放射能の春に、茨木のり子の詩を読み返す
今、多くの日本人がうなだれている。話しても気が晴れない。酒を飲んでも、甘いお菓子を食べても美味しくない。
自粛という虚しい二文字。桜は満開のまま散り、ほととぎすは歌っているのに、春の声を聞こうとしない。
春の野遊びにも行かない。サッカースタジアムは壊れてしまった。東北出身のキャプテンはスパイクに「東北魂」と縫いつけた。
大震災の後、茨木のり子の昔の詩を読み返している。
めげそうになると読む。先が見えないと読む。
彼女はなんとも雄々しく、男性的なやさしさを持った女性だ。現代詩の詩人でありながら、難しい表現は一切しない。すっと心に届く言葉で語けてくる。
というか、彼女から手厳しく怒鳴られることのほうが多い。
満員電車のなかで
したたか足を踏まれたら
大いに叫ぼう あんぽんたん!
いったいぜんたい人の足を何だと思ってるの
生きてゆくぎりぎりの線を侵されたら
言葉を発射させるのだ
ラッセル姐御の二拳銃のように
百発百中の小気味よさで
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
彼女の詩は終戦直後に書かれた。瓦礫と化した町で書かれた。瓦礫の町と放射能の雲の下で生きることになった私たちに、彼女はこう叱咤する。
たったひとつの獲得品
日とともに悟る
この武器はすばらしく高価についた武器
舌なめずりして私は生きよう!
そうだ、私たちも素晴らしく高価についた武器だったが、舌なめずりして生きよう。
そしてもっと日本人は怒っていい。
怒れ、福島!
怒れ、茨城!
くたばれ、東電!
しっかりしろ、政府!
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コメント
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茨木のり子さんですか。
逞しく優しい、今の日本人のメンタリティへの示唆に富んでますね。
写真は鳥居でしょうか。
鹿島神宮の鳥居も倒れたと聞きました。
こちらでも米沢の上杉神社の鳥居が倒壊しました。
北海道様。
私も以前乗ってたFFサニーではブースターケーブルとナイロンワイヤーと脱出板は常に載せていて、多分10台以上は救助してます。
逆に助けられたのは、若い頃に気楽に砂浜に入ってハマった2回。アウトドア派のランクルと漁師のオッチャンの四駆軽トラでした。
今は一応スポーツFRなので無茶はしないようにしてます。一応最低限の装備品は積んでますが、使う事態が生じないことを祈るのみ。
投稿: 山形 | 2011年4月24日 (日) 08時27分
昨年は、茨木さんの評伝「清冽」(後藤正治)や、
写真集「茨木のり子の家」などが出版されましたし、
「茨木のり子集・言の葉」がちくま文庫に収められるなど、
茨木さんについての出版が相次ぎました。
新しい読者を獲得しているのだと思われますが、うれしいことです。
ところで細かいことで恐縮ですが、茨木のり子さんは
終戦の年に19歳で、詩作を始めたのは20代後半からですから、戦争期を描いた作品も、終戦直後に書かれたわけではないと思います。
投稿: コンタン | 2011年4月24日 (日) 23時33分