ずしっとくるコメントを大量にいただきました。東国原知事のことを評するにあたっては、私はそうとうに慎重でした。むしろ、ある方から「失笑」と言われてしまったくらい腰が引けていました。公選で選ばれた県知事、しかも危機の時のリーダーを評するということは私には気が重いことでした。
私には頭ではなく、実感で被災地を理解できます。何度か書いてきていますが、5年前の560万羽を処分して゛終息にまで1年間かかった戦後畜産史上最悪と言われた茨城トリインフルエンザ事件の渦中に私もいたからです。
殺処分の網から逃れたのはほんの偶然にすぎません。私の農場で家保が血清検査をするたびにその結果がでるまでの悶々とする時間の長さ、そして通知の電話が鳴るたびの飛び上がるような恐怖は今でも私の中に鮮明に残り続けています。
いまでも思うのですが、私は殺処分命令が下ったら抵抗していたでしょう。茨城トリインフルはH5N2型でした。N2はワクチンに使われるような弱毒型ウイルスでず。N1型のような致死型ではないし、人獣共通型でもありません。
そのまま放置しても、発症することなく抗体価が下がり続けるだけにすぎません。現在の宮崎県でのワクチン接種地帯とほぼ同じと思っていただければいいと思います。
それを殺処分しろと・・・、発症もなく、ただ抗体が陽性であり、仮にそうであっても清浄国を維持するために、ただその理由だけで殺処分しろと。
冗談ではない。私は自分の農場で陽性が検出され、殺処分命令が家保、つまりは県知事から来たのなら、空調のきいた県庁から出て、防護服に着替えて私の農場に来い、そして命令書を知事自らがオレに渡せと言ったと思います。
そして私は「いやだ」と返答し、知事を追い返したでしょう。そしてその後は容易に想像が出来ます。私を地域ぐるみで説得しようと実力者が押し寄せ、同業者組合は面会を求めて電話を鳴らし続けたことでしょう。
結局、私の農場からは度重なる検査にもかかわらず陽性は検出されることなく、私は今でもこうして農家を続けています。それは単なる偶然がもたらした幸運だったと思っています。
こんな私が薦田さんを突き放しているとおっしゃいますか?高鍋町の皆さんを侮辱するとでも?薦田さんのニュースを見て、私は涙が止まらなかった。ちょうど1カ月前に、川南の老農夫が埋められる牛を見て座り込むその背中に涙が止まらなかったように。
あの姿は、まぎれもなく、かつてそうであったかもしれない私自身の姿だったからです。
さて、東国原知事に対しての私の思いは複雑です。私が今回の種牛問題で、知事に言いようのない怒りのようなものを抱いているとすれば、それは薦田さんというひとりの農家にすべての重荷を、抱えきれないような重い責任を預けたからです。それも締め切り時間を背景にして。
まず、「闘うひとりの老農夫VS硬直した冷酷な国家」という図式を作ったこと自体が間違いです。このような図式を作れば、必ず全国のマスコミの好餌となってしまいます。なぜ、知事は事前に適格な保護をしなかったのでしょう。
薦田さんの手塩にかけた種牛を守りたいという純粋な心を、政治ショー化してしまったのは他ならぬ知事自身です。テレビの世界を熟知している知事にそれが予測できなかったはずがありません。ですから、私はあの構図は意図的に知事が作り出したものだと思いました。
そして、私は思いました。あれは知事の「政治闘争」なのだ、と。そしてその目的があるとすれば、山田大臣の首を取るという低いレベルではなく、発生以来一貫して県が苦渋を飲まされ続けてきた国の無責任、無作為、無為無策を撃つことではなかったのか、と。
その象徴的な場面に、県知事・東国原英夫は種牛問題を選んだのではないかと。そしてその戦いの彼方に彼が見ていたのは、国による防疫体制の一本化の道筋を県のイニシャチブで戦い取ることではなかったのか、と。
そうだとすれば、私は東国原知事の同志です。私もまったく同じ意志を持つ者だからです。
県に過重な負担をかけ、責任のみ押しつけて、自らは口を拭って金も出さない、人も出さない、情報すら与えないような腐り切った今の国の防疫体制は間違っています。
4月28日に農水大臣が遊びに出かけてしまい、霞が関も脳死状態、5月7日に大臣が帰国しても、現地にも来ず選挙応援に行ってしまい、現地に来てもいばりちらすわ、居直りまくるわ、あげく国の現地対策本部が出来たのがなんと5月12日!遅いとかなんとかの次元ではありません。やる気がないのです。これを不作為、無責任と言わずしてなんと言いますか。
そして宮崎現地に対策本部長として乗り込んで来たのが、他ならぬ山田副大臣(当時)でした。そしてそのときにはもう既にワクチンを接種する方針を持っていました。ふざけるのもいいかげんにしていただきたい。現地にやって来たこともない連中が、霞が関の密室でゴチョゴチョと短時間会議して決めたのが、ワクチン接種でした。
初動数十時間はおろか、丸々一カ月間弱の期間をドブに捨てて、県が処分と埋却に忙殺されているのを他人事のように傍観しておきながら、何が今さらワクチンしか防ぐ方法はないだ。
同じことでも、自分の無為無策、無責任を恥じて辞表を出してから言え。宮崎県民に詫びてから言え!物事には順番があるのです。なんと傲慢な。なんと無礼な!
もちろん初動防疫上での知事の失敗はあります。しかし、ものには軽重がある。宮崎口蹄疫事件で犯した国の失敗の根深さと巨大さに比べて、県の失敗は比較になりません。中央からなんの支援もないところでの、ありうべき範囲内の現場の混乱でしかないと思っています。
ただ、それをも総括することなく先に進めない清浄化期間に来ています。だから反発覚悟で書きました。
このことは重要なことなので、繰り返します。私は口蹄疫事件において、農水省や農水大臣、民主党政権の失敗と、宮崎県、宮崎県知事の失敗を同列、同重量で扱うことはぜったいに誤りだと思っています。
口蹄疫は国際法定伝染病であり、激甚広範囲な口蹄疫を防疫する第一義の責任者は国家だからです。これを今のような感染速度を予測できなかった昭和24年に作られた家伝法や防疫指針のまま対処すること自体が誤りであり、その誤った法律と指針による第一義の被害者は宮崎県なのですから。ましてや発生農家の自己責任論に至っては、張り倒してやりたい類の俗論です。゛
ほんとうに告発されるべきは国の防疫体制の巨大な失敗でした。その意味において、東国原知事の戦いはまったく正しく、支持されるべきものと私は考えていました。
だから、きりぎり直前となってまたもや薦田さん個人の「決断」に委ねるような卑怯なふるまいは許せなかったのです。知事はこの時こそ自らが辞表を呑んで闘うべきでした。
薦田さんはこれまで血の涙を流してきた、地団駄踏んで自らの家畜を殺さざるを得なかった児湯の農民の魂を代表していたはずでした。薦田さんに「処分してくれ」と頼んだ児湯の組合関係者も泣いていたと聞きます。いちばん薦田さんを理解できるのは彼らですから。そして彼らの説得が薦田さんにいちばん応えたのですから。
だからこそ、東国原知事は腹をくくって「悪者」になるべきでした。畜産組合からののしられようとも、それで行政官かと県外から怒鳴られようとも、国から代執行という恫喝を受けようとも、薦田さんを徹底的に守り通すべきでした。誇り高い九州男ならそうすべきでした。
私の父親は明治生まれの鹿児島男でした。父の口癖は「議をたてるな」でした。ある場面となったらもう議論はいらない、決心を抱えて火中に飛び込むだけだと私は解釈しています。
県知事・東国原英夫は国の処分官に処分をさせて、一体なぜこのような事態に立ち至ったのかの理路を全国の国民を前に述べるべきでした。辞表を懐にして゛国相手の合戦をすべきでした。
そのような戦いをすれば、辞任しての選挙で宮崎県民は東国原氏をまた知事に選んだことでしょう。そのことによって知事の戦いは県民全体の戦いとなり、県民の戦いは国民の戦いたり得たえたかもしれないのです。私はそれをなしうるのがほんとうの「危機のリーダー」だと思っています。
なぜなら宮崎県は、いや宮崎県民は、なにより宮崎農民は間違っていないからです。間違っているのは国だからです。
空いた畜舎をなぜ毎日消毒せねばならないのでしょうか。名前をつけた子牛の命日に手を合わせる女の子の涙はなんなのでしょうか。宮崎球児の晴れ姿をなぜひとりの親も応援に行けないのでしょうか。隣県でなぜ宮崎県から来たというだけで差別まがいの扱いを受けなければならないのでしょうか。
間違っていない者たちが、真面目に生きてきた者たちが、なぜ涙を流さねばならないのでしょうか。そしてほんとうの原因を作り出した者たちを何の咎めもなく出世の階段を登らせていいのでしょうか。ほんとうにここで幕を引いていいのでしょうか。
しかし、宮崎県知事・東国原英夫の戦いは不発のまま終わりました。
農水省官僚は秘かに乾杯し、農水大臣・山田正彦は薦田さんに面会を求めて追い返されました。やっと人間の顔に戻れたのかもしれません。彼も牛飼でしたから。
まだ夏は始まったばかりです。苦しい夏を生きる宮崎の皆さんに、茨城の空から手を合わせます。
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