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2010年10月20日 (水)

宮崎口蹄疫事件 その128 寺門氏の「壮大な実験」とは

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寺門誠致(のぶゆき)氏が、共立製薬というワクチン輸入業者の幹部社員(先端技術センター長)であることは昨日書きました。

寺門氏は、共立製薬に入社する前に、というか、天下る前にいた所は、家畜衛生試験場の場長でした。しかも時もあろうに2000年の宮崎県で起きた前回の口蹄疫事件の時期の場長です。http://niah.naro.affrc.go.jp/publication/kenpo/2001/108-6.pdf

この家畜衛生試験場とは、いうまでもなく現在の独立行政法人・動物衛生研究所です。動物衛生研とは、日本で唯一の口蹄疫を確定できる遺伝子検査施設を有し、公的な機関としても最大の口蹄疫研究組織です。

このようないわば官製口蹄疫研究のトップが、ワクチン輸入業者に天下ったという事実に驚かされます。

なぜ、天下った先がワクチン関連の製薬会社だったのかの理由は、下記の2005年疾病小委員会議事録に残されています。

寺門氏が委員を努めた平成15年の疾病小委員会の議事録を読んでみましょう。
http://www.maff.go.jp/j/council/seisaku/eisei/pdf/151216_summary.pdf

食料・農業・農村政策審議会消費・安全分科会家畜衛生部会
 第1回牛豚等疾病小委員会 議事要旨
 日 時:平成15年12月16日

○事務局
ワクチンについては、考え方は変わっていないか。摘発・淘汰が基本というのは世界の趨
勢であることに変わりないか。
○福所委員
コード上、清浄化が遅れるという問題やキャリアとなる問題、発生後の調査における影響
などがあり、スタンピングアウトが基本という考え方は変わっていない。
○事務局
イギリスでの牛の処分風景が流れたとき、そこまでするのかという話しもあったようだ。
情緒的な意見なのかもしれないが。
○福所委員
動物愛護の面から見ればそういったこともあるのかもしれないが、経済活動をするうえで
処分はやむを得ない。将来的に感染防御が可能なワクチンが開発されれば別だが、現段階ではスタンピングアウト方式の考え方は変わらない。
寺門委員
大量処分しなければならない場合、リングワクチネーションなどやらなければ・・・ワクチン、処分の話は考えないと。

またこの議事の中で、「防疫指針を5年間で見直す」ということも述べられており、それが塩漬けになっていたことも判りました。

さて、この氏の議事録発言をみると、興味深いことを述べています。事務局、つまり消費安全局が、イギリスで殺処分には消極的な流れも出たと報告していることに対して、委員、特に寺門委員はにべもなく、「大量処分しなければならない場合、リングワクチネーションをしないとならない」という持論を述べています。

これで既に2005年当時から寺門氏は、2010年に宮崎県で取られたリングワクチネーション+全殺処分という考えを持っていたことがわかります。

この疾病小委員会の議事録の時代背景には、2001年の英国の口蹄疫大流行があります。発症した牛が2千頭以上見つかり、7百万頭以上の牛、羊を処分しました。これによる社会的損失は、実に160億㌦(1兆4千億円)にも登りました。

この時の英国政府の防疫方針は、口蹄疫が確認された農場の家畜は全殺処分とし、感染の可能性がある家畜も24時間以内に殺処分をかけ、また発生農場と隣接する感染拡大の可能性がある農場の家畜も全殺処分にするという、今の全殺処分モデルのベースとなったものでした。

今の日本の口蹄疫対策が、この英国の全殺処分をモデルにしていることは言うまでもありません。

この全殺処分方針は、当時の英国政府をも揺るがす社会的不安に発展する大きな非難を浴びることとなります。これを受けて、英国政府は、この全殺処分方針の見直しに入ります。

同年に英国政府は、「明らかに健康だと思われる牛に関しては、殺すか殺さないかは農家の決断に委ねる」としました。これが、消費安全局の言う「全殺処分に消極的な情緒的流れ」です。

実は、英国のこの全殺処分方針も、決定されるまで紆余曲折があったようです。1920年代に、あまりに殺処分が多すぎて、処分が間に合わない待機患畜が増え、待機している間に自然治癒してしまうケースを目の当たりにした農民から殺処分に対して疑問視する動きが出たのです。

そこで、英国政府は、全殺処分か、共生の道を探るかという投票をし、わずかの僅差で殺処分派が勝利したといういきさつがありました。

事実、1940年代まで口蹄疫に罹っても自然治癒するまで放置してきたようです。それが、この英国の全殺処分方針決定の影響で、他のヨーロッパ諸国もそれに追随した、ということのようです。

OIEの陸生動物規約も、この流れの中で作られたものです。

そして、薄氷の勝利の結果決まった全殺処分方針が現実にどのような結果をもたらすのかが明らかになったのが、この2001年の英国の大口蹄疫禍だったわけです。

これにより、ヨーロッパ諸国は、全殺処分方針の根本的な見直しに入りました。それは2002年のOIEcordの、「ワクチン接種後、清浄性確認された後に、6カ月間で清浄国ステータスに復帰できる」という規約改正があったことでも判ります。

昨日紹介した欧州家畜協会(ELA)やオランダ政府の方針転換も、同様な全殺処分方針の見直しの流れの中に位置づけられます。

このような欧州の新しい防疫方法を議事録では事務局、すなわち農水省消費・安全局は「情緒的」と簡単に斬ってみせます。なんという勉強不足なこと。

今回、実に不思議なのは現場の畜産関係者は致し方がないとして、防疫関係者や疫学者からまったくと言っていいほど、全殺処分方針に対しての疑問の声が起きなかったことです。

それは、学界を広く覆う、寺門氏にみられるような「ワクチン接種した後に全殺処分する」という固陋な思想が骨の髄まで染みついていたことがあるでしょう。

今回、宮崎県の出来事は、「壮大な実験」という言い方が一部でされているそうです。

「実験」とやらで、貴重な家畜を殺された方はたまったものではありませんが、もし「実験」というのなら、何の実験テーマの下に、いかなる仮説を立て、どのような手段を取った結果、いかなる結論が導き出されたのか、を明らかにせねばなりません。

今回の「壮大な実験」のテーマは、リングワクチネーションによりウイルス排出を抑制して、ワクチン接種後に大量殺処分をする、というものです。

寺門氏は、2000年の口蹄疫時の動物衛生研(当時家畜衛生試験場)のトップとして、そして2005年からの疾病小委員会の委員として、また今回の事実上の疾病小委員会の座長として、防疫方針の疫学方面の最高責任者でした。

その氏が、ワクチン輸入業者の共立製薬に天下り、NSPフリーワクチン(*マーカーワクチンを以後このように表記することにします)のヨーロッパにおける新たな技術的進歩にまったく無知であったとは信じがたいことです。

ならば寺門氏は、宮崎県で使用されたワクチンがNSPフリーワクチンだと知りながら、またNSPフリーワクチンを用いた新たな防疫方法を知りながら、今回の疾病小委員会をリードしていたことになります。それは氏の頭の中に、「殺すためのワクチン」しかなかったからです。

これが寺門氏がいう、「疾病小委員会ではワクチン接種した後に家畜を残す議論はされていない」背景です。

氏は5年かけて、宮崎県でようやく持論だった「壮大な実験」を試すチャンスにめぐり合ったわけです。それが宮崎県にとって幸いだったか、不幸なことだったかはわかりませんが。

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コメント

なんというか、もうこれは「マジッすか!?」
としか言えない…。
どんな結論に達したのか、大変気になります。

東知事はご自身のブログにおいて発言されています。

「宮崎を実験台にされるのはまっぴらごめん」


記事の更新ありがとうございます。
振り返りと前進の良き場所として
毎回感銘深く読ませていただいております。
被災者の立場を鑑みる管理人さんの姿勢
感謝の気持ちでいっぱいです。

ヨーネ病の簡易検査キットの非特異反応が問題になった時も、先生と製薬会社の組み合わせは同じではなかったですかね?
もし違っていたら、ごめんなさい。

以前、北海道様がコメントされていた気がするのですが、ヨーネ病も、その経済的損失は大きいです。
簡易検査キットで陽性判定された乳牛から搾乳された牛乳を全て回収する騒動が、確か神奈川で起きて、大問題になった記憶があります。
実際には、陰性であったのですが、検査キッドの不備で、あの当時、かなりの頭数が淘汰されたのではなかったかと記憶しています。

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