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2010年11月

2010年11月30日 (火)

宮崎口蹄疫事件 その144 最初の豚へのウイルス侵入 12例目疫学報告

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ウイルスの豚への侵入がもっとも早いと思われる12例目農場の疫学報告です。

豚は牛の千~2千倍(FAOによれば最大3千倍)のウイルスを気道から排出します。そのために豚への侵入は、大きな感染拡大の起爆剤となってしまいました。

当初は10例目(県試)が最初の豚感染だと思われていましたが、後の疫学調査でそれ以前にこの12例目に侵入していたことが判明しました。

この企業グループ農場は川南町にあり、4日前に7例目大型農場(「A牧場」4月25日発生)に訪問した死体回収業者がウイルスを持ち込んだ可能性が指摘されています。

同じく8例目の隣に12例目農場の従業員が住んでおり、その通勤車両による侵入の可能性もあるとされました。

また12例目が使用する共同堆肥施設が10例目(畜産試験場)と13例目の裏手にあり、ここから伝播させたことも指摘されています。

12例目からの拡大ルートは、発症した4農場(12、42、298、281例目)が同一の飼料輸送業者であることからその飼料運搬車が可能性が高いと指摘されています。

12例目から系列の39例目(ウイルス侵入4月26日)に豚を出荷しており、これによって伝播した可能性が高いとされました。

12例目はグループ企業であり、学習会が開催された4月20日に26例に伝播した可能性があるとされています。

所在地は川南町の道路が交差する角地にあり、発生農場が集中する地域から川南市内への道と、死亡獣処理業者が通過する道のクロスする地点にあったことから、ここを通過する車両による侵入の可能性もあるとされました。

川南町のような牛と豚の農場が密集している地域は、いったん感染が起きると道路や堆肥場を導火線として火薬庫となりかねないことが分かります。

なお、読みやすくするために改行とゴチックは適時に施しました。また下図も疫学報告から引用させていただきました。解像度が悪いので、そのうちしっかりとスキャンして掲載する予定です。とりあえずご勘弁下さい。
原文はこらからどうぞ。
http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/katiku_yobo/k_fmd/pdf/ekigaku_matome.pdf

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12例目(ウイルス侵入推定8番目)
所在地:川南町
飼養状況:豚1,473頭
発生確認日:4月30日
推定発症日:4月19日
推定ウイルス排出日:4月16日
推定ウイルス侵入日:4月12日

■〔要因ごとの調査結果

家畜関連
豚の導入
【侵入】
4月8日に24頭を系列農場から導入していたが、導入元の農場では異常は確認されておらず、ウイルス侵入の要因となった可能性は低いと考えられる。

子豚の出荷
【伝播】
系列農場へ毎週月・水・金曜日に出荷しており、この出荷先のうちの一つが39例目農場(5月7日発生)である。
出荷は4月19日まで続けられていたが、当該農場でウイルスが排出されていた時期(推定ウイルス排出日:4月16日以降)と考えられること、また、39例目農場にウイルスが侵入したと考えられる時期(推定ウイルス侵入日:4月26日)に近いことから、この出荷が39例目農場へのウイルス伝播の要因となった可能性
は否定できない。

死亡豚処理
【侵入】
死亡豚の処理業者は4月11日に当該農場を訪問していた。この車両は当該農場を訪問する4日前に、飼養牛がウイルスを排出していたと考えられる別の発生農場(第7例目:4月25日発生)を訪問しており、このことがウイルス侵入の要因となった可能性は否定できない。

飼料関連
【侵入】
同一の飼料運送業者が他の発生農場にも立ち入っていたが、これらの発生農場でウイルスが排出されていたと推定される時期よりも早く、ウイルス侵入の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

【伝播】
飼料運送業者は、4月に入ってから当該農場に2回搬入しており、最後の訪問日である4月22日は、当該農場でウイルスを排出していたと推定される時期(推定ウイルス排出日:4月16日以降)と重なる。
また、訪問した順序は不明ではあるが、この日に同じ飼料運送業者が訪問した農場のうち、4農場(当該農場、42例目、278例目及び281例目)で発生が確認されており、このうちの42例目農場(5月7日発生)にウイルスが侵入したと考えられる時期(推定ウイルス侵入日:4月27日)に近いことから、ウイルス伝播の要因となった可能性があると考えられる。

敷料関連
【侵入・伝播】
敷料を搬入していた業者については、他の発生農場との関連が認められないことから、敷料がウイルス侵入及び伝播の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

人関連
従業員
【侵入】
従業員のうち1名が8例目農場(4月28日発生)の隣に居住し、当該農場へ車で通勤していたことから、このことがウイルス侵入の要因となった可能性は否定できない。

【伝播】
当該農場はグループ企業の1農場であり、グループ内の勉強会が毎週開催されていた。この勉強会が最後に開催された4月20日は、当該農場で既に発症していたと推定される時期であり、また、出席者が勤務していた26例目農場(5月6日発生)にウイルスが侵入したと推定される時期に近いことから、このことがウイルス伝播の要因となった可能性があると考えられる。

獣医師
【侵入】
当該農場を訪問する前に、ウイルスを排出していたと考えられる農場は訪問しておらず、ウイルス侵入の要因となった可能性は低いと考えられる。

【伝播】
4月に入ってから獣医師が当該農場を訪問したのは7、14日であり、ウイルスの排出が開始されたと考えられる時期に近い。
しかしながら、当該農場訪問後に獣医師が各発生農場を訪問した日は、それぞれの農場にウイルスが侵入したと推定される日とずれていることから、ウイルス伝播
の要因となった可能性は低いと考えられる。

野生動物
カラス、スズメ、タヌキ、ネズミ、ゴキブリが確認されている。
6 その他
【伝播】
系列農場で共同利用するためのふん尿置場が、10例目農場(4月28日発生)及び13例目農場(5月1日発生)の裏手に設けられており、これらの農場への伝播の要因となった可能性があると考えられる。

【侵入】
当該農場は角地にあり、一方の道路は初期の発生農場が集中して所在している地域から川南町市街へ向かう幹線道路、もう一方の道路は死亡獣畜処理業者に向かう道路であることから、これらの道路を通過する車両等を介してウイルスが侵入した可能性も否定できない。

まとめ
■通常、豚は牛と比べると感染しにくいものの、いったん感染した後は、牛の百倍~2千倍程度のウイルスを排出するため、豚にまで感染したことが今回発生が拡大した大きな要因になったものと考えられる。
(ウイルス株の病原性の強さは、株によって異なるため、(独)動物衛生研究所において感染実験を行い、今回分離されたウイルス株の病原性を確認する予定。)
豚の発生農場のうち、最も早い時期にウイルスが侵入していたと推定されるのは、当該農場であると考えられる。

■12例目農場は、2~7例目農場(6例目農場を除く)を中心とする発生農場が密集した地帯に近接し、死亡獣畜処理業者や飼料運送業者等の畜産関係車両が日常的に当該農場の近接道路を通行しており、かつ、発生農場の目前にある自宅からの通勤者がいたことも確認されている。これらのことから、車両及び人の移動に伴いウイルスが農場内に侵入した可能性は否定できない。

■写真 このところ紅葉の写真にはまっています。真紅の紅葉も美しいのですが、このような緑葉から変移していくグラデーションの紅葉も美しい。ちなみにこのもみじは、裏山から小さい苗の時に移殖したものです。もう大木になりました。

2010年11月29日 (月)

村の共産党の老人が亡くなられました

020

昨夜、私の村の共産党員のご老人が亡くなられました。大往生でした。

海軍兵学校の最後の生徒で、戦が終わり帰郷する途中に立ち寄った広島の被爆地を見て生き方を変えたと、どこかでおっしゃっていました。

帰郷してから、自分の地主としての農地を小作農に分けたりして弱い立場の人に立っていきてきました。村で唯一の共産党議席を十数年に渡って勉めてきました。、

私は共産党の支持者ではありません。そうとうに考え方が違います。

しかし、村の中で共産党でいることの大変さはよくわかるつもりです。村ではつい最近まで「アカ」という言葉が生きている所でしたから。

自弁で軽自動車を宣伝カーとして、村中を走り回っていました。そしてこまめに村民の相談に耳を傾けました。

どうしても村は実力者に頼る傾向があるのですが、実力者にはもって行けない悩み事を持つ人は彼の家の門を秘かに潜りました。私も一度土地トラブルで悩んでいた時に、彼に相談したことがありました。

すぐにあれをしろ、これをしろと言うタイプではなく、まして選挙で入れろなどというわけでもなく、話をよく聞くタイプでした。相談するほうからすれば、なにかお坊さんに悩みを打ち明けるという風情です。

結局、私の相談事では直接の役には立っていただけなかったのですが、なにか心の支えを頂いたような気になりました。

彼への義理で長年「赤旗日曜版」をとっていました。正直に言ってほとんど読まなかったのですが、毎週お顔を拝見できることが楽しみでした。

ある時、思い切って「あまり読まないのでこれで止めたい」と申し出ると、しわだらけの顔を哀しげにされて、ひょっこりと頭を下げられ、「今までありがとうね」とひとこと言われました。

それが最後に見たお顔です。

村の中の大切なものがまたひとつなくなったような気分です。

2010年11月28日 (日)

宮崎口蹄疫事件 その143 10例目 宮崎県畜産試験場川南支場の疫学報告

Photo
今回の口蹄疫事件で、県営家畜試験場という高度なバイオセキュリティが要求されるべき施設でありながら、豚の大規模感染を発生させた宮崎県畜産試験場川南支場の疫学調査報告です。

ウイルスの侵入は12例目の堆肥舎からの可能性を指摘しています。10例目と13例目は隣接しており、13例目のすぐ裏手に12例目の堆肥場があります。

この12例目の堆肥場が感染のハブになったと思われます。

職員の通勤車両に対するシャーワイン・シャワーアウトがされていなかったことが批判されています。

試験場内にトビ、カラス等が多い中、豚の畜舎間移動をしたことが、畜舎間の伝播をした原因と考えられています。この野鳥による機械的伝播は、12例目の堆肥舎においても指摘されています。

従来、一部であったウイルス侵入経路の修理業者説は否定されました。

なお、読みやすいように改行、ゴチックを施してあります。原文はこちらから。http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/katiku_yobo/k_fmd/pdf/ekigaku_matome.pdf

10例目 宮崎県畜産試験場川南支場(侵入推定11番目・豚)
所在地:川南町
飼養状況:豚486頭
発生確認日:4月28日
推定発症日:4月23日
推定ウイルス排出日:4月20日
推定ウイルス侵入日:4月16日

■〔要因ごとの調査結果
家畜関連

豚の導入
【侵入】
1月28日以降は導入実績はなく、豚の導入が当該農場にウイルスが侵入する要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

肥育豚の出荷
【侵入】
肥育豚の出荷は3月26日の地域内の食肉処理施設への出荷が最後であり、それ以降の出荷はないことから、ウイルス侵入の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

廃用豚の出荷
【侵入】
4月に9回、計58頭を出荷しており、出荷先はすべて地域内の食肉処理施設である。直近の出荷は4月16日であり、当該農場にウイルスが侵入したと推定されている時期(推定ウイルス侵入日:4月16日)と重なる。
また、4月11、13日に12例目農場が同食肉処理施設に出荷しており、12例目農場からウイルスが排出されていたと推定される時期(推定ウイルス排出日:4月16日以降)に近いことから、ウイルス侵入の要因となった可能性は否定できない。

死亡畜の処理
【侵入・伝播】
死亡畜は敷地内で処理しており、このことがウイルス侵入及び伝播の要因になった可能性は極めて低いと考えられる。

飼料関連
【侵入】
534月には当該農場へ飼料が複数回搬入されていたが、そのうち4月14日は当該農場にウイルスが侵入したと推定される時期に近い。しかしながら、当該農場への訪問前に立ち寄っている農場は、ウイルスが排出されていたと推定される時期とずれており、ウイルス侵入の要因となった可能性は低いと考えられる。

【伝播】
また、4月20日にも当該農場に搬入されており、この時期には当該農場でウイルスが排出されていたと推定される。当該農場への搬入後に他の発生農場を訪問しているが、これらの発生農場にウイルスが侵入したと推定される時期はずれており、ウイルス伝播の要因となった可能性は低いと考えられる。

敷料関連
【侵入】
4月5日に業者がノコクズを搬入しているが、ウイルスが侵入したと推定される時期よりも前であり、当該農場にウイルスが侵入した要因となった可能性は低いと考えられる。

人関連
① 従業員
【伝播】
自宅が和牛飼養農家である職員が4月20日まで豚舎に入っていたが、当該農場にウイルスが侵入したと推定される時期とは重なっておらず、このことがウイルス伝播の要因になった可能性は低いと考えられる。

修理業者
【侵入】
修理等で部外者が入る場合はシャワーを使用し、着替えた上で入場していた。4月14、15、16、21、22日に修理業者が入場しており、4月15、16日は当該農場へウイルスが侵入したと推定されている時期と重なるものの、その前後には他の発生農場に立ち入っていないことから、当該修理業者が入場したことによってウイルスが侵入した可能性は低いと考えられる。

【伝播】
21日及び22日に当該農場に訪問した後、他の畜産農家を訪問していないことから、ウイルス伝播の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

野生動物等
【侵入】
当該農場敷地内にはトビ、カラス等の野鳥が多く見られた上に、ネズミやハエ、ゴキブリ等も見られた。4月22日、育成豚舎と種豚舎の間を場内の舗装道路を歩かせて豚を移動させたが、この道路にはこれらの野生動物等が容易に入れる状況にあった。
なお、この移動は育成豚舎と種豚舎の間を双方向で行ったが、この移動を行った育成豚舎及び種豚舎の双方で口蹄疫の発生が確認されており、この移動時にウイルスに感染した可能性は否定できない。

その他
【侵入】
隣接する13例目農場のすぐ裏手(直線距離で200m程度)に12例目農場のたい肥置場が設けられており、かつ、4月30日の12例目農場での発生確認までの間、当該農場の近接道路を経由してたい肥が搬出されていた。また、当該農場付近には野鳥が多く見られたことから、12例目農場のたい肥を介して当該農場へウイルスが侵入した可能性があると考えられる。

まとめ
■当該農場は4月23日以降に発症したと推定されており、ウイルスは4月中旬に侵入していたと考えられる。

■当該農場は、セミウィンドウレス豚舎で飼養し、車両の消毒槽、消毒液噴霧装置、豚の飼養エリアに入出場する際のシャワー室等の防疫関連施設・設備を備えていたが、1例目の発生が確認された4月20日までは、飼料運送業者等の関係車両に対する消毒は行われていたものの、職員の通勤車両に対する入場時の消毒は実施されていなかった。

なお、消毒薬についても口蹄疫ウイルスに対する効果が期待できない逆性石けんが使用されていた(4月21日以降は、塩素系消毒薬へ変更)。

■さらに、豚の飼養エリアへ入出場する際のシャワーについては、4月20日までは部外者には使用を義務付けていたものの、職員に対しては義務付けていなかった(4月21日以降は、職員にも義務付け)。

■また、4月22日、育成豚舎と種豚舎の間を場内の舗装道路を歩かせて豚を移動させたが、農場敷地内にはトビ、カラス等の野鳥が多く見られ、野鳥による機械的伝播が考え得る状況にあった。そのため、この移動が感染リスクを高めた可能性があると考えられる。

■当該農場と13例目は隣接しているが、13例目農場のすぐ裏手(直線距離で200m程度)に12例目農場のたい肥置場が設けられており、かつ、4月30日の12例目農場での発生確認までの間、当該農場及び13例目農場の近接道路を経由してたい肥が搬出されていたため、12例目農場のたい肥を介して近隣農場へ伝播した可能性があると考えられる。

*写真は県畜産試験場のHPから転載しました。

2010年11月27日 (土)

宮崎口蹄疫事件 その142 7例目大型農場「A牧場」の疫学調査チーム報告書 

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続いて7例目の大型農場「A牧場」の疫学報告を掲載します。
この7例目は、家保への報告の遅れ、えびの市への感染拡大のハブとなり、大規模法人経営にもかかわらずグループ13農場を診る獣医師が1名しかおらず、従業員の防疫意識が低くいことが指摘されています。

また、経営者が会見に応じないなどの社会的責任を疑わせる行為も見られました。

この7例目から死体処理業者が4日後に12例目(グループ企業・7例目とは別個)を訪れていて、ここからウイルス伝播したと思われています。この12例から10例(県試)、13例へと伝播したと報告されています。

8例目にはA牧場の自社のわら運搬車両を経て伝播したものだと思われています。このわら運搬車は堆肥にも使用され216例目に伝播しています。

企業グループ特有のワラ共同集積所やその運搬網が堆肥運搬の車両と共用していたために、一挙にそのグループ全体にウイルスを拡散させたものだと思われます。

なお、読みやすくするために適時改行とゴチックを施してあります。原文はこちらからどうぞ。http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/katiku_yobo/k_fmd/pdf/ekigaku_matome.pdf

■7例目 ウイルス侵入推定3番目
所在地:川南町
飼養状況:牛725頭
発生確認日:4月25日
推定発症日:4月8日
推定ウイルス排出日:4月5日
推定ウイルス侵入日:4月1日

■〔発生の経緯〕
4月8日頃: 道路側牛舎の複数頭に食欲不振が確認された。

4月9日以降: 多頭数に食欲不振改善薬を投与。

4月13日: 食肉処理施設に肥育牛9頭を出荷。当該農場で9頭を積載した後、同一車両で9例目農場(えびの市)で肥育牛3頭を積載。

4月17日: 農場全体で咳・鼻水等の風邪の症状を示す牛が発生。

4月18~20日: 4月8日からの食欲不振と風邪の症状を示す牛が増えたことから、飼養牛全頭に抗生物資を投与。

4月22日午前: 道路側牛舎にて発熱、微熱、食欲が落ちた十数頭に流涎、びらりゆうぜんんを確認し、本社に報告。

4月23日夜: 本社より家保への通報を許可する旨の連絡あり。

4月24日朝: 家保に通報しようとしたところ、家保から農場に立入検査の連絡(2例目農場と飼料運送車を介した疫学関連農場だったため。)があり、その電話で異常牛について通報。

4月24日午前: 家保が立入検査し、半分程度の牛房(畜舎の中を柵などで囲った牛の飼養スペースで、肥育牛の場合には、1牛房で数頭から十数頭の牛を飼養するのが通常である。)において流涎を示す牛の存在を確認。鼻腔・鼻鏡の潰瘍・びらん、舌の粘膜剥離を確認した5頭について、血液及び鼻腔スワブ(鼻腔内のぬぐい液)を採材。なお、蹄には異常は認められなかった。

■〔要因ごとの調査結果〕

■1 家畜関連
牛の導入

【侵入】
本年に入ってから牛は導入されておらず、直近では、昨年11月に高鍋町にある同一系列の216例目農場(5月26日発生)から77頭を導入した。
この牛の導入時期は、当該農場にウイルスが侵入したと推定される時期よりもかなり早いため、このことがウイルス侵入の要因となった可能性は低いと考えられる。

牛の出荷
【侵入】
当該農場が利用している家畜運搬業者は1例目及び6例目農場を訪問しておらず、当該農場へのウイルス侵入の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

【伝播】
4月に入ってから32頭を同じ運搬業者のトラックで出荷している。そのうち、4月13日は、当該農場で9頭を積み込んだ後、えびの市の9例目農場(4月28日発生確認)を回って3頭を積み込み、食肉処理場へ出荷している。

4月13日は当該農場に発症牛がいたと推定され、また、9例目農場にウイルスが侵入したと推定される時期(推定ウイルス侵入日:4月10日)と近いことから、このことが当該農場から9例目農場にウイルスが伝播した要因となった可能性が高いと考えられる。

死亡牛の処理

【侵入】
死亡獣畜処理業者は1例目及び6例目農場を訪問しておらず、死亡牛の処理がウイルス侵入の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

【伝播】
小丸川以北(川南、都農、高鍋の一部)の農場を回収範囲とする死亡獣畜処理業者が、当該農場の死亡牛も回収していた。この業者は自社トラック3台で当該地域の各農場を回っており、当該農場には、今年に入って1月25日、2月19、22日、3月5、6、22日、4月7日に立ち入っている。

この業者は、回収時は自社から持ち込んだ長靴に履き替えて作業し、口蹄疫発生後はさらにハンディタイプの消毒器を携行していた。
4月7日は当該農場でウイルスが排出されていたと推定される時期であり、同日に2例目農場(推定ウイルス侵入日:4月5日)にも立ち入っていたことから、死亡獣畜処理業者の車両を介して当該農場から2例目農場へウイルスが伝播した可能性があると考えられる。

当該農場からの牛の移動や死亡牛の処理等に関しては、牛の移動履歴に関する基礎データである牛トレーサビリティのデータを別途整理し、さらに死亡獣畜処理業者やレンダリング業者から当該農場関連の情報提供を受け、当該農場の台帳と照合した結果、両者のデータが整合することを確認した。

■2 飼料関連
【侵入】
当該農場に飼料を搬入していた飼料運送業者と、当該農場以前にウイルスが侵入していたと推定される1例目及び6例目農場の飼料運送業者はそれぞれ異なっており、関連が認められない。したがって、飼料運送業者がウイルス侵入の要因となった可能性は低いと考えられる。

【伝播】
当該農場が利用していた飼料運送業者は複数あり、そのうちの一事業者について、4月
3、9、17日に当該農場に配送した同一車両が、4月15日に2例目農場、4月16日に9例目農場に飼料を配送していたものの、2例目及び9例目農場にウイルスが侵入したと推定される時期(推定ウイルス侵入日:4月5日及び4月10日)とずれていた。

他にも同一車両が他の発生農場に配送していたケースがあるが、いずれも配送日とウイルスが侵入したと推定される時期がずれており、この飼料運送業者がウイルス伝播の要因となった可能性は低いと考えられる。

上記とは異なる飼料運送業者の車両が4月2日に当該農場に立ち入っており、同一車両が4月3日に8例目農場(推定ウイルス侵入日:4月7日)に立ち入っている。8例目農場にウイルスが侵入したと推定されている時期に近いことから、この飼料運送業者がウイルス伝播の要因となった可能性は否定できない。

また、児湯地区にある系列農場の共同の飼料用わら倉庫が高鍋町にあり、地元産のわらを各系列農場に自社トラックで配送していた。また、系列農場のうち、二つの農場(216例目と非発生農場)にたい肥を集約し、たい肥の運搬に使用したトラックをわらの運搬にも使用していた。

直近では、4月10日に当該農場からのトラックがわら倉庫を訪問していた。4月10日は当該農場に発症牛がいたと推定され、また、8例目農場にウイルスが侵入したと推定されている時期(推定ウイルス侵入日:4月7日)と近いことから、わらやたい肥等の運搬に使用された自社トラックが、8例目農場への伝播の要因となった可能性は否定できない。

■3 敷料関連

【侵入】
ウイルスが侵入したと推定される時期に敷料を搬入していた業者は、この時期に既にウイルスが侵入していた1例目及び6例目農場との関連が認められず、敷料運送業者がウイルス侵入の要因となった可能性は低いと考えられる。

■4 人関連

獣医師
【侵入】
児湯地区には同一系列の13農場(発生:9農場、非発生:4農場)があり、全体で約1万5千頭の牛を1名の専属獣医師が担当していた。聞き取りによれば、獣医師は、ウイルスの侵入推定時期には1例目及び6例目農場を訪問しておらず、当該獣医師がウイルス侵入の要因となった可能性は低いと考えられる。

【伝播】
当該獣医師は、通常、227例目農場に詰めており、各農場からの問い合わせに対してはまず電話で対応し、必要があれば問い合わせのあった農場へ出向いて指導していた。系列農場間を行き来していることから、このことが系列農場間におけるウイルスの伝播の要因となった可能性は否定できない。

従業員
【侵入】
従業員等への聞き取り調査により確認したところ、従業員は1例目、6例目農場を訪問しておらず、当該農場へのウイルス侵入の要因となった可能性は低いと考えられる。
なお、従業員については、出勤簿でその勤務状況を確認するとともに、聞き取り調査を行い、本年に入ってからの海外渡航歴がないことを確認した。

【伝播】
児湯地区の同一系列農場には肥育農場と繁殖農場があるが、系列内の複数の農場を行き来している従業員がいることから、従業員の出入りが同一系列農場間におけるウイルスの伝播の要因となった可能性は否定できない。

削蹄師

【侵入】
4月5、6、9日に削蹄師が当該農場に立ち入っており、同じ削蹄師が4月9日に144例目農場(推定ウイルス侵入日:5月8日)へ、4月15日及び16日には228例目農場(推定ウイルス侵入日:5月18日)に派遣されていた。
しかしながら、当該削蹄師は1例目及び6例目農場の削蹄は行っておらず、削蹄師がウイルス侵入の要因となった可能性は低いと考えられる。

【伝播】
削蹄師が立ち入った時期は、144例目農場(推定ウイルス侵入日:5月8日)及び228例目農場(推定ウイルス侵入日:5月18日)へのウイルスの侵入時期とずれていることから、削蹄師が当該農場からウイルスを伝播した要因となった可能性は低いと考えられる。

■④ 海外研修生等
【侵入】
関係者への聞き取り調査や当該農場の出勤簿等により確認したところ、海外からの研修生や従業員を受け入れていた事実は認められなかった。
また、海外からの研修生受入関係団体にも確認したが、当該農場が研修生を受け入れていたという事実は確認されなかった。(当該農場でも訪問者に関する記録はとられておらず、これ以上の詳細な調査は困難であった。)

野生動物
野生動物の目撃情報は特にない。

その他
当該農場においては、口蹄疫発生以前には入場する車両に対する消毒は実施していなかった。
また、当該農場は3例目農場(4月21日発生)と道路を挟んで斜め向かいに位置している。当該農場においては、4月24日に家保が立入検査した際、全体の半分程度の牛房で発症牛を確認しており、かなりの量のウイルスが排出されていたと考えられる(推定ウイルス排出日:4月5日以降)ことから、3例目農場(推定ウイルス侵入日:4月10日)への近隣伝播がウイルス伝播の要因となった可能性は否定できない。

まとめ
■当該農場は、同一系列の他農場等との間で、人、車両がかなり頻繁に往来していたこともあり、系列農場間の関係も含めて詳細に調査した。

■当該農場へのウイルス侵入要因については、特に6例目農場及び1例目農場との関連に注目して関係者に対して聞き取り調査を行ったが、当該農場への入場者の記録がとられていなかったことから、特定の関連は確認されなかった。

■家畜の移動については、4月13日、当該農場から食肉処理場へ出荷する際に、系列農場の一つである9例目農場(えびの市、4月28日発生)へ立ち寄って肥育牛3頭を積み込んでいるが、この時期には7例目農場におけるウイルスの排出が始まっていたものと考えられ、この家畜運搬車両又は人の移動によって伝播した可能性が高いと考えられる。

■死亡獣畜については、死亡獣畜処理業者が3月5、6、22日、4月7日に搬出作業を行ったが、当該農場のウイルス侵入時期が3月25日以降と推定されていること、また、死亡獣畜処理業者が立ち入った農場の発生状況から、死亡獣畜回収車両又は人によって当該農場にウイルスが侵入した可能性は低いと考えられる。

一方、当該農場のウイルス排出時期は、4月7日前後と推定されており、死亡獣畜回収車
両又は人を介して2例目発生農場へ伝播した可能性があると考えられる。

■当該農場も含めて児湯地区の系列農場で使用するわら(国産)は、系列農場で利用する一つの飼料用倉庫から配送されていた。また、たい肥についても、相当量が児湯地区の系列農場のうちの2農場(216例目及び非発生農場)へ集められており、これらの配送、運搬に使用された車両が系列農場の一つである8例目農場(4月28日発生)への伝播の要因となった可能性が否定できない。

■4月8日頃に食欲不振を示す牛が確認され、さらに、4月17日以降、農場全体で鼻水や咳などの症状を示す牛が見られた。
なお、当該農場では食欲不振改善薬や抗生物質を相当数投与されていたため、その際に使用した家畜用医薬品について、当該農場に対してその購入伝票や当該農場の業務日誌の提出を受けるとともに、それらの医薬品を販売していた事業者から関連情報の提供を受けて照合し、両者のデータが整合していることを確認した。

その結果、4月9日以降に食欲不振改善薬が、また、4月18日~20日には抗生物質が投与されていたことが確認された。これらの情報から判断すると、当該農場で最初に症状が現れたのは4月8日頃であると考えられる。

4月24日に家保が立入検査した際には、発症牛を中心に5頭の血液を採取し、抗体価を調べたところ、5頭すべてで陽性が確認された。立入検査した時点で流涎を示す牛がかなり見られたため、4月28日に殺処分を行う際、当該農場におけるまん延の程度を確認するため、さらに15頭分の血液を採取し抗体価を調べたところ、15頭中5頭で陽性が確認されたが、10頭は陰性であった。

■なお、当該農場の獣医師が牛の異常を確認し、本社へ報告したのが4月22日、当該農場が家保へ通報したのは24日朝であり、この間、約2日を要しているが、社内の連絡及び意思決定において迅速さを欠いた。

■さらに、4月17日に農場全体で鼻水や咳などの症状を示す牛が見られた段階で何らかの伝染性疾病を疑い、家保へ速やかに連絡すべきであったと考えられるが、防疫に関する従業員教育が不十分であったこと、13農場全体(飼養頭数:約1万5千頭)を担当する専属獣医師が1名しかおらず、さらに、従業員から専属獣医師への相談が的確に行われていなかったこと等から、実際には家保への連絡、相談は行われなかった。

2010年11月26日 (金)

宮崎口蹄疫事件 その141 初発6例目「水牛農場」の疫学調査報告

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疫学調査チーム報告書より初発6例目の部分を抜粋して掲載します。

この農場は初発とされたために大変なバッシングの嵐に合ってきました。農場主は、若い日より、イタリア本場に留学し、チーズの製法を学んできた苦労人です。特徴あるチーズを製造し、ようやく軌道に乗ったのもつかのま、この口蹄疫事件に合ってしまいました。心から同情します。

この報告においては、今まで風説として流布されてきた韓国人訪問団や、韓国人研修生は「疫学的に注目すべき情報はなかった」とされました。

また従業員や経営者の渡航歴もないと断定したようです。
獣医師、飼料敷料関連も可能性がないとされました。

唯一、侵入ルートして可能性が指摘されているのは、訪問した観光客のみですが、出入りの記録がないために調査は事実上不可能でしょう。

6例目からの伝播は、4例目、5例目共に従業員として働いていましたが、3月末までの期間に勤務していませんでしたので、可能性はないと判断されました。

1例目の農場主が、自治会会報を届けに3月26日、4月11日に訪れており、伝播との関連があるとされています。

飼料運搬車による伝播も、8カ所の発生農場に出入りしていましたが、搬入時期と発生時期がズレたために可能性から排除されました。

なお、読みやすいように改行、ゴチックを施してあります。原文はこちらからどうぞ。http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/katiku_yobo/k_fmd/pdf/ekigaku_matome.pdf

■6例目 ウイルス侵入推定1番目
所在地:都農町
飼養状況:水牛42頭、豚2頭
発生確認日:4月23日
推定発症日:3月26日
推定ウイルス排出日:3月23日
推定ウイルス侵入日:3月19日
(注) 発症日、ウイルスの排出日・侵入日の推定方法については、P.14を参照。(以下、同じ。)

■〔発生の経緯〕
3月26日: 水牛2頭に発熱、乳量低下が見られたことから獣医師が診療。その後、数日間で同一の症状を呈する水牛が増加。

3月30日: 異常が9頭で認められたため、獣医師が家保に通報。

3月31日: 家保が立入検査。症状は発熱、乳量低下、下痢等であり、この時点で
は口蹄疫を疑うべき症状とは考えず、3頭の血液、鼻腔スワブ(鼻腔内のぬぐい液)、ふん便を採取し、ウイルス・細菌・寄生虫検査を実施。

4月5日: 家保が獣医師から「ほとんどの水牛が解熱したが、一部の水牛の乳房に痂皮(かさぶた)が見られ、アレルギーを疑っている」と聴取。

4月14日: 家保が再度立入検査し、3月31日に採血した3頭のうち1頭から再び採血。回復した水牛もいたが、乳質の低下(脂肪分減少)、一部で脱毛が見られた。

4月21日: 4月20日に発生が確認された1例目の農場との関連農場であることから、宮崎県疫学調査班が立入調査。全頭が回復し症状が見られなかったが、当該農場主が1例目の農場主に初期の症状を確認したところ、自分の水牛の症状と似ていると考え、「4月1日に上唇に大豆大の潰瘍、他の1頭にマッチ棒大からゴマ粒大の白っぽい丘疹が乳房に散在していきゆうしんた」旨を家保に報告したとのこと。

4月22日: 家保が立入検査したところ、臨床的な異常は見られなかったが、検体を採取し、3月31日に採取した検体と合わせて動物衛生研究所に検体を送付。その結果、3月31日に採取した鼻腔スワブ3検体中1検体でPCR陽性、4月22日に採材した血液で5検体中5検体が抗体陽性。

■〔要因ごとの調査結果〕
■1 家畜関連
水牛の導入
【侵入】
平成20年に20頭、21年に5頭の水牛を豪州より導入しているが、豪州は口蹄疫の清浄国であり、かつ、輸入検疫が実施されていることから、当該農場にウイルスが侵入する要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

豚の導入
【侵入】
平成19年に鹿児島県から黒豚2頭を導入し、22年2月に出荷。また、22年3月には町内の生産者から2頭を導入しているが、口蹄疫の発生確認後に実施した豚の抗体検査の結果は2頭とも陰性であり、当該農場にウイルスが侵入する要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

水牛の出荷
【侵入】
平成19年12月に子牛を近隣の生産者に譲渡しているが、当該農場にウイルスが侵入したと想定されている時期よりもかなり早く、ウイルス侵入の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

■④ 死亡水牛の処理
【侵入】
水牛は食肉処理場への出荷が認められていないため、雄子牛や受胎成績が悪い雌牛は獣医師による安楽殺(直近では3月20日に実施。年間では5~6頭程度)を実施。死亡獣畜処理業者(地域内)には自家用トラックで持ち込んでいた。

当該死亡獣畜処理業者の従業員等に本年に入ってからの海外への渡航履歴がないことから、この持込みがウイルスの侵入要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

【伝播】
死亡獣畜処理業者のトラックが3月20日の直後(20~22日)に訪問した農場の一部(13、18、23、25、37、60、122、146、191、216、227例目農場)で発生が確認されているが、これらの発生農場に立ち入った時期と各農場にウイルスが侵入したと推定される時期がずれており、この死亡獣畜処理業者のトラックの移動がウイルス伝播の要因となった可能性は低いと考えられる。

2 飼料関連
【侵入】
3月に入ってから飼料運送業者の車両が当該農場に飼料を4回搬入しているが、当該飼料運送業者の従業員等に本年に入ってからの海外への渡航歴がないことから、この搬入がウイルス侵入の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

【伝播】
3月に入ってから飼料運送業者の車両が、当該農場に飼料を搬入した4回のうち、3月25日及び4月12日は当該農場で水牛がウイルスを排出していたと推定される時期にある。
これらの車両が当該農場への搬送後に立ち入った農場の一部(111、168、222、284例目農場)で発生が確認されているが、これらの発生農場に立ち入った時期と各農場にウイルスが侵入したと推定される時期がずれており、このことがウイルス伝播の要因となった可能性は低いと考えられる。

3 敷料関連
【侵入・伝播】
ウイルスの侵入が想定される時期に敷料を搬入していた業者は2社だが、双方ともに他の発生農場との関連は認められないことから、敷料運送業者の車両及び人がウイルス侵入及び伝播の要因となった可能性は低いと考えられる。

4 人関連
農場主本人
【侵入】
当該農場を開設した一昨年(平成20年)の春以来、海外へは渡航していないことを確認。また、農場主からの聞き取り調査によると、他の農場への出入りもないことから、農場主の動きがウイルス侵入の要因となった可能性は低いと考えられる。
【伝播】
農場主からの聞き取り調査によると、当該農場主の他の農場への出入りはないことから、農場主の動きが他農場へのウイルス伝播の要因となった可能性は低いと考えられる。

獣医師
【侵入】
本年に入ってから海外への渡航歴はなく、ウイルス侵入の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

【伝播】
3月に入ってから獣医師が当該農場を訪問したのは5回であり、うち、3月26、
28、31日、4月12日は当該農場でウイルスが排出されていたと考えられる時にある。
獣医師が当該農場を訪問した後に立ち入った農場の一部(46、47、99、105、173、180、193、254例目農場)で発生が確認されているが、これらの発生農場を訪問した時期と各農場にウイルスが侵入したと推定される時期はずれており、ウイルス伝播の原因となった可能性は低いと考えられる。

従業員
【侵入】
本年に入ってから従業員の海外への渡航歴はなく、ウイルス侵入の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

【伝播】
水牛の飼育を担当していた従業員2名は、西都市と都農町から通勤していたが、両者ともに他の発生農場との関連はなかった。
4例目と5例目の農場の家族がチーズ工房でパート従業員として勤務していた。(水牛との直接的な接触はなかった。)

4例目の家族であるパート従業員については、2月末までに休職し、その後は勤務していないため、4例目農場へのウイルス伝播の要因となった可能性は極めて低いと考えられる。

5例目の家族であるパート従業員については、牛群の乳量が低下したことから3月末までに休職しており、その後は当該農場へ行っていない。この時期は当該農場でウイルスが排出されていたと推定される時期であるが、5例目農場へのウイルスの侵入が推定される時期(4月14日)より前であり、ウイルス伝播の要因となった可能性は低いと考えられる。

見学者
【侵入】
農場自体はかなりの山奥に位置しているものの、農場主は特徴あるチーズを製造し、宮崎空港内の店舗や大消費地のレストラン等に販売するとともに、ホームページを開設し、農場の様子やチーズの製造・販売を広く紹介していた。また、昨年、全国ネットのテレビ番組で紹介された後は、当該農場への行き方に関する役場への問い合わせが増加したとのことであった。

当該農場には、従来より、レストラン関係者や取材の目的での訪問者があったことに加え、毎日8:30~10:30までの間は見学者を受け付けていたが、これらの訪問者に関する記録はとられていなかったため、人の移動についての詳細な調査、あるいは検証を行うことは困難であった。

その他
【伝播】
1例目農場の農場主が自治会の地区班長であり、3月26日及び4月11日に地区の広報誌を配布するため当該農場を訪れており、1例目農場へのウイルス伝播の要因となった可能性は否定できない。

■5 野生動物
シカ、イノシシが放牧地に入っていたことはあったが、農場内の水牛用プールに水鳥等が確認されたことはなかった。

〔まとめ〕
・当該農場については、推定発症日が一番早いこともあり、海外からウイルスが侵入した可能性を念頭に置いて、様々な可能性について調査したが、家畜の導入や出荷、飼料、敷料などで当該農場へのウイルスの侵入につながるような情報は確認されなかった。

・当該農場はかなりの山奥に位置しており、シカやイノシシが農場の牧草地へ入っていたことが確認されたが、口蹄疫に感染した野生動物が未だ確認されていないことから、野生動物がウイルス侵入源となった可能性は低いと考えられる。

・農場主や従業員、さらには、周辺の関係者に対して、本年に入ってからの農場関係者の海外への渡航歴や海外からの研修生や訪問者の有無を含めて調査したが、疫学的に注目すべき関連情報は確認されなかった。

・一方、農場自体はかなりの山奥に位置しているものの、農場主は特徴あるチーズを製造・販売するとともに、ホームページを開設して農場やチーズを広く紹介していた。また、昨年、テレビ番組で紹介された後は、当該農場への行き方に関する役場への問い合わせが増加したとのことであった。

・また、当該農場には、従来より、レストラン関係者や取材の目的での訪問者があり、さらに、毎日8:30~10:30までの間は見学者を受け付けていた。しかしながら、これらの訪問者に関する記録はとられていなかったため、外部からの人の移動について、これ以上調査、検証することは困難であり、こうした人の移動によってウイルスが侵入した可能性は否定できない。

・診療した獣医師から家保への通報は3月30日に行われているが、発生の確認は1例目発生後の4月23日であり、約4週間を要した。なお、当該獣医師が最初に診察した3月6日の時点では口蹄疫を疑う症状は確認されていなかった。

2010年11月25日 (木)

宮崎口蹄疫事件 その140 政府検証委員会と疫学チーム報告書出揃う

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政府の検証委員会の最終報告が出ました。まぁ予想どおりの内容です。
全文はこちらからPDFで見られます。http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/katiku_yobo/k_fmd/pdf/kensyo_hokoku_sho.pdf
国に甘いとされていた中間報告省を一部加筆してあるのが新味です。国の対応の遅れとして、ワクチン接種が5月19日までズレ込んだことを批判しています。
「初動対応で感染拡大が某氏できない場合には、速やかに防疫方針を改定する必要がある」としています。
また、同日に疫学チーム調査報告も出ました。検証委員会のものと異なり、疫学チーム報告書は読みごたえがあります。各種の侵入ルートの検証や農場見取り図までついた豪華版です。
と言っても、訪問者ルートを匂わせつつ、要するに「ウイルスの侵入経路はわからなかった」のが結論ですが。
回を改めて見ていきたいと思っています。このふたつが揃ったことで、検証作業は終了となりました。これをもって来年の通常国会に家伝法改正案を出すという段取りになります。
正直に言って、こんなことで幕引きになるのか・・・というなんとも言えない無力感が私にはあります。

■今春から夏にかけて宮崎県で流行した家畜伝染病、口蹄疫(こうていえき)への国や県の対応を検証してきた農林水産省の対策検証委員会は24日、最終報告書をまとめた。
中間報告で県の初動の遅れを指摘したが、最終報告では国の対応の甘さも批判。国が感染拡大防止のため家畜へのワクチン接種に踏み切った時期について、「結果的に決定のタイミングが遅かった」とした。

 国は報告書を踏まえ、家畜伝染病予防法の改正案を来年1月の通常国会に提出することを検討する。

 今回の流行で国は5月19日、感染拡大を遅らせるため健康な家畜にワクチンを接種して殺処分する方針を決定。しかし、報告書は、感染家畜が増えていた5月はじめには必要だったと指摘した。

 また、畜産業の規模拡大が進み、「10年前の口蹄疫の発生を踏まえて作られた防疫体制が十分に機能しなかった」「国と宮崎県・市町村などとの役割分担が明確でなく、連携も不足していた」などと問題点を列挙。改善策として、「防疫方針の策定は国が責任を持ち、具体的措置は都道府県が中心となって市町村、生産者団体などと迅速に行う」ことを挙げた。

 そのうえで、宮崎県の通報が遅れたケースにも言及し、「口蹄疫であってほしくないという心情が強く働いた」と指摘。通報のルールに従わなかった農家や都道府県には手当金などの削減を含めたペナルティーを科すよう求めた。

また、県有の種牛について県が殺処分見送りなどの特例を実施し、国も認めたことについては「特例的扱いは一切認めるべきではない。種牛の分散や冷凍精液の保存でリスク分散を行うべきだ」とした。

 感染ルートを調べていた同省の疫学調査チームも同日、中間報告を公表。最初に感染が起きたとした農場について「見学者の訪問などによってウイルスが侵入した可能性は否定できない」とし、人や車両の出入り記録の農家への義務づけを提言。その一方で、侵入経路の特定はできなかった、とした。(朝日新聞11/24)

■宮崎県で発生した口蹄疫(こうていえき)問題での国や県の対応を検証する「口蹄疫対策検証委員会」は
24日、最終報告書をまとめ、今年6月に口蹄疫が疑われる症状の牛を発見した県職員が検査せずに
殺処分していたことについて、「県の対応は問題だった」と結論づけた。

 これを受け、東国原英夫県知事は「報告書の内容を把握していないが、もし事実であれば、真摯(しんし)に
受け止めないといけない」と述べた。
 この問題は6月25日、同県新富町の畜産農家で殺処分の作業中、口蹄疫のような症状の牛が見つかったも
のの、県の家畜防疫員が血液を採取するなどの検査をしなかった上、国にも報告しないまま殺処分したというもの。
 報告書は「県は発疹(ほっしん)やびらん(ただれ)の症状の牛が見つかったにもかかわらず、国に報告しなかった」と
認定。早期発見・通報という対策の原則に照らし、「宮崎県は『典型的な症状とは認められなかった』と説明して
いるが、念のため写真を撮ったり、検体を採取したりするなど適切な調査をすべきだった」と、県の対応を批判した。

http://logsoku.com/thread/hato.2ch.net/news/1290618882/

ご参考までに県の中間報告書の報道記事も掲載します。原文はこちらです。(コンタンさんありがとうございます)http://www.pref.miyazaki.lg.jp/parts/000148486.pdf

■指針超えた対策必要  県検証委員会中間報告
口蹄疫の防疫の問題点や感染経路について調査する県口蹄疫対策検証委員会(座長・原田隆典宮崎大工学部教授、8人)の第3回会合は29日、県庁で開き、6項目からなる中間の論点整理(中間報告)を公表した。
国、県が道路封鎖やワクチン接種について、「防疫指針」を超えた判断が迅速に下せなかったことを問題視。また、国の疫学調査では「感染疑い6例目が初発の可能性が高い」とされているが、それ以外の可能性も現時点では否定できないため、「今後も感染経路の解明が必要」とした。

 今回の口蹄疫への対応では、消毒ポイントの設置や道路封鎖は国との協議を経て、防疫指針に基づいて実施された。中間報告ではそれらを踏まえた上で、国と県が初期段階で同時多発的な広がりを認識し、「防疫指針を超えた抜本的対策を検討する必要があった」とした。

 例えば、ワクチン接種の政府決定は5月19日だったが、同月初旬には県農政水産部の幹部が予防的殺処分を含め検討を農林水産省に要請していたことを明らかにし、「国はこの時点で判断を行うことも必要だったのではないか」と判断の遅れを指摘した。

 1例目の国への検体送付については、「リスクが少しでもあれば、検査を行う姿勢が必要だった」と県の姿勢を疑問視。その上で、農家や担当獣医師から依頼があった場合は原則として検体を送付すべきで、簡易検査キットなど早期発見が可能な態勢確立を提言した。

 一方で、早期通報した農場が初発とされてしまう現状についても言及。国の疫学調査で6例目農場が初発と推定されたことについて、「6例目、あるいは1例目の農場より前に感染が起きていなかったとする証拠はない」として、科学的に解明できる疫学調査のルール作りを求めた。

 検証委は東国原知事や隣県へのヒアリングも踏まえ、年内をめどに最終の調査報告書をまとめる。

 原田座長は「犯人捜しをするわけではないが、感染経路の解明は重要視している。農家の協力は不可欠で、幅広い情報提供を今後もお願いしたい」と話した。
(宮崎日々新聞 2010年10月30日付)

■写真 本日の夜明け。澄みきった秋の早朝です。写真ではよく分かりませんが、明けの明星が出ています。

2010年11月24日 (水)

飼料用穀物の自給の虚妄

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食料自給率の統計数字の取り方を巡っては、07年に農水省が発表して以来、論議を呼んでいました。もう3年越しということになりますね。

というのは、この農水省の食料自給率のカロリーベースという方式には明らかな欠点があるからです。そのために過剰に現実離れした数字が出てしまうということが指摘されています。

さて、つい1年ほど前に民主党政権は意気揚々と「食料自給率を5年後に50%、20年後に80%」とすると公約しました。目標数値の根拠は、言うまでもなく、農水省の公表数字です。

また、この食料自給率に絡んで、民主党政権はもうひとつの爆弾的な公約もしています。それがなんと、主要穀物などを完全自給することを目指すというのです。ひぇ~!だからシロートは怖いよ。

ひとつ民主党さんにお聞きしたいのですが、現在の麦の自給率をご存じですか?わずか13%ですよ。しかも、輸入については国が主管し、輸入のサヤを国内補助金に向けてやっと「作ってもらっている」というのが実態です。こんな状態を、100%にすると!馬鹿も休み休み言ってほしいものです。


また大豆は自給率6%程度ですが、。もし衆議院の次の任期満了年となる2013年まで4年間で生産量を10倍に増加させるということになります。
これまで、転作奨励金や、作付け補助金を出して40年間3倍ていどにしか伸びなかったものを、どうやったら100%になるというのでしょう?

麦についての自給率の低さは、かつて検証したことがあります。私自身も麦を作っていたので肌で分かりますが、反あたり収量の低さとグルテンの低さ、価格の低さの三拍子が足を引っ張っているのです。

収量は米の2/3ていど、価格は米とは比較にならず、また最近はいい品種が研究所で出来てきていますが、それでもグルテン含有率が低いためにパンがうまく膨らみません。パスタにも難しい。私はグルテン粉を別途に添加して、パンを焼いていました。

せいぜいがうどんかお焼きが精一杯でしょう。そのうどんですから、日本一のうどん大国の讃岐ですらオーストラリア産小麦を使っている有様です。これでどうやって100%になるというのでしょうか。

_edited_4 このような浮ついた政策を、俗耳に入りやすい大衆受けねらいのボピュリズムといいます。

話をもどします。「食料自給率40%」という言葉は、文字どおりひとり歩きしています。いまや、小学生でも学校で習うような「常識」と化してしまいました。
いったんこのような概念が大規模に、国民的常識として刷り込まれると、後に修正が困難になります。

そしてこの「食料自給率40%」を根拠として、日本農業の危機を叫び、「お米を食べよう」という食育運動となり、それに多額の税金と、多くの善意の人達が沢山関わるようになると、その食育自体は間違っていないだけに、もはや根拠に逆上って考える人は皆無に等しくなります。

しかし、立ち止まって考えて頂きたいのです。「お米を食べよう」という運動は支持します。まったく同感で、農民としても、ひとりの国民としても共鳴します。ただし米と自給率がどのように関係があるのですか?

米はWTOがらみでMA米などを大量に買い込まなければ(しかも塩漬け!捨てるしかない)、多分100%超です。まして減反という国家が音頭を取った生産カルテルなどせずに生産力を全開にすれば、140~150%の自給率が十分可能です。

日本の食料自給率が低いのは、ひとえに小麦などの飼料穀物、大豆、菜種などの油糧穀物、家畜用飼料の自給率が低いからです。

ならば、それとワンセットになった家畜の飼料自給率を向上させれば問題解決となるはずです。このふたつの食料自給率が最も落ちた部分を持ち上げれば、食料自給率は確実に向上するはずではありませんか。

ではそのためには、どうすればいいのでしょうか?
そうですね、
日本で見かけの食料自給率を向上させようとするなら、まずは、ほぼ100%自給が可能な米はとりあえず無視して、飼料用作物を作ることです。トウモロコシ、小麦、大豆などです。

次いで油糧穀物である菜種を作ります。あと微妙な位置にいるのが飼料用米です。これは、無理に無理を重ねてきた減反政策の苦し紛れの一環にすぎませんが、家畜飼料の自給率をほんのわずかなりともアップすることでしょう。ただし多額の税金を投入しての上げ底ですが。

と言っても、現状で米の収量の3分の2、価格も同じく3分の2の麦を農家が作ってくるれはずがありませんから、さらなる補助金の大量投入が必要です。今、膨大な小麦を輸入して、それを国家管理するという社会主義国ばりのまねをして、そのサヤの金を突っ込んでわずか13%の小麦自給率しかないのです。

これを10倍にしようと・・・ああ頭痛がしてくる。となると妙な言い方になりますが、補助金の財源である輸入小麦を10倍に増やしてもっと補助金を捻出せねばなくなります。

小麦の輸入を激増させて、その金で国産小麦を作らせるという出来の悪いギャグのような構図になります。まさに自縄自縛。これで自給率が上がったらミラクルです。

トウモロコシはもっと話になりません。私のような零細養鶏ですら、以前試算したところ20hの面積が必要でした。わずか30aの畜産農家が20hの飼料用畑を持つ。なんとまぁゼイタクな。

やってみたいとは思わないではありませんが、国策で畜産農家が皆が皆やったら悪夢ですな。通常の耕作地がなくなる。

その上、飼料の年間保管施設となると、考えただけで頭が痛くなります。まして飼料の自家配合は絶滅危惧種ですから、出来た飼料用穀物を誰がどのようにして配合して農場までデリバリーするのかまで考えないとダメです。

しかしこんな難問があっても、名目的自給率だけををアップするなら、国家が本気になればできないでもありません。

たぶん、これにも農水省は「産地元気なんとか奨励金」とか、「畜産自立なんとか補助金」とか出してくれることでしょう。ただし、今の日本の財政が持つまでの話ですが。

結果、美田にはトウモロコシが植わり、捨て作りの麦が実る。巨額の税金を使って出来た国内飼料を使って畜産の自給率は少々アップします・・・しかしこんな食料自給率向上に一体なんの意味があるのでしょうか。

2010年11月23日 (火)

食料自給率40%という怪しげな数字がまたTPPで出てきたぞ

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「TPP時代」の到来と共に、「食料自給率」という分かったような分からないような数字がまた大きな声で叫ばれ始めました。

私、この食料自給率という概念自体にあまり意味がないと思うようになって久しいのです。その最大の理由は、農水省の言う食料自給率は、カロリーベース算定だからです。

このカロリーベース食糧自給率が、「日本農業を守れ」の数字的根拠で出てくるから困ります。もし、この根拠が崩れたら一転して日本農業なんか知らないよ、となるんでしょうか。

私はこのカロリーベース算定方式は、統計の取り方としてあまりに恣意的であるために、今の日本農業の実態を映し出していないと思っています。この算定方式は、あくまでもカロリーベースなために、カロリーが低い作物はいくら国内自給率が高かろうと,総合食料自給率には反映されないという致命的な欠陥をもっています。 ですから、果物の糖度が高い年や、砂糖が豊作の年には食料自給率が高めに出るという馬鹿なことになります。

米と並ぶ重要な品目であるはずの野菜が、まったくこの統計数字に反映されていないのです。

野菜は6割以上を国内で自給しています。この6割という数字は奇しくも、販売ベース食料自給率とほぼ同一です。また、私の家業である畜産に至っては、ケンモホロロの扱いです。

畜産の食糧自給率上の数字は、もはや失笑するしかないほど不当に低いといえます。たとえば、鶏卵などは96%の国産自給率を持ちながらも、わずか5%しかカウントされていない有様です。豚肉も同様でほとんどノーカウントといった扱いを受けています。

いわば、私たち畜産農家は、この日本での自給率に限っていえば、「国内に存在しない」のも同然ということになります。

しかし、これはいくらなんでもバーチャルじゃないかと思われませんか?フードアクションジャパンのCMで石川遼クンが「ボクは自給率60%」なんて言ってますが、君がいくら国産の野菜や卵、豚肉を食べようとほとんどノーカウントなんだぜ。

じゃあ、なにを食べたら石川クンの自給率が上げられるか?そう沖縄産砂糖ですよ。ですからご飯には砂糖をたっぷりまぶして食べて下さい。農水省のお役人が泣いて喜びますよ。

沖縄の農民も野菜畑など潰して、自給率向上のためにサトウキビをもっと植えて下さい。ついでにタンカンなども糖度が増す取り組みをすれば、自給率向上、めでたしめでたし。むしろ、私には沖縄県の食料の自立は、米をしっかり作ることだと思うんですがね。減反で農水省が許しませんか。

あれぇ?でもあのCMには野菜や畜産品も登場していたような・・・。今度しっかり見て、もし野菜、豚肉、卵が出ていたらおおらかに笑ってやって下さい。

さて悪タレはこのくらいにして、この畜産品が自給率に入らない理由は、農水省の「国産であっても飼料を自給している部分のみを自給率に参入する」という方針があるからです。

たしかに、国際的に数字を比較する場合は、穀物自給率を元に算定します。これはFAOも使う方法で、農水省もこの穀物自給率で計算をしていますので、その限りにおいては国際的な統計方法を採用しているとは言えます;

この時問題となるのはこの飼料自給率とは一体なんだ?ということです。

私たち日本人は牛の粗飼料の一部を除いて、ほとんどの飼料を外国に頼っています。それは過去ログでも記事にしました。日本畜産の致命的な欠陥であることは認めます。

その原因については、長くなりますので簡単にしますが、日本の風土が牧草を作るよりはるかにに米作りをすることに向いていたために、歴史的に牧畜ではなく、米作を主体に発展してきたからです。

うちの女房殿がかつてイギリスの汽車旅行をした時、車窓からは行けども行けどもなだらかな牧草地。30分で飽きるよ、とは彼女の感想。

こんな「異常な風景」は、日本ではありえません。褶曲に満ちた里山を中心に展開する農地、わずかな平地には、米と蔬菜が中心となる風土の特性があったわけですし、それを十二分に活かしたのがわが日本のお百姓でした。

日本の食生活は大きく洋風化していきます。その端緒となったのが学校給食のアメリカが過剰に作りすぎた小麦によるパンと、本来子豚の餌であった脱脂粉乳でした。私たち昭和30年代育ちは、なんのことはない米国の余剰放出の(しかも有償で!)豚のコロ用飼料で育ったというわけです。

アメリカ型食生活洗脳第1世代としては、まことに慙愧の念に耐えません。本来日本人の食生活になかった畜産が、木に竹を接ぐようにして発生していくわけです。

そのために日本の畜産はとてもいびつな形になってしまいました。欧米が、牧草地というバックヤード(後背地)が存在して畜産があるのに対して、それがなくて、畜産を作るということをやらかしたのです。

したがって、牛の粗飼料の一部を除く、ほぼすべてを外国、特にアメリカに依存せざるを得ませんでした。

好むと好まざるとを問わず、これが日本の伝統です。有機農業界に身を置く畜産屋の私など、年がら年中、ラジカルな食育運動家や有機農業者から、「加工畜産はやめてしまえ!」と言われて、農薬耐性がついたカメムシのようになっておりますです、はい。

ことほど左様に、国によってその農業のあり方は千差万別です。ヨーロッパと米国ですら大きく異なっています。ニュージーランドやオージーとアメリカとも違います。

例えばNZやオージーなどでは、牛肉、羊肉などは非穀物から作っています。なんせ放牧主体ですから。NZなんて放牧の羊や牛のほうが、人口より多いんですから(ほんとらしい)。それに対してアメリカは穀物飼育が主体です。

先進国間ですらこれだけ違うのに、まして発展途上国においておやです。穀物のように人間と競合する食料を家畜にやるはずもありません。

となると、飼料の自給率という概念自体が千差万別であって、穀物自給率一本の単純な尺度で計ることは不可能だということがおわかり願えたでしょうか。

FAO自身もこう言っているほどです。「飼料に関しての歴史的データは、摂取量のデータよりも信憑性に乏しい」。

要するに、こう言うことなのです。日本でカロリーベースの自給率計算は確かに可能です。しかし、それを外国と比較するとなると、一国ずつの飼料事情がまったく異なるために、統一された基準を作りようがないのです。

ですから、一見農水省が作った食料自給率を国際比較表の根拠自体がはなはだ危うい憶測の上に成り立っている、農水省制作の官製プロパガンダなのです。

次回も、もう少し食料自給率について続けます。

■写真 朝の北浦の河口ふきん。

2010年11月22日 (月)

防疫体制作りにTPP対策費を使え!

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「TPP時代」が来るという予感が、今、日本農業に暗い影を落としています。

ある意味、米はこう言ってはなんですが、その700%超の高関税は年中ヤリ玉に上がっていたのですが゛、今回は畜産も含めた自由化が行われるだろうという点が異なっています。

しかもそれが、日米FTAすら小さく見える環太平洋規模ですから、わが国農業が受ける影響は計り知れないものがあります。

ここで私がどうしても考えてしまうのが、口蹄疫防疫がTPP、EPA農業対策に含まれていないのではないかという疑問です。

現行では、農水省の念頭にあると思えません。TPPPは貿易問題、口蹄疫は防疫と局の縦割りで考えているはずです。また、残念ながら民主党政府に、口蹄疫を貿易問題と絡めて考える柔軟な発想があるとはとうてい思えません。

自由貿易圏において、防疫の水際作戦はほぼ不可能となるでしょう。観光客によるウイルス持ち込みすらコントロールできていないのに、農産品や外国人労働者流入などにまで及ぶ状況などどうかできるはずもありません。

現に、喉元過ぎればなんとやらで、もう地方空港での消毒マットすら姿が消えているではありませんか。こんな防疫意識でどうして自由貿易圏時代の海外悪性伝染病を防げるのですか。

不吉なことを言うなと言われそうですが、私は口蹄疫ウイルスは未だ潜在していると考えています。あそこまで拡大した伝染が終息宣言をもって消滅したと思うほうが危険です。

仮に環境中に残存するウイルス検査が陰性と出たとしても手放しで安心できません。それは検出値以下だったかもしれないからです。ですから、私たちは口蹄疫ウイルスが「常にある」という前提に立って考えるべきなのです。

それは宮崎県内のみならず、県外に持ち出されていても不思議ではありません。つまり宮崎口蹄疫事件は遍在するのです。

その上に、畜産の門戸開放をしてしまえばいったいどうなるのか、民主党政府の無思慮ぶりに私は暗澹とする思いです。

「TPP時代」にこそ、二度と口蹄疫などの悪性伝染病を起こさせない防疫体制の徹底化が要求されます。

考えておくべきことは、現行の家伝法や防疫指針の枠内でも山ほどあります。ざっと書き出してみましょう。落としたものも多々あると思いますのでご教示ください。

①誰が責任を持って初動を命令指揮するのか。
②通報の迅速化はどうしたら出来るのか。
③通報者保護はどうあるべきか。
④遺伝子検査施設の拡充はどのようになされるべきか。
⑤簡易検査キットの導入は何をどのていど配置すべきか。

⑥生産者への発生通知の迅速化はどうあるべきか。
⑦殺処分はどの範囲で、何時間以内にするのか。
⑧そのための人員確保と資材はどう手当てするのか。
⑨発生動向調査はどのようにどの範囲でなされるべきか。
⑩緊急の応援体制はどうあるべきか。
⑪民間獣医師や共済会獣医師との連携はどのようにあるべきか。
⑫殺処分の方法をどうするのか。

⑬埋却地の準備は誰の責任でどのような規模で用意しておくのか。
⑭殺処分に伴う補償は現行でよいのか。
⑮各級現地対策本部のあり方はこのままでいいのか。
⑯交通の遮断、消毒ポイントの設置はどうするのか。
⑰警察、消防、消防団、自治会などとの連携体制はどうあるべきか。
⑱他県への連絡、連携はどうあるべきか。

初動段階でもまだまだありますが、今日はこのくらいで。

いずれにせよ、このような今回のことを教訓にした日本の口蹄疫マニュアルの徹底的な見直し作業が必要です。

そして国レベルの防疫体制、県レベルの防疫体制、地域レベルの防疫体制、個人農場レベルの防疫体制に、国や自治体がいかにコストを支出していくのかが問われています。

ここにこそ行政はTPP対策費を投入すべきです。

この防疫こそが、畜産にとってのTPP対策の重要な課題なのです。これなくして、自由貿易圏構想など机上の空論にすぎません。

■写真 もうすっかり紅葉の真っ盛りです。

2010年11月21日 (日)

貿易も防疫も同等に目配りしての論議が必要です

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どうも私という人間は、実物は協調性がありすぎるのですが、文章にするとキツイとかねがね言わています。

前回やや飛ばしすぎました。もしJA批判にだけ聞こえたら申し訳ありません。

JAを語ることは、日本農業を語ることに等しいと思っています。とうぜんのこととして、ポジティブな部分とネガティブな部分が併存します。私は全否定する気などまったくありません。

おっしゃられるように、高齢化の農業を支えているのはJAです。山間地農業もJAなくしては語れません。

そしてJAには単協や地域ごとに大きな差があります。ひとことで「JA」と語れるような一枚岩的組織ではありません。

私が具体的に知る茨城県下のJAなめがたもJAやさとも、まったく考え方が違います。共通項はJAという看板だけじゃないかと思う時もあるほどです。そして両JAとも、違った意味でとても優秀です。

両JAともある意味良きライバルで、情報交換や地域農業作りなどに協力しあっている仲です。これが出来るのは、逆説的な言い方になりますが、私の地域ではJAが相対的存在だからです。

JAが絶対支配してしまっうと、このような良き競合関係は生まれません。私はJAがひとつの農業組織として相対的に地域の中でさまざまな農業団体と協力して、地域農業を盛りたてていくというていどに「小さい」ことが、JAの活性化につながるのではないかと思っていてます。

話題を変えます。
TPPを巡る農業問題の議論の中でひとつ気にかかることがあります。それは、口蹄疫問題がまったく議論の対象にすらなっていないことです。

たぶん多くの牛や豚の農家にとってTPPとOIE清浄国との関わりが気になると思われます。

現実に、清浄国ステータスは貿易障壁として機能しています。これはどこの国も一緒で、わが国に限ったことではありません。

日本が口蹄疫でこれほどまでに早期の終結と清浄国復帰をめざした最大の理由は、あまりに清浄国転落が長期に及ぶと、日本市場に参入をめざす非清浄国の2国間交渉が不利になるからです。

このOIEコードがTPP時代にどのように変容していくのか、あるいは、いかないのかか私には予測がつきません。しかし、世界の大勢はOIEは口蹄疫の清浄国ランキングの大幅緩和に突き進むような気がします。

ご承知のように、清浄国のランキングは4つに別れます。

最上級は、「ワクチン非接種清浄国」
第2ランクは、「ワクチン接種清浄国」
第3ランクは、「非清浄国」
第4ランクは、「発生国」

今回は最上級から最下級に転落したわけでが、農水省がワクチン接種の判断に1カ月のロスをしたのは、ワクチンを打つと、口蹄疫に罹っているかいないかの区別がつかなくなる、と農水省は説明してきました。

もちろんこれは虚偽の説明で、NSP抗体検査を実施すれば判ります。そのための検査キットも海外には存在し、購入することも可能でした。

それはさておき、もうひとつの理由は、「ワクチン接種清浄国」になってしまうと同ランクの国からの輸入を拒む理由がなくなることです。このランクの国は、南米の大畜産国にゴロゴロあります。

ですから、貿易障壁として「清浄国」ランクを使うためには、ワクチン接種した後に全頭殺処分して、速やかに最上級の「ワクチン非接種清浄国」に復帰する必要があったわけです。

問題は、このOIEcord8・5・8をいつまで事実上の貿易障壁として利用できるかです。私はTPP時代には、このcord8・5・8は改定される宿命にあると思っています。

というのは、EUでは既にNSPフリーワクチンを利用した防疫があたりまえになっており、EUが日本の今回のワクチン接種・全殺処分に否定的見解を持っているのは全世界が知るところです。

となれば、EPA交渉においてEUはこのことを議題に間違いなく乗せるでしょう。これは防疫交渉が同等性を強く要求する場だからです。

NSPフリーワクチン防疫の時代においては、「ワクチン接種清浄国」を拒否する科学的根拠が急速に薄れていっており、もはやかつてのような貿易交渉のカード足り得ない時代に入っています。

つまり、「ワクチン接種清浄国」と、「ワクチン非接種清浄国」の差がなくなって、ただの「清浄国」に一本化される時代が来るかもしれません。

この認識が日本には薄すぎます。日本の防疫学者、特に動衛研系統の人たちは海外の趨勢に眼を閉ざしているように思えてなりません。

日本国内向けの論理ではなく、海外が何を言ってくるのかを知らないでいては、必然的に貿易交渉には勝てません。

今後は貿易も防疫も同等に目配りしての論議が必要です。

それにしても「青空」さんもおっしゃっていましたが、黒船が何かも知らず、江戸湾を開けてしまい、なんの備えもない丸裸なわが国とはいったいなんなのでしょうか。

■写真 今朝の北浦の夜明け。

2010年11月20日 (土)

今の日本農民に一番足りないのは土地でも金でもない。それは危機感です

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doll24様がコメントで書かれているように、JAに期待したいという気持ちは私にもあります。というか、この自由貿易圏時代という名の「農業冬の時代」に頼れる全国組織はやはり、なんやかや言ってもJA全農であることは確かです。

私の住む地域は、全国でも稀なるJAが3分の1の出荷量しか持たない地域です。

そのために各種の農業団体が非常に発展しました。ほとんどありとあらゆる種類の農業団体が花盛りです。これがわが地域の農業をかえって強力なものにしました。

つまり、日本農業で失われかけている競争原理が働くのです。栽培に対する工夫、デリバリー・ロスの軽減、品質の均一化と高品質化、トレサビリティの強化など、他の産業分野のすべてがあたりまえのこととして行っていることを、私たち農業者もせざるをえなくなっています。

これが「行方の野菜」総体のブランド化につながりました。「ブランド」ということは、ただこじゃれた名をつければいいということではもないし、目先の変わったものを作ることだけでもありません。産地総体のバワーの底上げだからです。

産地のパワーを強めるには、生産者が自分でも「売る」、「消費者と話す」、「自分の農産物の品質を高めていく」、ということをせねばなりません。

ところがJAはそれを長年放置してきました。農民はただの「作る人」、そして売ること、消費者と話すことはJA職員がすることという悪しき分業が成立して固定化されてしまっています。

農資材も、いくつもの流通や卸を当たって見積もりを取るのではなく、JAから言われるままの値段で買ってきます。これで農民のコスト意識が目覚めるはずがありません。おまけにそれが補助金頼みならなにおか況んやです。

そして自分の農産品を売ることも、都市消費者や流通が何を求めているのかも考えようとしません。それはJA職員の仕事だからです。

こんなことを60年もやれば、農民は自分の足で立ち,自分の脳味噌で都市の流通や消費者と渡り合う気概を失くします。

私はこれをJAの愚民化政策と呼びます。ぬるま湯に漬けて、失くしたのは農民の気概なのです。

そしてJAは今や、資材業と金融業で食べるJALのような半官半民企業のようになりました。

そしてこのJAにおんぶに抱っこのようにして県や国の農政があります。今回の宮崎でも、県は系統を重視し、商系を軽視したという声を聞きました。

私の団体は県の農水課長から「味噌っかす」と面と向かって呼ばれました。その場にいた県下の有機農業団体の代表たちは皆一様に青ざめました。県の農政の有機農業に対する意識などしょせんそんな程度なのです。なぜならJAは有機栽培を扱っていませんから。

さて、TPP連日のように日本農業新聞は檄を飛ばしています。そして何度も大規模なデモをかけました

各地域からも動員で駆けつけたようです。部会には動員割り当てが来て、行く者が少ないので部会長と職員で駆けつける。お仕着せのゼッケンを付けて、デモをし、弁当と手当てを支給されて帰る。

出かけた仲間によればショボイものだったそうです。これでTPPに勝てますか?!日本農業存亡の危機だというのに、全国動員をかけてたったの3千名ですよ。かつての米価闘争の熱気を知っている世代だけに驚きでした。

今の日本農民に一番足りないのは土地でも金でもない。それは危機感です。ひりひりするような危機を感じ、それに全力で立ち向かう気概です。

JAがあるからなんとかしてくれるだろう、JAがあるからオレの世代は大丈夫だろう、そんな他人依存の体質がここまで日本農業を沈下させたのではないでしょうか。

産地間競争はdoll24様が仰せのように強まるでしょう。私はそれはいいことだと思っています。

国内の産地間競争に勝てないで、どうして外国農産物に勝てますか?

外国農産物につけ入らせないためには、各産地、各農業団体、そしてひいてはひとりひとりの農民が強くなるしかないのです。

その最も大きな足かせになっているのは他ならぬJA全農です。

2010年11月19日 (金)

TPP時代、外国は何を「武器」にして上陸してくるのか?

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cowboy様。確かに仰せのとおり貴兄の繁殖牛の分野と、私たち有機農産物と平飼養鶏は重なる部分がまったくといっていいほどありません。

もっとも大きな差は、私たちの分野が日配品であるのに対して、牛、豚は月に数回、あるいはもっと長いスパンでの出荷であることでしょう。私たちは週5日のデリバリーを組む必要がありましたが、牛や豚ではそのような必要はありません。

ですから、私たちの野菜+卵の分野はデリバリーや倉庫の協業をし易いといえます。

私が構想したのは家族農業の連合体でした。どうしても規模が小さいために難しくなっていることを、ひとつひとつ解決していくために作られました。

デリバリーや倉庫などのハード面にとどまらず、有機JAS認証に必須であるトレサビリティが統合されました。有機JASが要求する膨大な文書管理システムの維持管理は個人では無理だからです。

今、このトレサビリティ・システムは、GAPと組み合わせることで新たな展開をしています。

ご承知のようにGAPは、「第3者認証」システムです。自分で自分の農畜産物がいいものだと自己申告するのではなく、目標を定め、チームを作り、記録を保管し、開示に備え、そして定期的に第3者に見直しをしてもらって認証してもらうシステムです。

もともとEUの市場統合の過程で生まれたユーレルGAPが原型です。まさに自由貿易圏構想の落とし子のような存在です。

各国色々なGAPをもっています。私たちのグループは訳あって加入していませんが、日本ではJGAPがあります。

GAPの認証とは、おおよそこのようなものです。これは必要最低限なもので、以下の項目に付け足すことは可能です。

①農産物の安全
②環境への配慮
③生産者の安全と福祉
④農場経営と販売管理

たぶん5年先前後には、ということはTPPなりEPAなどの自由貿易圏構想が現実化する時期には、ということですが、GAPないしは、それに類する第3者認証がない農畜産品は大手流通市場では生き残れないと思います。

今「それに類する」と書きましたが、各県やJAなどの団体が勝手に解釈して作っているような「GAPもどき」はほとんど無意味な存在となります。

わが県でも県推奨品マークや農業団体が流通と独自に作っているシールなどは沢山あるようですが、残念ですがそれらは自由貿易圏の時代には恣意的なものに分類されてしまいます。

なぜでしょうか。その大部分が隣国のChinaGAP(CGAP)にすら及ばない低いレベルだからです。県やJAが往々にして考える認証は、付加価値生産しか念頭にありません。

「シールをつければ売れますよ」というわけです。そうとでも言わないと生産者が付けようという意欲を起こさないからです。

これは日本の農業市場がクローズド・マーケットであることに原因があります。つい最近まで輸出はおろか、輸入農産物も中国か、せいぜいが米国、豪州さえ想定しておけばよかった内向きの体質がそうさせたのです。

何度も言いますが、好と好まざるとにかかわらず、そのような時代は終わろうとしています。

例えば、EPAによって日本に無関税で入ってくるであろう豚肉には、まちがいなくEGAPが付いています。そのときに「県推奨うまいもん」や、知事の顔のシールなど屁の突っ張りにもなりません。

また日本の農畜産物がシンガポールなり、香港、あるいは米国などに輸出する際には、TPP体制下ではグローバルGAPと同等性認証が必要となります。

それがなければ相手国の流通に受け取りを拒否される可能性があります。要するに相手にされないのです。門前払いです。

向こうさんはドカドカ入って来る、しかしこちらは輸出が難しくなるでは、日本農業が勝てる道理がありません。

それに対して、畜産分野の意識は農産物全体の中でもきわだって遅れています。それでもBSE以降のトレサビリティの蓄積を持つ牛はまだいい。しかし養豚や養鶏はまったく手つかずの状態の所も多いのです。

正直に言って大変に不安です。私たち農業者は、TPP時代に外国が何を「武器」にして上陸してくるのか知って研究しておかねばなりません。ですが、その認識さえまだ共有化されていないのがわが国の農業の現実なのです。

2010年11月18日 (木)

小規模家族農家はネットワーク作りで生き残る 私の経験から

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「cowboy」様、なるほど、大規模経営が間違っているのが口蹄疫の教訓ですか。気分はわかります。うちなど、えばることではないが、大規模どころか零細泡沫経営です。

今でこそ2hの土地があるぜと言ってもそれはつい最近のこと。入植から20年間くらいは堂々の3反(!)経営でした。もう論外に狭いですな。北海道の農家なら、倉庫の前の空き地ていどの広さです(苦笑)。

さてこんな私ですから、経団連あたりがいう大規模でなくてはダメだ、、家族労働は趣味の農業、これからは法人経営、全国食料基地をこことあそこに作る、といった考えは、何言ってやんでぇと思っている男です。

経団連が日本の農村の現実を判っているはずがないのは当然ですが、一般の人までもが「大型化できないから日本農業はダメだ」などと言っているのを聞くと、やれやれと思います。

そんなに簡単に集約化ができたのなら苦労しなませんって。第一、和民にしても、農業に参入してくる企業でうまくやっている方が少ないじゃないですか。

確かに耕作放棄地は東京の24区くらいあるといっても、それは机上の数字にすぎません。

現実の耕作放棄地は、私は去年3カ月かけて自分の村で調査しましたが、アッチコッチに点在して、現況はシノダケで山野化してしまった斜面の土地です。よしんば、これをタダで貸す、いや多少補助金をつけてもいいよ、と言われても、ハイ使ってみましょうという農業者は少ないでしょう。

点在しているので、トラクターを移動させるだけで一日終わってしまいます。かといって、畜産も出来ない。畜産は関東近県ではこれ以上規模拡大できません。近隣がこぞって反対するからです。私もやられてひどい目に遭いました。

川南町のような入植の村という特殊性でもなければ、日本での畜産の大規模化の先行きは相当に厳しいと思われます。

となると、現況の小規模農家がどう生き残っていくかです。

このテーマは私のライフワークのようなもので、私の答えは小規模家族農家の販売力の強化と、事務局機能の統合のためにネットワークを作ることでした。

この協同による大規模化、法人化、ネット化という道は、私が10年前に創設した農業生産法人が辿った道でもありました。

農業法人は農協を先頭にして数あります。私たちが違ったのは、ただ自分だけがデカクなればいいと思う思考はなかったという点でした。

そしてそのためには、県境も平気で超えていくという広域ネットワークを作りました。私たちのグループは、地場を大切にしながら茨城-栃木-千葉の3県に生産者を拡げました。

小規模家族労働の農家のネックは、どうしても販売力、企画力が弱いことです。

また、一戸一戸の規模が小さいので、どうしても生産量が大きくならないし、安定しないのも大きな悩みでした。

都市の大規模流通に出荷をかけるためには、あるていどの「規模」というか、サイズが要ります。小規模農家ではこの量が不安定です。かんじんなモノが集まらない。

となると、初めは個人産直するしか手だてがありませんでした。

夜の8時9時に消費者のお宅に宅配したり、わずかの野菜や卵を保育園に届けてみたり、あるいはバカ高い宅急便を使って遠方の消費者に大根一本届けたりするわけです。

そのおかげで自分の農産物をアピールする能力が向上したり、自分の農場の見学や祭をする企画力はイヤでもついてきましたが。

とは言いながら、昼農作業をして、夜も配送をする毎日というのは、やりたくてやっている農業の仕事とはいえ、なかなかのものです。個人の努力では限界がありました。こんなことを十数年やって、私は自分の個人産直の限界を知りました。

ここから生まれたのが私が10年前に作った有機農産物と平飼養鶏を主体とした農業法人です。このグループはこんな機能を持っています。

●生産者の間を広域デリバリーで結ぶ。それを低温流通させる。
●統一の倉庫を作り、予冷保管を可能とする。希望によって原体出荷も可能な仕分場を作る。
●事務局を統一強化する。事務局がする主な仕事は以下です。
・受発注などの窓口業務
・作付け計画の調整
・トレサビリティの文書構築
・消費者を招いての祭、田んぼ体験、見学会、里山復興などのイベント企画
・技術交流
・統一ブランドの創出

書くと、まぁこんなことかという感じですが、けっこうそれなりにひとつひとつが難問山積でここまでやってきています。私は代表からはずれましたが、いちおうある程度の規模まで成長して、今は分社化の方向に進んでいます。

私は小規模家族労働が日本の農業の基本だと信じています。大規模化する人は止めませんが、常に借り入れ圧力や相場の波動と戦い続けねばならないでしょう。

いずれにせよ、今のまま親方JAを信じて行くのか、小規模なまま自由貿易圏時代を迎えるのか、という選択の時代になっていることを忘れないでほしいのです。

小規模は小規模なりに生き残るためにネットを組んで、共同のブランドを作ったのが私の経験です。

■写真 大根の収穫がまっさかりです。

2010年11月17日 (水)

ホイッスル・ブローワーと公益通報者保護法

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「ホイッスル・ブローワー」(whistle-blower)という言葉が英国にあるそうです。

直訳すれば、「笛を吹く人」とでもなりますか。もともと交通整理のお巡りさんが「ほら、そこ危ないですよ!ピッピピ~!」とホイッスルを鳴らすことが転じて、「危険を知らせる人」、あるいはそのものズバリで「内部告発者」、「内部通報者」と訳されています。

昨日、海上保安官I氏が自由を回復しました。I氏をいかに罪に落とそうかと、官房長官は大分考えられたご様子で、最高検に圧力をかけたり、かつての公安裁判の仲間の弁護士・高木甫氏を国選で派遣したなどと噂されているようですが、結局、警視庁も東京地検も起訴は無理ということに落着しそうです。

自業自得といえど、官房長官の「驚天動地」のお怒りは察するに余りあります(苦笑)。

さて、私は裁判に持ち込まれなかったことをやや残念に思っています。私はことの是非、真相の解明もさることながら、今回の事件のような公務員の内部告発がどのように裁かれるのかを見たかったのです。

国民世論は、尖閣ビデオの全面公開に関しては、80%を超える公開支持でしたが、一方、公務員の守秘義務違反に対しては厳正に刑事罰を与えるべきだとする意見と、いや正当な内部告発に罪はないとするふたつに別れた観がありました。

私も実は大いに迷っています。実は私は、内部告発の正当性は大いに認めつつも、しかし守秘義務違反で刑事告訴されるだろうと思っていたからです。

ですから、私は何回か前の記事で、刑法上は違法行為であろうが、その上位概念である国民主権に関わる政策決定に関する材料を与えるための「知る権利」から見れば、無罪である、という趣旨のことを書きました。

私は裁判はふたつ開かれるだろうと思っていました。
ひとつは刑法上の守秘義務違反などが問われる裁判。
そしてもうひとつは、国民有志が起こす尖閣ビデオを「知る権利」裁判です。

民主党政権は、尖閣ビデオの全面公開をかたくなに拒んでいます。中国漁船への決死の接舷、その際にあったといわれる中国船員の暴行や、海保保安官の落水などが撮影されていると言われていますが、今回の流出部分には含まれていません。全面開示が望まれます。

私は前者は有罪。後者は2010年最高裁判決により全面開示を要求する「知る権利」側が勝訴、と考えていました。

どうも私の論旨がまだろっこしく、「拙劣」だったために一部の方には「不快」だったようです。まことに申し訳ない(うそ)。

さて、これが捜査の結果、どうも流出させた時点では誰でも閲覧が可能で、機密扱いにはなっていなかったということで、「機密」には当たらないということだそうです。

司法は何か逃げていますな。そもそもこんな長期の任意での拘束などは違法スレスレですし、何がなんでも逮捕せよという「天の声」と、国民世論の「よくやった!」という声にバインドされるようにして、公判維持が無理という法廷技術論に逃げ込んだような気がします。

かつて2001年に雪印牛肉偽装事件が起きました。外国産牛肉を国産牛肉だと偽って、農水省に買い取り費用を不当請求した食品偽装事件ですが、これが発覚したのが系列の雪印食品関西ミートセンターからの内部告発でした。

この結果、この関西ミートセンターは取引を大幅に減らされ、一時倒産の危機に陥りました。ですから、このような内部告発は非常に危険を伴います。

内部告発した当事者の左遷、退職強要などの不利益にとどまらず、所属する組織の不利益にまで発展してしまいます。

ちょうど今回の事件で官房長官の意思によって、海保の長官までもが更迭となりそうなことなどがそうです。

このようなホイスル・ブロワー(内部告発者)を保護するために2006年に「公益通報者保護法」が出来ました。

その第1条(目的)にこうあります。

「この法律は、公益通報をしたことを理由とする公益通報者の解雇の無効等並びに公益通報に関し事業者及び行政機関がとるべき措置を定めることにより、公益通報者の保護を図るとともに、国民の生命、身体、財産その他の利益の保護にかかわる法令の規定の遵守を図り、もって国民生活の安定及び社会経済の健全な発展に資することを目的とする」
http://law.e-gov.go.jp/announce/H16HO122.html

この「目的」で明確にうたわれているのは、「公益」のために企業の不正行為を告発しても、解雇などの不利益を受けないような内部通報者の保護です。

ここで問題となるのは、雪印偽装事件のような明らかな法律違反ならばともかく、必ずしも「公益」かどうかの基準が明確にならない場合も多々あることです。

まさに今回の尖閣ビデオ事件がそうでしょう。ですから、一部の論者は政府の「機密」指定のほうを「公益」と見なし、I氏の内部告発を批判しています。

またこの公益通報者保護法が制定された当時は、あくまでも企業犯罪を念頭にしており、政府機関は範囲に入っていなかったようなのです。

ただし、一方で「保護される通報者」を退職者を含む労働者(公務員も含む)と定義していることから、公務員が関わるであろう行政機関も範囲に入るという読み方も可能なようです。

ちなみに、この法律が国会審議にかけられたおり、民主党は反対に回りました。その理由が今思うと微苦笑してしまいます。

当時民主党は国会で、「もっと幅広く通報者を保護すべきだ」と主張して反対にまわったのです。2009年に岡田外務大臣が、沖縄秘密協定を「知る権利」の下に調査させたことと相まって、今の民主党とかつてのそれはまったく別な政党のようです。

それはともかくとして、もうひとつの問題はそのホイッスルの吹き方です。どこで吹くのかです。今までならば、新聞社、テレビ局などへの「通報」だったでしょう。法の制定当時はネットを想定していませんでした。

今回はインターネットへの投稿でした。

報道機関という第三者の目が入ってから流出するのと、いきなり全世界に発信というのとは相当に趣を異にします。ホッスル・ブロワーの考える「正義」がかならずしも正義とは限らないからです。

私は今回の流出がネットであったことを評価する一方、危うさも感じています。機密漏洩罪で裁判となれば、争点のひとつとなったことでしょう。

しかし一方、なぜI氏がインターネットに投稿したのかはよく理解できます。彼がメッセージを託した読売テレビは、彼のメモの全文を公開せずに一部のみを切り貼りで紹介し、2時間に及ぶインタビューも未だ封印し続けています。

これを見る限り、もし新聞やテレビ局に尖閣事件映像を渡していた場合、つごうよくズタズタに編集されてしまったことも考えられます。

私がこの流出事件は、裁判にしたほうがよかったというのは、まさにここです。公益通報者の公的受け皿が日本では存在しないのです。

そしてホイッスル・ブロワーを保護すべき公益通報者保護法は判例が存在しません。つまり使われていないさびついた法律なのです。

だから、このようなホイッスルの吹き方が正しかったのかどうか、「公益」とは何か、いかにして、どこに向かって吹くのかまで含めて、とことん議論する場として裁判は有効な方法でした。

法廷技術を究めたと自慢する官房長官が、なおも「機密漏洩罪」、「公務員の守秘義務違反」と発言し続けるのならば、ぜひI氏を告訴し、牢獄にたたき込むまで努力されたほうがよろしいと愚考します。

そうすればおのずと法廷において、機密漏洩と内部告発をめぐるルール作りの第一歩が始まることになります。

2010年11月16日 (火)

TPP、心しよう、今度は本気だ。自由貿易圏構想の裏側

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民主党が自由貿易圏構想を言い始めたのはこれが最初ではありません。

元々民主党の昨年の選挙マニュフェストにはしっかりと、しかし姑息にも小さい活字で(笑)、おまけに農業の項目ではなく、「外交」の項目に「日米FTAの推進」と書かれてありました。

結局、そのときも農業界の大反対でうやむやになりました。当時は野党でしたからともかく、今はレッキとした政権党で、しかも首相自らがTPPだのEPAだのを言っているわけですから、これは本気であろうと思われます。

ある意味、「環太平洋」となっただけ、かつての日米FTAより規模が格段に大きな自由貿易圏構想に「成長」しています。

その意味、民主党政権はマニュフエストどおり誠実に実行していると言えないこともありません。ですから、農業団体のある種の本音である、「自分たち農家がこれだけ反対すれば、TPPもEPAもできるはずがない」という甘い幻想は捨てたほうが良いと思います。

民主党は自民党と違って、農民的体質も、農村に基盤を置くことも少ない政党です。むしろ都市型政党で、農水族も一握りにすぎません。

民主党政権がどこまで持つかははなはだ不透明ですが、一国の首相がEUの首脳と「交渉開始」を約束してしまった以上、これはもはや一国の国際公約とみなすべきです。

仮に民主党が政権を去ったとしも、外交公約は生き残るのです。国内公約は時の情勢次第ですか、国際公約は違います。普天間問題のようなもので、後継政権はそれに束縛されざるをえません。したがって、農業界が泣こうがわめこうが、この国家方針は形を変える事があっても継承され続けます。

むしろ自民党からすれば、内心苦い薬を民主党に呑んでもらってラッキーとほくそえんでいるのが本音ではないでしょうか。菅氏の並外れて軽いおつむが、このときばかりは自民党は頼もしく思えたことでしょう。

今後、自民が政権に復活してTPPを言い出しても、「それは民主党が言い出して決めたことだ。困ったものだ。しかし諸外国との関係上やらないわけにはいかない」とかなんとか言いながらやるのでしょうかね(ため息)。

菅首相は、このTPPがいかなる意味を持つのか、真の重みをまったく理解せずに自由貿易圏というパンドラの箱を開けてしまったのです。

ですから自民党に再び政権が移行しても、このTPP、EPA路線は形を変えて継承されます。もう不可逆です。そのことを私たち農業者は肝に銘じたほうがいい。

ではなぜ、この時期にということです。まぁ、APECで日本が議長国だったというのはあたりまえとして、その陰になにがあるのか、私は去年からずっと不思議に思ってきました。

米国の利害は農産物の大規模無規制輸出とミエミエですが、日本の利害が「輸入品が安くなる」ていどしか見えなかったのです。

答えのヒントはお燐の韓国にありました。韓国は実は去年の段階で、米韓FTAは14カ月間の交渉を経て、現在両国の国会で批准を待つばかりとなっていました。

米国のほうが、オバマ政権になったためもあり、一時足踏み状態だったそうですが、実は米国の方も一枚岩ではなく、全米自動車労組などの反対もあったそうです。

韓国は他にもEUなどと積極的にFTA交渉を持っています。それがわが国をいらだたせています。今回のAPECでも、G20をわざわざ本会議の前に強引に割り込ませてきて、TPPに対しての存在感をアピールすることに成功しました。

韓国政府が米韓FTAを締結に邁進したのは、自動車関税が原因でした。韓国のヒョンダイ(現代)自動車にとって米国市場は死活でした。そしてヒョンダイ自動車の死活は、韓国経済の死活と直結していたのです。だから、当時のノムヒョン政権は、農業部門が受ける大打撃を事前に承知していながら、締結に突き進んだのです。

米韓FTAにより、ヒョンダイ自動車は米国市場でかけられていた自動車関税をゼロにでき、一挙にシェアを伸ばす起爆剤にできると考えました。ただし、韓国農民を切り捨ててですが。

このようなFTAの動きは、ASEAN諸国と中国などの間にも見られます。このような競合する新興工業国と熾烈な市場競争をしている日本の輸出産業、ことに自動車産業にとっては、米国とのFTAは喉から手が出るほど欲しい協定だったのです。

民主党の日米FTAマニフェストの背後には、自動車産業と一体となった自動車総連があります。言うまでもなく、自動車総連は有力な民主党支持母体です。

そしてさらには、非自民・親民主の経団連内勢力であるキャノン、トヨタなどが自民党に見切りをつけたひとつの理由は、自民党の手ではいつまでたっても農業に足を取られて、自由貿易圏構想が始まらないと考えたからです。

このようにして、労働界と財界への供物に日本農業は供せられようとしています。

2010年11月15日 (月)

TPPやEPA 彌縫策とバラマキででどうかなる時代は終わった

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「青空」様がおしゃっるように、確かにTPPやEUとのEPA(経済連携協定)は日本農業の致命傷になる可能性があります。

特にEUとのEPAは乳製品、豚肉などに大打撃を与えると思います。畜産でかろうじて生き残る可能性があるのは、ブランド和牛と牛乳、効率化が極限まで進んだ養鶏くらいではないかと思ったりもします。

既に韓国がEUとのFTA交渉で自由化対象からはずしたのは、米、大豆、にんにくなど42品目であることに対して、日本は米を筆頭に、乳製品、豚肉などに及ぶ720品目を自由化対象からはずしてきました。

EUは、既に日本の自動車、医療器具の安全規格を厳しすぎると批判し、これを非関税障壁だと主張しています。米国もかねがね日本のBSE基準を緩和しろと言い続けています。

まことに自分勝手、得手勝手な言い分で、これが立場が逆だったら、「自国民の健康の保護は当該政府の崇高な使命である」くらいのことは平気でたまうことでしょう。

欧州人のよく言ってやれば交渉上手、ハッキリ言ってエゴイズムを荘重な言葉で美化する手口は、歴史的に戦争ばかりしてきた欧州人特有のもので今に始まったことではありません。見上げたイヤな奴です。

そのしたたかなEUを相手に、なにを考えたのか、「EPA交渉を来春の首脳会談をめどに開始したい」などと管首相がファンロンパイ大統領に口走ってしまうのですから、嗚呼と天を仰ぎたくなります。

実は私は、一国民としてはTPPもEPAもやむをえざるものが来たと思っています。おっと、同業者の皆さん、モノを投げないで下さい!

これだけ大規模な環太平洋経済圏が出来て、それに日本が参加をできないとなると、日本の経済は絶望的になることは明らかです。そんなことは分かりきったことなので、今更私があえて述べるほどのことではありません。

ただ、一農業者として言うなら順番が逆だろうと思います。

民主党は未だ日本農業がどのようにあるべきかを提示していません。日本農業の現状をどのように変えていくのか、そのイメージをまったく議論しようとはしてきませんでした。これこそが問題なのです。

民主党政権は、「日本農業をこうしたい。だからこのような農政をする。そしてTPPに耐える農業を作る」という議論を素通りして、「生活が第一」という小沢流政治で農業政策をしてしまったのです。

それは、当時の小泉改革の新自由主義の行き過ぎが、農民の「これ以上改革が進むのならば、わしら小規模兼業はお終いだ」という危機感を招き、それを読んだ小沢氏の伝統的自民党農政への回帰でした。

自民党農水族も既に2世、3世議員となり、地盤を農村に持ちながらも、日本のムラの泥臭さや、複雑な心情を肌でわからなくなってきていました。

4品目横断政策を自民党の石破大臣が提唱したときには、私は内心、必要な政策だが、たぶん農民の総スッカンを食うだろうなと思いました。案の定で、減反緩和策を含めて、選挙で自民党は手痛いシッペ返しを食うことになります。

わが村では、あの額賀福志郎氏が、名もない新人の村長に敗北するというジャイアント・キリングをされてしまい、票を入れた当の村人がたまげたほどです。

民主党の農業政策は、篠原孝氏(現副大臣)が農水大臣となっていたら様相が変わった可能性がありますが、小沢氏の流れに乗った赤松氏がなったために、小沢流の「生活が第一」農政が始まりました。

つまり、あの悪名高き戸別農家所得補償政策です。

これについて私は、この政策の日本で最初の提唱者であった野党時代の篠原氏自らから直接に議員会館で長時間レクチャーしていただきました。

詳細は別の機会に譲りますが、氏がモデルとして描いていたドイツ型の所得保障方式による農業支援策と、現実に民主党政権下で実施された戸別補償政策はまったく別物でした。

なぜでしょうか?そう、ドイツと日本の農民数が違うのです。日本は戸別補償を受け取る農民数(専業も含む)が極めて多いのです。ここが篠原氏の提唱する戸別補償制度が、農業強化に向けての政策誘導とならずに、単なるカンフル剤的バラ撒きに終わった最大の原因でした。

現実に村でどのようなことになったのでしょうか?2010年度はまず米作農家からということで、1hで15万円が支給されました。これでは多少の補償にはなっても食えません。

しかし他人に貸すよりましです。水田の年貢、つまりは借地料はわずか1hで数万円にしかなりません。そこが整備されているか、浅いか、深いか、谷津か平野かでも違いますが、たぶん10㌃あたり数千円がいいところでしょう。

ならば、数万円もらうより、戸別補償金を15万もらって、捨て作りをしたほうがましということになります。

結果どうなったのか。私の地域で大型稲作に挑もうとしていたやる気のある農業者が立て続けに、田んぼを返してくれと言われ始めました。今年の収穫まではなんとかなっても、来期の交渉はたいへんだ、3分の2になりかねないと、20hの水田にチャレンジしている仲間はこぼします。

では貸す土地所有者側も農家戸別補償を必ずしも欲しいのかといえば、そうでもないのです。この制度を利用するには煩雑な事務手続きの山と格闘せねばなりません。その上、いったんやってしまえば、今度は将来宅地に転用しようと考えてもほぼ不可能です。

ですから、いつまでも村役場には「戸別所得保障政策の参加農家募集」のポスターが虚しく貼られ続けていることになります。

このような水田を貸す側も借りる側も中途半端なことになったのは、ひとえに「農民」という名の第2種兼業農家、村の農水課の美的表現を使えば「自給的農家」の数が、本業の専業農家数より上回るという日本独特の現象があるからです。

財源難で、限られた枠でしか戸別補償が支給できない、しかし、それを受け取る農家数は極端に多い、これでは薄く広くというまさにバラ撒きになることは必然でした。

農民は要するに、かつての自民党農政の復活を望んでいるだけです。旧自民党農政の改革派であった石破農政を嫌ったのは、民主党戸別農家所得補償金をほしかったというより、今までのやり方が否定されて底無しの奈落に転落するようで怖かったのです。

民主党政権はこの1年間、まったく農業において積極的議論を構築する努力を怠りました。その上事業仕分けとやらの政治ショーで農業関係をバサバサ切りまくりました。小沢元幹事長は、仇敵の野中氏が会長を務めるというだけで土地改良事業を半分にしてしまったほどです。

まぁ山田氏が口蹄疫でそれどころではなかったということは理解しています。たぶん村で一番理解しているのは、この私です笑)。

ならば、なんの議論もなく、空き缶のように軽い菅首相にTPP交渉開始などというアドバルーンを上げさせるべきではなかった。

反応はアレルギーのように襲ってきました。「日本農業新聞」、別名「日本農協新聞」は政党機関紙のように連日1面に大きな活字で「TPP阻止!」を叫んでいます。

もうこうなっては、まともな農政議論もへったくれもありません。

農業は伝家の宝刀の票田をかざして民主党農水族に圧力をかけています。山田、赤松、篠原各氏までもが、連日厳しい政権批判をする有り様です。農村部に地盤を持つ議員がTPP推進などと言ったら最後、次の選挙はありませんから。

民主党は親代々の地盤がないので、石破さんのような短期的に農村の反発を招いても平気というしぶとさがありません。もうパニック寸前で、わが選挙区の石津さんなども火消しに懸命です。

そう言えば、5年前にもコメの部分的開放に伴って5兆円もの税金が投入されました。なにに消えたのかと言えば、あの毒米のMA米、果ては農業と関係あるのかはなはだ疑わしい道路、公園といったハコものでした。

鹿野大臣は旧自民党農政の体現者みたいな部分もある人ですから、管首相も微妙な方針転換を計っているのかもしれません(いや、ないな・・・)。

となると出てくるのは、TPP対策費の名目での、農村をなだめる金のバラ撒きでしょう。そしてこれもわけの分からないままどこかに消えていくのです。

今ほんとうに必要なのは、金ではない、農政のイメージなのです。

民主党農政はどこがどうという以前に、まったくその議論をしてきませんでした。そして経済界に押し切られるようにしてTPPを開始する号砲を鳴らしてしまったのです。

いったん政権が打ち上げたTPPの号令は、もういくら農業界が反発しようと変わらないでしょう。時間の問題です。

順番が違います。まず日本農業をどうするのか、どうしたいのかの議論を早急に始めるべきです。彌縫策とバラマキででどうかなる時代はとうに終わったのですから。

■写真 わが家の上空を飛ぶYS11。国産初の旅客機です。

2010年11月14日 (日)

宮崎口蹄疫事件 その139 口蹄疫対策検証委員会はほんとうに「第三者機関」か?

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「口蹄疫対策検証委員会」が8月5日から始まりました。これは山田前大臣の強い意向によって実現したもので、「第三者機関」と呼ばれているそうです。

これは口蹄疫の発生前後からの国・県の対応、殺処分、ワクチン接種、予防的殺処分等の防疫の対応を検証し、今後の危機管理体制作りに活かしていこうというものです。

趣旨はまったく立派です。異論をはさむ余地がありません。しかし、問題なのはこの「第三者機関」と称するものがほんとうに第三者なのかという疑問が残ることです。

メンツを見ていきましょう。学識経験者が5名、そのうちの2名が動物衛生研究所(動衛研)の現役研究者である坂本研一氏(研究管理監)と、氏の元上司にあたる村上洋介氏(動衛研前所長・現帝京大学教授))です。

つまり、元上司と部下が検証委員会にそっくり入っているわけです。ここになんとも言えないうさん臭さを感じてしまいます。

というのは、この検証委員会で検証せねばならないことの中には、とうぜん口蹄疫防疫対策の司令部的役割を果たした動物衛生課と、牛豚疾病等小委員会(疾病小委)の対応が含まれているからです。

思えば、この疾病小委の存在自体が動衛研の大きな影響力下にあります。専門委員、臨時委員を合わせて8名のうち実に5名までもが動衛研の現役研究者とそのOBで占められているからです。

なかでも疫学調査チームの座長を務めた津田知幸氏は、動衛研の海外伝染病担当の研究管理監を経て、現在はナンバー2の企画管理監をしている人です。

そして検証委員会の事実上の座長格である村上洋介氏は、先にも述べたように動衛研では津田氏の直属の上司である前所長でした。

また、検証委員会のメンバーである坂本研一氏も、津田氏が管理監に昇進した後任の海外病担当研究管理監です。

つまりは、動衛研の前元所長の村上氏は、直系の部下であった津田氏の仕事を、津田氏の現在の直系の部下である坂本氏と共に検証するということになります。

動衛研の元上司と部下がふたりして、動衛研が8人中5名を占める疾病小委の対応を「第三者」として検証しようということになります。

失礼ながら笑ってしまいます。「第三者機関」に当該対象のライン関係が持ち込まれることは、本来あってはならないことです。

こういうのを、動衛研という狭い世界では何と言うのか知りませんが、世俗では出来レースと呼びます。

もちろん村上洋介氏は日本の口蹄疫研究の権威であり、OIEでも要職を歴任されてきています。その学識を疑うわけではありませんが、ならばいっそうのこと李下に冠を正さずの姿勢をとられたほうがよかったのではないでしょうか。

たぶん、この人事自体に農水省物衛生課の意思が働いていると考えるほうが自然でしょう。動物衛生課は、官僚の自己保身の本能として、自分のとった政策を批判されたくはないと強く思っているはずです。

できるならば毒にも薬にもならない疫学報告書を、国民の誰もが知らないうちに農水省サイトでアップして、いちおうパブリック・コメントを募り、聞くふりをしてお茶を濁して手仕舞にするのが一番だと考えているはずです。

実際、5年前の茨城トリインフルエンザ事件はそのようにして終わってしまいました。

ですから、この官僚のなぁなぁ体質を退けて検証委員会を作ったことの裏には、山田前大臣の政治力があったと思われます。このことは素直に評価したいと思います。珍しく民主党を褒めますが、自民党農水族にはできないことです。

私としては、弁護士郷田信郎氏、消費者団体連絡会の前事務局長である神田敏子氏、NHK解説委員の合瀬宏毅氏、日本獣医師会会長の山根義久氏などのメンバーが入ったことが、動衛研派閥のカモフラージュに終わらないことを祈るばかりです。

さて、この検証委員会は非開示で行われます。議事録は要旨しかでません。発生農場の個人情報の保護が理由だそうです。しかし現実には、第6例などは今まで好奇の目でバッシングを受けており、むしろ正確な情報の開示こそが望まれているはずです。

ジャーナリストや消費者団体代表、弁護士なども参加しているわけですから、この議事録の完全公開を要求して頂きたいと思います。

既に検証委員会は最終とりまとめの段階に入っています。ぜひ、農水省の都合のいい報告書ではなく、何が議論され、何が問題となったのかの詳細な開示をされんことを望みます。

2010年11月13日 (土)

宮崎口蹄疫事件その138 初動処分における県の閉鎖性とは

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この間、「なぜだろう、なぜかしら」という流れで口蹄疫事件を考えてきています。

そのひとつにやはり挙げられるのは、誰しもがそう言っていますが、やはりあの初動の処分の遅れです。これがなければ、そもそもこの災害自体は、10年前をやや上回るていどの損害で済んだかもしれません。

診断確定まで遅れたということは、今まで何回も書いてきましたので今回は触れません。

問題は動衛研で確定した後の24時間で殺処分し、72時間以内に埋却し切れていないことです。

岡本嘉六先生の作成された処分までの日数のグラフ(下図)を見て下さい。
(典拠・岡本嘉六・鹿児島大学教授「流行の中間総括」による)

Photo 縦軸が戸数、横軸が時系列です。棒の青い部分は1日~3日間以内に処分されたもの、黒が4~7日間以内、黄色が8~14日以内、そして赤が14日以上のものを現しています。

問題なのは、それほど処分頭数が多くなかった4月の確定直後から既に黒い色、つまり4~7日間をかけてしまっていることです。

次に4月28日以降、豚にも感染が拡がったわけですが、その処分が3日以内だったのは最初だけで、みるみる2週間かかるようになり、やがて5月中旬には赤い2週間以上の割合が大きく占めるようになります。

このことは家畜伝染病防疫指針にも想定されていたことで、指針にはこのような記述があります。家畜伝染病防疫指針についてはこちらのPDFからどうぞ。http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/katiku_yobo/k_bousi/pdf/fmdsisin.pdf

「(3)-3 殺処分において複数の畜種で発生があった場合には、原則として、豚の処分を優先する」。

しかし現実にはご覧のとおりです。豚の処分に要した日数は黄色と赤がほとんどを占めています。

一方ウイルス制圧に成功した地域もあります。えびの市は処分まで各3日、0日、1日、1日で処分完了しています。西都市でも各3日、1日、3日、13日、6日、2日、10日、1日で処分を終えています。

また都城市では3日でした。宮崎市では各2日と1日です。日向市は2日でした。

これを見るとふたつのことが判ります。

●ひとつは児湯郡の初動処分が、他の地域と比較しても非常に日数を要してしまったこと。
●今ひとつは、防疫指針(3)-3にある「複数の畜種で発生した場合には、原則として豚を優先する」という指針が守られていなかったということです。

今、検証委員会では防疫指針や家伝法の見直しが進んでいますが、見直しうんぬんの前に防疫指針が「守られていなかった」ということを指摘しなければなりません。

特に児湯地区の処分は、知事自らが指揮をとったと言われており、この処分の遅れの原因とされてもいたしかたないでしょう。

検証委員会の中間報告「項目⑧早期の殺処分・埋却等のあり方」は、この初動処分の失敗の原因をこう述べています。

●「問題点・・・当初県は、県の獣医師(*家保獣医師)で対応しようと市、民間獣医師を活用しようとしなかったために、作業が円滑に進まなかったのではないか」。

●「改善方向・・・都道府県は日頃から,獣医師等と連携して、作業に習熟している民間獣医師の能力を十分に活用できるようにしておくべき」。

初動制圧の失敗はすなわち処分の失敗です。家保のみならず、県の事務職員までもが駆り出された結果、現場で人数だけ足りていても、作業に習熟した人間がいないという事態がひんぱんに起きました。

NHKで放映された「クローズアップ現代」の特集番組でも、逃げる豚をてんでに追いかけ回す県職員の姿が映し出されていました。

失礼ながら県の一般職員は論外として、家保の獣医師より、日常的に牛豚を往診して診ている民間獣医師のほうが大型家畜の扱いに習熟しています。

また民間獣医師のほうが土地勘があり、どこそこの誰の牛、豚が何頭いて、既往症は何が出たのかということもおおよそ頭に入っています。民間獣医師と共済の獣医師のほうが、家保よりはるかに現場を熟知していると思われます。

初動において、なぜかこの民間獣医師などの協力を得なかった、というのが大きなミスです。

つまり、現場を知らない家保と、ましてや手伝いにもなったかも疑わしい(*ただし埋却要員としては有効)一般県職員だけを処分に投入した結果、このような無残な結果になったといえます。

ましてや指揮官が素人の知事です。このような結果は出るべくして出たのです。

このような県の官僚的閉鎖性が、一点の火を燎原の火と変えてしまったと言っては言いすぎでしょうか。

■写真 庭の欅の大木。入植10年目記念で植えて、もはや大木に。落葉が始まっています。画面の周囲をソフトホーカスで撮ってみました。

2010年11月12日 (金)

宮崎口蹄疫事件 その137 なぜ清浄性確認の過程で血清学的抗体検査をしなかったのか?

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清浄国復帰に際して、OIEは血清学的抗体検査をすることを義務づけています。

私は寡聞にしてこれを「やった」という話を聞きません。やるという話は聞いていたのですが、やったのでしょうか。

現在「清浄性が確認された」ということで、とうに移動制限も搬出制限も解除されています。牛の競りも始まっていて、他県に搬出され始めています。

そのこと自体は現地にとって幸いなことですが、万が一ウイルスが潜伏していたらどうするのでしょう。

現地のS獣医師はワクチン接種して殺処分した家畜を、家畜防疫員が写真だけ撮って採材することなく終了させていたと話ています。

ということは、豚はキャリアになりませんから、少なくとも牛に関しては潜伏していた可能性があるわけです。

この恐怖があるので、終息宣言後に発症の疑いが出た時には、関係者が皆震え上がりました。

当時はすでに堆肥のウイルスの対策でてんてこ舞いだったのは理解できるのですが、かんじんな検体検査をしないとなると火種隠しをしているのだろうかという疑問が湧いてきます。

というのは、当時はすでに移動制限解除⇒清浄性確認の日程がスケジュール化されており、そこから逆算するようにして防疫活動をしていました。

当時から私はそのように焦るのはよくない、ワクチン接種区域の外縁までふくめた徹底した抗体検査をするべきだと書いてきましたが、現実にはスケジュール優先のまま終息宣言となってしまったわけです。

ところで、私が宮崎口蹄疫事件で常々おかしいと思っていることは、「政治」が防疫より優先していることです。

県有種牛の時には、畜産の関係者なら誰しもそう思いました。県畜産事業団にウイルス侵入されたこと自体がありえない大失態ですが、それをまるで救済するように知事が「特例」を要求し、赤松大臣までもがそれを認めてしまうに至っては、家伝法もクソもありません。

これはそれまでの国の出遅れを質草にとられて、特別措置法に対する県の対応の軟化をねらった政治的取引以外の何ものでもありません。ここでも「政治」が優先してしまっています。

知事が行政官としてではなく、政治家として動いてしまっています。後に知事は盛んにワクチン接種・全殺処分は間違いであると山内一也先生の論説を引き合いに出して力説していますが、それは出し遅れの証文というものです。

私もワクチン・全殺処分には大きな疑問を持っていますが、行政官がいったん了承して方針化したことを、後になって「あれは心ならずもやったことだ」というのは責任転嫁というものです。

殺処分をされた農家に、「あれは山田が悪い。オレは悪くない」と言っているようなもので、非常に見苦しい。了承した以上は、政治責任まで取りきらねばなりません。

終結宣言をあらかじめスケジュール化して抗体検査を省いたのも、現地を落ち着かせる、被災農家に希望を持たせるということも当然あったでしょうが、知事や大臣の人気取りがなかったとは思えません。

私は清浄化性確認の過程で陽性が出て当然だと思っています。むしろ皆無なほうが不思議です。潜伏している、あるいは発症しても見逃している、キャリアになっているなどのケースは当然あってしかるべきです。

韓国の今年の発生では発症しては終息し、終息しては飛び火することの繰り返しでした。清浄性確認とはそのようなものなのだ、と覚悟したほうがいいのではないでしょうか。

私には「ここで見つかったら一からやり直しだ。だから今は検査しない」という事なかれ主義があったように思えてなりません。

知事は退任後に再び発生がでたら、どのような責任を取るつもりでしょうか。

2010年11月11日 (木)

宮崎口蹄疫事件その136  「ワクチン接種10㎞」はいくらなんでも乱暴だ

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ワクチン接種の是非は別として、口蹄疫特別措置法が出来、即日施行され、そしてワクチン接種が5月22日に早くも開始されるという流れは、本当にめまぐるしいものでした。

口蹄疫特別措置法についてはこちらからご覧ください。http://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/katiku_yobo/k_fmd/pdf/tokusoho_gaiyo_0618upd.pdf

法律というものは必ず周知期間というものがあって、その間に不満や疑問を出してもらって、それを丁寧にヒアリングするのが普通の法律施行のあり方です。

施行と同時に実施というのはいくらなんでも乱暴です。もちろん言うまでもなく、その理由は可及的速やかにワクチンを打って感染をくい止め、その間に殺処分をせねばならない焦燥感が防疫当局にありました。

しかし、この焦りが後々まで特に牛農家にしこりとして残ったことは確かでしょう。何がなんだかわからないうちに、感染がどこから来たのか、どこまで何が原因で拡がっているのかといった重要な情報も満足にない環境で、法律が出来ましたよ、これであなたの家畜を殺す法的根拠ができたので、ワクチン打って殺処分させて下さいでは、はい納得しましたという方がおかしい。

そしてその時に唐突に飛び出したのが「ワクチン接種10㎞」でした。ワクチン接種するということは、すなわち殺処分するということですから、この範囲にかかった農家はたまったものではありません。

そもそも「ワクチン接種10㎞」の科学的根拠はどこにあるのでしょうか?誰が言い出して、疾病小委員会でも検討されたのでしょうか?

5月18日に疾病小委員会は開かれています。そこで今回の事件のエポックとなる「ワクチンの使用が検討されるべき時期にきている」という答申が出てきます。しかし同時に疾病小委は、「その使用は慎重にされるべきである」という付帯を付けています。

疾病小委は「ワクチンをやってもいいよ。しかし、慎重にやりなさいね」と言っているわけです。

ところがそのわずか4日後に実施されたワクチン接種・殺処分は、いきなり「ワクチン接種10㎞」を実施し始めるのです。誰が、どこで、どのような手続きで政策決定したのかまったく判りません。

これは修辞疑問ではなく、ほんとうに情報がないのですから困ったものです。おそらくは農水省消費・安全局動物衛生課と、動物衛生研究所の派閥の誰か(たぶん寺門氏でしょうが)が協議したのでしょうが、まさに不透明の限りです。

もうとっくに忘れてしまったようですが、民主党が野党時代に言っていた「政策決定過程の透明化」がないがしろになっています。

こんな「識者に聞きました。決定したのは専門家です」という言い逃れに使われるだけなら、疾病小委員会など初めから作らねばいいのです。ここまでコケにされて疾病小委の人たちは怒らなかったのでしょうか。

それはさておき、韓国ではすっきりと殺処分の範囲は決められています。初動において半径500mです。

初めからそう決めておき、それに対する補償を5分の4などとケチイことを言わず、全額補償とし、休業補償などの再建費用まで視野に入れておけば、財産権の問題も含めて初動が取りやすかったと思われます。

それをまさに泥縄的に、口蹄疫が起きてから新法を作る、作るに当たっては現地農家の意見も聞かない、そして即日施行、あげくに疾病小委に諮りもせずに「ワクチン処分10㎞」と勝手に決めてくる、これで不満が残らないほうが不思議です。

このようなことは、確かに切羽詰まったところでのやむをえない判断であったというのは分からないでもありません。しかし、このようなことを「これだけが正しかったのだ」と言い、うやむやにしていくのなならば、今後口蹄疫が出ても潜行してしまうかもしれません。

なぜなら、「口蹄疫らしき家畜が出ました」と申告しようものなら、最悪の場合半径10㎞まで全殺処分される可能性があるからです。この恐怖は全国の畜産農家にしっかりと焼き付けられました。怖くて言い出せない。

自分だけのことならまだしも、ひとつの地域の畜産業を丸ごと壊滅させることになるわけですから、大いに悩むでしょうね。

私の経験したニューカッスル病の時は、届け出法定伝染病であるのに、ほとんどの農家が家保に届け出ず、夜に死んだ家畜を焼却して埋めていたと地元獣医から後に聞きました。

口蹄疫は2週間ていどで自然治癒してしまいます。致死率も非常に低い。それを発見した農家が隠蔽することも可能です。言い出したばかりに近隣の同業者から恨みの的になるより、そう考えてもおかしくはありません。

このようにして一度、発生が潜行してしまえば後は気がついた時には、地域丸ごと蔓延していたという悪夢となるかもしれません。

そうならないためにも、おかしいことはおかしいと言い、後の教訓として共有化していかねばなりません。単に届け出義務の厳罰化だけすればいいというのでは片手落ちです。

■写真 わが家の郵便ポスト。こう見るとまるでアイビーでも絡んでいるようですが、ただのカラスウリです(笑)。

2010年11月10日 (水)

宮崎口蹄疫事件その135 なぜ「早期出荷」を認めてしまったのか?

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かねがね、この口蹄疫事件で不思議に思ったひとつに「早期出荷」があります。

移動制限や搬出制限を実施しており、殺処分のまっ最中の地域を通って早期出荷を認めています。

しかも5月31日から早期出荷が行われたのですが、その時点ではウイルスがウヨウヨまだ存在していたわけです。この感染が蔓延している移動禁止区域と搬出制限区域を通過して出荷させるという非常識な政策です。

宮崎県の地理からいって、児湯には南北に走る国道10号線という幹線ルートがあって、そこを通らないとどこにも抜けられないわけです。北と南で大きな川にはさまれていて、東西は海と山です。

この不便な地理的条件がある意味幸いして、他県に感染がいくことが妨げられたと思われます。もし児湯が交通の要衝で、高速道路が走っていて、えびの市のようにインターチェンジまであったらとんでもないことになったでしょう。たぶん九州一円に感染が飛び火したのは間違いないはずです。

ですから、えびの市に第7例の大型農場から飛び火したときにはドキッとした関係者も多かったのではないでしょうか。

私が経験した20年前のニューカッスル病などは、関東平野を瞬く間に席巻していきました。今回は平野部での伝染病でなくて、不幸中の幸いでした。

それはさておき、屠場に辿り着くためにはこの国道10号を使用することになります。この国道を利用する屠場はかなりの数になるはずです。

ウイルスが蔓延している制限区域を通過させて、早期出荷させるのならば、そもそも移動制限や搬出制限をする意味自体がありません。この時期は、絶対に家畜を動かしてはならない、これは防疫の鉄則なはずです。

それがあっさりと「特例」で認められてしまいました。その上、西都市や都城市に飛び火した後も依然として、移動制限区域内の屠場の稼働を認めています。

この「特例」を6月13日の疾病小委員会は認めてしまっているわけですが、その根拠がわかりません。「よく消毒すれば出荷できる」のなら、そもそも殺処分などはやる必要がないではないですか。

結果的に、屠場の能力が早々と限界に来て沢山の家畜を処分できなかったために、多数の家畜移動トラックが押し寄せることはなかったのが幸いしました。

そしてこの早期出荷もなんとなく立ち消えになってしまいました。やった理由もわかりませんが、終わった理由もまたうやむやなようです。

あのとき早期出荷で処理された肉は、たぶん今でも冷凍されたままで保存されているはずで、商品になるはずもありません。

万が一感染家畜の肉が混ざっていた場合、ぞっとします。たぶんほとぼりが冷めるのを待って破棄することになるのでしょうが、こんな危険を冒してまで何をしていたのか皆目理解できません。

2010年11月 9日 (火)

「デイリーマン」誌を入手しました!

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「北海道」様 から教えて頂いた「デイリーマン」をようやく入手できました。もちろん関東では普通に売っていません。北海道の札幌と帯広に会社があるようです。直接に電話をして取り寄せました。

「PIGジャーナル」誌にしかり、自分の専門外の専門誌を読むのは楽しいものです。そこにはまったく違う世界があります。

裏表紙を見て自動哺乳装置というのはそうかこうなっているのかとか、大型飼料給餌機の宣伝を見て、トラクターが牽引するんだとか、私のショボイ養鶏ではまったく縁がないものばかりで、眺めているだけでも面白いですね。

たぶん「北海道」さん(コメントありがとうございます!)の地域ではこんなデカイ機械を使っているんだろうな、こういう畜産もいいなぁ、オレは奥の細道に入ってしまったなぁ、などと思ってしまいました。

さて、この「デイリーマン」11月号の特集は口蹄疫です。私のブログによく登場していただいている広島大学名誉教授の三谷克之輔先生と、北海道を舞台に活躍をしておられる畜産コンサルタントの瀬野豊彦さんの座談会が載せられています。

詳しい紹介は次回からにしますが、一読して「POGジャーナル」誌とのあまりの違いに驚かされます。

たとえば冒頭の瀬野氏はこう言います。

「農場で飼育される家畜の全殺処分という処置にたいへん疑問をもっています。ことに酪農とか、和牛繁殖経営では、ここの農場は今日まで親子数代にわたって経営をきずいてきた(略)それが一瞬にして農場から家畜がいなくなってしまう」。

これと同様の声は全国の農場経営者にも強いと、瀬野氏は言います。

「農場ごとの家畜の抹殺に対して非常に強い疑問」が九州各地や全国の農場経営者からでていると言います。

政府のとったワクチン接種・全殺処分方針に対する、温度差という言葉ではかたずけられない養豚農家と牛農家の姿勢の違いを再認識させられた思いです。

今回の口蹄疫の検証は、養豚からだけ見ていても理解できません。また逆に牛関係から見ていても理解ができないでしょう。

しかし、現実には養豚関係者の組織的緊急対応が政府・山田大臣に届き、結果功を奏したわけですが、その影で牛関係者の言葉に出来ない思いもまたあったのではないかと思われます。

一方、感染拡大期において報道されるのは圧倒的に牛関係が多く、復興期でもまたそうです。養豚は防疫対策の主導権を明らかに握っていたにもかかわらず、ここでは逆に牛の影に隠れるようになっているように見えます。

そして、宮崎県では「PIGジャーナル」誌で現地養豚家が言うような、畜産王国・宮崎といっても、それはまず牛であって、豚は二の次であり、県の対応もまたそれに準じているという不満も、複雑な現地感情を育てているようです。

私は、いったんこのような「ねじれ」を脇において、牛関係者がなにを考えたのかを「デイリーマン」誌を参考に探っていきたいと考えています。

■蛇足的追記 「通りすがり」氏の再反論を24時間待ちましたが、ないようなので、待つことを打ち切ります。私としてもこんな不毛なことは続ける意味がありません。

2010年11月 8日 (月)

白か黒しかない思考の貧しさ

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この人、私を挑発してなにが楽しいのかな?「通りすがり」という人は、今度は私のブログ全体に対して唾を吐きかけてきました。

今度は私の口蹄疫記事そのものを、「評論家ぶった態度」とか、「一貫性のなさ」とか、「稚拙で拙劣」とまでおっしゃる。言いたい放題とはまさにこのことです。

たいした御仁だ。どこのどなた様でしょうか?以下彼のコメントを貼り付けます。

>西山事件くらいあなたの講釈を聞かずとも存じております。機密漏洩と情報開示は別次元の問題です。

この問題だけでなく、あなたには時節に乗って持論をくるくると変えていく一貫性のなさを感じます。

東国原知事を批判してコメントで叩かれると謹慎して、今度は東国原知事や宮崎の方に
おもねるような記事を書き、現役養豚家さんに反対の立場ならば、反論すればいいものをその勇気がないのか持って回ったような言い方をして我こそは口蹄疫に関しての評論家のような知識人ぶった態度を取る。

その思考方法が極めて稚拙で不快です。

実はもう尖閣問題はふれないで口蹄疫に戻ろうと計画していたのですが、口蹄疫に対する私の態度までこうまで言われては、、私の人格が疑われます。尖閣問題はとりあえず置いて、口蹄疫について書きましょう。

■口蹄疫に対する私の「一貫性のなさを感じます」だそうです。そのとおり、一貫していませんよ。それがどうしましたか? 私は評論家でもなく、大学教授でもなく、ただの畜産農家だから「一貫性がない」のです。

私はこの口蹄疫事件を当初から支援してきました。それは別にあなたが言うような「国家観を追求する」ためでもなく、「知識人」の知識欲を満足させるためでもなく、純粋に現地の被災農家を助けたかったからです。

なんどとなく書いていますが、私は3回も大きな伝染病を経験して、この手で自分の家畜を殺処分にしたことすらあります。この苦痛は誰よりも、頭ではなく肉体的に理解できるつもりです。一貫してここが私の原点です。

その私に「評論家」と言いますか・・・。ため息が出ますね。最も私と遠い立場だ。

この「通りすがり」という人が、どこまでこの口蹄疫事件を追ってきたのかわかりませんが、情報は当初から限られていていました。

ほんとうに必死になって現地で何が起きているのか、どんな事態が進行しているのかの情報を探したものです。その中で「宮崎甲斐」さんや、cowboyさん、「一宮崎人」さん、「北海道」さん、「山形」さん、そして該博な知識をお持ちの「りぼん」様などに助けられるようにしてやってきました。

その意味で、私のこのブログは私のものであってそうではありません。コメント欄の皆さんの声、情報まで含めて、「私のブログ」なのです。

しかし、いったい「通りすがり」という人は、この中で何を見てきたのでしょうか?

■たしかに私は「現役養豚家」さんに再反論を回避しました。なぜか?その理由もなんどとなく書いたはずです。

まるで私が尻尾を巻いた負犬のようにいいますが、私は単純な討論では、勝つ自信がありました。つまり口蹄疫対策で、ワクチン接種・全殺処分が正しいのか、それともそれ以外のマーカーワクチンを使った方法もあり得たのか、です。

そのことについての議論ははいずれやることになるでしょう。ただ、「今」現在ではない。

私が「現役養豚家」さんの出して来た情報で驚いたのは、日本養豚協会と、JASVの果たした役割を初めて知ったからです。

私はそれまで、動衛研の派閥のボスである寺門氏と、消費安全局が中心となって山田大臣を巻き込んでいったと解釈していました。そしてそれに一部の業界団体の「圧力」があったと思っていました。

しかしもたらされた情報によれば、そうではなく5月段階で日本養豚協会が山田大臣を動かし、現地の宮崎養豚生産者協議会までが根回しをしたところで、いわば養豚関係団体の総力を上げての取り組みがあって、このワクチン・全殺処分方針が出てきたことを知りました。

そしてJASVの獣医師の5月GW中の緊急現地支援も知りました。この緊急支援がなければ、もっと深刻な事態に立ち至ったことでしょう。

■議論で「勝つ」ためには、それが唯一の目的ならば、そのような自分にとって不利なことは無視すべきです。私のように「そうなんですか・・・、それは立派な対応でした」などと言わずに黙殺しておけばいいのです。

私がこの方の言うように議論こそ命の評論家だったら、たぶんそうしていたでしょう。しかし私は、現地被災農家支援と、今後二度と宮崎の悲劇を繰り返さないためにこの記事を毎日半年書いてきたのです。

それが私の畜産農家としての意地であり、誇りでした。

ですから、まず現地宮崎の養豚関係者の直の声を聞き、彼らが何を見たのか、何を怒ったのか、泣いたのかを知りたく「ピッグビャーナル」誌座談会特集を組みました。

これが私の流儀です。空中戦をしない、議論のための議論をしない。農家としての視点を忘れない。だから「現役養豚家」さんも同志であり、仲間なのです。

ところが「通りすがり」氏は大型掲示板特有の口汚いバトルが楽しみだったらしく、がっかりしたわけです。

ご希望にそぐえず残念でしたが、畜産農家は望みは一緒です。伝染病のない農場です。その目的がひとつであり、そして互いの立場を理解すれば、安易な議論は慎むべきです。

それと誤解があるようですが、「現役養豚家」さんとは近所ですし、メールでよく情報交換をしていますよ。むしろ仲がいいくらいです。ですから、別に彼と討論するのは「勇気」などいりません。「もってまわった」言い訳もいりません。

むしろ私は、彼に彼のブログで反論文を書かせてほしいと提案したほどです。ただ、この時期にやり合うべきではないと互いに控えただけです。彼もそのあたりは理解しているはずです。まったくわかってないな、この人は。

■しかしなんで、東国原知事の自主謹慎騒動まで引き合いに出すのですかね?もうほんとうに困った人です。あなたには人間の気持ちなんて分からないのでしょうね。お気の毒な人だ。

あの当時、私は知事のやり方や県の取ってきた防疫方針に非常に批判的でした。特に初動の失敗は、同情的な部分もありつつも、やはり致命的失敗だと思っていました。

菰田さんに対しても非常に問題があると思っていました。だから思い切って、批判記事を乗せました。それまで言いたくても渦中の人を批判するのはフェアでないと思ってきたからです。

■そしてもうひとつ宮崎県批判を手控えていたのは、口蹄疫拡大の原因が宮崎県の防疫体制の不備のためでもありますが、それは他の県にも共通することだからです。鹿児島と北海道を除けば、どこの県でも似たりよったりだからです。

ならば、それはむしろ広域防疫をせねばならない国家としての口蹄疫対策そのものの不備であり、ひいては国の防疫方針の不備にほかなりません。

政府対応が全面的に正しかったと言えるでしょうか。4月から5月初旬までの赤松大臣時期では無為無策、そして山田大臣は全殺処分方針でした。いずれにも私は反対です。

この国と県との問題になると、直ちに白か黒かという議論をする人たちがいます。というか、その方が圧倒的に多い。養豚関係者の多くは、東国原知事を容赦なく批判し、山田大臣を全面支持します。

私はそれに与しません。県と国を公平にできるだけ見ていこうとしています。私はそう単純ではないと言います。それを一貫性がないというなら、どうにでも批判したい人はしろ、という気分です。

■「時節に乗ってくるくる変わる」ですか・・・。変節者、時流に乗る奴というわけですね。私が一番ひとから言われたくない台詞だ。

今まで58年間生きてきましたが、私にこんなことを言った人間はあなたが最初です。人格否定にもつながりかねないことを平気で書き込む、それも「通りすがり」でありながら!たいした人ですよ、あなたはどこの何様ですか。

ここは2CHではありません。この「通りすがり」というネーム自体が、その匂いがぷんぷんします。そしてこのブログは、口蹄疫に関わっているプログで数少ない実名ブログです。

つまり「濱田幸生」というひとりの人間が生身で書いている場所です。生き方も、生きてきた道も明らかにして、喜びも哀しみもさらけ出して書いている場所です。

警告します。私は非常に怒っています。今後このような私の生き方に関わる部分を否定をしたいのならば、それなりの覚悟をしてきなさい。

「通りすがり」などという安全地から横目で見て、いっぱしの口をきくんじゃない!この子供が!

■さてもう一点。東国原知事はが県民の中で占めていた位置です。それは90%を超えるような驚異的支持率が物語るように、県民が彼を指導者として信頼し、まとまって闘っていこう、宮崎県民がこの大災厄の前にひとつになろうという意思でした。

私はそのシンボルである彼を安易に批判してしまった、と感じました。あの時点で、まだ嵐が過ぎ去っていない時期にそれをするべきではありませんでした。そのことについては反省し、自主謹慎という方法で宮崎の人々に誠意を伝えたつもりでした。

そして今、東国原知事は離任することを表明し、そして事件も総括の時期に入りました。

今後批判すべきは批判し、評価すべきはして、彼の功罪を明らかにしていきます。彼の手記を丹念に読むこともしました。それを「おもねった」とまで言われれば、勝手にそう読みな、と言うだけです。

ここでもあなたは、白黒をつけてほしかったですか?世の中単純でいいですなぁ。まるであなたは子供のような単純な世界観と、私が自分が思うように言わないと駄々をこねてわめく、まるで子供のようだ。おいくつにおなりですか?

■現地宮崎は複雑です。分かれば分かるほど複雑です。
被災地と被災地以外の一般の人が違い、牛と豚で違い、系統と商系とでも違い、大規模と小規模でも違います。
防疫関係でも、家保と民間獣医師は違います。もちろん地域の差による違いは濃厚にあります。
その上に国と県との違いはあたかも抗争のようでした。

これを養豚関係者のみが正しいと言えますか?逆に牛関係者のみを正しいと言えますか?国のみが正しいと言えますか?県のみが正しかったと言えますか?

これらの立場の違いをよく考えて、その人に寄り添って物事を考えていかねば実像は判ってきません。私も現地の苦しみと複雑さを百分の一も理解できていません。知れば知るほど歯切れのいいことは言えなくなります。

それを「くるくる変わる」だの、ましてや変節呼ばわりされとなると、この人、まったく宮崎現地を見ていないなと思いました。

■「持ってまわったような評論家的言い方」ですか。だんだん怒る気がしなくなりました。私が「評論家」なら、自分の農場の防疫の失敗でニューカッスル病で全滅したなんて恥を書きはしませんよ。そのあとに極貧になったなんて書くバカはいませんって(笑)。

私のことを評論家だなんて思うのは、私の読者であなたひとりくらいだと思います。

■ところで最後に、尖閣諸島と「知る権利」問題ですが、何もあなたは書いていないじゃないですか。ただ「知る権利と機密漏洩とは別な問題だ」と、同じことを繰り返しているだけで、ぜんぜんかみ合っていませんね。

私があなたに代わって整理します。

●機密漏洩は国家の保安上のセキュリティの問題です。
●情報開示、あるいは「知る権利」は、国民主権上の問題です。

ですから、私は前回の記事で内部告発者は懲戒免職されて、刑事訴追されるかもしれないと書きました。それは前者の国家保安上は罰せられて当然だからです。

■しかしここで問題とすべきはむしろ、国民主権と国家保安問題のどちらが重きを置いて国民が判断すべきかです。

国民主権とは、国家運営を決する最終的決定権を国民自らが有するということです。政府はそれを国民から付託されただけであり、その政策方針が国民主権と相いれない場合、国民はその修正を要求する権利を持ちます。

これが民主主義のテーゼです。ですから、仙谷長官のような、「裁判前の証拠開示は不要」という言いぐさは、国民主権上の問題を小手先の法理論でごまかしたものにすぎません。

問われているのは国民主権です。国民は平等に「判断の材料」となる事実を知る権利を有します。そして政府はこれを「提供する責務を負います」。これは2010年東京地裁杉原判決で出ている判例です。

仙谷長官は1970年に司法試験に受かったので、この2010年の杉原判例を読んでいないのでしょうか。

■問題なのは、「機密漏洩」一般ではなく、「何が流失したのか」の中身の問題です。要するに,ケース・バイ・ケースなのです。

何がなんでも時の政府は、内部情報を開示せねばならないわけでもなく、かといってそれを拒否してもいいわけでもないのです。あ、また白黒を歯切れよく言わない「もって回った評論家」調でしょうか(苦笑)。

たとえばここで3ツ例をあげることにします。

●ひとつめは、西山事件です。これは外交上の秘密条項を暴露しました。それには外務省事務官が関わっていました。これの「機密漏洩」はどう考えるべきでしょうか。

私は微妙だと思います。外交条約は二国間でなされ、それには往々にして秘密条項が付帯します。それを片方の国が開示してしまったら、以後日本と外交条約を結ぶ国はいなくなるであろうからです。

しかし別な見方をすれば、これを「知る権利」は国民にもあるのだ、という議論も一方であるのも理解できます。国家の重要な政策決定に際して、主権者たる国民が知る材料をあらかじめ奪われたという主張も理解できます。

●二つ目は、今年に発生した警視庁外事3課の国際テロ情報の漏洩です。これは、国民と国家の安全を大きく脅かしかねない卑劣な愉快犯的漏洩です。

これはいうまでもなく、厳しく取り締まられるべきです。弁解の余地はありません。

●三つ目は、今回の尖閣諸島衝突事件の映像の漏洩です。これは前回で詳しく書きましたが、国民が「判断すべき材料」を国家が不当に隠蔽してしまったために発生したことです。

本来国家が提供すべき情報を、自らの政治的思惑から隠蔽したことに端を発しています。これを怒った内部告発者が機密を漏洩しました。

■このように切り分けて考えないで、いちように機械的に「機密漏洩」だと言っても仕方がないのです。だからこの人は私に、「ものごとの本質を考えない」と書かれるのです。

今回は刑事訴訟法上はギルティ(有罪)です。しかし、その刑法の上位概念である国民主権においてはノット・ギルティです。

ですから世論、言い換えれば国民の意思が、内部告発者をノット・ギルティだと支持すれば、政府は刑事訴追することが非常に難しくなるでしょう。

「通りすがり」さん。もう一回、反論の機会を与えます。ただし、次回同じ汚い表現を使って同じ舌足らずなことを繰り返すのなら、その次はありません。

■写真 今日の僕の気分。ガオー!

2010年11月 7日 (日)

良心の内部告発者を弁護する

003_edited1_2 「通りすがり」というふざけたHNの人からこのようなコメントを頂戴しました。

>「知る権利と機密漏洩はまったく違うことです。
国の管理の甘さが最大の原因ですが機密漏洩の違法性もわからずに濱田様は口蹄疫に関する記事で国家観を語っておられたのかと思うとがっかりしました。

とのことです。無視しようかとも思いましたが、「がっかり」させてしまったようなので(苦笑)、返事を書くことにします。

「西山事件」というのをご存じですか?

1971年、佐藤政権下で結ばれた、日米間の沖縄返還協定において、「アメリカが地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドル(当時約12億円)を、日本政府がアメリカに秘密裏に支払う政府間密約があったことを、毎日新聞西山大吉記者が報道したものです。

このことにより、政府は震撼しました。大スクープと言ってよいでしょう。

しかし、西山記者がこの密約を入手した外務省女性事務官に対する手法が、あまりに道義性を欠いていたために大きなスキャンダルに発展しました。

この女性事務官は、性的弱みを握られた西山記者から脅されるようにして、外務省秘密電文のコピーを盗み出し、西山氏に渡していたのです。

公務員の守秘義務違反と機密漏洩です。1978年5月に最高裁が西山氏の上告を棄却し、有罪が確定しました。

さて、この沖縄密約文書の存在そのものを長期に渡って自民党政府は「密約は存在していない」(高山外相答弁・2007年12月)としていました。

これに対して2008年9月7日に、作家やジャーナリスト63名が連名で情報公開法に基づきこの日米密約を開示するように外務省と財務省に要請しました。

しかし、両省とも「不存在」を理由にこの要求を退けました。

一方、野党時代から一貫して密約を開示することに熱心だった岡田克也氏は、「やりたいのは情報公開。政権交代が成ったら隠しているものを全部出す、政府がどれだけうそを言ってきたかわかる」という意図の下に、政権奪取直後の2009年9月以降精力的に、開示のための調査に乗り出します。、

2009年11月28日 、 岡田外務大臣は、「日米密約調査に関する有識者委員会」を設置しました。

  • そして2010年3月、 密約問題に関する有識者委員会はとうとう以下のような事実があったことを公表します。
  • 「沖縄返還協定時に、日本政府が米国に「原状回復費の肩代わりの合意をし、日本側から3億2千万ドルのうち400万ドルについてこれに充当した」、「文書化されていないもののこれは広義の密約にあたる」。
  • 次いで2010年4月、東京地裁杉原則彦裁判長は、いわゆる「密約訴訟判決」を出します。

    杉原裁判長は、判決の中で、「国民の知る権利を蔑ろにする外務省の対応は不誠実と言わざるを得ない」]として外務省の非開示処分を取り消し、文書開示を命じました。

    また「本当に存在しないのならばいつ誰の指示で、どのように処分されたのか」まで開示することまでも命じています。

    西山氏は判決後の講演でこう述べています。

    「知る権利は守られたかでこの判決を歴史に残る判決と評価します。われわれが裁判を起こして今回の判決を導き出していなければ、外務省の外部有識者委員会による報告書が密約問題に関する唯一の解明文書となり、国民の知る権利は封殺されていただろう」。

    さて、以上の沖縄密約の民主党政権による前政権の密約暴露を皆さんはどうお考えでしょうか?

    西山氏が卑劣な方法で外務省事務官から外交秘密電報を入手したことは、言うまでもなく「国家機密の漏洩」に当たります。

    しかも内容は、尖閣諸島衝突事件のビデオのような「このどこが機密なの?」というものではなく、まさに一国と一国の間の秘密プロトコル(条約)でした。外交条約締結において、文書化がなされず国民に公表されない秘密プロトコルは、別に珍しいことではなく過去無数にあります。

    この公表は相手国が存在し、一方的な秘密プロトコルの開示が外交関係を損なうために「存在しない」と外務当局は答えるしかなかったわけです。

    それに対しても、東京地裁は2010年4月の「密約訴訟判決」で、密約内容だけにとどまらず、誰がどの部分を処分を指示したのかまでも開示することを命じました。

    これが「国民が知る権利」の、現代日本におけるコモンセンスだと言われています。以下Wikipediaから「知る権利」の当該部分を引用します。

    ・・・国民主権の重大な意味の一つに、「国政の最終決定権を国民が有すること」があるが、最終決定権の行使にはその前提として、判断の材料となる情報が与えられていなくてはならず、これを提供することは国の責務と考えられるからである。・・・

    ひるがえって今回の尖閣諸島衝突事件のビデオ非公開は、どのように考えたらよいのでしょうか。

    多くの人が指摘するように、このような重大な情報は、9月の発生時点でいち早く国民に無編集無削除で開示されるべきものでした。

    なぜなら、わが国の領海内での中国船の暴力行為は、とりもなおさず私たち国民の主権の侵害行為に当たるからです。その最大の証拠である海保のビデオを、いかなる理由からか秘匿するという行為自体が、政府による情報隠蔽に他なりません。

    仙谷官房長官はこの国民主権に関わる重大情報を、刑事訴訟法において「裁判時まで証拠は開示されない」という詭弁にすり替え、その裁判自体も検察司法に政治圧力をかけることで船長を釈放してしまうことで、行わない挙に出ました。

    したがって、裁判自体がもうないわけですから、証拠ビデオの開示は永遠に行われないことになります。

    しかし、国民と野党の圧倒的な要求により、仙谷長官の指示のもとに、40数分あるといわれる尖閣ビデオ映像を、姑息にもわずか6分50秒切り縮めて編集し、しかもそれをごく一部の国会議員にしか見せないという、まるで前近代的なファシズム国家のようなことをしました。

    まさに国民は政府から「判断する材料」を与えられておらず、国はこれを「与える責務」を意図的に妨害したことにより、国民主権を侵害したのです。

    この「機密漏洩」は、先の警視庁公安部外事3課の国際テロ情報漏洩事件とは、本質的に別な次元のことです。

    今回それが一部漏洩したわけですが、未だ公開されていない部分には、中国人船長が中指を立てて海保を挑発する光景や、中国船に乗り込もうとする海保職員に中国人船員が暴行を加えている映像もあると言われています。

    この内部告発者は、政府が誤った情報秘匿をしており、その結果国民の主権が侵害されていると判断し、公開に踏み切ったものだと思われます。

    おそらくは石垣海上保安部からの流出だと思われています。まさに命をかけて日々、中国船から領海を警備し続けている海上保安官の現場です。このことにより、この内部告発者は特定され、懲戒免職となるばかりか、刑事罰が加えられる可能性が出てきました。

    私はこの勇気ある態度を賞賛します。真に責められるべきは、政府であり、そして罰せられるべきは、仙谷長官その人です。

    なお、このような良心の内部告発者に対し欧米では、不利益を被らないように保護法が存在します。

    「がっかりする」のは勝手ですが、もっと事の本質を考えてからにして下さい。

    2010年11月 6日 (土)

    勇気ある内部告発者に感謝します!

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    口蹄疫を追いかけながら、もし私の被った茨城トリインフル事件(2005年)にネットがあったらと思いました。もちろん存在していたのですが、今のような力はもっていませんでした。

    口蹄疫で今唯一気を吐いているのは、ネットと畜産専門誌だけの状況です。畜産専門誌は、残念ですが一般国民が気楽に手にとることができない媒体です。

    一方私たちネット勢力は、一般の媒体が口蹄疫をとうに忘れても執拗に追跡を続けてきました。数こそ激減しましたが、今でもいくつかのサイトが追跡と検証を続けています。

    もしネット言論がなければ、口蹄疫事件の検証は、動衛研閥の勢力が力を持つ検証委員会で彼らの都合に合わせて結論を出されていったことでしょう。

    ネット言論は非力ですが、それを許さない力を少しずつつけつつあります。それは時の権力がどう考えようと、自立して考え、ネットを通じて無数の情報を収集し公開し、多くの人たちによって公平に議論をすることが可能な場だからです。

    さて、今回YouTubeから衝撃的な映像がアップされました。皆様もご存じの尖閣衝突事件の生映像です。これはネットがなければ、仙谷「首相」が思うとおり、隠匿されて、ごく一部の議員しか見ることがなきなくなるところでした。

    まさにネット言論の勝利です。仙谷「首相」は、機密漏洩の犯人を徹底的に探し罰すると意気込んでいるそうですから、いったいどちらを見ているのでしょうか。告発されるべきは、このような重大な情報を隠匿し続けた仙谷「首相」のほうです。

    仙谷「首相」は、国民の圧倒的多数が全面公開を望んでいるにもかわらず、国民には知らしむべからずという姿勢を強固に取り続けてきました。その理由がふるっていて、なんと「中国様を刺激しない」で、管「副首相」の晴れの舞台であるAPE首脳会議で中国様と会談していただくためだそうですから、もはや笑うしかありません。

    この漏洩ビデオは、はっきりと中国漁船が凶暴なまでに海上保安庁の巡視船に激突している情景を映し出しています。映像はこらに6本あります。ぜひご覧ください。百聞は一見にしかずです。
    http://www.youtube.com/results?search_query=%E5%B0%96%E9%96%A3&aq=f

    この映像を見れば、中国側の「日本巡視船が、中国漁船を包囲し、意図的に中国漁船に衝突させた」という主張が、まったくデタラメであることが判ります。

    中国政府側の従来の主張は下の図にあります。いかに事実とかけ離れていたかよく判って頂けると思います。

    Photo

    まず映像は撮影者が、「久場島が見えます」というところから始まり、この直後に中国漁船は左に急激な進路変更を行い、同じ男性の声が「本船にの方に船首を向け、挑発的な動きを見せています」と緊張した声を発しています。

    Photo_2

    そして、「ドコーン!」という大きな激突音と、「あ、本船に当てました」!」という声と共に、巡視船「よなくに」の船尾に衝突しました。中国語での停船命令が繰り返され、サイレンが鳴り続ける緊迫のシーンが続きます。

    次の映像では、巡視船「みずき」右舷から同じ中国漁船を映しています。巡視船の警告のためのサイレンが鳴り響く中で、「みずき」の右舷でいったんスピードを緩めて、網を巻き上げてから、黒いエンジンからの煙を吐き出して加速すると、そのまま躊躇することなく、巡視船「みずき」に激突してきます。

    単なる偶然の接触ではなく、明らかな攻撃行動です。

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    巡視船の船上では、「ぶつけてくるぞ!」「おい、とまれ!とまれ!」という声が飛び交います。しかし、まったく警告を無視して、中国漁船はまったく減速することなく、「みずき」の右舷後方に激突させます。

    明らかに、船の構造上もっとも強くできている船首を、巡視船の弱い船尾に衝突させる意図がありありと判ります。

    「グアッチャーン!」という激突音と共に、「みずき」は激しく衝撃を受けて動揺します。船上の声が、「本船みずきに衝突してきた!」と叫び、「みずき」は中国漁船を振り切るようにエンジンを加速します。

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    「みずき」のエンジン黒煙がもうもうと船尾に立ち込めて、追いすがる中国漁船を包み込みます。

    これらの映像を見れば、なぜ仙谷「首相」が、中国に配慮して自国民に映像を公開しなかったのかわかるでしょう。仙谷氏はいったいどこの国の指導者なのでしょうか?

    このたぶん海上保安庁の内部の人による告発により、国民は真実を知ることができました。この勇気ある内部告発者に感謝します。

    2010年11月 5日 (金)

    TPPをやるなら、足元から見ねばダメだ

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    今日は、ちょっと気になった口蹄疫以外の農業の話題を簡単に考えてみたい。
    ■ TPPは、今までの私のスタンスでは大反対。その理由は長いシリーズにして過去ログでも書いたので、関心がおありの方は、グローバリズムから入って下さい。
    今はちょっと考えかがまとまらない。やはりこのまま兼業温存路線でいいのか、ということが焦点となる。
    もう少し考えがまとまったら記事にしたい。
    ■ 松坂ブランド牛訴訟では、今まで日本のあり方がいいかげんすぎた。三重の農家は悪意ではなく、むしろ優良農家なのでお気持ちはお察しするが、今後の日本も「産地呼称統制法」というフランスの表示法概念が導入されていくだろう。
    三重の農家も大変お気の毒だが(売り上げが半分になったとか)、自分でブランドを作って、認知させていくしかない。
    「松坂牛」が、市行政がらみで縛りをかけてしまった以上、従うしかない。「松坂牛」もいままでさんざん悪用されてきているし、なにせ日本の産地名を中国がパクってきているほどだ。
    ■ フランスで「シャンパン」と名乗れるのは、シュンパーニュ地方でとれた発砲ワインだけで、それ以外は名乗れない。これは産地呼称統制法があるからだ。それ以外にも、ラベル・ルージュ(赤ラベル)農産物の規定とか、非常に厳密に出来ていて看視され、運用されている。
    だからフランスの農産物は国際競争力があるともいえる。
    日本の農産物も国内向けだけではなく、国外に目を向けると致し方がない道なのだと思う。輸出市場を前提として考えれば、これからの日本農業にとって、避けられないことなのだ。
    これについては農水省が表示法を強化して、罰則つきの業界指導をするしかないだろう。
    厳しいが私たち有機農産物は、もっとも零細な分野でありながら、既に10年前からやってきている。
    ■ TPPをやると管総理が言うなら゛このような農産物輸出競争力の基盤整備からしなけれもはだめだ。
    これをしないでいて、農家戸別所得保障などというバラ撒きでお茶を濁す(というにはあまりにも巨額だが。まともにやったら3兆円でも足りない)のではなく、このようなひとつひとつの足元から、しっかりと輸出基礎体力をつける必要がある。
    ■ たとえば、今農水省が大好きな米粉化や6次産業論などは、私のグループは数年前から真っ正面から取り組んでいる。
    しかし実際にやってみると、とんでもないことがわかってきた。例えば、私たちのグループの米が減反対策で米粉化することになった。
    しかしそのままでは脳がないし、第一量がハケない。
    ■ ではというので、米粉を自分の農産加工場でさまざまなものを作ろうとしてみた。ところが、うどんにする製造免許と、スパゲッティにする製造免許は別で、しかもそれを同じ製造所でできないのだ!
    つまり、農家が自分の米粉をうどんにして一軒の製造所を建て、そしてスパゲッティにするためにまたもう一軒建てねばならない!
    また、それに有機のほうれんそうの加工品を練り入れてオーガニック・ベジタブル・スパを作ろうとしても、それらはすべて別個の製造所が必要で、すべて別個な製造免許がいる。
    たかだか自分のほうれんそうスパを作るのに3カ所も加工場を作れと言うのか?バッカじゃないのか。
    農政事務所に問い合わせると、そのような決まりになっていると言うだけ。
    これで6次産業ができたら奇跡だ。
    ■ 農業がただ作物を作るだけではなく、生産を起点としてさまざまな企画-加工-流通-販売-観光を構想していこうというのが農業6次産業論だ。
    ところが、その太鼓を叩いて、補助金を出しても、かんじんな法整備が出来ていない。しかも補助金は単年度で、販売目的には使えないようなものばかり。
    ■ 結局農水省は何をしたいのか分からない。ただ流行を口にして、今までの保護農政から転換したようなふりをしているだけだ。
    このような今までの官僚の悪しき統制をひとつひとつ打破して、農業の競争力をつけねば、TPPもクソもない。こういうことこにこそを政治家が「政治主導」して「行政刷新」をしてほしいものだ。
                        ~~~~~~
    ■尖閣諸島で民主党政権が国民公開を拒んでいるビデオ映像が出ました。Youtube動画には、中国漁船が日本巡視船に体当たりを仕掛けて来る様子が明瞭に写しだされています。明らかに故意にぶつけて来たことがこれで判りました。
    このような映像を故意に長期間隠匿し続けてきた民主党政権に怒りを感じざるを得ません。

    2010年11月 3日 (水)

    口蹄疫を語ることは、自分を語ることでもあるのかもしれません

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    先日の「日本農業新聞」の一面に30代の若いご夫婦が、復興の最初の子牛のロープを引いて畜舎に向かう写真を見ました。ふたりの顔にはなんとも言えない楽しげな表情が浮かんでいました。

    それはたぶん「希望」です。人間の絶望と怒りの箱の底に、ひとつだけ残された希望という切ない感情です。ひとはこれを失った時に、ただの躯となります。

    上の写真は、私がニューカッスル病の翌年に着工を再開した母屋の建設風景の写真です。さすがの私たちも、再建期には母屋の工事どころではありませんでした。

    あ、当然全部私たち夫婦の手作りです。予算は200万。一番安い米ツガ材です。材だけ買い込んであって、ニューカッスル病で中断していました。

    ヒヨコが再び私たちの農場に入り、出稼ぎを終えて、自宅の建設に再び取りかかったというわけです。この時期は、いったん消えかかった希望という名の弱々しい灯火を、手で包むようにして生きていました。

    その新しい希望の象徴が、この母屋の建設だったというわけです。

    さて、私は口蹄疫を半年ほど追いかけてきました。その間、グータラな私とは思えない皆勤賞もので、連日更新をしてきました。

    なにが私をこうも粘らせているのだろうか、という問いを自分に発してこの数日間自分の伝染病体験を書いてきました。

    というのは、どうしてもこの総括の季節は、観念的な議論が横行してしまうからです。もちろん、時系列に沿って初動、感染の拡大、ワクチンによる制御、そして殺処分という経緯は実証的に見て行かねばなりません。

    また、防疫方針として取られたワクチン・全殺処分が正しかったのか、否かについても考えておかねばなりません。

    しかし、これらは単なる口蹄疫ウイルスと人との戦いだっただけではなく、その火中にいる人々のもがき苦しんだ過程でもありました。あえて言うなら、人と人の戦いでもあったのです。

    それがはっきりと私に理解できたのは、養豚関係者の人々の動きが明らかになってからです。それまで私は、農水省、あるいは山田大臣を対象にして考えていました。

    しかし実は、当初私が考えたような国と県,あるいは国と被災地という単純な図式ではなく、被災地の養豚関係者とJASVの山田大臣との同盟関係を軸に展開されてきたことを知りました。

    この新事実を知った時、私は考え方を根本から変えねばならないと悟りました。国や政府、あるいは県行政という行政システムを相手にするのと、養豚関係者という生身の人々を対象にするということはまったく次元が違う話です。

    そこで、現地座談会を読むシリーズを始めたというわけてず。このシリーズはまだ続ける予定ですが、書きながら私は、自分自身が被災地の宮崎の畜産農家だったらどう考え、どう行動しただろうと思い当たったのです。

    それがこの数回の私自身の被災体験の回想です。

    あの時の哀しみを通り越して凍りついたような自分の姿が思い出されるにつれて、その先に見つけた「希望」の光をどんなに大事に思ったのかを、私は思い出すことができました。

    これを思い出すことで、私はようやく宮崎の被災地農家と同じ目の位置に立てそうな気がしてきました。

    その意味で、口蹄疫を語ることは自分を語ることでもあるのかもしれません。

    ■ 明日は都合により休載します。「りぼん」様,ご質問の答えちょっと待ってくださいね。

    2010年11月 2日 (火)

    再建期は気の持ちよう

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    上の写真は私が沖縄の足かけ2年間の百姓暮らしから帰って、研修生として住み込んだトリサマ亭です。

    なかなか小粋な名前でしょう。ここは東京の無農薬八百屋さんたちの共同農場でした。三所帯が住み着いていて、ここで私は研修生生活を送らせて頂きました。

    ちなみに、もう一軒はマムシがよく谷から這い上がってくるというのでマムシ亭、もう一軒は農家の納屋を移築したので、納屋亭(←まんまじゃないか)、そしてわかトリサマ亭となります。客人用には、ほろ酔い亭。実際は泥酔亭でしたが。

    なんのことはないヤマギシ式鶏舎の角のトリをおん出して、天井を張って、床をつけたというすこぶるワイルドな家(←てなもんか!)でした。

    自慢ではないが、鳥飼になるために、トリと一緒に2年間暮らしたというのは私くらいじゃないでしょうか。農水大臣から表彰状をほしいくらいです。

    このお隣の住民は朝が異常に早いのです。うっすらと白み始めた早朝ならまだしも、夜明け前にトキの声をあげやがるバカヤロー雄鳥もいて、ゼッタイ寝坊はできないという、嫌でも働き者にならざるを得ない住居でした。

    煙突が出ているところがカマドで、煮炊きは薪という生活です。新米を薪で炊くと実に美味です。ただ鍋釜がみんなすすけて真っ黒になりますが。

    お風呂は表。そう表。露天風呂です。夏は蚊に刺されるくらいで風流なのですが、冬はちょっとこたえます。上がったら一目散にわが家に駆け込むわけですが、このわが家もまたスースーときているのですから、エスキモー犬なみの耐寒能力がつきました。

    おまけに風呂用の薪にしていた電信柱の廃材が猛烈なススを出すのです。タールがしみているので着火がいいのですが、風呂に入って追い焚きをしようものなら、お湯から出ている顔がすすけて黒くなるという素晴らしさ。風呂に入ってすすけるというのも妙なもんです。

    おまけに風呂釜は、農家の裏庭から頂戴した五右衛門風呂でしたが、そのカマドをいいかげんに作ってしまったバチで、風呂ごとコケてあわや風呂に入ったまま崖下に転落というアホなこともしました。あれで死んでいたら私の人生ってなんだったんだろう(笑)。

    もちろんトイレなどはなく、スコップを持って用を足します。女性の来客には非常に評判が悪かったですね(あたりまえだ)。天気の時はなかなか野趣があって、カマキリなどをからかいながらいたせるのですが、雨の時に傘をさしながらというのはちょっと。

    女房殿など、傘をさしていたしていたところ、別の住民が通りかかり、「おはようございます」。女房殿も何ひとつたじろぐことなく、「おはようございます」。どっちも偉いと言うべきでしょうか。

    スースーの壁から寒風だけならまだしも、雪が舞い込んでくるのには参りました。なにせ元はトリ小屋で、換気が命の自然卵ですから、文句は言えません。

    ある冬の朝、雪が夜半に降り始めたとみえて、朝に隣に寝ている女房殿の顔にうっすらと粉雪がかかっていて、鼻だけピュー~と息をしているのを見た時はさすがにたまげました。カミさんが雪だるまになっている~!

    ここで、土地を見つけて多大なる借金をこさえて移住したわけです。いくら借りたっけかな・・・たしか土地代、農場建設費、そして母屋、倉庫一式で3千万円でした。

    今思うとこれでよく全部出来たものですが、当時の月3万円田園生活実践者としては、天文学的借金でしたね。まぁ死ぬまでには返せるだろう、ってなもんですか。20年ローンでした。

    ようやく7年前に完済しましたが、このニューカッスル病再建期間の返済はホントしんどかった。この再建期間も猶予なしですから。

    農林金庫は、返済滞納にはことのほかうるさいのです。一回やると二度と借りられなくなるばかりか、悪質だと認められれば、他の金融機関にも通知が行ってしまうとの噂もあって、必死に返しました。

    ドカチンやゴボウ掘りで稼いだ金は右から左に借金返済に消える、という気分でした。そのカスリをくすねて生活している感じでしょうか。

    当時はドカチンのバイト帰りに魚やさんに寄っては、イワシを100円分買って、「ねぇオバさん~(←気味悪く甘えた声で)、魚のアラ頂けませんかぁ」とお願いするわけです。

    このアラがなかなかのもので、マグロの骨からせせってネギと叩いてネギトロ。血あいは生姜を効かせて角煮。頭は真ん中からかち割って味噌汁にと食卓を飾りました。

    ついでに隣のパン屋でパン耳をもらって、バウルーに挟んでトーストすればりっぱな朝食になります。揚げて砂糖とシナモンを振ればお菓子にと、いやパン耳さん、あんたにはお世話になりました。

    女房殿は、米を食いつなぐために、自家製の小麦を曳いては篩いにかけてパン作りに励んでいました。もったいないのであまり篩いにかけないものですから、全粒粉というと聞こえはいいですが、それはそれはまっ茶色のパンが焼き上がったものです。しかしどうやったら、市販のパンみたいに白くなるんですかね。今でも不思議です。

    とまぁ、再建期はつらいものですが、しかし気の持ちようで楽しくはありました。苦楽は気の持ちようというのを習ったのも、この時期です。

    毎朝、太陽にポンっと柏手を打って、「ありがとう、オレたちくたばらねぇぞ」って唱えていましたっけ。

    2010年11月 1日 (月)

    空の鶏舎と励ましのお便り

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           前回の時の少し前の、たぶん1989年頃の写真です。またもや女房殿ですが、これは倉庫を作っている時の写真ですね。彼女も軽かった(笑)。今はゼッタイ無理。

    後ろには鶏舎が見えます。なんとも不細工なモニター(換気口)がかわいい。5棟と倉庫をおおよそ1年がかりで作りました。一棟が約1カ月くらいですか。ひと棟作っては雛を入れ、そしてまた一棟作り出す、とまぁ尺取り虫の如き歩みでした。

    これがようやく完成したのが90年で、さてと思ったらいきなりニューカッスル病です。これで全滅。

    再建と一口で言っても1年有余かかります。当時は1200羽規模でしたが、ロットが、ひとロット300羽で4ツあります。これをだいたい3カ月くらいのサイクルで入れ換えていくわけですね。

    これが一気に全滅の憂き目に会いましたから、淘汰寸前のトリも、若メスも、ヒヨコも、根こそぎ殺さざるをえなくなったわけです。これが痛い。

    再建に当たって、全ロット1200羽を導入することなどしたら、もうロット管理がめちゃくちゃになります。第一、淘汰を一斉にするわけにはいかないわけですから、泣いても笑ってもまた最初のヒヨコから飼い始めることになります。

    と言っても、いきなり感染が出た鶏舎を使う度胸はありませんから、よく鶏舎を消毒液で洗って、石灰を散布し、残った敷料を出して埋め、頃合いを見計らって新しい敷料に入れ換えました。

    主のいない空の鶏舎群。鳴き声のしない農場。そこで黙々と消毒を続けました。

    収入はその間、とうぜんのこととしてゼロとなります。初めの2カ月ほどは感染前の売り上げが入ってきましたが、その後はまったくゼロとなりました。いや~、すっからかんですね。

    多少あった蓄えはたちまち底を尽き、消毒と敷料処理が終わった2カ月後くらいから,、出稼ぎに行くことになりました。なにせ、やることがなくなっちゃいましたから。

    炎天下での水道工事やイモやゴボウの収穫の手伝い。なかでも水道工事はバテたぁ。同じ力仕事でも農作業と使う筋肉が違うのです。体が資本の私も、速く自分の農場に戻りたいの一念でした。

    たまに田んぼ仕事で自分の農作業に戻ると、ウルウルするくらいに嬉しかった記憶があります。再建までの一年間、特に最初の雛が入るまでの半年間、自分の農場に家畜の声が戻る日のことだけを考えて生きていたようなものです。

    11月1日、児湯の5町に家畜の導入が始まりました。まだ試験的なものでしかありませんが、その記事を「日本農業新聞」(10/30)の紙面で見て、わがとこのように私は嬉しい思いがしました。

    あの自分の空っぽの農場を毎朝見なければならない畜産農家のなんともいえない虚脱感と苦痛、持っていきようのない怒りは、かつての私のものでもありました。

    ほんとうによかった。ほんとうによかった。心からおめでとうを言わして下さい。まだ長い再建の道のりですが、その第一歩を確かに皆さんは踏みだしたのです。

    書き忘れるところでした。感染から1カ月たった頃でしたか、私と当時産直をしていた消費者たちからカンパと励ましの手紙が届けられました。額は当時一カ月3万円で生活していた私たちの数カ月分はあろうかというものです。

    そして一通一通に心のこもった声が書き記されていました。殺処分をしてから、心が凍ったようになっていた私たち夫婦は、それを読んで初めて泣きじゃくりました。

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