あ、まずい、福島第1原発は低いんだ!と、元東電社員は言った
よく知られているように福島第1原発と、第2、そして女川原発はわずかの距離しか離れていないお隣の位置関係にあります。
この事故が起きたときに、私の知人の東電を退職した男が思わず吐いた言葉を思い出します。
「あ、まずい、あそこは低いんだ!」
彼は技術者ではないのですが、六ヶ所村にも数年派遣されていた経験を持ちます。社長の清水氏とは同期だそうです。そのせもあるのか、いつもは気のいい男ですが、この事故については、貝になってしまいました。その彼が、思わず言ったのが「低い」という言葉でした。
この大震災の大津波はこの一帯で15m以上を観測されています。にもかかわらず、なぜ福島第1原発のみがこのような重大事故を引き起こしたのかの謎は、その「低さ」にあります。
東北電力女川原発も、想定する津波の高さは9.1mでしたが、現実には13mに達し、2号機の建屋の地下が浸水、非常用電源の一つが破壊され、もうひとつの非常用発電機で対処しています。
また、4月7日の余震では、3系統ある外部電源のうち2系統までもが停止し、1系統の電源のみで1~3号機を冷却するという福島第1一歩手前の事態を引き起こしています。
とまぁ女川原発もそう褒められた状況だったわけではなさそうですが、とまれ持ちこたえました。その理由は、女川原発の位置が高かったからです。
女川原発は女川河口から入った約25mの台にあります。これが女川原発を髪の毛一筋で救いました。
一方、福島第2原発は、原子炉自体第1より3年ばかり新しく耐震構造がしっかりしており、非常用発電機や変圧器も原子炉建屋内部に設置されていました。これが外部にあってモロに津波をかぶって破壊された第1との違いです。
このような防災設計により、第2では1号機建屋が浸水したにもかかわらず、全電源が無事で冷却機能は失われませんでした。(第1では、6号機以外すべてが停止)
ただし、第1においては、タービン建屋が原子炉建屋の防波堤代わりになったなった側面もあるようで、一概には言い切れないかもしれません。
結果、第2は震災翌日の12日に冷温停止しています。
第1の立地場所は、元来西武の堤康次郎氏が旧軍から買い取ったものでしたが、そのときには海抜35mの台地でした。(下記資料参照)
それを東電は、原発建設にあたりわざわざ25m削っています。理由は、計画メンバーの豊田正敏元東電副社長よれば、軟弱な粘土や砂岩層であったために地震対応可能な地表下25mまで掘り下げて比較的しっかりした泥岩層に建てたのだそうです。
また、大量に必要とされる冷却水を取水するにも低い土地のほうが効率がよく、船着場からの核燃料搬入に都合がよかったと豊田氏は語ります。
豊田氏は「今考えると、台地を削らずに、建屋の基礎部分を泥岩層まで深く埋めれば、地震と津波の両方の対策になった。申し訳ない」とインタビューに答えています。
このようにして津波によりタービン建屋がすべて破壊され、全電源停止、非常用電源破壊という今まで日本の原発が経験したことのない事態を迎えたわけです。これをテレビで「百万分の一の確率」と言っていた原子力専門家がいましたが、まったく違います。
このような全電源停止、非常用電源喪失・冷却機能喪失という状況はことさら新しい状況ではなく、国際的にはかなりの回数が記録されています。
もっとも有名な事例は、かつて記事でも紹介したことのある米国ブラウンズフェリー1号機が起こした1975年3月22日の事故です。
これは大規模ナケーブル火災事故により、多重化してあるはずの冷却系が一挙に喪失し、一時はきわめて危険な状況でした。
このような事故は、他にも同じ75年の東独のグライフスバルト原発1号機、80年のソ連クルスク原発、93年のコラ原発、93年コネチカットヤンキー原発、さらにラサール原発でも起きています。
特にこのブラウンズフェリー原発事故が、米国の原子力行政に与えた影響は大きく、長期間にわたってその教訓をシミュレート研究する蓄積がされてきました。
つまり、「百万分の1」どころか、全電源とともに非常用電源喪失が起きる事故は頻発していたわけであり、その教訓をまったく取り入れず「想定外だった」と居直ってしまう東電や政府の原子力行政自体がお粗末だったのです。
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東日本大震災で十五メートルの大津波に襲われた福島第一原発の立地場所が、四十年以上前は海抜三五メートルの台地だったことが、建設当時に東京電力が国に提出した資料などで分かった。東電は、地盤強度や原子炉を冷やす海水の取り入れやすさを考慮した結果、地表から二十五メートルも土を削って原発を建設。計画に携わった元東電幹部は「違う建て方もあった」と、津波対策を軽視してきたことを認めた。
原発建設地約二百万平方メートルは、東電が一九六四年までに取得。旧日本軍飛行場があった場所で、海岸線に険しいがけが続く台地だった。地質的にみると、台地の地表から海水面までの三分の二部分には地盤が弱い粘土や砂岩層が広がっていた。
計画メンバーの一人、豊田正敏・元東電副社長(87)によると、当時、さまざまな建設方法を検討。その結果、巨大な原子炉を建て、地震に対応するには、地表から二十五メートル下にある比較的しっかりした泥岩層まで掘り下げることが必要だと判断した。
原発は大量の冷却水を必要とし、海面に近い方が取水効率がいい。船で運搬される核燃料の荷揚げにも都合がいい。こうして一九七一年、国内初の商業用原発として1号機が稼働を始めた。
今回、東電の想定五・七メートルをはるかに超える津波の直撃で、原発は高濃度の放射能漏れが続くレベル7という危機的状況に陥った。いまだ収束の見通しは立たない。
「耐震設計の見直しはしてきたが、津波対策をおろそかにした。建設を計画した一人として、申し訳ない」と話す豊田氏。「今、考えると、台地を削らず、建屋の基礎部分を泥岩層まで深く埋めれば、地震と津波の両方の対策になったかもしれない」と悔やむ。
十三メートルの大津波に襲われながら、かろうじて惨事を逃れた宮城県の女川原発は海抜一五メートル。そして、津波の教訓を生かして福島第一原発に新たに配備された非常用電源があるのは、原発の後背地に残る掘削前の高台だ。
(東京新聞)
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コメント
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今回の震災で原発の津波への脆弱性が焦点になり、震災時の電源の確保ばかりが安全対策のようにいわれています。
しかし、今回の事故で、津波への脆弱性が露呈しましたが、私は、大地震に耐える事が証明されたとは全く思っていません。
今回はM9と言っても震源が離れていたからです。直下でM8の地震が発生し原発近辺で何メートルも断層がズレたら、原子炉や貯蔵プールが無事である保証はありません。壊れてしまえば、いくら電源が確保されても冷却できません。特に、浜岡原発は震源域に立地しています。
今回の震災だけで全てを判断したら落とし穴にはまります。
投稿: 南の島 | 2011年5月 8日 (日) 21時25分
大体、4号機の貯蔵プールの水素爆発が、ものすごい状況ですよね。科学者なら、コンクリートプールの脆弱性は、わかっているはず。ここに、大量の燃料棒を保管するなんて。。まあ、実験室での簡易ドラフターの実験で育った研究者が、そのまま、プラント設計するのだから、危険極まりないですよね。
地盤学、建築学からすれば、原子炉建屋とタービン建屋の揺れの差は歴然だし、フレキシブル耐圧パイプで、許容できる範疇は、はるかに越えているでしょうし。。電源喪失以前に、沸騰水型そのものが、設計ミスでしょうし、サプレッションプールの水素爆発での耐圧計算を、40年前にどうやって計算したのでしょうか?
ノロセメントで、貫通パイプの隙間を埋めたそうですが、まったく、構造的には、意味をなさないですよね。
大体、予備電源車では、水冷ポンプは、電源不足で、動きませんしね。
漫画でなく、本物の設計図を見れば、原発の危うさは、明白ですよね。2mのコンクリートの厚みがあっても、フープ背筋がほとんどありませんから、
中学時代、缶ピースの空き缶の上下に穴を空けて、都市ガスを充填して、火をつけ、放置すると、酸素の割合が、バランスしたとき、一気に爆発して、空を飛んでく、いたずらを良くしてました。
水素は、特に、破壊力が強いですよね。体積がいちじるしく変化する物質は、要注意です。
液体燃料ロケットは、制御が難しいので、当時は、固体燃料ロケットを研究してましたよね。糸川教授がなつかしいです。
水というのは、不思議な物質で、万能ではありますが、コンクリート水槽で、保管するのは、いかにも危険です。そういうわれわれも、実験器具を王水につけて、有機化合物洗浄に使っていたが、地震があれば、大事故になっていたであろう。
廊下には、酸素ボンベや窒素ボンベが、山のように転がっていたわけだし。。
無知とは、恐ろしいものです。
投稿: りぼん。 | 2011年5月 8日 (日) 22時17分
http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050801000622.html
日雇い労働者が多く集まる大阪市西成区のあいりん地区で、東日本大震災後、宮城県で
運転手として働く条件の求人に応募した男性労働者から「福島第1原発で働かされた。話が違う」と
財団法人「西成労働福祉センター」に相談が寄せられていたことが8日、関係者への取材で分かった。
>ホームレスを原発で働かていたというのは都市伝説でしたが福島原発で水素爆発後事実だと分りました。もう昔のようにはいきません。その元東電の方は逃げ切り勝ちですねと言いたいです。しかし原発神話崩壊後は世論が許しません。
投稿: 適 | 2011年5月 9日 (月) 00時04分