宮崎口蹄疫事件 その123 畜種による防疫方法を替えてみるというコロンブスの卵
私はなんやかやで、6カ月間口蹄疫を追い続けて来たことになります。本来このブログは、農業問題や、地球環境、沖縄問題などを考えることがテーマでした。正直に言えば、元のテーマに戻りたいとかねがね思っていることも事実です。
これほど長期化すると、私は時折、口蹄疫のテーマは書き尽くしてしまったのかもしれない、と考えるようになっていました。そんな私の甘い思いを打ちを破ったことが三つ立て続けに現れました。
ひとつは、山内一也先生の、今回宮崎で使用されたのがマーカーワクチンであったという指摘と、「第三の道」提言を知ったことでした。これは強烈なインパクトがありました。以後、私は今回取られた口蹄疫対策には、本質的に過てる部分が存在し、今後に繋げていく場合、このような防疫対策を取るべきではない、と思うようになりました。
そして次に、「現役養豚家」様から提供頂いた養豚関連団体の情報です。非常によくまとめられたこの氏の情報で、私が今まで知る由がなかった養豚関連団体の考えや、行動が、どのように政府に影響を与えていったのかを知ることができました。
これによって、今まで知ることが出来なかった今回の防疫対策がどのように策定されたのか、その経緯の内実を知ることが出来るようになりました。
そして今ひとつは、今回の「青空」様のコメントです。コロンブスの卵とはよく言ったもので、卵屋の私がびっくりいたしました(笑)。
私もなまじ畜産関係者なもので、牛、豚、鶏と十把一絡げにして見てしまっていたのですね。あんがい、このような見方は、畜産関係者自身には難しいのですよ。
養豚関係は、牛関係を「なんて対応がのろいのだ」と思い、一方牛関係者は、「豚関係はなにを先走っているのだ」、と思っていたかもしれません。やはり自分の領域をいつのまにか絶対視してしまって、そこからの延長で防疫方法を考えているということは、大いにありえることです。
まだ考えがまとまりませんが、私も畜種によって、防疫方法を変えるということを具体的に考えてみてもいいのかもしれないと思った次第です。
では本日、分割した後半を掲載いたします。
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ところが和牛は正反対です。
販売単価が高い分、一頭全てでの検査を吸収できる余力があり、管理も基本一頭単位(BSE以来)、大型であるため血液検査等は比較的容易です。全頭検査は対応可能でしょう。
また、一頭当たりの価格差が大きいのも豚と異なります。主力としている高価な牛はありとあらゆる検査をしても生き残らせたいと考えるのは自然な発想でしょう。
また、国産牛とことなり和牛は国際競争の影響は比較的低い。OIEコードへの執着心も薄い傾向があります。
ただ、生産期間(それこそが高価格の根幹ですが)が数年となるため、一度の全殺処分は事業の廃業に直結します。また、種牛への依存性が豚・鶏の比ではありません。
経済価値が異なりすぎ、全頭公平な対応の強制は経済合理性を著しく逸脱します。
同じ感染動物でありながら、その経済的な位置づけは全く異なり、意見が一致しないことは至極当然であったと理解できました。
今回のワクチネーションが牛の業界団体から発生し得なかったのは納得がいく話であり、養豚業界が牛側に強い働きかけをせず、直接政権に交渉をしたのはその相違点を最も
自覚していたからこそでしょう。結果として、牛側に説得するのに時間を要し導入の遅延といった当然の結果となったことは明白です。
残念ながら、ここまで相違している業種で同一のルール化というのはやや無理があるのではと感じる面もあります。ウィルスの放出量が1000倍も異なる家畜です、豚の感染防止はまさに分岐点となるのであれば、それぞれの家畜での対応の差異を加味することは今の管理体制から実現不可能というにはやや乱暴だと感じます。
家伝法、各種マニュアル、ルールも改定されるというのであれば、顕在化したそういった問題点をどう丁寧に対応する体制を確保するか、といった問題点に着目してもらいたいと思っています。
その中で経済的な価値に着目していただきたいと思います。種牛の件もそうですが、口蹄疫が発生するたびに和牛の壊滅の危機にいちいち晒されるのではたまりません。
法改正等には特殊なルール(特例ではなく)を設定し、それに伴い厳重に管理する法整備やルール付けが必要だと感じます。
ワクチネーションの件については有効であったか、無意味であったかの考察、総括は必要性を強く感じますが、この時期においても各行政からの情報は薄く、科学的な知見も不十分、総括すらしない方向が見受けられます。既に証拠、検査結果は土の中に消え、全ての議論が仮説、推定による他ないため証明不能となっている気がしております。実に残念です。
壮大な実験であったのであれば、先進国に恥じぬ実験結果の科学的な知見・情報の蓄積を確保し、こと口蹄疫についての世界的なオピニオンリーダーの地位を奪取し、有利な外交交渉のカードにもする手段もあったでしょう。まあ今の政府に期待するのは酷でしょうが。
ちなみに先日、東京の支店に出張した際、アメリカの某支店の人間に言わせると、経済的な価値を無視して公平に処分するなど日本人は気でも狂っているのかとの意見を聞きました。
いかにもアメリカ人らしい意見でしたが、海外の場合は種牛等も当然公平に駆逐されたと思っていいたのでやや意外でした。ただ、日本ほど一部の血統に頼るような牛業者はないようですが。 (了)
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コメント
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青空さまのご意見は的を得た的確なご意見と思いじっくり読ませていただきました。
私の町には、乳牛(ホルスタイン)と肉牛(黒毛和種・ホル×黒毛のF1・そしてホル雄肥育)しかいない為、他の豚などについては、考えも及ばなかったという所です。目からウロコ状態ですね。
話はチョット変わりますが、日付は忘れましたが先般川南地区の再建導入(牛)にあたって、疾病フリーの状態にする為、導入牛にはヨーネ病などの発生が無い旨の証明書を徴する・・・との新聞記事がありました。至極当然ではありますが、約12年前宮崎から黒毛和種の繁殖用メス牛導入に際し、「北海道の市場の様にヨーネ病の検査済証明は出せないか」と問い合わせたら、「宮崎はヨーネ病の発生は無く、証明書添付はするつもりもないし、それを要求するなら買ってもらわなくても良い」との回答でした。
我々は導入牛が到着したら、さっそく血液と糞便を採取し、糞便結果がでる3ヶ月間別牛舎を用意し飼養管理しています。
伝染性疾病は誰が罹っても不幸な出来事です。家畜を飼うもの共通のリスクであり、そのリスクを限りなく低下させることを、販売者も購買者も同じ立ち位置で協力し合うのが当然ではないかと思います。
これだけの被害を受けた直後ですから疾病フリーを願うのは当然ですが、当時北海道でもヨーネ病によって廃業した農家もありました。一戸一戸の受ける被害は同じなのです。
当時の回答が農家の判断なのか、JAや市場開設者の判断なのかは分かりませんが、人の痛みが分かる対応を今後は期待しています。
投稿: 北海道 | 2010年10月15日 (金) 14時35分
我が農場の近くに養豚場が存在するのですが、そこを通るたびに片隅に、親豚、或いは子豚の死体が置かれて、目にします。
へい獣処理業者の引き取り場所なのでしょうね。
牛と違い養豚業界では、桁違いの出生率だし、それだけ
多くの死とも向き合わねばならないと察します。
殺処分受け入れに対しても、畜種によってかなりの差異が
あったはずです。
小規模の和牛繁殖農家の、特に高齢者の飼い主さんの受けた心の傷は測り知れないと、今でも考えています。
牛は、役畜として家族の労働を支えてきた歴史が存在する
事も、忘れてはならないのかもしれません。
投稿: doll24 | 2010年10月15日 (金) 19時32分