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2010年11月 2日 (火)

再建期は気の持ちよう

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上の写真は私が沖縄の足かけ2年間の百姓暮らしから帰って、研修生として住み込んだトリサマ亭です。

なかなか小粋な名前でしょう。ここは東京の無農薬八百屋さんたちの共同農場でした。三所帯が住み着いていて、ここで私は研修生生活を送らせて頂きました。

ちなみに、もう一軒はマムシがよく谷から這い上がってくるというのでマムシ亭、もう一軒は農家の納屋を移築したので、納屋亭(←まんまじゃないか)、そしてわかトリサマ亭となります。客人用には、ほろ酔い亭。実際は泥酔亭でしたが。

なんのことはないヤマギシ式鶏舎の角のトリをおん出して、天井を張って、床をつけたというすこぶるワイルドな家(←てなもんか!)でした。

自慢ではないが、鳥飼になるために、トリと一緒に2年間暮らしたというのは私くらいじゃないでしょうか。農水大臣から表彰状をほしいくらいです。

このお隣の住民は朝が異常に早いのです。うっすらと白み始めた早朝ならまだしも、夜明け前にトキの声をあげやがるバカヤロー雄鳥もいて、ゼッタイ寝坊はできないという、嫌でも働き者にならざるを得ない住居でした。

煙突が出ているところがカマドで、煮炊きは薪という生活です。新米を薪で炊くと実に美味です。ただ鍋釜がみんなすすけて真っ黒になりますが。

お風呂は表。そう表。露天風呂です。夏は蚊に刺されるくらいで風流なのですが、冬はちょっとこたえます。上がったら一目散にわが家に駆け込むわけですが、このわが家もまたスースーときているのですから、エスキモー犬なみの耐寒能力がつきました。

おまけに風呂用の薪にしていた電信柱の廃材が猛烈なススを出すのです。タールがしみているので着火がいいのですが、風呂に入って追い焚きをしようものなら、お湯から出ている顔がすすけて黒くなるという素晴らしさ。風呂に入ってすすけるというのも妙なもんです。

おまけに風呂釜は、農家の裏庭から頂戴した五右衛門風呂でしたが、そのカマドをいいかげんに作ってしまったバチで、風呂ごとコケてあわや風呂に入ったまま崖下に転落というアホなこともしました。あれで死んでいたら私の人生ってなんだったんだろう(笑)。

もちろんトイレなどはなく、スコップを持って用を足します。女性の来客には非常に評判が悪かったですね(あたりまえだ)。天気の時はなかなか野趣があって、カマキリなどをからかいながらいたせるのですが、雨の時に傘をさしながらというのはちょっと。

女房殿など、傘をさしていたしていたところ、別の住民が通りかかり、「おはようございます」。女房殿も何ひとつたじろぐことなく、「おはようございます」。どっちも偉いと言うべきでしょうか。

スースーの壁から寒風だけならまだしも、雪が舞い込んでくるのには参りました。なにせ元はトリ小屋で、換気が命の自然卵ですから、文句は言えません。

ある冬の朝、雪が夜半に降り始めたとみえて、朝に隣に寝ている女房殿の顔にうっすらと粉雪がかかっていて、鼻だけピュー~と息をしているのを見た時はさすがにたまげました。カミさんが雪だるまになっている~!

ここで、土地を見つけて多大なる借金をこさえて移住したわけです。いくら借りたっけかな・・・たしか土地代、農場建設費、そして母屋、倉庫一式で3千万円でした。

今思うとこれでよく全部出来たものですが、当時の月3万円田園生活実践者としては、天文学的借金でしたね。まぁ死ぬまでには返せるだろう、ってなもんですか。20年ローンでした。

ようやく7年前に完済しましたが、このニューカッスル病再建期間の返済はホントしんどかった。この再建期間も猶予なしですから。

農林金庫は、返済滞納にはことのほかうるさいのです。一回やると二度と借りられなくなるばかりか、悪質だと認められれば、他の金融機関にも通知が行ってしまうとの噂もあって、必死に返しました。

ドカチンやゴボウ掘りで稼いだ金は右から左に借金返済に消える、という気分でした。そのカスリをくすねて生活している感じでしょうか。

当時はドカチンのバイト帰りに魚やさんに寄っては、イワシを100円分買って、「ねぇオバさん~(←気味悪く甘えた声で)、魚のアラ頂けませんかぁ」とお願いするわけです。

このアラがなかなかのもので、マグロの骨からせせってネギと叩いてネギトロ。血あいは生姜を効かせて角煮。頭は真ん中からかち割って味噌汁にと食卓を飾りました。

ついでに隣のパン屋でパン耳をもらって、バウルーに挟んでトーストすればりっぱな朝食になります。揚げて砂糖とシナモンを振ればお菓子にと、いやパン耳さん、あんたにはお世話になりました。

女房殿は、米を食いつなぐために、自家製の小麦を曳いては篩いにかけてパン作りに励んでいました。もったいないのであまり篩いにかけないものですから、全粒粉というと聞こえはいいですが、それはそれはまっ茶色のパンが焼き上がったものです。しかしどうやったら、市販のパンみたいに白くなるんですかね。今でも不思議です。

とまぁ、再建期はつらいものですが、しかし気の持ちようで楽しくはありました。苦楽は気の持ちようというのを習ったのも、この時期です。

毎朝、太陽にポンっと柏手を打って、「ありがとう、オレたちくたばらねぇぞ」って唱えていましたっけ。

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コメント

素晴らしい女房殿に万歳\(^-^)/ですっ!

苦しい時代を乗り越えて来たのですね…。

連投失礼m(__)m

ヤマザキパンの「モッチシリーズ」なんか、いろんな添加物入ってて、モチモチして美味しいんですけど、
米粉7割程度配合すれば問題なく同じモチモチ感が作れますよ。
多分コストの問題でやらないだけだろうと、勝手に思ってます。

私も、借金まみれですが、3000万円は相当な額ですね。でも、本当の幸せ、何が幸せかを考えさせられる逸話です。気の持ちようで、苦しさも楽しめる。すばらしい人生を送っておられる気がします。
私も、相方と、牛のう●こまみれになりながら、楽しんでますよ。

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