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2011年6月16日 (木)

放射線についての食品安全委員会が両論併記になったわけ

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書いている当人が楽しんで書いていないためか、はたまた歯切れが悪い両論併記をしているせいか、この間の低線量被曝についてはコメントがほとんどない状態です(ため息)。

これを書いている時間が朝の5時から7時なので、朝ッパラから頭をかきむしりながらオレなにやってんだろうと自問することもしきり。

私としては「なぜ、国は被曝した可能性が高い地域の人間にしっかりとした指針を示してくれないのだ?」という素朴な疑問から始まっているだけなんですが、これがなかなかムズカシイときています。

さて厚労省の諮問委員会である食品安全委員会は、3月29日に出した「放射性物質に関する緊急とりまとめ」の中で、そうとうに突っ込んだ「安全側に配慮した」規制値を出してきました。

ほんとうは放射性医学界の主流としてはきっぱりと「国の責任において100ミリシーベルト未満は大丈夫だと宣言します」と言い切ってしまいたかったのだと思います。

しかし、現実に出た答申は、ICRP(国際放射線防護委員会)の出している100ミリシーベルトのを5分の1にまでタイトにした20ミリシーベルトという厳しい基準値でした。なぜでしょうか?

いや、正直に言って、関西の人なんかより福島、茨城両県の県民のほうが「100ミリシーベルト、いや150だって大丈夫です」と言ってほしかったでしょう。大阪でガイガーカウンター片手に食事している人よりガンに罹る率はケタ違いなはずですから。

食品安全委員会の審議の中では、もっぱら放射線治療の中で得られている知見の観点から専門家が多く発言したようです。

そう言えば、前回「原子力村」、要するに御用学者だと言われてしまった中川恵一先生も、東大病院の放射線科の医師でしたね。国立ガン研究センターも会見をしていますが、やはり中川先生に近い意見です。

この放射線医療の医師たちの最大公約数的意見は「100mSv未満は、発がんリスクが検出されないという研究が圧倒的に多い」ということでしょう。まぁ「ゼロ被曝が望ましい」などといったら、自分の仕事ができなくなるからかもしれませんが(笑)。

この100ミリシーベルトというのが閾値(境界の数値)というわけですが、研究者によっては150ミリシーベルツトという人もいます。

前に紹介した低線量を脅威とする研究者は50ミリシーベルトを閾値としていますから実に3倍の差です。更にラジカルな人はいかなる放射線自体も危険であるとまで言っています。

結局、この審議会ももめたようです。というのは、「いや、20mSv弱の曝露で、固形がんのリスクが若干上がっているという調査結果もある」などと、低線量放射線の発がん影響について多くの意見が出たからです。

隔世の感があります。私の偏見かもしれませんが、今まで低線量被曝を脅威とする人たちは学界の中で異端児だったようです。小出裕章先生なども京大の片田舎の実験所の教員のいちばんのヒラである助教(助手))から出世できませんでした。

一方放射線医学界でブイブイ言わしているのは東大、京大の先生ばかりです。こういうところが、象牙の塔のいやらしさでしょうね。

ところが、3月12日以降この形勢は大逆転しました。今までオオカミ少年呼ばわりされながらも原発の危険を訴え続けた異端の人たちのほうが、少なくとも原発の危険性においては正しかったことが現実に証明されてしまったからです。

これは百万言の言葉より大きなインパクトを日本全体にもたらしました。小出先生の明大の臨時講義に、ホールに入りきれない学生ほどので埋まり、先生はとうとうホールの外に出て話をされたそうです。

そして原発に反対する人たちの低線量被曝に対する危機意識がみるみる内に浸透していきます。

そうでもなかったら食品安全審議会は、今までどおりにシャンシャン大会で、「100ミリシーベルト以下は安全。そうでよろしゅうございますね」でチョンだったはずです。

しかし審議会は「放射性ヨウ素については甲状腺等価線量50mSv=実効線量にして2mSv、放射性セシウムについては実効線量5mSv、あるいは10mSvである」というというとりまとめをせねばならないほど紛糾しました。

つまり低線量を脅威とする人たちの声がとおり始めたのです。

となると、学界主流派の「低線量被曝は確率論であり、現実にはほとんど無視し得る」という意見と並んで、「今回の検討では、低線量での発がん性のリスクについての詳細な検討は行えていない」と書かざるを得ない状況となったのです。

また、同じ審議会とりまとめ文書で、「放射線への曝露はできるだけ少ない方がよいということは当然のことである」と書かなければならなくなったわけです。苦しいところです。

ともかく3月の下旬という緊急時です。ここで審議会を流すわけにもいかない。かといって疫学的調査や毒性学的な情報収集の時間もないとなれば、両論併記した上で、「実際上の人の影響には閾値がある」とせざるをえなかったというわけでしょう。

たしかに、前々回の広島、長崎の疫学調査においても、多くのパラメータがあることは文献にも記されています。

例えば爆心地からの風向き、地形、遮蔽されていたかいないか、年齢、性別、飲酒、喫煙などの生活スタイルまでふくめて実に多くの変数があるのが分かります。

ただ一律に近ければどうとか、遠くても危ないと言い切れないほど現実にはパラメータが多く存在するわけです。

いずれにせよ、閾値ありかなしか、あるいは、極めて微量の被曝はどうかということを考える時には、非常に多くのそれぞれの人が抱えた要因に左右されるというのは確かなことです。

だから、放射線医学の専門家になればなるほど、「微量で閾値以下なら必ずしも危険ではないが、しかしできるなら放射線には当たらないほうがよい」という含んだ言い方になるようなのです。

科学者として良心的であろうとすればするほど、一般ピープルには分かりにくくなってしまうのはそのようなわけです。

■写真 ウユニ塩湖の朝です。一見すると雪か氷のようですが、実は岩塩の湖。カミさん撮影。写真は腕ではなく被写体のすごさだというのがよくわかる一枚です。

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コメント

>微量なら閾値以下なら必ずしも危険ではないが、できるなら放射線には当たらないほうがよい。

一般には分かりにくい表現ですが、これが本当のところでしょう。
ただ、その閾値がどのくらいなのか?そもそも閾値が存在するのか?
で、堂々巡りです。
実際に自然界からの放射線は避けられませんし、実際に私達は放射線が降る中で生活していくしかありません。
だからこそ「科学的根拠に基づいた基準値」が必要なはずなんですが…。

ちなみに山形県では東京よりも低い値が出てますが(奥羽山脈のおかげ)、今からが旬の観光さくらんぼ園や道の駅などは閑古鳥が鳴いてます。

マシになったとはいえ、排気ガス沢山の大都会に住んで、中国産野菜やら香料や調味料をぶちこんだ外食やインスタント食品とくらべて、危険だとはとても思えないですけどねえ。

私、昨日の夕食はメキシコ産特売の豚肉・銚子の鰹・福島産さやえんどう・十勝の牛乳・鹿児島産オクラ・茨城産モヤシなどでした。愛用してた三陸ワカメが入らないので、中国産のでワカメサラダ。
物流が発展し便利になった現在、震災からも落ち着いてきて、スーパーに行けば消費者はもう選り取りみどりです。

関東の作物は食わないという方は、もう好きにしてくださいとしか言えません。

私は一般流通してるものは、だいたい外食チェーンなどより安心して食べますので。まあ、税関の検査体制が職員不足で目が届かないことくらいは知ってますが。

そんなこと言いつつ、大好きな煙草は1日1箱・そしてウイスキー飲みです。
大して気にしません。

1000年位生きて歴史の証人(語り部)になれればそれは夢ですが、不可能。
だから自分で「まあ、安全だろう」レベルで判断し、美味いもの食って、適当なとこで寿命で良いと思ってます。


九州方面の皆様、大雨で大変みたいですね。
是非、お気をつけくださいませ。

絶対的は安全は、どこにも存在しないわけですから、後は、個人がいかに安心するかだけなのだと思っています。
安心の根拠となるモノが、個々人により違う訳だし。

放射線量の閾値が存在するのかどうかは知りませんが、自然界に放射線が存在しており、我々が好むと好まざるとに関わらず、いつもそれを浴びてきていたと言う事実は存在しています。

放射線以外の、ウイルスや細菌、化学物質、ありとあらゆる危険なものが、この世界に存在し、我々は、いつもそれらと遭遇する可能性があるという事実も存在します。

個人が、どう安心を担保するのか。私はそれだけだと思います。

濱田様
コメントしなかった(できなかった)としても毎日拝見させて頂いておりますから、宜しくお願いします。
出張しても夜にはホテルの「ラン」に繋いで見ていますよ!!

閾値は、口蹄疫の半径○○㌔と同じで、○○㌔圏内は制限区域だが、○○㌔より外はは対象外・・・と似たようなものと思っています。制限区域から1㍍外れたら本当に安全か、感染の恐れは無いか・・・と問われれば、答えは出てこないと思います。法的には云々と言う事ではないでしょうか?
(放射線の30㌔で線引きしたものと同じでしょう)
○○シーベルト以上、以下と言ってもその影響度合いは個人差がありますから、議論は堂々めぐりでしょうね。ただ、目安としての数値は欲しい所が本音です。

山形様
豪華な夕食羨ましいです!!

いつもブログ拝見しています。
毎日見ているのが故郷の村のサイトと村長さんと商工会長さんのブログ、そして濱田様のブログです。
私は筆不精で文章べた。
これだけの文章を毎日書いていただいて尊敬しています。

低量被曝、難しいですね。
でもそれを言ったら私の故郷には住めなくなります。
実際義両親住んでいますが。
私は医療者ですので、発がん性に関しては低量被曝よりよっぽど危険性の高いリスクファクターがあると思っています。
今後の疫学調査で低量被曝を論じるときに、それ以外のリスクファクターを加味しないわけにはいかないでしょう。
統計を取ったところで、その数字をどう関連付けるかは扱う人間の考え次第です。

個人的には一宮崎人様と同じ意見です。
絶対の安全も、安心もこの世にはありません。
安全や安心を求めすぎると、本当に大事なものから遠ざかってしまうと思います。
ここだけの話、自虐的ですが「セシウム入ってまーす(はあと)。」といいながら福島産食べてます。
ヒステリックな方々からは「子供にそんなもの食べさせて!」って言われるんでしょうかね。

科学といっても仮説ですから考え方を示して、後は個人の判断に任せるしかないような気がします。
根拠となるデータを表示するのが本当だと思います。

日に日に悪い材料ばかり出てくる原発の報道をみて怒りに震える毎日です。

いつも悲観的な意見で申し訳ありません。

各個人で家族や本人様が癌や放射線障害が発症したとき原因や因果関係は別にして個人でやれることだけはやったと納得して病気に立ち向かえる状況を整えられるとよいですね。

被災地の皆様には将来、内部被曝による晩発性障害か否か判定するために毛髪や爪の定期的な資料保存をお勧めします

将来納得できない場合、裁判を起こすにしても何もないよりはるかにいいはずです。

「とりあえず安心」といっている国は将来何かあっても言い逃れするに決まっていますから、できるだけの自己防衛を行ってください。

でも被災地の皆様のことが心より悲しくて仕方ありません(言葉的におかしいですが、言い方を変えると上から目線になりそうなので・・・)

今回の原発事故は個人的には原発が悪いのではなく、管理体制の怠慢による人災と考えておりますが、原発推進に賛成をしているわけでも反対をしているわけでもありません

しかし温暖化で年々異常な洪水や大雨干ばつ等自然災害がひっきりなしで起こる中、原発を停止しても現状では温室効果ガス排出系の発電増でしか切り抜けられない中、原発を一気に全部やめるというのも現実的でないし、地球の全生命に対して無責任とも思えます、皆さんがおっしゃるように放射線は自然界にもあるものだから温室効果による環境破壊とどちらがいいのかという問題にもなるので難しい問題です


いろいろ書きましたが、皆様の健康と安らぎを祈りつつ失礼します

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