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2010年10月16日 (土)

宮崎口蹄疫事件 その124 私の心に澱のようにたまっていくもの 規模の問題

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先日から「青空」さんの提起を受けて、どうして同じ「畜産」でも、感じ方や発想が違うのだろう、と考えるともなく考えてしまいました。

宮崎で取られた口蹄疫対策の評価の差には、温度差というには大きすぎる差があります。

養豚関係者は、山田大臣が主導したワクチン・全殺処分を全面支持する方が多いようですが、牛関係者には未だ重苦しい沈黙がわだかまっています。

その重苦しさがはしなくも出たのが、薦田さん民間種牛問題でした。これに対して日本養豚協会や宮崎県の養豚協議会は、かなり手厳しい批判を県知事に加えていたはずです。

一方,牛関係者は複雑な思いがあったと思われます。建前で聞かれれば、「処分するしかないでしょう」と言うでしょうが、養豚関係者のようにすっきりとはしていない口ぶりが伺えました。

ところで、私はもうひとつのこの温度差の原因が、「規模」ではないか、と思い始めています。

私の元来のホームベースは、平飼自然養鶏を生業とした、地域の有機農産物の産直事業です。もうかれこれ27年間、こんな仕事をしてきました。

たとえばそうですね、今年のように酷暑が続いて、しかも降雨がないとなると、高温障害を作物は起こします。有機農業という化学農薬を一切使用しない農法ですと、一作丸ごとダメという場合も出てきます。

あるいは出来ても、商品化率が極端に悪く、半量も出荷できないなどという場合も出てきます。20アール丸ごとダメというケースもありました。

有機農業に取り組む農家も色々あって、一軒で10ヘクタールほどもやる若い農家もあれば、小規模で細々と色々な野菜を作っているという初老の農家もいます。

同じ異常気象でアウトといった場合でも、この両者には差が出ます。前者の大規模農家は、くつよくよしません。「20アールこけたか、よし害虫をぶんまかれる前に一気にカンますべぇ」と、大型トラクターで一気にうなって潰してしまいます。

一方後者の有機栽培を70アールなどという小規模農家は、ダメになりかかった30アールでも、家族総出でいいものをより分けて出荷しようと必死になります。トラクターでいっぺんに潰すなどとんでもないことです。

これを一緒に「農家」でくくるのはやや乱暴です。どちらがいいとか、悪いとかという価値判断の前に、農業とは拠って立つ経営規模や、あるいは農家の年齢、や分野によって、考え方も多種多様なのです。

これと似たようなことが、宮崎県の畜産農家の中で起こったのではないでしょうか。「防疫作戦は一律でなければならない」ということは充分に判ります。そのとおりでしょう。事実、私もこのシリーズでそう主張してきました。

しかし、茨城トリインフル事件の時も思いましたが、1農場が100万羽という巨大ウインドレス企業と、せいぜいが5千羽規模の農家養鶏を、一律一緒とくくっていいものかどうか。

私とは正反対の立場で農水省もそう思ったらしく、「地域経済の救済」と、「ウインドレスは飼養衛生基準が高い」ことを理由に、「ウイルス分離ができなければ殺処分免除」という方針転換の曲芸をやってのけました。

小規模養鶏の鶏は全殺処分された一方、大規模農場はオトリ鶏を置いての看視措置で救済されました。当時私はこの農水省の措置に怒りに燃えたものです。

ところで、今回の宮崎県の和牛農家は高齢者が多く、しかも一頭一頭を名前をつけるようにして飼ってきました。これと大量出荷を前提とする養豚が同列の価値観をもっているほうがおかしいのです。

種牛をも公平に殺処分することがよかったのか、どうか。FAOすら「遺伝子資源の貴重性を重視すべきである」という勧告をしていたことも忘れてはいけません。

民間種牛の抗体検査結果は、なぜか長い間秘匿されていましたが、宮崎県の執拗な要請により明らかになりました。結果は陰性でした。

私は、牛は個体検査を徹底すべきであったと思っています。ウイルスを分離するには、必ずしも採血が必要ではありません。糞便、唾液、鼻汁などからもウイルスは採取できます。

豚は、宮崎県内で養豚生産協議会が事前に意思一致をしていますから、ご自分たちが提案し、政府方針としたワクチン・全殺処分方針でいいでしょう。

感染スピードが牛の3千倍ですから、全殺処分もやむをえないのかもしれません。養豚業者の立ち上がりのす速さと、処分の苛烈さは、この豚の生物的な特質と無縁ではありません。

しかし一方、牛は、逆な言い方をすれば、豚の3千分の1の速度でしか感染拡大しないとも言えます。

実際は、牛と豚が同じ農場に飼われていたり、川南町のように狭い地域て両者がひしめいている場合も多く、状況はモデル化できるほど単純ではありません。

また豚が全殺処分になって清浄性回復ができたとしても、牛の感染の可能性が残り続ける以上、その地域の移動制限解除はできないことになります。たぶんこの問題が牛と豚を別個に防疫する上での最大のネックとなるでしょう。

しかし、牛を個体検査にかけ、NSP検査なども行って行く中から、農場ごとのサーベイランスを行うことが、少なくとも牛においては可能であったと私には思えるのです。

今回の事件で重たい澱のように私たちの心の底にある素朴な疑問を、もっと声に出していいと思います。

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コメント

本来、感染メカニズムの解明と、模式化できない現場の畜種間問題、生産規模問題、黒毛和種特有の飼育問題など、考慮した、防疫方法を、動物衛生研究所などが、きめ細かく、提案して、指導すべきことなんでしょうね。

豚と言えども、種豚や純粋系統豚になれば、遺伝子資源ですから、肉豚のように、簡単には、殺処分したくないのは、当然なのでは?
豚もきちんと育てれば、15年は、生きてますので、名前もついていて、人間に慣れますので、牛と同じ気持ちになるのでは?

うーん、畜産といってもやはり各種考え方が違うってことが分かってきました。
将来に向けてウイルスの侵入阻止は基本ですが、発生時にどう対処するのがベストなのか?
きめ細かい検証と、それに基づく新たな防疫マニュアルと体制作り、そして発生を想定した訓練が必要です。
宮崎に限らず全国レベルでの話です。

北海道様のコメントにあったように、水際防御の意識の低さは由々しき事態です。

>種牛をも公平に殺処分することがよかったのか、どうか。

このこと、何を持って、公平というのかという問題があります。議論が必要。何に対して公平なのか、何について公平なのか。法の下?国益?県益?畜産農家?

患畜・疑似患畜となってしまったら、種牛も何も無くなるので、当該種牛の殺処分は免れないでしょう。ただ、いくら分散管理しても、近くで口蹄疫が発生してしまえば、移動制限・搬出制限が成されるわけで、その時点で、身動きが取れなくなる。このこと、何とかならないものかといつも考えます。

特例移動と補償金0円とで、結果的に相殺されるなら、お金を出せば、特例扱いが可能という理論も成り立つような気もします。
もし、相殺されないのなら、県民の財産である以上、別次元として、補償金は支払われるべきと考えます。県が独断で、補償金を断ったのであれば、話が違ってきますが。
ところで、事業団で殺処分された肥育牛に対しても補償金0だったのでしょうか?

3000倍とか3000分の一というのはミスリードでしょう。

一般に口蹄疫は、
牛は感染しやすいがウイルスの排出は少ない
豚は牛より感染しにくいが、いったん感染するとウイルスを多く出す。のはずです。

今回のウイルスがこれに当てははまるかどうかは
今後の実験結果を待たねばなりませんが。

ここのブログ内に於いて、何もそこまで執拗に追求しなくてもいいんじゃないか?と、感じた事は、若種雄牛の隠密
移動についてでした。
勿論、宮崎県の防疫体制についての批判だったと思いますが、管理人さんが、牛飼いの立場だったらそこまで厳しく
追求される事はなかったんじゃないかな?と、思いました。
そして、種牛の特例措置が多くの非難を浴びましたが、むしろ県が犯した最大の過失は、県の養豚試験場で感染をさせてしまった事だと、思うのは、恐らく私自身が牛飼いの
仕事だからかもしれませんね。

結果として宮崎県が守り抜いた種牛5頭は、今後、特例を
認めてしまったという結果よりも、全て殺処分されるべきだという定説に疑問を投げかけるきっかけになってもらいたいです。薦田さんの種牛抗体検査陰性結果も、今後教訓として生かされるべきだと考えます。

>今回の宮崎県の和牛農家は高齢者が多く、しかも一頭一頭を名前をつけるようにして飼ってきました。

本題とはあまり関係ないですが、和牛の場合、小規模農家であろうと多頭家であろうと、高齢者であろうと、若者であろうと、生まれた子牛、1頭1頭に名前を付けることは、義務となっています。
生後、なるべく早く、雄には漢字で、雌にはひらがなで、名前を付けるような手続きが義務化されているということです。
改名も可能ですが、通常、繁殖雌牛の登録検査の際にしか行いません。購入した牛の名前と同じ名前が既にいる場合、人工授精のときなどに混乱するからというのが理由だと思います。
普通、家畜の豚・鶏には名前は付けないんでしょうか(義務はなし?)。だとすれば、では、固体をどうやって、区別しているのでしょうか。タグのようなものを使うとか。
豚・鶏に「おい、はなこ、元気か?」と話しかけることは、ないのでしょうか。
また、仲間内(専従者や獣医師も含み)で、豚や鶏のことを話すとき、「どうも、けめこが餌を食べないんだけど、熱でも測るか。」といった会話は、しないのでしょうか。
第一、獣医師の治療来歴には、何(誰)が病気であると記載するのでしょうか?
牛の世界では、名前が付いているのは当たり前なもので、豚・鶏はどうなのかと、今、ふと考えてしまいました。

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