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兼業農家と小規模農家は違う

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まずは、米子市のトリインフルの野鳥の発生の情報から。先日からのテーマをお読みになりたい方は、波線から下をお読みください。

やはり野鳥の営巣の場所にかなり濃厚な感染源があるようです。伊藤寿啓(としひろ)鳥取大教授(獣医公衆衛生学)は韓国や中国の発生地でウイルスが野鳥に定着し、家禽に発生しようとしまいと、毎年渡り鳥経由で日本に伝播すると考えています。

参ったな。ということは、韓半島や中国大陸では野鳥にトリインフルが土着化してしまったということですか。中国の青海省には土着化しているという情報はかねがねあったのですが、韓半島までとなると、近隣だけに毎年トリインフルが上陸する可能性があるということになります。

非常に強い警戒が必要です。

■ 今年10月以降、野鳥や養鶏場などでの高病原性鳥インフルエンザの感染確認が各地で相次いでいる。鳥取県は19日、米子市で見つかったコハクチョウから強毒性のウイルス「H5N1型」が検出されたのを受けて見回り調査を行い、衰弱状態や死骸の野鳥計31羽を回収した。死後長期間が経過し検査できないものなどを除く23羽の死骸を鳥取大で調べる。また、富山県は19日、高岡市で死んだコブハクチョウを検査した結果、強毒性の高病原性鳥インフルエンザウイルスを検出したと発表した。島根県や北海道で感染が判明したウイルスと「極めて近縁」としている。

 農林水産省などの調査では、シベリアなど北方の営巣地から渡り鳥がウイルスを国内に運んだ可能性があるという。伊藤寿(とし)啓(ひろ)鳥取大教授(獣医公衆衛生学)は「今までとは違うパターンだ」と指摘する。

 北方の営巣地を飛び立つ渡り鳥には2種類のパターンがある。10~11月ごろ、営巣地から直接日本に飛来するパターンと、中国や韓国を経て12月~翌年1月に飛来するパターンだ。

 伊藤教授によると、過去に北方の営巣地でH5N1型は確認されていない。そのため、これまでは中国や韓国のH5N1型発生地を経由して感染した渡り鳥が、ウイルスを日本に持ち込んでいると考えられてきた。だが、今年は渡り鳥が北方から日本に直接飛来する10~11月に初めてH5N1型の発生が確認された。韓国や中国では今秋、この型の発生報告はない。農水省は前年に発生地から営巣地に持ち込まれたウイルスが定着し、日本に運ばれた可能性もあるとみている。

 伊藤教授は「もし営巣地にウイルスが定着しているなら、渡り鳥は毎年ウイルスを運ぶと警戒しなければならない」と懸念する。

 農水省は「乾燥した冬場はウイルスが広がりやすい。養鶏場が家畜を野鳥と接触しないように注意するのはもちろん、一般の人も死んだ野鳥を見つけたら触らないで通報してほしい」と呼び掛けている。
(産経新聞 12/19)

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農水省や自治体農政課は兼業農家のことを「自給的農家」、あるいは「零細農家」と呼んでいます。こういう言葉遊びはやめてほしいものです。本質を分かりにくくする日本人の悪い癖です。

「零細」という語感からはまるで戦前の小作農のような過酷な貧農を連想します。食うに食えずに泣いているという語感です。
また「自給的」というに至ってはなんなのでしょうか。自家の畑や田んぼていどしか作っていないということなのでしょうが、「自給」という言葉からはまるで的循環的自給的生活を送る古典的な農民のようなイメージがあります。

では果たして兼業農家とは、農水省がイメージさせたいような「零細農家」なのでしょうか?私は違うと思います。

なるほど、かつての昭和40年代までの兼業農家は農業だけで食べられずに、冬場の出稼ぎに行ったり、次男、三男が街に勤めに出たりで糊口をしのいでいました。いよいよとなると親父までもが、カァちゃん、ジィちゃん、ばぁちゃんに田畑の手入れを任せて稼ぎに出ました。

私は減反以前、減反以後では兼業農家のあり方が大きく変化したと思っています。減反以前は、その時の農産物価格や景気、あるいは天候などにより生み出されていた兼業農家が、減反以後では農政に由来する構造によって生み出されるようになったからです。

私は減反政策で生み出された新規の兼業農家層を、「人工的兼業農家」といういう表現をしたいくらいです。それは戦前の地主制度下の貧農とはまったく違い、農水省自身が作り出した新たな農民階層なのです。

この「零細農家」という表現には、戦前から連綿と続く農水省内の小農保護派の哲学が見え隠れします。彼らがGHQの「農地解放」のお先棒を担ぐようにして終戦直後、各地の農民組組合と共に官民上げての土地分割をした歴史があります。

戦前、地主はおおむね20町歩以上を保有していました。山林まで入れれば40町歩ていどは所有していたのではないでしょうか。これはヨーロッパのイタリア26町歩などとほぼ同一の水準です。これを占領軍と農水省は、二束三文で1町5反前後に分割し、小農に配分しました。封建制の温床とみなされたからです。

余談ですが、これが小作の収奪を伴わない近代化をしていけば、現代の日本農業は素晴らしく強力になったことでしょう。しかし、歴史はそうは進みませんでした。

私は農村に来て、なんでまぁ1.5hで農地が揃っているのか不思議に思ったことがありますが、それはGHQによるこのような人工的な農地分割政策があったからです。今思うと、小作解放という理念は理解できますが、よその国の農業構造に手を突っ込むとはまったくよーやるよ、というかんじです。

米国のブッシュ大統領は、イラク戦争を開始するにあたって「日本占領という成功モデルをイラクにもやる」とのたまうていたそうです。無知が栄えた試しがないとはこのことでしょうね。アメリカ人には永久にアジアは理解できない。私はこの部分は反米です。

さて、減反以降は景気や天候とは無縁に常に一定の割合で兼業農家が存在するようになりました。狭い農地を、正味5月から8月までの3カ月間だけの労働で、しかも機械化が極度に進んで、そしてなんと言っても価格補償が政府によりなされるという、ある意味「おいしい」業態をいったん作ってしまえば、辞めるはずがありません。

また、同じ農家に貸すのも、親父や長男に死なれたりした土壇場の場合で、農地を貸すことにより耕作権が優先することを恐れてめったにしなかったことでしょう。

耕作権はそれなりに強力な権利で、いったんよその人が田んぼや畑に作物を入れてしまえば、潰して元の現況に返せとはなかなか言えないものです。ましてや、貸す相手は同じ近隣の農家だったり、親戚だったりするケースが圧倒的ですから、ほとんどノーリターンでしょう。もちろん地代は入りますが。

かくして、農地は極度に流動性がなくなりました。私が農村に入った1980年頃は、バブル期到来の頃だったのですが、農地はまったく誰も貸してくれないありさまでした。ようやく、お百度をして借りた田んぼは、原野に戻ってしまったような谷津田でしたっけね。

結果、日本の農業には極端に流動性を欠く性格をもってしまいました。それは農地のみならず、新規の農業参入を拒否したがるというもうひとつの閉鎖的体質にもつながりました。

減反初期は涙を飲んで減反に従い、食えずに街に働きに出た農民も、既に40年、1世代半です。親父の悔しさは息子には伝わりません。ましてや孫には。こんな国家生産カルテルをして、そしてそれを護持することこそが最大の日本農政のテーマだなどということを続けていれば、やがて農民は生産意欲を失い、国家に寄り掛かる気持ちが強くなってしまいます。

一方、私たち小規模農家はやせても枯れても専業で歯を食いしばって生きている自立した農家層です。
特にわが畜産農家では兼業は存在しえません。日常的な管理が365日あるからです。正月も家畜の世話をしてからお屠蘇を飲みます。そしてシャワーを浴びて酔いをさまして白ゴム長を履いて、午後の仕事に取りかかります。いくら正月でも、酔って家畜には触りません。

この両者をひと括りにして「農家」と呼ぶことにはいささか無理がありませんか。兼業農家はよき村人、よき隣人であることは確かですが、私たちとは違う階層です。

ところで、かつての石破農政の品目横断政策、簡単にいえば集積を指向した農政に対して、JA全農は激しい反発をしました。それは「零細農家が切り捨てられる」という不安感でした。品目横断政策はこれ自体独立したテーマになりえるので詳述は別な機会にしますが、「零細」、つまりは兼業の切り捨てを許さないというのが、現在のJA全農の考えでした。

そのときに、一般国民に対してJA全農は「零細農民に死ねというのか」というような言い方をしました。事情をよく知らない都会の消費者は、自民党が富裕な農家ばかりに補助金を出して、苦しい「零細」を潰そうとしていると考えました。当時野党だった民主党も批判を繰り返しました。

とんでもない言葉のマジックです。「零細農家」は町の収入で食べているのですよ。米の収益など余祿に過ぎませんよ。
小規模農家こそが、「零細農家」の手に余っている農地を集めてがんばろうとしているわけです。ようやく日本農業の宿題だった、土地の所有権と耕作権の分離という古くて新しいテーマの解決の曙が見えてきたのにその芽を摘み取るとは!

兼業農家に土地を手放せとは言いません。所有権を移転しろとも思いません。ましてや企業に売れとも思いません。第一、農地法が現実いまだはまっていますから事実上不可能ですけど。

兼業農家はやる気のある農家に貸せばいいだけです。一年に10数日しか使わないトラクターやコンバインは機械ごと借り主に貸し出せばいいのです。今の米価なら、働く手間をかんがえたら、収益的にはいい勝負でしょう。ならば、有為の村の農業者に貸せと言いたい。

私の村の友人は、その方式で20町歩ちかくを集めてエコファーマー認定をとり、大規模米作りを始めました。そのための消費者の受け皿も作りました。インターネットでの販売も始まりました。そして田植えや、かかし作り、稲刈り、味噌作りなどのイベント企画も考えました。食味を科学的に分析して、肥料配分を考えたり、機械を効率よく運用する研究会も作りました。

ところがこれに対しても約3割の減反がかかる、お上はやれ、米粉にしろ、飼料米にしろと言ってきます。
そのまま食べれば素晴らしいモチモチのコシヒカリの新米を泣く泣く米粉にしました。しかし米粉だけではとうてい売れません。しかたがないので、試行錯誤の上にうどんやスパゲティにしました。すると、今度はうどんの製造所許可と、スパの製造所許可は違う、別に建設せよとの無理無体。

あげくに民主党の農家個別所得補償とやらで、黙っていても所得保障されるならこっちのほうが楽だべぇと思う貸し手が増えて、どうも来年は下手すれば4割は耕地が減るかもしれないと忘年会でボヤいていました。この冬、彼は一軒一軒、酒ぶら下げて夜に頭を下げて回るのでしょうね。地代も色をつけねばならないでしょう。まったく民主党はくだらないことをやる。

ひとつ農水省に聞きたい。あんたらは一体どっちの農業を伸ばしたいんだ。兼業農家なのか、私たち専業農家なのか。

農水省はその決断がつかぬままに、護送船団よろしく兼業農家というパートタイム農家を温存したままTPP時代を迎撃しようとしています。

■写真 おぼろな早朝の靄に浮かぶ野原。

■追記 けい様。すいません。後継者を馬鹿にするつもりはまったくありません。むしろ頼もしい日本農業の若武者たちです。

■追記2 文字が小さくなりました。今まで大きな文字も使えたのですが、急にニフティの都合で使用できなくなってしまいました。私自身、見えにくいのですがいたしかたありません。ごめんなさいね。

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コメント

韓半島とは「かの国の言い方」です。日本人なら地理学上、「朝鮮半島」と呼びましょう! 世界的、歴史的に見ても日本海は日本海ですが、日本が「日本海」を呼び名が気に食わないから「東海」と朝鮮人が呼ぶのと同じです。

投稿: AniVet | 2010年12月20日 (月) 10時57分

重要なご指摘いたみいります。できましたら本文についてお願いできないでしょうか。

投稿: 管理人 | 2010年12月20日 (月) 11時25分

僕は、兼業農家というのは、税法上、主たる収入(甲種)を農業以外のもので、申告している人を言うのだと思ってました。都市近郊では、サラリーマンをやりながら、機械化が進んだので、田んぼの管理は、家族が土日に頑張れば、出来てしまい、米価も当時は、保証されていたので、結構、裕福な生活をしている人が多かったですよ。国道沿いの田んぼは、喫茶店なんかに貸したりとか、アパートも建てていて。。つまり、収入が多いのが、世帯主の職業とは、限らないわけです。世帯主が、一流企業の部長なら、それが、職業であり、農業収入や不動産収入が多くても、兼業農家は、兼業農家で申告できてしまうのだと思ってました。当然、国民年金より厚生年金を選ぶのが有利だし。。公務員兼業農家も多いと思います。

農地解放とか、廃仏喜捨とか、日本の大きな制度変更がもたらした弊害は、大きいと思います。小作人の権利もわかりますが、地主への制限も、程度問題でしょう。ある意味、地主単位で、農協みたいな組織が出来ていたら、状況も変わったのかも。。
作物によって、必要最低面積も違うのだから、数字のマジックで、全部均等にするのが、本当の平等なのかな~。

投稿: りぼん。 | 2010年12月20日 (月) 23時28分

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