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2011年4月24日 (日)

放射能の春に、茨木のり子の詩を読み返す 

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今、多くの日本人がうなだれている。話しても気が晴れない。酒を飲んでも、甘いお菓子を食べても美味しくない。

自粛という虚しい二文字。桜は満開のまま散り、ほととぎすは歌っているのに、春の声を聞こうとしない。

春の野遊びにも行かない。サッカースタジアムは壊れてしまった。東北出身のキャプテンはスパイクに「東北魂」と縫いつけた。

大震災の後、茨木のり子の昔の詩を読み返している。
めげそうになると読む。先が見えないと読む。

彼女はなんとも雄々しく、男性的なやさしさを持った女性だ。現代詩の詩人でありながら、難しい表現は一切しない。すっと心に届く言葉で語けてくる。

というか、彼女から手厳しく怒鳴られることのほうが多い。

  満員電車のなかで

  したたか足を踏まれたら

  大いに叫ぼう あんぽんたん!

  いったいぜんたい人の足を何だと思ってるの

  生きてゆくぎりぎりの線を侵されたら

  言葉を発射させるのだ

  ラッセル姐御の二拳銃のように

  百発百中の小気味よさで

  ぱさぱさに乾いてゆく心を

  ひとのせいにはするな

  みずから水やりを怠っておいて

  気難しくなってきたのを

  友人のせいにするな

  しなやかさを失ったのはどちらなのか

  苛立つのを

  近親のせいにはするな

  なにもかも下手だったのはわたくし

  初心消えかかるのを

  暮しのせいにはするな

  そもそもが ひよわな志にすぎなかった

  駄目なことの一切を

  時代のせいにはするな

  わずかに光る尊厳の放棄

  自分の感受性ぐらい

  自分で守れ

  ばかものよ

彼女の詩は終戦直後に書かれた。瓦礫と化した町で書かれた。瓦礫の町と放射能の雲の下で生きることになった私たちに、彼女はこう叱咤する。

  たったひとつの獲得品

  日とともに悟る

  この武器はすばらしく高価についた武器

  舌なめずりして私は生きよう!

そうだ、私たちも素晴らしく高価についた武器だったが、舌なめずりして生きよう。
そしてもっと日本人は怒っていい。

怒れ、福島!

怒れ、茨城!

くたばれ、東電!

しっかりしろ、政府!

Photo

 

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コメント

茨木のり子さんですか。
逞しく優しい、今の日本人のメンタリティへの示唆に富んでますね。

写真は鳥居でしょうか。
鹿島神宮の鳥居も倒れたと聞きました。
こちらでも米沢の上杉神社の鳥居が倒壊しました。


北海道様。
私も以前乗ってたFFサニーではブースターケーブルとナイロンワイヤーと脱出板は常に載せていて、多分10台以上は救助してます。
逆に助けられたのは、若い頃に気楽に砂浜に入ってハマった2回。アウトドア派のランクルと漁師のオッチャンの四駆軽トラでした。
今は一応スポーツFRなので無茶はしないようにしてます。一応最低限の装備品は積んでますが、使う事態が生じないことを祈るのみ。

昨年は、茨木さんの評伝「清冽」(後藤正治)や、
写真集「茨木のり子の家」などが出版されましたし、
「茨木のり子集・言の葉」がちくま文庫に収められるなど、
茨木さんについての出版が相次ぎました。
新しい読者を獲得しているのだと思われますが、うれしいことです。

ところで細かいことで恐縮ですが、茨木のり子さんは
終戦の年に19歳で、詩作を始めたのは20代後半からですから、戦争期を描いた作品も、終戦直後に書かれたわけではないと思います。

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