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宮崎口蹄疫事件 その121  養豚関連2団体と山田大臣のホットライン

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4月と5月初旬の時期を輪切りにしてみましょう。

国はほとんどなんの対応もしていません。それは口蹄疫確認から1週間以上たっての4月28日段階で、ようやく疾病小委員会が本格会合(通算2回目)をもったことでもわかります。

確かに20日に口蹄疫対策本部が設置されていますし、赤松大臣が本部長に据えられていますが、到底機能しているとは言い難い状況でした。

この時点で農水省疾病小委員会は、「えびの市の発生農場は、既存の発生農場の関連農場」、「消毒、殺処分などの現行策を評価する」と言っています。

同日、口蹄疫疫学調査チームが現地調査・第1回検討会を持ち、感染経路の究明に向け調査開始しています。

この4月28日というのは今回の事件ので特筆されるべき日時でした。県畜産試験場(第10例)が川南町で出て、後は雪崩のような感染拡大が起きていきます。

特にGW中の国道10号線に沿った感染拡大は、致命的なパンデミックの導火線となってしまいました。この幹線を使った加工処理場、屠場への行き来は多かったにもかかわらず、無規制、無消毒状態でした。

それに対しての疾病小委見解は、5月5日に出ていますが、「空気感染の可能性は低い」、「消毒、殺処分などの現行策を徹底すること」の確認にとどまっています。

そのように言った翌日の5月6日に、あろうことか県畜産事業団の種牛に発症し、種牛の避難が開始されます。

このような農水省の動きを見ていると、「ほんとうに彼らは現実を把握しているのだろうか」という素朴な疑問が湧いてきます。

それは疾病小委2回目の開かれた4月28日に、赤松大臣を不要不急のカリブ海周遊の旅に行かせてしまったことでもわかります。もし、農水省対策本部が、危機感をもっていたのならば、本部長をこのパンデミック前夜に外国に出すことをするはずがありません。

当時は山田大臣(当時副大臣)も同様な認識だったことは、5月8日の自身の地元長崎県五島市での養豚業者相手のパーティで、「早期終息に向かいつつある」と挨拶したことで判ります。

このパーティの席で、養豚関係者から、「とんでもない認識だ。終息どころか、拡大し続けている」という声を聞き、山田大臣は驚愕します。

そしてパーティの場から、みやざき養豚生産者協議会会長の日高氏(養豚家・獣医師)に 電話をかけ宮崎県の恐るべき状況を聞くことになります。

ちなみに赤松大臣は前日にようやく帰国しましたが、佐野市に同じ民主党の候補の応援に行くと言い出す有り様で、危機感は皆無であったはずです。

たぶんこの5月8日の時点で、政府関係者の中で危機感を唯一持ったのは山田大臣だけであったと思われます。

山田大臣が赤松氏にどのようにこの状況認識を伝えたのか、判りませんが、ただちに現地入りしろということは言ったことは間違いありません。しかし、現地に行っても、いばり散らしただけですが。

5月10日、帰京した山田大臣は議員会館の自室に日本養豚協会(JPPA)会長の志澤氏、 同じく事務局の倉本氏、日本養豚開業獣医師協会(JASV)代表理事の石川獣医師 から、話を聞きます。

この席上、山田大臣はあまりの悲惨な状況に涙すら浮かべたそうです。後に、非常に強権的とも写り、コワモテのイメージが先行する山田氏ですが、このような苦しみに共感して涙する心根があることは救いとなります。

農水省内部の副大臣室をつかわずに、議員会館を使用したことを見ても、山田大臣が農水省官僚をまったく信じていないことが伺えます。農水省にこの2団体を呼べば、どのようなリアクションが官僚集団に生まれるのか配慮したのでしょう。

さて、このようにして山田大臣と、養豚関連2団体(+みやざき養豚生産者協議会)との直接パイプが成立しました。これは、農水動物衛生課とも、そしてもちろんのこと宮崎県対策本部とも関係のない頭越しのホットラインでした。

5月16日、山田大臣は、この養豚関連2団体と鳩山首相を面談させています。

そして、翌5月17日にようやく、山田大臣の進言により政府が口蹄疫対策本部(本部長=鳩山首相)の初会合を持ちます。そして同時に宮崎県に現地対策本部が設置されることになりました。

実に発生から約1カ月後のことです。しかし山田大臣がなかりせば、首相と民主党内閣は普天間問題で忙殺されていたために、この政府対応自体がさらに先に延びたであろうことは言うまでもないことです。

そして翌5月18日に宮崎県が前例のない「非常事態宣言」を発しました。

すでにこの時点で、127~131例目を確認。殺処分対象は11万8100頭に達していました。完全な感染のブレイクアウトです。

また同じく5月18日に政府の現地対策本部長として宮崎入りした山田大臣に、養豚開業獣医師協会の獣医師K氏が個人アドバイザーとして随伴しました。

農水省疾病小委員会(4回目)が、「ワクチン接種を検討する時期にきている」」と答申したのも、この5月18日でした。これは養豚関連2団体が、既に4月段階で提案し続けていたワクチン接種・全頭殺処分方針が、政府全体の防疫方針となったことを意味します。

こうして、この5月18日という日付も忘れられないクロニクルになりました。

■本記事は「ピッグジャーナル」誌と養豚関係者の情報提供に拠っております。

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