ふたつのコメントにお答えしておきます。ひとつは「口蹄疫ウイルスは宿主から離れて生存しえないので、排水中で生きられるのか」というご意見です。また、「農場の防疫は隔離が第一だ。獣医師の発生動向調査も危険だ」というご意見です。
これらのご意見は、宮崎市跡江地区の排水からの感染拡大がありえた可能性を指摘した前々回(その32)の記事に対するご意見です。
私は排水ルートは、あくまで可能性のひとつだと思っています。しかし、私自身が当事者として経験した5年前の茨城トリインフルエンザ事件において、下水路は水海道地区において感染ルートになったことからみて、最終判断はやがて発表されるであろう疾病小委員会の報告書をまたねばなりませんが、私としてはありえる伝播経路だと考えております。
この茨城県水海道地区は、いわゆる養鶏団地で、養鶏場が密集している地域です。ここにトリインフルエンザH5N2型という強力な感染力をもつウイルスが廃鶏によって持ち込まれ、そこから鶏糞を媒介とする下水と人の移動、車両によって蔓延しました。
また鶏糞の移動を通じて、他の地域にも伝播し、茨城県下で実に560万羽もの殺処分を出した悲惨な事件でした。自衛隊も出動する大事件であったにもかかわらず、マスコミには無視され、一般国民がほとんど知らないままに終始した事件でした。
さて、FAOのAnimal Health Manual(2002)は口蹄疫の国際的な防疫指針が書かれているものです。この第2章に「この疾病の特徴」が述べられています。(岡本嘉六教授の訳文と解説はここから)http://vetweb.agri.kagoshima-u.ac.jp/vetpub/Dr_Okamoto/Animal%20Health/Contingency%20Plan%20CHAPTER%202.htm
この第2章に「疾病の伝播」というセクションがあり、こう述べられています。要約すれば
①直接接触・・・感染動物と感受性をもった動物との直接的接触による伝播です。飼育密度が高かったり、家畜のセリや家畜展示会などで媒介されて伝播していきます。
②間接的な伝播・・・口蹄疫ウイルスは、感染された分泌液、排泄物(唾液、乳、糞便、尿など)で汚染された飼料、敷料、機材、家畜の係留場所、車両によって容易に伝播されます。またこのセクションには「獣医師や作業員もリスクがある」としています。
③ウイルスに汚染された肉片、乳製品による伝播・・・航空機などから出される残飯による国際的な伝播。ちなみに、現地対策本部が進めている早期出荷には、同業者として経営的に納得しますが、ウイルス伝播の可能性からみれば疑問が残ります。
④風による伝播・・・温帯地方では国際的に確認されています。一般的には半径10㎞ていどと言われています。一般的な伝播パターンは、増幅動物(*豚は牛のウイルスを最大3千倍まで増幅して放出する)である豚から風下の牛に伝播していきます。ただし、風の伝播は、そのときの湿度、地形などにも左右されます。
⑤人口繁殖・・・人工授精の精液による伝播です。ただし国際胚移植学会(IETS)の手順に従って衛生的に採取された精液はリスクにならないとされています。
また同第2章には、「ウイルスの残存」というセクションもあり、そこでは「乾燥した糞便中ではウイルスは14日間、冬季のスラリー(糞尿感濁液)では6カ月間、尿中で39日間、秋季の土壌表面で29日間、夏期の土壌表面で3日間生存できる」とされています。
長々と専門用語を連ねて申し訳ありません。コメントされた方もご存じのようにウイルスは生物ではありません。タンパク質を自ら形成することができず、宿主に寄生してしか生きることができない原初的存在であることが一般的に知られています。
では、なぜ感染が拡大するのでしょうか?自然宿主同士の濃密な直接接触がない場合でも多数発生しているのはなぜでしょうか?
その理由が上記のFAOの防疫指針第2章です。ここが、おっしゃるように「完全に隔離する」ことが可能な宇宙ステーションか、あるいは大学の実験室(クリンルーム)ならそれも可能でしょう。現実には、農場は社会的な活動をする経済活動の単位です。ぶっちゃけていえばガサツな存在です。
大学で疫学を学んで獣医師免許を得た若者が、現実に家保に配属されていちばんとまどうのはここでしょう。ナンセンス、農家はレベルが低い!と決めつけてなんとかなるならそもそも家保はいらない。
私が何度も書いている伝染ルートの3要素は、一に糞尿、二に車両、三に人間です。その他、昆虫、野鳥類、野生偶蹄類、風などがあるでしょうが、現実問題としてそれらの可能性はやや低いと思われます。私は畜産の実務家として、まず上位3番目までくらいまでを厳重に管理し、それ以外に関しては注意するていどになると思っています。風媒介など農場をドームででも覆わないかぎり防ぎようがありません。
跡江地区での下水道に糞尿が流出しているかどうかは、私も確証がありません。ただ、人口密集地区での畜産農家が、一次処理をせずに直接汚水を下水道に流すことは考えにくい以上、農場内から出た一次処理済排水に糞尿含有ウイルスが残存し、それが下水路に流れ込むことはなしとは思えません。
私は汚水処理から漏れ出た微量の糞尿に残存するウイスル伝播の可能性を指摘しています。これは先に引用したFAOの防疫指針の「間接的伝播」に相当します。
そして口蹄疫ウイルスは、糞尿中にFAOによれば、14日間もの間宿主なしで生存することが可能です。多くの養豚農家が使っているスラリー処理施設ではなんと6カ月間もウイルスは残存するのです。
コメント氏は、いきなり農場の汚濁した糞尿が下水路に流れ込むことを想定されているようですが、そんな「稲が倒伏する」ような高濃度の窒素が出たら大騒ぎとなります。
第一、米が倒れ伏すような過剰窒素なんて、一体どれほど高濃度のものか現実にお分かりでしょうか。また下水がそのまま田んぼに入るなんてことは、少なくとも私の村ではぜったいにありえないことです。そんなことをしたら食味がひどいことになって商品になりません。
「ウイルスを発生できないようにコントロールすることが常識です」とおゃしいますが、そりゃあなた、それができなかったから発生したんでしょうが。繰り返して言いますが、「外界から農場を完全に隔離する」など失礼ながら、いかにも知識はあるが現場を知らない人が考えそうな夢想にすぎません。
「防疫」とひと言で言っても、予防的な日常的防疫と、出てしまってからの防疫はまったく違います。それを一緒にして一般論を高見から言われてもいささか困ります。
「どこから来るのかわからないからすべてを遮断する」というのは確かに正解ではありますが、現実問題として、防疫指針第3条に反して、もっとも交通量の多い国道は国交省管轄で規制・消毒はできない、そしてわが村にウイルスが来たという状況の中での農家の心理を少しも考えておられないご意見です。
現実の被災地区の農家心理は、伝染の危険を最小化するために知恵を絞ろうとします。消去法です。家畜車両、来訪する一般車両、糞尿の移動、死体の移動、そして人間の要素のひとつひとつを洗って消していかねば安心できません。メシも喉に入らない。
「あらゆるものから伝染するのだから」などとのたまわれても気休めになりますか?自分で被災地農家の立場になって考えてみたらよい。
この不安を一掃するためには、通常の防疫手順である「発生動向調査」が必須なのです。それを家伝法第16条に反して家保の獣医師のみに患畜を処分させているから、やる余裕がなくなっているだけです。
今回このサーベイランスをしなかったために、発生2カ月間経過していかなる感染ルート情報も、県や国から来ないという異常なことになりました。というか、国や県は出したくとも出せないのです。
これは初めに甘く見ており、後にパニくっていたからにすぎません。押さえ込むべき数時間はおろか数週間をロストし、感染の極度の進行の速さに国も県もその対応で忙殺されていたからです。当初前回の制圧事例から極度に甘く見積もったツケを、後にたっぷりと払わされてしまったのです。私がこれを人災だというのはそこです。ただし、その責任を問う時期は、終結宣言の後であると思っています。
今、このブログで私が展開してきている論旨は、予防的な日常防疫活動一般ではなく、出てしまった現に目の前にあるパデミックをどうするのか、そして他の県はこれをどう教訓化して自分の地域の防疫指針に役立てるのかなのです。
お気持ちは伝わるのですが、もう少し現実の畜産現場を見ていただけたらと思います。
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