宮崎県口蹄疫事件その2 初期防疫の人災的失敗
仰天しました。どうかしているとしか言いようがありません。本日は前回書いたとおりあまり政治絡みにしたくなかったのですが、ここまでボケが進行すると、額に手を当てたくなります。
・・・赤松大臣ドノ、あんた正気か?あんた自分がなんの大臣なのか分かっているのか?今宮崎で何が起きているのかちゃんと把握しているのか?・・・
この赤松大臣、現場指揮から逃亡し、閣僚懇にも欠席し、ようやく帰ってきたと思ったら、その足で真っ先に指揮をとるべき宮崎口蹄疫対策に乗り出すどころか、佐野市の民主党議員の選挙応援に行ってしまったんだとか・・・!絶句。
会場のアナウンス、「赤松大臣が帰国の便を早めて帰国後直接にこの会場に駆けつけて頂きましたぁ!」・・・だそうです。駆けつける場所が違うだろうって。
たぶんこの人、まったく口蹄疫のイロハがわかってないんじゃないかしら。農水官僚は何も教えていないとしか思えません。というかきっと「政治主導」とやらで聞く耳を持たなかったのでしょう。
時系列で見てみましょう。なぜ日単位の時系列で見るのかは、口蹄疫の際立った特徴が三つあるからです。
①異常に早い感染力と感染速度。
②治療薬がない。また予防ワクチンが設定されていない。
③防疫方法は殺処分しか現状では認められていない。
これら三点の口蹄疫の特徴があるため、いったん初期防疫に失敗した場合、燎原の火のように燃え尽きるものがなくなるまで燃え盛ります。人間はこの燃え盛る疫病に対して、いわば破壊消防のように高価な和牛や豚を殺処分、つまり殺して防ぐしか方法はなくなります。
おわかりでしょうか。いったん初期防疫に失敗すれば黒々と壁のような津波があっさりと堤防を乗り越え、家畜と人々を苦海に飲み込むのです。これが今の宮崎県の畜産を包む状況です。時系列を巻き戻しましょう。
●3月31日。 都農(つの)町の農家で水牛3頭に下痢の症状があり、動物衛生研究所海外病研究施設(東京都小平市)で遺伝子検査を行い、陽性と判明しました。川南町では22日、農家から役場を通じてよだれや発熱の症状を示す牛がいると、宮崎家畜保健衛生所(宮崎市)に連絡があった。3頭に症状がみられ、うち1頭が陽性でした。つまり、微弱な感染が3月中旬頃から見られていたのです。
●4月9日。口に水泡がある牛を獣医師が発見。
●4月17日。更に2頭発見。
●4月20日。口蹄疫が10年ぶりに宮崎県で発生したことが報告されました。この時点で、自動的にQIE(国際獣疫事務局)の取り決めに従い、国産牛肉の輸出は禁輸になりました。これでこの禁が解けるまで、一切の国産牛肉は輸出が不可能となりました。大変な打撃です。
●同日。疑似患畜の確認を受けて、感染が拡大されていることを農水省は確認しています。
●同日。赤松大臣は「消毒液が現場で不足している」旨を宮崎県選出の外山いつき議員から陳情されます。
●4月21日。本来この時点であるべき政府・農水省からの指示や支援策が現地に来ないことで、宮崎県はパニックになります。現地が備蓄している消毒薬には、当座のものしかなく限界があるからです。そこで組合が融通し合って消毒液を拠出し合うという異常事態になりました。
●4月22日。農水山田福大臣「限度場の状況を初めて聞いた」と発言します。これは外山議員の陳情が伝わっていない政府内部の連絡のなさと、指揮するべき大臣、副大臣が現状をまったく把握していないことを語っています。
●4月25日。殺処分の処分対象1000頭を突破。過去の2000年時をはるかに凌ぐ最大規模になることが明らかになります。この時点で初動制圧は失敗していることがわかります。
本来はここの時点までに、資金とマンパワーを一挙に投入して一気に沈火せねばならないのです。殺処分対象が1000頭となったということは、ネズミ算的に感染が拡大していることをしめしているからです。
●4月27日。東国原知事が上京し赤松農水大臣と自民党谷垣総裁に陳情。自民党は、翌日自民党口蹄疫対策本部を立ち上げます。対策本部長は谷垣総裁。かつての2000年時の政府トップが本部長に座り指揮する伝統的布陣を取ります。
ちなみに、鳩山首相は政府対策本部の指揮官にもなることもなく、5月1日に近隣の水俣病慰霊祭に出席していますが、この宮崎県口蹄疫についてはなんの発言もありませんでした。色紙には「友愛いぐさ」と書いたとか。もう怒る気にもなりません。
●4月28日。農水省は川南町の県畜産試験場の豚5頭に感染の疑いがあると発表。同試験場の豚486頭が殺処分されることになった。牛感染が豚にも共有して感染していることが確認される。牛にとどまらず、豚にまで共通感染していって拡大の一途であるという悪夢の事態になったことが明らかになります。自民党対策本部谷垣氏、現地視察。
同日。国連食糧農業機関(FAO)は28日付けで日本での口蹄疫の集団発生を国際的に通知し、国際的には報道されました。
●4月29日。谷垣氏に遅れて山田副大臣がようやく発生から1週間後、宮崎視察。現地には行かないことが論議となる。このあたりは複雑で、副大臣に伴うマスコミなどが現地に来ると感染が拡大するというのも事実です。山田さんは、珍しく北海道で農業を現場で知っている人なので、危機感はあったと思います。
●4月30日。自民党口蹄疫対策本部が42項目を政府に要請。赤松大臣に会見を要求するも断られる。赤松大臣、カリブ海へと外遊の旅に出発。
正気の沙汰ではありません。このようなことを指揮官前線逃亡といいます。大火災を前にして戦っている消防の指揮官が、「あ、オレ、ゴールデン・ウィークなんでカリブ海に行ってくるわ」と逃げてしまったというわけです。これが軍隊ならどこの国でも死刑です。
●同日。民主党事業仕分けにより、口蹄疫被害を受けた畜産農家に融資を行う役割の中央畜産会が仕分けられる。たぶん前々から仕分けることにしていたのでしょうが、よりにもよってこの時期にぶつけなくとも。これにより緊急の非政府関係の被害支援は不可能になってしまいました。これも政府与党内部の統一された意志の欠如という民主党特有のの症状です。
●同日。移動・搬出制限区域を宮崎・鹿児島・熊本・大分の4県に拡大。
●5月1日。宮崎県知事、自衛隊に災害出動を要請。もはや前代未聞の激甚災害となりました。
まさにもっとも大事な3日、いや負けても1週間という貴重な時間を政府は空費しています。赤松大臣には口蹄疫に対する対処は速度が第一という鉄の法則を知らなかったとみえます。
赤松大臣、5月8日時点で、6万頭が殺処分となりそうな気配です。もはやすべてが手遅れです。火が乾いた原っぱをなめつくしているそのときに平気で外遊してしまい、ようやく帰ってきてみたら真っ先に選挙応援に駆けつけてしまうあなたの感性を疑います。
まさに農民や国民などあなたの視野のどこにもない、選挙大事の腐り切った永田町どぶ泥政治そのものです。今更宮崎県に行ってもなんの役にもたちません。辞任しなさい。あなたには農林大臣の資格がありません。今やそれがいちばんの国民への貢献です。
■追加資料 宮崎日日新聞 2010年05月09日
「あんな鳴き声初めて」処分農家ら叫び悲痛
そうした声の一方で、外遊から帰国後、10日の来県を決めた赤松広隆農林水産相には「今更どんな顔で来るのか」と怒りの声も上がった。
「注射を打たれた豚は鳴くんです。あんな鳴き声を聞くのは初めてで、胸が詰まった」。感染疑いの豚が確認された養豚農場に勤める30代男性は、殺処分の様子を切々と語った。今も畜舎の防疫作業は続くが、「(何も生み出さない仕事を続けるのは)むなしい」と話す。
別の養豚農場では埋却場所の選定が遅れ、殺処分が始まっていない。補償を受けるには1頭ずつ評価を受ける必要があり、それまでは豚を生かし続けなければいけない。30代経営者男性は「処分されると分かって飼い続けている。今は餌を食べられるだけ食べさせてあげたい。味わったことのない気持ちだ」とつぶやいた
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/?itemid=25894&catid=74&blogid=13。
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