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2010年8月17日 (火)

宮崎口蹄疫事件 その75     なぜ自衛隊出動要請が遅れたのか?

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色々なご意見をありがとうございます。

まずは「しま」様。私のソースは当時の宮崎県議会議事録と、「テーミス」(会員制情報誌)です。おっしゃられて探しているのですが、議事録がなぜか出てきません。判り次第アップします。

さて、「しま」様がおっしゃるように5月1日に都城駐屯の第41普通科連隊、第376施設中隊に要請をしていますから、4月26日に自衛隊出動要請の意志がないと答えてから4日後となります。このわずか4日間になにが起きたのかです。

もっとも重要な出来事は、川南町にある県畜産試験場の豚の感染爆発でした。これが感染拡大の引き金となりました。

畜産試験場での感染爆発は、直後にたちまち豚が飛び火します。まず4月30日から5月5日のわずか6日間に、川南の農家の第12例、13、14、16、18、19、20、そして第21例と川南町をなめるように連続感染していきます。

この事態と、それすら処分しきれない状況が知事に自衛隊派遣要請を決意させたのだと思います。

4月26日の要請をしないと県議会で答えた時点で、知事は自衛隊なしでも抑え込めると思っていたのだと思われます。この時点では制圧に自信があるという受け答えもしています。

この知事の楽観的認識はなにが原因なのでしょうか?
まず、当時はまだ症例自体が少なかったのです。と言っても、すでに4月26日段階では、第6例(水牛農場・後に初発と認定)が確認され、殺処分予定が1108頭となっています。

たしかにこの時点ですでに国内最大の発生状況でしたが、この2日後の28日に赤松前農相が外遊してしまったことに現れるように、「いまの体制のまま充分に抑え込める」という認識を県も国も持っていたと思われます。

脱線しますが、当時前農相の不要不急の外遊には批判が集中しました。私も唖然とした記憶があります。しかし、今になってみると、逆に言えばですが、農相を「行かせてしまった」農水省消費・安全局の誤判断が裏にあるわけです。

そしてさらにはこの農水省に県からの情報がどのように伝わっていたのか、いなかったのかも問われるところでしょう。それを延長すれば、知事に県官僚からどのような情報が伝わっていたのか、いなかったのかも検証の視野に入れていかねばなりません。

個人的資質、能力で裁断するにはこの悲劇的事件はあまりにも巨大すぎます。赤松氏や東国原氏、山田氏といういわばキャラ立ちした人々に眼を奪われすぎずに事件全体を見ようと、私はこのところ心がけている次第です。

それはさておき、しかし実は疫学調査チーム報告概要にあるように4月20日の口蹄疫確定以前に、すでにウイルスが各方面に持ち出されており、「10例はすでに感染していた」のでした。

農水省消費・安全局動物衛生課の伊藤和夫課長補佐はこのことについて、「今回のウイルスの力は恐ろしく強い。また牛から豚へ感染拡大したことが大きかった」と答えています。

Photo_2 Photo

つまりまとめるとこうです。すでに4月26日段階で、おそらくは10数例以上の発症、ないしは潜伏期間の家畜がおり、かなりのウイルス拡散と濃度上昇がある素地の上に、とうとう4月28日には県畜産試験場の豚に引火してしまい大爆発をきたし、川南町という畜産密度が全国有数に高い火薬庫への誘爆が始まった、ということに思われます。

まさに防疫陣にとってこれは、あれよあれよという急展開だったに違いありません。それは上図の「口蹄疫発生マップ・戸数の推移」(出典・鹿大岡本教授による)をご覧いただければ一目でご理解頂けるはずです。5月6日を境にして、まさに45度の角度で感染が激増していくのがわかります。しかもその感染の主力は、感染力が牛よりはるかに強力な豚でした。

4月26日とは、このような感染爆発がその兆候を見せながらも、まだコントロールが可能だとおもわせたギリギリの時点であったのです。これには、安易な状況判断と書けば一刀両断ですが、自衛隊に災害派遣要請をするとなると大事になり社会的な不安に結びつく、宮崎牛に風評被害が出はしまいかなどの危惧が決断を鈍らせたのではないでしょうか。

一方、埋却地問題は5月6日以降鮮明になります。5月10日に初めての宮崎県入りをした(!)赤松前農相は、地元農業関係者の「農家が自分で埋める場所ができなくなっている。県試験場や国有林を開放してほしい」という必死の訴えに対して、にべもなく「権限の問題。すべて国が出来ないのが宿命」と答えています。

国は埋却地問題の切羽詰まった実情をまったく理解しておらず、なにかこのことで県を支援しようという意志すら欠落していたことがわかります。失政といわれてもいたしかたがないことです。

このように国は県への埋却地問題への支援をしないままに県は5月中旬に完全なデッドロックに乗り上げます。これに対して知事が国との補償金交渉を不必要に長引かせたからであるという鹿大岡本嘉六教授の批判もあります。

その指摘は事実かもしれませんが、当時の宮崎県の現状として「埋却地が圧倒的に不足していた」ことを忘れてはならないでしょう。

ともかく「りぼん」様もおっしゃるように30万頭を24時間以内に処理するのはまったく不可能です。今後も、あらかじめ地方自治体が30万頭規模を想定しての埋却地の準備をすることも現実的ではありません。とてもではないが、地方財政が持ちません。

同様に消毒ポイントの設置も全県的に網羅することは不可能です。いただいたコメントにありましたように常時相当な数のスタッフを張り付けねばならない以上、おのずと地方自治体には限界があります。

ですから、あたりまえのことを言うなといわれそうですが、処分の単位が最悪でも100頭単位の内に処分を完了し、埋却するしか方法はないのです。

口蹄疫対策は改めて基本に戻って考えねばなりません。30万頭が処分対象になった状況から、いったん目を移して「そうならないための」方策を再構築せねばなりません。

■ 写真 カブトムシです。

■追記 最近、ごくまれにですが非常に無礼なコメントが見られます。みずからのみが正しいと言わんばかりに宮崎県人を無礼な表現でくさしてみせたり、記事内容を根拠も示さずにデマよばわりするものです。このようなコメントは即時削除対象となります。

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コメント

江藤議員が4月22日に当時の赤松大臣に、宮崎で口蹄疫が発生しているという事を言ったら、「何も聞いていない」と答えたと言っておりました。農水省は4月20日に1例目発生と認めている訳ですから、その2日後に大臣が知らないっていうのは大問題ですよね。(先日、宮崎で放送されたゲキロンより)
あと、チャンネル桜のインタビューの中で、農水省が10年前の口蹄疫の資料を持っていなかった。なので、自分の持っていた資料を送ったと言っています。
この事実だけでも、農水省内の体制等に疑問を感じますね。
あと、埋設地についてはおっしゃる通りです。国が県の現状をきちんと把握しようとしてなかったのではと思っています。

http://www15.atwiki.jp/houdou/pages/108.html
ここも、何かの役に立てて下さい。

埋却地の問題で、川南、高鍋で問題になっていたことの一つに地下水脈の事もあった記憶があります。
どなたのかのブログで地質学的アプローチがしてあり
表面と地下の水脈等の関係も、今後、このような大量処分が生じた際には、絶対的に必要であると書かれていたと記憶しています。

http://www.mod.go.jp/j/press/news/2010/05/14d.html

確かに、防衛省への県からの正式要請は、5月1日らしい。しかし、実際は、宮崎駐屯地から、自主的な調査活動が、あったとは思います。自発的に、たぶん、のべ30名程度は、現地調査しているはず。(調べるも、ソース見つからず)

記憶によれば、国、県とも、連休前の時点で、このまま封じ込め可能と、知事に進言したと記憶しているが、ソースを探してみます。

もちろん、決済権者として、知事、大臣は、問われるべきですが、農水官僚、県部長課長クラスが、大丈夫と言ったから、大臣は、外遊へ、知事は、講演会へ出かけた訳ですが。。

一宮崎人さま
地下水脈の事は、確かローカルニュースでも言っていたような気がします。それで、川南の国有地は使えなかったと。インタビューで川南の農家の方も、土地はいくつか持っているけど、地下水の関係で埋設に使えないとおっしゃってる方がいた様な気がします。
りぼんさま
自衛隊要請の件は、おっしゃる通りだと思います。県の部長や課長クラスの認識が甘かったなっていうのは、チャンネル桜の電話インタビューを聞いて思いました。http://www.youtube.com/watch?v=UnatXFlLSjo

 濱田さんが削除された( >都農・・・デマ)のくだりのコメントは間違いではないと思います。
 宮崎からの情報発信が少なすぎるので、憶測が独り歩きしてしまうのでしょう。
 地元は乗り越えて再建できるのか、見当もつかない方がいっぱいのようです。補償金に課税するのか、しないのかも分らないし、発生原因追究を含め、たくさんの課題を抱えているようです。
 朝のうちにブログを拝見して、今、再見させていただいたら、様子が変わっていて、コメントさせていただきました。
 その他の削除されたコメントは拝見しておりませんので、なんとも申し上げられませんが・・
 お暑い中、ご自愛くださいませ。
 
 
 

児湯さんへ

私も九州人さんのコメントが削除された事には首を傾げました。

>と、思います、。では、ないかと察します。
このような推測で綴る事に対して深く憂慮します。

↑検証シリーズ71へ投稿させていただいた私のコメントも削除されてしまいました。

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