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2010年4月

2010年4月29日 (木)

父の土いじり好き

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風が吹いて炊いてたくさんの椿が散ってしまいました。この椿の樹は、私の神奈川の実家を父母が亡くなって解体した時に植え替えて持ってきたものです。

父は園芸が好きな人で、毎週の日曜日ともなると必ず庭に出て、ここをちょん切り、あそこを植え替え、芝を刈りとひねもす土いじりをしていました。

ただし、何も考えないで植えるもので、せっかく大きくなった庭樹がたちまちギチギチになる始末。今の私からみれば、こうレクチャーしてあげたい。
・・・お父さん、野菜や樹には適切な定植の間隔ってものがあるのですよ、これを株間といいましてね、密植すると根が干渉し合って土壌に空気がかよわなくなるだけではなくて、幹の風通しも阻害されるので蒸れて病気に掛かりやすくなるんですよ・・・

また六畳間ほどの猫の額の裏庭には、各種の野菜の種を蒔き、夏ともなると・・・やっている方はわかりますよね。野菜のドド降りです。

料理好きな母の各種野菜料理から始まって、最後のとどめはビューンとジューサーで野菜ジュースを飲まされるんです。母はこれにひと頃凝りましてね、ニンジン、ほうれんそう、小松菜、トマト、各種の豆まで入れてビューンとやるわけです。

ああ、高校生だった私はイヤダったな。今でいう青汁ですよ。いちおうハチミツなども入ってはいるのですが、あのニオイ・・・う、ごかんべん。ひと頃は、朝二階で寝ている時に、階下の台所からビューンの音が聞こえるたびにアーメンを10回唱えたものです。

これを毎日学校に行く前にバカでかいコップで飲まされるのです。オチョコでいいのに。完全に飲まないと母親が哀しそうな顔をするのです。私はこれに弱い。悔しいので、通学の途中でゲーッとやってやろうかとも思いますが、健康な胃袋にはそんな芸当はできないんです。う~クソ早く学校に行って、購買部で焼きそばパンでも食って口直しをしなきゃ。親の心子知らず。

おまけに楽しい日曜日に遊びに出かけようとすると、父親がやれ芝刈りをしろだの、畑を耕せだの、虫を取れだのとやられるのだからたまらない。バッカじゃない、と思って内心毒づいていました。

それがそれから十余年。よもや本職の農家になろうとは!私の中の父親の遺伝子情報が突如ビックバンしちゃったんですかね。時折、若き日の父と今の私が並んで畑を耕している姿を夢想することがあります。

・・・あ、お父さん、だめだめもっと株間をあけないと!定植おわったら畑を眺めながらビールでも飲もうや・・・

2010年4月28日 (水)

ご当地名物のメロン漬け

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なんの漬け物かなぁ?わかったらエライ!
え~これが、ご当地名物のメロン漬けです。メロンっすよ、メロン。あの果物のメロン(しつこい)。

わが地域は海岸に向けて全国でも有数のメロンの産地です。水はけのいい地質と温暖な地のりがあっているのです。そのわりには、夕張なんかに比べてぜんぜん有名じゃないんだな、ま、いかにもわが県らしいといえばいえますな。

わが県は全国二位の農業県でありながら、ブランドがあるようなないような。このメロンなんざ、全国2位でありながら知られていないでしょう。日本一のB級ブランドの汚名を晴らすべく、なんとかブランド化しようと努力が続けられています。

さてこのメロン、摘果といって小さい果実から取っていくのです。そうしないとちっこい果実ばかりがコロコロ成ってしまうわけです。こうして大きく立派なメロンとなります。

この摘果の時に出てきたのがかなりの量の小さな青いメロンです。同じウリの仲間ですので、味は要する瓜。目隠しされて食べさせられれば、ハヤトウリと間違います。いや待てよ、ほのかにメロンの香りがしますぞ。ん、なかなかいける。あんがい全国販売したら売れるんじゃないかな。

しかし残念、東京の市場までわざわざ出すほど量がありませんので、ご当地の直販所で一瞬の風のように登場してはなくなるという季節&地域超限定の一品です。食べ方はぬか漬けもいいのですが、ご当地の主婦の皆さんのお勧めはやはりあっさりとひと塩しての一夜漬けでしょう。

今年は日照不足と低温で、今ひとつ成長が良くないとメロン農家は嘆いていましたが、農家の気も知らぬ気にこの摘果メロン漬け、香りを楽しみながらコリコリポリポリと実に美味なのであります。

2010年4月26日 (月)

スベンスマルク「不機嫌な太陽」が邦訳されました

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nytola様、いつも的確なご意見ありがとうございます。ご指摘を受けて、ラカガギル火山の噴出量と、それが及ぼす地球規模の気象変動に対する時期のズレも調べております。

どうやら私の「火山の冬」説は、短絡気味であったような嬉しい予感がいたしております。はずれたら、非常に嬉しいという妙な気分ですが、新しい事実が分かり次第アップ致します。

また、nytola様が仰せのように、この間の気象変動の主原因は、私も太陽活動の変化であると思っております。CO2説はもう崩壊前夜ですが、宇宙物理学者の丸山茂徳先生が唱えていらっしゃる太陽活動との関わりを中心に考えていきたいと思っています。

さて私は、「不機嫌な太陽」(H・スベンスマルク/N・コールダー・恒星社厚生閣)という本を読んでいる最中です。「スベンスマルク効果」という名で氏の説の概略だけは聞いていたのですが、彼の著作が邦訳されるのは初めてです。トーシローの私は、この本の科学専門書ぶりにチビリ、しかし読み進むうちにある種の知的興奮すら覚えました。

今回手にしている本を、温暖化炭酸ガス説批判書として読む人は期待はずれになることでしょう。実際に地球温暖化に触れた部分は、彼が書いた部分でない8章にわずかに言及されているにすぎません。

スベンスマルクは彼の学説が政治的に利用されることをストイックに避けているように思われます。彼は科学者らしい科学者なのです。それは地球温暖化説を唱えるマイケル・マンやフィリップ・ジョーンズとその亜流が、早々と政治的権力と癒着することで自説を万人をして疑うことを許さない真理にまで「高め上げた」態度と対局をなすものです。

これらの野心満々の政治家的気候学者たちは、スベンスマルクの学説が彼らの説を否定しかねない異物として、「あたかも進入してきた虫けらのように踏みつぶした」のです。

この本の初版が出た同じ2007年に、IPCCは「気候変動の政策立案者用最新概要」を発行します。これが、今や疑うことを許さない真理として世界を覆い尽くしている、本世紀中に気温が数度上昇し、地球規模のカタストロフが起きるというローランド・エメリッヒが好きそうな大予言でした。

フィル・ジョーンズ率いるIPCCは、二酸化炭素のみの影響を過大に評価するために意図的に太陽活動の及ぼす影響は炭酸ガスのわずか7%にすぎないとして切り捨てました。科学の名を借りた暗黒裁判と言ってよいでしょう。

この報告書作成には、スベスマルクの研究にいままで協力した科学者も多く含まれており、したがって彼の説を熟知する立場にあったにかかわらず、スベンスマルク説が「政治的に適切でない」ことに怯えて、次第に彼と距離を置くようになっていきました。

そしてスベンスマルクの燐国ノルウェー議会は、彼ら野心家たちにノーベル平和賞を授与しました。自らの学説が、全世界を動かすという科学者の見果てぬ夢の甘露をぞんぶんに味わったことでしょう。スベンスマルクはどのような気持ちで彼等の笑みこぼれる様を眺めていたことでしょうか。

いや、あんがい平静だったのかもしれません。ヘンリク・スベンスマルクとナイジェル・コールダーは、地球温暖化が過度に政治的なテーマとなってしまったために、これに介入することをあえて慎重に避けていきました。しかし、彼らの説が討論されることに対して直接の妨害を受けた場合は別だったといいます。

彼らは、寒冷化することによって特に発展途上国の農業生産において致命的なダメージを与えることを懸念していました。そして理由のいかんを問わす 現在なされている温暖化阻止の大号令の下に行われている低炭素化社会実現への努力が、寒冷化に対しても有効であると考えていたからです。

今後地球は太陽活動の低下傾向が観測されているため、マウンダー極小期(1645~1715年)のような寒冷期が到来する可能性があると思われます。仮に寒冷化となった場合でも、現在進められている低炭素化社会化、つまり化石燃料の節約、資源の有効活用と循環再利用システムの社会的実現は、そのまま有効な処方箋となりえます。

つまり皮肉なことには、誤った原因説であったが、その社会的対策としては誤りではなかったということになります。しかし何度も私は書いていますが、寒冷化のほうが温暖化よりはるかに恐ろしいのです。
日本に限って言っても、歴史的な大飢饉は必ず寒冷化によってもたらされています。農業技術がすすんだ今でも、寒冷化によって茨城以北の米作は壊滅的な打撃を受けることでしょう。

食物の端をかじっただけで捨てている飽食の時代は終わり、もうひとつの別な時代が始まろうとしているように私には思えてなりません。

ですから私たちが今後なすべきは、炭酸ガスさえ削減できればいいというようなトンチンカンな方向ではなく、寒冷期の農業生産の縮小、生物資源の激変に耐える準備が必要なのです。生物資源、農業資源、人的資源まで含むトータルな地球資源の確保と保全、再利用化がキレイゴトでなく、人類という種が生き延びるためにリアルに必要な時代が来るかもしれません。

そのとき、「国産農産物は高いから輸入品を買う」、「日本農業は盲腸」などと言ってきたツケを日本人はしっかりと払わされるでしょう。長い時間をかけて有機農業が蓄積してきた循環型資源利用の知恵と、最新の科学技術の融合がこれほど必要な時代は、今をおいてないはずです。

ただし、だとしても、いみじくもコールダーの友人が彼に与えたというこの言葉をかみしめた後にしてほしいものですが。


「もっともしたくないことは神に背くことである。
それは間違った理由の下で正しい行為をすることだ」
                     トーマス・ベケット「大聖堂の殺人」

2010年4月24日 (土)

アイスランド・ラカギガル火山大噴火は「火山の冬」をもたらすのか?

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信じられないような春です。 太陽は弱々しく、もう5月だというのに、最低温度が4度などという考えられない記録を出しています。4月17日には、とうとう気象観測史上いちばん遅い雪までも降る始末です。いつもだったら、汗ばむ陽気の季節に冬支度で農作業をする毎日です。

農家は怯え始めています。私たちにとってもっとも恐ろしい冷夏の予感が脳裏を横切るからです。村の農家仲間の挨拶がわりが「いったいこの天気どうなるのか」になってしまいました。田んぼの水温は上がらず、これではゴールデンウイークの田植えはどうしたもんかと腕組みをしています。ハウスの園芸栽培もののトマト、キユウリなどは軒並み加温をせねば出来ない状況です。よもや4月にボイラーを炊くとは予想もせぬことでした。

アイスランドのラカギガル(Lakagígar)火山の大噴火は北半球の全体の航空路のみならず、経済全体への深刻な影響を及ぼし始めてきました。実は、このラカギガル火山はいわば魔の山です。

このラカギガル火山大噴火の真の恐怖は、単に航空路のマヒにとどまらず北半球のみならず、全地球規模の気象変動に影響することです。今回の噴火は前回の噴火が1821年にあったので、189年ぶりとなります。それ以前には、1783年6月8日に始まり、1784年2月7日まで8か月も続いた記録が残っています。
規模は1991年のピナトゥボ山の噴火に相当すると見られているそうで、この大噴火により数億万トンもの有毒な二酸化硫黄が放出され、それが雨と共に降り注ぎました。

また、この硫化酸化物を含んだ酸性雨の影響だけではなく、噴煙が成層圏に達し、ジェット気流に乗って酸化硫黄の微小粉末をまき散らしたために「火山の傘」を作ってしまいました。この「火山の傘」が北半球全体を覆い尽くしました。これにより、北半球は急激な気温低下に見舞われました。これが「火山の冬」」(volcanic winter)という現象です。

このとき、噴火で成層圏に吐き出された二酸化硫黄は、単なる火山灰などや煤と違い、長期間大気中で霧態で浮遊し、太陽光を遮断するために甚大な影響を与えます。

この影響は東半球にもすみやかに及び、ラカギガル火山が噴火したほぼ同時期の1782年から87年にかけて、江戸期4大飢饉(嘉永、享保、天明、天保)の天明の飢饉が勃発しています。

これは「近世の飢饉」(菊地勇夫・吉川弘文館)に詳述されています。この天明の飢饉は、江戸後期の爛熟した商品経済が、大阪を中心とした米相場の投機を発生させ(ちなみにこれが世界最初のヘッジファンドですが)、大凶作による品不足を投機の対象にしたことも拍車を掛けました。なにか、現代にも通じる構図ですね。また、浅間山の噴火も同時期に重なったことが被害を大きくしました。

西欧でも同様に深刻な寒冷化のために全土で飢饉が勃発し、社会不安が勃発し、1789年のフランス革命へとつながっていく素地を作りました。

さて今回、ほとんどのメディアは、能天気にも航空路の麻痺とその与える経済的影響にのみ報道が絞られているようですが、真に怖いのは今回のラカギガル火山の噴煙が、高さ1万6千メートルから成層圏上にまで及んだとBBCニュースなどで報じられていることです。

既に寒冷化に向かって気象変動の予兆が見られます。噴火後の北半球全体はいっせいに寒冷化を始めています。米国北東部では冬の平均気温が2℃からからマイナス6℃にまで一気に低下しました。

現在のわが国の寒冷化がこれと無関係だとは、逆に考えにくいことです。とするとこの急激な寒冷化現象は、未だ憶測の域を抜けませんが、二酸化硫黄の微粒子が地表に完全に落ちきるまで太陽光を遮蔽し続ける「火山の冬」現象が既に起きている可能性があるということになります。

1782年のラガギガル火山の大噴火は約1年8カ月続き、天明の飢饉は1782から87年までの5年間続きました。現代のわが国では、農業技術の進歩により、一挙に深刻な凶作はないと思われますが、燐国の中国に巨大な農業生産不足からくる飢饉が発生した場合、中国は有り余っている外貨で、国際市場から穀物や燃料、畜産物を買い占めることが予想されます。

このような事態になった場合、中国国内で沸点に達しつつある内陸部貧困地が大きくきしみ、次いで国際食料価格の高騰により、発展途上国の食料危機が連鎖することでしょう。
これとリーマンショク以降の世界的経済危機から回復仕切れずに呻吟している先進諸国の経済状況が影響し合うと・・・、もうあまり考えたくもない事態に進むこともありえないことではありません。

まず直近には、この夏から始まる深刻な米や野菜、畜産物の高騰はもはや避けられず、むしろこれがどれだけ続くのか、それに対する政治経済的な手当てや、国際的な枠組みをどうするのかという次元に問題は動いていくと思われます。それにつけても、わが国がよりによってこんな時に限って、自分の政権公約の尻ぬぐいも出来ないような政権しか持ち得ないことは悲劇です。

たぶん数年後には、地球温暖化危機なんてことを真顔で言う人はほとんどいなくなりそうです。

私はこんな予想があたってもうれしくもなんともありません。むしろ狼少年だといいと思います。なぜなら、わが農業にとって温暖化より10倍も怖いのが寒冷化なのですから。

■写真 弱々しい太陽
■BBCはいつも的確です
Live: Volcanic cloud over Europe
■身の毛もよだつ噴火の画像を見たい方はこちらを。「ロード・オブ・ザ・リングス」のCGみたい。http://www.boston.com/bigpicture/2010/04/icelands_disruptive_volcano.html「Iceland's disruptive volcano

2010年4月21日 (水)

オバマ米国大統領はかく語りぬ?

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今日の党首討論でわが首相の答弁を聞きました。谷垣氏の問いに応えて、自分のことを「愚かな首相と思われるかもしれない」と言ったのを聞いて、たぶん日本国民の大多数はやれやれと思ったことでしょう。

このセリフは、「去年の12月にエイヤと辺野古に決めていればどんなにか楽であったか」という感慨とも、愚痴ともつかないことばの枕です。エイヤと辺野古にできなかったから、北部振興策を基地移設とは切り離すということまでして、反移設派に勝利させたのは民主党でしょうに。

いわば国政としての退路を自ら断ってしまったわけで、当時私はそれなりに筋が通っていると内心思っていたものです。同時に、それは大変な地獄の道行だろうとも思っていました。

それはとりもなおさず、日本が米国の核の傘から出ることまで射程に入れたきわめて大きなロードマップの第一歩と印されるべき政治的選択を意味したからです。少なくとも米国はそう見たことでしょう。

例のルーピー・ハトヤマを今年の流行語大賞にしかねない記事を書いたワシントンポストのアル・カーメン氏はこう書いています。

Uh, Yukio, you're supposed to be an ally, remember? Saved you countless billions with that expensive U.S. nuclear umbrella? Still buy Toyotas and such?

いいかい、ユキオ。君は建前上、同盟国の一員となっているんだぜ。それを君はすっかり忘れちゃったみたいだね? 米国の高価な核の傘の分、何十億ドルもの金額を君に節約させてんだい? なのに、トヨタを買えってか?

そうとうに不愉快な記事です。しかし、あの核サミットで東南アジア諸国まで個別会談を行ったオバマ大統領が、あえてワーキングディナ万座の席上、「皆さん、これからちょっと日本の首相と話すので、デザートをお食べください」とまでやった悪意ある対応にすべてが明らかになっています。

ワシントン・ポストのカーメン氏は、米国の本音を皮肉いっぱいにストレートに語っています。とすると、たぶんオバマさんはこう言いたかったのかもしれません。意地悪アル・カーメン調で書いてみましょう。もちろん私の勝手な空想ですが。

「いいかいユキオ、本気で米国との軍事同盟を解消する気なのかい?その準備ができての今回のことなんだな。東アジア共同体もけっこうだが、知ってると思うが、東アジアは核ミサイルの巣だ。
中国は世界有数の核大国だし、いったいいくつの核ミサイルが君の国を照準しているのか、ユキオも知らないはずはないだろう。
その上北朝鮮までもが核クラブ入りの扉をガンガン叩く始末だ。ジョンイルがいくらゴネたって六カ国がご機嫌をとるのは、あいつが4発の核を持っているからだ。そして、知っているとは思うが、あの核はまさにユキオの国、日本向けだ」

「それとももっと心情的なことか。前の大戦以来、ずっと頭が上がらなかった私の国に一回くらい逆らってみたかった?米国の世界戦略と戦いたい?従属はもうこりごりだ。
おいおい思春期のガキみたいなこと言うなよ。軍事同盟なんて国際政治の中のギブ&テイクの大人の関係だ。NATOとの関係で、そんなナイーブなことを言う国はないぜ」

「いや、一国いたな。フランスだ。あのゴーリズム(ド・ゴール主義)の国は、だいぶ前にNATOから脱退して核武装したあげく、原子力空母までもってミニ超大国となった。軍事費は対GDP比率2.5%だ。あんたの国の2.5倍。そして核、核ミサイル原潜、原子力空母のワンセット」

「ユキオ、君の国ににそんなフランスのようなまねをする覚悟があるのかい?というか、出来るのか?やるならやってみたら。2倍の軍事費をかけて、核ミサイル原潜をもつべく、国民を説得してみたらいい。それが米国の従属の鎖を断つ真の意味なんだから。
いや、その前に改憲せにゃならんか。これは大変だ!ユキオの政府がどこまで本気なのかお手並み拝見だ。ただ国際関係には、気分でちょっとやってみましたはない」

「ところでユキオ、君は今日も党首討論で地元より米国が納得してくれることが大事だなんて言ってたな。ミエミエなんだよ。米国の合意が得られないことを見越して言ってるんだろう。これじゃあノーっていうに決まっているわが国がまるで悪人にされちまうじゃないか。
いいかいユキオ、言い出したのはあんたたちのほうだ。わが国ではない。そこのところをしっかりしといてくれよ。いつのまにか、あんたのほうが頑固なわが国の被害者みたいな顔をしないでくれよな」

「だからわが国は、ユキオの政府と党の連中がてんでバラバラに自分の意見をオファーしているようだが、一切シャットアウトだ。県と地元が合意するまで交渉のテーブルにつかないからね。わが国は今のまま普天間でちっとも困らないんだからね」

「あ、そうそう、ユキオの燐国にそっくりなことを言っていた大統領がいたことを思い出したよ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)とかいったっけ。政治的にズタボロになって失脚して、政治と金問題で追い詰められたあげく身投げ自殺したっけな。今はノムヒョン遊びっていわれてるそうだ。そうならんように気をつけてくれよ。これはお互い民主党を名乗っている同士の忠告だ」

■写真 ワスレナグサです。

2010年4月20日 (火)

わが家の居間をモノトーンで撮ってみました

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白黒モノクロームで部屋を撮ってみました。なんかよ~わからんかもしれませんが、なにやら荘重な雰囲気ですな。まぁ、実際は本とCDが散乱しているゴミ箱なんですが。

いや、モノクロームにハマりそうです。今回、思い切ってコンパクト・カメラから買い換えたのですが、それにラフモノクロームというモードが付いていまして、これが実に面白い。憧れの銀塩カメラみたいで、下手でもなんとなくうまく見えます。

このラフモノクローム・モードでムービーを撮ると、なんとあーた、60年代の白黒映画見たいになります。かつてのジャン・ギャバンあたりが出ていたフィルム・ノワールのようです。

そういえば昔、パート・カラーなんてあったよなぁ・・・(私の歳くらいの男の人までわかる)。なんの話をしてるんだ(笑)。現代は「色がない」ってほうが新鮮だというのも面白いですよね。

このブログでも何回も書いていますが、人は「色がない」と、自分の感性でそれを補おうとするようです。といのも、無彩色というのは通常ありえない、ある種のパニック状況ですから、脳がとまどっちまうんでしょう。で、勝手に色をつけてしまうようです。

江戸末期の写真に後の時代にうっすらとパステル調の色彩を入れてある絵はがきがあるでしょう。実際は違った色ですが、あれはあれでいいもんです。あのようなことを脳が自動的にやるのだと思います。だから面白い。

そういえばのどかな江戸絵はがきとは真逆の世界ですが、「プラベート・ライアン」という映画がありましたね。スピルバーグでしたか。有名な冒頭の上陸作戦の海岸のシーンがあります。画像はノイズが入ったようなあえて粗い粒子で撮影されています。

そして色調はほとんど無彩色に近く、音声もところどころで切れています。兵士の流血、海中に飛び込んで来る機関銃の弾丸。上陸用舟艇から降りた瞬間にものも言わずに打ち倒される兵士。自分の腕を探し回る男。水中の数知れない屍。

そこにあるのは、戦争という巨大な顎に無抵抗に、なすすべもなく噛み砕かれていく人間の悲鳴です。ですから粗い無彩色画面は、人の心象風景なのです。

話はゴロリと変わって、せっかくうちの居間が初めてが出ましたので、わが家のインテリアの話を少し。私たちは当初はインテリアもなにもトリ小屋の横の土間に床を張ってましたんで、それどころじゃなかったのですが、今はさすが20余年。今は「長年アジアや中南米を旅行してきたひねくれたイギリス人が隠遁している家」というかんじになっています。

隠遁したイギリス人といえばカッコイイのですが、なんのこたぁない、お互いに行ってきた世界の辺境お土産物産大秘宝館ですよ。家具はさすがにお土産ではなく、「オールド・フレンド」という荒川沖の西洋骨董屋の倉庫の屋根裏から探し出したものです。この春は、どうやらハツカネズミのご家族が子孫繁栄にいそしんでいらっしゃいるようです。

ここでは見えませんが、居間のシャンデリアもアンティークといえば聞こえがいいですが、要するに西洋のボロ家具の哀しさ、力一杯暗いっす。そうなのです、わが家はともかく暗いのです。

実利的に考えれば蛍光灯にすればよかったのですが、あのテラテラに無表情な事務的な照明の下で生活したくなかったのですね。で、あえてというかマヌケにも「暗いのはご馳走」とか自爆的なことを抜かして、照明の非蛍光灯化、電球化なんぞしたもんで、暗いのなんの。正直言って、歳をとるとつらい!

最近は電球色の蛍光灯などに取り替えてはいますが、最近間違ってメチャ明るい蛍光ランプに取り替えたら、これが明るいのなんのって(涙)。暗かったのでよく見えなかったわが居間のゴミホコリ、散乱した本やなんかの現実がドバーッと視野の中に。

で、あわててまた暗いやつに換えました。

2010年4月17日 (土)

辺野古埋め立て案が復活! 首相は現地辺野古に赴いて謝罪することからやり直せ

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辺野古埋め立て案が復活しそうである。もはや正気を疑う。今更このような案が通るとでも思っているのだろうか。名護市長選挙で、前原大臣が「北部振興策は基地問題と無関係にする」という奥の手を切ってまでたぐり寄せた反対派市長の勝利ではなかったのか?

民主党が「県外移設」を公約して、そして名護市長選においてもこのような奥の手を使ってまでも辺野古移設案を否定してきた。一般的にはそのように思われていたが実態はまったく違った。民主党政権の真意は、「選挙目当てで困った公約をしてしまった。なにも代案など考えてこなかった」に尽きた。それはこの半年の大迷走劇の醜態で国民のすべてが目にしてしまった。

さて、名護市は西海岸と東海岸でまったく地形や経済事情を異にする。開けた西海岸は、市庁舎も立っており、大きな漁港もあり、北部経済の中心でもある。

一方この辺野古などがある東海岸は、険しい地形で漁業にも適さないし、農業をするにしても耕地が狭隘である。キャンプ・シュアブのベースタウンであるアップル・タウンはとうにゴースト・タウンだ。

このような中で辺野古3地区、つまり辺野古、久志(くし)、豊原地区を中心とする東海岸の10地区は、自民党政府の移設案に消極的賛成を取らざるを得なかった。沖縄本島のもっとも貧しい地域に、莫大な振興策というアメを与えて、替わりに人口が密集し繁栄する中部の普天間から、基地を移設することに納得させたことになる。

これとそっくりな構造は、かつて千葉県成田の三里塚でも私は見てきた。国策による巨大施設建設においてまず切り崩すのは、必ずもっとも貧しい地域からである。三里塚では、東峰地区、駒井野地区などだった。ここは開拓の土地であり、営農基盤や集落の伝統が弱かったのを狙われた。

反対同盟の中心は、菱田地区などの古くからの村だった。そして、コンクリートの滑走路の下に消えたのはこれらの古くからの村ではなく、貧しき地区だった。今、もし成田空港にいくことがあるのなら、あの巨大な滑走路の下に、いくつもの村が眠っていることを想い起してほしい。血と泥にまみれ、戦い敗れた農民がいたことを。そして死んだ三人の警官を。彼らには幼い子供がいた。

さて、辺野古3地区の出口調査では、移設容認派の島袋氏に70~80%投票しことが分かっている。また、この辺野古地区と東海岸10地区はほぼ歩調を共にして、北部振興策による交付金を3地区だけが取るのではなく、これらの地区で頭割りにしていくなどの協力体制が敷かれてきた。いわば「名護東海岸派」とでもいおうか。

基地を受け入れることを誰が好もうか?!言い方に語弊があるが、貧しき東海岸は、繁栄する中部地域を含む西海岸の「矛盾の捨て場」となったのである。そしてこの構図を作ったのは国である。

「名護東海岸派」は受け入れる条件として3条件を出した。①騒音が基準値以下であること。②安全対策を徹底すること。③受け入れ地区に対する振興策と経済補償をすること。当然すぎるくらい当然な要求である。そして13年間もかけた話あいと合意の積み重ねがあった。

それを一瞬にして壊したのが今の政府である。しかも、振興策を基地問題と切り離すとしたことで、西海岸は色めき立った。要するに「賛成しようが、反対しようが金はくれるんだ」ということだ。そして反対派市長の誕生につながる。
名護市西海岸と東海岸の間には、言いようのない溝が出来たのである。

鳩山首相は、「県民のお気持ち」と言う。ならば辺野古3地区の、いや東海岸10地区の人々の苦衷を一度でも心にとめたことがあるのか。いままで一度として政府関係者が現地に足を運んだことがあるのか。辺野古野人々と話をしたことがあったのか?

覆った盆は元に戻らない。かつては県-名護市-現地は消極的合意に達していたが、今やその構図は影も形もない。あるのは本土政府の背信行為に対する怒り、ただそれだけである。


人の心を弄ぶのはやめろ。欺瞞に欺瞞を重ね、言い訳ばかりがうまくなった首相に、人の心があるのか?もし人の心が残っているのなら、現地辺野古に赴いて謝罪することからやり直せ。

[資料]辺野古浅瀬案を米側に提案へ 普天間移設で、政府が苦肉の策
産経ウェッブ 2010.4.17

 
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題で、政府が米軍キャンプヒュアブ(同県名護市辺野古)の南方沖の浅瀬に滑走路を建設する「浅瀬案」を検討、米側に提案する方向であることが16日、分かった。政府が検討してきたシュワブ陸上案と鹿児島県・徳之島を組み合わせる移設案は、米政府や地元自治体が難色。米側の理解を得られそうな浅瀬案での事態打開を模索するが、「公約違反」である上に社民党の反発は必至で、与党内調整は難航しそうだ。

 浅瀬案は、辺野古沖の浅瀬を埋め立てて1500メートル規模の滑走路を建設する案だ。かつて米側の主張をもとに日米両政府で検討したが、断念した。今でも米側が容認する可能性が高く、現行案などに比べ工費が安価だとされる。ヘリコプターが住宅地の上空を飛ばず、騒音問題や危険性を回避できるメリットがある。

 鳩山由紀夫首相は依然として「県外移設」案を完全に捨てたわけではないが、シュワブ陸上部に600メートル級のヘリ離着陸帯を造り、可能な限りのヘリを徳之島に移す政府案は、米側が拒否する姿勢だ。地元住民や社民党も反対しており、合意の可能性は小さい。

 このため、政府・与党内では米国と地元、連立与党が合意する「5月決着」は絶望視され、このままでは普天間飛行場が継続使用される最悪のシナリオが現実になる。浅瀬案は「移設問題を何とかソフトランディングさせる」(政府高官)ための苦肉の策だ。  産経ウェッブ 2010.4.17 01:30

■写真 今日の春の雪でをかぶったホトケノザ。もう今日はさんざんの仕事でした。

■追記 などと書いたら、わがルーピー氏の言説が伝わってきました。ほんとうに芯から腐っています、この人。もはや政治家がどうというより、人間としてかなり問題があります。

鳩山由紀夫首相は16日、国会内での地元後援会関係者との懇談で「普天間なんて皆さん知らなかったでしょう。それが国民の一番の関心事になること自体、メディアがいろいろと動きすぎだと思う」と述べた。沖縄の米軍普天間基地の移設問題を軽視しているとも受け取られかねない発言で、反発が広がる可能性がある」
日経電子版

2010年4月16日 (金)

徳之島は島ぐるみ反対!  いいかげんにしろ、 ルーピー・ハトヤマ!

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本日の「日本農業新聞」(10/4/16)です。朝、郵便ポストから取って、農業新聞が一瞬アカハタになったのかと思いました(笑)。いやー、リキ入ってんなぁ!あそこにはつい最近までうちの親戚も住んでいましたんで人ごとではない。

たぶんルーピー・ハトヤマが考えている「腹案」とは、ホワイトビーチ案が不可能な以上、徳之島に強行不時着を敢行するつもりでしょう。いったいルーピー・ハトヤマ、何考えてるんだか?

いいでしょうか、しかし持って行くのは滑走路だけではないですよ。それに付帯する駐屯地、補給基地、訓練基地、弾薬庫施設まで来るのです。つまり、普天間基地、キャンプハンセン、キャンプ瑞慶覧、キャンプシュアブ、そして北部訓練場まで丸ごと移設せねばならないのですよ。どうしてこんな普天間移設設計画の基本中の基本がいまだルーピー・ハトヤマにはわかっていないのでしょうか。

海兵隊は統合軍といって、陸海空が一体となる特殊な形態をもっています。空軍なら確かに飛行場だけでいいでしょう。海軍なら港だけでいいかもしれない。しかし、緊急展開軍であるアメリカ海兵隊はこの基本3要素の飛行場+駐屯地+港湾が必須で、それに訓練施設+弾薬庫までワンセットがいるのです。

これらを丸ごと徳之島に移設するなら、ほぼ周囲80㌔の狭い島全域が基地となります。仮にたぶん民主党が甘くかんがえているように飛行場だけでも、全島の3割では済まないはずです。
特に滑走路は平坦地にしかで来ませんから、島でもっともいい農業に適した土地から潰されていくことになります。今、長年の努力でようやくなんとかなってきたジャガイモや肉牛の生産の未来は再び閉ざされることになります。

島内でようやく年間6回、7千頭の子牛をセリ市にかけられるようになってきて、今年度は1万頭の大台に乗せて新しい家畜市場を建設すると張り切っていた矢先でした。今回、特に畜産部門の反対が大きいのはこのためです。

やっとブランド化が出来て、いままで島に残らなかった若い人が帰ってきた、新規就農者も来たと喜んでいた時になんでそれをメチャクチャにするのか!

だいたい「県外」だといっても、100㎞ていど「県外」なだけで、同じ「沖縄人」の島です。もういいかげんこんな党利党略のためのまやかし、苦し紛れのお遊びはやめませんか。ほんとうにそれに振り回される現地や国民がたまりません。

徳之島は18日には1万人規模の反対集会を開きます。島民2万7千人のうち実に4割まで動員するそうです。地元徳之島が賛成する可能性は限りなくゼロです。
最後に徳之島天城町町長の大久幸助氏の発言を紙面から引用します。
「美しい島を次世代に引き継ぐ責務がある。基地問題は命懸けでとめねばならない。いざとなれば空港封鎖の強行手段も辞さない」

チバリヤー、徳之島のシマンチュー!
ウマンチューぬスクジカラをみせてやれ!

■「ルーピー・ハトヤマ」は私のネーミングではありません。LoopyはFoolよりもっとひどい、言ってはなんですが「パー」に近いニュアンスです。これを言ったのは、ワシントン・ポスト紙の名物コラムニストであるアル・カーメン氏。自分の国の首相が、外国で笑い物になるのは哀しいですが、そのとおりと思ってしまうからよけい情けない。原文は以下です。

By far the biggest loser of the extravaganza was the hapless and (in the opinion of some Obama administration officials) increasingly loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama.

核安全保障サミットの喜劇でいちばんの負け犬は、不運で、(これはオバマ政権関係者の意見でもあるのだが)ますますパーになってきた日本の首相の鳩山由紀夫だ。

2010年4月14日 (水)

地球温暖化=CO2説の公開討論の場を作れ!

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今週号の週刊新潮に、「地球温暖化を眉唾にした世界的権威のデータ捏造?!」という記事が掲載されました。内容的には薄い内容で、私のいままで書いてきた記事をお読みの方には、知っていることばかりです。
しかしそれは週刊誌の宿命としてあきらめることとして、ようやくクライメイトゲート事件が報道されたのか、という感慨はありました。

どこかで編集者の花田紀凱(かずよし)さんが、「どうして日本ではクライメイト事件がどこにも報道されないのか不思議だ」と書いていましたが、まさにわが国特有の異様な風景ではあります。

というのは、環境立国をうたうドイツの世論調査でも、06年の調査で「地球温暖化は怖い」と回答があったものが、現在では「怖くない」が58%にまでのぼっています。つまりドイツでは地球温暖化が怖いと、ほんとうにそうなのかしらという人がほぼ拮抗してしまったことになります。

昨年冬が全米や欧州一帯を覆う記録的大寒波で多数の凍死者まで出る騒ぎで、COP15が開かれたコペンハーゲンから帰るオバマ大統領もヘリを使えず、陸路を使ったほどでした。

現場で観測している気象関係者は、単純に地球気温が上昇しているとは言っていないはずです。世界の主要都市の気温上昇など見ても地球温暖化を知ることは出来ません。ヒートアイランド現象が関わってくるからです。ですから地球の温度上昇を計る目安となっているのは、地上5000メートル~6000メートル上空の気温変化と極点の温度データです。

ところがこれらは98年に一度上昇をみただけで、むしろ低下傾向にあります。また、年ごとの気温変化はその年の気象状況の「揺らぎ」であるエルニーニョ現象や北極寒気団に原因することが多く、単純に地球温暖化=CO2説ひとつで説明することのほうがむしろ難しいと思われます。

そもそも気象、しかも地球規模の気象はパラメータが多すぎて予測することも難しいことですし、既に起きたことを分析することですら簡単ではないのです。それは一カ月の長期予報すらよく外れることを思えばお分かり頂けるかと思います。それをこともあろうに、100年先まで何度の単位で気温上昇を予測できるということのほうが、一種の大ボラというもんではないでしょうか。

世界の人々は一時の地球温暖化パニックから冷めると、なんかなぁ~と思い始めたようでした。この私もそうです。一昨年くらいからなんか怪しいな~と思ってきていた時にこの衝撃的なクライメイトゲート事件が発覚したのです。

09年12月9日には全米ネットのCBS、次いでCNN、12月20日にFOXと相次いでクライメイト疑惑を報道しました。ついにタブーの重き栓はきしみだしたのです。

地球温暖化CO2説は、単なる学説でしかありません。しかも有力な反証があり、未だ定説とはなりえていない「説」にすぎません。それをアル・ゴア氏のように、「科学者の出番は終わった。これからは政治だぁ!」という牽強付会な「政治」の力によって歪められていきました。

そして今や、地球温暖化説は「政治」につきものの、誇張的宣伝、異説に対する攻撃、そして利権追求の場になってしまっています。COP15では、各国の思惑入り乱れての国際的政争の場と化したことも記憶に新しいことです。

しかしクライメイト事件が発覚してもなお、火元のIPCCは「フィル・ジョーンズ教授はデータを作為したかもしれないが、他のデータはそれが正しかったと証明している」と言い張っています。

さてこれは困った言い方ですね。
フィル・ジョーンズ教授はクライメイト疑惑で流出したメールを「自分の書いたものだ」と認めているのですよ。その中には明瞭に捏造を指示する部分もあり、その捏造プログラムもそれを実行した共謀者の名も明らかになっているのです。

そして発覚するやいなや、原データの破棄までするに至ってはグレイゾーンというより真っ黒ではありませんか。科学者の世界ではこんなこと許されるのでしょうか?こんなことを世間一般では証拠隠滅と呼ぶのです。

いままでIPOCCは「厳密な査読をしたデータのみを論拠にしている」と言いつづけてきました。しかしその実態たるやこのざまです。
生データを改竄して温度上昇をしたかに見せかけ、寒冷の温度データが出る気象ステーションは廃止し、高く出る大都市に偏った気象データを都合よく使いました。そのあげくは、追及の手が伸びそうになれば、証拠隠滅に走る。これが「世界的権威」フィル・ジョーンズ教授らがしたことです。

この「世界的権威」が、査読マフィアまで作って懐疑派を排除して作ったのがIPCC第4次評価報告書でした。これでは次から次へとボロが出て当然です。

私たちは素人です。気象学者でもなければ科学者ですらありません。だからこそ事実を正確に知る権利があります。そのためには、拙速にI地球温暖化対策法案などを作る前に、開かれた公開の場でじっくりと討論しても遅くはありません。

NHKはいままでさんざん地球温暖化パニックを煽った責任をとって、このような公開討論の場を提供すべきです。もう疑問の声を「地球環境の敵」として押し潰すだけの時代は終わったのですから。

■NHKは数ある媒体の中でも、プロパガンダのていどがひどいメディアです。これについては旧ログをご覧ください。
●「地球温暖化についてかんがえてみよう 第7回 なぜ煽るかマスコミの謎」
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/6-5c19.html

■なおクライメイトゲート事件そのものについては第1回~8回まで連載しております。第1回は以下です。
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-146d.html

2010年4月12日 (月)

春だからしたい、種と交配のお話

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村のそこここでは、路傍に川辺に菜の花やとう立ちしてしまった葉物野菜から菜の花が満開です。ちなみに写真はホンモノの菜の花です。

葉物野菜をとう立ちさせておくと花が咲き、インゲンのような莢が出来、黒く熟して弾けそうになれば種が採れます。晴天無風の日に、大きな青シートを拡げてバサバサと茎の根元を持って叩いて莢を落として、後はのんびりと余分なものを捨ててふるいかけていきます。ふるいを何度か通して自家採取の種となるわけです。瓶に詰めてシールを張っておきます。

菜種の場合は、油絞り屋さんに持ち込んで絞ってもらいます。前にこの菜種油製造実験をやったことがありました。そのうちお話しましょうね。結論だけ簡単に言うと、作るのは簡単、種だけに仕分けるのが大変。たぶん何かの選別機械があるんだろうなぁ。

さて、自家採取の種を採る時は畑の一角に同じ系統の他種の野菜を植えずにとう立ちをさせて種を採取します。

これまた言うのは簡単で、実際たいした技術がいるわけではないのですが、問題は異種交配しちゃうことです。たとえば、私の経験では、小松菜とたぶんコウタイサイかなにかがかかってしまって、薄紫色の小松菜というなんとも面妖な新野菜が出来てしまったことがありました。

この交配という神の業は、在来ミツバチ諸君やチョウ、時には風がせっせと交配にいそしんでいただけたおかげであります。種の拡大戦略というやつですな。花は一種のネオンサイン。こっちゃ来い、おいしい密や花粉があるでヨー(←なぜか名古屋産)と誘っているわけです。夜の蝶ならぬ、昼のハタラキバチ。

ですから、自家採種をする場合には、専門の種会社では、離れ小島とか、四方にまったく畑のない専門農場ですると聞いたことがあります。私たちでも原理は一緒で、今年はこの種を残すと決めたら、私はこの一種のみとしています。別の品種は離れた場所でやります。

ただ、現在の野菜の種はF1といってハイブリッド種のカクテル品種ですから、次代になると形質が分解してバラけていろいろな種が出てきます。おや、あんたの中にはこんな形質が眠ってたのねってもんです。

それらをできるだけ原種に近く戻すためには、そこからもう何世代もかけて、原種に近いものを選抜してそれを残し、また翌年出来たものから選抜し・・・ということを繰り返していきます。これを戻し交配といいますが、まぁ、けっこう気が長い仕事で、5、6代で終わればいいかなといった根気が勝負の仕事となります。

私たち農家が、特に化学農薬を使わないで栽培している有機農家が原種にこだわりたがるのは、在来種のほうが耐病性が高いからです。いじりまくられて生産性がいい消費者受けする品種はどうもひ弱なものが多いのです。

在来種の保存運動はもうかなり前から始められており、先に言った戻し交配ではなく、生産者同士で交換した在来種の種を自家採種する場合がほとんどです。

というのも、苦労して原種に戻したからといって、消費者の口にあうとは限らないわけで、むしろいじりまくって、原種から魔改造をしたコマーシャルな野菜のほうが好評てなことはザラにあります。

たとえば、その典型がトウモロコシです。原種のトウモロコシは中南米原産ですが、日本人のように茹でて食べるということはしません。よく干してから、石灰を入れ水煮をして、あく抜きをしなければなりません。それを石のセンタク板みたいなものですり潰して粉にしてから、パン生地にしたのがメキシコのトルティーヤです。

わが日本では、例によってガラパゴス的発展をとげて、今や砂糖キビのような大甘の品種まで作り出される始末。当然柔らかいものが好まれて、生食可などと、インディオが聞いたらのけぞるようなものさえあります。
ちなみに原種の中南米トウモロコシは、ハードボイルドなまでに甘さなどこれっぽっちもありません。色も黒あり、茶色あり、大小ありで、まぁ、日本のトウモロコシとは、別な品種と割り切ったほうがいいのかもしれません。

そんな人間サマまの思いを知ってか知らずか(知るわきゃないが)、在来ミツバチは今日もアッチの花粉をコッチに、コッチをアッチへとぶんぶん飛び回っております。

■写真 菜種とニホンミツバチのコラボ風景。ミツバチの羽はその超高速羽ばたきによって空中停止も可能というすぐれものです。
ちなみにセイヨウミツバチは、屋外に天然の巣を作ることが出来ず、越冬ができません。ですから、セイヨウミツバチは、飼育されても、日本の自然界では拡大できないわけです。外来種による自然生態系攪乱がみられない例です。

2010年4月10日 (土)

めでたい、ホワイトビーチ案断念か?!

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普天間移設 政府、ホワイトビーチ案断念 地元と与党反対5月決着困難に

米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)移設問題で、政府が「2段階移設案」の最終移設先としてきた米軍ホワイトビーチ(同県うるま市)沖に人工島を建造する計画を断念したことが8日分かった。複数の政府関係者が明らかにした。今後はキャンプ・シュアブ(名護市)陸上部に600メートル級のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)を造り、徳之島(鹿児島県)などに分散移転させる案が有力になるが、2段階移設案が頓挫したことにより、鳩山由紀夫首相が明言する5月中の最終決着はますます困難となった。

                   ◇

 ホワイトビーチ案は、勝連半島沖を埋め立て3600メートル級滑走路2本や港湾施設などを建設し、普天間飛行場や自衛隊基地機能を集約する計画。沖縄商工会議所の太田範雄名誉会頭らが熱心に誘致し、一部海兵隊関係者に評価する声もあることから、地元交渉を担う平野博文官房長官がこの案を主導してきた。

 ところが、沖縄県や地元自治体は、モズク漁などへの影響が大きいとして反対を表明。社民、国民新両党も撤回を求めてきた。

 このため、政府は、ゲーツ米国防長官が3月29日に岡田克也外相に提示した「政治的に海兵隊の駐留が持続可能な案」との条件に合致しないと判断。建設に15~20年を要し、費用が1兆円にのぼるとの試算もあることから、2日の首相と平野、岡田両氏ら関係閣僚の協議で「長期的な検討課題」にすぎないと結論づけ、米側にも伝達した。米政府は在沖縄海兵隊員約8千人のグアムへの移転を順調に進めることを重視し、シュワブ沿岸部移設の代替案で日米合意に基づく平成26年までに全面移設が可能かどうかを日本側に再三問い合わせてきた。日本側はいずれの代替案でも施設の完成時期を明示できず、米側は正式提案と見なしていない。

 首相は2日の閣僚協議でなお県外移設にこだわり、普天間飛行場のヘリ約60機を可能な限り徳之島に移転させるよう求めたが、ホワイトビーチ案には触れなかった。首相周辺は「ホワイトビーチ案が実現不可能だということは首相も分かっている」と語った。 産経 2010.4.9 02:04

■私のコメント 
最悪の選択だった勝連沖埋め立て案が頓挫しそうなようです。少々ほっとしました。こんな土建屋だけが喜ぶ百年悔いを残す愚計が潰れそうなことはほんとうにめでたい限りです。だいたいコッチの海の埋め立てをしない公約したので、その6倍の面積のアチラを埋め立てようという発想自体が、頭のネジが5、6本飛んでいる者の発想です。

この太田範雄沖縄商工会名誉会頭とは、かつて金武湾の石油基地埋め立てで大儲けをした男で、自分の金儲けのためなら沖縄最大の自然資産である海を潰すことなど平気の平左という人です。

こんな案がほんとうになったら、沖縄現地に行ってひさしぶりに反対の座り込みのひとつでもせにゃならんかと思っていました。

本日は速報のみ。

2010年4月 9日 (金)

有機農業支援・また一からの旅の開始 第1回 有機農業推進法ができるまで

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気が抜けてしまいました。いえね、有機農業支援予算を取らないと決まったら、なんかがっくりきました。財政的にどーたらということではなく、また一からこの長い道のりを出直しかといった気分です。

先日書店で見るともなく「アエラ」なんぞをペラペラはぐっていたらあの有機農業界の宿敵、レンポー女史が人物ルポで載っているのに出くわしました。思わず、カーペっと唾でも吐いてやろうかと思ったのですが、まだ買ってなかった。

斜め読みしたら、彼女もあの宗教裁判長をしたときには、拒食症になったそうな。まぁあの有機農業支援予算の時には眼もうつろ、肌はカサカサだったもんな。それなりにすさまじい重圧だったんでしょう。

ちっとも同情しないけど。だって目も虚ろな奴に切られたくはない。切られて血を流したのはこちらだ。

このチョウチン記事には彼女のおかげで涙を呑んだ人たちのことは一行も出てきません。「有機農業」の「ゆ」の字もなし。新聞にもスパコンばかりで、有機農業支援が切られたなんてちっとも報道されなかったので、彼女の脳裏からも完全に消えているのでしょうかね。というよりも、彼女にとって有機農業はおろか、農業の知識や思いのひとかけらもなかったと思います。加害者は常にそんなもんです。

さて、この切られた予算の前提であった有機農業推進法を作り上げるまで大変な努力が注がれました。そもそも「エコ」の声は世間に満ち満ちているものの、現実に環境と農業の接点にいる有機農業に対しての支援は、今に至るまでまったくありませんでした。

このような遅れた現状ではまずいと、国にしっかりとした有機農業に対する指針をつくらせるべきだとして、有機農業者や学識経験者、有機流通団体、そして少数の議員がが立ち上がりました。

しかし悲劇的なことには、国に有機農業の支援を要求していく運動の過程で、大きな内部亀裂が生まれました。それはおおざっぱに言って、個人の小規模営農をする農家と、それなりの規模をもった法人経営、あるいはJAの有機部会などとの体質の差に起因します。

長い間、在野で活動をすることを余儀なくされた有機農業の世界は、仲間が横につながっていくことを苦手としている体質をもっていました。お恥ずかしい話ですが、同じ町の有機農家とも交流をしたことがないというのも珍しくなかったのです。実を言うと今でもわが地域はそうです。率直に言って、私たちの有機農業界は他の農業分野よりも「つながる」、「拡がる」という点で大きくたち遅れていたのです。

この分裂を抱えながら、2004年に国会の全会一致で有機農業推進法の制定をみます。奇跡のような成立でした。しかし案件の狭間で、与野党の審議もないままに通過したというのが実態でした。

この法律は問題点を多数持って生まれました。まず、5年間という時限立法であり、また、地方自治体に推進法の成立を求めるという内容だったために、具体性を大きく欠いた議員立法だったからです。

具体的な予算措置もなく、具体的な行政のアクション・プログラムもない、総論賛成的な法律だったのです。そのために現実には、各地の有機農業者が、こんどは各自治体を相手に具体的な支援法を作れという要請行動をせねばならないという二重底のような構造になっていたのでした。

つまるところ、実体的内容は各地の有機農業者が自分で作れと、国から投げ返されるという実に奇怪な支援法だったのです。今になって考えてみれば、こんな無責任な法律ってありでしょうかね?

(続く)

2010年4月 8日 (木)

有機農業支援新予算、取得せず!

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更新が滞って申し訳ありませんでした。
毎日雨が続き、春の農作業が思うに任せません。村じゅういらいらしているかんじです。ともかく、掘らねばならないにんじんなどがあっても、かんじんの畑にはいれないですから、イヤになります。

グチグチャになっているのはとりあえずガマンするとして、弱るのは日照不足でした。困った天候というのは数ありますが、日照りは灌水をすればしのげますし、台風はそもそも人為的抵抗の方法がないのだから、はなからあきらめです。

弱るのはだらだら続く長雨です。これは露地作物にはてきめんで、根腐れ病などの細菌系の病気が蔓延したりします。長雨で作物が日照不足で弱っているところに、土壌も水を排水しきれずにいます。そこへ翌朝の快晴と高温が来ると、グワッと病気が出たりします。

まぁ今日はなんとかいい天気のようで、今度はいきなり20℃などというバカな高温にならないでほとほどにしてほしいもんです。しかし、天気は思うようにならないんだな、これが。

さて昨日は、茨城大学の中島紀一先生にもお越し頂いて有機農業新予算の対応を有機農業推進協議会で議論しました。結論から言いますと、新予算はやめんべぇということになりました。

旧予算と真逆な新予算に対応するのは不可能です。産地で産出額を出すのも現実的には不可能ですし、それをたかだか年間数百万円で増大できるほど状況は簡単ではありません。

新規就農者の当該エリアでの就農義務にしかり、消費者交流の売り上げ効果判定にしかり、そもそもソフト事業予算に数字での報告義務を課すこと自体が非常識です。こんな予算を取ってしまったら、数字報告が出来ずに四苦八苦してしまうことでしょう。

もっとしっかりとした地域での有機農業の根っこを張るところからやらないと、いまさら焦って新予算対応の収益向上事業などやっても意味がありません。形としては取得せずですが、気分は限りなく「新予算、拒否!」ですね。

旧予算の廃止に際しましては、多くの方々のご支援を頂戴いたしました。改めて感謝いたします。
しかし
このようなわけで、なめがた有機農業推進協議会は、新予算を取得せずに、協議会の枠組みを保持したまま独自の歩みをすることとなりました。よろしく今後ともご支援頂きますようにお願いいたします。

■写真前回に続いて菜種の花です。こんどは素直にいじっておりません。

2010年4月 5日 (月)

次から次に出てきた地球温暖化説疑惑の数々

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先日、英国議会によるクライメイトゲート事件の調査結果の報告が出ました。まぁ予想されたことですが、シロ判定ということで、今後は気象生データを破棄せずに保管することなどというあたりまえの勧告が出て幕となりました。

例の疑惑の主フィル・ジェーンズ教授(イースト・アングリア大学CRU所長・IPCCの代表的人物)は英国議会の公聴会でこう発言しました。
「私が疑惑を招いた電子メールを書いたのは事実だが、暴露されたのはメールの0.1%にすぎない。気温上昇データをゆがめたことを示すものではない」

また彼を弁護して、ケンブリッジ大学のピーター・ワダムス教授は、「CRUがデータを非公開にしていたために疑惑を大きくしたが、同じ気温上昇カーブは他の2機関でも観測されており、問題がない」と証言しました。

このようにクライメイトゲート事件そのものがうやむやにされていく一方、ほぼ同時期にいくつかの地球温暖化の動かぬ証拠とされた事例を、他ならぬIPCC自体が取り下げるという椿事が持ち上がり、苦笑を誘っています。

■2007年のIPCC第4次評価報告書にあった「ヒマラヤの氷河は2035年までに消滅する可能性が高い」という発表は、実は「充分な知識がない人による2350年の誤植だった」とそうです。初歩的というのも愚かな「誤植」であった、と冷汗を書きながら発表したのも、今回ジョーンズ教授を弁護したこのピーター・ワダムス教授であることは興味深いことです。

なんのことはない、世界中のメディアが大々的に報道したこの「ヒマラヤ氷河の後退は、2350年を2035年と間違えた」という出来の悪い中坊なみのミスだったそうです。

ジョーンズ教授が流出電子メールの中で言っていた温暖化説の研究者たちが「査読マフィア」を組み、批判的な説をもつ研究者の発表の場から排除していたことは疑いようのない事実です。
憶測の域を抜けませんが、ワダムス教授その人がこの「査読マフィア」に連なっていたことは充分に考えられることです。
*旧ログ「クライメイトゲート事件 第8回  ジョーンズ教授らが査読をねじまげた手法について」http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-61da.htm

ワダムス教授のいう「北極海の氷を潜水艦から測定し続ける」というデータ自体も、果たして生データが存在し、それが改竄の証拠なしとl第三者機関によって証明されるまで、信頼性の回復には遠いと思われます。

今回のジョーンズ教授の疑惑は、彼があろうことか原データを破棄するという科学者としてあってはならない「道義的犯罪行為」を働いたことに起因しています。「トリック」という言葉がどのような意味かなどより、自らの説の基礎中の基礎であるはずの原データの破棄こそが、ジョーンズ教授の最大の犯罪です。

■また同報告書は、「オランダの国土の55%が(地球温暖化の影響で)海面より低いと表記した件も、ほんとうは「国土の26%が海面より低く、国土の29%が洪水の影響を受けやすい」が正しく、同報告書では、それを足して55%にしてしまった誇張的表現であると修正しました。

これなども、アル・ゴア氏の地球温暖化による海面上昇説の誇張などを思い出させます。
*過去ログ「地球温暖化について考えてみよう 第3回 海水面はどれだけ上昇するのかの謎」http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/3-68fd.html

■また、時期的にはやや以前ですが、アル・ゴア氏が「不都合な真実」の中で、「キリマンジェロの雪が溶けた」ことを地球温暖化の証拠として大々的に取り上げたことを、英国高等法院は、「科学的な根拠がない」として退けています。このキリマンジェロの雪疑惑については別途記事でアップしたいと思っています。

■IPCCのパウチャウリ議長が理事長を務める団体に、地球温暖化対策の企業から多額の献金が行われたことが暴露され、議長辞任を求める要求が出ました。アル・ゴア氏にも同様な巨額な献金の流れが指摘されています。これについても別途記事をアップする予定でおります。

■全世界の気象観測データを集約している米国NOAAにも、データ改竄疑惑がでました。これについては過去ログでアップしております。全世界の気象データを統括していたふたつの機関である、英国CRUと米国NOAAに同時にデータ改竄疑惑が出たことで、大きく信頼性が損なわれました。

*過去ログ「地球温暖化の気象データ改竄疑惑 第1回 大本の気象データまでがフェイクだった!?」http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=62249173&blog_id=610475

*過去ログ「地球温暖化の気象データ改竄疑惑 第2回 地球温暖化説の心臓部を指し貫く事件」http://app.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?__mode=edit_entry&id=62260661&blog_id=610475

つまり、地球温暖化を叫んだ代表的3人の人物、フィル・ジョーンズ教授、パウチャウリIPCC議長、そしてアル・ゴア氏3人、そして世界的な気象データ統括機関であるCRUとNOAAに同時に疑惑が降りかかったことになります。

これらを受けてパウチャウリ議長は、「批判を認識している。独立委員会を設置して透明性を高める」と弁明しています。

それにしてもこうも次から次に出てくるデータ捏造疑惑、査読マフィア疑惑、データの意図的ともとれるひどい読み違い、誇張的表現、そしてやはりあった疑惑の資金提供によって、21世紀初頭の疑いようのない真実とされている地球温暖化説の信頼性は大きく崩壊に向かっているようにみえます。

■写真 なんの花かわかったらえらい。菜の花です!力一杯近寄ってみました。ついでに、フォトショップで、色も変えてしまいました。気持ち悪いっすかね?

2010年4月 3日 (土)

何にも使えない有機農業支援新予算 

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新有機農業支援予算、とるべきか、とらざるべきかでこの毎日うなっています。そうとうにきついというのが実感です。

わが国で最初に誕生した旧予算「有機農業モデルタウン事業」はそれなりによくできた予算でした。しかし、あえなく5年間継続の予算がわずか2年目で、かの悪逆非道の事業仕け人ども(←犯人はあのレンポーと枝野だよ)によって潰されてしまいました。

しかし、なんとかガンバッて形だけは再生しましたんで後はよろしく、みたいな内容です。前に一度ご報告したことがありました。
旧ログ 新有機農業支援予算 費用対効果で有機農業が計れるのか?」http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-e5e8.html

この有機農業支援新予算は、名称を「産地収益力向上支援事業のうち有機農業推進」といいますが、なんか名前からしてして変に長いでしょう。そう、これは「産地収益力向上支援事業」という既存の別枠事業に、コケてしまった有機農業モデルタウン事業を無理やり押し込んだ結果の苦肉の策なのです。

もともと産地収益力向上なんじゃら予算には、有機農業なんて分野なんかなかったのです。ところが、有機農業向け予算が、バッサリやられたので急遽、既存の枠組みに突っ込んだだけです。ですから、旧予算、つまり有機農業モデルタウン事業にあった理念の部分が完全に欠落しています。

では費用対効果というこの新予算の概念に有機農業が乗れるのでしょうか。農業を評価するパラメータを費用に対しての効果とした場合、当然この新予算のように産出額、つまり生産量となります。

ならばお聞きしたい、私たち有機農業は単純に「産出額」というものさしだけで計れるようなしろものなのですか?

実はこのエコノミーか、エコロジーかという問題は、古典的なテーマでした。農業は、自分の生産基盤の土や水を一代で収奪してしまうわけではなく、次代に更に豊かにして手渡さねばならない義務があります。さもないと縮小再生産になるからです。

農家は一代で終わる仕事ではありません。アメリカのようにこの土地がダメになったから別の土地に行こうなんてできるはずもありません。だから、自分の世代に自分の土と水を痛めないようにと思って生きています。

ですから、農業がエコロジーを考えて農業をするのは当然で、この何十年かの化学肥料と農薬に頼りきった農業のあり方のほうが異常だったのです。有機農業というとなにか特殊な資材を使ったりすると思われている人もいますが,そうではなくごくあたりまえの農業に戻していこうとするありかたでした。

つまりエコノミーを続けるためには、エコロジーが必要ですし、逆にエコノミーなきエコロジーでは農業が趣味の菜園と同じになってしまいます。互いに互いを条件にしている関係で、二者択一的なものではないのです。

今回の新予算は、エコノミーとエコロジーを二項対立させて見ているようです。ですから、エコノミーの部分のみに焦点をあてて、その「産出額の増大」だけを指標にしています。まったく有機農業を根本的に理解していないとしか言いようがありません。

具体的にみていくと、農水省が新予算が採択の前提としている「地域協議会のエリアの生産額」ひとつにしても、JA一本で米の単作というわけでもない私たちに、簡単に出せる数値ではありません。しかも、品目と単価まで出せ、というに至っては現実の産地というものをまるで知らない官僚の作文です。

はっきり言って、わが行方地域は40数名もの有機農業者、5団体ものグループがおり、それぞれが50品目近い作物を両手の数ほどの取引先と、これまたそれぞれに応じた価格で販売している行方地域の「地域産出額」とやらなど出すことは不可能に近いと言っていいでしょう。

仮にそれを出せたとして、産出額を5年後に5%増し(*必ずしも5%にはこだわらないともいう)にしろなどとは空論もはなはだしい。私たちの地域はたぶん産出額が地域のトータルで10億円規模あります。それをこんな年間400万円規模のチャチな予算で、年間5%増しの5千万円伸ばせと・・・ご冗談もほどほどに。

ほかにも、人材育成も隣町に新規就農してはダメで、協議会エリアに限るだとか、協議会メンバーには人件費コストを支出しないとか、食育活動の生き物観察などは販売効果を見るとか、もう話にもなりません。エコノミーとエコロジーが一体化して出来ている有機農業を、エコノミーだけで裁断するとこうなるという見本のような予算です。

説明会に出席した各地の有機農業推進協議会とも話を交わしましたが、皆ボーゼン、アゼン、怒る元気もなしの様子でした。こんな何に使ったらいいのかわからない、というより何にも使えない有機農業支援新予算、どうしたものでしょうか?

で、よしんばこの新予算を取得(採択というそうですが)しても、次の年末の事業仕分けに引っかかって廃止の可能性もあるとか・・・もうあきれ果ててしまいました。

いままで一度もお国のごやっかいになったことのないわれわれ有機農業者だ。初めからなかったと思えばいいさ。それにしても、何よりもだめな農水省、何をしてもだめな民主党。

■写真 わが家のキッチンの窓辺です。ほんとうはゴタゴタしていていますが、こうして見るときれいですなぁ。

2010年4月 1日 (木)

普天間問題の迷宮 その2  かくして大きく歯車は回り、普天間基地は永久化するのか?

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イサオさん、http://isao-pw.mo-blog.jp/isaopw/2010/03/post_08d8.html、SHINAKOSANさんhttp://shinakosan.ti-da.net/e3006022.html、コメントとトラックバックをありがとうございます。沖縄現地のブログからいただくと、かつての名護市民の私も嬉しい。

さて、私の実家は米海軍厚木基地の近隣にありました。。ベトナム戦争の時には、空母が横須賀に入港するたびに硝煙ですすけたようになった戦闘機が大挙して舞い降りてきたものでした。また、その厚木の先には座間の補給しょうがあり、戦闘で破損した戦車や装甲車を修理して、また現地に送りかえしていました。私はこんな土地で、小学校から20歳までを過ごしました。

ですから、上空を通過する軍用ヘリの重苦しい羽音、早朝から深夜にまでおよぶジェットエンジン音、夜間離発着訓練のガラスを引っかくような轟音、そしてひんぱんに起きる基地絡みの事故は実感で理解することができます。

なにかで普天間の学校を見たとき、懐かしいというと語弊がありますが、既視感がありました。私の小学校も二重窓で、夏にも開けることができませんでした。まぁ、クーラーなどシャレたものがない時代ですので、だいたいは開けてましたが。騒音直下の児童は、集中力が乏しくなるようです。ひんぱんに授業は中断され、会話もなんとなく大きな声になってしまうからです。

基地の航空機進入下に広がる広大なスイカ畑は、いつの間にか防衛施設庁に買い上げられ、柵が張られました。わが国の航空安全法においては、滑走路進入下何㎞かは完全な無人地帯でなくてはなりません。

しかし、普天間基地はその航空安全法の埒外にあり、進入直下に人家が密集するという異様な状態が放置され続けました。これは米国の統治下にあった時期に、人家が立ち並び始めたからです。広大な土地に飛行場を作る米国人にとって、普天間基地のような文字どおり人家の中に航空基地が存在するというのは、想像を超えたものだったのかもしれません。

視察したラムズフェルド国防長官をして、「世界で一番危険な基地だ」と言わしめた基地です。そして現に視察前に、CH53大型ヘリが近隣の沖縄国際大学構内に不時着する事故を起こしています。 ですから、話の流れからいっても、この目前の危険の除去と国民生活の安全の回復としての普天間基地撤去が最大のテーマだったはずです。

ところが、その移転先としてすったもんだのあげく、辺野古に不時着し、あたかもこれこそが問題の核心であるかのような錯覚が生まれました。辺野古問題はあくまで普天間基地の撤去に対する「解決策」でしかなかったはずなのに。

ところが、辺野古問題が当然のこととしてこじれにこじれ、辺野古地区を二分させ、さらには名護市を西と東に分断し、人の心をズタズタにし、疲弊させました。紛争の14年間は残酷なまでに長かったのです。

今、民主党政権は「辺野古沿岸部に建てさえしなければいいのだろう」と言わんばかりの移設案をひねり出しました。それが前回記事にあった3ツの方法です。とうとう最後は、うるま市の建設業者のボスが提唱する辺野古沿岸部の6倍もの巨大埋め立て島を作るという珍解答が、民主党の最終プレゼンとなりそうな気配です。

これは何度も言いますが、問題のすり替えです。なぜなら、この代替案には、普天間基地の今後の処遇が一言一句も出てこないではありませんか。私たち国民が漠然と、「そりゃとうぜん撤去だろう」と思い込んでいるだけです。宜野湾市もそう考えているし、沖縄県もそう思っていたのでしょう。ところがそうではなさそうです。

政府筋から流れてくる情報では、仮に代替基地ができたとしても、その後の普天間基地は補助基地として存続しつづけ、海自が那覇から移駐し、有事には米軍に提供されるという説が有力です。

普天間基地は残り、徳之島の海岸線を埋め立て、また勝連沖に巨大海上基地を作る・・・これでは何ひとつ変わらないではないですか!基地機能の分散どころか、強化です!

幸か不幸か、この民主党案は米国によってにべもなく拒否されることでしょう。では、やはり辺野古沿岸部か?それもありえません。かつて消極的賛成をしていた辺野古3地区も反対に回り、今や沖縄は島ぐるみ反対の姿勢に変化してしまいました。「県外移設」を唱えて、沖縄全選挙区から自民党を一掃しておきながらの民主党のこの背信行為に、温和な沖縄人も真から怒りをたぎらせています。

かくして歯車は大きく一回転し、普天間基地の恒久化で終結するのでしょうか。

■[資料]普天間移設、陸上なら契約拒否 久辺3区が方針

米軍普天間飛行場移設問題に関し、政府が5月末に米軍キャンプ・シュワブ陸上部への移設を最終決定した場合、名護市の辺野古、久志、豊原の久辺3区が、同基地内に保有する区有地について、軍用地契約が切れる2012年5月以降、契約を結ばない方針であることが27日分かった。
 3区の区長を中心に同方針を申し合わせているという。名護市辺野古の普天間代替施設等対策特別委員会の古波蔵廣委員長と区長が同日明らかにした。
 シュワブ陸上部への移設案に対しては、辺野古が2月に反対を全会一致で決め、近隣の久志、豊原も同調している。
 古波蔵委員長は27日、辺野古交流プラザで開かれた名護市軍用地等地主会の終了後「陸上案には3区とも100%反対。陸上案に決まったら絶対に契約できない」と、反対姿勢を強調した。
 古波蔵委員長は、同地主会の席上、参加した約200人の地主に対し、政府案が決まるまで軍用地契約の同意書を提出しないよう呼び掛けた。これについて「契約の同意書を出すことで政府に『地元は陸上案を容認している』という間違った勘ぐりをされたらたまらない」と説明した。
 同日の地主会は12年に軍用地契約が切れるのを前に、地主に契約更新について説明するために開かれ、沖縄防衛局の職員らが仮契約の同意書を提出するよう要請した。     「琉球新報」3月28日

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