう簡単にはいかないとも思います。

というのは、大潟村は「村」であって村ではない人工的に作られたパイロット事業のモデルタウンだから、あんな過激でひとりよがりの減反拒否運動ができるのであって、一般の村で同じようなことは地域を割る覚悟がなければできないことです。

村は生産の場である以前に、共同体として「住む」場であるのです。兼業農家は確かに農業外の人からみれば、耐えられないようなイイカゲンで中途半端な「特権階層」i見えるでしょう。しかし「村」の住人なのです。

このように言うと、村内でかばいあう閉鎖体質に新規就農者のお前まで染まったのかと怒られそうですが、村という一定の広がりを持つ山あり、川あり、田んぼあり、畑ありという地域を管理しているのは、専業農家ばかりではないのです。

私の住む霞ヶ浦水系は、水の涵養される里山から田んぼへ、畑、河川へ、そして湖沼まですべてがワンセットで揃っている地域ですので、とても見えやすい地域だといえます。地域をこのひとつのつながった水系としてみると、いままでバラバラだったことがよく見えてきます。

水の涵養する林や森は、要するに裏山であり、荒れてはきていますが手を入れているのは専業農家や林業の人ばかりではありません。やはり地域の人がなにくれとなく手を入れているから、林が生き延びているわけです。

里山から下る小河川や農業用水は、田んぼの働きと別に考えるほうが愚かです。田んぼの働きと一対になって、というより田んぼに水をあげる為にそのような小河川はあるのですから。

そしてその田んぼ同士は、相互に無関係に存在しているのではなく、川や、ため池からの水系でひとつに結ばれています。この水系の共同管理こそが「村」の始まりなのです。

そして水の共同管理のための約束事や、取り決め、黙約などの中に村の人は生きています。それは専業、兼業の区別なくそうなのです。実際に兼業農家に稲作を止められたら、それを引き受ける実力がある専業農家はそうそうあるものではありません。

というのは、能力的にみて、ひとつの農家で出来る上限は、20町歩くらいでしょう。もちろん大型機械を入れての話です。法人化して、会社化すればもっと上がりますが、しかし限界があります。大潟村のような干拓地を別にして、基盤改良されている稲作地には限りがあるからです。当然減反による、転作作物を作る負担もあります。

そのように考えると、米作は兼業農家が米を作っているから成り立っているのも一面の真実なのです。そして彼らにペイするの米価相場も当然あるわけで、だからこそこのような減反という生産カルテルを結んで、維持しているわけです。その意味で減反は、一種の必要悪ともいえます。

このように考えると、兼業農家はパートタイム農家でグレーゾーン農家だから、彼らの農地を集約して、大型化すれば生産効率が上がって問題解決になるというのは、農業や村をよく知らない人の意見に思えてくるのです。

もちろん、私は今の農業のあり方はあまりに非効率的だと思うこともしばしばです。ですが、簡単に減反をなくせばいい、兼業を止めさせて大型化すればいいという意見には軽々にうなずくことはできません。

農業問題は複雑なのです。それは人工的に誰かが作ったのではなく、たとえば農水省や自民党農水族だけが作ってきたのではなく、長い時間をかけて出来上がってきた有機体のようなものです。
人工的なら、それこそ政権交代すれば簡単に解決するでしょう。しかし、ひとつの結果には原因があり、その原因は別の結果につながり、常に揺らぎながら環境に適応しようとして生きている、福岡伸一さん流に言えば動的均衡を保っているのが農業、あるいは、「村」という生き物なのです。

処方箋はひとつではありません。たぶんいくつもあります。有機農業への道や集約大型化、都市住民の農業参加やいわゆる六次産業化という道もあるかもしれません。いずれにせよ、農業は、これらの方法をたぐり寄せながら、いくつものトライアル&エラーを重ねて、地域として進んでいくことでしょう。

■写真 雪をかぶったホオズキ。

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コメント

仏教説話「猿侯・月を捉う」(えんこう・つきをとらう)より
昔・猿の王様が居て尊敬されていた。
ある夜 群れの猿が古井戸の水面に月が映っているのを見て
「大変だ!月が古井戸に落ちてしまった!」
と騒ぎ出した。
王様猿は「これは一大事!」と部下に命じて・傍らの樹木に猿達を登らせて月を拾い上げようとした!
ところがあまりに枝に猿達がぶら下がったので・・・
枝がポキリと折れて・・・猿達は全員・溺れ死んでしまった・・・
 
教訓
いくら善意であろうと・猿には”猿知恵(サルヂエ)”しかない・・・
”仏教と言う本当の知恵”が無ければ・悲惨な結果となる。
 
分かりますか?
濱田さん!
客観的に真実を見ることができるのは「部外者」の方です。
農村共同体の中にドップリと浸りきってしまているあなたには現在の日本農家がどのような位置にいるかが分からないのです。
何事につけて客観的に物事を見られるのは学者や部外者の方なのです。

戦後の日本は都会から税金を取って地方(農村)にそれをばら撒いてきました。
60年代70年代の高度成長時代それでうまく行ったのは・成長率が6~7%もあり・人口も増えていましたし・農村から都市部への人的流入がさらに相乗効果を上げていたからです。
 
ところが現在は少子化で成長率がゼロに等しく
都市から農村への「収奪のシステム」がうまく働かなくなりました。
濱田さんは「兼業農家も日本農業を支える」と言われますが
兼業農家の9割の収入をもたらす大企業が工場を日本から人件費の安い海外に移転する時代となっています。
(兼業)農家が”出稼ぎ”で多くを頼みとする「公共工事」も年々少なくなってきています。
つまり・もはや・・・
都市には農村に分配する余裕はもう無くなっているのです。
 
「七人の侍」は江戸時代ではなく・戦国時代の映画でしたね・・・
しかし・・・その江戸時代の農民は9割以上を占めていたのでしょうが・・・
現在・農家の人口比もGDPも微々たるものです。
反面・現在の日本経済を支えているのは圧倒的に「輸出産業」と「サービス産業」です。
海外からは
「輸出したいなら 農産物を自由化(関税を下げろ)しろ!」
という圧力が強くなってきています。
「二者択一」なら日本国民は”輸出産業”の方を取るでしょう。
あるかどうか分からない「食料危機」よりも・安い海外農産物でも構わないと考えるかも知れません?
輸入農産物に対抗するには「農業の大規模化」は欠かせません!
「変化する環境に適応する者のみが生き残る」
これが”進化論”の大前提です。

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