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シー・シェパードの源流・グリーンピースの錬金術   なにが彼らを堕落させたのか?

020_2 グリーンピースは今やとてつもない巨大な団体になってしまいました。会員290万人、支部数世界41カ国、専従スタッフだけで1万人以上はいると思われます。ほとんど多国籍企業といってよいでしょう。まちがいなく世界最大の「環境保護団体」です。

十数年前の一時期、私も会員になっていたことがありました。しかし、私が疑問に感じたのは、納めた会費の使途が不明なことでした。年次会計報告が一般会員にはなされず、単なるニュースレターしか来ないのです。

私はこれは環境保護団体としてはおかしいのではないかと、再三にわたてグリーンピース・ジャパンに問い合わせたのですが、ナシのつぶてでした。私はグリーンピースという組織は、なにか人に言えないような大きな「秘密」のようなものでもあるのかしら、と当時思った記憶があります。

結論から言うと、「その人にいえない秘密」とは、80年代から滔々とグリーンピースに流れ込んだ米国財界の日本制裁の世論作りのための金ではなかったかと思うのです。

初期のグリーンピースは、1975年に「オペレーション・エイハブ」を立ち上げる時まではっきりと反核団体といっていい団体でした。その規模も小さく、今のような各国に支部を持つなどというのは夢のまた夢といった小グループだったのです。逆にいえば、本来の運動体としてまっとうだったとも言えます。

この「オペレーション・エイハブ」で、グリーンピースは年来の抗議船戦術を「進化」させました。それは、ゾディアックという強力なエンジンを搭載した大型ゴムボートを日本の捕鯨船との間に割り込ませ、接触事故を誘うというきわめて危険なものでした。

そして抗議の横断幕は、捕鯨船に対してではなく、ゴムボートを撮影しているテレビカメラに向かって掲げられました。この映像を米国のテレビ局に提供することで、グリーンピースは一躍時代の寵児に躍り出たのです。

これこそが今、シーシェパードの取っている暴力戦術の原型です。グリーンピースとシーシェパードの関係はきわめて悪く、グリーンピース自身はこれを否定しますが、言い逃れのしようもなく、非暴力直接行動の原則を逸脱するものでした。

ガンジーやルーサー・キング師、あるいはダライ・ラマ14世などの非暴力直接行動は、抗議の対象に危険を承知で「我が身を投げ出す」ことにより、敵対者をも覚醒させるという方法でした。
しかし、グリーンピースの「発明」したこの戦術は、テレビ宣伝目当ての当たり屋まがいのもので、精神の高貴さとはほど遠いものでした。そして今や、彼らの分派であったシーシェパードがグロテスクなまでに戯画化しています。

しかし、これが受けました。バカ受けしたといっていいでしょう。当時、日米経済摩擦を抱えて日本に苛立ちと不安を募らせていた米国民は、「可愛いクジラを殺す残酷なジャップ」に果敢に突撃するグリーンピースの「勇姿」に熱狂しました。

この米国民の熱狂を見て膝を打ったのが、デトロイトやピッツバーグの財界人でした。彼らはグリーンピースなどという「アカのクソガキども」には今まで目もくれませんでしたが、彼らの利用価値の大きさに初めて気がついたのでした。

それは、日本に対するバッシングの道具としてです。このようにして、80年代に巨額の献金が米国財界から流れ込み、それに応えるようにして、いっそうグリーンピースは過激に「残酷なジャップ」を襲撃するようになったのです。

1988年スーパー301条という日本制裁法案を頂点として、翌年89年には訪米した竹下首相を日米経済問題とは無関係な捕鯨反対の大規模デモで出迎え、同年1月には南極海での日本捕鯨船との衝突事故を引き起し、91年12月にも同様の妨害行動、95年2月には調査捕鯨船の第18利丸への無許可乗り込みなどの事例が頻発しました。

また、フランスからの処理済みプルトニウム移送にも、数ある原子力利用国の中で日本だけをあえて取り出すようにして抗議行動を続けています。

なぜ、彼らは日本のみを執拗にターゲットにするのでしょうか?今お話した日米関係を背景にして彼らの行動を見ると、一目瞭然ではないでしょうか。 日本のみを叩けば金になる、身も蓋もない言い方をすれば、そういうことです。同じ捕鯨国でも、ノルウエーを叩いても1セントの金にもならず、それどころかバイキングの末裔たちからは断固たる反撃が返ってくることがわかっているからです。シー・シェパードは事実、返り討ちにあっています(苦笑)。

90年代に入ると、1993年の宮沢-クリントン会談から始まる「年次改善要望書」に始まる米国の意のままにわが国を変えていく「構造改革」が始まりました。これは新会社法、新独占禁止法、新建築基準法、そして2005年の郵政改革法案の流れへと続いていきます。

これは常に日本を従属的地位につけておくためにの内政干渉まがいの介入でした。これを可能にする国際世論l作り、米国世論操作の先兵が、グリーンピースであり、シーシェパードだったのです。これは巨大なジャパン・バッシング・ビジネスでした。

このような政治的意図を持つダーティな資金提供を得て、グリーンピースは、小さな反核グループから、いまや巨大な環境保護団体へと成り上がりました。つまり、グリーンピースこそ、日本を標的にすることが金脈であることを発見し、それをビジネスモデル化した最初の環境保護団体なのです。

そして日本叩きを原資にして、いまや多国籍企業と化したグリーンピースは、本部のエグゼクティブの移動はファーストクラス、年収はウン百万ドル、泊まるホテルはスイートと噂されています。
これが、1971年9月15日、すり切れたジーンズにロングヘアーを海風になびかせて、「レンボー・ウォーリア号」で、アリューシャン核実験海域にむけての航海に向かった彼らの成れの果ての姿です。

このような堕落の過程で、オリジナルのグリーンピース・メンバーはそのほとんどが失望し、去っていきました。「グリーンピース・クロニクル」(1979年)を書いたボブ・ハンターもそのひとりでした。

そして別の意味で去ったオリジナルメンバーのひとりに、後のシーシェパードの指導者ボール・ワトソンがいました。このグリーンピースのジャパン・バッシングというビジネスモデルを携えて。

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コメント

グリーンピースからシーシェパードにいたる話、いい勉強になりました。

投稿: 葦原微風 | 2010年3月21日 (日) 10時15分

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