1945年3月10日を忘れない
東京大空襲は、まさしくジェノサイドでした。たったひと晩で10万人余の非戦闘員を殺されました。この夜、カミさんのばぁちゃんが死んでいます。実家は全焼し、骨すら見つからなかったといいます。
その夜、米軍は人口密集地帯の風上に焼夷弾を投下し、そして時間をおいて人々が逃げまどう風下を焼夷弾で遮断しました。そして逃げられないようにしたうえで、地獄の業火で包囲し10万人余を生きながらにして焼き殺しました。
これは民間人大量虐殺であり、すなわち戦争犯罪です。もはや「東京大虐殺」とよぶべきでしょう。
B29の下腹は、燃え盛る炎で血で赤く染まったようにてらてらと光って見えたそうです。
軍事物資を作る町工場が下町に散在していたと米軍は言います。そのようなことは屁理屈にすぎない。真の理由は、「畏怖と衝撃」を日本人に与えたかったからです。戦略爆撃の目的は、敵国民の抵抗する精神を打ち砕くことだからです。
「畏怖と衝撃」、この言葉はイラク戦争の緒戦における米軍の空爆に付けられた作戦名でもあります。アメリカ人は、本質においてなにひとつ変わっていないようです。
私は戦場の極限状況においての狂気をあるていどは許せます。人は自らの生の切所において、狂気に支配されやすいものだからです。
しかし、ある意味もっとも恐ろしいことは、人がボタンひとつで大量に人を殺すことができてしまう心理です。殺戮する対象を人して見なしていません。対象は照準器に写るドットの影にすぎず、もはや喜怒哀楽を伴った「人」ではないのです。
私は絶対に人として許してはならないことがあると思います。そのひとつがこの1945年3月10日の東京です。長崎より死亡者が多いのに、あまりにも知られていないのは残念です。
そして、この東京大空襲は単なる始まりでしかありませんでした。東京を壊滅に追い込んだ米軍機の群れは、東京を破壊し尽くすと、次々と日本の大都市、そして中小都市に至るまで徹底した爆撃を加えていきます。それは全国各地の万単位の虐殺でした。
この人間の行為とも思えない爆撃の指揮官はカーチス・ルメイ将軍といい、戦後日本国政府は彼を「航空自衛隊の育成に貢献した」として叙勲しました。
この3月10日、亡くなられた10万余の人々、そして私の義理の祖母の魂が安らかにあらんことを祈念します。
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