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2011年5月22日 (日)

事故直後にフクシマでなにがあったのか

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今までわかってこなかった原発事故の当初の状況も分単位で明らかになってきつつあります。

原発事故対応が初動に尽きるのはすべての危機管理と一緒ですが、特に災害の大きさと深刻さから、すべては24時間以内に対処を完了すべきでした。

問題は2点です。

①格納容器内の高圧を逃がして、注水をしやすくするためのベントがなぜ事故発生当日の11日中に行われなかったのか。
②12日早朝から行われている消防車での冷却水注入がなぜ少なすぎたのか。

ベントするための電源は、11日当時8時間もつ非常用バッテリーがまだ生きており、バッテリーが弱くならないうちの4時間以内にベントをすれば、後の注水が入りやすくなると言われています。(大阪大学原子炉工学 宮崎慶次名誉教授)

現実には事故後4時間どころか、ベント実施は翌日12日10時17分でした。

この遅れの理由を東電側はこう発表しています。(4月18日参院予算委員会 清水正孝東電社長)
・電源が切れていた。
・主導でやろうにも放射線量が高くて現場に入れない。
・電源が切れて暗闇となり通信機能も失われていた。
・何より周辺の影響があるので、(住民の)避難をしっかりと確認する必要があった。

このベント遅れが、絡まりあうようにして後者の注水の妨げになっていきます。というのは、炉心冷却の機能が失われており、炉心の水位は事故直後から循環が停止したために炉心水位が急激に落ちてきていたからです。

いや、この言い方も正確ではありません。正確には原子炉が「どうなっているのかわからなくなっていた」からです。

そのために11日16時36分に「原子炉の水位が確認できない」ことを示す原子力災害対策特別措置法第15条を通告しています。(その後いったん解除しまた通告)

そして同日19時03分、史上初の原子力緊急事態宣言発令。
20時50分、半径20㌔の避難指示発令。

11日22時頃には保安院の内部資料では、「プラント状況の評価」、「予測」としてこのように記されています。(AERA5・9による)

・22時50分炉心露出
・23時50分炉心被覆管破損
・24時50分炉心融解
・27時20分原子炉格納容器設計最高圧(527.6キロパスカル)到達

実は1号機への注水作業は12日朝から行われていました。これは全電源喪失のために消防車を使って行われ、10時17分のベントをはさんだ14時53分までに約80トンを注水しています。

消防車を使ったのは、前日22時に非常用電源車が到着したのですが、なんと原子炉がGE製の400Vで、規格違いのため接続できないという大マヌケをやらかしていたからです。

またこの注水量ではまったく不足でした。宮崎名誉教授によれば「1号機には毎時25トンの水をいれなければならないにもかかわらず、実際は10トン/時しか入っていない」状況でした。

この原因は格納容器内部が設計最高圧を超えてしまっており、高圧のために注水が跳ね返されるという事態が1号炉では起きていたからです。

ところがこの格納容器がベントをしていない12に5時14分に低下し始めます。(東電内部資料による)

これは決して安心できる事態ではなく、真逆な格納容器の密閉性が失われつつあることを示していました。つまり、原子炉炉心は融解を開始、それを閉じ込めておくべき格納容器が破損しているのがわかったのです。

そして15時36分、充分な注水がなされないままに炉心融解をおこしていた1号炉は水素爆発。

このベントの遅れがいかなる理由なのかには諸説紛々飛び交っていますが、ここでは置くことにします。

とまれ、ベントの遅れがあまりにも少ない注水を招いたようです。そしてその注水作業も真水から海水に換えるにあたって、12日19時25分から20時20分まで中断されるという「謎の55分間の断水」のために完全なメルトダウンへとなっていったのです。

この「謎の55分間の断水」は武藤東電副社長が塩害を恐れてためらったという従来の説と、一昨日に菅首相がイラチで中断させたという説が浮上していっそう混沌としてきましたが、ここでは触れません。

 

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コメント

普通は、真っ暗で、計器が、万単位であって、どれが正確かわからないとなれば、まず、壊れていないことを期待して、サプレッションプール系由で、外部放出ろ過フィルターを通して、高い鉄塔の排煙煙突から、高い高度に拡散希釈放出したいと考えるのでは?
それには、圧力容器内の圧力や、水位、水蒸気量、発生水素量、格納容器の圧力、水位、などなど、あらゆるデーターが、正確に必要だったでしょうが、何も情報がないまま、電磁バルブを開ける動力もあって、きちんと作動し、静電気による水素爆発が起きない水素、酸素混合比など、わからないから、何もできないのでしょう。もともと、循環器冷却系は、すべて、送電線による外部電源でしか、動きませんので、無理ですし、内部圧力が高くなっている状況で圧力容器についている弁を開放するのは、状況がわからない以上、無理でしょう。

もともと、諸外国は、湖や河川、人工ダムで、落差式で、電力に頼らず、しばらく原子炉を冷やせる設計ですし、重力式ホウ酸バケツ落下システムもありますし。。

戦争をやったことない日本ですから、水素爆発に代表されるガス爆発の威力は、とてつもない威力だってこと、実感していないのでしょう。

わずか数キロ離れたところに、コントロールセンターを作っているのですから、、フランスのニューカレドニアでの水中爆発でさえ、かなり遠方の計測機器が、吹っ飛んでいます。水中爆発や地価爆発で、ものすごい状況ですので、空中爆発は、相当の被害でしょうね。

1-2号機、3-4号機を、ベント配管に逆止弁を、何十にも着けてなかったなど、設計ミスだらけですよね。

少なくとも、マンガではなく、本物のプラント設計図を見れば、いかに、ぼろぼろで、どうしようもない状況かは、わかるはず。

弁や、配管の曲がりには、相当の圧力がかかったので、弁が、素直に正常に、遠隔操作で、開閉できるとは、思えないですね。

そうなってくると、水に覆われた結果、まだ、思ったより、短期急性被爆は、少なかったのでしょう。

圧力容器が丈夫でも、パッキン接合部や配管部分は、弱いですから、水素ガスなんて、自由に漏れてて当たり前でしょうね。

原子力は、未完成発電システムですから、難しいですよね。

なんだか班目さんに責任転嫁しようとして、それが無理だと思ったら表現を変えてみたり…まさに泥縄式ですな。
しかも議事録すら無いとか、いい加減にしろと。

で、サミットへの土産に太陽光発電のコスト削減計画などという、希望的で根拠の極めて怪しいことをリリースしてます。


一方、社民党は2020年までの原発全廃ロードマップなどと、信念があるなら震災前に詳細を提示されていて当然なことを今更ながら発表。
私も原発なんぞ無ければ越したことはないと常々思ってますが、全くもって信用できません。政局で都合の良いことばかり平気で宣う。

誰が信用するんでしょうね?

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