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2010年11月 3日 (水)

口蹄疫を語ることは、自分を語ることでもあるのかもしれません

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先日の「日本農業新聞」の一面に30代の若いご夫婦が、復興の最初の子牛のロープを引いて畜舎に向かう写真を見ました。ふたりの顔にはなんとも言えない楽しげな表情が浮かんでいました。

それはたぶん「希望」です。人間の絶望と怒りの箱の底に、ひとつだけ残された希望という切ない感情です。ひとはこれを失った時に、ただの躯となります。

上の写真は、私がニューカッスル病の翌年に着工を再開した母屋の建設風景の写真です。さすがの私たちも、再建期には母屋の工事どころではありませんでした。

あ、当然全部私たち夫婦の手作りです。予算は200万。一番安い米ツガ材です。材だけ買い込んであって、ニューカッスル病で中断していました。

ヒヨコが再び私たちの農場に入り、出稼ぎを終えて、自宅の建設に再び取りかかったというわけです。この時期は、いったん消えかかった希望という名の弱々しい灯火を、手で包むようにして生きていました。

その新しい希望の象徴が、この母屋の建設だったというわけです。

さて、私は口蹄疫を半年ほど追いかけてきました。その間、グータラな私とは思えない皆勤賞もので、連日更新をしてきました。

なにが私をこうも粘らせているのだろうか、という問いを自分に発してこの数日間自分の伝染病体験を書いてきました。

というのは、どうしてもこの総括の季節は、観念的な議論が横行してしまうからです。もちろん、時系列に沿って初動、感染の拡大、ワクチンによる制御、そして殺処分という経緯は実証的に見て行かねばなりません。

また、防疫方針として取られたワクチン・全殺処分が正しかったのか、否かについても考えておかねばなりません。

しかし、これらは単なる口蹄疫ウイルスと人との戦いだっただけではなく、その火中にいる人々のもがき苦しんだ過程でもありました。あえて言うなら、人と人の戦いでもあったのです。

それがはっきりと私に理解できたのは、養豚関係者の人々の動きが明らかになってからです。それまで私は、農水省、あるいは山田大臣を対象にして考えていました。

しかし実は、当初私が考えたような国と県,あるいは国と被災地という単純な図式ではなく、被災地の養豚関係者とJASVの山田大臣との同盟関係を軸に展開されてきたことを知りました。

この新事実を知った時、私は考え方を根本から変えねばならないと悟りました。国や政府、あるいは県行政という行政システムを相手にするのと、養豚関係者という生身の人々を対象にするということはまったく次元が違う話です。

そこで、現地座談会を読むシリーズを始めたというわけてず。このシリーズはまだ続ける予定ですが、書きながら私は、自分自身が被災地の宮崎の畜産農家だったらどう考え、どう行動しただろうと思い当たったのです。

それがこの数回の私自身の被災体験の回想です。

あの時の哀しみを通り越して凍りついたような自分の姿が思い出されるにつれて、その先に見つけた「希望」の光をどんなに大事に思ったのかを、私は思い出すことができました。

これを思い出すことで、私はようやく宮崎の被災地農家と同じ目の位置に立てそうな気がしてきました。

その意味で、口蹄疫を語ることは自分を語ることでもあるのかもしれません。

■ 明日は都合により休載します。「りぼん」様,ご質問の答えちょっと待ってくださいね。

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コメント

濱田様
ご無沙汰してしまって・・・。11月1日を迎えて。
都農・川南・高鍋・新富・木城への家畜導入再開が始まりました。さまざまな不作為が重なり、感染拡大された農家の方々もワクチン接種を受け入れて頂いた方々にとって本当に長く待ちわびた日だったと思います。
ここまで漕ぎ着けた方々へ敬意を表したいと思います。
そして、発生当初よりの全国からの温かい応援、ありがとうございます。

もちろん安愚楽牧場以外に。たとえ経済動物とはいえ、餌を切り、管理者を解雇し、牛を放置し、埋却地確保も堆肥処理も地元自治体に丸投げし、おとり家畜を300頭も要求し(却下)、物みたいに生き物を扱うあの牧場は。

地中に「不法」に埋められた牛さんがケジメとなる事を。

宮崎甲斐さん、おひさしぶりです!ほんとうにお声を聞けてうれしい。どうしていましたか?元気していましたか?

ぜひまたコメントください。待っています。

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