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2010年10月31日 (日)

殺処分した夜のこと

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就農から5年ほどたった時の写真です。90年4月とありますね。いや、女房殿も若い。当時は完全な手作りの掘っ建て小屋で、2間×5間の10坪の独立鶏舎になっています。

現在の鶏舎はこの写真の鶏舎を築15年使って、屋根がさびて抜けるところで建て替えました。さすが、もう自分で作る気力がなくて、今の鶏舎群は大工さんにお願いしました。

当時飼っていたモモという犬です。すばらしく気立てが良くて賢い犬でした。なんと20歳まで生きました。まだ小犬の頃ですね。わずかですが出来上がったばかりの母家が見えます。

さて、こんな暢気に見えた春に、伝染病が襲来しました。

私は3回大きな伝染病と感染症を経験しています。最初がこのニューカッスル(ND)でした。これで私の農場は、壊滅的な打撃を受け、再建にほぼ1年間を要しました。私の養鶏哲学を根本から変えた経験です。

2回目はその10年後に来た私のグループのメンバーが出したサルモネラ(SE)でした。これは食べた幼女が入院するという事故を引き起こし、グループ全体に大きな打撃を与えました。

サルモネラという感染症に対抗するために徹底的な飼養衛生管理基準を作らねばなりませんでした。

そして3回目は、2005年に起きた茨城トリインフルエンザ(H5N2)事件でした。これは宮崎口蹄疫事件までは、戦後畜産史上最大の伝染病禍でした。

私はこの事件をきっかけにして、地域での防疫体制を考え始めました。以後、家保と協力して、飼養衛生基準の大幅な見直しを行って今に至ります。

では思い出すのも憂鬱な第1回目のニューカッスル病のことをお話しましょう。

当時、関東平野をひたひたと東に上がってきたニューカッスル(ND)という鶏病の魔王が、とうとう私たちのヨチヨチ歩きの農場に侵入したのです。NDはその感染力、死亡率の図抜けた高さで、世界中の養鶏家から恐怖の的になっている病気でした。

私が、おかしいと思った時には既に遅く、たちまち下の写真のように鶏たちはバタバタと死んでいきました。わずか1週間で約500羽にも登る鶏が死亡しました。

今でも悪夢に出る時があります。毎日、できたばかりの自分の鳥小屋には死亡した鶏が積み重なり、他のかろうじて生きている鶏もうつらつらするように生命の灯火を消そうとしています。いわゆる嗜眠症状です。

首がグルグルと旋回し、クキャンという奇声を発して緑色の糞便を出します。鶏舎の床はありえないような緑色に染まっていきました。

ND特有のすさまじい感染力は、瞬く間に私の鶏舎群を覆い尽くしました。全棟に拡大するまでにものの1週間とかかりませんでした。

独立棟は、部屋の間に2間の空間がありますし、飲み水も共有していないのですが、そのような予防措置はなんの役にもたちませんでした。

そしてこの私は消毒と石灰散布しか出来ないでいます。 彼女たちを見て、声をかけ、励まし、餌をビタミン水で練ったものを口に押し込むようにして与え、毛布でくるみ、しかし、まったく助からない。

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投薬も考えたのですが、診察に来た獣医師は、恐る恐る鶏舎内を見ると、もう手遅れだと言います。そして「早急に殺処分するしかない」と言い残して、逃げるように帰っていきました。

まず感染が確実に侵入した鶏舎の鶏を殺処分にしていきました。3日でわが農場の半数以上が処分されました。

次いで、侵入が未だ見えない棟には、ND不活化ワクチンを緊急接種しました。気も狂いそうな震える手で、一羽一羽のムネ肉に注入していくのです。

しかし、ほとんど抑制効果が現れず、なぎ倒されるようにして全棟にウイルスの侵入を許してしまいました。

もはや全羽殺処分しか感染拡大を止める方法はありません。

手のひらに包み込めるような、まるでうぶ毛の塊のような雛から育ててきた鶏の頸動脈に刃を入れて、そして力を入れて一気に搔き切る。吹き上がる血、私の手の中で「死にたくない」と大きくビクッビクッとあらがう断末魔の力の強さ、蹴爪を私の腕にたてて。

一羽殺すごとに合掌して黙祷しますが、なにを思っているのか私自身が分からない有様でした。私の命を奪って、手を合わせて自分だけ助かろうとするこの偽善者!この卑怯者!お前には永久の心の平安はない!という彼女たちの呪詛が頭の中にこだましました。

一日に数十羽を殺処分(なんという人間の勝手な言葉だ!)にし、石灰を撒いた穴に放り込む毎日が続きました。

夫婦の会話はめっきりと減り、食事も作る気になれません。暗くなった部屋で、いっそう自分たちが死んだほうが楽だなと私が言うと、いつもは気丈な彼女も黙って首を縦に振りました。

これが伝染病が襲来した農場の夜の風景です。

私は宮崎県の被災農家のことを思うたびに、この夜のことを思い出していました。

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コメント

これはもう涙しかないですよ。

よく建て直しされましたね!

20年生きた長寿わんこにはほっこりさせられました。

太平洋戦軍人でも、悲惨な話は、戦後65年経っても、めったに、なさる方がいません。口蹄疫も、今までの、鳥インフルも、誰も、話をしません。

1種のカルチャーショック状態というか、精神的に、他人に話せる状態では、ないのでしょう。

でも、どこかで、現場記録を残して、今後の防疫の参考にしてもらいたいものです。

本来は、死亡獣畜処分場と言う最終的な閉鎖型固形物、液体分離プレス処分焼却場を県レベルで持ち、完全閉鎖式専用トラックで、運ぶことや、生きていても、死が近い予防殺処分を、処理する、処理施設が、あると良いのですが、国内で、きちんと整備された、死亡獣畜処分場は、あまり見た事がありません。

ある意味、死を、家族と言うか、身内だけで送ることは、精神的に、大変で、そういう意味で、生きて残されたものを援助するのが、葬儀のしきたりとして、地方に残ったのだと思います。つまり、葬儀準備から、7日間は、次々と喪主のやることがしきたりで決められていて、それを一生懸命こなすことで、精一杯にすることで、現実の死の認識から、遠ざけることをして、精神安定を作っているように思うのですが。。
事情が変わり、葬儀屋さんが、全部やってくれますので、そういう一時的に忘れる忙しさが、無くなってしまいましたよね。

業界も、どうやって、殺処分すべきかと言うことまで、丁寧に、向き合った結論やルール作りが、きっと、ないのでしょうね。

眼に見えない伝染病って、不安で、いっぱいですよね。
豚が死亡したら、病理解剖とか出して、死因を知らないと、いつまでも、心が落ち着きません。

だれでも、生き物の死に直面し、自分で、殺す作業は、嫌なものでしょう。
僕も、とても嫌です。群で、見れば、感染家畜を淘汰しないと、全滅することは、解っていても、個々の動物には、想いがありますので、気がおもいでしょうね。
どうやって、自分が殺したと言う夢を見ないで済むのか、良く解らないのですが、自分の年齢が、死に近づくにつれ、精神的には、つらいですよね。

りぼん。さん江

けっこうなご年配で知識豊富な方で、パソコンを使いこなされておられるとお見受けしてます。

名古屋で養豚とか、臭い対策なんかどうされているのかとか、聞いてみたいことがたくさんあります…しかし、ここはあくまで濱田さんの庭ですので、ここではなく、どこかで機会があったらよろしくお願いします(私40ですが、未だにパソコン苦手です^^;)
これまでも、私みたいなハンパものには大変勉強になることが一杯ありました。
正直、執拗とも言えるコメント連射には閉口しましたがね(笑)
あまり悪意のない技術論講義として極力好意的に受け止めてました。

わたくし、現在身体があちこち悪い…でもお互いに長生きしましょうよ!

私の家族にも19で徴兵されてでフィリピンで突入(死亡と認む)から、
100才近くまで生きたお婆さんもいます。
母は定年直後、後は悠々自適になったとたんに末期癌が見つかって、3年の闘病の末に苦しみながら死にました。

人生いろいろです。


濱田様、連絡帳的な長文ですいませんです。

濱田さま。
個人連絡すみません。
http://ribon-boo.a-thera.jp/

ここから、メールも打てるはずですので、お尋ねがあれば、お答えします。

が、私のブログです。今、関心があるのは、山内教授の早期ワクチン接種、殺処分数減少策は、有効性があるか?と言う、疑問です。

正直、執拗とも言えるコメント連射には閉口>>>

これは、あまりにも、口蹄疫殺処分頭数が多いのに、宮崎現地からの情報発信がないことで、苛立ちがあるからかも知れません。本来、ウイルス学者が、正しく検査実態を地元どころか、全国の畜産業者に、知らせるべきでしょうが、家畜商免許の講習会でも、家保の講師は、レベルが低いです。
まだ、環境省の動物愛護法の伝染病担当や食品衛生管理者講習の講義の方が、ましです。こんな情報しか、家畜農家に流れていないのですから、防護服なんて、着て作業する人なんて居ないでしょう。

匂いは、えさの内容によることと、おしっこ、ウンチを別ルートで、回収することで、減らせるはずです。

養豚業者さんは、糞尿処理施設にお金がかかりますよね。

これらも、広い土地があれば、それほど、問題には、ならないと思いますが。。

今日の北海道十勝は、朝は冷え込んだものの日中は暖かく半袖でも心地よいくらいの天気です。晩秋ですが秋らしい青空が広がっています。
私も田舎出身(今も田舎ですが)ですので小さい頃、祖母が鶏を飼っており、卵は自家用と一部お店やさんに卸していました。
20~30羽くらいだったと記憶していますが、冬にはよく「イタチ」にやられていた覚えがあります。
今週出張で「都城市」に行ってきます。
口蹄疫の防疫の現場での話を詳しく聞いて来ようと思っています。
良い情報が手に入りましたら、コメします。

お久しぶりです。青空です。
宮城県はすっかり寒くなりました。去年の今頃は雪がちらついていいたので、そろそろ冬タイヤが必要です。

私は、今回の口蹄疫禍の最中、様々なブログや掲示板を見て参りました。
従来より災害の際はよくWEBを回遊し現状把握に努めました、しかし今回の件は様相が異なりました。神戸や各地の大震災・火山活動の時、鳥インフルエンザの時、リーマンショックの時、様々な困難が発生した場合ブログは現地の被災者に同情的なものが一般的です。大災害などにより、身代を失った現地人を気遣うコメントや記事が中心であった気がします。今回の件も規模としては極めて大きい深刻な事態でしたが、ブログ等での記事やコメントは当初から真っ二つであり、マスコミも静観を決め込んでおり不自然さを強く感じました。

政治的な過渡期といった事態もあいまり、政争の愚になっていたこともあるので、当初より様々な意見を発する方の過去の記事や属性に注目するようにしてきました。
できるだけ、賛否両論万遍なく見るようにし、(中にはひどいのもありましたが)できるだけ、理解しようと試みるようにしています。同意できるかどうかは問題ではありません。背景を知らざれば、本質を見失うと思いましたので。

どのような生業をされているのか、どのようなスタンスをお持ちか、関係者か、地域住民か、行政関係者か、利害関係者か、はたまたライバルか、政治的な意向が強い人か・・・などです。

濱田様のブログにコメントをするようになったのは、過去のブログの記事によるところが大きいです。

家内の実家は佐賀で農家(兼業)をしており、それまで農業といった世界にまったく関係のない生活をしていた私には様々なカルチャーショックにあふれていました。想像以上に農家はしたたかで、激しく、決してかわいそうではなく、金勘定では成立しない特殊な地域ルールに縛られ、我々サラリーマンとは違った見えない、恐らく先祖伝来続く鎖(一蓮托生といった)に縛られていると感じていました。
濱田様のブログを見て、誰もがもがき苦しみ、模索しつづけ、依然答えのでない、お言葉を借りれば「からまった糸玉」なのだといつぞやの記事にでておられたと思いますが、強く共感を持ったことを思い出しています。

今記載して頂いている記事で濱田様のスタンスと背景が明確に理解できた気がします。読まれる方もしかりでしょう。私は感謝の思いを強くしました。
まさに濱田様の思い出したくない苦しい歴史でしょう。
「圧倒的な理不尽な暴力」というのにふさわしい大自然の暴力、いつぞや東国原知事が言っていました、「なにもかもを奪っていく」、その苦しみを数度にわたり、恐らくさらに理不尽な風評被害にも悶絶したことと推察しています。
畜種、疫病は異なっても、同じ苦しみを先んじてしてきたご経験、その経験に目をそらすことなく戦い、敗れ、その後にいかに活かすかを血を吐くような思いで続けてこられた、その力を宮崎、また今後のために使おうと様々な面で検証をされている。私は感動を禁じえません。

知っていればこそ解る、取り返しのつかない失敗や認識や体制の甘さが全滅をも導きかねない純粋で冷酷な「暴力」との戦いへの反省点。
濱田様のブログには時折、宮崎の関係者からは顔をゆがめるであろう指摘もでてきます。宮崎の応援者であると言ってはばからない方が言うその言葉には重みがあると感じています。
「そんなことをいってもあなたならあの時それができたのか」といわれることもありましょうが、だからといって反省すべき点がないとは誰も思っていないでしょう。知事も反省点は星の数ほどあるといっているほどですから。意見は真摯に受け止めさらに分析・検証をすべきと思います。(日本人の最も不得意な点ですが、その慣例を打ち破ってほしいと切望しています)

私も濱田様の卵が食べてみたくなりました。
今まで以上に感謝と、尊敬の気持ちを強くしました。
今後も是非検証をお続け頂ければと思います。

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