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2010年11月 1日 (月)

空の鶏舎と励ましのお便り

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       前回の時の少し前の、たぶん1989年頃の写真です。またもや女房殿ですが、これは倉庫を作っている時の写真ですね。彼女も軽かった(笑)。今はゼッタイ無理。

後ろには鶏舎が見えます。なんとも不細工なモニター(換気口)がかわいい。5棟と倉庫をおおよそ1年がかりで作りました。一棟が約1カ月くらいですか。ひと棟作っては雛を入れ、そしてまた一棟作り出す、とまぁ尺取り虫の如き歩みでした。

これがようやく完成したのが90年で、さてと思ったらいきなりニューカッスル病です。これで全滅。

再建と一口で言っても1年有余かかります。当時は1200羽規模でしたが、ロットが、ひとロット300羽で4ツあります。これをだいたい3カ月くらいのサイクルで入れ換えていくわけですね。

これが一気に全滅の憂き目に会いましたから、淘汰寸前のトリも、若メスも、ヒヨコも、根こそぎ殺さざるをえなくなったわけです。これが痛い。

再建に当たって、全ロット1200羽を導入することなどしたら、もうロット管理がめちゃくちゃになります。第一、淘汰を一斉にするわけにはいかないわけですから、泣いても笑ってもまた最初のヒヨコから飼い始めることになります。

と言っても、いきなり感染が出た鶏舎を使う度胸はありませんから、よく鶏舎を消毒液で洗って、石灰を散布し、残った敷料を出して埋め、頃合いを見計らって新しい敷料に入れ換えました。

主のいない空の鶏舎群。鳴き声のしない農場。そこで黙々と消毒を続けました。

収入はその間、とうぜんのこととしてゼロとなります。初めの2カ月ほどは感染前の売り上げが入ってきましたが、その後はまったくゼロとなりました。いや~、すっからかんですね。

多少あった蓄えはたちまち底を尽き、消毒と敷料処理が終わった2カ月後くらいから,、出稼ぎに行くことになりました。なにせ、やることがなくなっちゃいましたから。

炎天下での水道工事やイモやゴボウの収穫の手伝い。なかでも水道工事はバテたぁ。同じ力仕事でも農作業と使う筋肉が違うのです。体が資本の私も、速く自分の農場に戻りたいの一念でした。

たまに田んぼ仕事で自分の農作業に戻ると、ウルウルするくらいに嬉しかった記憶があります。再建までの一年間、特に最初の雛が入るまでの半年間、自分の農場に家畜の声が戻る日のことだけを考えて生きていたようなものです。

11月1日、児湯の5町に家畜の導入が始まりました。まだ試験的なものでしかありませんが、その記事を「日本農業新聞」(10/30)の紙面で見て、わがとこのように私は嬉しい思いがしました。

あの自分の空っぽの農場を毎朝見なければならない畜産農家のなんともいえない虚脱感と苦痛、持っていきようのない怒りは、かつての私のものでもありました。

ほんとうによかった。ほんとうによかった。心からおめでとうを言わして下さい。まだ長い再建の道のりですが、その第一歩を確かに皆さんは踏みだしたのです。

書き忘れるところでした。感染から1カ月たった頃でしたか、私と当時産直をしていた消費者たちからカンパと励ましの手紙が届けられました。額は当時一カ月3万円で生活していた私たちの数カ月分はあろうかというものです。

そして一通一通に心のこもった声が書き記されていました。殺処分をしてから、心が凍ったようになっていた私たち夫婦は、それを読んで初めて泣きじゃくりました。

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コメント

濱田さんの当時の苦労(「苦労」と簡単に表現出来ないくらいだと思いますが)が、ひしひしと伝わってきます。
濱田さんの経験には遠く及びませんが、平成15年の十勝沖地震では私の家も被害を受けました。
でも自分の家に構っている時間は無く、断水の完全復旧まで2週間仕事柄酪農畜産農家の水対策で町内を走りまわっていました。行政は住民の生活用水確保が優先しますから、家畜用まで面倒は見てくれません。
何とか復旧した時は本当にホッとし、それから家の修復の業者探しをしました。
自分の所が被害者の時の励ましやカンパ(義援金)は本当にありがたいものです。(私の家の被害は個人的なものですからカンパの対象ではありませんが)
今回の宮崎県の事も他人事ではない想いから、些少ですがカンパをさせてもらいました。
また、行政とともに今週には宮崎を訪問し、直接支援金を手渡す予定です。宮崎の酪農畜産農家の皆さんには是非是非再建してほしいと願っています。

ほんと、よく持ちこたえましたね!
諦めててもしょうがないような話だと思います。

ところでそちらには玉子の自販機ってあるのでしょうか?
山形では90年代から養鶏場や街中にあって、各200円入れてフタを開けると、「初玉子なら16個・M玉なら赤8個白10個って感じ」
たまに「双子は6個入り」が入ってたりでした。

牛丼松屋で(LかML玉だよな)で、双子が2回出てビックリしたことがありました。ちょっと感動。。。

壮絶な経験をされたのですね。今回の宮崎の口蹄疫禍に関して、管理人さんが、自分のことのようにしたためて来られた記事の多さに納得です。
畜種、疫病の違いはあれど、被災者の思いは同じ。
再建のことをご自分のことのように喜ばれる管理人さんのやさしく、純粋な心根に触れられたような思いです。
私も、もう少しで、被災するところでしたし、9月初頭のことは、今、思っても汗が出てきます。

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