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2010年9月27日 (月)

宮崎口蹄疫事件 その108 東国原知事手記を読む第2回 4月20日以前に検体送付できなかったふたつの理由

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昨日、川南で市民のフェアが開かれていたのをテレビで見ました。賑わった商店街、多くの子供や母親、笑い顔、ほんとうにひさしぶりに見る風景です。県外の私たちが見ていても、ほんとうに心温まる復興の風景でした。復興とは、笑顔が戻ることなんだなというあたりまえのことに気付かされました。

東国原知事は手記冒頭に、「この4カ月間あまりは、終わりのない絶望感すら漂う状況でした」と述べています。まさに実感でしょう。私も5年前、茨城トリインフルの当事者となった時は、「もうこのトンネルには出口はないのか」という気分に常にとらわれていましたから。

この暗澹たる絶望的状況を切り開いてきたのは東国原知事であることはまちがいない事実です。無理解なバッシングに合おうとも、彼という指導者がこの事件においていなければ、宮崎県民は団結することすらできずに絶望の淵に漂っていったことでしょう。

彼は常に被災地を歩き、農民に声をかけ、県民に自分の考えることを直接に伝えました。出来そうでいてなかなか出来ないことです。

茨城県の場合、当時の県知事は3期目の自治省上がりの天下り官僚でした。推して知るべし。なんの知事からの励ましのメーッセージもなく、県議会の刷り物だけが知事の動向を知る唯一の方法でした。

被災地に来たという話もあまり聞きません。まぁ、被災地としては来られてもかえって迷惑なんですが、顔くらい見せろや、直接に言いたいことは山ほどあるぞ、という心境でしたか。

国のウインドレス殺処分方針転換という驚天動地の方針転換にも、ハイハイ仰せのとおりに県は従います、といった具合で、ウインドレスでないばっかりに殺処分を食らった人々は、なにが「法の下の平等だ」とうめいていました。

宮崎県は国と鋭い対立をしました。県所有種牛問題です。それが正しかったかどうかは畜産農家の中ですら意見が大きく別れるところでしょうが、知事が手記で言うようにそれは、国のやり方に対するそれまでの鬱積した怒りが爆発したものでした。そのことも手記ではっきり書いています。正直な人なんですよ。

こういう損は覚悟で強権に噛みつくという人柄の知事が、全国にひとりふたりいてもいいじゃないですか。そのひとりふたりのひとりが、たまたま大災害時の現地にいたというのも不思議な運命の巡り合わせなのかもしれません。

私は東国原知事を得難い危機のリーダーとして高く評価する一方、批判すべきは批判すべきだと思ってきました。つい筆が滑って批判に傾き過ぎ、自主謹慎処分をしたことすらあります。

さて、昨日に検証したように、初動において県の対応が万全かどうかは評価は別れます。知事も手記で書くように「第1例の発生以降はすべて送る」、言い換えれば、それまでの「4月20日以前は、口蹄疫の可能性が8、9割なければ検体を動物衛生研に送付していない」のです。

そして4月8日には第1例で流涎、潰瘍が見られています。ただし複数頭ではなかった。ここが評価が別れるところでしょう。複数頭に発症したのが、遅れて7日後の4月16日です。

流涎と潰瘍が出た家畜を診断したのならば、今の今なら、全国の獣医師のほとんどが口蹄疫の可能性ありとして遺伝子検査に送付することでしょう。そうすべきであったというのもひとつの考えです。もしそうすれば確かに口蹄疫確定ははるかに早まりました。この立場につくのは、畜産農家が多いようです。

一方、現役獣医師に話を聞きますと、一様にそれは無理な相談だと答えます。私の知り合いの獣医師も、「ゼッタイに無理。当時それを口蹄疫だと見破ったら神業」とまで言いました。実際ほかの伝染病、たとえばイバラキ病などの可能性や、藁に毒性のものが含まれているのではないかと獣医師は疑っていたようです。

東国原知事は手記で、4月20日以前に遺伝子検査に送付しなかった理由をふたつ挙げています。

ひとつは、「検体をその都度送付していては、全国から何千、何万と送られてきて検査が追いつかなくなってしまう」ことです。

う~ん、この言い方はちょっと引っかかりますね。確かに後段で知事が述べるように、国の検査体制が動物衛生研の一カ所しか存在しないという貧弱さにもかかわらず、国が口蹄疫を確定するすべての権限を掌中に握っていることは、確かに問題視されるべきです。

しかし、その国の責任と、それを送付するしないという県の判断は次元が違います。もしわずかでも口蹄疫の疑いがあれば、躊躇なく送付すべきです。それをやって、検査結果がもし遅滞することがあれば、堂々と批判すればいいのです。

次に「4月20日以前は送付しなかった」二つ目の理由を、知事はこう書きます。「動物衛生研に送るということは、その時点で、陽性である疑いを持つことを意味しますから、最悪の場合に備えて市場をストップさせ、殺処分の準備をしなければなりません。それをその都度繰り返しては市場が回りません」。

う~ん、セリ市が止まるか。これもなぁ・・・。現場を預かる行政官としてはわからないでもありませんよ。セリ市が止まる、肉の加工が止まる、出荷が滞る、場合によってはそれもストップする可能性がある、となると躊躇する気持ちは充分理解できます。

しかし酷なようですが、そうすべきではないですか。検体を出すごとにセリ市を止める準備をせねばと言いますが、準備くらいはするべきです。そのための緊急対応マニュアルは宮崎県にあるでしょう。

陽性疑惑の検体送付と共に、知事に図ることなく自動的にせり市停止と、殺処分準備体制の準備くらいはしておくべきではないですか。

今回の感染拡大でえびの市がいち早く拡大を阻止できたのも、ひとつにはセリ市の早期停止でした。出るたびにセリ市を停止といいますが、その労苦をしなければ、危機管理などそもそも無理です。

口蹄疫対策、すなわち危機管理は、百回のうちに起きるか起きないかわからないただの一回に備えるものだからです。そのただの1回が起きてこの大惨事になったことを忘れてはいけません。

■ 写真 ゴーヤの花です。

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コメント

4月8日には第1例で流涎、潰瘍が見られています
>>>>ここで、検体の送付。

せり市主催者に、検体を送ったので、国から陽性結果が出た時点で、せり中止。途中解散と、連絡する。(もちろん、牛は、ひとまず移動できない)

国の結果を速報する。陽性なら、中止。陰性なら、そのまま、続行。

っていう形なら、携帯電話時代ですので、可能かと思います。市場参加者も、30万頭の悲劇に比べれば、理解してくれるのでは?

>今回の感染拡大でえびの市がいち早く拡大を阻止できたのも、ひとつにはセリ市の早期停止でした。出るたびにセリ市を停止といいますが、その労苦をしなければ、危機管理などそもそも無理です。

小林家畜市場(西諸畜連)での4月20日時点では、お恥ずかしいかな、セリ市は停止とはなっていません。21日まで、行われており、鹿児島県から宮崎県にクレームが来て、それが畜連に来て、ようやく22日分から、セリ停止となりました。
9月2日のえびの市の結果シロに関しては、競り市が当日の朝、子牛搬入後、中止が決まり、子牛たちは、畜連預かりとなったわけです。
あまり、お金のことを言うと浅ましく思われますが、今回1日で3M円かかったそうです。これ、夕朝2回分の飼料代は知れていますが、県外購買者などに数万円ずつ、お包みしたそうです。宿泊代・お詫びの意味でしょう。このお金、畜連が支払ったわけですから、結局、繁殖農家が負担することになる訳です。
9月2日の農家は、すぐ近所(400m足らず)なので、あまり、悪く言いたくありませんが、この農家、ホルスとF1の肥育農家です。子牛競り市とは、何の関係もありません。だから、躊躇無く、通報ができたのかも知れません。実際、そこの後継者本人から「あんな大騒ぎになると思っていなかった。今後は、セリが中止されるようなら、通報できなくなるかもしれない。」と直接、聞きました。
これが、セリと直結している、その中止を一番望んでいない繁殖農家なら、通報できるかというと、セリが中止になるのであれば、無二念にと通報というわけにはいかないと思います。ましてや、繁殖農家の負担が
増える(3M円/日)のであれば、なおさらです。
何とか、セリの中止を伴わない検体送付ができるようになればよいのですが。動衛研も結果が陽性のときだけ、隣県に通報するようにして欲しいものです。

最近、ふと思います、前述のえびの市の結果が陽性だったら、どうなっていたか。
▼その農家は、この地区の南側にあり、この時期は、南風が吹く。だから、近隣(うちの牧場も含め1km以内くらい)の偶蹄類は、恐らく、全部殺処分されたでしょう。
▼ワクチン接種は、どうなっていたか。
▼この地区から、セリ市に連れて行った子牛も、殺処分されたか。一応、十分に、消毒はしているが・・・。
▼その子牛が入っていた畜連の牛舎内の子牛も全殺処分なのか。これも、消毒はしているが・・・。
▼セリ市場で接触した農家同士により感染拡大したかも。
▼購買者の手配した輸送トラックを介して、感染拡大したかも。
▼この地区の繁殖農家は、間接的にFMDVでセリ市場までの道程をすべて、汚染してしまったと後ろ指を差される。
▼近所の養豚業者は、豚を毎日のように出荷しています。だから、屠場とその道程も、従業員の自宅までの道程も全て、汚染してしまった可能性があります。
あぁ、恐ろしい。考えただけで、立ち直れない気がします。そして、この地区(畜産基地・団地)、養鶏業者だけが、生き残るのかも知れません。

>ひとつは、「検体をその都度送付していては、全国から何千、何万と送られてきて検査が追いつかなくなってしまう」ことです。

発熱、流涎、食欲不振の牛を見つけたら、無条件で検体を動衛研に送付するのなら、そのような事態になる可能性はあるでしょう。毎日、どれほどの牛が発熱や食欲不振で獣医師の診療を受けているか、日本全国ではかなりの数になると思われます。
ただ、そうなれば、獣医師の存在意義自体が問われますね。獣医師は採血採材要員と言うことでしょうか?

逆に、ある程度獣医師の裁量に任されるとしたら、知事が言うような、凄い数検体数になるなら、日本全国で、口蹄疫が猛威を奮っていることになり、それはそれで怖いですが・・・

>「動物衛生研に送るということは、その時点で、陽性である疑いを持つことを意味しますから、最悪の場合に備えて市場をストップさせ、殺処分の準備をしなければなりません。それをその都度繰り返しては市場が回りません」

セリ市は毎日開催されている訳ではありませんよね。
確かに、県内、毎月、どこかの市場でセリ市は開催されていますが、毎日ではありません。
運悪く、セリ開催時期と重なれば、そのような事態も勘案されますが、そうでない時期もあります。

この2つの知事の理由を読んで、思ったことは、これは本当に知事の考えか?と言うことです。
と言うか、知事の考えではあるが、その裏付けとなる意見を具申した、官僚の意見を知事が表現しているだけではないか?と言うことです。
一つ目は獣医師の意見。2つ目は市場関係者の意見。
私には、そのように映りました。
そして、両方に共通しているのが、検体を動衛研に送付する時には、すでに、ある程度の確信をもった時でないと、送付できない。と言う考えです。


両方に共通しているのが、検体を動衛研に送付する時には、すでに、ある程度の確信をもった時でないと、送付できない。と言う考えです。
>>>>>この考えは、獣医が、口蹄疫の確信を持つには、似た症状について、ひとつひとつ潰して言って、最後に、口蹄疫しかないと言う確信を得る訳でしょうが、そこまで、徹底的に、似た症状を否定する材料として、検査をかけるのは、非常に、手間と時間がかかるでしょう。

ネット上に、OO市で、似た症状があるが、検体送付前のチェック中など、オンラインで、情報が流れていると、近隣農家で、似た症状が、急に増えたので、伝染病かも知れないなど、何か、調べるきっかけとか、口蹄疫を気にするきっかけが得られるかも知れません。

口蹄疫については、発見当初、同じ牛舎内で、同じ症状がみられる牛が、居ないと言う発言が、10年前も今回も、あったので、とにかく、早期発見には、PCR検査が、必要ってことでは?
疫学症状がないと言う所見では、PCR以外、発見方法がないのでしょうから。。(初期症状に、典型的な症状が見られないから)

こちら鹿児島でも地元新聞がこの初動について検証されてました。「検体送付は陽性ありき」の見出しでした。
宮崎県を批判するつもりはありませんが、
擬似感染公表を子牛市場が終了するギリギリまで伏せていたのではないか?という噂まで流れました。
小林の子牛市場は初日は開催されたと記憶しています。

私の場合、それよりも、知事はなぜ、今の時期に手記など
掲載させたか?首を傾げたくなります。
首長の手記よりも、宮崎県独自の検証結果を公表すべきではないでしょうか?
知事の進退問題が注目を集めている今の時期に掲載される
手記は、「二期目は不出馬の口実」になりかねません。


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