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2010年12月19日 (日)

兼業農家問題というボトルネックを解決しないで自由貿易などに対抗できない

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私はやせても枯れても専業農家だし、27年前に農家になりたくて都会から来たわけですから、兼業に対して理解が及ばない部分があります。私にとって農業とは、文字通り一から土地を買い、家を建て、鶏舎を建て、農業機械を揃え、畑や田んぼを野原から作ることだったわけです。自慢話ではなく、それしか知らなかったのです。

それに対して先祖代々の大きな家を持ち、広い整備された畑や田んぼ、ありとあらゆる農業機械がズラリとあり、後継者ともなろうものなら親から新車とバカでかいトラクターすら買って貰える(←う~ん、だんだんひがみっぽくなってきたことを自覚)境遇で、農業が出来ないと言うのは、この口か、この口かと思ってしまいます。

しかし、現に今の村ではそうなのです。グラフがありますので見てみましょう。

Photo_2

先進国で農家戸数が減少する傾向にあることはどの国も一緒です。喜ばしいことではありませんが、それ自体は致し方のないことなのかもしれません。世界共通の流れです。

しかし日本の場合の農家の減少パターンは、世界の中の異例中の異例の形をとっています。1960年代と比べて農業就業人口が4分の1になったのはわかりますね。1196万人から、252万人へ、各種の就業人口の中で、農業の占める割合はわずか4%弱です。

ここまではいいとしましょう。問題はその先です。農家戸数は同じく606万戸から、285万戸と約半分にしかなっていません。となると、なんと2006年には、農家戸数が農業就業人口を上回るという椿事が発生してしまいました。
農家戸数だろう、問題ないじゃんって。そうではありません。、農水省の作る農業統計では「農家戸数」とは農業を専業とする農業者がいない戸数を指すのです。まさに役人用語の典型。実態を隠すためのカラクリ数字です。

このグラフで分かることは、今や週末や田植え、稲刈りの時のみ農業をするパートタイム農家、つまり兼業農家(*所得より他の収入が多い第2種兼業農家のこと)が、本職を上回ってしまったことを示しています。

パートタイム農家数が本職農家数を上回るという「不思議の国ニッポン」の風景です。

この兼業が異常に増えて、専業を追い抜くという構図は、実はわが国独特のものです。他の先進国、たとえばフランスあたりと比較してみるとわかります。

同じように60年代から農家数は減少する傾向がありながらも、農業生産は伸びています。とうぜんのことですが、パートタイム農家などというあいまいな存在は極小です。足腰がしっかりとした根性のある農家が育ったのです。これをして「フランス農業栄光の半世紀」と言うそうです。「日本農業衰退の半世紀」とはえらい違いです。

普通に考えるとフランスのほうが常識的な姿だと言えるでしょう。もっとも機械化の進んだ稲作においては、手植えがなくなり、機械植え一本となりました。肥料も化学肥料に、農薬も田植え前の除草剤と数回の殺虫剤、殺菌剤ていどに変わりました。たぶん稲作の実働は2週間を切っているのではないでしょうか。

というわけで、単位面積あたりの労働は大幅に軽減されたはずで、この労働の余剰を使って、通常の国ではより大きな面積を耕作管理していくことになっていきます。ところがわが国では、そのような農地の拡大、経営体質の強化にとつながりませんでした。

その最大の理由は減反政策です。1970年から始まる減反政策は、減反をベタ均一に集落や地域に割り当てるということをしました。ですから皆、少しずつ田んぼを減らしてしまったわけです。デコ山さんはどこそこの谷津田の奥の方、ボコ山さんは水はけの悪くて困っていた田んぼという具合に捨てていったのです。

それでなくても村の中でアッチコッチととっ散らかっている農家の田んぼに、一律減反を強制すればそのようになります。

さて、この減反政策を進めた農水省の中には、ふたつの考え方が存在しました。ひとつは小農(小規模農家)維持派で、今ひとつの派は日本農業の経営強化を目指す「集中と選択」派です。この二派の確執がこの減反政策の背後にあります。

小農維持派はベタ一律減反をすることで、痛みを分かち合う方針を考えたのだと思います。村と字(あざ)の共同体でそれを背負って、皆んながんばって米価を維持しようや、と言うところでしょう。ある意味、農村共同体には収まりのいい考え方ではあります。

一方、「集中と選択」派は、この減反のプロセスをやる中で、必ずふるいにかけられるようにして弱い農家は田を手放して、それがやる気のある農家かそれを借り受けて集積化していくとかんがえたと思います。そして時間をかけて農地はやる気のある農家の元に集約されていく、と構想しました。

そして、笑えることには両派ともその目論見は破れました。なぜなら農家は田を手放さなかったからです。そして農地を保有したままで、街の仕事をしながらの兼業農家にドーっと走り去っていってしまったのです。

小農はただでさえ少ない農地が削られては食えないので小農のまま真っ先に兼業に走りました。一方やる気のある農家も減反で営農意欲を削がれて、これもまた農業から去っていきました。

本来なら、この田んぼのこの部分を1ヘクタール、ここを1ヘクタールと計画的に整理し、それをやる気のある農業者に一括して貸し出すような農政であれば、70年代の終盤には農家体質はそうとうに強化されていたはずです。

しかしそうはならず、一律減反をし、しかも減反の痛み止めとして減反奨励金という飴までつけた結果、どうなったのでしょうか。農家は揃って体質強化には向かわず、減反奨励金の飴を頰張りながら町に働きに出てしまって農業の兼業化が完成していったのです。

こんなことをやっていて、しかもクルクルと3年ごとに思いつきのように変化する猫の目農政を半世紀やってしまえば、まぁ日本農業は弱体化して当然すぎるほど当然でしょう。農水省は日本で最低レベルの脳死官庁です。あのような官庁に3万人もの役人はいりません。30人程度の農業企画庁のようなシンクタンクにしてしまえばいいのです。

それはともかく、かくして、今でもまったく状況には変化ないどころか悪化の一途を辿り、とうとう票ほしさに兼業農家の所得補償までしてくれるという民主党の政策まで登場する始末です。

今までの自民党農政は、とりあえず生産にかかるコストを助成したものでしたが、民主党は「すべての農家」の財布にお金を直接入れてくれるのだそうです。ありがたくて涙が出そうです。民主党にとって農家はもはや乞食に見えるようです。農業は福祉分野か、安楽死をさせたいのでしょうか。

この民主党の農業政策は、米価の固定化を狙った減反政策の落とし子だったにすぎない兼業農家の永久固定化にすぎません。コメント欄でどなたかがおっしゃっていましたが、日本農業は強くもあり、弱くもあるのです。

私は、兼業問題は日本農業のボトルネックだと思っています。この問題を直視して、しっかり解決していかねば日本農業の自由貿易に向けた強化はありえないのではないでしょうか。

■写真  とうとう最低気温が0℃になりました。強霜が降りました。本日寒さに震えて書いております。


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コメント

民主党の政策のお陰で、
▼個別所得補償の分、買い上げ価格下落
▼飼料水稲作付けに対する奨励金8万円に釣られて、借地契約の解約により、田んぼ借りていた若いやる気のある米農家は途方暮れる(一部の和牛農家は、まぁまぁ助かりましたが)
ていうおまけ付きでした。
農水省、ちゃんとシミュレーションしたんですかねぇ?

基本的に、農作物での収入は、水物で、保証がありませんから、都市近郊農業は、兼業農家の方が、生活が楽でしょうし、都市近郊では、大規模なほじょう整備が、無理なので、専業農家への転進は、難しいでしょうね。
実質、現金収入が少なくても、食べていける田舎(自給自足で、電気代など、最低限の現金支出で生きていく)か、農業以外のサラリーマン収入で生きていくかでしょうが、人手の掛かる農業で、食べて行こうとする専業農家さんは、都市近郊では、皆無かも。。

この辺も、国策が、現実を見ていない気がするのですが。。

全く自民党時代からの農政の迷走ぶりと、民主党の個別所得補償…うんざりしますね。

減反と米価維持で農地を残しながら兼業農家なら、一番儲かるというイビツな構造です。

東北の場合、冬は雪に覆われて農作は限定されますから、特に稲作に特化します。かつては冬は出稼ぎが当たり前。最近は冬だけ工場で季節社員で働いたりしますが、昨今の不景気でその構図も厳しくなってます。個別所得補償なんか正に渡りに舟というか、有り難すぎる話。
先週、菅総理が庄内(大規模が多い)の米農家視察に来てましたが、どれだけ実状を分かってるのやら…。

兼業農家が圧倒的に増えた弊害の例ですが、94年秋の宮城県南部でのこと。
会社勤めだから、どうしても稲刈りは週末に極端に集中する。
前年の平成の大冷害から一転して暑い夏で豊作が期待されましたが、突然の集中豪雨(空のダムが半日で満水~緊急放水するほど)で田圃は冠水し道路は寸断という事態になりました。
専業だったら2~3日前の晴天続きの時に稲刈り済ませて米の被害は避けられたそうです。


それに対して先祖代々の大きな家を持ち、広い整備された畑や田んぼ、ありとあらゆる農業機械がズラリとあり、後継者ともなろうものなら親から新車とバカでかいトラクターすら買って貰える(←う~ん、だんだんひがみっぽくなってきたことを自覚)境遇で、農業が出来ないと言うのは、この口か、この口かと思ってしまいます。


管理人さんもひがみっぽくなって
いると自覚されているのでジョークとは思いますが
主人も回りもここまで過保護な人間はいません。(笑)

私は兼業もある程度は仕方がないと思います。
後継者難も。私自身一人息子に継ぐことは
まったく期待していません。
県内の酪農家の子弟で国立を出て医者や弁護士に
なった方も身近で知っています。
これほどできる子弟にはわが道をと
思うのが親心でしょう。経済的要因意外にも
農業は継がせたくない何かがあるように
思います。とても悲しいことなんですが。

農業が産業としての高度化。国土の狭い我が国で国民を養える強力な農業力の確立は戦前からの国家としての悲願でした。
特に戦後誰もが飢え苦しみ、食への渇望が強かった時の農林水産省の職員は文字通り寝食を忘れ国の食糧安全保障にあらゆる方策を練ったのでしょう。
戦後、GHQからの指導により、豪農から農地の一部を分配したことで、国民を十分な食料を供給することは極めて困難を極めることになることは当時誰の目にも明らかでした。
農業基本法を始めとする財閥解体や豪農解体は表向きは日本国内の著しい不均等解消で、民主主義の精神に乗っ取るものですが、
真の狙いは、食料供給力を駆逐し、アメリカの小麦なかりせば存続不可能な国家体制を作り上げ、日本の他国依存を極限まで高め常に不安定化させ、再びアジアの脅威をさせないためのアメリカの大戦略の一端でした。
話は少しそれますが、当時の政府は表向きはその方針を受け入れましたが、共産圏のアジア躍進を機会にありとあらゆる方策を使い、財閥復活、軍備復活、為替固定レート採用、食料管理法による小麦輸入の統制を短期間に認めさせ、同時にあらゆる理不尽で難解な法規制をかけまくり、いわゆる関税外障壁を築き上げました。アジア各国と日本の産業構造の最大の違いは、圧倒的な外資産業の少なさです。
15年前、IBM、コダック、コカコーラ、マクドナルド以外で国内をリードする外資は存在していません。実に狡猾なやり方で国内の産業・金融業を相当の規模と競争力をつけさせてきました。

農業についてもほぼ農家というには体をなさない規模の農家を市場供給可能な水準まで育て上げています。国立大学には必ず農学部があり、農産物の知見・技術は世界最高峰です。機械化の水準も規模対比では他国からは気狂いと思える水準でしょう。
本来、資本主義の常識では維持すら出来ない規模で曲がりなりにも存続しえる水準にしているのですからまさに「不思議の国 日本」です。

厳しいながらも存続可能であるため、兼業という特殊形態をとり皆事業を継続している。これを変えるには相当の血と数回にわたる政変を要するでしょう。
農業問題が困難なのは職場と家が一体であるためです。しかも自分自身が用意した家では無く先祖伝来の土地で、先祖代々の墓も一般的に側にあります。そして多くが宗家であるケースが多い。
また、水利や地域での役割等もあり軽々にやめることは難しい。
合成的な考えでは廃業した方が良いと考えても情のつながりがそれを困難にします。

一般的な企業であれば廃業し工場やオフィスを失っても生活環境は維持可能です。職場と家が分離されているので。

しかしこれらの問題を解決する現時点もっとも具体的且つ現実的な方法は事業承継(相続)の失敗による廃業や、専業農家への賃借と考えていました。兼業農家でご子息に事業を継承を行うことは困難です。なぜなら、一世帯でも養うことが困難な兼業が事業承継のため子息の職場を近隣に変えさせ且つ2世帯を養うことは物理的に困難だからです。
正直、国家の減反政策はそのための布石であったと考えていましたが、結局中途半端な戸別補償なる逆行する方策を導入したためにその絵すら見えなくなりました(専業有利に実施すれば全く違ったことができたでしょうに)。

TPPに走り出すための下地ができていない中での暴走。
彼らには明治から戦後20年の政治、政府の戦略を一から学び直してもらいたく思います。

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