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広島、長崎から低線量被曝研究は始まった

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九州はたいへんな大雨なようで、心配しております。被害がなければいいのですが。やはり、口蹄疫事件で半年間大変にお世話になった宮崎、親族の多い熊本、鹿児島が気になってしかたがありません。

当地も昨夜来の大雨です。3月12日以来、今までは気にすることもなく当たっていた雨に敏感になってしまいました。

私たちがほんの子供だった頃は、ビキニ環礁などの大気圏内核実験が米ソでひんぱんに行われていた頃でした。

大気圏内核実験とは、まぁよーやってくれるよです。これほど他国に迷惑至極なことはない。

おそらくは全国的に拡がった被曝ということにおいては、この60年代の被曝状況ほど深刻なことはなかったはずです。なにせまんべんなく全国にセシウムなどを降らしたのですからね。

この時はプルトニウムまで東京に降っているのが観測されています。言語道断の犯罪行為と言っていいでしょう。

「黒い雨」(89年)という映画を観たことがありますか。あの今は亡きスーちゃんが女優として開花した作品ですが、彼女が鏡に向かっていると、櫛にべっとりと大量の黒髪が抜けていくシーンがあります。

広島、長崎において亡くなった大量の人達の多くは、強烈な熱と爆風によるものだけではなく、被爆後に襲った放射線と放射性物質による晩発障害によってでした。

「ピカ」の後遺症で村の人がひとりひとり倒れて、月に何回も村の道を行く葬列が見られるようになるというシーンが記憶に残っています。

そしてピカに遭って苦しむ人たちへの、同じ村の人達による忌避も描かれています。今回のフクシマでも一部で見られた「放射能差別」です。

語弊があるかもしれませんが、私はこれを被爆した「人に対する風評被害」だと思っています。

それはさておき、広島、長崎に対する核攻撃により、瞬間的な死も含めて実に24万人という一般市民が殺戮されました。立派な戦争犯罪です。私はこのことに対して永久に米国を許さない。

この後日本に進駐した米軍は、すぐに両市に調査団を送り、1950年から寿命調査(lSS)を開始します。

近距離被爆者約5万人、遠距離被爆者約4万人、そしてそれらの比較対象として投下時に両市にいなかった非被爆対照者約3万人を、囲い込んで徹底的に追跡調査をおこなっていきます。

これは約半世紀、50年間にわたって継続された人類史上初の被曝の晩発性障害の大規模調査でした。

ちなみに、よく私たちは「唯一の被爆国」という表現を使いますが、唯一の「被爆国」ではありますが、唯一の「被曝国」ではありません。

米国だけで大気圏内核実験が禁止される1980年までに423回、うち先住民族の居留地付近と北太平洋地域で193回の核実験を行っています。

ソ連は142回、自国領少数民族居住地帯で大気圏内核実験を行い、今に至るも中国はウイグル民族の居住地付近で22回の核実験を行っています。

フランスはオーストラリア、アフリカ、南太平洋の島々で66回の大気圏内核実験を行いました。

これらの追跡調査はほとんどされておらず、民間団体によるものしかないような現状です。しかし、米国本土においてもアトミック・ソルジャーと呼ばれるユタ州実験場で投下直後に投下地点付近で訓練をさせられた(!)兵士から大量の被曝者がでています。

南太平洋では島ごと流浪の民となった島もあります。

現在もなお進行しているウイグル族への被害はすさまじいほどで、別途ご紹介するつもりです。

私たちは「唯一の被爆国」という表現をすることで世界に多数存在している、いや現在もなお増え続けている核による被曝者へ目を閉じてはなりません。

さて話を戻しますが、この米国の広島、長崎の被爆者に対する遠近9万人の調査は被曝のデータベースとして最も多いものでした。

この時初めて人類は放射線が長期にわたって人をむしばみ、時に死に至らしめることを知ります。

それにしても無辜の市民の頭上に、しかも無警告に落としてから知るとはなんという愚かな!なんと許しがたいことか!

この遠近が問題となるのは、投下地点からの距離で、かなり正確に被曝地点の放射線量が分かるからです。

結果、50ミリシーベルト/年(*通常は/年という言い方はしませんが)という放射線量までガンや白血病になる確率が高いということが分かったという説もあります。

すいません。かならずしもそうは言えないという説もあるので、ここではそのように正直に書きます。追々私の中でも整理されていくでしょう。

ここで出た50ミリシーベルトがひとつの閾値(しきいち)です。(*100~150ミリシーベルトという説もあります)閾値とはそれ以上で有意となるかならないかの「境の数字」ていどで理解されて下さい。

この両市のデータを分析した米国科学アカデミー委員会は、2005年6月30日にひとつのレポートを出します。

この論文の結論部分にこう書かれています。

「利用できる生物学的、物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝の影響は低線量まで直線的に存在し続け、閾値はない」

これが放射線量の脅威を語る上で大きな存在となる「直線・閾値なし仮説」(lNT仮説)です。

そしてこの米国科学アカデミー委員会はこのように明瞭に断言します。

「最小限の被曝であっても、危険をおよぼす可能性がある」

明日はこの直線・閾値なし仮説をもう少し詳しくみてみましょう。というのは、現在の風評被害の大本になっているのは、食物、特に農産物や水、あるいは土壌から体内に取り込まれる低線量の体内被曝だからです。

これがまさに今の日本が抱え込んだ、おそらくは十数年以上かかってしか結論が出ないような苦悩の根源なのですから。

そして、避難地域の人々の未来をどのように考えていくのかの、ひとつの拠り所となることが確かだからです。

 

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コメント

唯一の「被爆国」ではありますが、唯一の「被曝国」ではありません。

>>>>そのとおりですね。広島原爆自体は、総放射性物質量は、福島原発より相当少ないですが、「ピカ・ドン」と表現されるように、瞬間熱エネルギーと、瞬間放射線被曝量は、ものすごいものがありますよね。人間の蒸発した影が、石の建物の壁にくっきり残っているのですから。。

結局、強烈な外部被曝(核種ごとではなく、α、β、γ線被爆や、黒い雨に代表される短期的外部被爆の治療が優先で、長期的被害の内部被曝については、当初、あまり研究されてないように思います。米軍は、知っていたのでしょうが、そのころは話題にならなかったと思います。
私が、被爆ではなく被曝を感じたのは、フランスが、ニューカレドニアの海で、水爆実験したころからくらいでした。

まあ、爆弾と言う兵器ですから、熱であれ、放射線であれ、残留放射性物質であれ、相手に、強烈なダメージを与えればよい訳で、じわじわとくる内部被曝より、一瞬で、大量の死者が出る兵器の方が、戦争の威力、軍事力の差を見せ付けるには、戦略的にベストだったんでしょう。

最近になって、米国でも、核兵器製造工場勤務労働者の内部被曝について、50年の非公開資料期間が過ぎて公表になりましたが、手術用、ゴム手袋で、プルトニウムを扱っていたとのことですから、口蹄疫防護服で、原発内部に入るのと、未だ変わらない思想ですね。

ほとんど、大気中実験地での現地被曝調査は、詳しく行われていないか、軍の秘密事項かどちらかでしょうが、米国空母が、北東に80km以上、いち早く逃げたと言うことは、米国は、知ってるのですよね。
当然、核攻撃に対抗する訳ですから、日本のような甘い考えではないはず。

戦車へのウラン弾での被曝についても、研究しているでしょうね。

問題は、福島原発内部にある放射性物質総量は、相当量が多いことですし、メルトスルーとか、地下水、海洋汚染とか、未知のことが多すぎますよね。

人間は、ゆうれいのように、未知のことは、怖いものですから。。

投稿: りぼん。 | 2011年6月13日 (月) 09時06分

「はだしのゲン」を思い出しました。

内容は濃すぎるほどの描写でしたが、共産党や社会党のプロパガンダと、原水禁・原水共の分裂に翻弄されてしまい、しまいには日教組の宣伝に利用されるという残念な流れを辿った作品でしたね。

投稿: 山形 | 2011年6月13日 (月) 12時05分

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