宮崎口蹄疫事件と島根トリインフル事件の教訓 地域を「面」としてとらえる防疫が必要だ
「面」の防疫と「点」の防疫が対立する立場にあると、私は考えません。たとえばそうですね、例として挙げてまことに申し訳ないが、宮崎口蹄疫事件の時の川南町などが典型です。
川南町は全国屈指の畜産地域でした。言い換えれば、密集した畜産団地のような地域構造になっていました。これは川南町が開拓の町だからです。いわば牛、豚の家畜が住民の数より多いのです。
通常の地域においては、このような町ぐるみが畜産拠点となることは、一般住民との摩擦で不可能です。開拓からがんばって畜産を根っこにして出来上がった町だから可能だった光景です。
そしてある者は牛を選び、ある者は豚を選びました。養鶏を家業とする人もいただでしょう。その中にもいろいろジャンルがあって、牛だけでも繁殖、肥育、酪農ととりどりあります。豚も同じ、トリも同じです。
では、これらの畜産農家が「同業者」意識があるかと問われれば、たぶんないと思います。牛の繁殖農家が養豚農家を「同業」とはおもえないでしょう。そのくらい互いに異業種なのです。
私にしてもそうです。今回の口蹄疫事件で、初めて牛や豚の農家を「同業者」と感じることができました。
このようなある意味「点」の集合体の村に、強力な伝染病が襲いかかったわけです。しかも牛豚共通伝染病の口蹄疫でした。だから大変だったのではなかったのでしょうか。
牛屋は牛だけかんがえていればいいとはならなかった、豚屋も豚だけ考えていれば難を免れたわけではありません。牛も豚もなく、ましてや繁殖も肥育もなく地域の総力を上げて戦わねばなりませんでした。
だから、戦いの中でしか生まれない地域一丸となった「がんばろう、宮崎」という連帯感が生まれたのだと他県の者には見えたわけです。
しかし言うまでもなく、これはある種のきれいごとに過ぎる表現です。養豚専門誌「ピッグ・ジャーナル」には現地養豚家の赤裸々な声が収録されていました。JA系統と非JA系の違い、牛と豚の防疫に対する温度差、そして個々の農家の飼養衛生水準のあまりの格差です。
その方は防疫専門家を招いて、シャワーイン・シャワーアウトの設備などに代表される最新の防疫設備を導入しました。しかし近隣は必ずしも同じ歩調で防疫に熱心なわけではなかった。むしろ何もない時には、「変わっているなぁ。あんなことに金かけて」と心の中では思っていたことでしょう。
防疫とは、平時には作業効率を落とし、めんどくさく、ただの金食い虫に過ぎませんから。そして万分の一で発生する感染拡大という非常時に、初めて威力を発揮するものですから。
いや、この言い方も正確さを欠きます。万分の一の事態を事前に抑止することが、防疫の任務です。ですから、ちゃんとした防疫をやっていれば、何も起きない「はず」なのです。永遠の金食い虫であり続けることこそが、防疫の理想なのです。
ところが今回、起きてしまった。この養豚家の農場にもウイルスが侵入しました。シャワーイン、シャワー・アウトをしてすら空気感染までは防げなかったのです。全頭殺処分、そして従業員の一時解雇をせざるをえませんでした。血の涙がでたことでしょう。お察しします。
口蹄疫やトリインフルエンザなどの感染力が強力な伝染病(しかも予防ワクチンすら認められていない!)がいったん地域に侵入すると地域をなめ尽くします。口蹄疫においては牛、豚の違い、飼養衛生水準の差などなく、一切合切を破壊し続けます。これが県外者から見た今回の宮崎口蹄疫事件の総括のひとつでした。
必要とされるのは地域を「面」としてとらえた面防疫の概念です。牛は牛だけでやっていればいい、豚は豚だけではなく、ましてやJA系統がどうしたこうしたでもなく、「地域」を単位として策定されるべき飼養衛生水準の共有化です。
わが養鶏においては、平飼、ケージ、ウインドレスの区別なき地域防疫のすり合わせが必要です。できうるならば、そのためのシステム構築も必要となるでしょう。しかし、その前にともかくも、私たち畜産家は好むと好まざるとにかかわらず同じ地域という「船」に乗り合わせてしまったという自覚が要ります。
残念ですが、今その自覚すらありません。てんでんバラバラに自分の農場しかみていない。自分の農場さえ衛生的なら防ぎきれると思っています。それは幻想です。
私は20年前にニューカッスル(ND)で全滅し、わが手で殺処分までした記憶がありますが、近隣の若い養鶏家にはその記憶がありません。私が漁協とかけあって、中古の漁網を使って防鳥ネットを張っていても、奇異な目でみるだけです。情けない話ですが、わが地域では、湖岸地帯にかかわらず、まだまだ防鳥ネットは普及していません。
だから私は、島根県の発生農家をたかだか網の穴ていどでバッシングする人たちは、現実の畜産の現場を知らないと言うのです。あれが穴程度でなくて、まったく張っていなかった農家にウイルス侵入していたらあと3桁の死亡鶏ていどでは済まなかったはずです。
現実問題として「面」としての地域防疫をするならば、地方行政が全面的にバックアップせねば不可能です。単なる財政措置だけではなく、仮に牛屋が豚屋という「異業種」に対して「もう少し衛生レベルを上げてくれよ」と言えますか。無理だ。
これは地方行政が中に立って初めて可能なことなのです。「がんばろう、宮崎」の総括を、自分の地域に持ち帰って「がんばろう、わが村」とせねばならないのです。このようなことが出来なくて、畜産市場の全面開放を意味するTPPなど百年早いのではないでしょうか。
■写真 紅葉もそろそろおしまいです。欅はもう8割散ってしまい、もみじもだいぶ薄くなりました。その代わり、地面は綺麗です。
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コメント
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まったく同感です。ただ、現実的には同じ酪農家でも肉牛農家でも個々により、温度差(意識の差)がありますし、畜種が違えばその差はもっと大きなものになりますので、同じ目線(レベル)に持って行くのは並大抵の努力では難しいと思っています。
今回の口蹄疫時にも、大きな肥育農家では消毒ゲートを設置して、厳重に消毒を行っていましたが、酪農家の方は、せいぜい出入り口に石灰(それも自衛防疫組合から配布したもの)を散布した程度です。国道近くの農家も同じでした。残念ながら我々がいくら危機感を煽っても「どこ吹く風・・・」でした。PRの仕方が間違っていたのかも知れませんが、農家の意識としては、対岸の火事状態であり、せっぱつまった緊迫感はありませんでした。点から線、面での防疫意識も体制も構築する事は理想ですが、そこまでのレベルにひっぱりあげるのは・・・・どうしょう・・・」と考え込んでしまいました。
濱田様が仰る通り、防疫は無駄で終わる事が理想です。消防だって火事や救急・災害が無く消防士が暇であればある程、平穏である様に・・・・
点から面の防疫体制(意識)構築にはお金が掛かります。個人負担でどれだけの事が出来るでしょうか?
個人負担も求めながら、行政の支援が絶対に必要です。特にもしかしたら無駄になるかも?に対する支出は、中々財布の紐は緩みません。インセンティブ効果も期待しながらの、行政支援が必要だと思っています。
投稿: 北海道 | 2010年12月 6日 (月) 16時52分
今回の鳥インフルが、これ以上拡大することが無かったなら、その功績は、第一通報者である、初発養鶏農家につきますね。
まず、わずか5羽の鶏の死亡から、鳥インフルを疑い家保に通報した、その観察力に敬意を払いたいです。
普通の状態でも、幾らかの死亡は、起こり得る事だと思います。確かに、季節的背景や、宮崎の件があったにせよ、それでも、その素早い通報が、被害を最小限に止めた功績は、称賛されるべきです。
10年前、宮崎でも、素早い通報で、被害を最小限にとどめることができたのに、その第一通報者である獣医師を、官民あげてバッシングしました。
今回の、宮崎の口蹄疫禍は、その10年前の反動かもしれません。特に家保は、もし口蹄疫なら、またあの悪夢をみることになる(もっとひどい悪夢をみましたが)と、言う心理的圧迫があったのかもしれません。
投稿: 一宮崎人 | 2010年12月 6日 (月) 16時58分
連投失礼します。
昨日の記事の、悪魔の知恵。
農家だけでしょうか?
伝染病における凄まじい被害と、心理的圧迫。
その凄さを知る者は、決して農家だけではありません。農家以上に、その凄さを知る者が、悪魔の知恵を
働かせたら?
バッシングの奥底に、それが無い事をただ祈るばかりです。
投稿: 一宮崎人 | 2010年12月 6日 (月) 17時06分